うさぎライターの観てきた!クチコミ一覧

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波よせて、果てなき僕らの宝島(ネバーランド)

波よせて、果てなき僕らの宝島(ネバーランド)

天幕旅団

ザ・ポケット(東京都)

2013/07/17 (水) ~ 2013/07/21 (日)公演終了

満足度★★★★★

なんというオープニングだろう
開演直後から、想像力を刺激する絵に泣きたいような気持になった。
繊細な波の音、風をはらんで膨らむ白い帆、美しい動き。
ピーターパンが殺されて、フック船長は呪われる。
「笑劇ヤマト魂」時代の作品の再演だというこの作品、
ダブル本歌取りは、元歌を大きく外れて行く意外性と楽しさ満載の舞台だった。

ネタバレBOX

劇場に入ると、舞台の向こう側にも客席が設けられており
二手に分かれた客席から見下す舞台にはブルーシートがかけられていた。

やがて始まる息をのむようなオープニングは、私にはまったく想定外だった。
強い磁力で観る者を一気に海へ引きずり込むような展開が
舞台表現にはまだまだ無限に方法があることを教えてくれる。

オウム役の渡辺実希さん、私はこれまで「静」の役を観ていたのだが
今回「動」の役が水を得た魚の如くとても楽しそうで、生き生きしている。
美しくて、調子の良い”悪い奴”がとても魅力的。

作・演出の渡辺望さん、豊かな創作アイデアにはいつも感服するが
役者としても、ジョン・シルバーの表裏あるキャラクターが素晴らしい。
この人はクセのある人物造形が実に上手くて、人間の二面性が鮮やか。

バンダナをパッチワークのようにつないだキュートなボレロ、
あるいは結んで繋いでデッキブラシや手すりを表現したりと
衣装や小物の使い方にセンスが感じられる。

天幕旅団の特徴である流れるようなスローモーションの動きは今回も健在で
よく訓練した客演陣もこればかりは劇団員に及ばないところがある。
スローモーションと活劇のメリハリある組み合わせで
時間の流れを表現したり、“見せる”場面転換が秀逸。
いつもながら出ハケの複雑さをそうと見せないエレガントな動作も素敵。

天幕旅団の豊かな発想と“生来の品の良さ”が
残酷なファンタジーを極上のエンタメにするところが楽しい。
元歌の底に隠れた人間の本心を掘り出すような作風が好き。
ティンカ―ベルもピーターパンも殺されちゃうんだよ!
ピーターパンは”楽しいことを考えないと空を飛べない”んだって!

あー、つまり私は天幕旅団が大好きなんだと思う。
だから何を見ても楽しくて仕方がないんだ。
こんな風にどこもやらない舞台表現を見せてくれる劇団に心から敬意を表したい。

次は12月に「天幕版 ピノキオ(仮)」だって。
加藤さんがピノキオかなあ。
もうどうしようもなくこの炎天の下、12月を想う私なのである。
中野坂上の変

中野坂上の変

小西耕一 ひとり芝居

RAFT(東京都)

2012/09/27 (木) ~ 2012/10/02 (火)公演終了

満足度★★★★★

バラエティに富んだひとり芝居
私はまだ小西さんの舞台を2本しか観たことがないが、いずれも強烈な印象を受けた。
70分とコンパクトな中で変化に富んだ5つのストーリーが展開するのが楽しい。
4人の作家が脚本を提供するだけのセンスと実力、それを受け容れる素直さが感じられる充実の舞台だった。

ネタバレBOX

初めて中野のRAFTへ行った。
段差のある客席もゆったりしていて椅子も座り心地がいい。
座席に置いてある当日パンフの中に劇場内での注意事項がもう書いてある。
たぶんすっきりと始まるに違いない。

1.「五十嵐教授の講義~僕こそ君の地球防衛軍~」 作・根元宗子(月刊「根元宗子」)
五十嵐教授は大学で「恋愛心理学」の講義をしている。
これまで何人もの女性に振られ、それから「恋愛心理学」を極めたと言う教授は、
「男としての道」を説き、それを実践していたのだが・・・。

いきなり教授の講義が始まって、その口調に少しびっくり。
こういう話し方をする小西さんを初めて観た。

2.「欲望」作・ハセガワアユム(MU)
カメラマンの男がモデルに話しかけながらシャッターを押している。
「そうそう、いいよ~。ほんとに可愛いねぇ」といかにもカメラマンらしい乗せ方。
そのうちにモデルのある発言にひどく動揺する。
彼の口から出た言葉は「10歳」「手を縛って」・・・。

怪しいでしょ、このカメラマン、アイスキャンデーとか。
でもこの“火サス”の犯人みたいなカメラマンが妙にはまってるから面白い。

3.「マジでインする5秒前」作・櫻井智也(MCR)
「よっちゃん」は始めて彼の古いアパートに来てシャワーを浴びている。
彼はそのよっちゃんに向かって話しかける。
ずっと友達で来たのに、なぜかここへ来て男女の関係になったらしい二人の
あからさまな会話が声高に続く。

個人的に一番面白かった作品。
台詞に勢いがあって、演じる人の腹の底からずるずるといろんなものが
引きずり出されてくる感じ。
若い男女には若いなりの見栄や不安や寂しさがあって、
そのコントロールにこんなに苦労するのか。
古いアパートのシャワーの水圧がこんなにもシチュエーションに彩りを添えるとは(笑)
優男の小西さんが、普通の“男っぽさ”全開なのがとても面白かった。

4.「僕の話」作・舘そらみ(ガレキの太鼓)
落語家のように座布団に正座して29歳の役者が語り始める。
夕べ人を初めて人を殺したのに平気な顔で「恋人同士の芝居」なんか出来ない・・・。

どこまで事実でどこからが創作なのか一瞬分からなくなるような、
境界線上を歩いている感じがしたのは、緊張感が伝わってくるから。
自分はいつ、どこから演じ始めるのか、24時間演じているのか、
役者さんなら誰もが持っている葛藤なのかもしれない。

5.「脚」作・小西耕一 特別出演 山田奈々子(日替わり)
モデルの女性が画家のアトリエにやって来たが、彼は脚しか見ないし脚しか描かない。
調べてみると“脚ばかり描く”有名な画家で、再びモデルの依頼が・・・。

二人芝居のこの日の相手役は山田奈々子さん。
つい先日MCRの舞台で男どもを罵っていた奈々子さん、今回は画家のモデル役。
「描く」という行為を挟んで向き合う画家とモデルは
次第に発言がストレートになり、結果的に自分自身をさらけ出していく。
そのプロセスと正直な自分を出しきった満足感みたいな表情が面白い。
脚かストッキングか、確かにそれは問題だ(笑)

暗転を挟んですっきりと進行する5つのストーリー。
役者が作品に出会うことの大切さを強く感じた。
日頃の舞台で与えられた役を演じることはもちろんだが、
「こういう役をどう演じてくれるかな」という興味や
「こういう役を演じさせて欲しい」という要求を
ひとり芝居というスタイルは実現してくれる。
役者さんにとっては大変なことだろうが、
変化と進化を同時にプッシュする強力な推進力かもしれないと思った。


ゴベリンドンの沼  終了しました!総動員1359人!! どうもありがとうございます!

ゴベリンドンの沼  終了しました!総動員1359人!! どうもありがとうございます!

