組曲「空想」
空想組曲
OFF OFFシアター(東京都)
2010/06/16 (水) ~ 2010/06/22 (火)公演終了
満足度★★★★★
満足感
千秋楽に滑り込みセーフで観にいきましたが、パソコンが壊れてネットカフェの細切れ作業が続き、諸事情もあってUPが遅くなってしまいました。
皆さんの賛辞の嵐で、いまさらもう書くことなんてないって感じですね。
「全公演通い詰めて観た」という熱心なファンのかたもいらして、世の中には1回足を運ばせるのにも苦労している公演もあるというのに、改めてほさかさんの人気の凄まじさを知りました。
お芝居の雰囲気もよかったですが、出演者全員が同一劇団員のように心をひとつにした感じの良い客送り出しで、知人と歓談中の人気俳優のかたが一般客が傍を通ると話を中断して、そのお客のところに進み出て挨拶されているのが印象的でした。
相対的に小劇場系のお芝居の観客は知人・友人が多いので、終演後はみな歓談に夢中で、面識のない客には目もくれないという光景があたりまえになっているなか、この日の客応対はとても心に残りました。
ネタバレBOX
短編集ということでしたが、どれも楽しめる作品で、構成も素晴らしく、俳優さんたちも粒ぞろい。
「晩餐」シリーズが個別にも楽しめるけど、実は1組のカップルに流れた歳月も暗示しているところが心憎い。
1点細かいことだが、斉藤陽介と林田沙希絵が場面によって衣装のボトムスを変えているが、ワインリストのあるようなフレンチ・ディナーに半ズボンとスニーカー、ショートパンツで入店するのはいくら若者でもちょっと違和感があり、もうひとつのズボン、ミニスカートの衣装でよかったのではと思う。
全編通して中田顕史郎のギャルソンがとても雰囲気があり、若き日の白井晃を思わせる。最後の「連弾」でこのギャルソンにも素敵なパートナーがいたことにホッとさせられた。
男2人芝居の「彼に似合う職業」の銃撃戦は異質な作品に思えたが、次の「ありがちベリー」へのつなぎ方がこれまたマッチしていて驚いた。いじめっ子を狙い撃ちする保坂エマがにしおかすみこ風で面白かった。
日替わりゲストはゲキバカの石黒圭一郎。
「今から会って」と言う恋人(ハマカワフミエ)に「パジャマに着替えたから今夜は会いに行けないよ」と断った男(石黒)が思い直し、雨の中、全力疾走して恋人のもとに向かう「ランナー」。石黒の熱演とともに映像をも超える躍動感あふれる舞台演出に唖然とした。ミラーボールや霧吹きの使い方も巧い。月に向かって自転車が飛ぶ「E.T」を連想した。
「ロマンチック主義者のためのささやかな演奏」も、1人だけわざと音をはずす男(斉藤陽介)に惹かれる指揮者(林田沙希絵)が恋の実情を表しており、きちんと返して得意げな優等生の男(石黒)には指揮者がムッとするのがおかしかった。
大塚秀記の大人の落ち着き、こいけけいこの生活感も捨てがたい。
浦島氏の教訓 公演終了 ご来場御礼
殿様ランチ
サンモールスタジオ(東京都)
2010/06/23 (水) ~ 2010/07/04 (日)公演終了
満足度★★★★
意味はよくわからないけど・・・
「浦島太郎」の現代版みたいな話を想像していたが、そういう単純な芝居ではなく、浦島の話は出てくるけれど、微妙に絡み仕掛けられている感じで、頭が悪いので「教訓」が何なのかはっきりとは理解できない。ただ、登場人物の会話が面白いので、芝居としては楽しめた。
ネタバレBOX
取り壊し寸前の古アパートの一室を借りて、張り込みにやってきた山下(服部弘敏)ら刑事の一団。
退出時の「原状復帰」をめぐって、ブルーシートを敷くかどうかで揉める。
先乗りでシートを敷き、写メを撮っておいた武田(杉岡阿希子)。その写メを報告用に利用するが時刻差から工作がばれ、上司(加藤弘子)に叱責される大村(足立信彦)は毛髪の植毛のお試し期間中。上司は部下・大村の昇進をとても気にしているそぶり。
山下と別の捜査ルートから星をマークしている鍋島(板垣雄亮)、澤木(平塚正信)、十勝(高島桂介)らとの合同捜査のようだが、主導権をめぐって対立する。結局、鍋島ルートで星は逮捕され、事件は一件落着。
板垣の自然な演技、まじめに話しているが可笑しみがあって引き込まれる。
事件の星は元クリ-ニング店に勤務していたというが、その事件とはまったく別の駅前で起きた暴行事件の被害者・当麻(小久保剛志)もクリーニング店の店長。山下らが薬物ルートで犯人を追っていたが、「当麻」は「たいま」とも読むので、事件に無関係ではあっても符合させる点を作っているのが面白い。十勝は暴行現場を目撃していながら、勤務時間ではなかったという理由で黙認したことが澤木の耳に入る。十勝は警察幹部のジュニアということから澤木には遠慮がある。
当麻は女店員(中嶋さとみ)と郷里に帰って一緒になろうかと言う話になっていたが、十勝がやってきて、暴行現場の黙認を認めながらも「あなたをあのとき助けた場合の見返りは何だったんでしょうね」などと唐突な質問をして当麻は当惑する。当麻は「遅くなるから夕飯は先に食べていて」と家に電話していたので、一人暮らしではなく所帯もちなのかと思ったが、女店員との結婚話になるのがよくわからなかった。
アパートから撤収する際に、組み立て式テーブルをまたバラしてダンボールにしまおうとして緒方(小笠原佳秀)が手間取る場面は一度開けると収拾がつかなくなる「玉手箱」を暗示しているようでもある。
田舎に帰るという当麻の話のあとで、田舎の友達と携帯電話で方言で会話していた緒方が同僚の気配に急に標準語に変えたり、場面、場面が微妙につながっている芝居。
ひとつの空間で、障子がドアになって別の場面が展開するのも、浦島の異次元の逸話を思わせる。終幕近くで大村の頭髪が元の薄毛に戻るのも浦島の白髪を連想させる。
当麻と女店員が浦島太郎の話について会話する場面がある。御伽噺では「家に帰るまで絶対に中身を開けないで」と乙姫が浦島に約束させるが途中で開けてしまって煙が出て白髪になってしまうのだが、家に持って帰ってから開けたら煙以外のものが出てきたのだろうか。太郎が地上とはまったく別の長い時間を竜宮城で過ごしてきた事実は変わらなかったと思うのだが。浦島太郎が乙姫との約束を守っていたら、地上の時間は止まってくれて、お爺さんにならずにすんだのだろうか。2人の会話を聞いていて改めて、浦島太郎の教訓ってはたして何だったのだろうと考えてしまった。ちなみに子供のころは「約束を守らずせっかちなことをすると後悔する」と解釈していた(笑)。
ホテル・カリフォルニア ~私戯曲 県立厚木高校物語~
Theatre MERCURY
駒場小空間(東京大学多目的ホール)(東京都)
2010/06/18 (金) ~ 2010/06/21 (月)公演終了
満足度★★★★
青春のほろ苦さ
この劇団がオリジナル作品を上演しないのはやはり異例なことらしく、就活の3年生が自分たちの想いを託しての本作上演らしい。
1977年(昭和52年)に県立厚木高校に入学し、シラケ世代と言われた少年少女の学園ドラマ。
劇作家の横内謙介の自伝的作品。自分より少し下の年代ですが、イーグルスの「ホテルカリフォルニア」がテーマ曲として流れ、インベーダーゲームや、ダンス音楽「ジンギスカン」、清涼飲料のチェリオなど、懐かしいものがたくさん出てくる。
学生運動が終息したのちの世代は、お隣韓国でも「無気力、シラケ」現象が出たらしく、いまの高校生たちとはまた違う気質の若者を振り返りつつ、楽しく観せてもらいました。
そうか、横内謙介さんはこの世代なんですね。厚木高校と言えば、職場の後輩が厚木高校出身で、女優の名取裕子さんと同級だったとかよく母校の話を聞かせてもらった。
そのころは横内氏はまだ無名だったので、話題に出なかったが。
ネタバレBOX
48歳だという横山(辻貴大)がルーズソックスの女子高生(永井理沙)とカラオケボックスに来て、「ホテルカリフォルニア」を歌っていると、同級生のシュウケイ(佐藤圭)が語り部として現れる。
最初はなぜ白衣を着てるのか、化学部か何かなのかと思ったら、どうやら亡くなっているかららしい。学生で白衣着てると実験かと思ってしまうんですよね。
文化祭が終わったあと、みんなで河原に行かなかったことを後悔する横山。大学受験は大人になるための通過儀礼だという話になって、命がけのバンジージャンプが通過儀礼の国もあるということを聞いたシュウケイが「オレはそういう通過儀礼のほうが羨ましい」と言う。卒業後、シュウケイがマンションから飛び降り自殺したことで、「あいつにとってバンジージャンプのつもりだったのかな」と言う横山。
お互い、憎からず思いながらも、何も言わずに別れていく横山とハッパ(小林香菜)。そのときは親や先生に叱られても、二度とない時間、みんなで河原で夜明かしすべきだったと横山は悔やむ。
あるよね、そういうことって。青春のほろ苦さが身にしみる一作。
宮城次郎を演じた巨体の金澤周太朗が、「帰れソレントへ」を朗々と歌うかと思えば、ジンギスカンダンスを熱演する、非常に存在感あふれる生徒ぶりで印象に残った。
現役東大生が演じているだけに、会話で東大のことが出てくると客席に失笑がもれる。
自分たちの知らない世代を演じてるのに、すごく自然でよかったと、この世代より少し後の世代の連れが感心していた。
魔法のベルが聞こえたら
劇団Radish
東京大学駒場Ⅰキャンパス(東京都)
2010/06/26 (土) ~ 2010/06/27 (日)公演終了
満足度★★★★
若者らしいすがすがしさ
東大駒場で練習公演というのは初めて観る形式。秋公演へ向けたウォーミンブアップといったところだろうか。
この劇団を観るのも久しぶりだが、東大駒場の劇団のよいところは学年が代わっても劇団のイメージ・カラーがはっきりしており、以前に観た芝居の雰囲気と変わらない点。
練習公演とはいえ、本作も「Radish」らしくすがすがしい精神世界の芝居だった。
ネタバレBOX
キョウカ(黒木許子)とハヤカワカコ(古俣めぐみ)、ユキマサ(前田知温)は仲良し3人組の高校生で、優等生のカコが2人に勉強を教えていた。
テニス部の下級生カタセコウキ(川口達也)に片思いをしていた内気なカコだが、やっと初めて言葉を交わすことができ、キョウカとユキマサは好意的に見守っていた。
同じころ、不思議な格好をしたモリー(遠山龍)という少年に会ったキョウカ。モリーは不思議なベルを持っていて、ベルが故障してしまったので修理に出すと言う。
モリーはベルを鳴らして人の記憶を消すメモリーキラーという係で、ベルが故障すると修理が終わるまで、記憶が消えない。修理が完了したら、モリーとの再契約が必要だと言う。
