ラジエーター
シアターノーチラス
シアター711(東京都)
2013/07/10 (水) ~ 2013/07/14 (日)公演終了
満足度★★★
変化のプロセスが観たい
高速バスのターミナルで来るはずなのにちっとも来ないバスを待つ人々。
想定外の遅れにイライラがつのり、次第に隠していた顔を晒すようになる。
群像劇として個々の設定は面白いが、時間の経過とともに変化する心理が
いまひとつ追い切れていない感じがしてちょっと残念。
ネタバレBOX
舞台は高速バスのターミナル。
12人がバスを待っているのだが、バスは一向に来ない。
謝ったり言い訳したりで忙しいバス会社のスタッフ。
待っているのは2組の夫婦や、義理の姉妹、セールスマン、役者崩れ(?)など様々だが
それぞれが日頃表に出さない事情を抱えている。
蒸し熱い夜、いつまでも来ないバスを待ちながら次第に理性を失って行く12人。
彼らはただバスが遅れていることを怒っているのではない。
いつまでこの状態が続くのかがわからないことに対する不安といら立ちなのだ。
この“先の見通しがたたない”、つまり“希望が見えない”ことが
実は彼らの置かれた人生の状況と重なっている。
子どもを産んでいいのかどうか不安な妻と
子どもを失ってから精神に異常をきたした妻、
よその女と事故で死んだ夫を確認に行く妻と
その“よその女”の夫、
騙された女と騙されそうになっている女…。
傍観していたはずの他人のトラブルに共通点を見いだし、
いつしか自分から関わろうとして近づいて行くその”変化”こそが、
こういったシチュエーションもののだいご味だと思うが
例えば皆に“バスジャック”を呼びかけ、カッターナイフを用意する少々乱暴な展開の後、
そこまで振り切れた感情が終盤突然冷静になった、そのきっかけやプロセスが見えない。
大声で怒鳴るシーンが多いのも少し非現実的な気がする。
中身も告げずに18万円で「人生を180度変えるもの」を売ろうとするセールスマンと
それを買おうかどうしようか迷う女、というのもちょっと無理があるのではないか。
その辺の現実離れした感じが
繊細な心の変化を置き去りにしている印象を与えるのが惜しい。
妻に対して自分の価値観や考え方を押し付けそれを疑問に思わない夫を演じた
誉田靖敬さんのリアルな台詞に、この男の日常が見えるようだった。
誉田さんは5月にアンティークスの公演「これでおわりではない」でも
台詞の後ろにキャラクターが立ち上がるような芝居で感動したが
言葉少ない中に思いをにじませるのはもしかして素の性格かしら?
“人を好きと嫌いに分類する”タイプの女を演じた相良康代さん、
イラつかせる台詞が上手くてマジでイラついた(笑)
全く違うキャラクターを演じる所も観てみたい。
Call me Call you
劇団6番シード
吉祥寺シアター(東京都)
2013/06/27 (木) ~ 2013/07/04 (木)公演終了
満足度★★★★★
信じてもらう仕事
あのトレーラー、本物じゃないの?
道路を走ったりしないの?
って今でも思っちゃうくらいリアルなトレーラーが素晴らしい。
その内部が立てこもり事件の交渉ブース、という設定がまた面白い。
見た目のインパクトと自由な発想の演出・美術に対して
人の心理を突いた脚本は手堅く安定感抜群。
宇田川美樹さんの豊かな表現力で、交渉人の婆さんが実に魅力的だった。
「誰も信じない」犯人に「信じてもらう」ことが交渉人の仕事なら、まさに天職の人だろう。
そしてもう一人、立てこもり犯の青年を演じた藤堂瞬さん、
電話の声だけでこれだけ惹きつける人が、どんな風に舞台に登場するのだろうと思ったら
素晴らしく繊細な表情で振り向き、交渉人と最後に顔を合わせるシーンには
予想していた場面にもかかわらず思わず涙がこぼれた。
ネタバレBOX
雑居ビルの中にあるダンススクールで立てこもり事件が発生する。
犯人はスクールの生徒4人と講師を人質に立てこもり、
「ダミー」と名乗って警察に電話をかけて来た。
県警捜査一課とSIT(特殊捜査部隊)、それにプロファイラーが指揮権を争う中、
新たな人物が派遣されてくる。
生活安全課(少年係?)の遠山弥生(宇田川美樹)である。
小学校の同級生だった県警本部長の命令で拉致されて来たという遠山は
スーパーの袋を両手に提げた関西のオバちゃんみたいなキャラだ。
一同の冷たい視線を気にも留めず、犯人からの電話に出たりすぐ切っちゃったり…。
しかし確実に犯人情報につながる彼女のアプローチは次第に事件の核心に迫って行く。
舞台いっぱいに置かれたリアルなトレーラーが素晴らしい。
タイヤやホイールの質感、重量感などあまりの出来の良さに目が釘付け。
ここを交渉ブースとして犯人とのやり取りが繰り広げられる。
また冒頭からSITの制服がカッコ良くて惹きつけられる。
良く訓練されたスピードとキレのある動き、滑舌のよい早口で緊張感ありまくり。
6番シードお得意の分野だと思われるがそれにしても、観ていて気持ちが良い。
遠山弥生のとぼけたようでいて計算された話術、根底にある温かい人柄が魅力的。
宇田川美樹さんはいたずらに老けたしゃべりはしないが、キャラを活かし
テンポや語尾などに工夫があって、長丁場を隙なく“老婆”になり切った。
犯人に電話をかけるよう指示する「コール!」という台詞、
犯人に呼びかける「大丈夫よ」という台詞、
共に何度も繰り返されるが、その都度色合いが変わり微妙に変化する。
その繊細な変化から遠山の誠実さと事態の緊迫感が伝わってくる。
立てこもり犯を演じた藤堂瞬さん、
少しの障害があることでいじめられ、ひきこもりになって
社会や人と上手く繋がれない孤独な青年を、ずっと声だけで演じて来た。
思いこみが激しく、人の真意を計ることも、人を見る目も無かったこの青年が
この結果にどれほど傷ついたかしれないが、遠山の存在が救いだった事は確か。
ラスト、逮捕されて初めて舞台に登場し
遠山とすれ違ったときの表情が素晴らしかった。
私はこれで、藤堂さんのファンになりました…。
6番シードらしいスローモーションの演出が、たっぷりドラマチックで良かった。
わかってたシーンなのに、涙が止まらない。
千秋楽のこの日はいつまでも拍手が鳴りやまず、トリプルコールとなった。
6番シード、脚本・演出・役者、それにスタッフがそろった素晴らしい劇団だと思う。
これからも毎回斬新な舞台を観せてください。
あやかし相談承り〼。萬屋ツジモリ
劇団だるま座
「劇」小劇場(東京都)
2013/06/25 (火) ~ 2013/06/30 (日)公演終了
満足度★★★★★
あやかしの純情
噂にたがわぬだるま座の実力を見せつけられた感じの舞台。
剣持直明さん、ちょっとグッチ裕三に似ているこの人の
少年のような純な気持ちがこの舞台を終始貫いている。
“あやかしの純情”が切に泣かせる。
ネタバレBOX
あやかしという、何らかのかたちで人間に追われ、居場所を失った妖怪たちが
ずっと昔から棲みついているあるひと部屋が舞台。
リストラされて実家の中華料理店へ戻って来た和樹(中嶋ベン)は
バイクの事故をきっかけに彼らが「視える」ようになってしまった。
ずっと昔からこの部屋に棲み、あやかしたちの相談を請け負う商売をしているのは
ツジモリ(剣持直明)というあやかしである。
実は和樹の祖母シヅ(神田麻衣)もツジモリを視ることができ、
ツジモリはシヅをずっと見守って来たのだった。
そのシヅは今、入院していて明日をも知れぬ命であり
ツジモリは彼女のために命をかけてあることをしようとしていた…。
自分がどこからやってきてどうしてあやかしになったのかさえよくわからないという