おぼんろ

ゴベリンドン特設劇場(東京都)

2012/09/11 (火) ~ 2012/10/07 (日)公演終了

満足度★★★★★

立ち上がるキャラクター
主宰の末原拓馬がきれいな顔で情熱的に語るから
その青いパッションに惹かれて人が集まるような印象があったが、
それは大きな誤解だった。
5人の役者の一人ひとりが創り込む登場人物が何と魅力的なことだろう。
廃工場のシャッターの内側は、痛みを伴う大人のファンタジーの世界だった。

ネタバレBOX

廃工場の中が丸ごと物語りの世界になっている。
廃材を利用したという飾り付けも、役者の衣装も、
観る者を架空のその国へと惹き込む。
悲劇に悲劇が重なるようなストーリーの根幹にあるのは
人間の尽きることのない欲望と孤独を怖れる気持ち、
そして大切な誰かを守ろうとする、身勝手なほどの愛情だろうか。

役者がそこにいるだけで、一人ひとりのキャラクターが立上がって来る。
ゴベリンドンを演じた高橋倫平さん、高い身体能力を生かした
縦横無尽の動きが魔物の孤独と哀しみを一層引き立てている。
“死ねない運命”にもがき苦しむゴベリンドンの慟哭が
びんびん伝わって来て素晴らしい。

死体洗いの老婆ザビイを演じたさひがしジュンペイさん、
欲の塊のようなこの老婆は、金品も欲しいが
実は人々から一目置かれたくて仕方がないという
孤独の裏返しのような欲求にまみれている。
その観るもの誰にでもある俗っぽい気持ちを
見透かすような台詞に魅せられる。

二人の叔母メグミを演じたわかばやしめぐみさん、
この人のちょっとハスキーなアルトの声は本当に魅力的。
“沼の声”として歌う所もミステリアスな感じが素敵だし、
ちっちゃな顔で、紅一点の華やかさと母親の温かさを両方表現できる人だ。

兄のトシモリ演じた藤井としもりさん、
この人の表情や瞳は何か哲学的なものを感じさせる。
魔物を恨みながらも、その魔物と契約してしまった自分を
激しく責める気持ちがどこかあきらめに似た表情ににじんでいて
凄惨な行為に走る心理に説得力を与えている。

作・演出で弟タクマを演じ末原拓馬さん、
まずこの世界観を一から作り上げたことがすごいと思う。
ゴベリンドンの森、沼、伝説と俗世がクロスするエピソード、
これらを目に見えるかたちにしたのがあの廃工場だ。
純なタクマがどれほど悲しかったか計りしれないが、
それでも大好きな兄を一人にはしないというラスト、
小さな希望の芽を残したところに救いがあって温かい気持ちになった。
幼さの残るタクマが少しずつ大人になっていくところがとても良かった。

気温が下がったことに加えて扇風機もあり、劇場は大変快適だった。
ビールケースの椅子にぷちぷちの座布団がこれまたとても良かった。
360度スムースに向きを変えて観ることができる。
都心のヘンな客席の劇場に持ち込みたいくらいだ。

末原拓馬さんの前説に情熱は感じるが、
始まりは一気に物語りに入った方が効果的かもしれないと思った。
この廃工場へ足を踏み入れた瞬間、
私たちは物語りの世界に引きずり込まれる。
この劇場にはそれだけの力があるし、
観客の想像力をもう少し信じても良いと思う。
もちろん終演後にいろんな話が聞けるのはとても楽しい。
5人の努力の賜物である特設劇場、
こういう空間でいつでもロングランできたら本当にいいね!
秘を以て成立とす

秘を以て成立とす

KAKUTA

シアタートラム(東京都)

2013/03/01 (金) ~ 2013/03/10 (日)公演終了

満足度★★★★★

「涙を以て…」
ドラマチックな設定で描かれる「秘すべきこと」をめぐる人々の優しさ。
でもそれは辛くて哀しい優しさだ。
役者陣の充実と緩急の効いた演出、説得力ある台詞が素晴らしい。
最後は「涙を以て成立とす」であった。

ネタバレBOX

舞台いっぱいに二つの部屋が作られている。
下手は守田クリニックの待合室、上手は守田家の二階建住居スペースと庭。
院長の晋太郎(吉見一豊)、妻の津弥子(藤本喜久子)、看護師の孝枝(原扶貴子)の他
同居する晋太郎の弟庸一(佐賀野雅和)のほかさらに奇妙な男たちが存在している。
足の悪い凶暴な大工ハリオ(清水宏)と、テキパキ仕事をこなす医師赤城(成清正紀)だ。
時々小学生の少女(ヨウラマキ)が庭先に現われて晋太郎と会話したりもする。

これは私の好きな精神疾患もの、それも「多重人格」を扱った作品である。
“小学生の時に事故で姉を死なせた、助けられなかった”ことで自分を許せない晋太郎。
一時現われなくなった人格は、妻とのすれ違いをきっかけに再び現われるようになる。

この「多重人格」が医学的に正確かどうかとか、ドラマチック過ぎる病気だとか、
ツッコミどころはあるだろうが、そういうことがどうでもよくなってしまうのは
深く病んでいる晋太郎とそれを見守る人々の心情が超リアルに描かれているからだ。
終盤「お姉ちゃん、ごめんなさい!」と泣きじゃくりながら叫ぶ晋太郎、
「こんな病気の自分はもう駄目だから離婚してくれ」と妻に泣きながら訴える晋太郎の、
客席まで満たすものすごい緊張感。
自分を否定しながら生きて来た苦悩が伝わって来て涙が止まらなかった。
誰も助けてくれないから別の人格を作り出すしかなかった、
そうしなければ生きることができなかったというのは何と孤独な人生だろう。

この舞台のもうひとつのテーマは、
「怖くて聞けないことこそ、聞かなければならないこと」だと思う。
晋太郎がどこまで多重人格を自覚しているかを確かめることができない津弥子も、
お腹の子の父親に妊娠を告げられない有名ブロガー(高山奈央子)も
みな何かを怖れて聞くことができずにいる。
まさに「秘を以て成立」するあやうい人間関係を、壊れ物のように扱っている。

ラスト、晋太郎はトラウマから脱却しようとするかのように
「やっぱり走ろうかな」と言ってマラソン大会に戻る。
姉が死んだあの日もマラソン大会だったのだ。
津弥子に「一緒にそこまで走らないか」と声をかけ、二人は走り出す。

多重人格それぞれをはじめ、隙の無い役者陣が明確なキャラを活き活きと演じていて素晴らしい。
銀子役の桑原裕子さん、ちょっと頭の足りない銀子を演じて大いに笑わせたが
素直な台詞に力があって説得力抜群。
超シリアスな話なのに、ところどころで抜けた笑いを誘う、この緩急が本当に効いていると思う。

晋太郎の過去と現在を照明によって切り替える演出、
それぞれの人格が暴れたり活躍したりした同じ場面を
今度は晋太郎一人が演じて事実を再現する演出などが上手いと思った。

「秘を以て成立」とする関係は危ういし苦しい。
晋太郎も津弥子も「開を以て成立」させることで一歩踏み出した。
相変わらず人格は現われるが、二人には彼らと共存していく覚悟ができたように見えた。
エクソシストたち

エクソシストたち

渡辺源四郎商店

こまばアゴラ劇場(東京都)

2011/12/02 (金) ~ 2011/12/04 (日)公演終了

満足度★★★★★

まるで井上ひさし作品のよう
丸いちゃぶ台だけのセットなのに、照明で鮮やかに場面が切り替わる。
3.11をあんな風にとらえた作品を私は他に知らない。
どこのクラスにもいる老け顔の小学生。
あとで大学生と知って驚愕した。
突っ立っているだけで、複雑な家庭に翻弄される11歳になっている。
イタコに呼びだされて戻ってきた元夫の台詞の「間」の素晴らしさ。
このテーマ、この構成を選んだ畑澤氏に脱帽。
しかも怪しいエクソシスト達の可笑しさと言ったら・・・。
シリアスなテーマにユーモアを混ぜ込んでくるくるねじって見せる、
畑澤さん、これはまるで井上ひさし作品のようです。

六男坊の嫁

六男坊の嫁

ふくふくや

「劇」小劇場(東京都)

2012/05/09 (水) ~ 2012/05/20 (日)公演終了

満足度★★★★★

心のおひねり
大衆演劇の匂いがぷんぷんして、カッコよくて、涙と笑いが交互にくる。
芝居小屋の、客の首根っこをつかんでブンブン振りまわしてくれる、あの感じ。
お客が上品だから黙って観てたけど、あたしゃほんとは声かけたかった。 

ネタバレBOX

なんで長男が跡目を継がないのか。
末っ子が連れて来た怪し過ぎる婚約者の正体は?
身内しか知らないはずの情報が漏れたのは何故だ?
次々に起こる事件と一家の歴史が交差して広い和室を狭くする。

