LAND→SCAPE/海を眺望→街を展望 公演情報 北九州芸術劇場「LAND→SCAPE/海を眺望→街を展望」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    フォーカスを作る新たな手腕
    これまでの作り手のテイストに浸されつつ、
    舞台上に紡がれる時間には「醸す」のとは異なる「重なりとおる」ようなあらたな質感を感じて。

    その質量の消えた時間の感覚と、
    滅失しない風景のありように深く浸潤されました

    ネタバレBOX

    舞台上にも周囲に座席が組まれていて、
    囲み舞台のなかで時間が紡がれていく。

    見上げると、船底がさらされていたり、
    街頭スピーカーなども目をひく。
    具象ということではないのだが、
    そこにはすでに作品の風情があって・・・。

    舞台は、作り手の他の作品同様、
    その場の時間や風景を少しずつ解いていく。
    リズムがあって、ルーティンが生まれ、
    場が呼吸を始める。
    ただ、今回は小倉という街の情報が明確にあって、
    それ故に、見知らぬ街の出来事というよりは
    訪れた街に次第に馴染んでいくような、
    行ったことはなくても、
    次第に街並みが観る側にもなじんでくるような感覚があって。

    重ねられていくいくつかの物語、
    姉妹、あるいは友人、もしくは家族・・・。
    街を出て再びその地に足を踏み入れるキャラクターと
    その町にずっと暮らし続けるキャラクターが
    小倉の街を舞台に交差し、
    或いは束ねられ、風景に時間を刻み込んでいく。

    技法自体は、マームとジプシーの作品から
    大きく変わっているわけではない。
    キーになる部分には劇団の役者達が
    配され支えている感じもあって・・・。

    でも、この舞台、
    描かれていく過去と今を繋ぐものの質感が、
    これまでの作り手のものとかなり違って感じられるのです。
    なんだろ、今の先に13年前が織りあがっていくなかで、
    従前の作品では溢れるようにかもし出され膨らんでいた
    過去の刹那の縛めを解かれたような広がりが
    この作品では
    同じ街の時間として滅失することも解かれることもなく、
    そのままにとおる。

    紡がれる過去の出来事と
    舞台上の今の視座がそのままに重なる感じ。
    その質量を手放したような時間が、
    繰り返し描かれる時を隔てて、
    変わることのない街の風景たちに帰納する。

    息を呑むような切っ先で描かれた
    姉妹の仲たがいの刹那は、
    まるで昨日のことのようにそこにあり、
    鈍色にあふれ出す兄への思いは海へと沈み、
    久しぶりにその街を訪れる女性は
    細微な揺らぎを描きながら
    時を隔てて変わらない街の空気に浸されて・・・。
    流れ積もった時間が醸す違和感たちが、
    変わらない街に溶け込んでしまうような感覚があって。
    一夜を刻むリズムのグルーブ感や、
    無くした兄への想いに駆られて海へと出る船の疾走感、
    それらは夜から朝への時間の存在感を与えつつ
    でも、その時間は従前の作り手の作品のような
    放たれ観る側を凌駕するような質量を呼び込むのではなく
    描き出されたエビソードの、
    繰り返し描かれる街の風情に滅失していく時間の
    質量の肌触りに収束していくのです。

    作り手は舞台上の時をただやみくもに舞台に放つのではなく
    0から極大に至るまでにコントロールする
    新たな表現のテクニックを生み出し、
    その時間の質量だから生まれるフォーカスを手にしたのだと思う。
    友人や家族が結ばれ、子供ができ、
    あるいは年老い、逝く中で、
    変わることのない街の風景や 時間の感覚が
    舞台のエピソードに塗りつぶされることなく残り、
    その風景からやってくる 言葉にならないような感慨に浸潤される。

    様々に抱いていた過去と今が、
    すっと一つの時間のそれぞれの風景に束ねられて、
    その感覚から、自らの立ち位置に想いが至って・・・。

    作り手の、時間を手なづけ、
    表現に編み込む新たな力に目を瞠りつつ、
    ゆっくりと深く訪れる、
    見知らぬ、でも間違いなく存在する街の時間と風景に
    身をゆだねてしまったことでした。

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    2013/03/17 13:31

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