CoRichでは公演情報のシェアをはじめ、全国の小劇場団体を対象に開催するCoRich舞台芸術まつり!などを通じ、地域を拠点とする団体とさまざまな交流を持ってきました。そんな豊かな出会いや関わりを活かして、keicobaでは、全国各地で活躍する表現者へのオリジナル連載【出張インタビュー】シリーズを展開。地域を拠点にさまざまな形で演劇に携わる人々の歩みや現在地をお伝えします。
Vol.5は、名古屋を拠点に活動する優しい劇団より主宰で作・演出を手がける尾﨑優人さんが登場。ホームでの活動はさることながら、顔合わせ・稽古・本番を同日に行う1日限りの演劇「大恋愛シリーズ」など、地域を横断した注目も集まっています。「名古屋に来る理由になりたい」。そう語る尾﨑さんに演劇との出会いやこれまでの歩み、ホームへの思い、そして、9月から12月にかけて東京の高円寺K’sスタジオ本館と名古屋のシアターココで上演される前代未聞のロングラン公演『データラメッチを抱きしめる』についてお話を聞きました。

こども歌舞伎からはじまった演劇人としての歩み
──尾﨑さんの初舞台は小学生の頃のことで、まさかの歌舞伎だったそうですね。
「名古屋開府400年記念事業」の一環として「名古屋こども歌舞伎」というものが御園座の主催で立ち上げられて、そのオーディションを受けたんです。それまでの僕は何かに興味を持っても続かなくて、習い事をはじめてはやめてしまうことの繰り返しでした。そんな僕に、学生時代に演劇をやっていた母が勧めてくれたんです。結果、全員合格(笑)。稽古が月に一度くらいのペースだったこともあって、僕としてはたまに遊びに行くような感覚でした。
──ゆるやかな環境が、当時の尾﨑さんに合っていたんですね。歌舞伎への関心はそれから続いたんですか?
もともとかなりの歴史好きなんですよ。僕らが取り組むことになった演目は『絵本太功記 十段目 尼ヶ崎閑居の場』で、「本能寺の変」を起こした明智光秀のその後をモチーフにしたお話でした。僕が演じたのは光秀のお母さんで、これが役者人生においてはじめて得た役。しかも初舞台で死ぬシーンまで演じるという、なかなかに壮絶な体験をしました(笑)。あのとき目にした光景は、いまでも忘れません。
──演劇人としてのルーツが特異ですね。その後の歩みが気になります。
その翌年、主役を務めることになりました。『傾城阿波の鳴門』という演目の『どんどろ大師の場』という場面で女性を演じたのですが、このときにかなりのめり込んで、歌舞伎の世界に、ひいては舞台の世界に没頭していくことになったんです。ちょうどこの頃、クラブ活動のサッカーで足の小指を骨折していて、うまく歩けなかったのですが、その歩き方が女方らしい歩き方に映ったみたいで。怪我をしていたというネガティブな状況を、役者としてポジティブなものに変換できたんです。演劇の世界においては、うまく扱えばなんだって武器になる。これがいまの僕の思う演劇の面白さのひとつで、その原点はあのときの経験にあるんです。花道を去っていくときにクラスメイトのみんなが集まってきたことや、おひねりが飛んできた瞬間のこと、やっぱりずっと忘れられないですね。

──そこからどのようにして、現代演劇へとシフトしていったのですか?
こども歌舞伎は高校3年生まで続けつつ、高校では演劇部に所属していました。現代演劇との出会いはここですね。部活の顧問の先生が、まさかの平田オリザ信者だったんですよ(笑)。入部してすぐにハイバイの『て』をDVDで見せられて、衝撃を受けました。だって、それまでの僕は歌舞伎的な舞台芸術しか知らなかったのに、『て』は前説から作品がはじまって、舞台上には非常に簡素なセットしかない。度肝を抜かれました。そんな環境で演劇の世界にのめり込んでいくわけですが、僕の芝居はどうしても歌舞伎がかったものになってしまうので、よくダメ出しされていましたね(苦笑)。
──演技体がまるで違いますもんね。そんな現代口語演劇に取り組む環境で、反抗してみようという気持ちになったりしなかったのでしょうか。たとえば、歌舞伎の経験を活かして、もっとフィジカルに重きを置いてみようとか。
気持ちとしてはありました。というのも、僕は高2のときに野田秀樹作品に出会うんですよね。歌舞伎のクセを抑制される1年間を経て、2年の夏の大会の稽古中に、OBの先輩が『半神』の映像を見せてくれたんです。これが僕にとって3度目のターニングポイント。歌舞伎から演劇の世界に入って、演劇というのは静かなものだと思い込んでいたのに、「めちゃくちゃ騒いでるじゃん!」と思って(笑)。

