ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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8人の女たち

8人の女たち

T-PROJECT

あうるすぽっと(東京都)

2019/11/13 (水) ~ 2019/11/17 (日)公演終了

満足度★★★★★

 観劇しながら、推理をしてゆくのが楽しい作品故、詳細は追記する。それにしても…

晴天〜せいてん〜

晴天〜せいてん〜

劇団黒胡椒

インディペンデントシアターOji(東京都)

2019/11/09 (土) ~ 2019/11/13 (水)公演終了

満足度★★★★

 「風」を拝見(追記11月12日14時半)

ネタバレBOX

 本日は楽屋を通って会場内に入った。ちょっと普段とは違った場所から入ると、それだけで嬉しいのは自分の子供っぽさなのだろう。本日は風を拝見。シリーズ物故、他の作品で詳しく語られる物語もあるとのことなのでできればシリーズ総てを拝見したい所だが、諸般の事情で中々そうもゆかぬ。板上客席側はフラット。仕切奥は電子ピアノ、パーカッション、ウッドベースにギターの生演奏が入り、歌い手も一人居る。また演技空間は板上のみならず、照明などの装置がある回廊部分正面も用いられる。
 物語は貧しい山奥の農村を舞台に、貧しさの齎す絶望からか、実の娘(朱音、紫音)を苦界に沈めようと図り、女房・貴恵には暴力を揮い、而も己は働きもしないだらしない家長・宗清と、法の網から漏れ落ちた極悪人成敗の為に天界からの命令を受け、派遣された仕置き鬼達による処罰決行、この男の長女・朱音とその恋人・蒼依との悲恋を軸に展開する。
 サブストーリーに捨て子兄妹(叉紺・桃香)と、朱音の妹・紫音の蒼依への思いが絡む。
 時代背景はハッキリしないが、村人の衣装は和服であり、村祭りが貧しい暮らしの中で重税に苦しむ庶民を描いている点では、現代日本にも通じるものが在るのは無論だ。祭りも当然のことながら、民衆の積もり積もった不服のガス抜きである。唯極貧の村で、娘を苦界に沈めねばならぬような暮らしを描くのであれば、鳴り米(竹筒に米を入れ死に際にある者の耳元で振って米の音を聞かせる道具とその行為を示す)を用いるようなシーンを入れるとか、宗清が酒に溺れた原因をハッキリ示すとか、或いは為政者と国家の関係に対する民の関係分析を少しキチンとやった方が良かろう。為政者達は、国という共同幻想を梃に民から絞れるだけ絞ることしか考えてはいない。実体は為政者達が己らの懐を肥し、権力、富、権威を掌中に収めんが為の単なるテクニックに国という緩衝装置を用いているに過ぎず、民はこの罠を見抜けないばかりか、絞るだけ絞られているにも拘らず、為政者をお上と崇め支持しているのだ。これこそ、現在、我々の国でも進行している現実そのもの。
ローマ英雄伝

ローマ英雄伝

明治大学シェイクスピアプロジェクト

アカデミーホール(明治大学駿河台キャンパス)(東京都)

2019/11/08 (金) ~ 2019/11/10 (日)公演終了

満足度★★★★★

 流石に明治大学シェイクスピアプロジェクト。今回の公演ではシャイクスピアの2本の脚本をローマの英雄という括りで一挙上演。とありきたりな評を書いても仕方がな!(華5つ☆)追記後送、色々、書きたいことがあるのでちょっとお待ちを!(
1回目追記。2019.11.11)

ネタバレBOX

「ジュリアス・シーザー」では、民衆を操る「政治」というものの本質が、キャシアスによって身体化されると同時に民主主義と独裁(ディクタトル=終身独裁官)との本質が描かれているが、平民や群衆を統一されたダンス表現で表す演出は、当に「国家」がその「国民」によって支持され共同幻想として成立しているという本質を表して見事であると同様、視座を変えるなら、国家の為政者共が仕掛けた罠に過ぎない国家という共同幻想によって、そこで力を揮う卯為政者共を偉いと認識することによってのみ逆転する価値の転換が起こる。即ち平民達は恰も国家とそれを動かす為政者が主、自分達が従であると看做す狡猾な仕組みを表しているのである。キャシアスは、この点を突いた。公共観念の強いブルータスに対してディクタトルになろうとするシーザーが野心家であると焚きつけた訳だ。ブルータスが夢見ていたのは、最終的には、主権者として平民が主体となる民主制だと思われるから社会正義の為にシーザーを屠ったのである。
 因みに冒頭のダンスの見事な統一性は、「国家による教育」によって個性を喪失させ、同一の価値判断と同一の行動パターンを埋め込まれ画一化された個々人が表されている点も見逃すべきではない。こうした点には、現在我が国で着々と進行している為政者共の虚妄を暴くヒントが隠されている。
SAKURA

SAKURA

劇団Turbo

駅前劇場(東京都)

2019/11/07 (木) ~ 2019/11/11 (月)公演終了

満足度★★★★

 器用なメンバー、芸達者な面々が多いのは、観ていて筋書通りに良く役作りしている点からも、演技の実力からも明らかだが、作品中用いている曲の選曲や選曲の用い方のセンスも良く総合力の高い劇団とみた。タイトルのSAKURAは、ゲンキンな現代っ子らしい、ヒロインのファーストネームだが、彼女と父方の祖父、母方の祖父との親疎関係の描き方も見所の一つ。(追記後送)

よすが

よすが

劇団コスモル

OFF OFFシアター(東京都)

2019/11/07 (木) ~ 2019/11/10 (日)公演終了

満足度★★★★★

 劇団コスモルにエールを送る。無論、今作にも!

