クリスタル・ダスト 全公演終了!ご来場ありがとうございました。 公演情報 現代能シアタープロジェクト「クリスタル・ダスト 全公演終了!ご来場ありがとうございました。」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    能を扱うときは表現に要注意
    「鉄輪」は能楽本曲においては私にとって特別な演目で、初めて聴いたとき、現代語のように地謡の古語がすんなり耳に入ってきて、血圧がスーッと下がるのがわかり、何とも言えない快感を味わうことができるのだ。これはなぜか他の曲のときには起こりえない現象なのでよほど相性がよい曲らしい。
    こんな陰惨な怨念に満ちた曲がなぜこれほどまでに爽快感をもたらすのか不思議でならないが、能楽師のかたに聞くと謡曲とはそういうものらしい。さて、能楽を現代劇でという試みが昨今盛んなようである。これまで自分が観てきた現代能の戯曲は、自分のような能楽愛好家から観れば本歌どりといってもその多くが原曲からヒントを得ている程度でまったく別物の現代劇になっている作品が多い。
    三島由紀夫の「近代能楽集」などは、三島に古典や謡曲の素養があるだけに、実に巧みに換骨奪胎の文字通り“近代劇”に作り変えられているが、そういう作品は稀で、中には原曲の名前を冠するのもいかがなものかという珍作もある。
    三島の「近代能楽集」が優れているのは、原曲の骨子を崩さずに、時代感覚を生かしつつ現代劇に面白く置き換え、能の怨念=タブーを封じ込めている点にある。
    本作も、三島の手法に近いものがあるが、ひとつだけ残念なのは現代劇に置き換えたことによる「生(なま)の表現」が強すぎて、不快感を高めてしまう箇所があることだ。それが個性と言えなくもないが、古典が忌み嫌う「表現が生になる」というタブーを犯して現代劇を作るのは、能の特殊な主題を扱うときにはとても注意しなければならない点である。
    以下、ネタバレで。

    ネタバレBOX

    この「鉄輪」は陰陽師の役目を女性マッサージ師が引き受けた。深夜の歌舞伎町でキャリーカーを引き、紫陽花をみつめていた若い人妻にアロママッサージを施すうち、人妻が夫と愛人に抱いている嫉妬や怨念を揉みだし、人妻の中に宿る「鬼女(生霊)」とマッサージ師が対峙し、人妻を平安へと導こうとする。
    能には怨霊のほか、無限地獄や修羅道の苦しみにあえぐ幽霊が多く登場するが、「鬼女(夜叉)」は女の本性でもあり、幽霊ではなく、生霊の一種でもある。
    しかし、それが後味の悪いホラーに堕さず、芸術的感動を与えるのは、「様式化」により生々しさを抑えているからである。
    能に限らず、狂言や歌舞伎も同様で、そこをはずすと、現代劇となんら変わらないものになってしまう。そして、ここが古典を現代劇化するときの難点でもある。
    三島の近代能楽集もリアルなようで、そこをはずしていないし、昨年観た唐十郎の「唐版葵の上」でも、ギリギリのところで女の生霊のリアルさを抑えて優れた戯曲になっていたのはさすがだと思った。
    このマッサージ師は陰陽師というより「イタコ」みたいで、「鬼女」のおどろおどろしい演技が古典用語のいわゆる「表現が生になる」域に達しており、長時間観ていると不快感のレベルになっていた。
    能に近い演技はリアルに演じればよいと単純なものではない。
    これは「現代能」を謳う劇団としては、今後、一考の余地があると思う。
    丹波の濁り葡萄酒の澱に人間的な“毒素”を重ねたり、「鬼女」が紫陽花が鬼王神社の土で育つかどうか植え替えてみないとわからないと言うくだりなど、ドラマ的にはなかなか秀逸な部分だと思った。
    自分は長時間の能に慣れているにもかかわらず、上演時間1時間20分が実際より長く感じられたのも、生霊の演技表現がリアルすぎて疲労感を覚えたためと思う。





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    2010/06/17 08:43

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  • KAEさま

    KAEさまの「学生の能楽鑑賞会」に事寄せてつい長々とよけいなことをしゃべってしまい、申し訳ありませんでした。
    本家のお能も、「オセロ」、「ジゼル」や「陰陽師」や「ガラスの仮面」をもとにした「紅天女」など「現代能」も創作上演してるので、機会があればごらんいただければと思います。

    2010/06/28 03:05

    きゃる様

    更なる御丁寧な解説、ありがとうございました。
    とても、勉強になりました。

    そう言えば、以前どこかで、「俊寛」の違いにつては聞いた記憶がありました。

    お能を、勉強したりできる場所が少ないのは、私でも、予想がつきます。そういう状況なら、尚更、ここの劇団のような場所は貴重かもしれないですね。

    2010/06/26 13:29

    KAEさま

    >以前、息子が、ユタ州に修学旅行に行った時、ステイ先の御家族へのお土産に、歌舞伎のガイドブックを持参したら、あちらの方の方が歌舞伎に詳しくてビックリしたと言っていました。
    私は、無知だから、知りませんが、お能も、外国の方の御鑑賞は多いのですか?

