りいちろの観てきた!クチコミ一覧

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て

ハイバイ

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2009/09/25 (金) ~ 2009/10/12 (月)公演終了

満足度★★★★★

なぜこんなに伝わってくるのだろう
どこか軽妙な感じにつられて
最初は漫然と見ていたのですが、
たちまち舞台上の時間や
登場人物の想いに引き入れられて・・・。

しかも、一通りの物語にさらなる奥までがしっかりと用意されていて・・・。

声を立てるほどに笑ってしまっているのに
同じ時間に
どんどん心がキャラクターの想いに
満たされていく・・・。

凄い。

ネタバレBOX

東京芸術劇場の小ホールに
対面形式の舞台が設えられて、
とある家族の
祖母の死の直前から
葬儀に至る風景が描かれていきます。

彼女の最期の時間と葬儀の風景が、
2つの視点で繰り返して演じられていくのですが、
その効果にやられました。
アクリル板に描かれた二つの絵が繊細に重なって
平板だったものがたちまち立体感をもってやってくるような。

父母の個性の豊かさや
その育て方に確実に影響を受けた
子供たちのあけすけな想い。
泥を落としていない野菜の瑞々しさのようなものが
観客が身構える暇もなくどんどんと入ってきます。

意地を張りあったり、ためらったり
押し付けたり・・・。
地層のように積もった思いが露出していく中で
ひとりずつの
ナチュラルで不器用で、でもそれぞれに真摯さをもった個性に、
見る側の心が共振していく。
その行き場のなさ加減が
なんというか愛しむような実感とともに
観る側に満ちていきます。

家族の喧騒のなかでの
祖母の死の静寂なさりげなさにも
心を打たれました。
その透明感が
物語の裾野のように広がって
生きてのこる家族たちの姿を
一層鮮やかに浮かび上がらせて・・。
祖母の不自由な手を
棺の内に収める葬儀屋さんの
とまどいのおかしさが
素の色を与えるように
生々しい死の現実を呼び起こします。

繰り返し側の時間のなかで、
教会に棺桶を運ぶ場面。
泣きつづける長男の想いに
観る側もたまらないほど心を染められて・・・。

ちょっとした縁で入り込んできた
キリスト教会の価値観に
家族丸ごとはめられる時の滑稽さ・・・。
朗々とした牧師の讃美歌と
家族の戸惑いが積もって
どうしようもなくはじける姿に
抱えきれないほどのおかしさがこみあげてきて
そのあとに深く逃げ場のないペーソスが
不思議な突き抜け感とともにやってきて。

終演後しばらく呆然としておりました。
THE BEE

THE BEE

NODA・MAP

シアタートラム(東京都)

2007/06/22 (金) ~ 2007/07/29 (日)公演終了

満足度★★★★★

ハイビジョンで観るような
筒井康隆氏の原作を踏襲してはいるのですが、それを踏み越えた世界が舞台に展開してしてました。

ある意味シンプルな構成なのにそこからたちあがって来る狂気はまるでハイビジョンを観るように細密で…。

その衝撃はしばらくあとを引くような…。

ロンドンバージョンも楽しみになりました。

ネタバレBOX

後半、舞台は原作を凌駕します。暴力と狂気の中に日常生活のルーティンが生まれて、その時間が粛々と劇場全体を包み込みます。

食事を準備する音、手を洗い、ひげをそり、人質の指を切り落とす・・・。そしてまぐわう。

狂気の果て、蜂の羽音に埋没していく姿に、観客はただ愕然と舞台を観つめることになります。
舞台が原作を跨いで別の世界に踏み込んだ瞬間です。

その粟立つような感覚…。多分、将来語り草になるような舞台でありました。

日本語を読む その4~ドラマ・リーディング形式による上演『夜の子供』

日本語を読む その4~ドラマ・リーディング形式による上演『夜の子供』

世田谷パブリックシアター

シアタートラム(東京都)

2011/05/04 (水) ~ 2011/05/08 (日)公演終了

満足度★★★★★

なんてくっきり
シンプルな内容の物語ではありませんでしたが
とてもくっきりと戯曲の世界が伝わってきました。

リーディングという手法と
演出家や役者がもつ力を
しっかりと感じることができました。

ネタバレBOX

1986年に書かれた戯曲だそうです。

演出家がアフタートークで触れていたように
とても豊かで美しいト書きがあって
その言葉たちが、観る側に舞台の世界を紡いでいきます。

始まった時には
そのト書きを読み上げるテンポが少しだけ早いように感じましたが
やがて、その速さがシーンをもたつきなく進めていく力になっていく。

ト書きにとどまらず
台詞たちも、遊び心にあふれてとても豊か。
戯曲が作られた当時に観客の主流だった年代の
子供のころの記憶を借景にしているので
記憶があいまいだったり
元ネタがわからないフレーズの借用なども
あったのですが
(若い世代には聞いたこともないフレーズかと・・・)
それでも、言葉の響きなどのおもしろさは
しっかりと伝わってきて・・・。

未来を今に据えて、現代を過去に置いて、
二つの時代を行きかう物語を
舞台の前方と後方に切り分ける。
音楽は時にセピアがかった高揚や慰安を観る側に注ぎ込み
照明は記憶と妄想の深度と実存を舞台に表していきます。

