六月の斬る 公演情報 グワィニャオン「六月の斬る」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    鑑賞日2018/11/30 (金) 19:00

    座席I列4番

    島田魁こと西村さんの新撰組衣裳を、また観られたのは感謝。やはりこれを見なきゃね。

    舞台の入りは何なのか、というと、これは最後に繋がる(士気)高揚劇の一幕。

    日清戦争に突入する時代、「侍」としての矜持を保ち続ける永倉新八、斎藤一、島田魁
    彼らにとっての明治を描きながら、明治になって失われたものは何かを綴る舞台となっている。そして、新撰組3人に、川上音二郎や伊藤博文、樋口一葉、千葉さな子らが絡む。

    前半の展開は、グワィニャオンらしく活劇と笑いに包まれたテンポの良い。
    新撰組3人個々の登場シーンは、それぞれの個性をよく引き立ててていて、
    (永倉の剣術、斎藤の純情、島田のユーモア)とにかく、カッコ良い男達だなあと、惚れ惚れさせる。

    以下ネタバレへ




    ネタバレBOX

    しかし、後半に失速した感が否めないのも事実。
    伊藤博文が川上音二郎一座を訪れ、戦争に向けて兵士たちの士気を高揚させるための舞台を演じて欲しいと頼みに来るシーン辺から、急に説明の多い語り芝居になる。
    衆人に囲まれた中で、登場人物が自分の過去語りや自分の主張を順番に喋り続ける。おいおい、私は明治座に人情芝居を見に来たのかい、と言う感じ。
    そして、伏線としては前半からあったけれど、若者を死に追いやる戦争への激しい抗議、反戦思想を大上段から取り上げる戦場場面。
    え、グワィニャオンって、こんな劇団だっけ(思い込みが強くてごめんなさい)????と、どうも冷める自分がいる。説明やお題目を用いず、自らの主張を活劇と舞台装置で颯爽と表現するのがグワィニャオン、西村太佑の芝居ではなかったか?

    特にヘタレなのが、先の伊藤博文の川上音二郎一座への訪問場面で、反戦を声高に唱えていた川上や、過去幕府に仕えて討幕軍に大きなトラウマを抱えさせられた劇場主が頑なに伊藤の申し出を拒むが、劇団員の徴兵が判ると少しでも留まらせるために、それら劇団員の出演を条件に舞台を引き受ける。
    結局は、戦線で彼らは役者としての自分を主張しながら死んでいくのだけれども、こちらも、どうもそれがベタな反戦表現で、うーんとなってしまう。

    そもそも、川上音二郎の反戦意識というのもどうかと思う。
    徴兵された役者たちに、出征前、好きな芝居を思う存分させてやりたいという気持ちから高揚芝居を受けた、と言う解釈はできるが、彼らに強い愛着があれば与謝野晶子のように「君死にたもうことなかれ」とまでの強い生への執着を持たせることが妥当ではないか。結局、彼らの死はまさに犬死になるのだから。

    ラストの高揚劇の場面、実際の舞台と、舞台に登場する新撰組3人の明治政府への葛藤がないまぜになった見どころだと思うのだけれども(舞台に陸軍の上官が登場して、彼らに切られるといった演出はありえないので)、それがどうも分かりにくい。

    この原因の1つとして、この舞台では核になる対立構造が多すぎて、それぞれに配慮して展開すると、複雑な構造がむしろ話を平板にしてしまうといった逆説を招いているのだと思う。

    日本VS清国、新撰組VS薩長、川上音二郎VS戦争、江戸時代の古老VS明治生まれの若者、国民VS政府、庶民VS官憲、侍VS近代兵士等々。

    むしろ、清を観念的な存在、日清戦争も抽象的に対外戦争としてしまい、新撰組VS明治政府(旧薩長)と明治になって失われた侍魂を主軸にしてしまえばよかったのではないかなあと思う。
    対外戦争が、政府の富国強兵策として、庶民の感情や生活をないがしろにするものである、という背景はあってもよいけれど、それでも、新撰組3人は自らの信ずる道に殉ずるといった生き様を描いて欲しかった。

    なお「六月の斬る」、変なタイトルだなあ「が」でも「を」でもなく。
    と思ったら「斬る」=killで、池田屋事件のことだったのですね。
    そこに自らの命を懸けた3人の志士の生きざま。ということか。
    ならば一層に、3人の葛藤を深く掘り下げる物語であって欲しかったと思う次第です。






    0

    2018/12/03 13:38

    0

    0

このページのQRコードです。

拡大