ネタバレBOX

 劇団挨拶の自己紹介によれば二郎系ラーメンという感じの劇団という自己評価である。慶応三田の図書館で働いていた経験があるので半世紀近く前、二郎本店には良く食べに行っていて、兎に角インパクトのあるラーメンにビックリしてしまった。脂ギッタギタ、オヤジを囲むように三角に設えられたカウンターに座れるのは10人程、注文の仕方も独特なので初心者は常連から、このバチが! という冷たい視線の洗礼を受ける。臭いも強いので女の子は有名になるまで入って来なかった。旨い不味いというより、食えるか食えないかのラーメンで、食えれば病みつき間違いなし。銀座の高級割烹、中島の店の前にある石碑の銘に比すことができようか、因みに中島は自分の知っていた時代には一元さんお断り、魯山人の器に料理を盛ってくれた。粋な店である。さて、本題に入ろう。日本でもスタニスラフスキーやメソッド演技等の演劇術を学びヨーロッパや中国、韓国程ではないにせよ、かなりキッチリ演ずる役者さんや劇団はある。然し乍ら本場には中々適わない。考えねばならないことは、余りに自分の根っこを忘れてはいないだろうか? ということではないのか? 暗黒舞踏の天才・土方巽の凄さはこの点に気付き、日本人の身体について深く考え日本人の身体にとっての舞踏を編み出し、実践し得たからこそ、暗黒舞踏は世界に衝撃を与え、此処まで広まったのだと自分は考えている。Internationalとは、InterとNationalに分けられるのであり、その個々を突き詰めた上でトータライズしなければ浮き上がるだけ浮き上がった挙句、墜落して瓦解してしまうのがオチだろう。そんなもの・ことに実はたいした意味など無い。そして多くの日本の芸事がこのレベルなのではないか? 学問レベルでも、例えば哲学科の教授で哲学者と言える程の人がどれだけ存在するのか? 甚だ心許ない状況なのではあるまいか? 一方、各国の哲学者の解説本や紹介本、訳本はたくさん出ているのに、日本独自の哲学と言える程の思想は驚くほど少ないのではないか? つまり、本質的な思考を日本人は余りしたがらないのではないか? と自分は問うのである。今作、無論敢えて軽めに表現したりダサく表現している箇所がかなりふんだんに盛り込まれてはいる。が、例えばしょっぱなのダンスにしても、各々の振りやタイミングが微妙にずれ、そのズレ自体が、かっちり作り過ぎてワザトラシサ、人工的な厭らしさの臭いを撒き散らす作品作りとは違う所を目指していて、自分には却って自然を感じさせ、中々思うようにならない人生そのもののような味を感じさせるのだ。
 実はしょっぱなで虐待やその背景にある庶民の貧しさの悲惨もそれとなく描かれているし、お菊ばあばや彼女の親友の里ちゃんが施設出身であること、その彼らの唯一の慰めが海に沈む夕陽の美であることなどもそれとなく挿入されているのみならず、57歳で若年性認知症を患う菊の人生でたった独りの親友・里を、若き日の親友記念日に海辺で彼女を待ち波に浚われて命を落とした里を、唯、親友里を探して彼女は冥界に迷い込んだこと、その理由は、この冥界にこそ、彼女の置き忘れられた魂が在ったことが原因であったことなどが徐々に明らかになると同時に、恐らくは早く認知症を患った原因こそ、この魂の置き忘れにあったこと、そして娘を育てる為に総てをかなぐり捨てて生きなければならなかったシングルマザーとしての生き様があったことが言外に浮かび上がる。この余りにも苛酷でシンドイ現実は、冥府(冥界)という設定を生み、この設定は苦しみを通して普遍的な世界観に通じている。その世界観とは、キリスト教が未だローマの国教と定められる以前、ギリシャ文明・文化を引き継ぎ多神教の精神世界にあって、生と死のあわいに在って魂が何処へ最終的に赴くか決まるまで一時安らう場として考えられていた時空であることを考え合わせるなら、仏教の中有とも相俟った時空で条理の通った世界では矛盾とされることが曖昧模糊たる状態で彷徨っている世界だ。つまり今作の内容である菊の苦悩、家族の心配や、天使VS悪魔の争闘(悪魔の天使帰りを含む)も矛盾なく掬い上げ、捉えることが出来る自分の知る限り唯一の時空である。
珈琲店

珈琲店

劇団つばめ組

参宮橋トランスミッション(東京都)

2019/11/07 (木) ~ 2019/11/10 (日)公演終了

 18世紀にベネチアデ活躍した喜劇作家・ゴルドーニ原作の作品だが、何故、今この作品を日本で上演するのか? その狙いも良く分からない。作品に就いては、追記する。評価もその際。