死んだ母親、
いなくなった父親、
生まれなかった子供たちと・・・。
時間を逆回しにするごとに
どこか甘さを持った、
でもビターで切ない記憶や嘘が解けていく。
繰り返されるやり直し。
時間の枠組みを踏み出した
お祭りのような夜の時間のクリアなイメージと
希望や想いのテイストが
語り綴られるシーンたちからしなやかに伝わってきて。

この作品、
リーディングという形式ではなく
ふつうの演劇として上演すれば
さぞや、観客の目を惹くものになったと思います。
ブリキの自発団の公演などは観ていないのですが、
もし、ト書きに込められたイメージがこの舞台に
リーディングということでなく具現化され、
それぞれのシーンを埋め尽くせば
世界は彩られ膨らみ、
観る側はきっと舞台上に浮かび上がる幻に
深く取り込まれていたと思う。

でも、その一方で、
こうして、
役者たちがリーディングという枠の中で
一行ごとの台詞を丁寧に積み上げて
作り上げた世界でなければ伝わってこないものも
まちがいなくある・・・。
ト書きやお芝居に付随するイメージが
言葉に閉じ込められ
役者たちの豊かな表現力を持った朗読によって
観る側に置かれると、
物語の構造がしっかり見えるというか
お芝居の表層的な広がりの部分に
目が眩むことがなく、
それゆえに研ぎ澄まされた質感を持った
キャラクターの想いが奥行きをもってしなやかに残るのです。

観る側が身をゆだねられる役者たちと
洗練を感じさせる演出によって
リーディングだからこそ持ち得る力や
成しうる表現があることを
改めて実感することがができました。
おはなし

おはなし

tamagoPLIN

小劇場B1(東京都)

2014/05/01 (木) ~ 2014/05/04 (日)公演終了

満足度★★★★★

さりげなくとんでもなく高い表現のクオリティ
若手演出家協会の最終審査を観て、作り手の公演をぜひ見たいと思い足を運び、一つずつのシーンに満ちるもののクオリティの高さに驚く。

ジャンルを言い表せないような(ジャンル分けをすること自体あまり意味のないことかとも思うのですが)、これまでにあまり体験したことのない質感と様々な表現の切っ先を持った舞台でした。

秀でた表現がさりげなく惜しげもなく織りこまれていくので、一瞬たりとも舞台から目が離せず。

最後に姿を現した主人公の想いの肌触りにも心を捉われました。

ネタバレBOX

開演前は、舞台の中央に棺桶がおかれただけのシンプルな舞台。
そこが花いっぱいの世界へとひろがるなんて予想もしなかった。

その花たちの登場のシーンに目を瞠る。最初は家族でやっていた花札の記憶をちょっとオーバーにデフォルメしただけかと思いきや、一つずつの花が舞台にランダムに舞台に現れ、やがてそれらが静かに舞台を巡り、返事をし、お相撲の懸賞の如く名前を提示し、さまざまに開き自らを主張していくという舞台の広がり方にぐいっと惹き込まれる
ちょっと震えが来るくらい、広がりの勢いをもった圧倒的な表現だった。

そこから主人公と花たちのさまざまなベクトルでの関係性が生まれていきます。
役者たちが時に全体の中で献身的に、あるいは個人の力をふるって作り上げる、空間のメリハリにどんどん引き込まれる。
舞台全体のミザンスの作り方やフォーメーションの組み方、言葉遊びにも刹那の遊びにとどめず、つながりの意外性や物語のコアへとつながっていくような寓意がしたたかに込められていて。また伝言ゲームのような言葉の伝達なども、描かれるべきニュアンスを良く引き上手いなぁと思う。

主宰のダンスのしなやかさに目を奪われ、役者たちの歌唱力にも心惹かれ、そしてなにより、その世界が母の死を受容していく主人公の心風景として観る側に伝わってくることに感心。

衣装や役者たちのメークにも描かれるべきものをしっかりと表す力があり、棺桶の模様をちょっとしたプロジェクトマッピング的な手法で描くのも効果的。

初日ということもあってか、ラストシーンの前の集団での時間の作り方などには精度を作りこめなかった感はありましたが、よしんばそうであっても、全体を通してその表現のしなやかさと創意の踏み出しにずっと捉われっぱなし。
主人公が母親の葬儀であいさつする態での最後の台詞もしたたかだなぁと思う。舞台が紡いだ、主人公がその想いに至るまでの道程も心に残りつつ、一つずつの表現のクオリティからやってくる、作品の印象とは異なる、作り手がこれまでになかったエンジンで紡ぎ出す作品の質・量それぞれへのわくわく感が終演後も止まりませんでした。

ガールフレンズ(再演)

ガールフレンズ(再演)

ホイチョイ・プロダクションズ

天王洲 銀河劇場(東京都)

2008/01/25 (金) ~ 2008/02/03 (日)公演終了

満足度★★★★★

ユーミンの歌に包まれたものを開いて
堀内敬子と島谷ひとみの回を観ました。

ユーミンの歌唱にちかいのは島谷ひとみのほうで、彼女の歌からユーミンのスタイリッシュな部分が抽出されていき、一方で堀内敬子の歌からはユーミンの歌に内包された、デリケートでときには重たさを感じるような心情が見事に溢れ出していました。

