B神崎与五郎 東下り 公演情報 劇団扉座「B神崎与五郎 東下り」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    魅せた人情噺
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    私が横内謙介の存在を知ったのはもう20年くらい前、二十一世紀歌舞伎組の「雪之丞変化2001」初演の制作発表記者会見の席上でまだ20代の美青年ははっきり言って場違いな印象で「浮いていた」。それからまもなく、ICUで平田オリザと同級生仲良しグループだった同僚が善人会議創設メンバーと親しかったので扉座に名前が変わったことなど劇団の詳しい話を教えてくれた。
    扉座というとその人のことを思い出す。10年ほど前に歌舞伎組の元メンバーだった人から「雪之丞変化2001」当時の話を聞く機会があり、軽井沢合宿中、徹夜で仕上げた台本を猿之助があっさり「あ、ここ、いらない。無駄!」と理由も言わず、どんどんカットしていくので、横内さんも面食らったと思うと話していた。劇団の主宰で座付き作者なら、他人にカットされる経験もないだろう。しかし、いまになってみれば、このときの経験はとても貴重でありがたいものだったろうと推察する。
    猿之助という人は劇作に関する勘が非常に鋭く、観客の視点で脚本を読める人だからだ。客から見てどうかを重視し、時には作・演出家や役者の思い入れなんかすっとばしてしまう大胆さがあった。そういう人に赤ペンを入れて鍛えてもらえたということは、横内氏にとって大きな財産になっているに違いない。
    本作の劇化も猿之助のアイディアだそうだが、横内氏の本作には全体に猿之助好みの色が感じられ、作・演出にかつての薫陶の影響が見てとれた。
    人情噺的な劇は昭和40年代ころまで、小ホール(いまの小劇場系の芝居とは違う)で盛んに上演されたと記憶している。主役はたいてい東西の喜劇役者のせいか、芸達者だからあざといが泣けるので私は好きだった。だが、プロによる劇評は必ずしも好意的ではなく冷ややかだった。高度経済成長を経て、いつしかそういう劇も一部の「新喜劇系」以外は上演されなくなっていった。この芝居を観てあのころの懐かしさがよみがえってきた。
    「雪之丞変化2001」はまじめな悲劇だったが、本作は松竹新喜劇に近い。猿之助は藤山寛美の人情喜劇が大好きだったことを思い出す。

