鉄火のいろは 【観たい!コメントorツイッター呟き で特製バッチプレゼント☆】
蜂寅企画
ウエストエンドスタジオ(東京都)
2013/03/27 (水) ~ 2013/03/31 (日)公演終了
満足度★★★★
時代劇「で」描き出すもの
幕末の江戸を舞台にした物語、
その顛末に惹かれつつ、
でも、単に時代劇を紡ぐのではなく、
時代劇から紡がれるものに心を奪われました。
ネタバレBOX
この劇団が従前から持っていた、
時代劇的な見せ方や語り口のリズムやふくよかさが
今回もしっかりと担保され、
決めどころでのメリハリをしっかり持ちつつ、
紡がれる時間や想いが繊細に広がっていく。
シーンごとのミザンスの作り方や殺陣もよく研がれ、
舞台の近さにぐいぐいと引き込まれて。
顛末を骨太に、
粋を粋として、華を華として描き出す、
役者たちの気概や強さに惹き込まれていく。
時代劇的な手法で、
役者達が刹那ごとに紡ぐ想いが、
観る側をしなやかに幕末に招き入れ、
その時代が「今」としてビビッドに舞台に折りあがっていく。
作り手の語り口にも、従前の作品以上のメリハリが生まれ、
観客を魅せる。
そして、時間の構造や景色の描写に、
その「今」は、もう一歩踏み込んで
刹那ごとの空気や肌触りのいとおしさへと至るにとどまらず、、
その時代から連綿として繰り返される
時間を呑み込む出来事と再生の俯瞰へと
昇華していくのです。
地震や大火、さらには戦火で焼けた江戸の、
そして東京の街たち、
そこにあった個々のさまざまなものへのいとおしさと、
そのノスタルジーからさらに歩を進める姿が
この国の今のありようとなり、座標となり、
すっと物語に重なる。
それは、今を今で描くほどあからさまではなく、
でも、だから、受け取りうる感覚があって。
従前の公演から比べても、
作り手は時代劇「を」ではなく時代劇「で」描く力を
手に入れたように感じた。
時代劇のために時代劇を作るのではなく、
時代劇を通しての描く作意が作品にはあって、
だからこそ、台本にもそれを舞台に乗せる役者たちにも、
表層の形式に窮屈になるのではなく、
その表現だから描きうるものの深さや広がりが生まれていて。
こういう作品を見せてもらえると、
単に時代劇のテイストを楽しむということではない、
もっと広く大きな作り手の描き出すものへの興味がググッと増して。
劇団の、そしてこの作り手の、
今後の公演が楽しみになりました。
DOLLY ~Faure:Dolly,op.56~
年年有魚
RAFT(東京都)
2013/04/12 (金) ~ 2013/04/21 (日)公演終了
満足度★★★★
作り手の仕掛けが生きる
最初舞台の風景を追うだけですが、
次第にその仕掛けが観る側に伝わってきて。
観終わって、女性たちの時間の内側が
普遍と共に鮮やかに伝わってくることに瞠目しました。
作り手の意図があからさまに示されて。
こんなにもしなやかに機能する・・・。
ほんと面白かったです。
ネタバレBOX
最初はピアノの演奏に続くシーンを追っていくだけ。
ありふれた女性たちの集いの風景が、
さりげなく描かれていく。
10人の女優たちそれぞれに個性があって、
それぞれのロールがしっかりと印象に残って。
そのなかに、男がちょっと入り込みにくい
女性たちの時間が組みあがっていく。
そして、物語は始点に戻り、
同じシークエンスが、
ロールを変えて繰り返される。
役者と役名はそのままに、
一方で個々がそのシークエンスで担う役割のみ入れ違って
同じトーンで舞台上に組がっていきます。
さらには、3度目、ロールの変化に加えて
舞台上のトーンまでが塗り替えられて・・・。
そのきゃぴきゃぴしたデフォルメが、
演じる役者たちに合っているかといわれると
少々シュールな部分がないわけではないのだけれど、
だからこそ、舞台に組みあがるものの
ありようや普遍性はより鮮やかに伝わってくる。
4度目には、もはや、
色調や其々のロールが担うものすら削ぎ落され
演じられる4度目のシークエンスに、息を呑む。
最初は女性たちのありふれた時間の風景が、
モノトーンの中に、骨組みを露わにし、
観る側の眼前に揺らぐことなく存在して・・。
そこには描かれた時間の本質を切り出す
作り手の慧眼があり、
それらを与えられた条件の中にぶれることなく
その肌触りを紡ぎあげ、描き出す、
役者たちの演ずる力のしなやかさを深く強く
感じることができて。
5回目に演じられるシークエンスは
最初と同じに演じられて・・・。
でも、そこから受ける印象は
もはや冒頭とは同じではない・・・。
男に少々理解しえない
女性たちの時間のベースや
距離感やロールのやり取りや、収まりのつかなさの感覚までが、
裏付けとともに
細微に、しなやかに伝わってきて。
観劇は初日でしたが、
作り手が当パンに書いているように、
それぞれに描かれるものの精度は
役者たちによってさらに研がれていく予感もあり、
単なるワンアイデアの提示のツールにとどまらない、
名付けられた10のキャラクターの個性にも
この役者たちが演じ込むことで
さらに広がるであろう魅力もあって。
観終わって、作り手の企みにガッツリ嵌ったことを悟り、
ちょっと悔しくさえ思えて(超褒め言葉)。
また、この仕組みの中で、役者達それぞれから、
あざとさを持たずにしっかりと伝わってくる演じる力を改めて実感し、
強く惹かれたことでした。
従軍中の若き哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン....
Théâtre des Annales
こまばアゴラ劇場(東京都)
2013/03/29 (金) ~ 2013/04/07 (日)公演終了
満足度★★★★★
哲学を理解できたわけではないけれど
こりっち無学なものでこの哲学者に関する知識もなく、古典の前座噺を彷彿とさせるようなタイトルの長さにも気おされて、相当に身構えて観にいきましたが、開演すると、たちまちのうちに、そんなことはどうでもよくなり、ひたすら舞台に惹き込まれました。
観終わっても、舞台から受け取ったものが哲学と呼ばれるものなのかは、わかっていない。でも、それ以前に、演劇として舞台からやってきた感覚に強くとらえられました
ネタバレBOX
開演から暫くは、
ただ、舞台の風景と言葉を追いかけているだけ・・・。
友人への手紙、戦争の風景、キャラクターたちの印象・・・。
そこにはあるがごとくに乱雑な戦場と、
どこかなじみきれないような主人公の姿がそのままに伝わってくるだけ。
でも、舞台の空気には、
役者達の、その場にあるだけで観る側を繋ぎとめる引力があって。
パンとソーセージで作られた戦場の地形から、
若き哲学者の気付きが語られると、
世界が複層的に広がり、一気に惹き込まれる。
知りうることは、パンとソーセージと吸殻とボタンにとどまらず、
その空間から概念にまで広がっても
表現となる・・・。
自らの中に存在することは
なにかに置き換えうること、
そうして言葉は自らの知りうることを表現できること。
さらには知らないことは表現しえないこと・・。
思索は舫をはずされ、
前線のその部屋に描かれる事象と、
主人公が見出すことが溢れるように舞台を満たし、
思索のさらなる在り様へと歩みを進めていく。
やがて思索は内なるものにとどまらず、
戦場の刹那を染め、ニュアンスを与えていきます。
哨戒塔への志願や弾道計算の技術、
くじ引きを強いる隊長、
塹壕や、闇の感触・・・。
表層の、戦場のどこか殺伐とした雰囲気の裏側に
繋がれた真理が更なる真理を呼び込み、
思索は熱やグルーブ感すらもって広がっていく。
戦場の出来事が思索を導くベクトルと、
思索がそれらの記憶を蘇らせていくベクトルが幾重にも交差し、
表裏すら曖昧になり、坩堝となり、静寂となり、
哲学者が友人に・・・、
というよりも、もうひとりの自分への語りかけに
包括されていくのです。
役者のそれぞれに、
編み上げる個性の秀逸に加えて、
キャラクターそのものの風貌と
編みこまれたロジックや寓意として降りてくるものを
乖離させず表裏の如く演じ貫く演技の奥行きがあって。
舞台から導かれる感覚は決して難解なものではなく、
むしろ、観る側に憑依し、