台詞がひとつもないのに、アンサンブルの動きや男優たちの声にならない演技、さらには積み重ねられていく歌から溢れ出す時間達の流れで物語がしっかりと構築されていきます。

ミュージカルという表現方法が見事に開花した舞台だったと思います。

犬は鎖につなぐべからず

犬は鎖につなぐべからず

ナイロン100℃

青山円形劇場(東京都)

2007/05/10 (木) ~ 2007/06/03 (日)公演終了

満足度★★★★★

時間を滑らせる力
戯曲の普遍性というものは当然にあるのですが、それらの見せ方にケラマジックがある・・・。

ダンスや着物なので、劇場全体の時間を滑らせてしまう感じ・・・。
大正から昭和にかけてのモダンさが、いまの粋とかわらないことが
実感として感じられる・・・。

役者もよいし・・・、ゆっくりとやってくる満足に3時間にわたって
ゆっくりと浸る感じ・・・。

ベテランの役者も幅が広がり、新人と呼ばれていた役者もしっかりと力をつけて・・・。
ケラさん万々歳ではないでしょうか・・・。

怪物-カイブツ-

怪物-カイブツ-

ブラジル

駅前劇場(東京都)

2011/02/13 (日) ~ 2011/02/20 (日)公演終了

満足度★★★★★

デフォルメはされているけれど、
そして、そのデフォルメぶりが
とんでもなく面白いのですが、
それを腰を据えて面白いと感じられるのは
きっと、母なり恋人なり、
男なり女なりに織り込まれた普遍性が
作品をしっかりと支えているからだろうと
おもったり。

単に笑い転げるのとは少し違って
心に残る味わいのある
文句なしの面白さでありました。

ネタバレBOX

いろんな意味で設定の突飛さと
リアリティのバランスが絶妙にとれた作品だと思います。

たとえば、ジャンボな子供を産み落とす女性の男性との関係にしても
元夫、職場、一夜の出会いとオールラウンドなのですが、
役者のお芝居から
それを観る側に納得させてしまう
キャラクターの実在感ががしっかりと作り上げられていて。
どこかクレバーな部分や強さ、
そして揺らぐ気持ちや脆さが
ひとつの個性のなかに違和感なく作りこまれている。
観る側が、そのあるがままに、
ゆだねることができる秀逸さがあるのです。

それは、彼女をとりまくキャラクターたちの現わし方にしても同じこと。
元夫のスタンスの取り方にしても、
元勤め先の上司にしても、
スタンスの取り方に絶妙なふくらみがあって
その関わり方の可笑しさをたっぷりと醸しながらも
物語が奇異なものに乖離していくことがなく
観る側の感覚にどこか馴染む。

その空気があるから、
医師の終盤の行動にしてもしっかりと物語に刺さっていくし、
よしんば女性の超常現象が絡んでも、
その踏み込みがしっかりと物語に絡んで浮くことがなく
ある種の感覚を伝えてくれるのです。

そんななかでも、
特にフリーターと路上ミュージシャンの二人の存在が
様々な舞台上のデフォルメを
さらにしっかりと観る側の感覚に縫いつけていきます。
その関係は終盤に逆転して、
デフォルメされた世界から、
ありがちな「出来ちゃった結婚」プロポーズの
互いに踏み出す心情を
素敵なインパクトとともに浮かび上がらせていく。

ジャンボベビーの献身的な演技の秀逸さにも瞠目。
仕草の一つずつがやたらに可笑しく、
それが親戚のハイハイを始めた子供の姿に重なると
可笑しさがさらに増して・・・。

実は、とても実直につくられた物語だと思う。
役者たちが紡ぐシーンのひとつずつが
観る側が内心に持つ感覚に紐づいていて
だから、様々な誇張やとほほな感覚すらも
心を引っ張ってくれるのです。

苦笑系喜劇とはよく言ったもの。
その苦笑を引き出しうる作り手の描写力に取り込まれ、
役者たちの秀逸なお芝居に
自らの感覚をゆだねて。
暖かさとどこか凛と醒めた感覚のそれぞれに
たっぷりと浸されたことでした
チビルダ ミチルダ

チビルダ ミチルダ

康本雅子

アサヒ・アートスクエア(東京都)

2008/03/13 (木) ~ 2008/03/16 (日)公演終了

満足度★★★★★

とにかく楽しい
切れがあるだけではなく、伸びやかで艶やかで・・・。

熱く、あるいはシリアスな表現もたくさんあるのだが、それをまっすぐに感じられることを含めて、とにかく楽しかったです。

終わってすごく満たされたパフォーマンスでした。

In The PLAYROOM

In The PLAYROOM

DART’S

ギャラリーLE DECO(東京都)

2009/12/01 (火) ~ 2009/12/06 (日)公演終了

満足度★★★★★

圧倒的な面白さ
べたな言い方ですが
本当に面白かったです

巧みな導入部分に惹きこまれ
その空間に閉じ込められて・・・。

ほんと、もう、観る側をがっつりと凌駕する物語の展開に
我を忘れて見入ってしまいました。

ネタバレBOX

導入の部分がまず秀逸。

連作の推理小説の最新刊、
読みふける読者たちにメッセージがはさみこまれていて。
一度でも時間を忘れて物語を追ったことがあれば
その気持が本当によくわかる。
舞台の導入部にしなやかに間口が開かれて違和感がないのです。