一竜組の6人の子どもたちが個性豊かで素晴らしい。
稼業を嫌う気持ち、誇らしく思う気持ち、母を守れなかった自分を責める気持ち、
そして誰かを守るためにみんな暑苦しく生きている。

末っ子が連れて来た婚約者と言うのがまた目を見張る上玉だ(笑)
“暑苦しい”キャラが“暑苦しい”台詞で押しまくる。
この辺りの徹底したエンタメ精神があるから、
中盤から少しずつ語り出す子どもたちそれぞれの本心がすごく効いて来る。
四男薫(塚原大助)がしみじみと兄を思うところでほんと泣けてしまった。

何と言っても生業としてのヤクザのたたずまいが素晴らしい。
長ドスを振りまわす場面こそ出てこないが、着流しの美しさといい
帯の位置(マニアック?)といい、東映に負けていない。
複雑な立場の釧道を演じる浜谷康幸さんが超かっこよい。
台詞回し、身のこなし、眼光、そしてラストの仁義の場面まで一部の隙もなくヤクザだ。

ふくふくやの全ての作品を書き、座長である山野海さんの
心意気みたいなものがビシバシ伝わって来て爽快感がある。
あの仁義、こんなに強い「女が切る仁義を」私は初めて観たと思う。
あふれるような思いが紅絹の色に映えて、マジで泣けてしまった。
暑苦しくて、笑って泣いて爽快感・・・これはもう「サウナ」じゃないか。

今時ヤクザだし、暑苦しいし、好みもあるだろう。
でもふくふくやは芝居の原点を感じさせる。
おしゃれで賢くてスマートな表現の対極にあって
私たちの腹の底に手を突っ込むような強さを持っている。

あの高笑いが耳について離れない。
「これぞ熱い舞台」をほんとにありがとう。
ふくふくやの皆さん、私の心のおひねり、受け取っておくんなせえやし!
火宅の後

火宅の後

猫の会

「劇」小劇場(東京都)

2014/10/22 (水) ~ 2014/10/26 (日)公演終了

満足度★★★★★

無頼でなければ面白くない
作家檀一雄をモデルにした“昭和無頼派評伝劇”とのことだが、まさにそれだった。
自分を切り売りするような作品しか書けない作家の苦しみ、
彼を取り巻く編集者や家族の思いと葛藤が鮮やかに描き出される。
時空を超えたかのような謎の男を狂言回しのようにも使った演出も面白い。
斜めに傾いた丸い居間、そこに敷き詰められた白い砂の感触が
観ている私の足裏にさらさらと伝わってくる不思議。
作家役、謎の狂言回し役、太宰治役の3人が強烈な印象を残す。
作品も人生も、“無頼でなければ面白くない”と思わせる説得力が素晴らしい。

ネタバレBOX

舞台中央に作られた居間は円形、手前に向かって傾斜しているのは目の錯覚?
と思ってよく見るとやはり傾斜している。
開演後まもなく、絨毯のように見えた床が
実はさらさらとした砂のようなものらしいことが判る。
歩くと足跡がつき、縁側に見立てた淵から立ち上がればそこから砂がこぼれる。
この不思議な空間で、女と別れて戻ってきた作家、その妻、息子、作家志望の書生、
編集者たちが、ある時は攻防を繰り広げ、ある時は理解し受け入れ合う。

作家の死後、編集者が残された妻に思い出話を聞きに通っている、という設定で始まり
過去に遡って当時を再現、再び現在に戻って冒頭と同じ会話を交わして終わる。
同じ台詞が、最初と最後ではまるで違ったニュアンスに聞こえる…。
“遠くて近い妻”が見てきた作家が浮かび上がる、この構成が効いている。

無頼派の作家篠井五郎を演じる高田裕司さんが素晴らしい。
悪びれもせず放蕩を繰り返しながら平然とまた帰ってくる男、息子には良き父親で、
時には料理をふるまって編集者をも魅了し、人の才能をいち早く見出してはそれを怖れ、
自分の人生を切り売りしながら血の出るような作品を書く男。
すっきりとした立ち振る舞いや豪放磊落な物言いが、
無頼派らしく枯れない中年を感じさせる。
お行儀よく、他人の思惑と空気を読むことに汲々としている
昨今の草食系とは対照的で、非常に魅力的である。

まるで不審者のように登場して、作家や編集者の深層心理を暴き波風を立てる、
謎の“ファン”積木を演じる贈人(ギフト)さんの存在が大変面白い。
「あなたは将来命と引き換えにこの小説を書き上げて
読売文学賞を取るんです!」なんて言い切ったりする。
戯曲を書いた北村耕司さんの分身であろうこの男は、作家の一番の理解者であり
彼の作品を評価する後世の代表者である。
少々強引でシュールなこの展開がリアルな説得力を持つのは、
演じる贈人さんの台詞の素晴らしさだろう。
編集者としての在り方や、作家自身が気づかないスランプの理由を
ズバリ指摘する場面、あの熱のこもった台詞は、
北村さんの檀一雄とその作品に真摯に寄り添った末の声だ。
贈人さんは身のこなしも軽やかにその声を見事に体現している。

作家に自分の作品を見せるため津軽から出てきた青年(後の太宰)
を演じる牧野達哉さん、
登場してすぐ、観客も共演者も聞き取れないような声でしゃべるところが可笑しかった。
女中の久美子(徳元直子)が津軽弁で叱咤するのも可笑しくて、
とても巧いシーンだと思う。
この聞き取れないような声でしゃべる青年が後年自死した後、
作家の元を訪れて語る場面が秀逸。
この時は、出てきた時から“太宰治”以外の何者でもない風貌にまず驚き、
打って変わってクールで明快な語り口に驚いた。
才能を見出した篠井五郎自身が、最も怖れ嫉妬した作家だけあって、
短いシーンながら観る者の心を一発でわしづかみにする。

編集者原役の保倉大朔さんはじめ、周囲を固める役者陣の充実が素晴らしく
作家の我儘に振り回され、私生活を詮索されることに激しく反発しながらも、
その作品によって生活している人々の忸怩たる思いがじわりと伝わってくる。
こんな風にアプローチされた檀一雄という作家の幸せを思わせる舞台だった。
猫の会、次の作品が待ち遠しい。




テラヤマ☆歌舞伎『無頼漢 -ならずもの-』

テラヤマ☆歌舞伎『無頼漢 -ならずもの-』

流山児★事務所

みらい座いけぶくろ(豊島公会堂)(東京都)

2013/11/21 (木) ~ 2013/12/01 (日)公演終了

満足度★★★★★

水野忠邦 VS 河内山宗俊
社会派の中津留章仁さんが寺山修司の原作をどんな歌舞伎に書くのか期待していたが
“体制批判と庶民のうっぷん晴らし”という歌舞伎本来の表現に
時代を反映させて、見事な「平成の歌舞伎」になっていた。
改めて寺山修司という人の作品の力を感じる。
社会の底辺で生きる者に権力者の理想など机上の空論、
お江戸が炎上すれば政権交代、というのは江戸時代か、平成の世か?!

ネタバレBOX

江戸後期、老中水野忠邦の過激な改革のせいで庶民の暮らしは窮屈になる一方だ。
歌舞伎は取り締まられ、花火も禁止、女どもは商売が出来なくなった。
遊び人の直次郎(五島三四郎)は、世の中を変える芝居がしたいと役者を志願する男。
美しい花魁の三千歳(田川可奈美)と恋に落ち、
悪徳商人森田屋に身受けされそうな三千歳を守ろうとする。
三千歳は生き別れた母を探しており、人斬りになった兄を憂いていた。

一方、権力者水野(塩野谷正幸)の近くにいながら、
体制に批判的で“不良”オヤジの茶坊主河内山宗俊(山本亨)は
松江出雲守の妾にされそうな上州屋の一人娘を五百両で取り戻す事を請け合う。

お上に抗う歌舞伎者たちは河内山と共に出雲守の屋敷へ乗り込み、
上州屋の娘と、やはり餌食にされようとしている三千歳を救うため死闘を繰り広げる。
そしてついに江戸の町に火が放たれ、禁じられていた五尺玉の花火が上がる。
河内山は二人を救い出せるのか、三千歳の母親は、直次郎の恋の行方は…?