あたかも自らに浮かぶが如くに、
思索をたどる感覚すら与えてくれる。
ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの哲学なんて
知識はほとんどなかったし、
当たり前ですが、
このお芝居を観たから理解できたというものでもない。
でも、多分そのシードであろうものが天啓の如く現れ、
それが組みあがり、時に足を止め、
再び歩みだす思索の肌触りが、
その思索の片鱗とともに
舞台の熱量と覚醒の先に
しなやかに置かれて・・。
観終わって、舞台に描かれた世界に圧倒され、
深い部分の高揚はすぐには収まらず
やがて心地よい疲労感がゆっくりと降りてきました。
なにか、自らの無意識の部分までが、
作品にがっつり引き込まれたことを悟ったことでした
国家~偽伝、桓武と最澄とその時代~
アロッタファジャイナ
新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)
2013/03/27 (水) ~ 2013/03/31 (日)公演終了
満足度★★★★
舞台に観客を繋ぐ力に圧倒されつつ・・
入り口で上演時間の掲示を見たときには、
少々くらっとはきましたが、
むしろ、観終わって、その時間を全く感じることなく
物語に閉じ込められていた
自分にびっくりしました。
なにか作り手の魔力を感じる作品ではありました。
ただ、作り手の作意には、
観る側が感じる以上の奥行きがあるようにも思えました。
ネタバレBOX
入場すみると
四方を客席に囲まれた舞台の新国立(小)の空間はとても広く感じられて、
でも物語が語られはじめると、
その広さだから観る側が受け取りうる空気があって。
舞台に留まらず客席までが取り込まれても、
印象が散漫になることなく、
いにしえのこの国の物語がつづられていきます。
3時間を超える舞台ではあっても、
登場人物の歩むベクトルがぶれない。
また、観る側が置かれる視座も安定していて、
うろ覚えの長岡京遷都の歴史や、
密教文化の話、
それらが舞台上でしっかりした骨格に組みあがり
観る側にそのなりゆきを追わせてくれる。
シーンの繫がりも流れるようで秀逸、
一つのエピソードにオーバーラップするように
他のシーンが描き込まれ、
舞台が観る側を手放さないのです。
歴史の刹那に、
事象が端正に描かれつつ、
関わった人や事象の裏地が
温度をもって作りこまれていく。
表層の顛末が、人物の想いに支えられ、
その想いも、ベタに語られるのではなく
しなやかに切り出され、
役者たちが醸す色に染められて
観る側に供されて。
シーンごとの空気や、
人物を紡ぎ出す解像度には
多少のばらつきはありつつも、
ロールを世界に置き、観る側に運ぶ力は担保されていて、
役者たちがそれぞれにもつ演技の切先が、
キャラクターの個性となって際立ち
史実にたいしての因果や、
時代の肌触りを作り出していく。
舞台を編む一人ずつが空間の広さにしなやかに喰らいつき、
自らのもつ引き出しをしっかりと使っていることで、
シーンのベクトルが少々ばらけても、
それをさらに束ねる力が舞台に生まれ、
全く見飽きることなく、
もっといえば、歴史の流れを台詞にとどまらない、肌で感じるもので追い続けることができる。
3時間を超える舞台を休憩なく、
また、暗転すら極力排して描き出していく、
作り手の手法がしっかりと支えられ功を奏して。
歴史エンタティメントとしてこの舞台を観たとき、
そのクオリティは十分すぎるほどで、
ベタな言い方ですがほんとうにおもしろかったです。
ただ、観終わって、
作り手が本当に舞台に描きたかったものは
史実の肌触りに留まらない、
そこを踏み台にして描かれる、時代の変革のあからさまなありようや、
それを貫く人物たちが内包するものの普遍性であったような気もして。
もしそうだとすれば、
作品のフォーカスや、シーンの重ね方は
よしんば、最後に現代から歴史の俯瞰を織り込まれたとしても、
作品から作り手の意図を何となく感じる以上の、
作品のなかでシーンを束ねての
観る側を支配する切先にまでは
作りきれていなかったように思えるのです。
その時代を描き込む作り手や役者の秀逸に
垣間見える作意がさらに細かく繫がれば、
作品は、作り手の意思とともに、もっと深く、
観る側に入り込んでくるようにも感じたことでした。
【33ステージ無事終了!】「アフター・トーク 天&地」「とーく・おぶ・ざ・でっど 刻」【大感謝!】
JOHNNY TIME
エビス駅前バー(東京都)
2013/03/23 (土) ~ 2013/04/08 (月)公演終了
満足度★★★★
サクサクとしっかり観ることが・・
ちょっと残業をしたあと、
会社帰りに観ることが出来る時間であり、
内容でもあり・・・。
刻は短編集的な趣でしたが、
サクサクとシーンの印象を楽しむことができました
ネタバレBOX
恒例とはいえ
開演前から、場の繋ぎ、ラストに至るまで
映像がよく作りこまれていました。
そもそもこの劇団は、
HPなどもとてもよく整理されていて見やすいのですが、
舞台においても、切り取られた物語のテイストを
なんとか伝えようという工夫や、努力がしっかりあって。
役者も、あれだけ観客に近い空間に
手を抜くことなく、
しっかりとロールを作りこんでいく。
観る側に徒に重くなったりもたれたりせず、
でも印象はくっきりと差し込まれて。
外側に、物語を俯瞰する大きなくくりを作る役者も、
場のいつづけにテンション切らすことなく
個々のエピソードを織り上げる役者達も
シチュエーションをぶれなく立ち上げ、
最後までドップリ観る側を追い込むことなく、
切れのあるお芝居で
シーンのテイストを鮮やかに残す。
構成もうまい。
ある意味シンプルな場間の映像が
舞台にリズムをつくり
時間を繋ぐ中に、
観終わった個々のエピソードの印象がちゃんとのこるのですよ。
サクサクと進んでいく舞台が、
淡白にならず、徒に追い詰めることもなく
観る側をそれぞれの時間に繋ぎとめてくれるのです。
心地よく、取り込まれるように
舞台を楽しんでしまいました。
キャッチャーインザ闇
悪い芝居
王子小劇場(東京都)
2013/03/20 (水) ~ 2013/03/26 (火)公演終了
満足度★★★★★
圧倒的なデッサン力に裏打ちされた心風景
3月23日ソワレにて再見。
最初は五感から伝わってくるものに導かれ、
組みあがっていく世界のニュアンスに染められ、
さらにそれらが解け、束ねられていく中に、
心に去来し思索し霧散していく想いのありようが
あからさまに伝わってくる。
作り手の心風景のデッサン力と
それを具現化する役者たちの底力に圧倒されました。
ネタバレBOX
物語への導き方がとてもしたたか、
冒頭の闇の気配は
観る側の耳をそばだたせ、
肌で感じさせ、五感を研ぎ澄まさせる。
そして次第に闇が解けて浮かび上がるそのミザンスに
したたかに閉じ込められてしまう。
解けるように現出する三つの世界のそれぞれのニュアンスが、
異なるベクトルに次第に形作られ、
その一つづずつが歩み、
舞台を広げていきます。
個々の世界に紡がれる物語は、
それぞれが奥行きを持ち
とてもルーズに互いを照らし、
切っ先を研がれつつ広がっていきます。
単純に筋立てが語られるのではなく、
ロールたちそれぞれが物語の顛末を織り上げるなかに、
表層に留まらない、
それぞれの世界の呼吸や鼓動や肌触りが描き込まれ、
観る側を惹き込んでいく。
でも、終盤に、舞台上にある様々な概念が熟しても、
満ちても、溢れても、混沌に至っても
それを感じ見つめる視座がしっかりと貫かれ残って。
役者たちの、身体の切れやニュアンスの立ち上がりの早さと深さ、
さらには単にそれぞれのロールを
物語に織りいれるにとどまらない、
其々の切先とともに観る側に刺さりこむようなテンションにも
深く捉われる。
衣装も、観る側の目を奪い、
キャラクターが纏うものを際立たせる。
美術が描き出す世界のありようや揺らぎ、
さらにはラストの闇が崩れ落ちるような感覚を導く外連に息を呑む
レーザーなども使い、場の色をメリハリをもって浮かび上がらせる 照明は、観る側までも染め上げていく。
求める気持ち、苛立ち、表裏の感覚、