集められた読者たち、
ゲームのルールが明らかになっていくときのわくわく感に始まって、
そのゲームと現実のリンクの緻密さ、
さらに物語が現実を食べ始めるような緊張感が
観る者をぐいぐいと釘づけにしていきます。
ベストセラーの推理小説という前提が鮮やかに具現化されて、
当日パンフの言葉に偽りなし、
気がつけば観客が「この、ストーリーから、逃げることは、許されない・・・」
状態になっている。

観客に配られた地図、緻密で流動的で有無を言わせない物語展開、
閉塞したその場所に凝縮される、街全体に広がった恐怖。
ルールは必ず守るという部分が底辺をかため
限られた外枠の時間と、移動の距離や所要時間のリアリティが
物語に捉われた観る側のグルーブ感を
したたかに膨らませていく。

しかも、それだけでも出色の展開なのに、
物語が現実を食べつくしても舞台は終わらないのです。
さらに突き抜けて、走る中で観客に生まれた物語の澱までも
見事に一掃してしまいます。
ほんと、最後まで妥協なく突っ張りぬいてくれる。
終わりの世界観がじわっと観る側を包み込んで・・・。

役者たちも本当によくて、個々のキャラクターが
強く深く観る側に伝わってきます。
それぞれの色が観客に体感的に見えることで
物語の展開から淀みが消えていく。
しかも、舞台にグルーブ感が醸しだされても、
いたずらに走らせることなく
その感覚を広げていく着実さがあって、
だから、観る側は最後まで物語に寄り添っていける。

観終わって、走り抜けたような感覚に満たされて。
極上の推理小説を一気に読み上げて、
すべてが腑に落ちたような満足感。
なかなかこんな舞台に巡り合えるものではありません。

ちょいと奇跡のような、極上のエンタティメントに巡り合った感じ。
がっつりと楽しませていただきました。






わが闇

わが闇

ナイロン100℃

本多劇場(東京都)

2007/12/08 (土) ~ 2007/12/30 (日)公演終了

満足度★★★★★

極上の家族劇
終わってみれば3時間15分があっという間に過ぎていた感じ。
長いとはすこしも感じませんでした。

3人姉妹と書生、そしてそれを取り巻く人々の人間模様は見ごたえ十分。

視点の作り方が非常に巧みで、ステレオタイプではないけれど真理を包含している家族像が見事に浮かんでくる作品です。

必見!

『ROMEO & JULIET』

『ROMEO & JULIET』

東京デスロック

富士見市民文化会館キラリ☆ふじみ(埼玉県)

2009/10/24 (土) ~ 2009/10/28 (水)公演終了

満足度★★★★★

IN&OUT
半日がかりでKorea VersionとJapan Versionを観ました。

Korea Versionは戯曲の世界にどんどんと取り込まれていく感じ、一方Japan Versionは戯曲の世界からの広がりを深く感じる作品でした。


ネタバレBOX

Koreaバージョンは、さまざまな手法が駆使されながら、戯曲の流れを押し広げるように物語が膨らんでいきます。

多田手法というか、舞台に人と人との関係性が生まれる冒頭から、観る側が物語の世界に包まれて。
表現の豊かさ、与えられたメソッドを武器に変えていく役者たちのパワーは、それなりに大きさのある空間をもはちきれんばかりに満たしていく。舞台後方に張られたスクリーンに映し出される文字や影が、さらに舞台を膨らませていきます。

役者たちの韓国語は当然に理解できず、頭のなかにある戯曲の流れと、スクリーンに映し出される日本語訳を頼りに物語を追っていくのですが、スクリーン上の訳の提示も単純なプロンプターからの情報というよりはひとつの表現になっていて、マンガにたとえると人物についた吹き出しというより、背景に描かれるさまざまな効果のような感じで観る側に入ってくる・・・。このことが、観る側を一層強く物語にのめりこませていきます。

それにつけても輪郭の太さに目を見張る舞台。一つずつのシーンがメソッドを武器に深く強く心を揺らしてくれる。ジュリエットの想いを女優達でガールストークのように編みあげていく部分のヴィヴィドさや、両家の争いのシーンの洗練。
初夜が開けた朝の二人の想いの質感や、ジュリエットの死を何倍にも重く背負うロミオの心情、さらには自ら死を選ぶジュリエットの愛に殉じる高揚・・・。良く知った物語でありながら、さらに一歩引き入れられて、自分が頭のなかに持っていたロミオとジュリエットの物語がとても陳腐なもののようにすら思えてきて。

観終わってしばらく舞台の世界から抜け出せませんでした。
終演時の2度のカーテンコールですら足りないような気がしたことでした。

Japan Versionは、まず、スクリーンに「Text」と表示されたとおりに、戯曲の紹介から始まります。ショーアップされた形でちょっとクロニクルっぽくスクリーンに戯曲の一部を提示して観客に読ませる・・・。
坪内逍遥訳の提示が効果的で、戯曲そのものが観客に表わすもの、台本に書かれた言葉が見る側に発するニュアンスや色が抽出され伝わってきます。ライティングや音楽から生まれるコンサートの直前のような高揚感がなにげにしたたかで。