久しぶりに“暮れの12時間時代劇”を観たような気分。
時代劇の楽しさ満載でわくわくした。
強請集り(ゆすりたかり)で名を馳せた河内山宗俊の台詞もケレン味たっぷりで心地よく
悪い奴ながら庶民の味方をする男は山本亨さんにぴったり。
対する水野忠邦の端正なたたずまいは正統派時代劇風だ。
塩野谷さんの権力の頂点に君臨する侍ぶりが素晴らしい。
普通に脚立を担いで出てきた時は「電球でも取り換えるのか」と思ったが
するする登ると仁王立ちで演説、侍の所作も美しく、鍛えられた動きにほれぼれした。

直次郎役の五島三四郎さん、直情型の遊び人を粋な江戸っ子らしく演じとても良かった。
谷宗和さん、水野の不正を暴こうと一座に紛れて機会を狙う元武士の役で
「花札伝綺」に続いて拝見したが、とても“無頼”の似合う役者さんだと思う。

現代の問題を論理的に追及しつつエンタメに展開するというのが
中津留さんのスタイルだと思うが今回は逆だ。
エンタメの中に社会問題を巧みに織り込んだ感じ。
芝居がかった河内山の台詞など
歌舞伎ベースでありながら台詞が柔軟で随所に現代的な笑いもあった。

上妻宏光さんの三味線がもっと冴えるかと思ったが、歌声に埋もれてしまった感じ。
公演中1度でもライブで演奏したら、すごい音だろうと思うとちょっと残念。
衣装がチャチくなかったのも○。

時代劇ファンとしては、リアルでない歌舞伎っぽいチャンバラも
様式やお約束も、猥雑さも楽しかった。
それに何と言ってもあのエネルギー、体制に反発し束縛を憎む精神が息づいている。
オープニングを野外で行うという、いわば「河原でやっていた頃の芝居」の
再現を宣言するような始まり方も、原点へのオマージュを感じさせる。

あー、やっぱり悪漢が魅力的だと面白い。
この底辺の人間の怒りとパワー、最近調子こいてる
どこぞの腹イタぼんぼん宰相に見せつけてやりたいと思ったぜ。
その頬、熱線に焼かれ

その頬、熱線に焼かれ

On7

こまばアゴラ劇場(東京都)

2015/09/10 (木) ~ 2015/09/20 (日)公演終了

満足度★★★★★

ヒロシマの25人
原爆乙女と呼ばれた女性たちがケロイドの治療の為に渡米したことは聞いていたが
選ばれた25人の、その選択がどれほど苦悩に満ちたものであったか、
改めて等身大の女性たちの声として聴く思いがした。
戦後70年に相応しく、また女優7人のユニットに相応しい脚本が
声高でないだけに、じわりと沁みこんで素晴らしい。
隙のない演技の応酬が見応え満点、会話劇の醍醐味を味わった。

ネタバレBOX

対面式の客席に挟まれた舞台は極めてシンプル、ボックス型の椅子が4つのみ。
冒頭、アメリカに到着したばかりの原爆乙女を代表して敏子(尾身美詞)が挨拶をする。
長い髪でケロイドを隠すように俯きがちに話したあと、まるで義務のようにケロイドを晒す。
大きな音でフラッシュがたかれ、その音に思わずたじろぐ。
25人の原爆乙女たちは順番に手術をうけるのだが、
ある日、簡単な手術といわれていた智子(安藤瞳)が、麻酔から覚めないまま死亡する。
善意で無報酬の手術を引き受けてきたドクター側にも、原爆乙女たちにも衝撃が走る。
これで手術が中止になるのは嫌だという者、手術が怖くて受けたくないという者、
双方の意見が対立する中、死んだ智子と交わした会話を思い出しながら
初めてそれぞれの思いを吐露していく…。

麻酔から覚めずに死んでしまった智子が狂言回しの役割を果たす構成が秀逸。
他者を受け入れる優しさと包容力を持った彼女は、生前ほかのメンバー達と
深いところで触れ合う会話を交わしていた。
そんな彼女との会話を思い出しながら、皆否応なく自分をさらけ出していく。
同じようにケロイドがありながら審査に落ちた仲間たち、
傷の程度を比較しては幸せを計り、妬んだり羨んだりする被爆者の社会、
日本ではマスクして歩いていたがアメリカでは顔を出して歩けるという開放感、
ピカによって損なわれた人生、容貌、可能性を、ただ想像するだけの生き方でなく
アメリカで手術を受けることで変えようとする強い意志…。
舞台はそれらを反戦や正義感から声高に訴えるのではなく、
等身大の女性に語らせることで一層切なく理不尽さを突き付ける。

「死に顔をきれいにしたい」という弘子(渋谷はるか)の言動が良きスパイスになっている。
前向きに仲間同士励まし合って…という流れに逆らい、ひとり突っかかっていく弘子の
緊張感のあるキャラの構築が素晴らしい。

北風と太陽のように、じわじわと頑な弘子の懐に入っていく
智子の強い優しさが印象に残る。
安藤瞳さんの淡々と語りながら包み込むようなまなざしが、
この作品全体を俯瞰している。

片腕を失って尚、いつも周囲を励ます信江(小暮智美)が
たった一人の身内である祖母の話をした時は涙が止まらなかった。

ラスト、帰国した敏子は、髪を一つにまとめてまだケロイドが残る頬をすっきりと出し
力強く感謝の意と希望を述べて挨拶をする。
死んだ智子が微笑みながらそれを見ている。
この終わり方が一筋の救いとなって、観ている私たちも少しほっとする。

私はこんなに傷ついた身体になっても“生きていることに感謝”できるだろうか。
木っ端みじんになった人生を立て直す気になれるだろうか。
ヒロシマ・ガールズたちの強さは、そのまま哀しみの目盛りに重なる。
昨今は学校における原爆教育そのものが敬遠されがちになっているとも聞くが、
平和ボケ甚だしい日本にあって、このような意義のある作品に感謝したいと思う。
パール食堂のマリア

パール食堂のマリア

青☆組

吉祥寺シアター(東京都)

2016/11/01 (火) ~ 2016/11/07 (月)公演終了

満足度★★★★★

孤独だがひとりぽっちではない
会場に足を踏み入れた途端目に入る美しい町。
階段による高さと奥行きのおかげで、群像劇に相応しいスペースが
いくつも用意されている。
皆死んだ者たちを想いながら生きている。
その苦悩と切なさが、他者への優しさにつながっていく。
緊張感と癒しの相乗作用で、どうしようもなく涙があふれた。


ネタバレBOX

昭和47年の横浜を舞台に、戦後28年経ってもその傷跡を引きずりながら
ささやかに生きる人々を描く群像劇。
野良猫の“ナナシ”(大西玲子)が時折狂言回し的役割を演じる。

パール食堂を切り盛りする父と長女、教師の次女、店で働く若いコック。
その向かいにはゲイの店主が営むバーがある。
教師の次女のクラスには、彼女を慕う少年、その母は美容院の経営が苦しくて
パール食堂のツケがたまっている。
食堂に出入りするストリップ小屋の経営者は、浮気を繰り返しては
看板踊り子をブチ切れさせている。
そして夕暮れに現れる、街娼でありながら「女王陛下」とも呼ばれる不思議な女。
丘の上にはたくさんの白い十字架があって、アメリカ兵とのあいのこが眠っている…。

誰もがうまくいかない人生を、それでも精一杯生きて、同時に誰かを守ろうとしている。
オカマバーの店主クレモンティーヌ(塚越健一)が、
死んだ野良猫の名前をいくつも挙げるが
ひょっとしてあれは丘に眠るあいのこの名前ではなかったか。
たぶん名前も与えられずに葬られただろうからそんなはずはないのに、
彼の名前を呼ぶ声には、喪った者への痛切な思いがこもっていた。
クレモンティーヌの示唆に富んだ言葉は少年を成長させ、観る者を癒す。