見えるもの、隠れるもの、浮かび上がるもの、
広がるもの、滅失するもの・・・、
気が付けば、、
たとえば眠れない夜に心が澄み、
記憶の扉から漏れ出てくるものに想いが広がり、
自らの手を離れて心を揺らぶられていくような感覚に嵌りこみ、
振り返り、思索の坩堝の中で、
満ちることのない様々なものに想いを馳せるような・・・、
あるいは、若いころの想いが時間の舫いを解かれて
更に歩み続けている、
自らを見つめるような感覚に深く浸されて。
激しい昂揚のあと、
全てが世界に収まった時、
なんだろ、不思議な慰安があって・・・。
自分が歩んできた記憶に、
舞台のエピソード達から削ぎだされた
風景とその顛末がつながれておりました。
この作り手だからこそ切り取りえたであろう感覚に深く捉われ、
それをデフォルメし描き出す、様々な創意に舌を巻いたことでした。
城
MODE
あうるすぽっと(東京都)
2013/03/14 (木) ~ 2013/03/20 (水)公演終了
満足度★★★★
思ったよりはるかに観やすく美味
カフカだし、原作ががっつりボリュームがあることも知っているし、
入場時に掲示されていた上演時間もけっこうなものだったので、
不条理な難解さとのガチ対決の覚悟を決めて観はじめたら、
意外なことに、これが、シーンごとにとてもわかりやすくおもしろい・・・。
良い意味で裏切られました。
観る側を離さない冴えやウィットもいろいろにあって、
まるっと最後まで観切ってしまいました。
ネタバレBOX
舞台がいろいろにくっきりと綺麗・・・。
役者の所作や絵面がとても映える美術。
シーンの区切りもよくて、
観る側をひとつの時間で飽きさせない。
シーンの間に挿入される文字での説明にも、
物語を進めたり、示唆があったり、どこか哲学的でもあったりと、
一様でない表現のバリエーションがあって・・・。
観る側をやわらかく揺さぶり、
物語の次へと観る側を引き込んでいく。
場の色の組み上げも実に多彩、
会話でしっかりと作ったり、
動きで繋いだり、
衝動的な愛情の表現に身体をしなやかにさらけ出したり・・・。
それらが、時に強く、すっと流れ、かとおもえば留まり、
行き場をなくし、解き放たれて・・・、
様々な変化となって観る側を繋ぎとめ顛末を追わせる。
カフカ=不条理というイメージでしたが、
作品に描かれたものに不条理さを感じることはあまりなく、
その一方で、
様々な価値観の頑迷さやご都合主義や
人々の狡さやあからさまさを、
シニカルに眺めるような視座の作り方があって。
役者達もキャラクターを舞台の色に染めるのではなく
むしろその色を踏み台にして、
ロールのありようを瑞々し人間臭く織り上げる
踏み出しに捉われる。
舞台美術も実に秀逸、
役者も安定していて、
歩く姿から
織り上げられるダンス的な動きでのシーンにまで
様々に織り込まれたニュアンスと
観る側をひとつの印象に立ち止まらせない切れと
鮮やかさと美しさがあって。
休憩込みとはいえ、密度をしっかりと持った舞台を
3時間近く観続けると、
流石に少し消耗はしましたが、
でも体感的に時間を長いと感じることもなく、
重く堅苦しい印象もなく、
飽くことなく、城とそれを取り巻くものと測量士のなりゆきを
追うことができました。
いろんな寓意や風刺が込められた作品だと思うし、
それを全て受け取ることができたかというと
少々怪しいのですが、
でも、その中に、
登場人物達がそれぞれに処世をし、
生きていく生々しさも深く印象に残って。
とても、面白かったです。
LAND→SCAPE/海を眺望→街を展望
北九州芸術劇場
あうるすぽっと(東京都)
2013/03/08 (金) ~ 2013/03/10 (日)公演終了
満足度★★★★
フォーカスを作る新たな手腕
これまでの作り手のテイストに浸されつつ、
舞台上に紡がれる時間には「醸す」のとは異なる「重なりとおる」ようなあらたな質感を感じて。
その質量の消えた時間の感覚と、
滅失しない風景のありように深く浸潤されました
ネタバレBOX
舞台上にも周囲に座席が組まれていて、
囲み舞台のなかで時間が紡がれていく。
見上げると、船底がさらされていたり、
街頭スピーカーなども目をひく。
具象ということではないのだが、
そこにはすでに作品の風情があって・・・。
舞台は、作り手の他の作品同様、
その場の時間や風景を少しずつ解いていく。
リズムがあって、ルーティンが生まれ、
場が呼吸を始める。
ただ、今回は小倉という街の情報が明確にあって、
それ故に、見知らぬ街の出来事というよりは
訪れた街に次第に馴染んでいくような、
行ったことはなくても、
次第に街並みが観る側にもなじんでくるような感覚があって。
重ねられていくいくつかの物語、
姉妹、あるいは友人、もしくは家族・・・。
街を出て再びその地に足を踏み入れるキャラクターと
その町にずっと暮らし続けるキャラクターが
小倉の街を舞台に交差し、
或いは束ねられ、風景に時間を刻み込んでいく。
技法自体は、マームとジプシーの作品から
大きく変わっているわけではない。
キーになる部分には劇団の役者達が
配され支えている感じもあって・・・。
でも、この舞台、
描かれていく過去と今を繋ぐものの質感が、
これまでの作り手のものとかなり違って感じられるのです。
なんだろ、今の先に13年前が織りあがっていくなかで、
従前の作品では溢れるようにかもし出され膨らんでいた
過去の刹那の縛めを解かれたような広がりが
この作品では
同じ街の時間として滅失することも解かれることもなく、
そのままにとおる。
紡がれる過去の出来事と
舞台上の今の視座がそのままに重なる感じ。
その質量を手放したような時間が、
繰り返し描かれる時を隔てて、
変わることのない街の風景たちに帰納する。
息を呑むような切っ先で描かれた
姉妹の仲たがいの刹那は、
まるで昨日のことのようにそこにあり、
鈍色にあふれ出す兄への思いは海へと沈み、
久しぶりにその街を訪れる女性は
細微な揺らぎを描きながら
時を隔てて変わらない街の空気に浸されて・・・。
流れ積もった時間が醸す違和感たちが、
変わらない街に溶け込んでしまうような感覚があって。
一夜を刻むリズムのグルーブ感や、
無くした兄への想いに駆られて海へと出る船の疾走感、
それらは夜から朝への時間の存在感を与えつつ
でも、その時間は従前の作り手の作品のような
放たれ観る側を凌駕するような質量を呼び込むのではなく
描き出されたエビソードの、
繰り返し描かれる街の風情に滅失していく時間の
質量の肌触りに収束していくのです。
作り手は舞台上の時をただやみくもに舞台に放つのではなく
0から極大に至るまでにコントロールする
新たな表現のテクニックを生み出し、
その時間の質量だから生まれるフォーカスを手にしたのだと思う。
友人や家族が結ばれ、子供ができ、
あるいは年老い、逝く中で、
変わることのない街の風景や 時間の感覚が
舞台のエピソードに塗りつぶされることなく残り、
その風景からやってくる 言葉にならないような感慨に浸潤される。
様々に抱いていた過去と今が、
すっと一つの時間のそれぞれの風景に束ねられて、
その感覚から、自らの立ち位置に想いが至って・・・。
作り手の、時間を手なづけ、
表現に編み込む新たな力に目を瞠りつつ、
ゆっくりと深く訪れる、
見知らぬ、でも間違いなく存在する街の時間と風景に
身をゆだねてしまったことでした。
馬のリンゴ 【3月15、16日 アフタートーク決定】
ワワフラミンゴ
神楽坂フラスコ(東京都)
2013/03/15 (金) ~ 2013/03/20 (水)公演終了
満足度★★★★★
一身上の都合で全てはわからないけれど・・・
冒頭の身体での表現にまず捉われ、
シーンごとのひとつの所作や言葉から
女性たちの、このメソッドだからこそ表現しうるであろう感覚が伝わってきて。
もし戯曲で読んだら、
きっと突飛に思える踏み出しも、
役者たちが組み上げる空間に置かれると、
単に言葉そのもののニュアンスを観る側に伝えるのではなく
そこに紐づいた感覚や想いを細微に組み上げて
観る側を淡く、強く、ぼんやりと、でもくっきりと
その時間に染め揺らす力があって。
