「遍在、或いは、いつもの軽く憂鬱な水曜日について」 公演情報 ヘアピン倶楽部「「遍在、或いは、いつもの軽く憂鬱な水曜日について」」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    鑑賞日2017/04/26 (水) 18:30

    「遍在」つまりどこにでもある話だ。考えるだに、展開を追い続けていると恐ろしくなっていく舞台である。結婚パーティの夜、そこに集う男女5人。この5人は、お互いの存在に気づかないのか、それとも気づこうとしないのか、話は双方向的になることもなく、ひたすらすれ違っていく。もちろん、彼らも相手を全く無視するというわけではない。一瞬、お互いを受け入れようとするが、そのささやかな努力さえも、失われたものを取り戻すことができない。その失われた状況は私たちの日常に遍在しており、明日の水曜日の朝を迎えることへの軽い憂鬱さを招いている。安部公房かルイス・ブニュエルの作品を思い出す、真実を露出させることによって成立した素晴らしい不条理劇。

    ネタバレBOX

    では、何がどこにでもあるのか。それはコミュニケーションの喪失。そもそも、結婚したという男女は存在したのか?そのような存在はなかったのではないか。どれだけ広い邸宅なのか判らないが、5人しかおらず、その5人はお互いの存在への意識は希薄だ。空間の喪失。彼らの時計は壊れるか、捨てられており、時間の観念も喪失している。テーブルに残された遺物のみが、彼らの存在を証明するかのようだ。一緒の行動(日の出を観に出かけたり、相手の似顔絵を描いたり、お茶を入れてあげたり、一緒に鏡を使ったり、そしてSEXも)は、常に自己の表明ではあっても、相互性を獲得することがない。
    また、いつもの軽く憂鬱な水曜日はやってくるのだろう、日常という名の仮面を付けて。
    ラストには、本当にぞっとした。「実存」という言葉を久々に思い出した。コミュニケーションなんて存在しない、それは束の間に現れる幻想だという表明は、私を暗澹とさせた。滅多に買わない台本を買った、もう一度この舞台の恐怖を確かめたくなったから。ただ、観客を選ぶだろうから、お勧めはしない。

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    2017/04/27 12:18

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