渋谷はるかさんが、街娼のほかいくつかの母親役を演じている。
どの母親も、子どもを守ろうとして守り切れなかった悲哀に満ちている。
街を彷徨う街娼は、全ての母親の悔いを引きずりながら、しずしずと歩く。

若いコックが、年上の長女と一緒にこの店を継ぎたいと決意を告げるところ、
クレモンティーヌが、故郷の母親と一緒に作ったみかんを送ってくるところ、
そして病癒えた看板踊り子が、新入りの少女と一緒に
これからは中華そば屋でもやろうかと言うところ、
それぞれのここに至るまでを知れば、よかったなあと思うと同時に
涙があふれてどうしようもない。
みんな孤独を抱えているが、誰もがひとりぽっちでなくて良かったと
心からほっとした。
その中で、街娼だけが気掛かりでならないけれど…。

どの町にも、どの家にも、きっとマリアはいる。
涙を拭いて笑顔を見せて、誰かのためにご飯を作り、お茶を淹れて、
送り出し迎え入れる。
「枯れた芙蓉の花もいつかまた花を咲かせる」ように、くり返しくり返し…。

劇団化して最初の作品だそうだが、その後の青☆組の基礎となるものが
全て注ぎ込まれたような作品だと思った。
登場人物の健気さや強さ、儚さとしたたかさ等人間の普遍的な営みが丁寧に描かれ
同時にひっそりと消えて行ったものへの哀惜の念がにじむ。
この湿度のある空気は、青☆組ならではの心地よさであり、私が好きな理由だ。
劇団化5周年に再演してくださったことに感謝したい。





ピカレスク・ホテル

ピカレスク・ホテル

ジェイ.クリップ

赤坂RED/THEATER(東京都)

2011/12/13 (火) ~ 2011/12/18 (日)公演終了

満足度★★★★★

設定の妙が可笑しくて切ない
20年以上前のシリーズが復活したのだと言うが、シンプルなホテルの一室を舞台に男女の会話劇というのが何だか新鮮。90分の2本立てというのもコンパクトで丁度良い。1本目は「高校教師がデリヘルを頼んだら元教え子がやってきた」というストーリー。ラッパ屋のおかやまはじめさん、厳格な教師が別の面を素直にさらけ出すのが可笑しい。ハイバイに出ていた内田慈さんが、ここでは素朴そうに見えたマッサージ嬢が次第に主導権を握っていく過程を力まずに見せて素晴らしい。
2本目は「12年も付き合っていて結婚に踏み切れない女と男」の会話。長い付き合いの男女それぞれのこだわりどころとかみ合わない価値観が浮き彫りになってくる。
江口のりこさんのゆるいけど強情な女が上手い。ピアノの生演奏が会話を邪魔せず心地よい。息の合ったテンポの良い会話劇の楽しさを十分堪能させてくれるこのシリーズ、ぜひ続けて欲しいと思う。

Turning Point 【分岐点】

Turning Point 【分岐点】

KAKUTA

ザ・スズナリ(東京都)

2012/02/23 (木) ~ 2012/03/04 (日)公演終了

満足度★★★★★

KAKUTAの大切な場所
3人の脚本×3人の演出のリレー形式によるオムニバスという
この冒険が大成功していると思う。
メリハリがあり、同時に貫く芯のようなものがくっきりした。
ここには、劇団が分岐点に立った時常に立ち返る大切な場所が描かれている。
温かく、雑多な、居心地の良いその場所は、
「変わらないこと」、「変わり続けること」、この二つの根っこは同じなのかもしれないと思わせる。
KAKUTAを初めて観たが、これまでもすごい役者さん達とやって来て、これからもやっていくんだろうなあ、と私も分岐点の端っこで思ったのだ。

ネタバレBOX

いきなりショッキングな出だしで、女二人のクライムロードムービーみたいになるのかと思いきや、第一話の繊細な音響と照明にすっかり魅せられてしまった。
蝉、ひぐらし、とんびの声に、なんて素敵な夕焼けの色なんだろう。
第二話は何と言ってもキローランの高山奈央子さんでしょ。よくぞここまでという感じ。みなさん振り切れるとこまで演ってるから面白くないはずがない。
Gカップの海老原(桑原裕子)さん、いいキャラだなあ、好きなタイプ。
第三話で貴和子と絵里が本音をぶつけ合うところでは、何だかボロ泣きしてしまった。反発しながら離れられない、そしていつも傷つけ合う心の底をさらけ出すところ。
ギャグが打率100%、ひとつもスベッてない。これってすごくレベル高いことだと思う。
東京ノーヴイ・レパートリーシアター 第8シーズン公演

東京ノーヴイ・レパートリーシアター 第8シーズン公演

TOKYO NOVYI・ART

東京ノーヴイ・レパートリーシアター(東京都)

2012/02/03 (金) ~ 2012/05/27 (日)公演終了

満足度★★★★★

孤独な美しい旅
初めての東京ノーヴィ・レパートリーシアター、
「銀河鉄道の夜」を選んだのは、一体どんな宇宙を創るのかぜひ観てみたかったからだ。
そしてその宇宙の旅は、今思い出しても泣きそうになるほど
果てしなく、孤独で、美しい旅だった。

   

ネタバレBOX

冒頭、子ども達を演じる役者さんの年齢が少し気になったが、場面が銀河鉄道の列車に移った辺りから気にならなくなった。
台詞の上手さとか技巧ではない。
ジョバンニを演じる金子幸代さんの、他者の台詞に涙をいっぱいためて反応するのを見ると、どうしようもなく泣けて来る。
ジョバンニはカンパネルラがもう死んでいることを知らないはずなのに
死者の言葉と知って聞けば、その台詞はひとつひとつ重い。
「ほんとうの幸い」とは何か。「ほんとうにいいことをしたら幸い」なのか。
たったひとりの友を喪ったジョバンニの孤独と相まって、死者の語る「幸い」は
あまりにも悲しい。
誰かのために死んでしまって、それを幸いと語る人にマジで泣いてしまう。

私が見たかった空間の創り方に関して言えば、期待をはるかに上回る素晴らしさだった。
足元の川の流れ、マリア像の照明、闇を横切る小さな列車、ケンタウル祭で川に流される灯篭。全てが息を飲むほど美しい。

この劇場の、この空間で「銀河鉄道の夜」を観ることに幸せを感じる、そんな舞台だった。
治天ノ君

治天ノ君

劇団チョコレートケーキ

駅前劇場(東京都)

2013/12/18 (水) ~ 2013/12/22 (日)公演終了

満足度★★★★★

なぜ今「大正天皇」か
文句無しに今年のベスト3に入る作品。
大正天皇の皇后を狂言回しに3代の天皇が描かれる構成、
厳選された台詞、例によって役が憑依したかのような隙の無い演技、
大きな世界観を持ちながら繊細な感情を丁寧に掬う演出、全てが素晴らしい。
なぜ今「大正天皇」なのかと思っていたが、その答えがあまりに鮮やかに示されて
自分の知識の無さに打ちのめされつつ劇場を後にした。
登場人物一人ひとりの誠実さや無念さが押し寄せて、まだ冷静になれない。
政治的なことより、大正天皇という人物に寄り添ってみたいという
何か作者の温かい気持ちが作品にあふれているのを感じる。


ネタバレBOX

劇場に入ると踏んでいいのかどうか一瞬ためらうような
赤いじゅうたんがひとすじ敷かれており、
その先は舞台下手側、3段ほど上がった所にしつらえた玉座に続いている。
ドレープを寄せた厚いカーテンが下がるだけのシンプルな舞台。
厳かな光に玉座が浮び上る。