キョウカは記憶が消えないのでテストの成績もよくなり、好都合だと喜ぶが、ある日、カコは交通事故で死んでしまう。モリーの説明では、人は未来に向かって時の道を進んでいくが、逆走防止のため「時の壁」が設けられていて、この壁を乗り越えるには肉体の更新が必要で、乗り越えるにはかなりのエネルギー負荷がかかる。カコは時の壁が乗り越えられずに死んだのだ。記憶を消さないままにしておくと、ライフアップデータに狂いが生じて命が危うくなるのだが、このライフアップデータをつかさどるのがイブ(石川友梨)で、モリーとイブは2人1組で仕事をしているが、モリーにとってイブはとても恐ろしい存在だという。
カコは最初から18歳でベルが壊れる運命にあったからしかたないとイブは言う。キョウカはモリーのベルの修理が終わっても、カコの思い出を消さないために再契約に同意しない。カコの死の悲しみが薄れていくユキマサのことも非難する。
キョウカの身を案じたモリーは時の壁のところでキョウカとカコを会わせようとする。
「自分の時の道はここで終わったから、もう前には進めないが、あなたは未来に向かって進んで」とカコは言う。2人の間には乗り越えられない壁が存在していた。カコに別れを告げるキョウカ。
記憶は薄れても、自分の中にカコの思い出は生きていると、キョウカやユキマサ、コウキは確認する。
学生らしくなかなか面白いストーリーだと思った。演技レベルは学芸会並みと言ってよい幼さだが、中で、マゾっぽいイブを演じた石川友梨だけは堂々とした演技で口跡もよく、長身で舞台栄えがし、目を引いた。
秋公演までに、きょうのメンバーがどんな成長をみせてくれるかとても楽しみだ。5段階評価のアンケート用紙が配られたが、考え込みながらペンを走らせ、余白にぎっしり感想を書いてる学生が多く、東大の劇団ならではの光景で好感がもてる。
風変わりなロマンス / 悲しみ
劇團旅藝人
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2010/06/24 (木) ~ 2010/06/27 (日)公演終了
満足度★★★★★
贅沢な2本立て
初見の劇団です。テネシー・ウィリアムズとチェーホフの短篇2本立てなんて珍しい企画と思いましたが、大人向けのとても素敵な趣向でした。休憩10分挟んでの2時間。贅沢な内容でとっても得した気分です。
ネタバレBOX
テネシー・ ウィリアムズの「風変わりなロマンス」。
幕開きにアパートの女主人(山下夕佳)がカーテンを開けるしぐさ、それだけで、テネシー・ ウィリアムズらしいけだるい空気が漂うのを感じた。
鉄工の街にやってきた男(久野壱弘)は安アパートの1室を格安家賃で借りることになる。ラテン系の血を引くという女主人は、バラライカをかき鳴らしながら、男と少しだけ話をしていく。寝たきりの夫(劇には登場しない)と年老いた目の不自由な舅(嶋隆静)との暮らしに飽きている風情だ。男は人前ではカツラをかぶって別人格を装っていたが、女主人は男の正体を見破り、一人寝のさみしさを訴え、男を誘惑する。
旅を続けてきた男は孤独で人間不信なのか、前の借主になついていた野良猫ニチボを可愛がり、一生懸命、ニチボーに話しかけていた。部屋をいったん解約した男がふたたび戻ってくると、新しい住人のボクサー(中山真)がいた。女主人はボクサーと関係を結んでいるらしく、2人は男を冷たく愚弄する。
猫のニチボーの姿を探し求める男。外へ出て行くと舅が一緒に探している様子。窓から2人の様子をながめている女主人とボクサー。「目の見えない舅に探してもらっても、見つかりっこない」と冷笑していたが、男たちは猫をみつけたらしく、女主人の顔に笑みが浮かぶ。
旅を続けた男と女のゆきずりの関係ははっきりとは描かれないが、閉塞感のある街での内に傷を秘めた人間同士の交わらない関係性が浮き彫りになる息苦しさがいかにもテネシー・ウィリアムズの世界。
偶然にも最近カツラの出てくる芝居を3本立て続けに観たので、とても不思議な気分だった(笑)。髪の毛があるとないとでは、男性は本当に印象が変わるんだなぁと改めて感心(そういう芝居ではないでしょうが)。
チェーホフの「悲しみ」。ベッド状のそりのような舞台装置。そりに病気で瀕死の女房マトリョーナ(横尾香代子)をくくりつけて医者のところに向かう初老の夫グリーシカ(石坂重二)。40年間、女房には苦労のかけどおしの悪い夫だった。
もし、40年前に戻ってもう一度女房との人生をやり直せたら・・・。「幸せにしてやろう」と誓って結婚したはずの若き日の二人。それは回想であり、もう一度やり直したとしたらのシミュレーンドラマにも見える。
結局、夫は妻を幸せにはしてやれず、妻は病死する。後悔しても遅い。妻は生き返ったりしない(旦那族必見!奥さんは大事にしましょう)。
コロス(関根好香、志賀聖子、清水理沙、小笠原游大、田邊佳祐)が吹雪の効果音や、台詞、アカペラで歌唱などを担当し、すばらしい演出効果だった(脚本・演出・作曲は前嶋のの)。
清水理沙の美しい歌声。電動夏子安置システムへの客演でよく観ていた志賀の別の一面も発見できた。
アウト・オブ・オーダー
ファルスシアター
シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)
2010/06/25 (金) ~ 2010/06/27 (日)公演終了
満足度★★★★
楽しませてもらいました
前回、初見で番外公演から入ったため、今回は劇団の本領発揮ということで
レイ・クーニー原作も楽しみだったし、シチュエーション・コメディを楽しませてもらいました。
こういうストーリーのものを見ていつも思うのは、勇気がいるけど最初に本当のことを話すのが一番いいんですよね。取りつくろおうとするとどんどんまずいことになってきて・・・・(笑)。
こういうファルス(笑劇)を気軽に楽しめる専門の劇団があるということはコメディ好きには嬉しい限りです。
ネタバレBOX
チューインガム税法案の審議が連日、深夜まで行われているというのに、ホテルで野党の美人秘書ジェーン(石川唯)と逢引をしている与党の若手議員リチャード(白土裕也)。部屋のスライディング・ウィンドーに見知らぬ男がはさまっているのを発見。もう死んでいると判断したので、スキャンダルにならぬよう、別の部屋に死体を移動させようと秘書のピグデン(川村雅人)を呼んで手伝わせようとするところからグチャグチャの騒動が始まる。
このスライディング・ウィンドーが壊れていて上げてもすぐにストンと落ちてしまうのがミソで、いろんな人物がはさまれたりして、事態はあらぬ方向に進んでいく。
挟まっていた男は気を失っていただけで、ジェーンの浮気を疑う夫ロニー(前村圭亮)が雇った探偵ジャック(藤田健司)。このジャックが、リチャードの都合でジェイソン、ブッシュなど次々適当な嘘の名前をつけられ、ピグデンもジャックの精神科主治医Dr.プーチンに化けさせられる。メイド(原田麗可)の名前はレンホウにさせられる(笑)。ロニーはジャックが帰ってこないので探しに来るし、リチャードの妻パメラ(神谷はつき)もリチャードを訪ねてくる。ピグデンは老母を抱えているので、早く帰宅しなければならない。介護ヘルパーのグラディス(堀米忍)がホテルに催促の再三電話をかけてくるが、らちがあかず、ホテルまでやってきたのでよけいにややこしくなる。
最後は無事に騒動が収まり、ピグデンとグラディスも結ばれてメデタシメデタシで終わる。
「窓からの眺めがいい」というから、最初は高層ホテルのスライディング・ウィンドーに男が宙ぶらりんではさまってるのかと驚いたが、この窓はベランダの窓という設定。部屋は648号室で、リチャードが別にとった部屋が650号室。人々は2つの部屋をベランダづたいに簡単に移動してくるが、違う部屋のベランダって普通は防犯上つながってませんよね。外国のホテルはつながってるんでしょうか。ちょっとこの点が引っかかった。
原作の台詞がそうなってるのだろうが、ジェーンがロニーを夫と言ってるのに、別の場面では「私の恋人よ」と言ってるのも気になった。「ハニー」とでも訳したほうが自然だと思うが。
支配人(矢吹ジャンプ)と中国人(?)ウェイターのチャウ・リー(石塚潤平)がそれらしいキャラクターで笑わせる。特にチャウ・リーは、少し鈍いふりをして、けっこうしたたかでがめつい。
終盤で活躍する「ベッドメイキング!」を連発する老女のメイドの原田が、ジパングステージのおばあちゃん役女優の滝沢久美そっくりの演技で驚いた。
リチャードは「童顔王子」というニックネームがつくほどのベビー・フェイスという設定だが、白土の風貌やしぐさはやはり議員には見えず、いかにも日本人の坊やっぽい。ピグデンの川村は長身、色白なので適役。宝塚の男役出身のような雰囲気の堀米のボーイッシュでシャープな持ち味が光る。
ロニーの前村は安岡力也ふうのコワモテ役で、短髪にリーゼントカツラをピンで留めつけている。カツラのフィッティングが浮き気味で出てきたときからとても不自然に見えたが、案の定、演技中にはずれて客席は爆笑。髪型が別にリーゼントでなくてもよかったと思うが。本来笑う場面以外で不必要な笑いが出るのはドタバタコントとは違うので見苦しい。
お互い汗グッショリで白土の股間に前村が顔を埋める抱擁場面が多く、役者も大変だと思うが、観ていて暑苦しく気持ち悪かった(笑)。
パメラの神谷が議員夫人らしい上品なファッションだが、黄色に黒のトリミングのスーツなので、靴は白より黒のほうが良かったと思う。メークも眉が薄くてオリエンタル調すぎる。さらに「一泊のつもりで来た」と持っているバッグが日本の中高年女性に多く見られるハンドクラフト風彫刻の革バッグだが服と釣り合わないことはなはだしく、黒のミニボストンなどを調達してほしかった。素人の余興とは違うので、予算との兼ね合いもあるだろうがこういう小道具も大切にしてほしい。
Reverberate【御好評頂き終了いたしました☆】
岩☆ロック座
ギャラリーLE DECO(東京都)
2010/06/26 (土) ~ 2010/06/27 (日)公演終了
満足度★★★★
サヨウナラとアリガトウ
初見の劇団です。2バージョン制と知らないで観ました。各バージョン共通の台詞があったりしてこういうコラボもあるんだなと新鮮に思いました。
今後、通常スタイルのお芝居も観てみたいと思います。
ネタバレBOX
「BeBe(ビビ)バージョン」
最初に赤白プリントのドレスで踊りながら女性ダンサーが登場。でも、このダンスは以後の展開とは無関係なようでどういう意味だったのかよくわからない。「ダンス芝居」であることをお知らせしただけ?