ネタバレBOX

自分はイタリア人とは大した付き合いが無い。無論、南部と北部では随分違うし、ローマとナポリ、フィレンツェ、ベネチア等地域によっても、大きな差はあるだろうが、兎に角、同じラテン系でもフランス人やスペイン人は、友達も多いし互いに余り異質性を感じることなく付き合えるのだが、イタリア人の騒々しさは半端なものではなく、到底ついてゆけない。無論、フランス人もワールドカップで優勝した時等の騒ぎ方は半端では無かったし、兎に角、信号待ちをしている車の屋根に歩道から若者がよじのぼって飛んだり跳ねたりしてボコボコにしてたり、箱乗りして半身を車外に出し、クラクションを鳴らしながら信号無視でシャンパン撒き散らしながら暴走するなんてこともやっていた。だが、通常はプレシオジテの伝統もあるから案外大人しく振る舞っているのだ。スペイン人もこれは聞いた話だが、高貴な家柄の男子のイニシエーションでは、狭い道路に猛牛を相当数放ち、これにマーキングできない限り、一人前とは認めない、という儀式が在ったという。無論、死人も多く出る危険極まるイニシエーションだ。スペイン人を見て感心したのは、所謂スペイン伊達と言われ、男がみてもほれぼれするような美男子が、少し細めのパンツに洒落たシャツ、カマーベルト迄着用して街を流す姿である。これは格好いい。彫の深い浅黒い顔に黒目がちの瞳、細くて高い鼻梁に引き締まった唇の精悍な貌。軽くウェーブした髪、スタイルの良さ等々。自分はヘテロだが、余りの美しさに思わず見惚れてしまう程だった。閑話休題。イタリアの話に戻ろう。兎に角、のべつ幕なしに騒がしい。ノリも半端じゃないし、早口でまくしたてる。ローマっ子なんか巻き舌で大見得切ってローマから来たなんて大仰なポーズと共にやらかすから近くに居ると恥ずかしくてたまらない。モンペリエに住んでいたから、イタリアまではかなり近かったし行く気になれば何時でも行けたのに、このイタリア人気質に我慢がならず行かず終いになっている。イタリアに行った友人の話では兎に角、盗みが多い、ということだった。無論、日本に比べれば海外は何処へ行っても盗みは多いが。唯、これも聞いた話に過ぎないのだが、未だフィルムカメラの時代、日本人は眼鏡とカメラとがトレードマークだった時代に、高額カメラは良く狙われたらしい。だが、カメラは盗んでもフィルムだけは、持ち主の手に戻るような算段をつける盗人がイタリアには結構居た、というのだ。盗人とはいえ、粋ではないか? だってカメラは保険で新しいのを入手できるだろうし、一番大切なのは、撮った写真そのものであろうから。
女子会×男子会=□□□□

女子会×男子会=□□□□

ZERO BEAT.

アトリエファンファーレ東新宿(東京都)

2019/11/06 (水) ~ 2019/11/10 (日)公演終了

満足度★★★★

 倫理に縛られるか、本能に弄ばれるか? はたまた!? 肩が凝らずに笑える男女の綾。(華4つ☆)

ネタバレBOX

 女3人、男3人、女子グループは既婚(順子)1人で2人独身。独身のうち1人は肉食系(玲菜)、狙った獲物は積極的に食う。体の相性は、そうなってみないと分からない、と尤もな科白を吐く。1人は宇宙の論理を持ち出すことで総てを煙に巻く完全ぶっ飛び系(香苗)と見せつつホントは?(臆病系?、それともモノホンの天使系? 或いは誑かし系?)。因みに順子は、マトモ過ぎる程マトモだがマトモ過ぎてうざい? かも。一つだけマトモでない点は、亭主の極端なマザコンを「容認」している点。
 一方男子グループは、順子の夫(武)、香苗の彼氏候補、真治(実は会社オーナーの親戚のボンボン・金持ち)、真治の上司カズヤ(妻子持ち・妻はジュリアだが、肉食系の玲奈にゲットされ)現在両手に花進行中。
 マジにこんな状況に追い込まれれば、殊に両手に花のカズヤのケースは深刻になりかねないが、そこはそれ、肩の凝らないハナシに仕上がっている。香苗みたいなキャラがホントに存在したら、精神分析の対象として面白い。何しろ、彼氏候補にあちこち連れて行って貰っても土産コーナーに矢鱈行きたがる一方、男女関係から恋愛等の連関などは、良く分かってはいない宇宙の何らかの可能性の中にあると考えているらしい。不思議なキャラ。 
 武を演じる中條 孝紀さんが上手い。
蛙よ、海へ行け

蛙よ、海へ行け

立教大学演劇研究会

立教大学 池袋キャンパス・ウィリアムズホール(東京都)

2019/10/30 (水) ~ 2019/11/04 (月)公演終了

満足度★★★

 蛭子伝説を地で行ったような雰囲気の作品だ。(追記後送)

ネタバレBOX

従って可也昏い。つまりは子消しと漢字かな混じり表記をした際のような間引きの話が根底に深く蜷局を巻く話ということである。若い人が書いた作品で内容がこのように悲惨極まるものであるなら、それは彼らの生きる現代日本が今作に描かれている如く全く展望の持てない、陰々滅々たるものと映っているということであり、残念乍ら、彼らは正確に現実の日本を把握しているという他あるまい。
かわいいチャージ’19

かわいいチャージ’19

人間嫌い

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2019/11/01 (金) ~ 2019/11/04 (月)公演終了

満足度★★★★

 メイド喫茶の話。(追記:2019.11.4 15:22)