妖怪たちの“受け入れる”気持ちと、互いに好きに生きる“距離感”が優しくて心地よい。
人間たちはそのどちらも上手くコントロール出来なくて
浮気だの離婚だのと騒いでいる。
シヅを見守るツジモリが、次第に彼女を大切に思うようになっていく
その過程が優しく素直に描かれるところが好き。
「人間に踏みつぶされてあやかしになっちゃったけど、もうよく覚えてない」と
ぽつぽつとシヅに話すツジモリは小学生のようだ。
そして「自分のせいで何か悪いことがあってはならない」と
息を引き取る直前のシヅに会うことを頑なに拒むツジモリの
悲痛な決意と叫びに、涙をこらえることが出来なかった。
隙の無い役者陣の安定感、現在とシヅの記憶とを描き分ける照明、
ねずみ男みたいな狐の「コンスケ」などバラエティに富んだキャラ。
すべてのバランスが取れているところに不意打ちのようにギャグが飛んで来て
思わず噴き出してしまう。
これを書きながら考えているのだが
私はツジモリのファンになったのか、剣持さんのファンになったのか
何だかよく分からないんである。
殺意が死んだ夜
ビビプロ
小劇場 楽園(東京都)
2013/05/29 (水) ~ 2013/06/23 (日)公演終了
満足度★★★★
「欲しい」より「失いたくない」
千秋楽は超満員、立ち見も出る盛況ぶりとなった。
どんでん返しの衝撃もさることながら、殺意の根源は「失いたくない」という
孤独と所有欲の沸騰点であったというストーリーが魅力。
ルナティック演劇祭参加作品で2位を獲得、
さらにこの作品に出演の大勝かおりさんが最優秀俳優賞を得た。
大勝さん、自在な台詞と繊細な演技が際立っていて受賞に納得。
ネタバレBOX
舞台には長方形のテーブルに椅子が数脚、隅にコート掛けが立っているだけ。
登場人物が次々と現われてテーブルの周りを歩き、衣装を投げ合って羽織る。
8人が互いを疑惑の目で睨みつけ緊張感があふれて
まるで連続サスペンスドラマのオープニングのように洗練された感じ。
暗転の後、次男ひとりがたたずんでいる所へその妻が入って来る。
ここは弁護士事務所、この日は死んだ父親の遺産相続のことで
5人兄弟が集まることになっている。
殺人事件の可能性もあって捜査中の父の死に、兄弟は互いに疑惑のまなざしを向ける。
やがて女性弁護士から父親の遺言書の中身が発表されると
遺産が50億というとんでもない額であることと
父の家に残って農業を継いでいる次男にすべてを譲るという内容に一同驚愕、
不満と共にそれぞれが抱える金銭的問題やうまくいかない人生が一気に噴き出す。
三男の元カノで今は次男の妻リツ、その姉のホームレスのトキコも加わって
殺人の動機や可能性が次々と浮び上る…。
5人の兄弟がコンプレックスと反発をむき出しにして、容赦ない会話が飛び交う。
田舎に残った次男以外は全員金に困って追いつめられている。
そしてどこかで自分を制御出来なくなって、少しずつ道をはずれて行ってしまう。
だが一番大きく外れていたのは…というラスト5分が衝撃的な面白さ。
全く予想できない犯人ではないが、
キャラの“狂気”にリアリティがあり、理由に説得力があった。
演じる永井佑昌さんの豹変ぶりが見事、戦慄のラストで作品全体が引き締まった。
すべてのエピソードが、このラストに向かって積み上げられていたことに気づく。
ホームレスを演じた大勝かおりさんの身体能力と繊細な表情が素晴らしかった。
大勝さんの舞台を観るのは、フルタ丸の「うつくしい革命」以来2度目だ。
皆の嫌悪の対象でありながら、どこか謎めいていて
自在に変化する台詞で周囲を翻弄する圧倒的な存在感。
ダンスで鍛えた立ち姿、動きの美しさが際立っていた。
この作品は予選と決勝とで配役を変えて臨んだという。
当日パンフの配役を見て、別バージョンも観たくなった。
兄弟たちの台詞がかなりの割合で怒鳴り合いになり、
誰かがテーブルを叩いて黙らせるというパターンが多かった。
それでなくてもいがみ合っているのだから、台詞にもっと強弱があれば
兄弟同士の相反する複雑な心情がより細やかに表現されたように思う。
サスペンスのキモは動機、動機のキモは時に「欲しい」より「失いたくない」。
そんなことを考えさせる舞台だった。
65歳からの風営法
笑の内閣
星陵会館 ホール(東京都)
2013/06/12 (水) ~ 2013/06/12 (水)公演終了
満足度★★★★
台詞の鋭さと作りのユルさが混在
朝まで飲んでも、朝まで映画観ても、朝までデートしてもいいけど
“朝まで踊ってはいけない”のが今の風営法だ。
「自分にとってどうでもいい事でも、他人には必要なこともある」という
これは想像力の問題だという作者の気概が感じられる舞台だった。
台詞の鋭さと作りの微妙なユルさが混在するところが面白い。
国会議員と弁護士が壇上に並んだアフタートークも充実。
ネタバレBOX
いかにも日頃芝居など上演しない、体育館の舞台みたいなステージを
傾斜のない客席から少し見上げる感じ。
お堅いスーツ姿が多いのもいつもの小劇場とはまるで違った雰囲気だ。
風営法の内容と、それがいかに現実と乖離しているかがよくわかる劇になっている。
巡査とダンス好きな一般人、それにこの手の案件に詳しい弁護士が登場して
それぞれの立場からの意見が出揃ってバランスがよい。
説明が必要なせいもあって冒頭少しテンポが甘い気がしたが、
鴨川署の巡査部長(丸山交通公園)が出て来た辺りから会話に弾みがついた。
今回の公演は、時間的に削らざるを得なかった事情もあるらしいが
ラップで説法する坊主の場面などもっと見たかったなあと思う。
摘発を免れるための苦肉の策として、妹のカレシである坊主が
午前1時、クラブで“一遍上人の生涯を語る”のをみんなが床に座って聴くって
めちゃめちゃおかしいやん。
その反面、クラブで踊っているアンサンブルの演出などは
もう少し工夫があってもよかったのではないか。
メインの会話のバックで、無音でゆらゆら踊り続けるというのはちょっと…。
1945年に風営法が出来た頃とは事情も時代も大きく変わり、
ダンスホールが売買春の温床となることなどあまり考えられない。
歴史的な流れを見れば、「社交ダンス」や「ビリヤード」は風営法の対象から外されてきた。
なぜダンスはいけないのか、“青少年の健全な育成に障害を及ぼす”とみなされるらしい。
だったら学校でダンスなんか必修にするなよって話。
アフタートークに社民党の福島みずほ氏や弁護士など4人が居並び
司会を務める作・演出の高間響さんが心細気なのでちょっと笑っちゃった。
皆さんさすがの弁舌で、風営法からダンスを削除するだけでなく
その先の業界のあり方まできちんと考えないといけないというのは説得力あり。
規制する国に対抗して“個人の自由”を声高に振りかざすだけでは
踊らない普通の人々の指示が得られない。
騒音やドラッグ取引の温床にならないためのルールを作って
業界として信頼される努力をしなければ、元に戻ってしまうだろうと思った。
笑の内閣、そのテーマの選び方に独特の批判精神とバランス感覚がある。
無関心でいると、知らないうちに足元まで押し寄せて来るよ…という
その危機感の持ち方に正常な市民の感性を感じる。
「65歳からの…」というタイトルは、風営法が出来て65年たったからだろう。
興味をそそる上手いタイトルだと思う。
12月にアゴラで「ツレがウヨになりまして」再演ツアーをするそうなので
ぜひこれも観にいきたいと思う。
高間氏が再三呼びかけていたけれど、劇団にはお金がないんだって。
結婚3日目にも関わらず彼の幸せオーラが薄く見えたのは経済不安だったか(笑)
ビョードロ 終演いたしました!総動員2097人!どうもありがとうございました!