幾色ものとても自然でつかみどころのない想いの肌触りに
深く浸されてしまいました。
ネタバレBOX
フラスコはウナギの寝床のようなスペースで
入口からの細長い空間の奥に一段高い畳敷きの場所があって。
入って右側が客席に、
左側にもベンチなどが並べられ舞台に供されて。
冒頭、畳の部分に一人の女性が現れます。
その身体で紡ぎ出される感覚に一気に取り込まれる
しなやかで、内にあってのびやかで、起伏があって、
繫がれて凛とし、解き放たれて快活で・・・。。
ダンスの精度に裏打ちされた所作や表情が醸す、
刹那ごとの瑞々しさとふくよかさに目を瞠る。
そのシークエンスは、
入口側に現われた二人の女性に引き継がれて。
想いと身体が縒り合されるよう。
そこからの展開というか、描かれていくものには
男性には直接にわかりえない感覚も多々あって。
でも、その感覚を抱える女性の想いが
舞台に置かれ、紡がれるものから
突然にすっと透けて垣間見える。
女性たちだけの内緒話を漏れ聞いてしまったような感じがあって、
でも、描かれているもののトリガーに気づき、
舞台に置かれ表されたものの寓意が解けると、
その躰と心がひとつの世界に交わって
織り上げられる様々なシーンの暗喩するものが、
きっと全てではないのだけれど、
むしろすべてでないがゆえに、
男性にもとてもナチュラルに伝わってくる。
ひと月の日々のなかに訪れるものや、満たすもの、
心に居続けるものや、鬱屈や、慰安や、逃避や、ピュアな欲望や、
どこか不安定であいまいな開放や希望までが
立ち上がり、突然歩みだし、さらに踏み出して。
表見上、不条理にすら思えるそれらの、
舫がふっと解けると、
女性が女性であることで抱くものの、
あるべくしてそこにある
男性すら受け取りうる
洗練されたあからさまさのようにも思えて。
吸血鬼撃退の道具にしても、場所にしても、
片方が連れ去られることにしても・・・。
隠れ、出ることにしても・・、
男性が持つ知識であってもすっとはまる。
その吸血鬼の噛み方や、寄り添い方、
さらには供される飲み物に対する感覚などは、
男性にとっては柔らかな驚きや、
気付きでもあったりして。
でも、それらが、生々しくならず、
しなやかに削ぎ研がれ、
透明感すらもって訪れてくるところに
作り手一流のウィットや、
表現の豊かな洗練を感じて。
ラフなようで、観客の咳ひとつで
場の空気がかわるような繊細さを持った舞台を、
強かに背負う役者たちの様々な筋力にも
舌を巻く。
終演時には、
一人の女性の内なる心と体の
緩やかな俯瞰と存在感がしなやかに残って。
正直なところ、
たとえば家賃と床下から取り出してくる封筒など
空気のテイストに惹かれつつ、
描かれているものが分からなかったりもしたのですが、
でも、たくさんのことを受け取りつつも
分からないことやぴんと来ない部分もある、
その在り様こそが、
男性に供されたこの表現たちの秀逸にも思えたことでした。
『 』
荒川チョモランマ
日本基督教団 巣鴨教会(東京都)
2013/03/11 (月) ~ 2013/03/11 (月)公演終了
満足度★★★★
礼拝堂の空間を借景に
ラフに見せかけて、
細かいところがよく作りこまれているなぁと感心。
観終わって、登場人物達がかもす
人生の肌触りが
くっきりと、あやふやに、切なく、いとおしく感じられました。
ネタバレBOX
会場は教会、礼拝堂に入ると
ベットを使った台が中央に据えられ、
雑多に物が置かれて・・・。
風船、ストローやキャンドル、絵本・・・、
それが、客入れの音楽と重なり合って、
いろんな風景に見えてくる。
シューマンのピアノ曲、ビートルズ・・・、
教会の空気と雑多なものが音に染まって・・・。
舞台美術というよりは、それ自体がインスタレーションのようでもあり、
受付で渡されたメッセージを読むと
3.11の風景と、それからの記憶の具象のようにも思えてくる。
開演が近づくと、少しずつ場内の光が減じられて、
観る側はその中に紡がれるドラマの世界に導かれていきます。
最初は、闇の中に表れた人物がそれぞれの手に持つライトに照らされて、
動きや台詞たちにゆっくりとその関係がほどけていく。
3人の関係が断片的に紡がれ、
少しずつ繫がり、彼らの時間が観る側に満ちていく。
教会の息子の女性へのストーカーまがいのことも、
更に深くにある記憶のなかで二人が共有した秘密のことも、
空の星たちも、パンツも、下駄箱の手紙も、嫉妬も、
彼女が男を愛せなかったわけも
その友達の女性の男への男の子への想いも、
パンツも、下駄箱の手紙も、嫉妬も、3人の顛末も
記憶の引き出しから一つずつあふれ出して・・・・。
ちぎられた新聞の遠くの大地震の記事が
女性の死をあいまいに男に告げ、
でも、女性は彼の中でそのままに生き続け、
彼のもとを訪れる。
冒頭に取り込まれた舞台の風情のなかで、
劇的でもなく、でもビビッドに、時にはルーズに淡々と、
男の記憶が観る側をも満たしていく。
入場時に渡されたカードに差し入れられたメッセージの日付の表現に、
舞台が重なると
消え去った女性のそのままにあることがとても心に残って。
突然に失われたもの、静かに滅失していくもの、
そして消えずに再びおとずれるもの。
舞台の時間が霧散して、
編み上がる表現のビビッドさにも捉われ、
その先におかれた背負い続ける時間の質感も
そのままに残って。
きっと、あの3月11日は、沢山の人生に、
こんな感覚を刻み付け、
いくたりの年が過ぎた3.11にも、
彼女は再び扉をたたくのだろうなぁと思う。
観終わっても少しの間、礼拝堂の空間に身をおいて、
過ごしてきた時間やこれから歩む時間のことを
ぼんやりと考えてしまいました。
素敵な刹那もあり、ビターな物語もあり、
痛みも、満ちたものも、喪失感も感じて。
それらを包括した時間の重なりに
やわらかく深く捉えられてしまいました。
テネシーの女たち
Theatre Polyphonic
シアターシャイン(東京都)
2013/03/07 (木) ~ 2013/03/10 (日)公演終了
満足度★★★★
個々と束ねられたもの
全ての作品を知っているわけではありませんでしたが、
見覚えのあるストーリーもいくつか。
それらの一つずつが様々に刹那を描き出し、
一方で他の物語と重なる時間の如くに舞台にあって。
作品たち一つずつに惹かれつつ、
一人の作家が描く共通した感覚にも捉えられて。
少しだけトーンの異なる最後の作品も圧巻でした。
ネタバレBOX
開場時舞台は黒い幕で隠されていて。
2列目の中央に座ると、
その幕の真ん中に仕立てられた小さなのぞき穴にも気づく。
客電が落ちると、一人の女性が客席奥から現われ、
そののぞき穴から舞台を覗き込んで・・・。
観客もその視点とともに舞台に導かれます。
黒地に描かれた壁の絵に目を奪われ
何枚かの絵に見入って、
その中に積み上げられていくドラマに心を奪われていきます。
『風変りなロマンス』は主に下手側で
いくつかのパートに分けて紡がれていきます。
冒頭の部分が少しだけ硬く感じられましたが、
やがてシチュエーションがほどけていくと、
そこにロールたちのルーズな行き場のなさが
役者たちの絶妙にすれ違う会話の中から
じわじわと伝わってきます。
猫の作り方もしたたかで、役者がその所作に
主人公と宿の女主人双方の見え方を
しなやかに背負っていて・・・。
同じ舞台の上手側には
別のベットがしつらえられて
女性が眠っている。
その場の空気は、
やがて『バーサよりよろしく』として立ち上がりつつ
『風変りなロマンス』の
宿屋の一部屋と窓から見える工場の風景にも
同じ時間の俯瞰を与えて・・
『バーサよりよろしく』は他でも観たことのある作品でもあり
舞台の空気にすでに前のシーンからのものがあるので
物語の肌触りをそのままに受け取ることができて。
バーサの見るものも、
まわりの女性たちの彼女との距離もとてもナチュラルなものに思える。
生きることの残照のようなものが
二人の女性の風情にさらに際立つ色を与えつつ
一人の女性への憐憫や同情に留まらない
生きることの質感となり、深く浸潤される。
二人の女性のそれぞれの距離感に作りこまれた
こまやかな揺らぎにも心惹かれ、
ジャズの場への入り込み方も実に効果的。