ネタバレBOX

一頃、若い女の子多くが路上と謂わず、車中と謂わず大声で「かわい~~~っ」を連発していて、ファシズムの足音を聴くような気がして吐き気を催していたのだが、無論若い女の子のイメージとしてファシズムは似つかわしくない。それだけにこの連呼はより不気味に思えたのである。同じような表現の単純化に畳語の多用があった。何れも言語のデリカシーや階層性を破壊することによってコンセプトを平準化し以て感情や思惟のグラデーションを曖昧化すると同時に極端に個別化しその場に居る同世代の仲間にしか通用しない言語パフォーマンスと化し社会性を喪失すると同時に彼女らの本来の狙い、既存社会の価値観に対する対話不能の反感を示していた。大人達がこの不満を解決するのは、基本的に力関係即ち暴力や金力しかない、と考えるのは当然であろう。対話・討論そのものを拒否している者は、こちらが討議を持ち掛けても問答無用と応じる以外に無いからである。問題は、恐らく彼女達が大人とか大人社会と言ったもの・概念に一方で甘えつつ(例えば経済的に依存するとか、他方で援交や下着売買、出張デート等で荒稼ぎをする等、金を持つ男の性向を利用することによって、媚びと諂い、性を餌に人間性をかなぐり捨てる捨て鉢行為もあったのだろう。その捨て鉢感情と実利を繋ぐコンセプトこそが“かわいい”の本質であり、掛かるが故にこそ、店長・レナの妹・鈴奈は姉に対して此処まで反発するのであろう。無論、鈴奈にしても若い女の子としてちやほやされたい。然し姉とは異なり、自分には美しいとか可愛いとかとは反対の要素しかないと思い込んでおり、それが自己疎外感として定着しているというアンヴィヴァレンツを抱えている。女性の魅力を巡る基本的には異性からの評価が、恋を命の価値観に縛られがちな若い女性達だけに責任を押し付けることなどできないことは当然である。だが、彼女らに一点の瑕疵もない、と言えば嘘になろう。この辺りの微妙で多様な若い女性達の人生の綾が織りなす、女性ならではの視点で描かれた作品。誤解の無いよう付け加えておくなら、このメイドカフェオーナーのエリカは有名な国立大出、大手商社に勤めた後、20代で起業して現在幾つもの事業を経営するヤリ手実業家であり、この店は税金対策として趣味でやっていると従業員が噂するほどリッチ而も美人で28歳。秀才の常として世の中の関係を秤に掛け、的確に計量してクリティカルポイントでバランスを取る。必須成功パターンの実践者であるから、女性としての彼女の魅力も充分理解し起業にも企業経営にも利用している、無論、相手になってくれるパトロン達とベタな関係になって肝要な仕事をおっぽらかす原因となるような関係は決して持たないだけの知恵を具えている。これだけ高い能力と美貌、他人に好かれる為の柔軟さを具えながら、則を越えないのは天才の抱える不幸を己の内には抱えていないからである。一見、馬鹿っぽく見える新入りメイド、らぶはどう化けるかで大差が出るが、型破りな発想と独自性から天才と化ける可能性としては登場キャラの中で一番高かろう。尤も、天才と認められる一人の人間の足元には天才的な人間一万は居ると考えた場合の話だが。何れにせよ、見た目の評価が多くの人々にとって実際大きな意味を持つことは体験的に誰しも知る所、疎かにはできないが、人間的魅力というものは、単に生まれつきの美醜などで決まるほど単純なものでもなければ、底の浅いものでもない。己の魂の鍛え方、その上での生き様に左右され、決して誤魔化しの効かないものである。良い表情のできる人間になりたいものだ。そしてそのような表情ができる人々にこそ“深い可愛らしさ”というものが在るのではないか? 舞台美術も極めてお洒落である。
 影ばさみ~「そこのそこ」より~

影ばさみ~「そこのそこ」より~

ThreeQuarter

萬劇場(東京都)

2019/11/02 (土) ~ 2019/11/04 (月)公演終了

満足度★★★

 月の光を拝見。(華三つ☆)

ネタバレBOX

 二代目代表引退企画でもある今作、にゃんと妖怪の話である。何でも浦島太郎もかぐや姫も狸だというから驚きだ、基本的に狐となるか狸となるか神の決定により定められた宿命であるからこれは受け入れるしかない。だが、今作は脚本の浅さに問題があるようにも思う。優れた脚本というものは、登場するキャラクターの総てが、観客の日常に繋がる価値観やジェンダーの中で抗いようの無い条件を科され、それに苦しみながらも必死に生きる姿を浮き彫りにすることで、ギリギリの生き様を葛藤そのものとして描くことによって成立する。それが悲劇であれ、喜劇であれ根本だろう。この基本が分かっていなければ、恒常的に優れた作品を書き続けることは決してできない。
 現代と200年前、妖怪と化け狸や化け狐と人間世界を繋ぐ為に、心霊スポットの取材という設定が為されているのだが、この設定でゆくなら、化け狸や化け狐のジェンダーを例えば人間に恐れられ掛かるが故に駆逐されてきた悲劇としてもっとキチンと描き込むと同時に刑部の力によって化けた獣から妖怪に変ずることのジェンダー差をキチンと描かなければ観客に対するインパクトが弱くなってしまう。
 或いは、それこそ「四谷怪談」のように真に社会的な(四谷怪談は伊右衛門が赤穂の浪士である所に歴史との極めて重要な関係があり、その意味で「忠臣蔵」の裏面と取ることもできるのだ)大事件をベースに、数々の比喩や怨念の持つ恐ろしさ、人間という生き物の持つエゴや執念、主と従、時代の倫理的理想と現状の乖離が齎す不満と民衆の反感、経済と精神との相関関係等々我らの生活感覚に深く根ざすと同時に、それらを原因として如何様な世界と世界観が成立し得るかを示して雄弁、否雄弁どころか、観る者をしてその余りのインパクト故に黙らせてしまうだけの力を持っているのだ。
 今作主題歌には千年の都としての歴史を持つ京の都に伝わる手毬歌をベースに作曲した歌が用いられ、舞台美術に込められた様々な意味も中々工夫されている。演技も悪く無い。勿体ないと思うのである。
妖異幻怪物語

妖異幻怪物語

月ねこ座

浅草九劇(東京都)