おぼんろ
d-倉庫(東京都)
2013/05/29 (水) ~ 2013/06/16 (日)公演終了
満足度★★★★★
ジョウキゲンの孤独
“ゆる~い感じでやってます”と自称する劇団もある中で、
観客動員を明確な数字で目指すハングリーな姿勢は新鮮であり賭けでもある。
作品に自信があるから何としても観に来て欲しい、そのためには何が必要か
考え抜いた末に出来ることは全てやった、それがビシバシ伝わってくる公演である。
観客動員2718人、行くんじゃないか?行くでしょ、行けー!という気持ちにさせる。
もう一度行けたら、次は末原さんのラストの慟哭を間近で感じたい。
ネタバレBOX
日暮里d倉庫がどんな劇場だったか、一瞬思い出せないような景観だった。
いつも入口は2階のはずだが、正面1階に入口、入るともうそこは客席であり舞台だった。
奥の階段状になった席に座る。
「ゴベリンドンの沼」の廃工場で見たような
段ボールやペットボトル、ボロ布を使ったゴミアートが下がっている。
温かい色のランプもぶら下がっている。
役者達がリラックスした表情で客に声をかけ席を勧め、ぷちぷちでくるんだ座布団を配る。
いつものおぼんろの雰囲気だ。
主宰の末原さんが役者の紹介をしてから物語は始まる。
ビョードロというのは、血液からウイルスを作り出すことが出来る一族のことだ。
一世を風靡した後、あまりに危険だということで抹殺された歴史を持つ。
たまたま村から外へ出ていて2人のビョードロが生き残っていた。
ひとりはタクモ(末原拓馬)、もう一人はユスカ(林勇輔)で、
ユスカは人間とビョードロとのハーフだ。
彼らは人間のリペン(高橋倫平)と友達になるが
リペンの父ジュペン(さひがしジュンペイ)は、実はユスカの父でもあった。
夢見ていた父と出会い、ユスカは父に認められたい一心で彼の危険な頼みを引き受ける。
“もう一度クグル(ウイルス)を作ってくれないか”
ユスカとタクモは最強の細菌兵器“ジョウキゲン”(わかばやしめぐみ)を造り出すが
軍にジョウキゲンを提供して成功したいジュペンは次第に本性を現す。
ユスカの哀しい運命、自分のした事を悟ったリペンの行動、
そしてタクモの悲壮な決意と、コントロール不能なまでに強くなってしまった
ジョウキゲンの行く末は…。
この公演で一時も目を離せないのはジョウキゲンを演じるわかばやしめぐみさんだ。
登場の場面から、その天真爛漫なキャラクターが観る者の心をわしづかみにする。
末原拓馬さんの創り出したこの主人公は
ゴベリンドン同様、“存在の矛盾に苦悩する”キャラクターであり
その陰影の深さが実に魅力的だ。
わかばやしさんは、隙のないテンションでありながら台詞にメリハリがあり、
タクモの喜ぶ顔が見たくて命令に従いあちこちに赴きながら、
次第に疑問を抱くようになる繊細な変化を見事に表現している。
可愛くてひたむきで強くてひとりぽっちで哀しい。
ジョウキゲン、これはもうわかばやしさんの当り役だろう。
脇を固める人物がまたハマっている。
小狡いジュペンの二面性を鮮やかに演じ分けるさひがしジュンペイさん、
温かい言葉を口にしながらも巧みにウソ臭さを漂わせる台詞が上手い。
“最後の良心”ともいうべきリペンを演じる高橋倫平さん、
知ってしまった悲しみに打ちひしがれながら責任をとると宣言するところ
きれいな声が少年役にぴったりだし台詞に説得力がある。
今回初めて林勇輔さんを拝見したが
その声と立ち姿、動きの美しさに魅了された。
妖精のような容姿が哀しみをいっそう際立たせる。
役者たちが縦横無尽に走り回ると風が起き、傍らの段ボールが揺れる。
ゴミアートが単なる苦肉の策やテイストの表現だけでなく
ぶつかっても安全な極めて機能的なセットだということがわかる。
おぼんろの公演を観る度に感心するのは、プロのチームワークだ。
今回もフライヤー、美術、音楽、衣装、照明と一つひとつが充実して素晴らしい。
おぼんろの世界観を共有した上で、それぞれがプロの仕事をしている。
特に今回は照明と音楽の素晴らしさに圧倒された。
そして衣装、シンボリックなジョウキゲンの衣装といったら!
この舞台、コンパクトにして全国ツアーすればいいのに。
関東一円、あちこちの小劇場でやってもいいし
学校、体育館、公民館、どこでもできそうな気がするのは素人考えかしら?
ソウルドリームズ
ぱるエンタープライズ
東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)
2013/05/28 (火) ~ 2013/06/02 (日)公演終了
満足度★★★
いろいろもったいない
若い俳優が頑張っていることは伝わって来たけれど
“サスペンスミュージカル”なんて名前つけなければよかったのに
妙な期待をさせた分損してるのがもったいない。
いしだ壱成の使い方ももったいない。
ネタバレBOX
冒頭大音声のナレーターによる出演者紹介が少々古臭くてびっくりした。
声も割れてしまっているし、劇中劇の演出だとしても何だかなあ…。
全体的にBGMの音量が大きくて会話部分との落差があり過ぎ
ストーリーが途切れがちな気がしたが、劇場が大きいと必然的に音も大きくなるのかしら。
主役がなかなかしゃべらないし、フード被って思わせぶりに顔隠してるし、
ミュージカルなら当然ソロがあるかと思いきやそれもなく、どうも華がない。
映画出演の夢破れたリョウが、終盤感情を爆発させるなら、
その前にそれなりの葛藤がないと唐突な印象を否めない。
いしだ壱成はテレビドラマで繊細な役をやっていた記憶がある。
もっと表現出来る人だと思うがもったいない使い方をしている感じ。
群像劇として個々のエピソードを掘り下げたらもっと面白いだろうと思う。
せっかく劇団員のキャラもバラエティに富んでいるのに
「親の反対を押し切って田舎から出て来たのに…」
「水商売のバイトで食いつないできたのに」みたいな苦労話だけでは
そういう人なら社会にごろごろいる今、説得力に欠ける。
物語としての掘り下げ方が浅いのをカバーするだけの歌やダンスがあれば
舞台としてさらに楽しめたと思うが、そこも少し物足りない。
客演の關根史明さん、「シロツメの咲くあとに」でも好演していたが
今回もいいキャラをきっちり出していた。
コトウロレナさん、ちょっと台詞を噛んだのが残念だったが
きれいだしダンスのセンスもある人だと思う。
フラメンコの場面では気迫が伝わって来た。
大塚千津子さん、さすがのフラメンコでスペイン効果絶大。
何だか注文ばかりつけてしまったが
面白そうな設定や出演者を活かしきれていないのがもどかしかった。
仏の顔も三度までと言いますが、それはあくまで仏の場合ですので
ポップンマッシュルームチキン野郎
サンモールスタジオ(東京都)
2013/05/24 (金) ~ 2013/06/03 (月)公演終了
満足度★★★★★
5つ目の☆は岡本氏に捧ぐ
もっと過激かと思ったらそうでもなかったけど、そんなことより
客入れの時点でもう、チラシの束を見るのも忘れてCR岡本物語さんに釘付け。
あの素敵なお尻はこうして鍛えられたのかと納得のパフォーマンス!