人工芝に造花をたくさん飾ったポップな広告写真のような舞台美術。おかもちを持ってうめ(黄々野エチカ)が登場。おかもちをあけると中には花弁が入っている。うな(小椎尾久美子)が出て2人でリズミカルに踊る。
「結婚しましょう」と2人は結婚する。同性結婚ということでしょうか。「早く帰ったほうがごはんを作り、午後7時に夕食をとって、12時までに寝る」など2人の間に生活ルールを決め、単調な生活が毎日続く。
ある日、2人はカーテンを作り始め、うなは足に針を刺してしまい、血流に乗って針はからだの上へとのぼるが、耳の穴から無事針は出てくる(昔、自分も足に針を突き刺した経験があるが、意外にも針は折れず、足の裏に突き通ってしまった。ものすごく驚いた。すごく痛いものです!)。
セックスレスをめぐって2人が口論になり、いざセックスで一戦交えようとなるが、プラスチックの人形をピコピコ動かして表現するのが微笑ましい。
喧嘩して2人はお互いの悪口を言い合い、うめは家を出ていく。タンスの引き出しから無数の「サヨウナラ」と書いた紙片が出てきて、うなは泣き明かす(このあたり、寺山修司風)。突然、うめ(?)が帰ってくる。スパンコールで飾った真紅のドレスを着ているが顔は見えない。「もいう帰ってこないかと思ってた」。うなは喜ぶ。うめは赤と白の花束を抱え、「あげる」と1本1本うなに花を差し出し、そのたびにうなは「ありがとう」と花を受け取っていく。すべての花を渡したうめは隅に倒れて動かなくなる。
たくさんのサヨウナラとアリガトウをうなに残して、うめは死んでしまったのだろうか。
「岩☆ロック座バージョン」
荷造りをほぼ終えた女(堀奈津美)がワインを飲んでいると男(菅野貴夫)が現れて、一緒に飲み始め、結婚生活への互いの不満をぶちまける。
2人は夫婦らしい。しかし、夫は既に交通事故で亡くなっていたのだ。妻が好きだったくまのプーさんのぬいぐるみにプロポーズのときと同じ言葉を書いたカードが添えられていた。そしてプレゼントの指輪も。妻は離婚を決意したが、離婚届を出す前に夫は亡くなってしまった。夫は改めて新しい指輪を用意し、妻に2度目のプロポーズをするつもりだったのだ。
夫への「サヨウナラ」そして「アリガトウ」。流産した娘(吉永雪乃)を抱いて夫は去っていく。この芝居を観て、夫を亡くしたあるベテラン女優さんがTVで語っていた言葉を思い出した。
「配偶者に対してどんなことを想っていたとしても、言葉にして伝えなければ伝わらないんです。死んでから伝えられないでしょう。だからこそ、生きているうちにお互い向き合って後悔しないようにいろいろお話をしておくべきなんですよ」
なるほどねぇ。生きているうちにね。
日本人は欧米のように面と向かって配偶者に感謝や褒め言葉は言わない傾向があるが、最近の若い世代はそんなことないのかな。
DULL-COLLEREDーPOPの堀さんを生で観たのは初めてだが、広末涼子みたいでなかなかチャーミングな人ですね。
フツーの生活
44 Produce Unit
紀伊國屋ホール(東京都)
2010/06/18 (金) ~ 2010/06/23 (水)公演終了
満足度★★★★
沖縄戦慰霊の日に観劇
6月23日、千秋楽、沖縄戦慰霊の日に観劇した。劇団主宰の44北川さんはわざわざこの日を千秋楽に選んだそうです。芝居が終わり、44北川さんのとても控えめで感じの良い挨拶があり、全員で黙祷しました。
今回、沖縄からもご高齢の戦争体験者が観劇に来られていて「いい芝居でしたよ」と涙を流しながら舞台に合掌して会場を後にされたのが印象的でした。本作を観て感動した沖縄のかたもおられたのは救いでした。感想は十人十色だと思います。
「フツーの生活」というタイトルの字面が戦争物にしては軽すぎる印象で、観る前にほかのかたのレビューを読むとかなりの酷評に愕然とし、とても不安になりました。
私は商業演劇の企画がどのように立てられるのかは知りませんが、本シリーズは初演ではなく再演ですし、安易に新国立の企画をまねたとも思えません。当日パンフレットを読む限り、作・演出の中島さんは現地で取材もなさったそうですし、作品に対する誠実さはじゅうぶん伝わってきました。
「ガマ」を取材し、「取材でガマの中に入ろうが、本を何冊読もうが現実との間にはきっと随分差があって、ガマと一口に言ってるけれど、それぞれのガマにそれぞれの現実があって、また人間一人一人の現実だって違うだろうし・・・。」とあり、「この物語は体験者でもなく、沖縄生まれでもない人間が、触れにくく語りにくい物語だと思います。それでもあえて、今回この物語に関わろうと思いました。これから続いていく未来のために・・・。」という一文は鉛のように私の胸に重く沈み、部外者の傲慢な姿勢は微塵も感じられません。作・演出家も戦時中の沖縄を描くことに戸惑いや苦悩を抱えながら、作品に取り組んだのでしょう。出演者の一人である兵士役の佐藤正和さんも、ご自身のブログで、出演俳優たちと沖縄のガマを見学したことに触れ、「沖縄に行って、戦場になった場所をまわって、話を聞きました。知らなかったことに、罪悪感にも似た気持ちになりました。自分は役者なので、なんとか舞台で表現して、同じように知らない人たちにも伝えたいと思うようになりました。創作表現だから、観る人によって色んな感想を持たれるのは当然だと思います。で、自分の拙い芝居でどんな風に伝えられるのか…(中略)暗い暗いガマの中のお話ですが、彼らの笑顔を想像してもらえるような芝居になっていればいいのだけど。今回、それだけを考えて作りました」と綴っています。初演のときより今回、再演のほうが気が重かったと、作者、出演者、異口同音に語っているのが印象的で、彼らなりに作品への責任感は強く感じているようです。
「何があっても生き延びよう」というのが北川さんのメッセージだそうで、それはしっかりと伝わりました。いまだ基地問題が解決せず、琉球の時代からの蹂躙の歴史を思えば、本土の人間としては沖縄に対して拭いようのないうしろめたさを抱えているわけですが、日本とアメリカが戦争した事実も知らないと答える子供がいる時代、たとえステレオタイプの描き方であっても、このような作品が上演されることは十分意義があると私は思いました。
ネタバレBOX
冒頭。戦争を生き延びた一人の男の思い出の中で65年前、ガマの入り口が戦火に染まる。作品取材でガマを訪れた際、「こんなところで死にたくないですね」と中島さんが言うと、当時赤ん坊だったと言うガマの現地案内人が「無念だったでしょうね」と答え、「ガマの暗闇から、沖縄の強烈な太陽の下に出ると、そのあまりの変化に頭がクラクラとするのでした」と中島さんは書いている。この一文は終演後に読んだが、夏草の茂るガマの入り口の明るさがとても伝わってくる舞台装置だった。
「ここにいるのはみんな家族」という台詞があるが、強調するまでもなく、事実、東京から県庁職員の知花(大沢健)との見合いを兼ね、父について来て戦況悪化で帰れなくなった君子(高畑こと美)を除いては血縁関係が集まっており、「フツーの生活」を描こうとしたのはわかるが、人物関係の描き方が通りいっぺんなのには不満が残る。時系列的に戦況悪化の雰囲気は伝わるものの、芝居としての盛り上がりに欠けるのは事実だ。
国民学校教師で軍国教育に没頭したスエ(福島まり子)が、終盤、過酷な戦況に自身の生き方に後悔の念を語るのが傷ましい。軍国少年で警防団員として張り切る進助(恩田隆一)のような子が本土ばかりでなく沖縄にもたくさんいたことだろう。かつて自分もこの進助世代の子供にあたる沖縄県人と本土復帰直後に共に仕事をしたことがあるが、「本土の情報には嘘が多くて信用できない。戦争中まちがった情報を与えられてみんな死んだから特に新聞は読まないことにしている」と言われたことがある。その人は、職場の規律も「親父の時代がそうだった。規則なんてクルクル変わるもの。バカ正直に守る必要がない」と言って何でも無視するため、職場で孤立してしまい、戦争時の傷跡が子供の世代にまで影を落としていることに私は複雑な思いになったことがある。進助の頑なな態度は、立場は違うがどこか彼を思わせた。
けがを負って郷里に戻ってきた元軍人の年男(44北川)が、本隊にはぐれた傷病兵(塚原大助)と地元兵の部下(佐藤正和)がガマに逃げ込んでくると、次第に彼ら以上にナーバスになって、赤ん坊の泣き声にいらだったり、乱暴な態度になるところが現役兵への負い目の反動なのか、軍人時代のフラッシュバックなのか観ていてすんなり理解できなかった。
長老格の栄助(新納敏正)と娘のツキ(藤川恵梨)がいかにも沖縄人らしい雰囲気を醸し出していた。高畑こと美は顔はあまりお母さん(高畑淳子)に似ていないと思うが、ふとした台詞の言い方が似ていて、若いのにしっかりした芝居をするので印象に残った。
パンフレットにある「沖縄の人的損害」欄の「戦闘協力者55,246人」の中に、このガマの人たちも入れられてしまったのだろうか。そう思うとやりきれない。ガマへの攻撃により、一瞬にしてかりそめの「フツーの生活」は終焉し、進助だけが生き残る。その進助の眼前に、降伏勧告ビラを思わせる紙吹雪の舞う中で踊る人々の「フツーの姿」の幻影が現れる。あまりに切ない。
エラーメッセージ
tea for two
「劇」小劇場(東京都)
2010/06/17 (木) ~ 2010/06/20 (日)公演終了
満足度★★
これはいったいどうしたことか・・・
思わずわが目を疑うほどだった。これが昨年、珠玉の短篇集「ヒットパレード・スペシャル」を書いた人の作品とは思えず、とてもショックです。
あの染み入るような人間描写のきめ細かさはまったく感じられない。
3話オムニバスでそれぞれに「まちがい」があるのはフライヤー通り。1話、2話との接点が3話にありますが、ジグソー・パズルの最後のピースがパチンとはまらないのでスッキリしません。100ピースで完成するジグソー・パズルに15枚くらいのピースしか渡されず、「これで完成図を予想して楽しんでください」と言われているようです。
ファインプレーやクリーンヒットを期待して野球を観にいったら、凡打や悪送球の山で、ひどく単調な試合運びの末、0対0で終わったみたいな気分である。
私が薦めたいと思う芝居とは今回、まったく違っていました。
大根健一ファンとしてはこの作品で判断されるにはしのびず、でも、大人の琴線に触れる作品を送り出している優れた作家にはちがいなく、これからも見続けたいと思っています。次回作に期待します。
ネタバレBOX
冒頭と、話の間の場面転換に出演者全員が椅子とりゲームをして、このオムニバスの内容が微妙に絡み合っていることを示唆しているけれど、実際にはそれほど「話の妙」がないのが残念。結論から言うと第1話が一番おもしろく、2話以降が単調で、いつエンジンがかかって面白くなるのかと待っていたがいっこうに面白くならず、時間が長く感じられた。
第1話は、不安を抱えて診察を受ける患者(湯澤千佳)と、ウソをつくと2度同じ言葉を繰り返す癖のある医師(大岡伸次)、自らもガン検査の結果を待っている看護師(木戸雅美)。
この看護師、勤務中もヘッドフォンをつけて子供の運動会のダンスの練習に余念がない。看護師が医師の癖を患者に教えたため、患者はどんどん不安になる。ウソ発見器代わりに看護師が「医師が英国にいってポール・マッカートニーに遭遇したときの話」について医師に質問し、ウソと癖が合致するのを患者に納得させようとするのが可笑しい。看護師のほうは結局ガンがみつかり、医師の友人で大学の研究室に残った近藤という準教授のいる研究室の若手研究者が中心に発見した画期的治療法を受けるように看護師を説得する。この段階で、看護師は「医師がウソをつくとき、右手の指を動かす癖があること」を指摘し、混乱する。大岡は昔から出てくるだけで何かやってくれるのではと期待させる人。木戸の看護師も存在感があり、2人の掛け合いが面白い。