2019/11/01 (金) ~ 2019/11/03 (日)公演終了

満足度★★★★

 脚本が素晴らしい。ニャン吉さんが脚本を書いているのだが、(追記2019.11.4・脚本華5つ☆全体華4つ☆)

ネタバレBOX

人間容認派(統領以外は殆ど弱い妖怪だがマジョリティーVS否認派妖怪(強く計算高い妖怪が結集・マイノリティー)を基本とした筋運び、各キャラクターの科白に込められた念の深さと人間などより遥かに長生きする妖怪の命を賭け、己以上の力を持つことが明らかな酒呑童子に挑み、姫を助け、守るべき者の危機にあっては己の命を的に助命嘆願する稲荷の純粋な念も素晴らしい。これらの行為総ての原動力こそ、女性の命である恋の力なのだが、千年にも及ぶ報われぬ恋の切なさの比類なさが我らの胸を撃つ、便乗神の起死回生の策略を成功に導く伏線ならしめた役割を担った雲外鏡は人間容認派を瓦解に導くスパイ役を果たすが、事情を十二分に理解した新統領・弾の赦しによってリーダーとしての彼の度量に打たれ、自ら信頼された者に成ろうと魂を入れ替える弱い存在の変化を演じて大事な役割を果たしている。この伏線があればこそ、便乗神の命を賭けての戦いと作戦の成功が有るのであり、恐らく彼女もまた、旧統領で弾の妻・妖子の父、九尾の狐を深く愛していたという含みがある。
雲外鏡はその名前が示唆しているように、我らヒトを含めた生き物としての弱さと他者に信じられてこそ、強く逞しく正しく生き得ることの普遍性を顕しており、このことが伏線となって物語りの展開に因縁が絶妙なバランスを保ちつつ、結果として見事に呼応する様が描かれていることの見事さ、実際に起こるというか日々体験せざるを得ない、利害と命、最も大切な者を守る為、或いは目前の恐怖の為に曝け出される卑怯未練な振る舞い、とそのような行為に及んだ者に対するリーダーとしての対処に現れる度量の描き方、演じ方も見事である。また、妖怪同士の戦いの中での人間容認派と否定派の差異を人間との婚姻諾否の差で決定的に描いて見せる辺りの、的確にして的を射た世界把握と表現も素晴らしい。エンターテインメントという体裁を採りつつ基本をしっかり作っている。殺陣の際、酒呑童子側の刺客や雑兵として活躍するアンサンブルのメンバーの体術もキレがあって良い。
 人間否定派リーダーの酒呑童子の副官、絡新婦がオープニング早々、演説をぶつのだが、両手を広げてまるでTVのワイドショーで仰々しくミエミエのパフォーマンスをするようで、自分にはチャラついて見えたのが残念、演じるのは身長も高くグラマラスな美形女優なのだから、自分なら観衆のざわめく音声を入れ、少し間をとって、配下の妖怪たちの鳴りが収まるのを見計らって科白を吐くという演出にする。オープニングには、若く美しい女優をヴィジュアルで見せようとの狙いが見える気がして自分の好みではなかった。もう一段、女優個々の個性や魅力の深みを見せる演出であると嬉しい。何れにせよ、脇がしっかりしているのと脚本の素晴らしさ、主要キャラクターが物語りの進展に連れてドンドン良い方向(即ち役を生きる演技)になってゆくので観ているこちらとしてもどんどん引き込まれて行き中盤以降は伏線とその回収も見事な展開で、満足できる内容であった。当初、キャピキャピ感のあった女優陣、新リーダーになった弾の表情の変化(ぽにょん~締まりのある顔へ)妖怪の総大将であった九尾の狐の娘、妖子のキャピキャピで純な少女~姫としてまた新リーダーの妻として物理的な弱さは保ったまま、芯の強さ・精神の成長を通して強さと気品を身に着けてゆく姿の変化もグー、無論、キュートな魅力はそのままだ。人間に味方する側では、大家役(見送り入道)の演技もこちらサイドの若手演技を支えてグー。無論、今作で最も大事なシーンで中核を担い己の術(自分の受けたダメージをそっくり相手に返す術)を九尾の狐を守る為に用いて亡くなる便乗神役も魂に沁みるし、何の秘術も持たないが兎に角、自分の信じたことに命を賭け殺され掛かるスマホ覗きも、ホントに戦う為の能力を何ら持たぬ身で痛い目に遭っている仲間を唯庇おうとすることしかできない無力が、彼の痛々しい献身を見事に浮き上がらせる。烏天狗は一度は言葉によって姫を傷つけた者だが、彼も姫を愛し、独占したいと望む本能故、道には外れるかも知れないが、単純に非難はできない。 酒呑童子(体が頑丈で多くの妖魔を葬った名刀で切り付けても妖怪がその刀で切りつけたのではかすり傷一つ負わせることができない。可能性があるのは、人間が名刀を用いる時のみだが、効果は定かならず)サイドは強者揃いだ。五人の強者、絡新婦・茨木童子(酒呑童子のような体・ほぼ不死身。怪力)・見殺し入道・百々目鬼・滝夜叉姫以下鬼の郎党、武闘派妖怪等、力と打算に満ちたグループであるが、こちらサイドでもリーダー酒呑童子を巡る絡新婦VS百々目鬼の血みどろの嫉妬絡みの恋の鞘当があると感じられた。(登場する総てのキャラクターに独自で深い意味を示唆している点も自分がこの脚本を高く評価する所以である。
時期尚早

時期尚早

家のカギ

スタジオ空洞(東京都)