作家のバランス感覚とセンス、それにしたたかさを感じさせる舞台だった。
ネタバレBOX
あんなに楽しい客入れを始めて観た。
サービス精神にあふれていて、気合いの入れ方が違う。
本編よりエネルギー注入してるんじゃないかしら。(少なくとも消耗してる)
これから毎回あんなパフォーマンスが観られるなら、絶対早めに行く。
さて、その本編の方は
2013年の紅白歌合戦に出場が内定したイスラム原理主義系悪魔メタルバンド
「中東事変」のボーカル、アッラー正田(サイショモンドダスト)が
最近元気のない実家の父(今井孝佑)と、その兄(吹原幸太)との
積年のわだかまりを解く手助けをするというストーリー。
ひとりの女をめぐる兄弟の、互いを思いやるが故の誤解と距離が
兄が継いだ寺に住みついている妖怪やアッラー正田の活躍(?)によって
少しずつ溶けて行くところが楽しい。
実家に帰ってもずっとヘビメタメイクのアッラ―正田が
一番普通の感覚を持っていていいやつなのもよい。
“毒気”は確かにあるが、そこに“敵意”がない。
“認識の浅さ”を装って逆に表現の幅を広げているところがしたたかな印象。
問題意識の薄い、のど元過ぎれば、の日本人を笑い飛ばしている感じがする。
本堂に2つ並んだ骨壷のシーンで始まり、その同じシーンで終わる。
いつもながらこのしみじみとしたベタな本流、兄弟の演技がとても丁寧だから
毒気も妖怪も全てはこのラストシーンのためのマジな遊びだと解る。
出演者の紹介が流れる冒頭の映像がスタイリッシュだし、
キモ可愛いキャラクターの作り方などがとても上手いと思う。
それと同時に、年がバレるのを怖れずに言えば
「てんぷく笑劇場」とか「8時だヨ、全員集合!」のような
ちょい昔のテレビにあったアナログな手触りを感じる。
暗転の前に、CM前の“チャンネルはそのままで!”みたいな
引っ張りと期待させ感が何となくテレビ的で懐かしい。
私的には、サイショモンドダスト★さんの鼻筋通ったメイクが好きだな。
歌わなかったのが残念だけど、素顔を忘れそうなほど似合ってた。
妖怪たちの細かい笑いのポイントもハズレがなくて良かったが
なんちゃってアラビア語で叫んでたテロリストの「24ページ」には笑ったわ。
これでおわりではない
アンティークス
OFF OFFシアター(東京都)
2013/05/29 (水) ~ 2013/06/03 (月)公演終了
満足度★★★★
昭和な家族
まったく人生は思い通りにならないものだ。
大事なものほど、ある日突然根こそぎ奪われてしまう。
場面転換の工夫によるスピーディーな展開と時間軸の移動で、
主人公の悲痛な心情が(ありきたりな叫び声や号泣でなく)浮き彫りになる。
彼女の兄が実に魅力的。
ネタバレBOX
横浜の小学校3年生の岬(つのだときこ)は、家族旅行の帰りの事故で
父母と兄、妹をいっぺんに失い祖母に育てられる。
高校卒業後は東京で働き、32歳にして念願の大学へ入学、学生生活を楽しんでいる。
そんなある日、街で死んだ兄そっくりな男に出会い、驚愕する。
男は岬をなつかしい横浜の家に連れて帰る…。
どうしても山田太一の「異人たちとの夏」を思い出してしまう。
設定はもちろん、父(家田三成)や母(高森愛花)のキャラに共通点があるからだが、
人物像の彫りが深く役者陣の実力が感じられる。
家田さんの台詞にリアルな昭和の香りがあって、いいお父さんだなと思わせる。
印象的なのは兄。
演じる誉田靖敬さんの視線が常に“演技”している。
自分たちがすでに死んでいることを意識しながら、生き残った妹を思いやる
“境界線上の複雑な”立場と思いが伝わってくる。
不器用だがケンカにも強い、頼もしいお兄ちゃんが素晴らしい。
お兄ちゃんと昔デートした同級生(本城明子)と観覧車に乗るシーン、
本城さんのカタさが上手く作用して口下手な初デートの雰囲気が初々しい。
“見たいものしか見たくない”岬の心が生んだ実在しない世界。
しかしそれが、この先岬を支える何よりのよすがとなるだろうということが
明確に伝わって来て、泣かせる別れのシーンの後は清々しい。
ちょっとラスト引っ張り過ぎかなとも感じたが
花札のシーンで終わるのは良かったと思う。
岬の幼い妹澪の声が飛びぬけてボリュームが大きく、少し違和感を覚えた。
演出の指示かもしれないけれどほかの声が落ち着いて聴きやすいので
バランスが崩れるような気がした。
現実世界と仮想世界、大学生活と小学生時代、
それらが重なって何度も行き来する構造ながら
スピーディーな場面転換もあって一気に魅せる。
「これでおわりではない」ということが、孤独な人の心を支える。
それをしみじみと感じさせる舞台だった。
けつあごのゴメス【全公演終演しました!!たくさんのご来場ありがとうございました!!!!】
劇団鋼鉄村松
ザ・ポケット(東京都)
2013/05/22 (水) ~ 2013/05/26 (日)公演終了
満足度★★★★
ちょいフラメンコおやじの圧倒的パワー
客入れのBGMも素敵なフラメンコギターの音色、
泥臭い現地の音ではなく、洗練されたアレンジのオサレな印象。
そしてのっけから様々な年齢・体型の役者による熱いパフォーマンスに圧倒された。
何だか久々に隙間なく滑舌の良い台詞を聴いた気がする。
初・鋼鉄村松は、意外なボスのカッコ良さにびっくりしたし、
“ベタ”と“洗練”のミックス加減が絶妙で振り切れた芝居がめちゃめちゃ楽しい。
ネタバレBOX
闘牛場を思わせる円形の舞台奥に左右対称の階段というシンプルな舞台。
愛情を注ぎ自分を育ててくれた兄(安藤理樹)が
ある日牛になってしまったというだけで(十分だと思うが)
肉屋に売り飛ばした妹(小山まりあ)は、無敵の闘牛となった兄の復讐を怖れている。
一方、彼女をめぐって貴族フリオ・カラス(ボス村松)と
伝説の闘牛士ゴメスをしのぐとも言われるロドリゲス・ノノムラ(ムラマツベス)は
ついに決闘する羽目に…。
勝負はロドリゲス・ノノムラの勝利に終わり、彼は無敵の闘牛と対峙することになる。
最高のマタドールと最強の牛の闘いは果たしてどちらが勝つのか…。
紅一点の妹・中井ちゃん役の小山まりあさんが大健闘。
パワーがあって振り切れた演技が、シュールな展開にもかかわらずさわやか。
兄役の安藤理樹さんは、最近カムヰヤッセンやぬいぐるみハンターでも観たが
今回もキレの良い動きと表現力豊かな台詞で魅力的なキャラを作っていて
愛情深く思い込みの強い兄が牛になってしまった怒りと悲しみが感じられる。
弁護士役の加藤ひろたかさん、狂言回しとしての役割も含め
安藤さんとともに“若手細身イケメン”パートを担って軽やかだが
声に力と華があって存在感大。
肉屋の橋口克哉さん、あちこちで何度か見かけるが
すごい存在感で、本当にブッチャーって感じ。
牛役の多田無情さん、目が牛になっていてすごい。
反芻するところなんか妙にリアルで哀しみさえ覚えた。
演出の山本タカさんは20代前半だそうだが
この(良い意味で)おじさん臭漂う作品をすごく洗練された舞台にしている。
音楽の選択や、シルエットの表現、闘牛のシーン、
思いっきり暑苦しいスパニッシュテイストの群舞などがとても素敵だ。
「声を出すと気持ちいいの会」を観なくてはならぬ。
私はオリジナルの鋼鉄村松を知らないが
ベタなギャグやキャラクターで若干ノスタルジックなテイストを