    ネタバレBOX

    宇佐見(六角精児)は元花房兎という芸名の大衆演劇一座の役者だったが、不義理を重ねて一座を辞め、タクシー運転手をしているがめっぽう酒癖が悪い。ゆうべも行きつけの飲み屋「一力」で、チンピラの昇平(新原武)と大喧嘩し、店を壊したというが記憶がない。昇平はキャバクラ「ホルスタイン」の女(江原由夏)を連れ、「一力」に詫びに来る。「一力」は入院した女将に代わって娘の由希子(高橋麻理)が切り盛りしており、由希子は宇佐見の実の娘である。そこにかつての役者仲間の高塚旭(市川笑也)やマネージャーの花房亀吉(岡森諦)が宇佐見を訪ねてくる。花房峰子座長が亡きあと、高塚旭の、「おやまルンバ」が大ヒットして人気スターとなり、今年の紅白出場間違いなしという。その初座長公演に「神崎与五郎東下り」をかけることになり、丑五郎を当たり役だった宇佐見に演じてもらえないかと頼みにきたのだ。最初は断るが、一力の常連のマサ(犬飼淳治)、山本(鈴木利典)、姫子(鈴木里沙)らに励まされ、宇佐見は出演する気になり、酒を断つ覚悟をする。
    「神崎与五郎東下り」という芝居は赤穂浪士の神崎与五郎が討ち入りのため江戸へ下る途中、箱根の茶店で馬子の丑五郎が与五郎に因縁をつけて悪態をつき、侘び証文を書けと迫るが、大事の前の小事と与五郎は耐えて証文を書き、無事に討ち入りを果たすが、あとで与五郎の正体を知った丑五郎は前非を悔い、与五郎の墓に詣でて詫び、出家して菩提を弔ったという話。
    その稽古を終えて一力に寄った宇佐見を一座のこまめ(中原三千代)が訪ねてきて、役を降りてほしいと頼む。高塚は女性スキャンダルでマスコミに追い回されているが、どうやらその背後には暴力団が動いているらしく、それを抑えるには興行界を牛耳るやくざの大物にすがるしかない。しかし、その大物の女と宇佐見が深い仲になって駆け落ちした過去があるため、どうにも都合が悪いというのだ。このままでは高塚の役者生命がスキャンダルでつぶされる、あんたも世話になった亡き峰子座長に借りを返してくれないか、と頼まれ、宇佐見は役を降りることを承知する。ただ降りると言うだけでは納得してくれないだろうということで宇佐見は酒を飲んで派手に暴れ、亀吉に怪我を負わせて警察沙汰にしようとする。暴力事件のほうは高塚と亀吉が示談ですますことになるが、宇佐見の出演は当然中止になる。再び訪ねてきた高塚を宇佐見は「峰子座長も守りきれなかった」となじり、亀吉を「高塚を守りきれなかったお前も不甲斐ない」となじる。宇佐見の真意を悟っている高塚は心で手を合わせながらも、「あんたを芝居に出してやってくれと頼んだのは亀吉だ。自分は講釈師の役でよいからあんたに丑五郎をやらせてやってくれと言ったんだ」と告げ、亀吉は入院中の宇佐見の別れた妻に手紙をもらって宇佐見を訪ねたのだと打ち明ける。どうにもならないことながら、宇佐見と亀吉は別れ際に「東下り」の後段のさわりを熱演する。
    高塚と宇佐見に与五郎と丑五郎が重なるが、宇佐見も亀吉も高塚も立場は違うが、真意を隠して耐える「与五郎」なのである。この劇の巧いところだ。
    六角精児のこういう役を観るのは初めてだったが、笑わせるところは「きっちり笑わせ、緩急の塩梅よく、間もよく、実に巧く、亀吉の岡森との息もぴったりで泣かせる。いい役者になったものだと感心する。劇中劇の与五郎も高塚も、歌舞伎で言うところの辛抱立ち役で、これを真女形の笑也が演じるのが歌舞伎で言う「ご馳走」になっている。気取って壊れた椅子に座ってズッコケたり、見得を切って不必要ににっこり微笑む大衆演劇独特のアクを見せたりするのが面白い。笑也は「雪之丞変化2001」のころは女形としてのキャリアがまだ浅く、浪路よりもむしろ外科医のタカミヤ役のほうが良かったくらいなので、男性役には違和感がない。本格的に「おやまルンバ」を歌って踊るシーンがあったら申し分なかったが(笑)。
    常連役3人のアンサンブルやチンピラとホステスのお笑いスパイスも効いている。高橋が娘の情味をいやみなく見せ、中原が大衆演劇の女優で年を経たすがれた味を出していた。
    落ち目の花房峰子一座に最後まで残っていてパッとしなかった高塚が初座長公演を行う前にマスコミが追い回すような大スターになっている点がちょっと引っかかった(ふつうは人気一座で注目されてから持ち歌がヒットするのであって)。
    大衆演劇の人気俳優の女性ゴシップというのは内輪ではよくある話だ。しかし、この劇中の高塚は責任感が強く、「一座のみんなを守らなくちゃならない」と堅く決意している男に見えるので、行動にどうも違和感がある。
    興行界のドンの女と昔いざこざを起しているので、宇佐見が役を降りて事を収めるというのはこの世界では納得いく話だと私は思う。ドンは当事者の宇佐見が出演せず、高塚が花房峰子一座の出身というだけなら、守ってもくれるだろう。今後、高塚の女癖の悪さが直らなくても、ドンがにらみをきかしていれば、勢力の小さいほうが騒ぎ立てることはないからだ。
    奇跡的に笑也のスクジュールがあいていて実現したという公演だけに観ておいてよかったと思う。


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    2010/06/01 13:19

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