2019/10/30 (水) ~ 2019/11/03 (日)公演終了

満足度★★★★

 じっくりパック、観客(私)酔っ払いバージョン。にゃ========~ッチ!(追記、酔いから覚めることが出来ればニャ~~~~~~~~--------------)

ネタバレBOX

 今回の公演は盛りだくさん。自分が拝見した“じっくりパック”は尺が短く、もう一つの“わいわいパック”の尺は長い。じっくりとタイトルで表現されると何となく尺も長そうな気がするではにゃいか!? 然し、しか~~~~~~~その3つ前のシなにょら。空洞に行く時、池袋から大きな通りを左折して、美容室か何かの看板に入る前に大通りに面したペットショップには、にゃこがたくさん居るにゃ。自分はにゃこさえ居てくれれば幸せにゃ人間にゃので、今夜は酔っぱらっているのりゃ! にゃこと目が合って遊んだしにゃ。座右の銘は、梁塵秘抄で最も有名なフレーズだからにゃ。エピキュリアンでアナーキストのにゃこ族・ヒト科としては、酒を飲んであそぶにょら、今作、5つの短篇を上演するにょらが、アホな人間の中にも少しは分かったのが居て、今を生きるしかにゃいのら、ということが分かっているにゃ。にゃんでも人間としては相当賢い部類に入るらしい、この人間の名前は、バートランド・ラッセルち! 余りにも当たり前のことをキチンと言ってしまったものだから、有名な知識人とや(あ)らになったらしいにゃ。そしたら、その権威を借りて、日本人たらいう三流以下のヒトが狐の狡猾を盗んでチンケな真似事をしているにょら。己という存在に自分の頭がついていることも知らぬアホが、短絡的に役立つと信じたことを抜き取って、他の地域とは切り離された“島国”の情報レベルの低さを利用して、恰もこの三等以下の「国家」組織がテッペンであるかのように装い、好い加減な情報で更なる劣等をかこつことにも気付かぬ救い難い生き物を「教化」している。にゃこにはそのように読めるヒトという生き物に対するアイロニーを見たのりゃ! 何時になったら、人間はもう少し賢くなれるのかにゃ。アホに言っても無駄か! 我々の言語さえ理解できにゃいアホだからにゃ!!
燃えつきる荒野

燃えつきる荒野

ピープルシアター

シアターX(東京都)

2019/10/30 (水) ~ 2019/11/04 (月)公演終了

満足度★★★★

 船戸与一さん原作の「満州国演義」を舞台化した3部作の最終章だ。(華4つ☆ 追記後送)

ネタバレBOX

敷島四兄弟の陰となり日向となりながらつきまとって来た間垣との因縁も遂に明らかになるが、何より傀儡国家を作り運営してゆこうとする新興勢力・大日本帝国と大航海時代以来多くの植民地を支配してきた欧州、更には米国や蹂躙された清国及びその地に暮らしてきた中国人二大勢力と日本軍との角錐、第二次世界大戦・太平洋戦争やスターリンの動き、各国政治・経済と軍略、軍資金調達の為の阿片栽培、混乱した世界情勢の中で加速した各地の独立勢力との離合集散等々。実に複雑な世界情勢の中で翻弄される人々の意や思惑が縦横無尽に絡み、大団円に流れ込むが、これだけの大作を3部構成にしたのは、矢張り少しキツイように思う。じっくり個々人の苦悩や歴史と、人間のアイロニカルで辛辣極まる悲惨を描くには、物理的時間が矢張り足りないように思うからだ。各パート(一部から三部)の尺をもっと長く取って細部を描き込むか、或いは四部作とすることが可能であったなら、更に観客の魂を震わせる作品になったのではなかろうか。この点だけがやや悔やまれる。
死に顔ピース

死に顔ピース

ワンツーワークス

ザ・ポケット(東京都)

2019/10/24 (木) ~ 2019/11/03 (日)公演終了

満足度★★★★★

 実話に基づいた作品で、今回は再々演だ。初演が2011年、再演が2016年、そして今回。(流石ワンツーワークス。追記後送)

ネタバレBOX


 クラウン・ドクターとして知られるアメリカの医師、パッチ・アダムスさんの活動に刺激を受けた日本の医師が山口県で始めた医療と、みとべ千希己さんが今作で楠美役を演じた患者さんが話題になり、全国ネットのニュースが流れたという。偶々、このニュースを見ていたみとべさんが、是非芝居にしたいと脚本をお願いしたのが古城さんで、古城さんもこのニュースを見ていて作りたいということで意見が一致、親族や医師に了解を取り、取材をして作られた作品だ。今作で用いられている被り物は、かつて実際にこの医院で用いられていた物をお借りして使っている。被り物は看護師さんたちの手作りである。
 誰もが決して避けることのできない己の死、現在では病院や施設で亡くなる方が殆どだが、病んだ体で迎える最後の時間を、その方の最も大切な方々と共に過ごさないことは、ホントに幸せなことか? 誰もが例外なくぶつかり、気懸りな深い問題をじっくり考えさせる作品である。
野外劇 吾輩は猫である

野外劇 吾輩は猫である

東京芸術劇場

東京芸術劇場 劇場前広場(東京都)