劇団のカラーを薄めることなくスタイリッシュに仕上げたという印象。
ボス村松、ムラマツベスに、オリジナルのテイストを強く感じた。
結成19年の劇団が演出を外部の若い人に委ねる勇気はすごいと思う。
しかも大成功でしょ、比較出来ないくせに言っちゃうけど。
いやー、村松一族すごいわ。
おじさんの踏み鳴らす足音と「もぅ~」という雄叫びで
今晩眠れないかもしれない。
て
ハイバイ
東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)
2013/05/21 (火) ~ 2013/06/02 (日)公演終了
満足度★★★★★
まったく何という芝居なんだろう
おとうさん指とおかあさん指、おにいさん指、おねえさん指、そしてボク。
アフタートークで岩井さんが語ったように
5本の指が例えどれほど「こいつの隣はいやだ」と思っても
どうしようもなくつながって、離れ難い「て」のような存在、それが家族だ。
「て」を観るのはユースケ・サンタマリア出演のプロデュース公演を含めて3回目だが
いつも笑いながら泣き、泣きながら笑ってしまう。
ネタバレBOX
舞台を挟んで向かい合うように客席が設けられており、
中央には棺が置かれている。
喪服のお母さん(岩井秀人)が出て来て前説。
そしていつものように「では始めます」のひとことで
おばあちゃん(永井若葉)の葬儀の場面から始まる。
父(猪俣俊明)と母(岩井秀人)がおばあちゃんと暮らす家に
久しぶりに子どもたちが集合するが
父親からの壮絶な暴力を浴びて育った4人の子どもたちは
顔を合わせれば早くも軋み始める。
何を言っても無駄だと距離を置いて眺めるだけの長男(平原テツ)、
父親も許せないが、そんな兄の態度も許せない次男(富川一人)、
仲の良い家族として少しでも変化が起こればと今回企画した長女(佐久間麻由)、
ひとり暴力を受けずに育った次女(上田遥)。
彼らそれぞれの父親に対するこわばったような態度と
それを受け止めながら間に入る母。
認知症で孫がわかったりわからなかったりのおばあちゃん。
傍若無人な父が「リバーサイドホテル」をひとりフルコーラスで熱唱する間
子どもたちがわいわい話しながらビールを注ぎ合い
盆か正月のようにごく普通の家族の図が繰り広げられる。
この“父の好きな歌”をバックにした図が
過去の壮絶な歴史を忘れさせるほど自然で、観ていて泣けてしまう。
お母さんは部屋の外で号泣している。
理想と現実の埋めようのない乖離が浮び上って素晴らしい。
ここまでのストーリーは二度繰り返される。
一度目は子どもの視点で、二度目はお母さんの視点で
同じ台詞、同じ動きなのに微妙に違う。
役者さんも180度回転して演じるので
私たちはさっきの場面を反対側からも見ることになる。
この視点を変えて二度見せる演出が、一つの出来事の二面性を鮮やかに見せて秀逸。
「ハイバイドア」による空間の切り替えも上手い。
そして何と言ってもお母さんのキャラが魅力的だ。
岩井さんの実体験が元になっているこの話の中で、
「母親を疑似体験したくてこの役をやってみようと思った」という
もっとも思い入れのある大事なキャラクターである。
男岩井が演じることで、その母性が際立つから不思議だ。
強くて時に弱く、でもいつも温かいお母さんだ。
“渦中の人は必死だが、それを傍から見ると時に滑稽である”という
冷めた視点がベースにあって、その笑いが随所に光る。
“笑えない状況”ほど“笑える”という皮肉が、
葬儀屋やカラオケの場面で効いている。
平原テツさん、最もひどい暴力を受けた長男の
父親に対する距離の置き方が徹底していて素晴らしい。
この長男がブレないので、次男と激しく対立する場面では
観ていて心拍数が上がるほど緊張する。
岩井さんのたぶん永遠のテーマで、繰り返し上演される作品だろうと思うが
何度見てもボロ泣きしてしまう。
子どもたちの視点で泣き、お母さんの視点で泣く。
全く何という芝居なんだろうと思う。
未確認の詩-ウタ-
ライオン・パーマ
王子小劇場(東京都)
2013/05/16 (木) ~ 2013/05/20 (月)公演終了
満足度★★★★
子どもの駄々ではない
“ショートコントのようなシーンを積み上げて、一つの作品に仕上げる作風”
だとホームページにもあるが、まさにそう。
軽い笑いネタ満載のエピソードがいくつも展開して
最後どこに行きつくのかと思っていると
何だよ、えらく泣いちゃったじゃないの。
じーんとくるようないい台詞言わせるんだもの。
ネタバレBOX
冒頭の野球場のシーンが秀逸。
これでいきなりぐっとつかまれる。
大ファンだった選手の引退試合で、裕幸はその選手のホームランボールをゲットする。
大喜びする裕幸、そのシーンを回想して語るこずえ。
「未確認飛行通販」のオフィスでは今日も
人々の願いを叶えるべきか却下するべきかについて、碇指令が判定を下している。
もし叶えば最高のタイミングで願いは実現されるが、
碇指令が「子どもの駄々に付き合っている暇はない」と言えば、それは却下だ。
そしてこのあと、人々の様々な願いが描かれる。
ダム建設をめぐって狼の存在を証明しなければならない村の人々、
行列を作りたいラーメン屋のけなげな奥さん、
これからカジノ摘発に臨む刑事たちの打ち合わせ風景、
母親の誕生日に一番望む物をあげたいと願う家族等々…。
刑事たちの短パン論争とかエヴァンゲリオンなど
ちょっと懐かし系のネタがえらく楽しい。
早口の台詞が滑って感情が浅くなったのがちょっと残念。
SFものや刑事ものは、単語や説明を聞き逃すとストーリーが途切れてしまうので。
最後に、全てのエピソードは恋人を亡くして精神を病んだ
こずえの小説であることが明かされる。
「今あるものが何も救ってくれないなら、
未確認とされる未知の力を信じたっていいじゃない」
というこずえの叫びが悲痛で、彼女の心の痛みが伝わってくる。
未確認飛行通販を生み出して自分で自分を救うしかなかったこずえに
もう一度あの野球場のシーンを録画したビデオが再生される。
実はホームランボールをゲットしたのは裕幸ではなく
隣のサラリーマンだったのだが、そこには自分のことのように喜んでいる裕幸がいた。
そして裕幸が叫ぶ。
「僕の台詞は僕が喋っているんじゃない
君が僕に言わせたい事を、喋ってるんだ」
これが泣かせるんだなあ。
私たちはみんな、“言って欲しいこと”を胸に会話している。
期待通りの言葉が返ってくれば嬉しいし安心する、幸せな気持ちになる。
だがそうでなければ怒ったり悲しんだり落胆したりする。
喧嘩も誤解も憎しみも、みんなそこから発生するような気がする。
絶望のあまり裕幸を自分の中で理想通りに創り上げてしまったこずえが哀しい。
コントが徹底していることと、役者陣が達者なので成功しているのだと思う。
それを重ねて最後にあの台詞だから、孤独や哀しみが際立って思わず涙がこぼれる。
裕幸役の草野智之さん、短パンの話をしても泣かせる台詞を言っても
台詞に説得力があってとても魅力的。
母の誕生日を祝い、5人の娘たちが西城秀樹の「YMCA」の替え歌で
「♪かあさん、かあさん…♪」と歌うのが素晴らしく、聴き惚れてしまった。
結局こずえは裕幸の真の笑顔に気付いたわけだし
もしかして未確認飛行通販で願いが叶ったんじゃない?