次に「Human」と表示され、素のライトの下、役者が舞台上に並んで順番に自分の恋愛体験を語り始めます。すごくナチュラルな語り口で、虚実はよくわからないのですが、観る側が心をすっと開くような雰囲気が醸し出されて。そのトーンというか流れのままにでキュピレット家のジュリエットさんの話を・・・、聞いてしまう。戯曲のお仕着せを脱いで私服で楽屋口から出てきたような、素顔で等身大のジュリエットの心情に、笑いながらもなぜかうなずいてしまって・・・。

そして「Text&Human」、前の二つの要素が重なる中、作り手側の目隠しでの物語の模索が始まります。

何から目をふさいでいるのか・・・。周りというだけでなくかつてのロミオ&ジュリエットの作品のイメージまでリセットされるような印象。

舞台の上ので探りのなかで語られる台詞は、やがて見えない者どおしで絡まりあい膨らみ始める。そこから少しずつ動作が生まれ、スクリーンの文字が遊び、音がやってきて戯曲から溢れ出てくる感覚がどんどんと具象化されていく・・・・。

観る側からすると、戯曲が作り手たちの創意にふれて線描として次々に描かれていく感じ。そして、手で周囲を探り足で舞台のエッジを確かめながら、台詞を頼りに模索し徘徊する役者たちの姿に、作り手たちの創作の苦悩を感じて・・・。でも、芽生え、揺らぎながら膨らみ、舞台上に形となり、そこから舞台を超えて施設全体にまで広がる表現に、雛鳥が貪欲に餌を啄ばみ、羽根を広げ、やがて羽ばたき始めるような、ぞくっとするような創意の飛翔への過程を感じるのです。

ブリッジで語られる台詞に文字がクルっとひっくり返るようなシンプルな遊び心から現れる質量を持った何か。朝を告げるひばりの声はずるいと思いながらも個人的にツボで、こういうウィットが作り上げる舞台のニュアンスがどんどんと世界を豊かにいくようにも思えて。コインを危なっかしく投入して「毒薬」を手に入れる姿に薬入手の不思議なリアリティを感じたり・・・。カメラを使ったライブ感(館内の道程をしめすグラフィックもよい)や、スクリーンに映像として具現化される霊廟のシーンにも瞠目・・・。

そして、いったん目隠しを取った役者が、再び目隠しをつけて手探りを始める姿に、限りのない演劇の深淵を思ったことでした。

戯曲にひたすら惹きこまれていくKorea Version,戯曲から次々となにかが現れていくJapan Version。戯曲に対してのIn&Outを半日で体験したよう。観終わって、なにか抱えきれないほどに満腹なのですが、その感覚には演劇という筋がしっかりと通っているから、すっと心に吸い込まれていく感じがする。

そして、劇場を出るとき、満足感だけではなく両Version(特にJapan Version)のさらなる広がりの予感とそれを観たいと渇望する気持ちがやってきて・・・、自分の貪欲さに驚愕したことでした。
今日もいい天気

今日もいい天気

渡辺源四郎商店

こまばアゴラ劇場(東京都)

2009/11/05 (木) ~ 2009/11/08 (日)公演終了

満足度★★★★★

密度が高まるほどに和らぐ空気
エピソードの一つずつから感じられる
家族それぞれの視点。
物語の仕掛けにも気持ちよくやられて。

丁寧に描かれるが故の軽さと
淡々とした色に
ゆっくりと深く心を染められました。

ネタバレBOX

物語の筋立てがとてもしたたかだと思うのです。

ごく前半のシーンで、
まるで舞台装置を見せるように家族を紹介し
さらには、飼い猫のたまの姿を暗示。
そのスキームで物語を見せることで
日々の生活描写だけでは見えない家族の心情が
手に取るように観る側に伝わってきて。

少しずつ崩れるように残った男たちの心情が
お試し家政婦との会話の中からやわらかくあぶりだされてくる。
お試し家政婦というか、たまに残された時間がなくなり、
舞台の密度がじわりと高まっていくなかで、
かえって家族の過ごしてきた「いつも」の和らぎのようなものが
増してくる不思議・・・。
見よう見まねの碁のエピソードから伝わってくる
にゃんとも秀逸な視線の作り方に、
観る側の心がやさしく満たされて。

お坊さんを登場させてからの、
物語の膨らまし方なども本当にうまいと思う。

別れを悟った上でのわがままとその答え方から、
一緒に暮らしたものへの惜別の気持が、
きちんと描きこまれたが故の軽さで伝わってきて、
なにかが降りてくるような感じで、目頭が熱くなってしまいました。

カレーの匂いに、
ふっと夢から醒めたような
いつもの日曜日の夜がやってくる。
同じ色の時間のなかで
少しずつ変わっていくものへのいとしさや切なさが
深く伝わってきたことでした。
THE BEE

THE BEE

NODA・MAP

シアタートラム(東京都)