「血圧をはかる腕は左右どちらでも」と看護師が言うが、ふつうは「右手」と言われるが・・・。
第2話は無実を主張するが老女殺人事件の容疑者にされてしまった主婦(西尾早智子)と職場結婚した年下の夫(長内那由多)、その同級生の弁護士(栂村年宣)の話。拘置所での面会場面が実際なら空気穴がたくさんあいた窓が2人の間にあり、監視官が1人付くが、装置上それがないため、まるで法律事務所で相談を受けているようなリラックスムードなのが気になった。
弁護士は妻が夫からの手紙がほしいとの要望を伝えて夫に手紙を書かせるが、夫の家で紛失してしまう(ここが少々わざとらしい)。夫からかつてたくさんの手紙をもらっていた弁護士はやむなく夫の筆跡をまねて手紙を書き、妻に渡すが、「初デートの思い出」を夫が弁護士に見栄をはって嘘をついて書いていたため、弁護士の手紙に妻は怒ってしまう。面会に来た夫と妻がアリバイの裏づけとなる銀行通帳の保管場所をめぐって口論になり、妻は夫を困らせようと咄嗟に「私が殺しました」と自供してしまう。実際、これだけ大声でやりあったら面会を中止されてしまうだろう。それに、やってもいない殺人容疑を夫婦喧嘩の腹いせで自供したりしないと思う。劇中、夫が家に帰って、たぶん妻が言っていた「春物のスーツ類をクリーニングに出す」ため用意していると、紛失した手紙が出てくる。妻がなぜ容疑者にされたかも描いてほしかった。
第3話は、医学部の地味な若手研究者(塚原美穂)と2話の殺人事件の容疑者とテロップで誤報されてしまった編集者(渡邊亜希子)のインタビューをそれぞれ依頼するTV局員(小森健彰)。
研究者は1話の近藤の研究室にいる設定のようだが人違いだったようで、編集者のほうは誤報の汚名を晴らすためのインタビューで、単に現場の野次馬ではなく、被害者の老女と深く関わりがあったことが炙り出されてしまう。
若手研究者のインタビューが1話とのこじつけめいていて、どうして人違いに至ったか理由がわからず不自然。編集者が真犯人と思わせたところで話が完結してしまい、中途半端な結末がスッキリしない。編集者に話を絞ったほうがよかったように思えた。塚原も渡邊も好演しているだけに残念。
全編を終えて、「え?あんなに時間かけてこれで終わり?」と唖然としてしまった。
生意気なようですが、大根氏はユーモアのセンスも人物の心理をていねいに描く腕も持っている作家なのだから、凝った仕掛けを考えず、直球勝負の作品のほうが自分は好みです。今回の作品は長所が死んでしまっているように思えました。
サウイフモノニ・・・
劇団チョコレートケーキ
テアトルBONBON(東京都)
2010/06/16 (水) ~ 2010/06/20 (日)公演終了
満足度★★★★
深い感動を覚えました
かねてから興味を持っていた劇団。初見です。見事なチョコレートケーキ版「グスコーブドリの伝記」。戯曲(人物造形)、演出、舞台美術、照明、俳優の演技、どれをとってもすばらしい。作者のメッセージを盛り込んでも感傷に流されず、説得力のある骨太の戯曲に仕上げたのは立派。詳しくはネタバレにて。
ネタバレBOX
「自己犠牲」は「自己満足」ではないのか、という問題を追究した作品。
幼くして父を亡くした男(古川健)、飢饉で両親を失ったグスコーブドリ(山崎雅志)、ブドリの師クーボー博士(西尾友樹)3人の男の生き様にブドリの妹ネリ(吉川亜紀子)の思いが重なり、人生ドラマとして秀逸な作品。吉川はテアトル・エコーの女優らしく、聴かせる。
クーボーの親友で補佐役のペンネン(菊池敏弘)、リン中佐(大沼峻)、脇の演技陣も魅力的。菊池は若いころの段田安則を髣髴とさせる。クーボーが登場した直後、ロック歌手のような軽さで博士には見えず、息抜きの場面かもしれないが、違和感があり、処刑直前の西尾の演技が良いだけに、前半の演出には疑問が残った。
以下、気になった点。
ブドリたちが子供時代の場面で「やったー!」と喜ぶ場面があるが、現代の子供は「やったー!」とよく言うが、昔の子は言わない。「わーい」がふつうである。TVドラマでも時代劇や昔の子供が「やったー!」と叫ぶとわたしは興ざめする。せめて舞台では一考していただきたいせりふだ。
2日目のせいか、噛んだり、言い直したり、せりふを忘れた俳優がいて、それはともかく、忘れて相手役と2人笑っているのがよくない。何とか違うせりふでも、役になりきって芝居の流れをとめない工夫をしてほしい。お金を取っている公演なのだから。
で、☆1つ分減点です。
今後も楽しみにしたい劇団です。
「グスコーブドリの伝記」は9月に同じ劇場で青果鹿が上演するので、見比べてみたい。
クリスタル・ダスト 全公演終了!ご来場ありがとうございました。
現代能シアタープロジェクト
新宿眼科画廊(東京都)
2010/06/11 (金) ~ 2010/06/16 (水)公演終了
満足度★★★
能を扱うときは表現に要注意
「鉄輪」は能楽本曲においては私にとって特別な演目で、初めて聴いたとき、現代語のように地謡の古語がすんなり耳に入ってきて、血圧がスーッと下がるのがわかり、何とも言えない快感を味わうことができるのだ。これはなぜか他の曲のときには起こりえない現象なのでよほど相性がよい曲らしい。
こんな陰惨な怨念に満ちた曲がなぜこれほどまでに爽快感をもたらすのか不思議でならないが、能楽師のかたに聞くと謡曲とはそういうものらしい。さて、能楽を現代劇でという試みが昨今盛んなようである。これまで自分が観てきた現代能の戯曲は、自分のような能楽愛好家から観れば本歌どりといってもその多くが原曲からヒントを得ている程度でまったく別物の現代劇になっている作品が多い。
三島由紀夫の「近代能楽集」などは、三島に古典や謡曲の素養があるだけに、実に巧みに換骨奪胎の文字通り“近代劇”に作り変えられているが、そういう作品は稀で、中には原曲の名前を冠するのもいかがなものかという珍作もある。
三島の「近代能楽集」が優れているのは、原曲の骨子を崩さずに、時代感覚を生かしつつ現代劇に面白く置き換え、能の怨念=タブーを封じ込めている点にある。
本作も、三島の手法に近いものがあるが、ひとつだけ残念なのは現代劇に置き換えたことによる「生(なま)の表現」が強すぎて、不快感を高めてしまう箇所があることだ。それが個性と言えなくもないが、古典が忌み嫌う「表現が生になる」というタブーを犯して現代劇を作るのは、能の特殊な主題を扱うときにはとても注意しなければならない点である。
以下、ネタバレで。
ネタバレBOX
この「鉄輪」は陰陽師の役目を女性マッサージ師が引き受けた。深夜の歌舞伎町でキャリーカーを引き、紫陽花をみつめていた若い人妻にアロママッサージを施すうち、人妻が夫と愛人に抱いている嫉妬や怨念を揉みだし、人妻の中に宿る「鬼女(生霊)」とマッサージ師が対峙し、人妻を平安へと導こうとする。
能には怨霊のほか、無限地獄や修羅道の苦しみにあえぐ幽霊が多く登場するが、「鬼女(夜叉)」は女の本性でもあり、幽霊ではなく、生霊の一種でもある。
しかし、それが後味の悪いホラーに堕さず、芸術的感動を与えるのは、「様式化」により生々しさを抑えているからである。
能に限らず、狂言や歌舞伎も同様で、そこをはずすと、現代劇となんら変わらないものになってしまう。そして、ここが古典を現代劇化するときの難点でもある。
三島の近代能楽集もリアルなようで、そこをはずしていないし、昨年観た唐十郎の「唐版葵の上」でも、ギリギリのところで女の生霊のリアルさを抑えて優れた戯曲になっていたのはさすがだと思った。
このマッサージ師は陰陽師というより「イタコ」みたいで、「鬼女」のおどろおどろしい演技が古典用語のいわゆる「表現が生になる」域に達しており、長時間観ていると不快感のレベルになっていた。
能に近い演技はリアルに演じればよいと単純なものではない。
これは「現代能」を謳う劇団としては、今後、一考の余地があると思う。
丹波の濁り葡萄酒の澱に人間的な“毒素”を重ねたり、「鬼女」が紫陽花が鬼王神社の土で育つかどうか植え替えてみないとわからないと言うくだりなど、ドラマ的にはなかなか秀逸な部分だと思った。
自分は長時間の能に慣れているにもかかわらず、上演時間1時間20分が実際より長く感じられたのも、生霊の演技表現がリアルすぎて疲労感を覚えたためと思う。
贋作・シルヴィーとブルーノ
劇工舎プリズム
駒場小空間(東京大学多目的ホール)(東京都)
2010/06/11 (金) ~ 2010/06/13 (日)公演終了
満足度★★★
この劇団らしい作品でした
劇工舎プリズム観劇は久しぶりですが、レベルが安定している東大駒場老舗3大劇団の中では一番POPで親しみやすい演目が、伝統。
そういう意味では今回の作品はプリズムのイメージを裏切らない、ラブリーなお話でした。
ネタバレBOX
トランプをあしらった可愛い舞台美術。「不思議の国のアリス」の作者ルイス・キャロルの前に現れたシルヴィとブルーノの姉弟。ルイスが争いの種の携帯電話の機器をを2つに割り、ブルーノが「きょうからau家族割」と喜ぶのがおかしい。
この姉弟は小説「シルヴィとブルーノ」の登場人物で、ルイスの分身ともいえるチャールズが物語の語り手。キャロルのマネジャーをなぜかハートの女王が勤めており、ハートの女王とキャロルが2人の継父・母の王と王妃、チャールズと車中で出会った女性ミュリエルを劇中劇で演じ分ける。チャールズはシルヴィのモデルとなった少女への愛を語り、ルイス自身も病死した少女を小説のモデルにしたことを悔いていた。
夢から覚めたルイスの尻を相変わらずハートの女王が叩く。伝法な口調はまるでSMの女王様のようでどこか夫の尻を叩いてスケジュールを組むという野村サッチーを思わせる商魂のたくましさが笑える。
1時間の小品。東大の芝居はときどき、こういう短い作品がある。時間の割りに小説のくだりがややこしく、少々退屈だったのが残念。
ノア版 桜の園
ノアノオモチャバコ
サンモールスタジオ(東京都)
2010/06/10 (木) ~ 2010/06/14 (月)公演終了
満足度★★★
翻案は嬉しいが・・・
「桜の園」を和物に翻案しているところが評価できる。現代は昭和のころに比べると「桜の園」が誰でも知っている芝居ではなくなっている。だから小劇場演劇でこういう試みをやってくれるのは大賛成。寺戸さんがロシア語学科出身というのも心強い。ぜひ、「三人姉妹」も上演してほしいと思います。
舞台美術も良かったけれど、桜の幹は素晴らしいのに、花の創りが大まかで、幼稚園や小学校でよく見る花飾りのようでちゃちな感じがした。
この花の装置、興味深かったのは、能舞台の「松」と似た扱いになっていること。人々は目の前の桜に向かって語りかけているが桜は背景にある。能も背景に松があるが、実は演者は目の前に松があるという設定で演じている。
能舞台の松は神の象徴であり、神に向かって演じるが、観客には松は背景として映っているのだ。
ちなみに「演劇初心者バツマーク」をつけたのは、やはり、もし自分が演劇になじみがなく、この芝居を観たとしたら、引いてしまうだろうな、と思ったからで、決して「低評価」の意味の×ではありません。
ネタバレBOX
「ノア版」というのが、あのダンスに表現されてるように思えたが、これは以前に初めて観たときも感じたことで、劇団の特徴である「俳優の身体を駆使した空間造形とスピード感あふれる演出」らしいが、どうも、私はこの表現法になじめず、好みではない。
ドヤドヤ人物が舞台に上がってきたり、大勢で床を強く踏み鳴らすところも私にはうるさくて耳障りに感じた。