今ある物が救ってくれない時代に、未確認飛行通販ってすごくいい発想。
あの碇指令が判定を下すのはちょっと不安だけど。
メメント・モリ
ウンプテンプ・カンパニー
【閉館】SPACE 雑遊(東京都)
2013/05/16 (木) ~ 2013/05/27 (月)公演終了
満足度★★★
人は死んでも髪が伸びる
G・ガルシア・マルケスの「愛その他の悪霊について」から想を得た作品だそうで
“原因不明”と“自由思想”は「悪魔のせい」にする時代を描いた音楽劇。
それにしても、人は死んでも髪が伸びるって本当?
“頭蓋骨から22m11㎝も伸びる赤銅色の髪”ってエピソード、怖すぎ…。
ネタバレBOX
舞台中央に大きな布で包まれたテーブルのようなものが置かれている。
出演者全員による合唱から始まり、侯爵が娘のシエルバ・マリアを連れて
サンタ・クララ修道院を訪れる場面に移る。
狂犬に噛みつかれた者は、やがて悪魔にとり憑かれたと噂され怖れられるのが常、
侯爵は苦渋の選択をして娘をここへ連れて来たのだった。
そしてマリアの悪魔祓いをするためにやって来たのが、青年デラウラ神父であった。
二人は恋に落ち、当然のことながらそれは許されないものであった…。
良く分からない病気や原因不明の現象、なじみの無い文化風習、
そして恋愛さえも、“悪魔の仕業”とされた時代の悲劇を
「今もおんなじじゃ~ん♪」と歌って皮肉る音楽劇。
コントロールしにくい要素は徹底的に排斥しようとするとき
手段を選ばない権力者が選んだ手段は”魔女狩り”だった。
合唱は歌詞も良く分かるし、ストーリーとして面白く聴いたが
ソロは相変わらず難し過ぎる歌で、役者泣かせだろうなと思う。
ウンプテンプの舞台は、この不思議なメロディが芝居のカラーを左右する。
これを“雰囲気のある旋律”と聴くか“いたずらに難しくしてる”と聴くかで
舞台の評価が割れるだろうと思う。
私は7:3で“難しくしてる”が勝ってる印象。
もし平易なメロディで歌ったらどんな舞台になるだろう。
芝居そのものがつまらなくなるかしら?
そんなことはない、むしろ台詞が際立つと思うけど。
侯爵の後妻ベルナルダを演じた中川安奈さんが、存在感大。
性格の悪い、それなりの死に方をする女を、意外に太く演じている。
侯爵夫人に納まりたくて彼を誘惑した、美しく自堕落な女が良かった。
修道院長を演じた新井純さん、権威と権力の権化みたいな存在がすごい。
こういう人が社会を動かし、人心を萎縮させたんだろうと想像させる。
衣装に工夫があって楽しい。
修道女の制服もパリッとしていて気持ちが良い。
ベッドを包む布が、場面の切り替えを上手く演出している。
現代社会の閉塞感が、何となく抑圧された時代と重なって
学校や会社、様々な組織におけるいじめや迫害を思い出させる。
人間って常に“魔女狩り”をしたがる危ない生き物なのだ。
死者の髪の毛が伸びるというエピソードにおののき、それが広まるのは
どこかに残る良心の欠片が、ほんの少し疼くからに違いない。
既成事実
小西耕一 ひとり芝居
RAFT(東京都)
2013/05/15 (水) ~ 2013/05/19 (日)公演終了
満足度★★★★
性悪女と自滅男
第一回公演「中野坂上の変」では複数の作家の短編をひとりで演じたが
今回は自身が書き下ろした作品をひとりで演じるというもの。
ちょっと行き過ぎた男の転落の様が鮮やかで
相変わらず台詞の力を感じさせる舞台だった。
展開の面白さに加えて、彼を取り巻く全てが凝縮された怒涛の後半が素晴らしい。
ネタバレBOX
みよちゃんの浮気はもう14回目だが、タケシはまたも許してしまう。
ただし「消毒」と称して浮気の一部始終をベッドで再現する。
これをしないと気が済まない。
だが今回は職場の佐々木先輩に愚痴ったことから
先輩と二人浮気相手の男の店へ顔を見に行く羽目になる。
そして泥酔して二人はホテルに行くのだが
タケシは行為の最中、佐々木先輩の首を絞めて死なせてしまう。
そして死体はバラバラにして生ごみの日に出す。
ある日タケシはみよちゃんが自分以外の男の子どもを妊娠したと知って激高、
一度は彼女と別れるが、思い直してその子の父親になろうと決心する。
その時遠くでパトカーのサイレンが鳴り、それは次第に近づいて来た…。
タケシはみよちゃんが大好きで、一緒にいられるなら何でも許す。
殺人を犯したことさえ、彼にとっては失敗でも大問題でもない。
ちょっとびっくりしたけどたぶんバレないし、それより問題はみよちゃんの妊娠だ。
タケシの極端な価値観の傾き方、誇張はあるが良く見かけるタイプだ。
顔に痣のある自分を好きだと言ってくれたみよちゃんを失いたくないあまり
“既成事実”を“消毒”して無かった事にする。
この自己満足なリセットの儀式が効いている。
こういうちょっと“ドン引きキャラ”にもかかわらず
いつのまにか感情移入させてしまう所がすごい。
父親が実の親ではなかったことを思春期に知り、
その後ずっとぎくしゃくしていたという背景も巧みに織り込まれている。
パトカーのサイレン音がマックスになる中、
「お父さん、自分の子でない子どもを育てるってどんな感じ?」(という意味の台詞)
で直後に暗転するが、因果の巡りを感じさせる終わり方だ。
ひとり芝居のポイントは、“見えない登場人物がどこまで視えるか”だと思う。
一見無邪気、実はしたたかなみよちゃんが生き生きと立ち上がって来るのは
小西さんの「リアルな台詞」と「間の巧さ」だ。
日頃彼のブログを読んでいても、興味をそらさない文章の巧さに感心する。
殺人を犯してからの転落は(タケシは転落だと思っていないが)
台詞に変化とメリハリがありまさに怒涛の展開、テンポ良く鮮やかだが、
前半そこへ行くまでがちょっと長く感じられたかな。
このひとり芝居シリーズ、早くも次回9月の公演タイトルが発表になっている。
「既成事実」の次は「破滅志向」だそうで、
わかっていながら「地雷」を踏み続ける小西耕一という役者の
執拗かつあっけらかんとした自虐志向が楽しみだ。
【次回公演は3月!ご来場ありがとうございました!】「かたわこや」
劇団東京ミルクホール
SPACE107(東京都)
2013/05/15 (水) ~ 2013/05/19 (日)公演終了
満足度★★★★
マジで鼻から
「ミルクホールの原点は江戸期の見世物小屋」にあるという視点で書かれた本作は
「差別される人々」の世界を描くと同時に
「無意識のうちに差別している人々」の心理をも突いている。
しかしまさか全員がチラシのように“鼻から垂らす”とは思わなかった!
ネタバレBOX
代議士の父を持つ帝大生が、理想の社会福祉を論じながら
実は底辺にいる見世物小屋の人々に対して
「無意識のうちに差別している自分」に気付く。
そして見世物小屋の娘への叶わぬ恋、親友の死などを乗り越えて成長していく。
というと何だか“青年の主張”みたいだが、のっけからミルクホール色満載。
「どうぞ舞台へ上がって見世物小屋の中をご覧ください!」と言われて
何と5~6人を除いてほとんどの客が舞台へ上がった。
客席に背を向けて妙な芸(?)を披露する人を見て笑ったあと
客席後方に登場した帝大生二人のやりとりを、みんなで舞台から眺める。
私もミルクホールの舞台には何度か上がったが、この図が面白いんだな。
二人の帝大生から恋される見世物小屋の娘マキ(コースケ☆ハラスメント)が
声も仕草もあんまり自然で可愛い(!)ので一瞬「まさか女の子が客演?!」と
当日パンフ(これがまたいたずらに男を下げる顔の写真集だ)を確認してしまった。
恋に破れる帝大生を演じた浜本ゆたかさんが相変わらず良い。
この人はベタな台詞を言っても説得力があるのが魅力。
自分の中にある差別する気持ちに気付いた時や
マキと親友の恋の行方を見守るところなど
台詞や間が丁寧で、しみじみさせる。
ミルクホールは笑いと人情の両極を行き来するのが魅力だが
その人情パートを背負う人だと思う。
そしてやっぱりおバカな展開が素敵だ。
扇風機の芸(芸なのか?)とか、“さんがつ”(なんちゅー芸だ!)とか
見ている私たちもハラハラドキドキ、
だって全員があの“チラシと同じ顔”になるんだから素晴らしい!