女性たちのその場にあることのリアリティや
想いの単に情念だけに留まらない、
どこか軽質で達観にも似た感覚までが
織り上がっていく。
『話してくれ、雨のように・・・』は
2月に観たd’UMOの舞台の素材となった作品で、
極めて個人的に、
その圧倒的なデフォルメに切り出されたものの印象が
今でも強く残っていて。
で、この舞台に綴られていく世界に取り込まれて、
やってくるもののベースに変わらない普遍があることに驚く。
雨音と場の閉塞感から逃れるように
幻想が虚実の敷居を乗り越えて広がり、
その先に語らえる褪せ朽ちていく人生の姿に
淡々と深く行き場のない男女の閉塞の在り様が浮かび上っていく。
テネシー ウィリアムズの作品の多くに感じる、
実態のない希望と現実のありようが、
とてもあからさまに、そして鮮やかに伝わって。
『ロンググットバイ』は
兄妹の一歩踏み込んだ実存感やビビッドさに惹かれました。
その場にあった閉じ込められ感が、
語られる母親のエピソードとともに
舫いを解かれ、その在り様を
くっきりと浮かび上がらせる。
その家に繫がれた母の、妹の、そして父の想いが
どうにも軽質で置き場のない滅失感に束ねられ、
やり場のない、淡く深い想いに観る側を浸して・・・。
兄妹それぞれの閉塞の色の異なりを
役者たちがとても丁寧に編み上げていて。
兄が台詞で語り積み上げていくものも
妹が刹那ごとに垣間見せるニュアンスの
一色にとどまらない重なりや揺らぎも実に秀逸。
『風変りなロマンス』は他の物語を縫うように
時を進めて、
それは舞台を短編たちの羅列にとどまらない
一つのトーンへと縫い上げつつ、
物語を鮮やかに完結させていく。
社会の仕掛けを語る男の溢れだすような高揚に凌駕され
宿屋の女主人から滲みだす業に息を呑み・・・。
そして、刹那の光を感じたりもする。
最後の『財産没収』はそれまでの作品とはまた一味違って
しかも圧巻でした。
短い作品の中に、一人の女性のある時間というか、
人生のそのひと時の姿が鮮やかに描き込まれていて。
演じる女優には、
ロールの容姿にとどまらず、
台詞に語られることも、言葉の先にあるものも、
矜持も、欲望も、 高揚も、不安も、切なさも、達観すらも
観る側の組み上げる想像力など凌駕して、
そのままに刻み込む力があって。
ロールの感じる今も、醒めた人生への俯瞰も、
歪んだその先にある真っ直ぐさのようなものも・・・、
言葉のトーンや、表情や、身体の傾げ方や、
靴の脱ぎ履きの一つずつからすら、
細微に伝わってくる。
そこに、異なる現実感を差し入れる男の風情もしっかりと作りこまれ、
男女の風情に希薄で実存感を伴った立体感が生まれ、
シーンや会話として、しなやかに成立し、
人生のある刹那の風景が
観る側に広がっていく。
観終わって、一つずつの作品のテイストと、
それだけにとどまらない、
どの作品にも折り込まれた
稀代の劇作家が編み上げる人生の感触のようなものが
しっかりと残ったことでした。
範宙遊泳展
範宙遊泳
新宿眼科画廊(東京都)
2013/02/16 (土) ~ 2013/02/27 (水)公演終了
満足度★★★★
次元を超えるしたたかなメソッド
小さなスペースをさらに細かく区切って、
そのなかで虚に訪れるリアルな感覚に
どっぷりと浸って・・・。
常ならぬ世界の実存感に
なんだろ、うまくいえないのですが、
こう・・・、遠近感が変わって・・・。
面白かったです。
ネタバレBOX
小スペースといわれている会場が、
さらに小さく区切られて・・・・。
入ると場内にはインスタレーションっぽいものがあって、
自由に椅子を出すなり、立ち見でもよいので
ご覧くださいという案内という案内にしたがって
適当な場所に座って
その場所を眺めてたり、
あとで強かに世界に取り込まれる事前のアンケートを書いたり・・・。
開演が近づくと、プロットというかその場で行われることが
A4、1枚にまとめられた資料が配られて・・・。
そして、あらかじめ文字で綴られた流れの如くに
役者が時間を紡いでいきます。
プロットに描かれたものが
舞台あることを追認する感覚と
プロットに描かれたことから踏み出した
表現の広がりを追いかける感覚が交錯する。
朝ごはんを食べるとか、
運動をするとか、
仕事をするとか
電話をするとか・・・。
あらかじめ文字で受け取ったものと、
舞台上から受け取るものの
重複と乖離に次第に取り込まれていく。
前もって資料を読むことなく、
ただ舞台だけを見ても、その世界観に惹かれるとはおもうのですが、
その流れが裏打ちされることで、
舞台に流れる時間の感覚や
日々のルーティンをこなすこと、
さらにその時代を纏って生きることの肌触りが
くっきりとエッジをもって切り出されてくる。
未来を観ている感覚が、インプットされたプロットに組み入れられ
ふっと観る側の今を生きる感覚とマージして。
気が付けば
前もってざっくりと読んだものから
立ち上がる空気がしっかりと置かれている・。
その後休憩があって、
観客は奥の小さな劇場スペースに導かれて。
今度は二人芝居を・・・。
こちらでは、映像が使われて、
舞台上に語られる物語の枠組みや要所が
すっと映像の文字や画像情報とマージしていく。
これは、最初の一人芝居のベクトルと真逆に
演じられる世界を観る側に落とし込まれ、
ロールたちの心情の先が、
映像が作る世界の質感に取り込まれ、
その中に際立つ・・・。
演じられる日常が、
その平面との重なりのなかに座標を持ち、
新たなナチュラルさでロールの想いが伝わってくる・・。
描かれることは、ありふれた日常の感触、
でも、舞台に異なる次元での印象が差し込まれると
そこに通常の舞台では感じ得ない
心風景や想いのテイストが訪れてくる。
手作り感もいっぱいで、
作り手が完成されたものを供するというよりは
その進化を楽しんでいるような部分も感じられて。
新しい感覚が切り開かれていくグルーブ感もあり、
時間を忘れて見入ってしまいました。
【無事に終演しました】タイトル、拒絶【ご来場本当にありがとうございます】
ロ字ック
サンモールスタジオ(東京都)
2013/02/09 (土) ~ 2013/02/17 (日)公演終了
満足度★★★★
男に分かりえない感覚ではあっても
女性だからこそ、描き出しうる女性像が
次第にそのコアをさらけ出して。
豊かに広がるという感覚ではなく、
でも、そこには登場人物たちの、
心的風景のリアリティが
丸まり方も微細さもそのままに
観る側に置かれて。
キャラクターごとの肌触りと閉塞を持ちつつ、
そこに留まり続けることの
質感が鈍く深く伝わってきました。
ネタバレBOX
デリヘルの待合室がセットに組まれ、
でも、世界はそれを全てとせず、
そこに束ねられているような感覚があって。
最初のうちは、どこか猥雑で雑多な雰囲気の物語なのですが、
次第に場が解け、エピソードが重なっていく中で、
その場がデリヘル嬢の集まりから、
様々な個性が束ねられたというか
集められたというか、
吹き溜まった場所に見えてくる。
正直なところ、男にとって、
舞台上の女性たちにそのまま感情移入をすることには
難しい部分があって。
舞台で語られるとおり、
女性がトイレットペーパーをなぜ沢山使うのかわからないが如く、
体を売るという感覚なども、
概念や対岸の当事者としてわかっても、
実感として理解できているわけではない。
でも、直観的な理解はなくても、
その場所にあるがままにあり続けることの感覚は、
舞台からじわじわと深く伝わってくる。
デリヘルの世界に役者達が描き出すキャラクターが、
それぞれに個性をしっかり持ちながら、
個々の色に貫きつつ 変わることなくその場にあり続けていて。
それが、傍若無人であっても、滑稽であっても、
クールであっても、愚かであっても、
種々のエピソードや修羅場があったとしても、
そこに吹き溜まる風情に変わりはない。
一番外側に具象される、
目の回るような都会の時間、そして訪れる日々のなかで
いろんなタイプの女性達が、
その場所で、同じ質感に浸されながら
体を売り続けている・・・。
シーンが重なる中で、舞台は愚かさや禍々しさに満ちて・・・。
でも、そのなかに、