2019/10/19 (土) ~ 2019/10/29 (火)公演終了

満足度★★

 ふにゃ。

ネタバレBOX

 官主導の公演らしい。下らないことをいちいち確かめるつもりもないから“らしい”としている。何れにせよ、本質的な失敗は、手前は何なのか? を実存レベルで問い直していない点にある。だからこそ、このような演出家を選び、結果、焦点を結ばぬ演出になったということは否めないと判断する。
 原作は言わずと知れた漱石の「吾輩・・」である。2点リーダーにしたのは、無論アイロニーだ。原作を換骨奪胎したとは言い難く、換骨脱退と意味不明な結果に終わらせている。唯一評価すべきは、ちょっと好意的に観るならば漱石が最終的に至りついたと言われる“則天去私”に絡めたであろう個性が強くなりすぎて人間関係そのものが窮屈になったと呟く科白が入っていることだけだ。あとは、折角、にゃこが人間というアホな存在をおちょくっているのに、人口に膾炙した漱石の胃に関する話に終始し、追跡症については、その定かならぬ夢的事象で表現したつもりになっているかもしれないが、切れが無い。表現する者として自立する意志があるなら、何故たかだか官におもねるのか? とは思う。官等所詮その程度のものとして、殊に日本のそれはㇾべルが低すぎる。おもねた時点で終わりである。
たとえば、車が跳ね上げた水しぶきを浴びた気分

たとえば、車が跳ね上げた水しぶきを浴びた気分

ガポ

新宿眼科画廊(東京都)

2019/10/25 (金) ~ 2019/10/27 (日)公演終了

満足度★★★★★

 すっかり引き込まれてしまった。脚本の面白さ、演出、演技、小道具の使い方迄、中々見せてくれる秀作。べシミル。(追記2019.10.28)

ネタバレBOX

 鰻の寝床のような小屋だが、比較的オーソドックスな用い方だ。小屋入口側に客席、正面奥が舞台で板正面奥に袖を設ける為の白い衝立。若干のスペースを取って上手、下手に矢張り白の屏風、下手のそれは曲部を斜めに設え、壁と看做して花を描いた絵画が掛けられ、上手は衝立と小屋の側壁の間を少し空け、出捌けを通り易くしてある。白屏風はちょっとクランク型に。手前が洋室、大き目のテーブルに椅子2脚。無論役者が腰掛けた時、顔が客席と対面するように置かれており、机の下には洗濯物を入れる籠とゴミ箱。テーブル下手にフレコンバッグのような形状の大きな袋様の物が置かれている。
 物語りは別れ話を持ち出された千佳が荒れている所へ若い女・信子が現れ丁度、携帯で別れ話の最中にドアホンが鳴ったため、彼が辛辣なジョークを飛ばしたと思い込んだ千佳が「鍵は掛かっていないから入って」と言ったことから始まる。千佳はてっきり、入って来たこの女のせいで彼が別れると言い出したのだと早とちり、今度は猛烈に信子に噛みつく。だが、信子は件の男のことなど知らない、と言う。サスペンス要素も入っているのでネタバレは此処まで、終演後に詳しく内容は書くが、最初ケレンとも思えた導入部から、話は二転三転、ストーリー展開の巧みにドンドン引き込まれるし、女優2人の演技もグー、歌って踊ってなどのシーンもあって、飽きさせない。タイトルが突拍子もないものだったので、内容的に薄いかも知れない、と予想していたのだが、実にキチンとリアルを見据え、而も話の展開には条理が通り、随所で小道具も効果的に使われて自然に進行してゆくと同時に、深い科白が要所、要所に鏤められてリアリティーを増す。手応えのしっかり感じられる秀作である。
  さて、少し内容についても触れておこう。千佳が結婚を望んでいるのは、研修医を自称する男である。彼女自身は施設の出身であり、以前DVに耐えかね同棲していた男を殺し掛け2年収監されたというが2年で済んだのはDV被害が認められたからである。高校も入学はしたものの直ぐ止めて援交してもいたので男を手玉に取る術も無論心得ている。他にもヤク、風俗で働いた経験も長いし、相当の手練れではある。だが、彼女の本質は、恰も日本ではレミゼ位しか知られて居ないかも知れない仏19世紀最大の文学者(大詩人・大小説家)であったヴィクトル・ユゴーが不幸な女達を庇って歌った有名な詩「おお、落ちてゆく女を決して」に描かれたような仏ユマニスムの伝統に則り、その精神の根底に純粋で気高い魂を持つ娼婦、生き方の達人ではあるが傷つき深い傷を抱えた女として好意的に描かれているのと似た視座。
 ところで、当初謎として現れた女・信子は、彼女らの両親が自殺して果てた後、施設で一緒に暮らした妹であった。信子は、親切な夫婦に養子として貰われ豊かで社会的地位も高い両親の下で暮らしてきたのだが、小さな時、施設に入る前に飢えと渇きに苦しんで泣く自分の為に泥棒を働いて守り、決してそのような犯罪行為を妹の自分には明かさずに面倒を見てくれた姉に対し、深い感謝と愛情を抱き、それ故猶更申し訳なさが募って何としても会いたいとこの20年間思い続けて来、義父に頼んで姉の身上調査をして貰った。その結果、姉が貢いでいる男は、詐欺師であり、女・年寄り等金になれば誰でも騙しカモる屑であることが判明、実際に姉に会って姉の気持ちと真偽を確認しようと近づいたのであった。義父夫妻は姉妹共々養子にしたいと手続きを進めていたのだが、千佳は己の自由が損なわれるような気がして断り、信子の歩んだ幸せからは逸れた。結果先に話した人生を送ることになったのであるが、信子は、自分だけが幸せになったことが許せず、下司との関係を姉が傷つかずに断てるように準備万端を整え、姉の所に転がり込むことに成功すると、自らの出自を証し共同生活を始める。この過程で家族・肉親の温かさを骨身に沁みて感じた千佳の心も徐々にほどけてゆく。最終的に信子は千佳に過去の総ての清算を承諾させることに成功し、千佳がホントに世話になったパトロンとのスイス旅行から戻ってきたら、自分の主人になる人物の関わる会社への就職の内定も義父を通して纏まっていたのだが、1通の手紙が届く。千佳からのもので、航空便であった。その内容は。千佳の歩んで来た過去が必ず信子やその婚約者、義父母など関係者に迷惑を掛ける。だから自分は姿を隠す。但し20年後、今回出会えた20年を過ぎて必ず千佳から信子に連絡を取る、と約したものであった。リアルではないか?
 