冒頭のダンスはちょっとけいこ不足の印象を受けたが
ラスト「津軽じょんから」はとても素晴らしかった。
コースケさん、浜本さんのキレの良さとかたちの美しさが印象的。
やくざの鬼小島を演じた多舞タカシさん、声もいいし
艶のあるやくざがとても良かった。
佐野うさぎさん、”無駄に二枚目”な顔で、当パンの写真がとってもセクシー。
バビ市のおしっこハプニングもあったが、
その不具合をも笑いに変える瞬発力は相変わらず。
改めて生の舞台ならではの楽しさを満喫した。
もうひとつある世界の森に巣喰う深海魚たちの凱歌
あなピグモ捕獲団
シアター711(東京都)
2013/05/09 (木) ~ 2013/05/12 (日)公演終了
満足度★★★★
熟成肉の旨み
携帯電話を失くした男の不安と混乱、そして見つかった携帯に残る着信履歴は
すべて「麒麟Q」からだった…という冒頭からシュールな展開だが
役者陣の説得力のある演技で飽きさせない。
ネタバレBOX
ひとりの男ハナブサ(大竹謙作)が携帯電話を失くした事に気づきパニックになる。
その日1日の足取りを辿って店に問い合わせてもわからない。
不意にポケットから出て来た携帯には「麒麟Q」からの着信履歴があり
なぜか麒麟Qにしか繋がらない。
「助けが必要だろう?」という麒麟Q。
麒麟Qとは一体誰なのか?
街中から森に迷い込んだハナブサはその後
エレベーターの中にいたり、病院で診察を受けたり、彼女とドライブしたりと
目まぐるしく場所を移動し続ける。
携帯電話を失くしただけで、まるで世界を失ったように寄る辺ないハナブサ。
大事な記憶を辿ってもすぐに途切れ、居場所を探して転々とする。
そもそも携帯に依存し過ぎて私たちは多くを忘れるようになった。
電話番号、スケジュール、漢字、名前…。
そしてネット社会に溺れて自分自身を見失う。
これはハナブサが自己を取り戻すまでのロードムービーか。
ラスト、天井から降りている赤い糸と、舞台いっぱいの赤いウェブが象徴的で美しい。
麒麟Qがもう少し途中からハナブサをガイドしてあげたら
観ている私たちもだんだん状況がわかって、
彼の混乱を客観的に観る面白さが加わったのではないかという気がする。
“わかりやすさ”はうるさいのかもしれないけれど。
“忘れることを怖れて常に反芻する”という作者の、どこか切迫した日常を感じる舞台。
女性陣の衣装や動きなどが洗練されていて、スタイリッシュな不条理劇のようだ。
当日パンフで“福岡で4月に済ませた公演を1カ月熟成させて、
熟成肉のような面持ちで焼き上げた“と作者の言う芝居は、なるほど旨みがある。
修学旅行~TJ REMIX Ver.
渡辺源四郎商店
ザ・スズナリ(東京都)
2013/05/03 (金) ~ 2013/05/06 (月)公演終了
満足度★★★★★
極上の修学旅行
畑澤聖悟作、構成・演出はキラリふじみ芸術監督で「東京デスロック」主宰の
多田淳之介とくれば、その演出に期待せずにはいられない。
沖縄への修学旅行中、女子高校生の内輪もめが次第に拡大していく様を
ケラケラ笑いながら見ているうちに、
その力関係が911以後の世界情勢を映していることに気づくという二重構造が巧み。
二重構造に気づいても気づかなくても楽しめるように作ったという作者の意図を、
これまた多田淳之介さんが解りやすい演出で極上のエンタメに仕上げている。
こんなに笑った舞台は久しぶり。
ネタバレBOX
舞台正面に、セーラー服やブレザー、詰襟など10数着の制服が掛っている。
並んだ椅子に出演者が座ると、やがて厳かな雰囲気で教師が二人登場。
「工藤由佳子 3×歳」となぜか実年齢まで読みあげると
「はい」と立ち上がる。
冒頭のこの卒業式の場面で、これから高校生を演じる役者の年齢が明らかになり
その無理目な設定と神妙な出演者の顔が可笑しくてたまらん。
沖縄への「平和教育」を兼ねた修学旅行の夜。
教師の覚えめでたい生徒会長の本音だの、
修学旅行の夜を盛り上げようと必死な班長だの、
県大会前で部屋でも素振りを欠かさない部員だのが
ひとりの男子をめぐって次第にたまっていた不満をさらけ出していく。
「そのバットが飛んでくるかもしれないっていう不安で気が休まらない」という
生徒会長の発言が正義のアメリカを映していると気づかなくても
全く問題なく楽しめる台詞と展開が秀逸。
枕を投げ合い、布団をブン投げ、挙句の果てに畳までひっくり返しての全面戦争に突入。
やがて廃墟と化した部屋でしばし呆然とするメンバーたち。
再び卒業式の場面に戻って、式歌「翼をください」を斉唱するが
バックの飛行機音が次第に大きくなり爆撃音に変わっていく演出が冴える。
せっかくの二重構造に気付かないのはもったいないとばかりに
911や沖縄戦、さらには311を思い起こさせる多田演出が上手い。
作品は、演出によってこんなにも変わるし変えていいのだということを
このオトナの高校演劇祭で改めて知ったような気がする。
良い作品というのは様々な演出が可能であり、
それは台詞が良いからいじっても崩れないということでもある。
鮮やかな多田演出を観て、その印象を強くした。
工藤由佳子さん、柿崎彩香さん、三上春佳さん、北魚昭次郎さんなど
今回もそのなりきりぶりが見事で素晴らしかった。
畑澤聖悟さんという人がこれから何をするのか、ずっと見て行きたいと思う。
河童~はたらく女の人編
渡辺源四郎商店
ザ・スズナリ(東京都)
2013/05/04 (土) ~ 2013/05/05 (日)公演終了
満足度★★★★
”河童”現象
オトナの高校演劇祭2本目は「河童~はたらく女の人編」。
高校演劇部のために書かれたこの作品は、高校の教室が舞台だったが
今回なべげんのオトナが演じるにあたり、舞台はオフィスになっている。
ある日突然河童に変身してしまった女子社員をめぐって職場は大揺れ。
「いじめ」や「差別」は子どもも大人も同じように、その社会にはびこっている。
そして性質が悪いことも同じなら、有効な解決方法が見当たらないのも同じだ。
ネタバレBOX
なぜか突然河童になってしまった女子社員の扱いについて職場は意見が分かれる。
それまでの勝手な振る舞いもあって、全く同情の余地なしとする社員もいれば
かわいそうだから優しくしてあげてと訴える同期の社員もいる。
部長は一生懸命みんなで受け入れましょうと説得を試みるが、社員の反応は冷たい。
社内恋愛の相手だった課長も今やドン引きの状態だし
あのぬるぬるした緑色の皮膚と水かきの手、そして強烈な匂いに皆辟易している。
河童が課長との甘い思い出に浸るシーンで
突然ピンキラの「恋の季節」を歌い出したりするのが最高に可笑しい。
だがそんな河童の楽観的な思惑を木端微塵に打ち砕くのは
理解し励ましてくれていた部長が、握手を拒んだことだった。
口では何とでも言えるが、結局それか、触るのは嫌か…。
理解者ぶっても最終的には拒否する。
僕はみんなと違う、僕も河童になると言って近づいて来る男は、
完全防備で直接触れないようにしている。
そしてある朝、唯一河童と手をつないだ同期の女子社員が出社してきた時
彼女の手は緑色で水かきがついていた…。
アフタートークで畑澤氏が語ったように