冒頭ここに座るのは明治天皇(谷仲恵輔)である。
天皇は畏怖されるべき存在で人情など不要、と説く明治天皇にとって
純粋で優しい大正天皇は“資質が及ばない、その次の天皇までのつなぎ”と映る。
大正天皇(西尾友樹)の進取の気性を愛し、彼を支える有栖川宮(菊池豪)、
四竈(岡本篤)、首相の原敬(青木柳葉魚)たち。
そして皇后節子(松本紀保)は最後まで彼を敬い、寄り添う。
しかし時の政治家牧野(金成均)、大隈(佐瀬弘幸)らは大正天皇の能力を認めながらも、
今この国に必要なのは先帝、明治天皇が唱えた天皇像だという考えに傾いていく。
そして生来病弱だった大正天皇が脳病を患ったのを機に一気にその動きは加速、
大正天皇の意思を無視して皇太子ヒロヒト(浅井伸治)が
摂政(天皇に成り変わって公務を取り行う役職)となることを強行する。
やがて時代は「殖産興業」「富国強兵」という
明治のスローガンが復活したかのように転がり始める…。

「治天ノ君」がフィクションであることを踏まえながらも
史実の行間をよくぞここまで豊かに創造したと感嘆する。
誰ひとりとして無駄な台詞はなく、責任ある立場とそれ相応の複雑な心理を抱えている。
中でも大正天皇の何と魅力的な人間像だろう。
結婚の際、皇后節子に「仲の良い夫婦とはどのようなものか」と問い
「一緒に笑い、一緒に泣き、一緒に怒る」ものと聞いてその通りにしようと答える。
大正天皇が明治天皇に向かって言う
「わたくしは不詳の息子でありますが、たゆまず努力します」
という言葉は「父と呼ぶな」と言われて育った孤独な人生そのものだ。
奢らず人に教えを請い、素直に人の意見に耳を傾ける大正天皇は
現在の“新しい皇室”を先取りするかのような人物として描かれている。

一握りの閣僚が「自分が泥をかぶっても大日本帝国を導かねばならぬ」などと言うのが
“臣民”にとっていい迷惑であったことは、歴史の結果を見れば明らかだ。
時代の流れと閣僚たちの思惑に翻弄された47年の生涯は
あまりに口惜しく無念の連続であり、それが病の元凶だったのではないかとさえ思う。

その大正天皇を側で見守り続けた皇后節子が、地の文を語るというかたちが秀逸。
節子による「~だった。~なのだ。~であった。」という書き言葉の語りが
硬質な物語に相応しく、冷静に状況を見つめていた彼女のスタンスにも合っている。
摂政となり、さらに喪中にも関わらず明治60年祭を催して
急ぎ“大正時代”を消去しようとする息子ヒロヒトに節子が語りかける。
「あなたは父上を二度葬るおつもりですか」と。
実際の死と、歴史上の死とをめぐる、決定的な親子の決別の場面だ。
決して激せず、常に美しいことばと発音で優雅に話すこの賢明な皇后を演じる
松本紀保さん、単語の最後の響きにまで神経の行き届いた発音と
生来の気品あるたたずまいが素晴らしく、舞台全体をけん引する。

大正天皇を演じた西尾友樹さん、脳病(多分脳いっ血の後遺症とも言われる)を
患ってのちの言語の障害など、難しい表現が痛々しいほど上手い。
皇后との会話など初々しい場面も素晴らしく、のちの悲劇的展開が一層哀しく際立つ。
己を知りつつさだめを受け入れてひたむきに努力する、日本一孤独な男が素晴らしい。

後に侍従として仕えた四竈を演じた岡本篤さん、“誠実”と言う言葉が似合いすぎ。
不自由な口で軍歌を歌う大正天皇に合わせて歌うところ、思い出しても涙がこぼれる。
これほど万感の思いがこもったお辞儀を、久しぶりに見た気がする。

明治天皇役の谷仲恵輔さん、これまで拝見したどの舞台よりも(と言っても4~5回だけど)
その声がコントロールされ、役と台詞に活かされていたと思う。
あの時代を象徴する素晴らしい明治天皇だった。
立ち姿、お辞儀をはじめ全ての人の所作が美しく、重厚な舞台だった。

「現人神」だの「天皇機関説」だの「象徴」だのと様々に言われて来たが
結局はその時々よって“利用法”が変わってきたということなのだろう。
現人神をも利用して国を動かす、げに政治家とは怖ろしく野蛮な人種だ。
「アベノミクス」とか言ってケムに巻かれていると、いつのまにか
「ウミノモクズ」となってしまいそうな気がする。

くり返す歴史の辻に立って、演劇の力というものを考える時
必ず思い出す1本になるであろう舞台だった。
制作に関わる全ての人々に感謝と敬意を表したいと思う。
ありがとうございました。


火葬

火葬

らくだ工務店

OFF OFFシアター(東京都)

2012/01/25 (水) ~ 2012/02/15 (水)公演終了

満足度★★★★★

「火葬」見届けました
あんな風に時折笑いながら観ていて良かったのか?
教師たちの秘密もさることながら、衝撃のラストシーンが
一夜明けた今でも頭から離れない。
もう一度落ち着いて検証しながら観たら
また違った物が見えるような気がする。
これ、世に溢れる「普通の善い人」全てに観て欲しい。

鬼界ヶ森

鬼界ヶ森

劇団め組

吉祥寺シアター(東京都)

2012/03/29 (木) ~ 2012/04/01 (日)公演終了

満足度★★★★★

黒沢映画のテイストもあり
時代劇ファンの私としてはとても楽しみに出かけた。
あの“毎日が死に近い”緊張感が好きだ。
印象に残る美しい衣装と立ち姿、効果的な音楽と映像美のような照明、
そして忘れ難いいくつもの台詞。
フライヤーのイメージ通りの美しさ。
黒沢映画のテイストも感じさせる素晴らしい舞台だった。

ネタバレBOX

吉祥寺シアターの奥行きある舞台の、さらに奥にある巨大な扉が開くと
そこには階段があり、異界への“きざはし”となっている。
細長い行燈のような照明が二本、天井から吊り下げられていて
少し薄暗い舞台が時代劇らしい雰囲気に包まれている。

鬼退治のため森へ入って行く一行の面々が魅力的だ。
虚空役の新宮乙矢さん、過酷な運命の果てに
虚無的な人生を送る孤独感が漂っていた。
立ち回りの際に足元が揺るがないところが素晴らしい。
武蔵役の藤原習作さん、落ちぶれた城主だが
かつての家臣を引き連れて歩き、人を惹きつけ包み込む温かさを持つ男が魅力的だった。
出家した道雪役の秋本一樹さん、潔く内省的な人柄がにじんでいて
武蔵と共に、虚空の心と人生を変える言葉に説得力があった。

そして鬼の正体、淀殿の生霊を演じた高橋沙織さん、
登場した時から圧倒的な存在感。
家康の豊臣家に対する仕打ちを恨むあまり生霊となって
関ヶ原の戦いで死んだ者達を呼び寄せ、さらに仲間を募る為に
男たちをさらって心を操り、支配下に置いていたのだった・・・。
一時は時代を動かし、その後時代に置き去りにされた女の口惜しさが
きれいな立ち姿と緋色の袴で槍を構える全身から立ち上るようだ。

ダイナミックな日本映画を観るようなこの舞台は
何と言っても台詞の素晴らしさだろう。
淀殿の生霊が虚空の剣に刺し貫かれるとき
「わらわは、母上のようにはならぬ」と叫ぶ、あの悲壮な声が忘れられない。
「人の心は操れぬ」という虚空の言葉も。
凝縮された無駄のない台詞が全体を引き締めていてあっという間の2時間弱だった。

ちょっと残念に感じたのは、村の女性たちの台詞が少しすべって聴こえたこと。
時代劇の台詞は返事一つでも現代劇とは違う。
着物を着たホームドラマならそれでもよいが、
ここまで丁寧に作り込んだ舞台となると男性陣の台詞の重みとの差が目立つ。
元々武家の女たちなのだから、もっと落ち着いて喋っても良かったような気がする。

階段の最上段に細川ガラシャの鬼を横たえた時と、淀殿を横たえた時の
照明とスモークの演出がとても幻想的で、
かつ自然に成仏した感じが伝わって感動的。
般若の面をつけてしゃべる時のスピーカーから聴こえる声や、
音楽の音量が程良く個人的にとても快適だった。