2007/06/22 (金) ~ 2007/07/29 (日)公演終了

満足度★★★★★

同じ内容からことなるニュアンス
日本版に続いてロンドン版をみました。

まったく同じ戯曲なのに、ニュアンスが若干ちがうのが興味深い。

まあ、観ていてただではすまない芝居でしたが、日本版とあわせてみていると同じ横顔も右からと左からではかなり違うように、観た感じがかなり違っていておもしろかった。

どちらにしてもありえないほど演劇的なレベルは高いとはおもいましたが、どちらがすきかといわれると日本語版のほうが若干好きかもしれません

ネタバレBOX

野田氏の女装があまりにもナチュラルでびっくり。

物語にあたりまえに存在できる力を有していたと思います
コンフィダント・絆

コンフィダント・絆

パルコ・プロデュース

PARCO劇場(東京都)

2007/04/07 (土) ~ 2007/05/06 (日)公演終了

満足度★★★★★

三谷幸喜の新境地
あまりのチケットの取れなさに半分あきらめていたのですが、毎日10時からPiaに電話をして6日目にキャンセル待ちナンバーを取得できて・・・。で開演15分前に並んでどきどきしながら待って・・・。
チケットを買えたときには本当にうれしかったです。

芝居は白旗を揚げるしかないほどすばらしかったです。役者の安定感は群を抜いているし、それぞれが絶妙な強弱で舞台に陰影をつけていく。前半が終わるころにはアトリエの雰囲気に取込まれていました。

ここからネタばれします

ネタバレBOX

三谷幸喜さん、今回は物語をウェルメイドに導くための伏線や仕掛けをあまりせず、人物を描くことに徹したようにお見受けしました。人物を表現することによって、登場人物の関係性が浮かび上がり、それらの関係性のゆりかごになったアトリエの瑞々しい時間が舞台を包み込むという仕掛けです。

堀内敬子さんがその時代を語るという設定もよかった。語られた時間の瑞々しさは、もう戻らない日々の切なさへとうつろう。
たくさん笑ったのに、シリアス重苦しいタッチのドラマではないのに・・・。自然に涙があふれてしまいました。
男優達の秀逸な演技にくわえて、シーンを蝶々結びにするように歌でつないでいく堀内敬子さんの歌唱力や演技力の勝利かと・・・。

三谷幸喜さんの作品ってけっこうみているのですが、その中でも1~2番を争う傑作だと思います。
今後も三谷さんはたくさんの名作を作り出してくださるのでしょうが、
その中でもエポックメイキングな作品として語り続けら得るほどのクオリディをこの芝居はもっているような気がします



ゆめみたい(2LP)

ゆめみたい(2LP)

中野成樹+フランケンズ

川崎市アートセンター アルテリオ小劇場(神奈川県)

2011/12/23 (金) ~ 2011/12/27 (火)公演終了

満足度★★★★★

一つの物語、見え方の多様性
席の選び方については
説明があったのですが、
それは、観る側の迷いをしっかりと広げる以外の何物でもなく・・・、
会場に入った時には
どこに座ろうかとかなり悩みました。

でも、観終わって、ちょっと場内の他の席にも
足を運んでみて、
物語から浮かんでくるものを
いろんな質感で見せるそのやり方に納得。

3回観に行けないのがとても残念に思えました。

ネタバレBOX

場内に入ると
舞台中央に大きな壁があって
客席にまで張りだしている。
近くにいってみると一応
壁には通り道があって上手と下手、
それぞれから制限付きで舞台を見通せるようにはなっていて。

何度かリピートできるのであれば、
前方の席に座ったかもしれませんが
1度しかみることができないので、安全に両方が見渡せる
中央後方の席をゲット。

壁を挟んで上手の白っぽく明るいサイドと
下手の紫っぽく暗い感じのするサイド、
双方を眺めながら開演を待ちます。
舞台が始まると
どこか淡々としたハムレットが始まる。

役者達にはすっと早い役柄のたち上げがあって。
描き出すものがとても鮮明で
ロールの雰囲気がすっと観る側に置かれる。
しかも、そこから舞台に根を生やすことがなく
重厚さとか塗りこめるようなお芝居はほとんどなく。
物語の骨格がどこか線描されていくような感じ。

そこにはまさにLP2枚分に収められた、
シェークスピア不朽の名作っぽいエッセンスがあって。
名場面も強調されることなく
曲を流し聴くがことく
ダイジェスト的なハムレットを
見続けてしまいます。
舞台から目をそらさせないのは
役者の力量というのもあって、
とりあえず、観る側が、舞台上の法則を理解するまで
語られる物語で観る側を引っ張って行ってくれる。
そして上手と下手のそれぞれのニュアンス、
舞台のルール、
さらには舞台全体を閲覧するような外の視座と
物語の法則のようなものがわかってくると
舞台のニュアンスが魔法のようjに浮かび
面白くなってくるのです。

中央の壁を0軸として
立ち位置の座標てきなことや動きのベクトルが
演技や台詞にニュアンスのタグをつけて
そこに込められたものをくっきりと浮かび上がらせる。
通常の舞台であれば、
耳を研ぎ澄まして
キャラクターの想いを受け取っていくであろう重厚に演じられる場面が
重さも身も蓋もなく観る側に示される。
でも、そこには、物語の構造が
ちゃんと観る側に残る。

たとえば、
ハムレットにしても、
その壁を行き来するだけで
ニュアンスになるし
ラスト近くにフォーティンブラスが上手から現れ
下手にはけていくだけで
したたかにニュアンスが浮かび上がってくる。