「La Fierté」(ラ・フィエルテ)

「La Fierté」(ラ・フィエルテ)

スラステslatstick

ステージカフェ下北沢亭(東京都)

2019/10/24 (木) ~ 2019/10/27 (日)公演終了

満足度★★★★

 売られた喧嘩は買う。上等! って、案外痛快。(華4つ☆追記後送)

ネタバレBOX

 構造的にはベケットの「ゴドーを待ちながら」に似ているが、ファッション業界誌で世界一を目指す編集長、カメラマン、通訳兼コーディネーターVSファッショニスタの話である。業界屈指のファショニスタは今迄一度も取材記事が載せられたことはない。だが、登場するチームは、取材申し込みを受けいれられた。然しファッショニスタは気難しい。ギャラも破格なら突き付けてくる条件も極めて厳しい。業界ではこれらの要求が余りに厳しいので結果的に皆降りてしまったのだとの噂がずっと流れて来たし、今もって流れている。
 
ひとり語り芝居『よだかの星』

ひとり語り芝居『よだかの星』

お茶祭り企画

あさくさ劇亭(東京都)

2019/10/25 (金) ~ 2019/10/27 (日)公演終了

満足度★★★★★

 タイトルの「」外に他、とあるが、よだかの星ほど知られてはいないが、実に興味深い作品が演じられる。これは観てのお楽しみだ。劇亭は小さなスペースだし、良くあるように地下に設えられている訳でもない。路面かそのまま出入りできる最も小さな演劇空間に属すスペースである。だが、ここには、賢治の世界が在った。(華5つ☆)

ネタバレBOX

 受付やスタッフの対応、何より演者2人の内、朗読劇ではなく、敢えて“ひとり語り芝居”、という余り馴染の無いコンセプトで作品作りをなさっている川島 むーさんという名の女優さんが賢治について実に良く調べ、賢治の本質を掴んだ上で、というよりこのユニークなアプローチのしかたによって賢治の抱えていた最も本質的で重大な問題を見事に浮き上がらせてくれた。タッグを組んでいる作曲・演奏家の本多千紘さんの腕も素晴らしくピアノばかりでなく様々な効果音を小さな楽器で創り出すのだが、賢治の世界を見事に立体化しているむーさんのイマージュにぴったり呼応して、的確でもう一つ次元の異なる世界を積み上げてくれる。お二人のコラボレーションも素晴らしい。
浅草福の屋大衆劇場と奇妙な住人達1982 改訂版

浅草福の屋大衆劇場と奇妙な住人達1982 改訂版

東京アンテナコンテナ

六行会ホール(東京都)

2019/10/23 (水) ~ 2019/10/27 (日)公演終了

満足度★★★★★

 下平さんの筆の冴えを見せつけられる思いのする公演だ、東京アンテナコンテナは無論、喜劇を上演する劇団だが、そのベースに人情噺を上手に埋め込むと、こんなにも深い、情趣に満ちた作品になるのか!? と感心することしきりであった。無論、役者陣の演技、演出、イジリーさんのアドリブ、下平さんとの掛け合い、筋運びの妙等々、見所満載だ。(追記後送)

ゼロイチ

ゼロイチ

劇団龍門

シアターシャイン(東京都)

2019/10/23 (水) ~ 2019/10/27 (日)公演終了

満足度★★★★★

 タイトルから分かるようにコンピュータの絡む話でディストピアSFの体裁を採っているが、設定がしっかりしていることと、現実が今作に描かれていることと軌を一にしているという現実認識が自分にはあって、頗るリアルな物語との印象を持ちながら拝見した。(華5つ☆)ベシ観る! 初日なので更なる詳細は、追記後送

ネタバレBOX


 オープニングの演出も見事である。その描かれる内容物の差異の象徴性による表現と内的対比、美しさ、物語りコンセプトとの一致等々。あっという間に劇的世界に引き込まれる。(アンドロイドの形態模写も見事である)
 板上は、下手に天辺が踊り場になり踊り場への登り階段は左肩上がり8段の階段が客席側に取り付けられ階段下手は黒布で覆われた出捌け、踊り場下は開き戸のついた出捌け、上手にも矩形のかなり大きな構造物があり、この奥が出捌けになっている。中央はフラット。この小屋の構造を知っている方にはセンターの仕掛けは分かろう。
 さて、物語は近未来、話の中核を占めるのは、廃棄アンドロイド修理とリサイクルをしている町工場だから、階段の材にもリベットが打たれているのが見える。本来のAI(自らアルゴリズムを組み自走する)は、当然の「ことながらその進化の過程で人間などという愚かな生き物の能力を遥かに超えてしまっている。だが、心迄持ったか否かは当初明らかではない。然し人間の飽くなき欲望は母星・地球を滅ぼす瀬戸際迄追い詰めてしまった。何らかの意志が働き、地球誕生以来原初生命体の根源が生じて以来の歴史はリセットされようとしている。無論、原因は人間の愚かさだ。

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