ラストが浪人二人の後ろ姿に見送る僧という、まるで黒沢映画のような
ちょっとユーモラスで明るい幕切れと言うのもよかったなあ。
ルルドの森

ルルドの森

バンタムクラスステージ

コア・いけぶくろ(旧豊島区民センタ-)(東京都)

2012/09/07 (金) ~ 2012/09/09 (日)公演終了

満足度★★★★★

生きている古代信仰
パイプ椅子と折りたたみテーブル、それに何枚かの布を使っただけのセットで
取調室からホテルの部屋、凄惨な犯行現場や司法解剖室まで自在に魅せる。
猟奇的殺人事件の謎解きと、人の心理の不可解さ満載の舞台。
息もつかせぬ緊張感のうちに事件は起こり、銃声が響き、犯人は笑った・・・。

ネタバレBOX

昔中学校の体育館の舞台はこんなだったっけ、と思いながら席に着いた。
校長先生が卒業証書を渡すようなひときわ高い舞台。
セットも何もなくて奥にパイプ椅子が見える。

事件はもう6件起きている。
いずれも遺体の一部、脳や肝臓などがきれいに持ち去られている猟奇的殺人だ。
そして7件目が発生する。
犯人は同一犯なのか、それとも別の人物か・・・。
事件を追う捜査本部のメンバーたちが関係者に当たるうち
昔カルト的人気を誇ったテレビ番組「ルルドの森」と
その主演女優菱見玲子(山本香織)に行きつく。
捜査官三島(福地教光)と黒船(早川丈二)は知らず知らず
次第に危険な森へと足を踏み入れて行く──。

最初から最後まで全く緊張感が途切れることなくストーリーにひき込まれた。
犯人と思しき人物は一人ではないし、捜査官も含めて登場人物の背景も複雑だ。
クールなようだが、犯人に対しては自分をコントロール出来ない三島がいい。
よくある刑事物とは一線を画すキャラクターがとても魅力的だ。
引退した女優菱見玲子がいかにもそれらしい美しさと貫禄を備え、
重大な秘密を抱えて悩むギャップが鮮やかだった。

この劇団はいつもそうらしいが、暗転がなく
場面転換を全て観客に見せながら行う。
役者がハケる時に椅子を持って行ったりするのだが
整然と静かに、黒子になったように、スピーディーで違和感がない。
セットがほとんど無い舞台をリアルに見せるのは音響の力もあると思う。
何度かある銃声など完ぺきなタイミングで素晴らしかった。
もうひとつ、照明による仏壇の表現などに工夫があって
こういう方法もあるのかと感心した。

それにしてもこの劇場(?)はちょっと気の毒だと思う。
下北沢辺り(他をよく知らないので取り敢えず挙げている)の
コンパクトな小劇場でやったらもっと濃密で張りつめた舞台になると思う。
そういう所でぜひまた観てみたい作品。
来年は本拠地を関西から東京に移すと言うバンタムクラスステージ。
ぜひぜひ東京でがんがんやって欲しい。
ダークなクライムサスペンス、サイコホラーなど、脚本が大変かもしれないが
笑いに頼らず無駄のない台詞とテンポの良いストーリー展開は素晴らしい。
このテイスト、笑いに転びがちな若手の小劇場系劇団とは一味も二味も違う。

私もキーワードとなった「金枝篇」を読んでみたい。
そして福地教光さん、素敵でした。
絶対また観に行きます!
来訪者(作・演出:中津留章仁)

来訪者(作・演出:中津留章仁)

TRASHMASTERS

座・高円寺1(東京都)

2013/03/14 (木) ~ 2013/03/20 (水)公演終了

満足度★★★★★

想像力
正直、いつまでも“最初に構成ありき”のようなスタイルはどうなのかなと
ちらっと思い始めていたのだ。
そんな浅い考えを根こそぎブン投げる力強さと説得力があった。
構成、台詞、役者、すべてが熱いメッセージを持っている。
強力なスタイルには理由がある。

ネタバレBOX

北京の日本大使館を舞台に、
尖閣諸島をめぐってトラブルの絶えない日中両国と、
竹島問題を持ち出すタイミングを計りたい韓国が
それぞれの思惑を抱いて情報戦を繰り広げている。
危機感の薄い大使や
紛争地帯での経験豊富な海千山千の外交官、韓国の外交官・中国共産党員らは
駆け引きに明け暮れる。

経済格差の広がる中国底辺層の不満は、今や日本だけでなく中国政府にも及び、
ついに漁民に混じって武器を持った者が船に乗り込み
尖閣諸島へ向かったという情報が入る。
彼らの目的は負傷者を出し“戦争を起こすこと”だ。

大使の細貝(山崎直樹)が、確たる証拠がないと日本政府への通報をためらう中
彼の妻が中国側に人質に取られてしまう。
日本政府が「取引には応じない」と突っぱねたことから
細貝は妻を助ける道を断たれ、絶望のあまり拳銃自殺する。
襲撃される日本大使館。
混乱の中、中国人家政婦をかばって外交官岸(龍坐)が撃たれて負傷する。

“国家の問題”が“個人の感情”に左右される事実がリアル。
危機感の薄い大使は、妻が人質に取られて初めて強大な負の感情に気付く。
絶望して「国を裏切るために必要なものは何か」と問う細貝に、岸が答える。
「それは想像力です」と。
外交官にも政治家にも「想像力」は必須なのだが
実は「想像力」など無い方が政治は動かしやすいし、
そんなもの持っていない政治家が仕事をしているという事実を突き付ける台詞だ。
そして、日中戦争が勃発する。

期待に違わず大使館内部のセットが見事。
この環境に日々身を置く人々が次第に想像力を失って
“多少の犠牲はつきものだ”的な考えになって行くのが解る気がする。
緻密なセットは、“環境が人間の思考回路を作る”事を視覚的に教えてくれる。

その後の状況は、ナレーションと共に雨のような文字情報でスクリーンに流れ
第二部は一転、休戦状態に入った尖閣諸島ののどかな風景に変わる。

国を追われ、あるいは居場所を失ったかつての外交官たちがここで暮らしている。
日本と中国が、それぞれ領有権を主張するために
ここに人を住まわせているのだ。
一見のどかだが、実は一触即発の危険を孕んだ島の現実。
そしてここでも国家の行方を左右するのは個人の感情だった…。

「あなたが僕を嫌いになるから、僕もあなたを嫌いになる」
中国人を蔑む島の漁師に対して、島に住む中国人陳(阿部薫)が叫ぶ台詞だ。
(阿部さんの中国語、大変努力されたと思う)
島では中国人の元家政婦姜(林田麻里)が通訳をする。
この時差がまた、日中関係のもどかしさと面倒くささを体現している。
全編通して韓国人、中国人の日本語がそれらしく、この台詞量をよくこなしたと思う。

大使役と漁師役(異母兄弟という設定に笑ってしまった)の
二役を演じた山崎直樹さん、どちらもいいけどやはり漁師が素晴らしい(笑)
中国人と仲直りする武骨だけど人の気持ちがわかる漁師が上手い。

紛争地を渡り歩いて人脈もあるが、時に単独行動で突っ走る
外交官岸を演じた龍坐さん、この印象的な風貌で全く違った顔を見せるから
やはり二部構成は面白いと思う。
人間の多面性を誇張するにはうってつけの構成だ。

多面性という点では浜島(吹上タツヒロ)と乃波(川崎初夏)コンビも
振れ幅大きくて魅力的だった。
第一部では理路整然と持論を述べる外交官の二人が
結婚して島で暮らすうちに不仲になり、乃波が中国人陳と不倫…。
ダメダメ夫と、女としての素朴な感情が露わになるあたり、とてもよかった。 

中津留氏は、今リアルタイムで時事問題を芝居にできる数少ない劇作家のひとりだろう。
現実を解説するなら“そうだったのか、池上彰”で十分だ。
だがそれを動かす個人の感情を国家に対比させて「侮るなかれ」と警告する
この危機感のあぶり出し方は、やはり演劇ならではだと思う。

ラスト、日中はまた戦争になるかもしれないという暗澹とした中で
岸と姜が結婚を誓うという終わり方にひとすじの希望が残された。
国家は人を幸せになどしてくれないが、
幸せになる方法はほかにあると、私も思いたい。
さよならを教えて