物語を見つめる視点が舞台の奥に置かれているのもよい。
(私が座った場所からは音だけだったけれど)

これ、面白い・・・。

*** ***

終演後、劇場を出る前に、
舞台そばの客席に座って舞台を観たのですが、
見えてくる光景が中央と大きく違うことに驚く。
同じ舞台で同じように演じられているお芝居が
明らかに全く異なるニュアンスで伝わってくることが
容易に想像できて・・・。
遅いといえば遅いのですが
ここに至って初めて
客席についての説明の意味を理解することができました。

日頃、普通の舞台を観ていても
座る位置で違うものが見えることというのはあるのですが、
この空間にはにはその違いをさらにあからさまに分光する
プリズムが据え付けてあるような・・・。

「ゆめみたい」という作り手の作意を
受け取ることができたかどうかは定かではありません。
でも、恣意的に薄っぺらい舞台の描き方だから浮かび上がってくる
作品の飾られない本質的な部分は
とてもカジュアルに、しかも多層的に
舞台から観る側に流し込まれてきて、
がっつりと心に残ったことでした。




「ひつじ」 Les moutons

「ひつじ」 Les moutons

TACT/FEST

東京芸術劇場ロワー広場(東京都)

2010/08/11 (水) ~ 2010/08/15 (日)公演終了

満足度★★★★★

めへぃ~とけた外れの身体表現
とても秀逸な身体表現であり、
ウィットと遊び心に満ちた30分でした。

ネタバレBOX

最初、偶然にその場を通り過ぎて
後半部分だけを観ることができて・・・。

愕然として、
気が付けば、
翌日に再見しに出かけておりました。

大上段に構えることなく
あの、凄いものを目の当たりにした高揚が
とてもナチュラルにやってくる。

演じ手たちの身体の使い方のしなやかさや
30分を演じきる精神的な強さに瞠目したのですが、
それはパフォーマンスが終わった後のこと。
理屈抜きに、その場にいろことが
こんなにも楽しい・・・。

観ることができて本当によかったです。
中嶋正人

中嶋正人

studio salt

相鉄本多劇場(神奈川県)

2008/11/22 (土) ~ 2008/11/30 (日)公演終了

満足度★★★★★

思ったほど重くなく、思う以上に懐が深い
アウトラインを読んで想像したような重さはなかったのですが、その重さでは決して表現できないものがこの作品にはありました。
べたな言い方ですが本当に良いお芝居だと思います。

「俺とあがさと彬と酒と」第1回公演『ふたりマクベス、マボロシ兄妹、ほか短編』

「俺とあがさと彬と酒と」第1回公演『ふたりマクベス、マボロシ兄妹、ほか短編』

DULL-COLORED POP

アトリエ春風舎(東京都)

2012/12/27 (木) ~ 2012/12/31 (月)公演終了

満足度★★★★★

朝から観る側をマジにさせる力
ラジオ体操をして、リラックスしたあたりまでは、
気楽に観れるかなと油断をしていましたが、
舞台が始まると3秒で、ガッツリと取り込まれました。

ネタバレBOX

両作品とも、舞台の密度が半端ではない。

瞬時で観客jを、一瞬の緩みもなく
舞台に惹きつけ続ける力がありました。

(マボロシ兄妹)

役者の身体の傾ぎに、
観る側の視座を揺るがす力があって。
その、どこか不安定なままに固まった感覚が、
舞台の展開とともに心風景の俯瞰に繫がって。

昔、この役者が演じたサイコシス4.48の記憶がまず訪れる。
でも、物語の広がりは、あの芝居に浸った時の閉塞感と次第に乖離して、
もっとビビッドで生々しい感覚となって観る側にやってくる。

全てが観る側が持っているものに紐づいてくれるわけではない。
想いのほかのはみ出しに、当惑する部分もある。
でも、なんというか、
役者の表現の意図に支えられて、
舞台にあるものは、そこに存在して、
絵となり、世界となるわけですよ。

ループする感覚、そのループを抜け出した先での新たなループ。
冒頭の兄の傾いだ身体や、
その妹の極めて恣意的に道化的な笑いに
構築される心風景には、うまく言えないのですが、
五感や六感でも焦点があわないのに、
その先で世界と自分が共振するような感覚があって。

分かってしまうと、
その世界の内と外の区別がつかなくなってしまうような
漫然とした恐れに浸されながら、
二人の役者の紡ぐものをひたすら追いかけてしまいました。

(ふたりマクベス)

一つの物語のなかで、
ふたりの役者が描き出すロールの質感が、
かなり違っているように感じました。
岡田マクベス夫人には
女性の感性や感情の自由で細微な描き込みがあり、
一方の山崎マクベスは、
その感情が、元ネタの戯曲にそって丁寧に紡がれていく感じ。
だから、二人のシーンになった時に
乖離するような感覚が舞台に生まれ、
少しの間、どこかつかみきれない違和感に捉えられる。

でも、やがて、
逆に、その違和感があるからこそ浮かび上がる
夫婦の空気のリアリティに、
ぐいぐい惹き込まれる。
最初は、其々が描くものに目を奪われつつも
ひとつの肌触りとして受け取れなかった夫婦の姿が、
主殺しの共犯として手を血で染める、
マクベスの物語を借景に
とんでもない立体感が醸し出し始めて。
そこには、ありえないのにものすごく生っぽい
夫婦の姿が浮かび上がる。
もう、ぞくぞくしました。