次第にエピソードたちの表層とは異る感覚に表れて、
その喧騒の向こう側に広がっていく。
男が、その女性たちの姿をののしって総スカンを喰うシーンに
彼女たちがその場に生きる感覚の裏面が露わにされて。
点かないライターと
そして妊娠した姉が自らのライターで火を点けるシーンに
浮かんでくる踏み出しの感覚に、
No.1だった一人の女性の
鈍色のたとえようのない心風景が広がって。
売ろうが、買おうが、揉めようが、ぼやがおきようが、
ぐるぐる回って、でもそこから舞い上がることのない
吹き溜まりの枯葉の如き感覚が、
終演後も心に深く置かれ霧散することはありませんでした。
役者たちも秀逸、ロールの個性がしなやかに描き出され、
その想いの隠れ方や晒し方にも、
ステレオタイプでないナチュラルさがあって、
刹那を平板にしない。
だからこそ、垣間見える、
表見とは異なる閉塞も観る側に共振するように描き出されて・・・。
この作品、男性と女性では受ける感覚が異なるのかもと思いつつ、
でも、その領域を超えて、
日々を生きることのコアを削ぎだす作り手の力量に
目を見開いたことでした。
作り手の持つ切っ先がさらに舞台上に映える余白も感じつつ、
今後の作品が実にたのしみになりました。
【全公演終了!】あるオト、あるヒカリ、あるカラダ、あるコトバ、あるミライ、そのタもろもろ、の、あるケシキ【ご来場ありがとうございました】
空間交合〈アサンブラージュ〉リジッター企画
新宿ゴールデン街劇場(東京都)
2013/02/14 (木) ~ 2013/02/17 (日)公演終了
満足度★★★★
3遍にもその外枠にも魅かれる部分が
3つの作品とそれらを綴る外側の表現。
ひとつずつの作品の個性が、
その作品の印象だけに投げ出されることなく、
さらにもう一歩踏み込んでやってきました。
ネタバレBOX
出演者たちが全員舞台に立って、
まずは作品群の俯瞰がつくられて。
三つの小品は、それぞれに趣がことなるのですが・・・。
それが同じ空気のなかに不思議につながれていて。
最初の二人芝居は、言葉や身体が
ルーティンに埋もれることなく、とても瑞々しくて。
役者のニュアンスに身体がしっかりと付いていて
だから、様々な表現(たとえば反復横とびとか、歌舞伎の見得てきな部分が、
作品に紡ぎこまれて映える。
どこか形質で、ウィットがあって・・・。
最後に訪れるものにすっと染められてしまいました。
続く三人芝居は、強かに組まれた物語のリズムがあって、
女性達の時間が、切り取られていく。
3人の役者達の個性が
ロールのコアをそのままに
歩んでいく感じがあって
役者達の演技のと、
ちょっとした刹那の空気の作りこみが
それぞれの日々を垣間見せ、
描かれない時間の重なりを観る側に伝えて。
なんだろ、3人の役者達の相性もとてもよく、
なにかすっと消えていかない感覚というか
感慨に浸されてしまいました。
最後の4人芝居は
登場人物達のロールの、物語の設定への刺さり方が
実に巧みで・・・。
仮想家族の4人が抱えるものが、
物語の設定の不思議な薄っぺらさのなかに
絶妙に浮かび上がる。
全体の劇中劇のような設定におかれた
一人ずつのロールから垣間見えるものが
舞台に編まれた空気を超えて観る側に伝えられて、
その複眼的な感覚に捉えられる。
ひとつの物語が語られるとき
舞台にはリボルバーのように次の舞台の出演者が両袖にたち
その成り行きをみつめて。
作品たちのとてもルーズなつながりが、
ひとつずつの物語の感触に
ちょっと風変わりでエッジを持った切っ先を作り出して。
其々の作品と全体が相互に醸し高める
舞台のテイストに心惹かれたことでした。
Butterflies in my stomach
On7
サラヴァ東京(東京都)
2013/02/09 (土) ~ 2013/02/10 (日)公演終了
満足度★★★★
淡々と深く
記憶の浮かぶままのごとく
時間の断片がつづられて。
一つずつのシーンに描かれるものが、
淡々とした質感でありながら
しっかりと心に残る。
作り手の語り口も、
演じる役者たちが舞台に置くものも、
その舞台を満たす音にも、
バリなく、くっきりと伝わってくる。
そして、その先に浮かんだ、
ありふれた、でも波乱に富んだ、ビビッドな
人生の肌合いに強く捉われてしまいました。
ネタバレBOX
この会場では、
素敵なダンスの公演を何度か観たことがあるのですが、
演劇の公演は初めて。
舞台はT字型に設定されていて、
そこに向きをややバラけさせて、椅子が置かれていて。
客入れの間に、出演者たちもひとりまたひとりと、
いろんな雰囲気を纏いながらその椅子を埋めていく。
やがて、会場全体に密度が生まれ、
物語が立ち上がります。
最初はリーディングの態の舞台ですが、
テキストこそ離さないものの、
次第に朗読から離れて、
空間が、台詞に加えて役者の動きと共に満たされていく。
シチュエーションも、
表だって 枠組みとして描かれる部分はあまりなく、
紡がれるものとのかかわりの範囲で伝わってきて。
役者たちが担うロールも、明確に固定されることはなく、
シーンごと、描かれる物ごとに、様々に変化していきます。
場面のつながりも、
どこかランダムで、
記憶の揺らぎのままに、
絵面というかその時間の印象が切り出され
重ねられていく感じ。
にもかかわらず、
観ていて、戸惑うことなく、飽くことなく、
次第に満ちていく。
物語の歩む鮮やかさを感じることがなくても、
シーンごとの質量が重なりとして肌から沁み込み、
それぞれとは異なる色で醸しだされる、
柔らかな俯瞰に次第に染められていく。
役者たちが紡ぎ、醸し、解き放つものには、
刹那ごとのふくよかで鋭い切っ先があって。
それは、時にビターであったり、
あるいは生々しかったり、
デフォルメされていたりもするのですが、
でも、一人ずつのお芝居に
台詞や表現そのものから
すっと観る側に踏み込むものがあって、
なんというか、
描かれるものの精度や重さに留まることなく
その先にまで観る側を導いてくれる。
観終わって、拍手をしながら、作品へのどこか淡々とした印象があって、
でも、一呼吸おいて、
深く浸潤されていることに気が付いて驚く。
織り上げられたエピソード自体にも、
いくつもの表現の秀逸を感じつつ、
無意識の領域では
それとはまた異なる
貫かれることなく、あるがごときに置かれた
時間たちの重なりの風景に、
心を捉えられていたよう。
余談ですが、この会場(SARAVAH東京)、
恐ろしく音が良くて・・・。
そこにある音が、滅することも響くこともせず、
細微にわたって、クリアに、
座標というかその位置への体感をも含めてやってくる。
それは、作品の空間を解像度を落とすことなく広げつつ、
役者たちのやわらかな一呼吸に委ねた想いまでも
一つずつ観る側に伝えてくれて。
普通なら舞台上の密度に隠されてしまうような
お芝居のちょっとした乱れや曖昧さも削ぎ出してしまう、
両刃の剣であったりもするのだろうけれど、
役者たちの演技には、それを凌駕してこの場所を武器にする、
確かさと、深さと、ふくよかな繊細さがあって。
照明や美術とともに、
この会場そのものも、作品を愛で、更に際立たせていたように感じました。
IN HER TWENTIES 2013
TOKYO PLAYERS COLLECTION
王子小劇場(東京都)
2013/02/06 (水) ~ 2013/02/11 (月)公演終了
満足度★★★★★
息づく記憶
初演を2回観ていて、
その中でも、作品からやってくるものは、
微妙に異なっていて。
さらに今回は一部キャストも変わり、
幾つかのニュアンスの重ね方も生まれて。
従前の秀逸を損なうことなく、
それよりも、さらに、ほんの少し色が変わり解像度が増した感じ。
でも、その、「ほんのすこし」から垣間見える
さらなる想いの実存感がありました。
作品に描かれた
一人の女性の20代の想いの変遷と
めぐる記憶によみがえる質感の揺らぎのそれぞれに
このキャストでの肌触りがあって、
初演時と同様に、新たに掴まれてしまいました。
ネタバレBOX
舞台や物語の構造は初演のときと同じ、
ただ、私の如く再見で観る側もそうなのですが、
多分作り手側にも、演じて側にも、