優しい劇団を旗揚げ──逆境も追い風に
──高校時代の演劇活動において、現在の尾﨑さんの活動につながるような成功体験はありますか?
高校1年の中部大会での本番中のことです。物語のシチュエーションとしては交番の中で、僕は万引き犯を捕まえたスーパーの店長役を演じていました。シーンの流れとしては、交番内にある固定電話が鳴って、警官役の先輩がハケるというもの。ところが、電話が鳴らない。あれには本当に焦りました。事情としては、会館側の不手際でコードがつながっていなかったみたいで……。でもこのときに、咄嗟のアドリブが出たんですよ。「留守電が入ってるよ」って。これによってどうにかシーンを進めることができました。作品の出来としては散々なものになってしまいましたが、あの絶体絶命の状況をアドリブで切り抜けられた経験は大きい。僕のひとつの自慢であり、その後の自信にもつながっていきました。
──凄まじい柔軟性と対応力です。想像するに、ノリや勢いでは押し切ることのできないタイプの展開だったわけですもんね。
そうですね。現代口語による静かな演劇なので、対応するための武器がかぎられていましたから。現在の僕は一人芝居もするのですが、その場に集まってくださったお客さんの反応をキャッチしつつ、柔軟に変えられるようにしています。だから、事前に決め切らない。あの経験は、やっぱりいまに生きていますね。それに、高校時代に現代口語演劇に触れておいてよかったです。静かな演劇に触れることなく現在の優しい劇団のようなテイストの作品をやっていたら、“芯”となるものがなかっただろうなって。大きな芝居がやれる人は小さな芝居もできるし、小さな芝居ができる人は大きな芝居もできるはずだから。
──“芯”となるものの必要性、すごく納得です。優しい劇団の立ち上げは高校を卒業されてすぐのことだそうですね。
はい、劇団の旗揚げは18歳のときです。高校演劇をとおして出会った友人たちが中心メンバーなのですが、かつてはディスり合った間柄でした。「お客さんのことばかり意識して、純粋な演劇表現をやっていない!」みたいな(笑)。制作や舞台監督をやってくれている大岩右季は旗揚げ公演の『少女仮面』のときに声をかけたメンバーで、高校1年のときに出会っているから、もう10年の付き合いになりますね。

──はじめてのツアー公演を予定していた2020年の4月にコロナ禍がやってきましたね。
はい、20歳のタイミングです。東京で『熱海殺人事件』の公演を打とうとしていたときのことでした。でもこれがある種の転機になったんです。
──どういうことでしょうか。
大学で演劇学科に入った人たちとか、演劇がやりたくてしょうがないのに、自粛要請によって活動ができなかったんですよね。でも、僕らは大学などとは関係のないところで活動していた団体なので、“野外”で稽古をしていました。それを聞きつけた人々がやってきて、しだいに現在の劇団のカタチになっていったんです。コロナ禍では演劇界の多くの人々が身動きが取れなくなりましたよね。でもあの頃の僕らはまだ公演を重ねるような段階ではなかったので、梯子を外されてしまった感覚でもなかったんです。劇団としてロケットスタートを切るため、ある意味、あの逆境を追い風に変えられたとも言えるかもしれません。
──演劇との出会いもそうですが、やっぱりその歩みがとてもユニークですよね。
そう、アングラなんですよ。高校演劇を卒業してすぐ、ロック歌舞伎スーパー一座の座長であった原智彦さんが主宰するハラプロジェクトのオーディションを受けて、それから一年間ほど原さんの元で修行をしました。僕のいまの活動につながるようなことの多くを、ここで学びましたね。野外劇もそうだし、俳優が音響や照明をやっていいんだということもそう。優しい劇団って、つい最近までずっと野外でやっていたんですよ。その場の環境や状況を利用して公演を行うんです。そしてこれは、劇場での公演でも同じですね。セットを立て込むことなく、劇場のつくりを活かすんです。