「桜の園」にしては騒々しく、冒頭の珍妙な場面にはがっかりしました。レトロな衣装に似合わないヘンテコな動きと役者陣の陶酔しきったような表情には
興ざめです。しかし、この劇団のウリである以上、この演出は今後も続くのでしょうね。こういうダンスによる群集表現が昨今のはやりのようだが、それがうまく行ってる作品とそうでないものがあるように思う。
内容では、登場人物の年齢設定が一部どうもよくわからなかった。
「桜の園」のヒロインで思い浮かべるのは自分は文学座の名・杉村春子なのだが、時代の推移についてゆけず若いときの華やかな暮らしが忘れられず想い出に生きる老当主というイメージ。
このマツは5年前に幼い息子・海を亡くしているのでまだ若い妻のようだが、娘の梅子が「家庭教師の富美の同伴がイヤだった」と言うと、竹代が「それはしょうがないでしょう。まだ11歳なのだから」と言う。それはマツにとって「梅子は11歳のまま記憶が止まっている」という設定なのだろうか。ここがわかりにくかった。梅子は11歳には見えないので。
息子・海の家庭教師だったという大学生青山(岡野大生)が「いまも学生だが老けている」という設定なので、梅子と青山の年齢がよけいにわかりにくい。
それにしても、衣装・小道具で言うと、マツの赤い道行きコートと真っ赤なバッグはNG。あれは、どう見ても成人式の娘だ(特にあのバッグは子供っぽすぎる)。いくらマツが若々しく、現実逃避気味とは言え、未婚女性向けの衣装・小道具はおかしい。
マツの菅野佐知子は美しいが、前編通して演技の質が安定しておらず、巧く演じているときと、そうでないときの落差が激しい。
台詞を言うときに力みなのか「いまから芝居するわよ」という表情が見えるときがあるのがいただけない。
老け役は難しいと思うが、老女中・土岐の松倉かおりが百面相芸人のように表情が変化し、これがよくわからない。
この役は「千石規子」なのか「白石加代子」なのか、どっちの線なのかという疑問だ。つまり老獪な老女なのか、屋敷の忌まわしい過去を知っているおどろおどろしい老女なのか。
物語上、後者のはずはないわけで、時に白目を剥いて口をパクパクしているのが、やりすぎに思えた。
「ノア版」となっていることで、当然、原作と変えているところもあると思うが、登場人物の会話を追っているだけでは、役の性根をつかみきれない人物も見受けられ、原作を観ているときよりわかりにくく感じる点もあった。
この屋敷の桜が切り倒され、この屋敷の命が終わる瞬間に山岡万吉(八木光太郎)が歌舞伎の「荒事」のような「振り」を見せる演出が面白かった。
八木は成り上がり者の粗野なところと、小作人の悲哀、マツへの思慕の情を表し、熱演。
竹代の猿山のぼるの演技が自然で、この世界で呼吸している人物に見える。
英明(和田哲也)は刹那的女ったらし風で雰囲気があったが、脚本上の描かれ方には不足を感じる。同様に家庭教師の富美(本田ようこ)は、短い出番ながら、二本柳家になじめない醒めた存在をよく表現していたが、竹代との兼ね合いからか、脚本上、あまりこの役が生きていないのが残念だ。
キャリアのある達者な著名俳優なら、台詞に出てこない行間も容易に体現できるが、若い彼らには難しいからこそ、脚色するなら脚本上もっと役を浮き彫りにしないと、と思う。
登場人物が多いわりに全体的に人物の有機的な結びつきがあまりくっきり出ていない点が気になるのだ。
今回、舞台の大きさに合わせた声を出していない俳優がいたのも残念。やたら声がバカデカく響いて、しらけてしまった。
ONE
DAZZLE
あうるすぽっと(東京都)
2010/05/29 (土) ~ 2010/06/02 (水)公演終了
満足度★★★★
演劇的な骨太のテーマと構成
DAZZLEはダンス・ユニットだが、演劇的要素が色濃く、2009年にはシアターグリーンの演劇祭で一般の劇団を抑えてグランプリに輝き、振付・演出家の長谷川達也は2009年度若手演出家コンクールで観客賞・優秀賞を受賞している。その活動もダンスのジャンルにとどまらず、演劇や映像、音楽の世界ともボーダーレスを目指している。
演劇界の批評家たちからも前作の「花と囮」が高い評価を受けたため、今回は前作以上のものを、と相当意気込んだのが見て取れたが、前作に比べて文字による説明表現が多く、文字情報を追っていてもストーリーがわかりにくかった。
DAZZLEのメンバーを知っていることを前提にしているようだが、入り組んだストーリーが文字で説明され、役名も変化していくため、誰がどの役かを把握するのも大変で、途中でストーリーを追うことも断念してしまった。ダンサーだという若者たちに囲まれて観たが「観てても意味がよくわかんなかったな」という声が聞こえた。ダンスとはいえかなり演劇に近く、配役も割り振られているのだから、演劇のようにパンフレットに配役や簡単なストーリー説明がほしい。
「ダンスファン以外の多くの人に観てもらいたい」というなら、初見の人にも理解しやすい工夫が必要では。
会場もシアターグリーンからより広いあうるすぽっとへ移った。
もう少し外向きの公演をしてくれたら、チケプレもお願いしたいところだが、いまはまだダンスファンを意識した作りになっているので、演劇ファンにもアピールするにはもう少し時間がかかりそうだ。
ネタバレBOX
椅子に置かれた一体の人形。この人形は何もかもかっらぽになってしまった元は人間なのだと仮面を被った男(長谷川達也)が説明する。説明はナレーションでなされる。今回から、初めてナレーションが導入された。
舞台は近未来。人間のあらゆるパーツの移植が可能になり金で売買されるようになり、人はアイデンティティーを失っていく。そのさまを表現する冒頭の群集場面がすばらしくて惹きつけられ、期待感が膨らむ。
研究者(長谷川達也)は「世界政府」の命令で貧しい子供たちを移植の実験台にして研究を行っている。なかでも13号(通称イーサン/金田健宏)、44号(同シシ)、36号(同ミロク/宮川一彦)の3人は特に仲良しだった。シシだけが少女で、人形が演じる。
シシは青いバラの瞳を持つ。ひとつずつ、イーサンとミロクに移植され、彼らの瞳にも青いバラが咲く。他者への移植を続けたシシは記憶も失い、からっぽになってしまう。そして、移植されたはずのシシの記憶も、他者の中では生き残っていなかった。
研究に疑問と良心の呵責を感じた研究者はミロクを自由の身にするため、研究棟から逃がすことを決意する。ミロクは街に出て研究者が手配した「新聞配り」の仕事につく。ミロクを逃がし、イーサンも逃がそうとしたとき、装置の誤作動が生じて研究棟はパニックに陥る。パニックに乗じてイーサンも逃げ出す。世界には新種ウィルスが蔓延し始めている一方、子供たちを次々と連れ去るハーメルンの暗躍が噂され、新聞記者が動く。
逃げ出したものの、イーサンは自分だという確たる存在証明ができないため、途方にくれ、やがて世界政府とは隔絶した新しい組織(秘密結社のようなものか?)を作って「宿主」となり、世界政府と対決する。再会したミロクをも憎悪し、心を閉ざすイーサン。
イーサンたちの組織はウィルスに犯されつつあるらしく、その危険を冒してイーサンに接近したミロクは命を落としてしまう。嘆き悲しむイーサン。
しかし世界政府にイーサンは制圧され、命を落とす。死後の魂の中では、シシの記憶はイーサンやミロクの中で生き続けていることがアニメーションで暗示される。
「これで物語りは終わりです。何もこわがることはありません。さぁ、あなたがたも私たちの世界にいらっしゃい」と仮面の男は不気味に手招きする。
だいたいこのようなあらすじだが、ダンスを観て何とか自分なりにつかんだ内容なので、細部は違っているかもしれないがご容赦を。
イーサンの組織の黒と青、世界政府の赤、と衣装が色分けされ、ローラーで可動式の金網のパテーションを効果的に使ったスピード感あふれ、流麗でキレのあるダンスはDAZZLEならでは。私はダンステクニックのことはまったく無知であるものの、前作でも気になったのだが、顔の周囲で手を回す振りが多いのは、こういうダンスでは一般的なことなのだろうか。この振りの繰り返しが多いと、ときどき単調に感じてしまう。
現代遺伝子研究の象徴とされる青いバラをモチーフにし、貧困国の子供たちの臓器売買など臓器移植の道義的な問題や、閉塞的な社会状況の中、アイデンティティーや行き場を失った若者たちの内面的葛藤などを風刺的に描き、演劇としてもじゅうぶん成立する骨太の脚本(飯塚浩一郎)は高く評価できる。
コミュニケーションの喪失、引きこもり、介護の問題を扱った前作に続き、情緒や抽象に流れることなく、社会に積極的に発信していくダンスは門外漢の私にもじゅうぶん魅力的で説得力を持って迫ってきた。これからも挑戦し続けて領域を広げてほしいと思う。
アフタートークも前作のときに比べ、今回は内容に踏み込んだ発言がなく、メンバー各自の「気に入ってる場面」を述べるにとどまったのは、アイドルグループのトークショーもどきで残念。もっとファン以外の外向きを心がけてほしい。
お名前を出して恐縮だが、こういう演劇の賞ももらっているダンスユニットの公演はダンス好きなtetorapackさんのようなかたにぜひ観ていただきたいと思うが、若い男性ばかりのグループじゃダメでしょうか?(笑)
tetorapackさんは観劇リストでは女性ダンサーの公演を多く観ていらっしゃるようなので対象外なのかとは思いますが、一見の価値はあるので今後お勧めしたいです。
歴女探偵~龍馬が消された真相を追え!
劇団空
千本桜ホール(東京都)
2010/06/09 (水) ~ 2010/06/13 (日)公演終了
満足度★★
学生演劇のよう・・・構成に一考がほしい
旗揚げ公演でまったく知らない劇団のため、チケプレに応募したが、「観たい!」への登録が応募条件で実施対象日は1ステージのみ、登録人数も2名にもかかわらず、いっこうに連絡が来ない。再三「落選なのかどうか」問い合わせメールを出したがなしのつぶて。もしかしてこちらのメールが届いていないのでは?と思ったが、チケプレ指定日前夜にようやく返信が来て、
「当選者にメールはお送りしてます。観劇希望日を未記入のお客様は期日をこちらから指定させていただきました」というが、最初から劇団側が1ステージのみの指定で、期日指定などのお知らせも来なかったのだ。ともあれ、「ご招待させていただきます」ということで、観て来ました。
公開収録のネット番組で坂本龍馬暗殺の謎に3人の歴女が挑むという趣向、龍馬ブームに乗っかった企画のようだが、学生演劇のような構成とありきたりのオチで、これで当日3500円払うなら割高に思う。
三東ルシアと水島裕子というかつてのセクシーアイドルがWキャストで特別出演しているが、彼女たちが出演しなければもう少し入場料金が低く抑えられたのだろうか。
観劇中も不愉快なできごとがあった。
ネタバレBOX