さよならを教えて

サスペンデッズ

ザ・スズナリ(東京都)

2013/12/04 (水) ~ 2013/12/09 (月)公演終了

満足度★★★★★

大人になっちまった悲哀
もの想う大人は皆解っているのだ、自分のダメなところくらい。
だけど解っているのにダメな方へと傾いて行ってしまう。
そしてだんだん大事な人を大事にしなくなる。
早船さんの無駄のない台詞で、それもまた人とのつながり方のひとつなのだと気づく。
コテコテダンスもありの濃い目の味付けながら、やはり毎日食べても飽きない”人の心の普遍性”を描いていてその切なさにどうしようもなく涙がこぼれる。
婚約している二人の関係が壊れていく時の緊張感がどきどきするほど秀逸。
山田キヌヲさん、とても上手いしきれいだった。衣装も素敵。

ネタバレBOX

舞台は壁紙などの内装工事を請け負う小さな会社。
宏美(岩本えり)は父の代からのこの会社を受け継いでいる。
婚約者の洋介(佐野陽一)は中学の同級生だが、彼は勤めていた会社で
大きなプロジェクトに失敗してから変わってしまったと宏美は感じている。
異動先の部署で部下の女性からパワハラと訴えられ
結局会社をクビになった洋介を見かねて「ウチを手伝ってくれない?」と持ちかけた宏美。
今は一緒に仕事しているが、昔からのやり方に批判的な洋介とことごとく対立する。
同じく中学の同級生で、病気退職して戻って来た夏子(山田キヌヲ)も
ここで仕事を手伝っている。

職人や、地主で大家の夫妻等が出入りするこの事務所で
次第に相手に寛容でいられなくなっていく宏美と洋介。
ネットでのバーチャルな世界に逃げ込む職人、大家夫妻の嫁姑問題、
そして夏子の驚愕の行動…・。
小さな世界で絡まり、引っ張り合い、ほどけてしまう人間関係の脆さ哀しさが描かれる。

「終わりが見えるとやさしくなれる」という洋介の言葉が沁みる。
このまま続くと思うから、うんざりして粗末に扱ってしまう私たちの習性を言い当てている。
「結局自分に自信がないんだ」という言葉もリアルに説得力がある。
自信がないから強い態度に出る、相手を威圧する。
デスクに向かう洋介を演じる佐野さんの全身から、
自分にも周囲にも苛立っている様子が伝わって来たし
それをそのまま宏美にぶつけるところでは観ていてこちらも緊張した。
ありがちなハッピーエンドでないところもよかった。

夏子のクールな観察とストレートな物言いが爽快。
入院前事務所に来て、会社を去る洋介と見送る宏美に
「別れてもいいから二人で(見舞いに)来て」というところ。
“さよならの仕方”を考えさせていいなあと思った。
かわいいニットキャップが似合う山田キヌヲさんがとても素敵だった。

大家の奥さんを演じた野々村のんさん、
この方は“困った人”を可愛らしく見せるのが上手いと思う。
情熱的な“なりきりダンス”が面白かった。

中学時代の回想シーンを挿入して
もの想う大人になってしまった哀しみと不安を際立たせた結果
宏美が夏子を思いやって泣く場面に説得力が増した。
ここもまた、子ども時代と決別するもうひとつの“さよなら”だったような気がする。

「20世紀少年少女唱歌集」

「20世紀少年少女唱歌集」

椿組

花園神社(東京都)

2012/07/13 (金) ~ 2012/07/23 (月)公演終了

満足度★★★★★

役者の力と演出の力
客席のあちこちから知り合いを呼びとめる弾んだ声、
団扇パタパタ、ビール飲みながら開演を待つ。
見下ろすセットは土埃巻き上がる廃線路引き込み線の奥、野原、立ち並ぶバラック。
歌謡曲がたっぷり流れて昭和の匂いが立ち上る。
野外劇の喧騒と解放感が今年もやって来た。

ネタバレBOX

紙芝居屋(外波山文明)が自転車をひいて出て来る。
紙芝居仕立てで客に注意事項を伝え、これも恒例となった
「花園神社は新宿区の避難場所に指定されております!
 皆さまはもうすでに避難しているのです!」
という言葉に今年も客席は爆笑、こうして夏の椿組が始まる。

舞台は関西の地方都市。
戦争で傷ついた身体を寄せ合うように4姉妹とその家族が暮らすのは
廃線路の引き込み線の奥にある小さな一角。
バラックの汚れとしみったれ具合、トタン屋根などがリアルに再現されたセット。
戸口にかかる布が花園神社を吹き抜ける風でハタハタとひるがえり
吹きっつぁらしの野原の風が客席まで通る。
野外劇の土と空間を生かした素晴らしい舞台美術(島次郎)だ。

国から立ち退きを迫られている場所であり、「むこう」側へ出て行く住民もいる。
「むこう」は楽園だと信じる若者、どこへ行っても同じとあきらめる者、
ここに残ってもがいている者、小さなコミュニティは毎日嵐のようだ。

物語は、4姉妹の長女冬江の娘ミドリの子ども時代を中心に
長じてミシンの訪問販売の仕事で再びこの町を訪れた彼女の心情を挟みつつ展開する。

この子ども時代のミドリを演じる青木恵さんが素晴らしい。
ミドリは「俺は男になって船乗りになるんや!」と叫ぶ“男になりたい少女”である。
男性が演じているのだと思って当日パンフを何度も見たが
可愛らしい女性の写真にびっくりした。
少年役の中で最も男の子らしい男の子だった。
話す口調、仕草、黙って立っている時から、潔癖な子どもらしさまで
21歳だという若さだけではない、なりきりぶりと作り込みが素晴らしかった。

長女冬江役の水野あやさん、美しい人なのに
徹底的に水商売のケバくてくたびれたおばちゃんになっていてとてもよかった。
子どもミドリの為に水商売に入ったであろうに、その職業ゆえ
ミドリから「お母ちゃんみたいになりたくない」と言われてしまう。
その哀しみが伝わって来て最後じーんとしてしまった。

次女秋江役の福島まり子さん、“大助花子”の花子みたいなおばちゃんが
あまりにもハマっていて、大いに笑った。

三女春江役の井上カオリさん、足の悪い(こちらが痛くなりそうな歩き方が上手い)
全てをあきらめて笑っている菩薩のような女かと思いきや
実は自分に正直な業の深いところを合わせ持つ複雑な女を熱演。

この春江をめぐって男二人が争う場面がものすごい迫力でハラハラした。
春江の夫役池下重大さんと、夏江の夫役亀田佳明さんが取っ組み合いのけんかをするのだが
井戸端に置いてある桶の水に顔をつっこんでいるうち、
亀田さんの口の辺りから超リアルな血が流れて
客席が一瞬ひやりとしたのを感じた。
だって血糊をつける暇なんて無かったはずだし、
でも口からシャツが真っ赤だし、血糊より薄い色だし、あれ本物じゃない・・・?
大丈夫だったんでしょうか、亀田さん?

秋江の夫役恒松敦巳さん、片腕を失って尚一家の大黒柱であり、情に篤い男の
誠実な人柄がにじみ出ていてとても良かったと思う。
この人が出て来ると場が安定して落ち着く。

ミドリを含む少年たちの遊びのシーンに、定型でない勢いがあって
それがテントの中の空気を一気に“あの時代”に変える。
ストーリー全体に骨太な演出の力強さを感じる舞台だ。
ラスト、大人になったミドリが、大嫌いだったあの町のあの時代を
ずっと大事に抱えながら生きてきたことがしみじみと伝わってくるが
それを丁寧に説明するあまり若干引っ張り過ぎた感がある。
向日葵のシーンが出色なだけに
そこへ辿り着くまでが少し冗長な印象を受けた。

これも恒例の“毎日打ち上げ”と称する公演後の飲み会も楽しかった。
このセットを組み、芝居をし、バラして、役者たちはまた次の仕事に備えるのだろう。
21世紀になって、あのころよりずっと暑い夏が過ぎて行く──。

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