その世界の構造から映し出されるものへの理解が
初演のときより一歩深いところにあって。
作品としての空気の組み立てやつながりの仕掛けがよりしなやかになり、
その分、役者たちも、そのロールの1年毎の時間を、
より個性を深くして
受け渡しをしていたような気がします。
その結果、其々の年代に訪れたものや想いが、
初演よりもう半歩ずつクリアになり、
全体として、描かれる女性の記憶の重なりや思索が
こころもちフォーカスを深くして覚醒した感じがして・・・。
小さなエピソードたちが
心に浮かぶ如く様々な刹那の肌触りを
舞台の中央に重ねていきます。
異なる会話に同じ言葉を挟みこんで
時間とニュアンスの記憶が幾重にも広がっていく。
良き時も、悪しき時も、
追いかけていたものも、諦めたものも、
半円に置かれた役者達が紡ぎだすロールが抱く記憶と、
時には未来への想像に編みあがり、
その時間に流れが生まれ、
20歳の今と、30歳に至る今が
10年を内包してすっと束ねられる。
ひとつずつの1年に、
役者達が表層的に醸すものだけではなく、
次第に現れてくるものや、
時の流れとは異なる想いの流れがあって。
新しいキャストが演じる時間には、
従前のキャストとは異なる肌触りがあり、
再登板組も異なるロールを紡ぐことで、
垣間見えるものが、
初演の彼女たちとは、また一味異なるテイストに染められていて。
初演と同じ仕掛けの舞台に、
ほぼ同じエピソードが組み上げられて、
でも、観る側に訪れる女性の色は、
初演の女性のものとは、ほんの少し異なって感じられる。
それが、舞台に編みあがるものに、
さらなるビビッドさやライブ感を与えて。
舞台に編みあがっていく時間に引き込まれ、
舞台を編み上げていく役者達の一人ずつの時間に
心を揺らされつつ・・・。
でも、2011年の女性とは異なる、
2013年の女性のはじめてみる素顔に
新たに心を惹かれたことでした。
この作品、時間に染まらないフォーマットと
一期一会で描かれる女性の素顔が、
普遍を持ってその都度新しい。
よく見知った作品であるはずなのに、
残された感覚が、とても新鮮に感じられたことでした。
点滅、発光体、フリー
バストリオ
nitehi works(神奈川県)
2013/02/07 (木) ~ 2013/02/11 (月)公演終了
満足度★★★★
感覚を掬い上げる技術
あさ紡がれる時間には肌理というか肌触りを感じることができたし、
それが、観る側にも置かれていきました。
感覚を掬い上げる技術には長けた作り手なのだと思う。
ただ、感覚が研がれていくなかで。
作品としての足取りが、
ややあやふやになってしまったような気もしました。
ネタバレBOX
おもしろい空間で、
広くもタイトにも感じるようなところがあって。
その思いの要素というかパーツを掬い上げるような冒頭と、
次第に解けていく時間はうまく紡がれていたように思います。
体の内から細微に描き出されるがごとき映像にしても、
身体でよしんば強く描くものにしても、
そこから、観る側を共振させるようなニュアンスが
しなやかにはぐくまれていて。
ひとつの感覚や刹那を描く技量を感じた。
ただ、それらが束ねられると、
観る側の感覚として、
なにか、フォーカスが定まらなくなるというか、
その切っ先を感じながら舞台を追うことがなくなるというか・・・。
中盤以降も、舞台に観る側を舞台の表現に繋ぎとめる力はあるのですが、
そこから受け取るものが
冒頭の印象にくらべて、やや冗長でくすんでいるようにも感じられて。
で、一方、作り手がその冗長な感覚を含めたものを描いているとすれば、
観る側として、いまひとつ、受け取ることができなかったようにも思う。
いろんな、刹那に惹き付けられつつ、
でも、作品全体を返ったとき、
作り手の描いたものの内側にまでしっかりと入り込めて居ない気がして
極めて個人的に悔しい感覚ものこりました。、
ドッグヴィル
東葛スポーツ
3331 Arts Chiyoda(東京都)
2013/02/07 (木) ~ 2013/02/11 (月)公演終了
満足度★★★★
踏み出しつつ乖離させない
前回公演があまりにも面白かったので、
今回は、ちょっと気合いを入れて、
観劇前の通勤中、ニコ動で元ネタの映画を鑑賞。
で、舞台を観て、
映画からのニュアンスとの取り込み方や
重ね方、さらにはそこからの踏み出し方のセンスに
舌を巻きました。
ほんと、おもしろかったです。
ネタバレBOX
会場に入って、床の図形をみてにんまりw。
で、舞台が始まって物語に導かれるまでのラップが、
すでにガッツリと面白く、
本編に入ると、
舞台上の表現と
映画の世界とラップで紡がれるシーンの
つながりのバリエーションの豊かさにさらに取り込まれていく。
映画のシーンにしっかりと重ねられる部分も多くあるのですが、
ニュアンスがラップで語られることによって
置き換わったり、裏を取られたり、
さらにはそこから踏み出して、
広がったりするのがガッツリと面白い。
結構律儀に原典のニュアンスを描き込む力と、
意訳の如く別の表現を引っ張り込んでくる部分と、
シーンを踏み台にして、
とんでもない方に舞台を運ぶセンスが
絡み合って、
観る側にぐぐっと効いてくる。
役者たちも上手いのですよ。
実力派といわれ実績もしっかりの役者さんたちなのですが、
守らずにしっかりと攻めてる感じがあって、
ラップの態が崩れないだけでなく、
個々に異なる色や切れがのっかっているし、
観る側を引き入れるテンションを担保しつつ
映画の世界に足を置き、
でもそこに閉じ込められない演技の手練があって。
原作の映画とテイストは違う・・・、
というか素敵に大きくはみ出しているのだけれど、
でも、要の部分の処理のセンスが
舞台を観る側が感じる映画のコアから乖離させない。
で、ニュアンスを手放していないから、
可愛い子犬でシーンを置き換えたり、
鎖の先のボールのお題を語ったり、
フレッドアステアのダンスと屋外への展開というような
大小の荒技・小技が
ことごとく観る側を巻き込み、
作品の広がりへと昇華し、
映画で語られるものと舞台にあるものが
立体感となってやってくる。
こういう面白さって、
作る側は自らの感性を全開にしつつ、
遊び心と緻密さを抱き合わせて
つくっていることの果実なのだろうし、
観る側にとっては
なにか理屈では語れないような、
センスにはまり込んでいくような部分があって。
ナカゴーの主宰さんがご出演で、
出番は多くないのですが、
何とも言えない良い味をだしていたなぁ。
こういうキャスティングも旨いなぁと思う。
前回公演とは異なった印象の作品でしたが、
映画の流れと共に歩みつつ、
でも、映画の世界に留まらない
厚みを強く感じたことでした。
サロメvsヨカナーン【CoRichグランプリ受賞後第一作!】
FUKAIPRODUCE羽衣
東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)
2013/02/01 (金) ~ 2013/02/11 (月)公演終了
満足度★★★★★
秀逸なコンセプトミュージカルの域へ
初日を観て、ほぼ衝動的に4日ソワレを予約再見。
描き出すものも、その表現も、
従前の舞台からさらに踏み出して・・・。
より高いクオリティでの舞台にどっぷり嵌りました。
ネタバレBOX
劇場に入ると、
あめが舞台全体に降りてくるようなイメージがあって、
座席につくと、燦然と輝くミラーボールに目を奪われる。
冒頭からぐいぐいと舞台の世界に取り込まれる。
闇がほどけるなか、
現われる男たちの風貌と「ざっ」っという歌詞とダンスのキレが、
戯画の如くに雨の風景を舞台に描き、
その中に一人ずつやってくる女性を際立たせ、
男女の風景を一つずつくっきりと浮かびあがせていきます。
男たちが酒場から眺める外の風景、
雨のイメージをしなやかに纏い、
なおかつ埋もれない個性たちから、
紡ぎ出される男女の刹那。
それは、出会いの風景だったり、
待ち合わせの風景だったり・・・。
異なる色で描かれる風情が、
その夜の風景として編み上がっていく。
王であるタクシー運転手を絡めて、
「サロメ」の構造を作りつつ、
カップル毎に、