一言で言えば、「歴史検定」と「小劇団の悲哀体験」を混ぜて作った芝居。客入れの段階から前説が始まっているような感じで、3人の役者が「ビールとおつまみセット500円」に限り、中で飲食していいから買ってくれとしつこく客に呼びかける。「へい、いらっしゃい!」という掛け声に近くの客が「八百屋か居酒屋の店員みたいだね」。何とも品がない前説だと思っていたら、劇が始まっても、またこの3人が出てきて「ビールとおつまみセット」の話をしている。劇でも売れない小劇団「白い小雨」の役者が売り子をしているという設定なのだ。そして後半でこの「ビール」の銘柄が意味を持つのだが、何かわざとらしい。ここでタイトル映像が出て、劇が始まる。で、3人の歴女が出てきてネットトーク番組の放送本番が始まるとまた同じタイトル映像が出る。時間が無駄だと思った。この芝居、あと20分は削れると思う。歴女の一人は番組プロデューサーであとの2人は大学の歴史研究会に属している。それぞれが、龍馬暗殺の諸説を劇団の役者による再現ドラマで説明し、「どの説を信じるか」客に挙手させる。「後半の解説後、最後に決をとらせていただきます」と言い、後半、また同じ「映像タイトル」が出て(3度目)後半が始まる。お龍役の小劇団の看板女優がお色気をふりまいたあげく、大学教授のレイトンという男が乱入し、およそ説得力のない珍妙な新説を唱え、さらに小劇団女優が大女優森小百合への嫉妬から2ちゃんねるに中傷のカキコミをし、泥酔してクダを巻き始め、女性プロデューサーは発狂寸前に怒り狂うが、ネットアクセス数が急速に増え、最後に合成したという「龍馬のメッセージ」なるものを出演者たちが静聴する。このメッセージが「小さいことにとらわれず、広い心で生きよう」なんていうありきたりの道徳みたいな結論。「観客の多数決」もどこかにすっ飛んでしまい、シラケルことこのうえない。スタジオに観客も入れた公開番組という設定なのだから、どうせなら「観客参加型」の趣向を入れて、生の質問を客にぶつけてみるとかすればいいのに。
売れない役者トリオは個々の俳優は悪くないが、お笑い場面の息が合わず、間が悪い。「2セット(1000円)しか売れなかったのでお金がない」と小銭を見せながら、「売り上げ金とお釣りで白木屋に飲みに行く」というのも辻褄が合わない。3人の中ではイチロウ(雅憐)のバイトのグチが面白かった。小劇団の看板女優を演じる梨互れんは酔った演技が歌舞伎の魚屋宗五郎みたいでなかなか面白い。劇中のお龍も悪くないが、「龍馬はん」と言うときの京言葉のイントネーションがおかしいのが残念。稽古場にいたら注意してあげるのだが。演出家はそういう点もきっちりやらないと。
歴女プロデューサーの中嶋マユコは緩急をつけた芝居ができるのに、妙に浮き上がって見えるのは、この役が周囲の人物と絡みながらテンションが上がっていかないからで、脚本の責任である。
歴女の種田麻友美はキャピキャピして可愛いし、島香寿美はオタクっぽいモソーッとした物言いでも口のあけかたがよいので台詞が聞き取りやすい。
こき遣われる若手ADの荒川ユリエルはジャニーズ系でさわやかな印象。ちょっと可笑しなレイトン教授の久保田勇一は専門分野の台詞を噛むのが惜しい。
龍馬の霊夢を見た明治皇后を演じる大物女優・森小百合役、私が観た回は三東ルシア。「おさかなになった、わ・た・し」も化粧が濃く、年をとったなーと思う。いまだお美しいですが(笑)。
ギャラの関係なのか、三東はほんのわずかの出番で、起用した必然性を感じない。
劇団関係者の知り合いなのか、劇の終わり近く、三東ルシアの出番直前に入場してきて、前から2列目の私の隣に座り、ドサッと最前列の座席に「差し入れ」を置いた男性客がいた。観劇の気分をぶちこわす無神経さ。終演後、アンケートに感想を書いている私の隣で「三東ルシアって凄いアイドルだったんだよ。俺、ファンでさ・・・」と得意げに大声で出演者と歓談。まさに傍若無人。本当に芝居を愛し、観る気があって来る客なら、こんな態度はとるまい。こんなに遅く入場させるほうもさせるほうだ。
「誰のための芝居なのか?」もっと自分たちの芝居を大切にしなさいと言いたい。
麦の穂の揺れる穂先に
文学座
紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)
2010/05/31 (月) ~ 2010/06/09 (水)公演終了
満足度★★★
悪くはないが、大満足でもない
演出家の戌井さんは劇団新派の伝説の名女形喜多村緑郎を父に持ち、日本演劇界の至宝といえる人。その戌井さんが「これからは平田オリザ作品1本で行きたい」と言うほど惚れ込んでおられるそうで、平田オリザさんは作家冥利に尽きるのではないだろうか。
NHKに残されていたレコード音源や舞台スチールでしか喜多村緑郎を知らない自分にとって、昭和のころ、そのご子息が戌井さんだと知ったのは大いなる驚きであった。戌井さんは近年、俳優として舞台にも立ったが、声も台詞回しもお父さん譲りで驚いた。演出面では、小津安二郎よりも女形出身で繊細な演技指導が巧かった衣笠貞之助のタイプに近いかもしれない。
実は杉村春子が亡くなって以来、私は若手の公演以外では、文学座の本公演を観ていない。恐る恐る杉村のいない初の本公演の劇評を読んだとき、自分の予想していた内容だったからで、
「杉村の影を演じてきた俳優の中から光を演じる俳優を出すのは至難の業」みたいなことが書いてあった。
会場は定年以降の高齢者であふれ、能楽堂の客層とそっくり重なる。改めて戦後の文学座を支えてきたのは、ここにいるファン層なのだと思った。
「どうか、僕の大好きな平田さんのお芝居をみなさんも好きになってください」とアフタートークでも頭を下げる戌井さん。「青年団って知らないわ」「平田オリザさんって若い人に人気あるんでしょ」ロビーでかわされる会話に、これまでの文学座ファンとこの作家との距離を感じた。
ちょうど90年代初めころ、若い人の間で海外からの逆輸入のようなかたちで小津映画の回顧ブームが起こっていたころ、自分は平田オリザという青年劇作家の存在を知った。
戌井さんは平田氏の「聴く芝居」に惹かれたそうだ。小津監督も青年団も言葉=日本語を大切に、同じテスト演技(芝居では稽古)を繰り返すという点においては、共通点があるようだ。
さて、そのオマージュ作品をどう感じたかというと「悪くはない」と思った。双方のファンを失望させてはいない秀作ではないかと思う。だが、何か物足りない。
個人的に自分はオマージュ作品というかたちが映画、舞台、文学いずれにおいても、あまり好きではない。だから、かつて鴻上尚史の「芝居でも○○へのオマージュって作品創るけど、自分も含めて、オマージュって聞こえはいいけどパクリ感が否めないんだよね。はたしてオマージュたりえてるのかって疑問やうしろめたさは残る」という談話を聞いたとき、妙に共感したのだ。
先日、新派が山田洋次と組んで小津の「麥秋」を舞台化したが、平田オリザには、今後、むしろ、新派の新作を書いてほしいと思った。
それはオマージュなどではなく、かつての中野実原作にあったような新しい時代の作品で、戌井さんに演出してもらったらよいのではないだろうか。
杉村春子と平田オリザを出会わせてみたかった気がする。小津を知る彼女なら、どんな芝居をしただろうか。
劇中、小津が愛した鎌倉の風景を映像で映し出したり、江ノ電の踏み切りの効果音を入れたり、地名や名物の「甘納豆」などを出しているが、私には何か接木のような人工的な色づけに感じられてならなかった。
ネタバレBOX
社会進出が進み、家制度からも解放されて自由な選択ができるようになっても、未婚の女性の身辺、家族のやきもきは変わらないのではないか、という視点で平田オリザはこの作品を書いていったそうだ。
「お父さんは私がいないと何にもできない人なの」と思い込んでいる早紀子(栗田桃子)と娘の結婚を心配する大学教授の父親誠二(江守徹)。早紀子が幼いころに母親は亡くなり、誠二の姉、久子(藤堂陽子)の夫健一(金内喜久夫)の妹に当たる真理子(倉野章子)に助けられながら、誠二は男手一つで早紀子を育てた。ここがちょっと不自然で、真理子が助けるとはいえ、家に入り込んだわけではなく、離れたところに住んでいて「時々、私が手伝った」と言っている。それなら、こんなに何もできない父親ができあがるものだろうか。昔は少しは料理をやった、実はけっこう得意なんて姉の話も出てくるが、父親というのはいったん家事をやるとけっこうマメになってしまい、何にもしなくなるということは経験上少ない。よほど娘に甘えているらしい。
この真理子が再び家に出入りし始め、早紀子が微妙な雰囲気を感じ始めたとき、「パラサイトシングル」をめぐって誠二と口論になり、そのあと、誠二の友人の大学教授夫人た多香子(山本道子)の勧めに乗って助教(助手)日高(大場泰正)と電撃婚約する。日高も妻を亡くしており、まだ幼い娘がいる。インドネシアに研究留学しないかという話が持ち上がるが、娘のことを考えて躊躇していた。早紀子の同行により、娘も一緒にインドネシアに連れて行けることになる。もともと、日高と早紀子は周囲が結婚すると見ていたのだが結ばれなかったという設定。双方、憎からず思っていたからこそ、急に婚約できたのだとは思うが「結婚には勢いが必要だってお父さんも言ってたじゃない」という早紀子の言葉が唐突に感じる。早紀子の結婚に至る心理の綾が描かれず、口論の直後にいきなり婚約するので感動も薄い。日高と早紀子との会話でもサバサバしていて異性への好意は表現されていない。私のこの芝居の不満は人物設定と状況説明と観客の想像に頼り過ぎている点にある。「小津映画を観ていればわかるだろう」みたいなところもある。
真理子と早紀子の会話も、倉野がアフタートークで語っていたように「真理子はかつて早紀子ちゃんにどこかでシャットアウトされたためにお母さんにはなれなかった女」と抵抗感のあった娘というふうには感じず、わだかまりなく仲良しにしか見えない。
誠二が早紀子が早く嫁に行けるよう、真理子さんとわざといい雰囲気を作ってみせたのだ、みたいなことを言うが、それも芝居では表現されていないので「?」となってしまう。早紀子、日高、誠二、真理子の心の綾をもう少し丁寧に表現しないとドラマとしての感動は薄い。アイルランド映画の薀蓄の部分をもう少し削っても、こちらを描いてほしかった。
正直言って、小津安二郎のホームドラマも「東京暮色」を除くと情緒重視でそのへんは役者に頼ってしまい、けっこうあいまいなのだが(笑)。現に小津のお気に入りの助監督と言われた巨匠今村昌平でさえ「茶碗がどうのとかディテールにこだわって、肝心の人間描写が感心しなかった」とズバリ批判している。一時期、邦画界で小津映画の評価がさほど高くなく、死後、海外で賞賛されるまで半ば忘れられていた理由もそのへんにあるような気がする。
小津映画を素晴らしくていたのは、やはり文学座の杉村春子の存在が大きかった。彼女のユーモラスで自然な演技が際立っていたのだ。そして小津の共同執筆者・野田高梧。野田が東宝に書きおろした家族映画も小津作品そっくりで、むしろ松竹より出来はよく、ここでも杉村春子が光っていた。
姉の久子の藤堂陽子に杉村を感じると言う声があったが、これは役どころが杉村の役だからで、深みはまるで違う。戌井市郎は、ふだんはさほどうるさく言わないセリフも、平田作品については厳しく一字一句台本どおりに言わせたそうで、大場、栗田や誠二の教え子たちを演じる若い俳優は、青年団にいても不思議はない自然な会話に感じ、やりやすいのかと思ったが、自然に見せるのが実はものすごく難しかったと言う。江守も語感がとても難しかったと言っている。平田オリザらしさを感じたのは、誠二の友人の大学教授・向井(坂口芳貞)にまつわるサナダムシ談義あたりだろうか。誠二の部下の矢野(高橋耕次郎)の役も青年団の芝居ならもっと活躍したはず。そのへん、俳優の序列が関係するのだろうか。
江守徹の台詞回しが加藤武に酷似していて、江守もそういう年代になったのかと感慨深い。「実年齢と同じ役は初めて」と苦笑する倉野章子も同様で、私には知性派ホープと言われた娘役の印象が強い。
大場は魅力的な俳優だし、栗田桃子は最近余裕すら感じさせる。成長株の二人だ。
細かい点では夏の結婚式(8月くらいだろうか)なのに、久子は合いものの透けない一重の黒留袖だが、多香子は袷の色留袖で、ともに冬の袋帯という衣装がひっかかった。着物は絽か絽縮緬、帯も絽綴れかせいぜい絽刺しといったところでは?。
恋女房達
青☆組
アトリエ春風舎(東京都)
2010/06/03 (木) ~ 2010/06/08 (火)公演終了
満足度★★★★★
吉田さん、ご馳走様でした!