カフカの「変身」がベースにあって
ある日突然いじめの対象になる、理由も原因もわからない不条理さが出発点だ。
高校生にも理解できるよう、「変身」のあらすじを語らせるなど
親切な試みにあふれていてとてもわかりやすくなっている。
「1回では聞き逃すから2回言う」のがポイントだそうだが
高校生から70代、80代までの幅広い年代層が理解し楽しめるようにするのが
高校演劇の特長だというのが印象的だった。
確かに、若い劇団が同年代の仲間ウケだけに満足しがちなのとは一線を画している。
地方では尚更、そんなターゲットを絞った演劇ではやって行けないということだ。
ストーリーは何の解決策も提示されず、
所詮同じようにいじめられ差別される者同士しか分かり合えないのだ…
みたいな暗澹とした終わり方をするのだが
もしかしたら、“河童”が伝染して社員全員が河童になってしまえば
いじめも差別も無くなるのか、という気もする。
想像力を働かせれば何とかなるとか
「みんな仲良く」みたいな説教で何ら変わるものではないという
辛口のメッセージが、現役の教師から発せられるという所に説得力がある。
自分の過去の職場で見聞きした“河童”現象をいくつか思い出して
今さらながらひどく納得したのだったが
たぶんこういう見る側の経験値も、オトナの演劇祭をさらに面白くするのだろう。
ひろさきのあゆみ~一人芝居版
渡辺源四郎商店
ザ・スズナリ(東京都)
2013/05/03 (金) ~ 2013/05/05 (日)公演終了
満足度★★★★
「最後の一歩!」
パンフレットにあるように
「オトナだからと言って高校生より面白いモノが作れるとは限りません。
高校生に高校生の情熱と可能性があるように、オトナにはオトナの意地と知恵があります」
そのために、「オトナの俳優が演じるだけでなくオトナの演出を加えた」としている。
柴幸男さん作の「あゆみ」はひとりの女性の一生を10人で描く演出で、
畑澤聖悟さんはそれを高校生向けに潤色、8人で演じた。
今回工藤千夏さんはそれを大人の一人芝居に仕立てている。
若い世代から見た“女の一生”を、成熟した女性が演じるとどうなるのか。
ネタバレBOX
舞台中央には、開演前から女性が座っていて足に赤いペディキュアを施している。
様々な物が彼女をぐるりと取り囲むように円を描いて並んでいる。
靴、傘、ランドセル、サンダル、どれも鮮やかな赤い色である。
小さな椅子や犬のぬいぐるみ、一足だけ白い靴。
これらの小物を使って、幼児から老婆までのあゆみを淡々と描いていく。
「最初の一歩!」で始まったあゆみという女性の人生は
「最後の一歩!」という台詞で舞台は暗転、人生を終える。
人生は終わりへと向かう“あゆみ”だというこの舞台は
高校生の告白とか、社内恋愛、出産、親の死など
オトナが見れば淡々として平凡な出来事の連続かもしれない。
10代の若者が必死に想像して演じていたこのストーリーを
工藤由佳子さんは“経験者”として演じる。
私は元の「あゆみ」を観ていないので比較が出来ないけれど
舞台には、この経験値の差が出ていたのではないか。
幼児期や小学生のころを演じたのには若干無理が感じられたが
社会に出て社内恋愛、交際、結婚と進むあたりから
俄然生き生きとして、台詞と動きがなめらかになった。
日頃、屈折した色気のある役を繊細に演じる素晴らしい役者さんなので
あまりにストレートな類型的キャラクターでは物足りなく感じてしまう。
それでも、親の死を告げられた時とか、晩年の車いすのシーンなど
じっとしているだけの芝居に思わず涙がこぼれた。
演出の斬新さを排した分、深みが増していると感じた。
青森公演では音喜多咲子さんのバージョンもあったという一人芝居、
こちらも観てみたかったなあと思う。
“未経験なのに知ったような顔をする女の子”をやらせたら天下一品の音喜多さんは
どんなあゆみを演じたのだろうか。
力のある脚本は、いろいろな演出が可能になると知った舞台だった。
「最後の一歩!」という台詞に、作家のピュアで強いスピリッツを感じる。
経験こそなくても、はじけるような若さが跳ねる舞台もまた素晴らしいだろうなあと思った。
天使は瞳を閉じて
ソラトビヨリst.
Geki地下Liberty(東京都)
2013/04/25 (木) ~ 2013/04/28 (日)公演終了
満足度★★★★
人間って哀しいね
第三舞台・鴻上尚史の脚本を中山英樹さんが演出・編集というソラトビヨリ版。
ちなみに私は第三舞台版を観ていない。
繰り返される天使の報告書の文章が
舞台正面のスクリーンに映し出される演出が良かった。
人間の愚かさと天使の優しさが視覚にも訴えて来て効果的。
ダンスシーンも大健闘。
マスターのたたずまいが魅力的だ。
ネタバレBOX
舞台正面に3枚の布のスクリーン、真ん中は四角い大きな布、
左右は細長い長方形で、そこに字幕が流れる。
天使が神様に(神様はもう大分前にいなくなってしまったが)報告書を書く
その文章が映し出される。
天使の仕事は人間達を見守ること、決して手を出して助けたりしてはならない。
だが今や天使の担当区域に人間はおらず、タヌキの観察などを報告する日々だった。
ある日、女天使が生き残った人間がいる区域を発見、男天使を無理やり誘って
そこへ舞いおりると、町は膜(壁?)に覆われて放射能や宇宙線から守られていた。
しかしそれを知らない人間たちは、膜の向こうの世界へ出たいと思っている。
女天使は幸福そうな人間たちの姿を見て「人間になりたい!」と宣言し、
たまたま降り立ったその店でバイトを始める。
そしていつか、手を出さないはずの天使は、
人々の肩にそっと手を置き、手と手を重ねさせて
思うようにならない人の心をつないでみたりする。
それでも、幸福そうだった人間たちの心と暮らしは、少しずつ壊れて行く…。
「町は幸福に満ちている
僕は書くことがなくて困っている
明日にでもあの懐かしい受け持ち区域に戻ろうと思う…」
どんな哀しい情けない人間達を見ても、このフレーズで報告書を終える
男天使の心情が切ない。
演じる二川剛久さんの、話し方も仕草も優しく繊細で
他の登場人物がテンション高い中で切なさが際立つ。
もう一人、マスター役の中山英樹さんのたたずまいに味わいがあった。
「マスター、ビール!」と言われた時の返事に、思いやりがあふれている。
「コーマ・エンジェル」という謎のドラッグや、背中に羽が生える奇病など
滅び行く人間たちに原点や立ち止まるきっかけを示唆するアイテムが効いている。
メディアによって方向性を定められ、踊らされる世界の危険性は現代も同じだ。
人間の成長と同時に、メディアや社会の成熟についても考えさせる。
鴻上流の笑いやダンスシーンも多くエンタメ色が強いが
”進化にまつわる会話”など深いところを突いて来るので
その行ったり来たりがストーリーの道幅を広げて魅力的な作品。
舞台は全体にハイテンションだが、”エンタメとシリアス”の振れ幅に合わせて
テンションも台詞ももっと細かく変化したら、さらに彫りが深くなったように思う。
死んでしまった”羽根の生えた人間”とは、進化なのか退化なのか?
”退化して天使になった”と思いたいけど…。