観終わって、拍手をして、それで少しして
なにか揺り戻しのように作品が脳裏に戻ってくる。
気がつかないうちに、舞台から
すぐには消化しきれないほどの
たくさんのものを受け取ったような気がして。
朝からのこういうお芝居の2本立ては、
とても良い意味で、なかなかにタフな経験でありました。

*** *** 

余談ですが、この舞台の前説も後説も
実に見事。

携帯電話の電源オフへの導き方といい、
観る側がなにげに、ぴったりと心を準備できてしまう
開演の案内といい、
終演後には外の状況(天気とか)のインフォメーションが加わったり。

こういう、スタッフの観る側を芝居にしっかりと向けさせるやり方で、
観る側はよりたくさんのことを作品から受け取ることができる。

過去に某劇団の制作をやられていて
ノウハウを十分お持ちの方とは知っていましたが、
芝居の感動に加えて、
こちらにも感動してしまいました。
漏れて100年

漏れて100年

突劇金魚

こまばアゴラ劇場(東京都)

2014/11/29 (土) ~ 2014/12/02 (火)公演終了

満足度★★★★★

内側に向いたカメラからの人生の俯瞰
舞台に描かれるものの視座に思い当たるまでは、
紡がれるものが混沌に思えましたが、
舞台の仕組みから、その視座を受け取ることができると
描かれるものがとても面白く感じられました。

作者の意図を追いかけているとは限らないのですが、
でも観ていてその結末どのようになっていくのかを
ずっと見つめてしまいました。

ネタバレBOX

場内にはいるとややそそり立つようなセットの向こう側に「-5」の文字が見える。それが、気がつけば「-4」になり、「-3」になり、やがて0にいたって舞台が歩み始めます。

最初は描かれているものの意味がほとんど理解できませんでした。
首輪をつけた若い男がいて、それをリードでコントロールする母親らしきひとがいて。
その光景に見入っているうちに壁面の数字がひとつずつカウントアップされていく。やがて彼らの名前がわかって、舞台の仕組みが少し見えてくる

その数字が年齢となり舞台上が一人の人間の新風景に見えてきたのは、名前と首輪のことが大きいかも。
「ゆめ」がすっと首輪をはずしてしまうのに「さち」の首輪がいつまでたっても外れないこと、その名前と首輪のありようで、二人の関係がすっと浮かび上がった。
そうなると、作り手の寓意とはずれているかもしれないけれど、たとえば植物だけを食べる生活は肉欲に対する純潔のような貴がしたし、母親のご飯をたべないことは、反抗期の子供の家庭への反発のように思えたりも。

そのうちに、「うた」がやってきて、大きくなって、死んでしまうのは、なにかある年代のアーティストやアイドルに熱狂する気持ちの具象にも思えたし、「ゆめ」が首輪をはずして去っていくのも、現実が見えてきた年代にさしかかったからかなぁとこれはあとで考えたり。

やがて、滝の裏側にある現実の知識を身につける20代、30代には勢いで才能を撒き散らし、そのことに違和感を感じて、「無限」のやり方を自らのものとしていく30代から50代。そこをすぎるともはや「無限」の姿もなく、その探求に縛られるのではなく、積み重ねたものによって解き放たれていくような感じがする、

そして、90を過ぎると積み重ねられた記憶は悟りのようになり、回帰し100へのカウントダウンを迎えていきます。
内を見る視座が外れ、振り返る刹那のありのままの姿が切り出されて、描かれたものがすっと描かれる時間の実感に重なる。

観終わって、なにか、目から鱗がおちたような気がしたことでした。
恐れを知らぬ川上音二郎一座

恐れを知らぬ川上音二郎一座

東宝

シアタークリエ(東京都)

2007/11/07 (水) ~ 2007/12/30 (日)公演終了

満足度★★★★★

三谷幸喜の円熟を感じました
前売りチケット争奪戦にあえなく敗退して、だめかとおもっていたのですが、当日券整理番号分が電話一発でつながってプレビュー2日目をみることができました。

すごくよく出来た話で、観ていてぐいぐいとひっぱられる感じ。時間をまったく感じない。飽きない。一幕が終わってけっこう満腹な内容であるにもかかわらずもっともっと観たいと思ってしまう。三谷作劇の真骨頂を見たように思います。これなら木戸銭にも納得、お買い得感さえありました。

ネタバレBOX

一幕はボストンで公演が打てるかというどきどき感で観客をひっぱり二幕は劇中劇を中心に観客を爆笑に巻き込みます。

堀内敬子さんがすばらしい出来。瀬戸カトリーヌさんの芝居にも力があって。戸田恵子さんの演技にも惚れ惚れしました。

主演のユースケサンタマリアや常盤貴子は、まだ若干こなれていない部分もありましたが、おいおいよくなっていく予感。

一幕、二幕でそれぞれ使われる舞台の盆が物語をさらに広げて・・・。

これだけ芸達者が集まると逆にまとまらない芝居もあったりしますが、この芝居は役者のよさが連携してさらに大きな表現を作る感じで・・・。

本当によい芝居を見せてもらったと思います

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