私が本作を観るに至った理由については長くなるので「観たい!」をご参照ください。
個人的にはオムニバスが好きで邦画洋画問わず、オムニバス映画をよく観に行きます。昭和の邦画全盛期、映画監督が忙しかったためもあり、良質なオムニバスもいくつか作られていたのに、公開当時はあまり話題にならず、高く評価されていなかったのが不満です。
このお芝居は上質なオムニバスものですが、ごく普通のオムニバス芝居とは違います。ひとことで表現すると「贅沢な大人の祝祭」とでも言いましょうか、観ていくうちに「大人のアトラクション」を観るための行列に並んでいるようなワクワク感に満ち溢れてきます。
吉田小夏さんは挨拶文で本作品をお料理にたとえておられたが、食後の感想を言わせていただくと、家庭料理でもなく、よくある外食とも違う、一流店の腕ききのシェフが自らの目で選んだ優れた食材を選び、ふだんのメニューとは一味違う料理を作る期間限定の一軒家レストラン、そこで食事した気分とでもいいましょうか。
作品のテイストとしては、現代の怪談というか、世にも奇妙な物語的な楽しさが味わえます。しかし決して奇天烈な芝居ではないのでご安心を。
期間限定レストランですがとてもおいしいので、ふだん本店に行かれてるかたにもそうでないかたにも、お薦めします。
吉田小夏さん、ご馳走さまでした。とてもおいしかったです。
アトリエ春風舎ではいつもゆったり観ていたので、こんな混雑を体験したのも初めてでした。
ネタバレBOX
赤をうまく使った舞台美術と照明。音楽からして昔の遊園地のようなオープニングが楽しい。
作品は6つ。「恋女房」は白昼夢といった趣。身重の若妻(小瀧万梨子)に保険のセールスマン斉藤(荒井志郎)が保険を勧めていると主人(藤川修二)が帰ってくる。昼時なのでそうめんを振舞おうとするが、次々違う「女房」が現れるのでセールスマンは目を白黒。主人はさも当然であるかの様子。もしかして一夫多妻制なの?さらに斉藤の前任者芹沢の妻(大西玲子)まで乗り込んできて、「その子、芹沢の子じゃないでしょうね!」と激昂。妻のひとり(木下祐子)が斉藤に昼寝を薦め、「芹沢さんはよく昼寝して行かれたのに・・・」という謎のひとこと。ラベンダーのサマーニットがよく似合う木下が美しい。
「燃えないゴミ」。最近引っ越してきたという若い主婦(國枝陽子)がゴミ当番で掃除しているとゴミを捨てに近所の主婦が次々集まってきて・・・。燃やせるかもしれないけど“燃えないゴミ”もある。黒一点で妻のパンストを入れた小さなゴミを捨てにくる夫(田村元)が夫の本音を表現していて可笑しい。
「スープの味」。妻(大西玲子)の作ったスープに「まずい!」と文句を言い続ける子供っぽい夫(林竜三)。「うまい料理を食べさせてくれると思ったから結婚したのにィ・・・」とごねることごねること。昔はこういう「結婚する理由は妻に料理を作ってもらえるから」みたいな本音を言う夫が多かったなー(笑)。
「味噌汁の味」に文句を言う夫が多かったようだが。そのスープのレシピは妻が自分の母親に教えてもらったものらしい。妻は家を出て行く。この話には後段があって、夫が客(芝博文)にスープを振舞っている。「おいしい」と客は言う。妻の残したレシピでスープを作ったのだと言う。妻は既に亡くなったらしい。一度は夫を大嫌いになったという妻はいまは夫を再び大好きになって優しく見守っている。
「押しかけ女房」。独身でバリバリ働く女性(木下祐子)。疲れて帰ってくると「女房」を名乗る女性(羽場睦子)が家にいる。炊事、洗濯、アイロンがけ、かいがいしく世話を焼いてくれるので、女性は不審に思いながらも、家の居心地はよい。結婚していく同僚たち。女性は上司(藤川修二)と不倫をしていた。煮え切らない男だったが、「一緒に暮らそう。女房は家を出て行ったんだ」と言う。「私の部屋の鍵を返して」と女性が言うと「家の中でなくしたと思うんだけど、なぜか鍵がみつからないんだ。女房が出て行ったころくらいから・・・」と言う。ハッとして家に帰った女性に「女房」はある想いを切々と訴える。雨がモチーフになっていて、ちょっとした怪談のようだが、凄く思い当たる部分が多い作品(笑)。キャリアウーマンとして社会で活躍する女性はよく「夫じゃなくてお嫁さん、女房がほしい」と口にするものねぇ。自分もそういう時期があったし(笑)。一方、「妻」って何?というと、この「女房」の訴えはある意味、専業主婦の本音というか、女房としてはこう言うしかないって部分がある。木下、羽場が役になりきり、とてもいい。同僚のうち、独身派の佐々木なふみがセクシーな足の組み方で「“いい女”の自信とつっぱり」を表現し、ゴールイン派の國枝が「無意識のうちにもちょっといやみな優越感を漂わせる勝ち組」を演じ、ふだんの彼女たちの役のイメージと重なって面白い。もちろん、現代は夫婦像も多様になっていろんな「女房」がいるわけだけど、ある部分、非常にこの作品はピンポイントで核に当たる部分が大きいと思った。で、男女問わず独身でありながらも家事も完璧にこなして居心地のよい「おひとりさま家庭」を作れる人もいて、こういう人は結婚しなくなる。自分の場合、その一歩手前で結婚したような気がする(笑)。
「赤い糸」。読書好きな男(石松太一)が「赤い糸をみつけたから」と女(小瀧万梨子)から一方的に別れを告げられる。女が赤い糸をたぐり寄せると結ばれた男(芝博文)はあっさり糸を鋏でプツンと切ってしまう。唖然とする二人。
ふられた読書好きな男のほうは、猛烈に自分の想いを伝える。本を読んでいるのはその素晴らしさを彼女にも伝えたいからだと。二人は元の鞘に収まり、このあと結婚するのかもしれない。好きな本ばかり読んでいないで、彼女にしっかり向き合わないとダメだということですな。この「読書好きな男」の言動が知人にそっくりで、悪いけど笑ってしまった。彼もこの芝居を観て恋にリベンジしてほしいと思う。
「末永い夜」。外で転んですりむいた程度の怪我をした母を心配して集まった叔父(林竜三)や息子たち。母は叔父のことを「おじいさん」と呼んだりする。長男(田村元)は結婚しているが、次男(石松太一)三男(芝博文)は独身。三男の光男は生まれ変わりとまで言われたほど父親に生き写しだと言う。母が起きてきて、光男に夫のように話しかけ、嫁入りのときのように「初夜の挨拶」をする。戸惑う光男に、長男の妻(木下祐子)が母がいま息をひきとったと告げる。では、いまの母は?母(井上みなみ)はあくまで若い姿。人はぼけると一番幸せだったころに戻ると言うが、「霊界では一番幸せだったころの姿で生活している」という丹波哲郎の言葉を思い出した。この母もそうなのかなぁ。
最後に「観たい!」理由の第一に挙げた國枝陽子さんについて触れさせて下さい。多少婦人では神経質だったりエキセントリックだったりするちょっと怖い女性の役が多いが、昨年客演したストロボライツの公演ではふだんと違う往年の清純派女優のようなピュアな芝居を見せた。その役でさえ、多少婦人の演出家・渡辺裕之さんが「嫌な女の役」と評したので私は戸惑ってしまったのだが(あれははたしてそういう役だったのかな、と疑問が残った)。ともあれ、この「恋女房たち」では吉田さんが彼女の資質をよく生かしてくださったうえ、オープニングの場面でスイングする彼女には多少婦人では見せたことのないチャーミングでコケティッシュな表情に驚いた。吉田さん、ありがとうございました。石井千里さんも先月、電動夏子安置システムの客演で活躍したし、多少婦人の女優さんにはどんどん他流試合で腕を磨いてほしいと私は思っている。
照明が青年団系とは違う、でもどこかで観たような雰囲気だなと思ったら、あの内山唯美さん(劇団銀石)だったのも嬉しく、実に贅沢なお芝居でした。
守り火(まもりび)
FINE BERRY(ファインベリー)
ザ・ポケット(東京都)
2010/05/25 (火) ~ 2010/05/30 (日)公演終了
満足度★★★★
あまりにも切ない
自分の場合、この作品を観ると決めたきっかけは松本紀保が出演するからで、こういう小劇場でどんな役を演じるのかとても興味があったからです。
観終わっての感想はひとことで言えば本当に素晴らしい作品でした。あまりにも切なすぎます。人物描写が丁寧で、きれいごとでなく説得力がある。
私はこの作品を観て、改めて2月のモダンスイマーズの公演「凡骨タウン」の冒頭の独白を思い出した。「自分ならこんなことはしないだろう」と言うのは簡単だが、実際、その人間とまったく同じ人間に生まれていたなら、
同じ行動しかとれないのだ、という意味のあの台詞。「凡骨タウン」もかなり悲惨な話だけれど、これもかなり辛い物語です。しかいこういう社会の吹き溜まりに生きる弱者にスポットを当てて、書いていくって凄いなあと自分などは単純に感動してしまいました。
彼らのしていることは犯罪だし、決して褒められた生き方ではないのだけれど、強く心を揺り動かされた。
中島新さんの今回のお芝居は山本周五郎の世界に通じるものがある。
ネタバレBOX
ストーリーは既に詳しく書いているかたがいるので省きます。
最低限の生存権がかろうじて残されているようなゴミ収集業を営む桐島家の極貧生活。娘に「お父さんと一緒になっていなかったらもっといい人生が送れてたと思ったことないの?」と訊かれて「もっと大変なことになっていたかもしれないじゃない」と返す母親。
両親を早く亡くし、親類の家を転々とたらい回しにされ冷たい世間の風に当たり続けた母親の志津子(松本紀保)には「あたたかく幸せな家庭を持ちたい」という強い願いがあったのだと思う。裕福かどうかとか、血のつながりは問題ではなかったのだろう。
風俗店も多いこの町には捨て子が多く、災厄をはらう目的で焼かれる藁人形の代わりに本当の子供を燃やしていたという噂話も伝わっている。4度の流産で4人の子を次々になくした志津子は手作りの4つの人形を抱いて神経を病んでいた時期があった。土砂崩れで息子のタカシを亡くした早苗(橋口まどか)もまた、その死を受け入れることができず、息子にやりたいからと言って、おもちゃや洋服などのゴミをもらいにくるが、桐島家の娘たちは冷淡だ。志津子だけが早苗の話し相手になっているのは、自分にも同じように辛い体験があるからだろう。
志津子・啓次郎(辻親八)夫婦は捨て子を拾って自分の子として育てていたのだ。負傷した早苗のうわごとで真相を知った娘たちはショックを受けるが、長女の尚(李峰仙)だけはその事実を知っていた。尚は志津子同様、ゴミ収集の職業病のせいか流産が続き、婚家でも肩身が狭い。
志津子も肺ガンが悪化して死んでしまい、やくざとつながり、不法投棄を急ぐゴミのまとめ屋・寛崎(尾形雅宏)に追い詰められた啓次郎は、警察に証拠資料を渡して自首する決意をする。不法投棄で一時的に息をついていたホームレス夫婦の豊子(岡村多加江)の「もう少しこの仕事続けられないかな。せっかく家も借りられることになってたのに」と啓次郎に哀願する場面が哀しい。豊子もまたかすかな幸せをみつけてすがる女だ。
家に火をつけて逃げる寸前、娘たちが幸せを祈る姿に胸が締め付けられた。守り火どころか、家を焼くはめになるとは。
辻親八は、甲斐性がなく気も弱いが、心根の優しい父親を好演。早苗を殺すことで平然と寛崎に同意した後、娘たちの前で「そんなことできるわけないだろう」と真意を明かすところが良かった。
尾形が本当に恐ろしく凄みに圧倒された。陰惨な劇中でホームレスの先輩格達男の佐久間淳也が演じる笑いの場面が救いとなっていた。
雨が多いというこんな陰鬱な町に暮らしていた志津子が沖縄のように陽光に恵まれたところの出身というのも皮肉な話だが、松本紀保は逆境に負けない志津子の明るさをよく出していた。高い声質と明るい芸風に曽祖父初代中村吉右衛門の血を感じさせる。現高麗屋で播磨屋の血を受け継いだのは現幸四郎の長女の紀保だったのか。彼女の曽祖父の初代中村吉右衛門は菊吉時代の名優と賞され、古典一本槍のように思われているが、実はごく若いころに、いまで言う小劇場演劇のような現代ものの軽いコメディで、セールスマン役を演じたこともあるのだ。