ひとつずつの物語が、
シーンに組みあがっていく。
子供をかかえた夫婦の風情にも、
少々金遣いの荒い女性の不倫の風景にも、
純情男と世慣れた女性の出会いにも、
大人の恋にも、刹那の交歓にも、破滅型の愛にも、
それを支える見せ場がしっかりと準備されていて。
ボーリング場での、純情な男と心優しくビッチな女性のシーンなど
実に秀逸。、
二人のズレのおかしさが、
風景として描かれるボーリングを楽しむ人々の音のない嬌声や、
ボールが転がりピンが弾ける姿にシンクロして
照らし出されていく。
ゲームに惹き込まれていく男女の高揚と
どこかチープで、薄っぺらくて、手さぐりの
男女の想いが、
ボーリング場の光景の中から紡ぎだれて。
バックに描き出されるボールやピンの動きには
思わず目を奪われるような美しさがあって、
男女の現実をすっと包み隠し、
でも、その重なりは、ボーリング場の風情のごとく、
ゲームが終われば、すっと寂寥感に変わる。
他のシーンにも、男女それぞれの思いが、
歌やダンスや、様々な表現に、
さまざまな色を放ち、舞台を染め満たしていく。
そこにはワイルドなというか、
ワイルドがサロメの中に描きだした
男女の、そして生と性と死の様相が
様々に織り上げられていて。
後半のナンバーで語られる、
人生のダイジェスト、
9回のぞろ目を通過する中に描かれる、
出会い別れたサロメとヨカナーンと称する男女の姿に人生を俯瞰し、
過ぎていく人生の節目や、
やがて訪れる死への影のなかに、
積み重ねられた、
互いを想い、魅かれ、時には憎しみ、交わり、時には交わらず、
愛し合う刹那が、ひとつに束ねられて。
歌やダンスや、身体の表現があるから
描きうるニュアンスがあって、
「ワイルド」な世界にインスパイアされた
刹那ごとの表現が、
メリハリと遊び心を持った振付や、ダンサーの力量や、
どこかあからさまでキャッチーなナンバーとその歌唱のクオリティや、
ストレートプレイで培われた演技力に輝き、
一つずつの刹那にテンションと密度を作り、そのニュアンスを担保し
観る側をしっかりと閉じ込めていく。
よしんば、それが寂しく、切なく、あるいは下世話で、
生々しく、時には不道徳なものであったとしても、
ミュージカルの態や、舞台に紡ぎ出された研がれた表現たちが、
観る側をしなやかに男女のつながりに溢れた
ワイルドな街の風景に閉じ込めて、
原典が内包した普遍へと浸しこんでいくのです
観終わって、上質なconcept musicalを楽しんだ時の如くに
ふくよかに満たされて。
妙ージカルの、「妙」がひとつの独創的な表現形式として
和製コンセプトミュージカルへと歩みを進めた瞬間に
立ち会えたようにも思う。
小学生にはお勧めできない
大人の舞台ではあるけれど、
ミュージカルの豊かさと、生と性と死の感触とありように
どっぷり観る側を浸しこむ力をもった、
出色の舞台でありました。
いのちのちQ
Q
さくらWORKS<関内>(神奈川県)
2013/02/08 (金) ~ 2013/02/11 (月)公演終了
満足度★★★★
分かりやすく、おもしろく、深く広がる
「Q」3度目の観劇、今回の作品が一番とっつきやすかったかも
しれません。
そのわかりやすさをベースとして
き出される世界の広がり方に目を瞠る。
作り手の独自の切り口から垣間見えるものに
深く惹き込まれてしまいました。
観終わっても、何か幾重にもほどけての気づきがあって。
じわっと、とてつもなく、面白かったです。
ネタバレBOX
ほぼ、開場と同時に入場。
すでに舞台には二人の役者たちがいて
空間の密度を感じる。
繫がれてずっとそこにある上手の女性、
時折出入りをしながら
椅子に立ちポーズをとり続ける下手の女性。
舞台装置、そして映像・・・。
その時点では役者たちが何を描こうとしているのか分からず、
でも、次第にその風景に目が馴染み空間に導かれていく。
そして、開演して、
世界が観る側に伝わってくると、
開演前からの風景に鮮やかなリアリティが宿る。
家と庭、飼われている犬たちの姿・・・。
思わず得心してしまう。
登場人物というか登場犬たちが、
ステレオタイプなミミックではなく、
身体を豊かに使った、 その印象や想いの精緻な表現のくみ上げで
描かれて。
だから、ロールに表されるものに
観る側の犬の概念を超えた自由さがあり、
切り取られる事象にも、
作り手ならではの視座がすっと乗せられていく。
で、その犬たちへの常ならぬ切り口だけでも、
観る側にはとても鮮やかなのですが、
作品としては、それがベースとなって、
様々な広がりが作りこまれていきます。
雑種犬と、
一人二役で演じられる
泥棒した自転車でバイト先への通勤に使うような女性のリアリティが、
どこかルーズに、でもあからさまに重ねられて。
シンクロするその強さや、
何かを閉ざしたような恣意的な鈍感さ、
客観的な存在感と裏腹な結構波乱万丈な人生、
そして達観。
部屋の中に暮らす犬たちや
人間の酔っ払いとの寿司を介しての関係からも、
どこか淡々と、でも幾重にもくっきりとほどけていく暗喩があって、
その日常や、人(犬)生のありようや、死への感覚が
輪廻転生の世界にまで歩みをすすめて。
それぞれの今の肌触りと、命というか生きて死することへの感覚が、
複眼で眺める立体感や質感を醸し、
ロール(達)の存在に新たな座標軸を組み上げていくのです。
血統書付、コンテストチャンピオンのヨークシャテリア雌の
気品の裏側にある憂鬱や
八景島シーパラダイスへのあこがれも、
その妄想に音と映像つきの絶妙なイメージの作りこみまであって
突き抜けておもしろいのですが、
でも、そこから更に描かれる、
ありふれた生活に取り込まれることでの、
進化への夢や、テレビからやってくる幻想の顛末には
そのウィットと表裏をなすダルなビターさが心に残る。
安穏とした生活の中でさりげなく語られる
何億世代の先の進化のセリフに浮かぶ夢の残滓の在り様が
身ごもった彼女の印象をすっと広げたりも・・・。
そこには雑種犬とは異なる、
今の血の受け継がれていくものへの眺望が生まれ、
ふっと観る側を立ちすくませる。
同じく血統書付きのヨークシャテリア雄には、
作り手の女性目線によるデフォルメを感じたりもしつつ、
同じくコンテストチャンピオンというキャリアとは裏腹の、
なんというか雌の癇に触るような駄目さや、
雄というか男が普通に陥る生活や価値観のありがち感、
表見の愚かさや、その自らへの寛容さや、幼稚さ
でも雌にとって無視しえない存在感なども
しなやかに描き込まれていて、
その、観察力にぞくっとくる。
ペキニーズ犬のひ弱さや、不器用さや、
雑種犬への憧憬も、
よく描き込まれていて、
世界に異なる厚みを醸し出す。
その最期への、他の犬たちの反応や、
新たに連れてこられた同種の犬に照らし出す、
他の犬たちの立ち位置があって、
物語にさらなる深さが導かれて。
作り手独自の視点と、創意と、ウィットと、
役者たちの身体をしっかりと使った表現のキレが編み上げる、
シーンごとの面白さとその重なりに、
次第に圧倒されていく。
刹那の表現にはエッジがありつつ、
物語のすべてが、理詰めでかっちりと繫がれ、
組み上げられていないことも、
描かれるものにさらなる見晴らしを生み出していて、
作り手の観る側に視野を与えるセンスのようなものにも
取り込まれて。
終演時には、
ブリーダーの家と、その前を盗んだ自転車で通り過ぎる女性の日常から、
命のありようや、さらにはその連綿とした繰り返しと進化にまで繫がる
作り手ならではの切り出し方での世界の風景に
深く囚われておりました。
それも、観終わってしばらくは、
世界観というか、
ひとつの作品の印象として束ねられているのだれど、
会場を出て、なんとはなしに思い返していくうちに、
内包されていた様々な寓意が更に解けてきて。
作品全体にとどまらず、
そこに編み込まれたものの一つずつの切り口や表現の秀逸さに気付き
改めて舌を巻く
また、振り返ると、この作品には、
さらに作り手が自由に創意を織り込むための
スペースが存在するようにも思えて・・・。
観る方の嗜好によって、好き嫌いが出やすい作品かもですが、
私には、企みに満ちたとてもふくよかな舞台でありました。