唐十郎からの影響、唐十郎への想い
──「アングラ」という言葉が出ましたが、尾﨑さんは唐十郎さんから強い影響を受けていますね。
唐さんの書くものは、ロマンティシズムに溢れています。ラストシーンで舞台奥のテントが開くことは分かっているのに、とてつもなく胸が熱くなる。テントの中で育てられた観客と演者たちによる熱気が、最後には現実の風景と溶け合っていく。演劇って結局は、“嘘”ですよね。でもこの嘘を、嘘のまま終わらせない。嘘である俺たち演劇は、どうすれば現実になれるのか。唐さんは唐さんのやり方で、リアルに対抗しようとしていたんだと思います。たまらなく好きですね。いまの僕らの演技体も、その根底には唐組から受けた影響があります。名古屋から東京まで公演を観に行っては胸を打たれ、手に入れた台本でずっとマネをしていましたから。
──戯曲の書き方などに関してはどうでしょう。尾﨑さんの紡ぐ言葉は、どこから来ているのでしょうか。
セリフのリズムは歌舞伎と、やっぱり唐さんです。唐さんは『少女仮面』の執筆時、メリー・ホプキンの『悲しき天使』を繰り返し聴きながら、3日もしないうちに書き上げてしまった伝説が残っていますよね。このエピソードに触発されて、僕も劇中で使用する楽曲をリピートしながら書いたりしています。

──では、途中で書き直したりはしない?
ええ。出演者の顔合わせから、稽古・本番までを1日で行う「優しい劇団の大恋愛」というシリーズがあるのですが、これのときはとくにそうですね。本公演の場合は稽古をしていく過程で変わっていったりもしますが、僕が個人的に手を入れていくことはしません。優しい劇団というくらいなので、できるだけ優しいことを書きたいと思ってはいるんですけど、優しいことを優しいまま書いていくと、どうしてもキラキラしちゃいます。それは僕がやりたいと思っていることからズレてしまう。だから新作のテーマでもある「綺麗事」を訴えるために、ナンセンスなものとのバランスを取り、帳尻を合わせているんです。「優しい劇団の大恋愛」の場合は1日かぎりなので、ロマンティシズム全開でもいいんですけどね。

──尾﨑さんにとって唐さんがどれだけ大きな存在なのか、このインタビューをとおして改めて多くの方が知ることになりそうです。
僕にとって唐さんは、やっぱり神様なんです。お会いしてお話しすることはもちろん、実際の姿をお見かけすることもなかった。2024年の5月4日、僕が東京で一人芝居をしている日に、唐さんはお亡くなりになりました。僕はその翌日の唐組の公演のチケットを取っていたのですが、訃報を聞いてすぐに公演に駆けつけて、紅テントの外から役者の方々の声に耳を澄ませていました。お会いできていたら、唐さんのことを人間だと思っていたと思います。でも僕は人間としての姿を見ることができなかった。だから僕にとって神様になったんです。
新作は「綺麗事(=デタラメ)」をテーマに、 季節をまたいでロングラン上演
──新作『データラメッチを抱きしめる』についてもお聞きしたいです。これはどういうアイデアから生まれた作品なのでしょうか。
今年の5月に名古屋のフリーマーケットの会場で『ジョン・ドウの冒険』という短編を上演したのですが、いったいどういう人々がやってくるのか、まったく想像できませんでした。コーヒー屋さんや古着屋さんの目の前での上演で、おそらく普段から演劇に馴染みのある人は少ないはず。そこでどうやったら関心を持ってもらえるだろうかと考えたとき、児童劇的なものがいいだろうと思い至ったんですよね。多くの人が、一度は触れたことがあるはずだから。そこで、「あの世界的絵本、初の舞台化!」というコンセプトを思いついたんです。