妹の松たか子の人気がブレイクしたころ、新派の波野久里子が「親戚だし、たか子ちゃんのような人が新派を継いでくれたら一番いいんだけどな。若いお客さんも増えるし」と語っていたが、新派の水に合うのはむしろ紀保のほうではないかと今回の芝居を観て思った。経験を積めば、きっといい新派女優になると思うのだが。
B神崎与五郎 東下り
劇団扉座
座・高円寺1(東京都)
2010/05/19 (水) ~ 2010/05/30 (日)公演終了
満足度★★★★★
魅せた人情噺
ログインエラー解消後もログインに異常に時間がかかり、エラーが出てしまう。投稿が遅くなってすみません。
私が横内謙介の存在を知ったのはもう20年くらい前、二十一世紀歌舞伎組の「雪之丞変化2001」初演の制作発表記者会見の席上でまだ20代の美青年ははっきり言って場違いな印象で「浮いていた」。それからまもなく、ICUで平田オリザと同級生仲良しグループだった同僚が善人会議創設メンバーと親しかったので扉座に名前が変わったことなど劇団の詳しい話を教えてくれた。
扉座というとその人のことを思い出す。10年ほど前に歌舞伎組の元メンバーだった人から「雪之丞変化2001」当時の話を聞く機会があり、軽井沢合宿中、徹夜で仕上げた台本を猿之助があっさり「あ、ここ、いらない。無駄!」と理由も言わず、どんどんカットしていくので、横内さんも面食らったと思うと話していた。劇団の主宰で座付き作者なら、他人にカットされる経験もないだろう。しかし、いまになってみれば、このときの経験はとても貴重でありがたいものだったろうと推察する。
猿之助という人は劇作に関する勘が非常に鋭く、観客の視点で脚本を読める人だからだ。客から見てどうかを重視し、時には作・演出家や役者の思い入れなんかすっとばしてしまう大胆さがあった。そういう人に赤ペンを入れて鍛えてもらえたということは、横内氏にとって大きな財産になっているに違いない。
本作の劇化も猿之助のアイディアだそうだが、横内氏の本作には全体に猿之助好みの色が感じられ、作・演出にかつての薫陶の影響が見てとれた。
人情噺的な劇は昭和40年代ころまで、小ホール(いまの小劇場系の芝居とは違う)で盛んに上演されたと記憶している。主役はたいてい東西の喜劇役者のせいか、芸達者だからあざといが泣けるので私は好きだった。だが、プロによる劇評は必ずしも好意的ではなく冷ややかだった。高度経済成長を経て、いつしかそういう劇も一部の「新喜劇系」以外は上演されなくなっていった。この芝居を観てあのころの懐かしさがよみがえってきた。
「雪之丞変化2001」はまじめな悲劇だったが、本作は松竹新喜劇に近い。猿之助は藤山寛美の人情喜劇が大好きだったことを思い出す。
ネタバレBOX
宇佐見(六角精児)は元花房兎という芸名の大衆演劇一座の役者だったが、不義理を重ねて一座を辞め、タクシー運転手をしているがめっぽう酒癖が悪い。ゆうべも行きつけの飲み屋「一力」で、チンピラの昇平(新原武)と大喧嘩し、店を壊したというが記憶がない。昇平はキャバクラ「ホルスタイン」の女(江原由夏)を連れ、「一力」に詫びに来る。「一力」は入院した女将に代わって娘の由希子(高橋麻理)が切り盛りしており、由希子は宇佐見の実の娘である。そこにかつての役者仲間の高塚旭(市川笑也)やマネージャーの花房亀吉(岡森諦)が宇佐見を訪ねてくる。花房峰子座長が亡きあと、高塚旭の、「おやまルンバ」が大ヒットして人気スターとなり、今年の紅白出場間違いなしという。その初座長公演に「神崎与五郎東下り」をかけることになり、丑五郎を当たり役だった宇佐見に演じてもらえないかと頼みにきたのだ。最初は断るが、一力の常連のマサ(犬飼淳治)、山本(鈴木利典)、姫子(鈴木里沙)らに励まされ、宇佐見は出演する気になり、酒を断つ覚悟をする。
「神崎与五郎東下り」という芝居は赤穂浪士の神崎与五郎が討ち入りのため江戸へ下る途中、箱根の茶店で馬子の丑五郎が与五郎に因縁をつけて悪態をつき、侘び証文を書けと迫るが、大事の前の小事と与五郎は耐えて証文を書き、無事に討ち入りを果たすが、あとで与五郎の正体を知った丑五郎は前非を悔い、与五郎の墓に詣でて詫び、出家して菩提を弔ったという話。
その稽古を終えて一力に寄った宇佐見を一座のこまめ(中原三千代)が訪ねてきて、役を降りてほしいと頼む。高塚は女性スキャンダルでマスコミに追い回されているが、どうやらその背後には暴力団が動いているらしく、それを抑えるには興行界を牛耳るやくざの大物にすがるしかない。しかし、その大物の女と宇佐見が深い仲になって駆け落ちした過去があるため、どうにも都合が悪いというのだ。このままでは高塚の役者生命がスキャンダルでつぶされる、あんたも世話になった亡き峰子座長に借りを返してくれないか、と頼まれ、宇佐見は役を降りることを承知する。ただ降りると言うだけでは納得してくれないだろうということで宇佐見は酒を飲んで派手に暴れ、亀吉に怪我を負わせて警察沙汰にしようとする。暴力事件のほうは高塚と亀吉が示談ですますことになるが、宇佐見の出演は当然中止になる。再び訪ねてきた高塚を宇佐見は「峰子座長も守りきれなかった」となじり、亀吉を「高塚を守りきれなかったお前も不甲斐ない」となじる。宇佐見の真意を悟っている高塚は心で手を合わせながらも、「あんたを芝居に出してやってくれと頼んだのは亀吉だ。自分は講釈師の役でよいからあんたに丑五郎をやらせてやってくれと言ったんだ」と告げ、亀吉は入院中の宇佐見の別れた妻に手紙をもらって宇佐見を訪ねたのだと打ち明ける。どうにもならないことながら、宇佐見と亀吉は別れ際に「東下り」の後段のさわりを熱演する。
高塚と宇佐見に与五郎と丑五郎が重なるが、宇佐見も亀吉も高塚も立場は違うが、真意を隠して耐える「与五郎」なのである。この劇の巧いところだ。
六角精児のこういう役を観るのは初めてだったが、笑わせるところは「きっちり笑わせ、緩急の塩梅よく、間もよく、実に巧く、亀吉の岡森との息もぴったりで泣かせる。いい役者になったものだと感心する。劇中劇の与五郎も高塚も、歌舞伎で言うところの辛抱立ち役で、これを真女形の笑也が演じるのが歌舞伎で言う「ご馳走」になっている。気取って壊れた椅子に座ってズッコケたり、見得を切って不必要ににっこり微笑む大衆演劇独特のアクを見せたりするのが面白い。笑也は「雪之丞変化2001」のころは女形としてのキャリアがまだ浅く、浪路よりもむしろ外科医のタカミヤ役のほうが良かったくらいなので、男性役には違和感がない。本格的に「おやまルンバ」を歌って踊るシーンがあったら申し分なかったが(笑)。
常連役3人のアンサンブルやチンピラとホステスのお笑いスパイスも効いている。高橋が娘の情味をいやみなく見せ、中原が大衆演劇の女優で年を経たすがれた味を出していた。
落ち目の花房峰子一座に最後まで残っていてパッとしなかった高塚が初座長公演を行う前にマスコミが追い回すような大スターになっている点がちょっと引っかかった(ふつうは人気一座で注目されてから持ち歌がヒットするのであって)。
大衆演劇の人気俳優の女性ゴシップというのは内輪ではよくある話だ。しかし、この劇中の高塚は責任感が強く、「一座のみんなを守らなくちゃならない」と堅く決意している男に見えるので、行動にどうも違和感がある。
興行界のドンの女と昔いざこざを起しているので、宇佐見が役を降りて事を収めるというのはこの世界では納得いく話だと私は思う。ドンは当事者の宇佐見が出演せず、高塚が花房峰子一座の出身というだけなら、守ってもくれるだろう。今後、高塚の女癖の悪さが直らなくても、ドンがにらみをきかしていれば、勢力の小さいほうが騒ぎ立てることはないからだ。
奇跡的に笑也のスクジュールがあいていて実現したという公演だけに観ておいてよかったと思う。
PARTYせよ
東京おいっす!
「劇」小劇場(東京都)
2010/05/25 (火) ~ 2010/06/01 (火)公演終了
満足度★★★★
キッチリ笑わせてくれました
「東京おいっす!」初見です。俳優さんたちの演技が自己満足ではなくキチッと客に伝えているのでちゃんと笑えるし安心しました。コメディの場合は特に「自己満足の笑い」かそうでないか、俳優の表情に出てしまうので、いつもチェックさせていただいている。
早めにロビーに入ると、入場を待つ婦人客たち相手にスタッフがグッズ販促をやっているのを、アットホームな感じだなと思って聞いていた。座長(最近では懐かしい肩書きだ)の奥原氏の来場挨拶文を読み、率直さに好感を持った。言わずもがななのか、「異性との出会い」に縁がないことなど公表しない主宰がほとんどだもんね(笑)。
カーテンコールの際にも全員額に手を当て「東京おいっす!」の決めポーズをするのを見て、「昔の軽演劇みたいで、いまどき珍しい劇団だなー」なんて感心してました(笑)。詳しいストーリー紹介は既にされているので、省かせていただき、感じたことをいくつかネタバレで。
ネタバレBOX
冒頭で、英語で泣きじゃくる喪服姿の金髪の女性を男がなだめて2人は濃厚なキスを交わす。「何?」と思ったら、2人は隣家の夫婦で、妻(吉岡のえ)はれっきとした日本人だとあとでわかる(吉岡はもう少し出してほしかった 笑)。
隣家の三宅家は葬儀だというのに、小瀬家では友人らを招いて納涼花火見物がてらホームパーティー。引っ越してきたばかりの小瀬の夫(久松信美)が挨拶に行った三宅家の当主が玄関先で倒れ、小瀬が前に住んでいた家の住所に救急車を呼んでしまったため、現住所に救急車が到着するのが遅れ、「もう少し早かったら助かったかも」と医師に言われたなんて三宅家の婿養子の夫(奥原邦彦)が言う。実際だったらものすごくわだかまりの残りそうな事態なのだが・・・(笑)。
小瀬の愛人ノゾミ(前田ユキ)が「小瀬(おぜ)さん」と呼ぶのが「おじさん」と聞こえてしまい、最初のうち、親戚の娘なのかと思ってしまった。
葬儀に乗り込んできた三宅の愛人のホステス(恩田裕子)が小瀬家のテラスに来て気持ちを整理すると言いつつ、ぬる燗で酔いながら髪を振り乱して獅子舞のように顔を振る姿や、小瀬の妻(多崎オリエ)が呼んだ出張料理人の平川(ロン佐藤)を、ノゾミが紹介される予定の小瀬に似ているという職場の若い後輩と勘違いする場面が可笑しかった。この料理人は何かというと「NASAで開発された」という商品を売りつけようとするインチキくさい男(挙句の果ては香典泥棒を働いて逃げてしまう)。小瀬がノゾミに紹介しようとした鈴木(須藤淳一)は胸の上で帯を結んだヘンな男で、喪服を着せられ、庭で三宅の妻のお使いをさせられるはめになり、入れ替わりに愛人の行動を心配する三宅が浴衣に着替えて小瀬家のテラスにやってくる。奥原の浴衣姿の腰が決まっているのがよい。この人は稽古着でも浴衣をきれいに着られる役者だと思う。小さなことだが、大切だ。
料理人が作った料理は、交通渋滞で仕出し料理が間に合わないという理由で、ことごとく三宅家のほうへ回されてしまう。鈴木が料理を運ぶたびに三宅家の居間から「ほぅー」と歓声があがる(笑)。三宅は3号までいたことがわかるが、3号の包んだ香典袋をホステスのものと勘違いして香典1万円+39万円で40万円の手切れ金を渡して別れようとする(上乗せ分はサンキューの洒落とか?笑)。
小瀬の妻は新居を設計した工務店の伊吹(伊東敦志)と関係を持ち、身ごもっている様子。夫の浮気にも気づいており、男2人に愛想が尽きている。遊びに来た新婚の松月夫妻(小林大介、にしそのゆう)のラブラブぶりが対照的。松月の夫がシックハウスのアレルギーからか家に入るとくしゃみが止まらず、小瀬家の庭先で「男女の幸せ美学」を説く。花火見物に興じる小瀬の後ろを家を出ていく妻がキャリーケースを引いて通るラストシーンはほろ苦く、ただ笑わせて終わるコメディではないのが良かった。
全体にそつなくまとまって面白いが、不倫カップルがたくさん出すぎて話題が不倫一色になるのが少々もたれ気味。中心に不倫以外の問題を抱えている人物がいてもよいのでは。料理人の平川とか。
音楽が場面にそぐわないところもあって、わざわざ流さなくてもよかったかなと思った。