──とてもユニークなコンセプトですね。そしてテーマは、「綺麗事(=デタラメ)」だと。
これはデータラメッチというデタラメなことばかり口にする子を、みんなが抱きしめるようなお話です。この「デタラメ」って何なんだろうと考えているうちに、ふと「綺麗事」というワードが浮かんできました。優しい劇団の公演の舞台上で交わされる言葉たちって、そのほとんどが綺麗事で、どれもデタラメな扱いをされているようなものばかりなんです。ある意味、いまの時代においては機能しない言葉たちで、綺麗事もデタラメも、じつはかなり近いものなんじゃないかと思うようになりました。そうして、「綺麗事」と書いて「デタラメ」と読む、そんなことしか言えない女の子をみんなが抱きしめるお話ができていったんです。優しい劇団として、コンセプトもテーマも、芯が通っているかなと。
──今作も“語り”が非常に多いですね。
そうですね。一人一役ではなく、一人ひとりの俳優が複数の役を演じるのが僕は好きなんです。というより、ひとつの役を演じることにおいて、役者が過集中状態にあるのが好きじゃない。役の感情をたどるのは大切だと思うんですけど、入り込み過ぎるあまり、シーンのテンポが悪くなったり、オーバーアクトになってしまっている瞬間に立ち会ってきました。僕としてはそっちのほうがより嘘っぽいと感じてしまうんですよね。だから、いくつもの役を演じることで、ひとつの役に入り込むことがないようにしているんです。セリフを瞬時に理解してもらえるように丁寧に伝えるよりも、あとで言葉の真意に気づいたり、観劇後に好きなフレーズがよみがえってきたら嬉しい。最近は自分のつくる演劇のことを、“サブリミナル演劇”と呼んでいます(笑)。
──そんな作品が、ロングラン上演されますね。東京公演は9月の終わりから11月の終わりまで、全16ステージです。
一年前の『光、一歩手前』は東京で約3週間上演しました。若手では異例のロングランだと思うのですが、作品に対する感想はいただけても、この公演形態に関する言及はほとんどなかったんですよね。それがどうにも気にかかって、じゃあもっと長くしてやろうじゃねえかってことで、季節をまたぐほどのロングラン公演にしたんです(笑)。今年の1月時点では、9月から12月までの僕のスケジュールが空いていたので、高円寺K’sスタジオが空いていて、劇団員が動ける土日すべてを公演にしたんです。

──季節が変わっても、高円寺には優しい劇団が、『データラメッチを抱きしめる』が変わらずあると。
劇団員のライフステージ的にも、団体としての今後の展開としても、ある程度のキャパの劇場でガチっと1週間くらい上演するのが、今後は現実的になってくると思います。だからある意味、今回は一花咲かせるつもりなんです。演劇って、パッと咲いて、あっという間に消えてなくなりますよね。そのことを僕はネガティブに捉えていて。これが希少価値につながるわけですけど、せっかくつくったものなんだから、少しでも多くの人たちが出会えたほうがいいじゃないですか。そういうことを考えるようになってきて。たとえば落語みたいに、ふらっと足を運んでくださる方と出会えるのが理想なんです。

名古屋を拠点に思うこと
──優しい劇団の拠点は名古屋ですが、東京をはじめ、その活動域は全国区ですよね。劇団の主宰として、手応えはいかがですか。
ありがたいことに、多くの観客のみなさんに知っていただきつつあります。ただ、そういう評判は東京でのもので、名古屋の演劇界からは外れてしまっている感覚があります。ハッキリ言ってしまうと、名古屋での評判は芳しくない。だから東京で公演を打って名古屋に帰ると、夢から覚めてしまった気分になります。でも僕はやっぱり、名古屋をメインに公演を打っていきたい。ヨーロッパ企画のような活動のスタイルは、まさに理想的で憧れですよね。
──名古屋の演劇シーンについてあまりよく分かっていないのですが、東京とは大きな隔たりがあるわけですね。
東京の演劇シーンでとくに勢いのある団体のことを、名古屋で活動する演劇人が果たしてどれくらい認知しているか。ここには大きなズレがあると思います。でもだからといって、現代演劇は東京だけのものじゃない。新潮9月号の「令和演劇ニューウェーブ」の特集内で、「私はなぜ演劇を選んだか」というお題でエッセイを書いているのですが、この執筆陣が東京に偏り過ぎていることに驚きました。地方を拠点に活動しているユニークな演劇人って、本当はたくさんいるはずなんですけどね。あと、「ニューウェーブ」という割には、本当の若手があまりにも少ないのも気になる……。これはあくまでも「東京の令和演劇ニューウェーブ」だと思います。
──なるほど。拠点が東京の外にあるからこその視点なのかもしれませんね。東京に身を置いていると、どうしても無意識のうちに東京中心主義的になってしまうのかなと。
僕からすると、演劇が流行っているかどうかみたいな論争とか、何もピンときてなくて。みんな東京の中だけで何を言っているんですかっていう。だって、東京で人気の劇団だって、名古屋の人は誰も知らないんですよ。僕らが東京で公演を打つのは、大きな鐘を打つ必要があるから。東京の人たちだけに向けて響かせようとしているわけじゃありません。大きな鐘を鳴らすことで、より遠くまで響かせなきゃなって。だからいずれは東京の人々を名古屋にまで呼んでみせますよ。

──尾﨑さんが演劇というものに見出している“光”について、最後にぜひお聞きしたいです。
僕の一人芝居を観た演劇ジャーナリストの徳永京子さんが、noteに書いてくださった文章の中に、すごく好きな言葉があって。それは「演劇の効果効能」という言葉です。なるほどと思いました。温泉に効果効能があり、トマトのリコピンにも効果効能があるように、演劇にも効果効能があるのだと。知らず知らずのうちにこれを生み出していたわけですが、この効果効能についてちゃんと考えたら、もっといいものがつくれるんじゃないかと思うようになったんです。
──演劇をつくるうえでの視点が、新たにひとつ増えたわけですね。
誰にも理解されないであろう感情に光を当てるのが演劇だし、人と人とが出会うという、当たり前になってしまった感動的な体験をさせてくれるのも演劇。そして演劇とは、すごく寂しい芸術だと思うんです。だって、ここに存在しないものをあたかもあるかのように表現し、お客さんに信じてもらうように訴えるのって、すごく寂しいことじゃないですか。でもこの寂しさを、娯楽に変えられるのが演劇の凄さであり面白さ。そういうことを思っています。それから“不在”に関して言うと、僕の母や祖母の不在の影が濃くなってきているのを感じています。彼女たちはいったいいつまで、僕の演劇を観ることができるのか。当たり前に会うことができているいまのうちに、作品の中で親のことを描かなければならない。そんな想いも、『データラメッチを抱きしめる』にも収められています。

取材・文/折田侑駿
<プロフィール>
尾﨑優人(おざきゆうと)/2000年生まれ。名古屋市在住。劇作家・演出家・俳優。優しい劇団主宰。「名古屋こども歌舞伎」で初舞台を踏み、17歳でロック歌舞伎スーパー一座座長の原智彦氏に師事。その後、優しい劇団を旗揚げし、全作品の作・演出を手がける。
優しい劇団/名古屋を拠点に活動する劇団。2018 年 9 月に尾﨑優人を中心に、1999 年生まれの同級生で旗揚げ。「俳優の特権的な肉体とかつて見た風景の視覚的リメイク」を一貫したテーマとして掲げ、「人の心の涙を拭う演劇」をモットーに活動している。劇団員は、尾﨑優人、大岩右季、千賀百子、小野寺マリー、橘朱里、石丸承暖、宮﨑奨英、道岡真憂子、池田豊、下野はなの10人。公演ごとにキャスト・スタッフを迎えて活動している。
<公演情報>
優しい劇団八周年記念本公演『データラメッチを抱きしめる』

作・演出:尾﨑優人
出演:尾﨑優人/千賀百子/橘朱里/石丸承暖/宮﨑奨英/池田豊
※当公演出演予定の千賀百子が、体調不良により
・出演するステージ数を制限
・舞台端に座り、声のみでの出演
とさせていただく運びとなりました。そのため下記の5名に代役としてご出演いただきます。
加藤睦望(やみ・あがりシアター)
大西玲子(青☆組)
加納遥陽
荒川颯音(冷蔵庫ポルカ/スーパニカ)
小野寺マリー(優しい劇団)
【東京公演】
<会場>高円寺K’sスタジオ本館
<日程>
9/26(土)19:00
9/27(日)14:00/19:00
10/3(土)14:00/19:00
10/4(日)14:00/19:00
10/24(土)19:00
10/25(日)14:00/19:00
11/8(土)19:00
11/9(日)14:00/19:00
11/28(土)19:00
11/29(日)14:00/19:00
【名古屋公演】
<会場>シアターココ
<日程>
12/12(土)19:00
12/13(日)14:00/19:00
<スペシャルゲスト>


<料金>
一般:3,000円
U-22:2,000円
高校生以下:1,000円
<チケット>
ローソンチケット・演劇最強論-ingにて販売
https://l-tike.com/play/mevent/?mid=763299
https://l-tike.com/st1/qtjvef1sxlw38zxcnq7s/sitetop
<スタッフ>
衣装:小野寺マリー/下野はな
キャラクターデザイン:小野寺マリー/道岡真憂子
制作:大岩右季/道岡真憂子
宣伝美術:道岡真憂子