    お能は音楽劇の要素があるせいか、外国のかたが初めて観る場合も、日本人以上にすんなり入っていけるようなんですね。前衛劇の感覚らしいです。当日券で能楽堂にフラッと入ってきても、居眠りする外人さんはほとんど見かけません。日本人のほうが眠ってる率は高いです(笑)。
    お能は歌舞伎と違い、内容と全然関係ないこと考えながら、あるいは頭をカラッポにしてボーッと見つめて楽しめるところもあります。筋を追ったり、息を詰めて見なくても、ですね。
    慣れると、歌舞伎の「勧進帳」や「俊寛」より、能の「安宅」や「俊寛」のほうがより人間的でシンプルさに好感が持てたりします。「俊寛」も、能では「人情家」ではなく、プライドが高い理屈屋に描かれてて、成経たちが一緒に暮らすのに辟易しているところに赦免状が出るので、あっさり残されて船出されてしまうんですね。そこがかえって現代的というかドライで面白かったりします。
    お能は歌舞伎のように興行でないため、能楽師は入場料でなく、お弟子さんの授業料で生計をたててるので、少子高齢化が進んで、どこもお弟子さんの数が減る一方で、苦しいみたいです。
    企業の能楽同好会もほとんど高齢者OB・OG以外、活動休止に近いですし。大学の同好会入ってる人も大学卒業すると安く習えないからやめちゃうんですよね。

    2010/06/26 00:58

    きゃる様

    お能には、先日も書いたように、全く無知文盲ですので、きゃるさんのこの解説、大変ためになりました。
    そうなんですか?眠ってもいいなんて、思いもしませんでした。(笑)
    私は、学校の鑑賞会で、いつも決まって眠ってしまい、皆に相当呆れられていましたから…。

    勘三郎さんの新しい歌舞伎の形もそうですが、伝統ある日本の文化芸術を、今に受け容れられる形に変容させながら、残していくことも大事なことかもしれませんね。
    以前、息子が、ユタ州に修学旅行に行った時、ステイ先の御家族へのお土産に、歌舞伎のガイドブックを持参したら、あちらの方の方が歌舞伎に詳しくてビックリしたと言っていました。
    私は、無知だから、知りませんが、お能も、外国の方の御鑑賞は多いのですか?

    (先日の、私のコメントは、本欄とは無関係な話題のみでしたので、削除致しました。)

    2010/06/25 23:32

    <能楽未見、あるいは初心者のかたへ>

    KAEさまの話題に学生のときの能楽鑑賞会のことが出たのでついでにお話いたしますと、これは以前別のブースでお話したこともありますが。いまから40年以上昔、私が初めて生で能楽を鑑賞した際、事前に能楽に造詣の深い国語の先生が「お能は眠くなったら寝てもかまいません。ちっとも悪いことではないのです。能を観て眠るのは人生最高に贅沢な眠りなのですから」と言われたことをいまでもはっきりと覚えています。
    私は能楽師のかたが直接話される勉強会の場によく出向くのですが、あるとき、某能楽師のかたが「このごろ、観能中に平気で寝るお客さんがいますが困ったものです。みなさん、周囲にそういうお客さんを見かけたら、ポンポンと肩を叩いて起してさしあげてください。寝るのはよくありませんからね」と言ったのです。この話を別の能楽師のかたに話すと「自分は寝たかったら寝てもいいと思いますけどね。あまり堅苦しく考えないでいいと思うけど。考え方の相違かな」と笑っていました。
    「いびきをかいたり、隣の人によりかからない限り」私は「お能を観て眠ってもかまわない」と思っています。
    確かに神に芸能を捧げて舞う演者、あるいは能に限らず、演者全般に対し、観客が眠るのは失礼な行為なのかもしれませんが、古老のかたにお話を伺うと、能による眠りは昔はとがめられなかったというかたもいらっしゃいます。
    それから本来、お能は歌舞伎と違い、見世物や大衆娯楽ではなかったので、昔は「拍手」の慣習はなかったわけです。
    「拍手」は明治の文明開化とともに入ってきたもので、「壮士芝居」あるいは「自由民権芝居」が発端とも言われています。
    昔の学校の鑑賞会でも「会が終わるまで拍手はしないものです」と教わりました。
    このことを知っているのか、若い女性が自身のサイトで「能で拍手をしない会」を立ち上げ賛同者を募っていました。
    「大拍手」が能の余韻を壊す場面も多く見受けられ、ときに年配者には不評のようです。
    あるお能に行ったら、全員拍手をしないときがあったので、終演後、主催者にたずねると、まだ若い能楽師のかたが事前に「きょうは最後まで拍手はしないでください」とお願いしたそうです。
    最近では、したり顔で「ブラボー!」と叫んで立ち上がり、注意された若者さえいました。
    「眠るのはよくない」「終わったらすぐ拍手をする」--自分が初めてお能を観た当時とはマナーも変わってきたようです。
    そういう時代に、こういう「現代能」専門劇団が活動され、能楽に馴染みがないとか、能楽堂には行きづらいというお客さんに「お能」を身近に感じて楽しんでもらえるのは
    大変嬉しいことです。「現代能」を観てから、本家の「お能」にも触れていただければなお嬉しいです。

    2010/06/24 14:07

    きゃるさん、KAEさん

    >tetorapackさんがたまたま2人へのコメントのレスが重なったための単純な書き間違いであって、人物像を混同しているわけではないと思うので。どうかお気になさらずに(笑)。

     いやー、まったくもって、その通りなのです。実は、私にとって、帰宅してシャワー浴びて、シュポッとスーパードライをたしなみながら、いろいろと未知の事柄を教えて頂けるお二人のレビューを読むのが、珠玉の一時なのです。だから、お二人には、とっても感謝しています。
     でも、私がコメントしている時刻を見て頂ければお分かりのように、かなり酔いがまわっていたりする時もあり、たまたまお二人のレスが重なったため、単純にミスしてしまいました。したがって、内容&メッセージの中身はあくまで、きゃるさんに対して書いたものです。大変、失礼いたしました。


    >(KAEさんのコメントから)きゃるさんとは、たまたま同窓であることがわかり、きゃるさんが、私の父の劇評を愛読してくださっていたというお話も伺い、個人的には、大変嬉しいお言葉をたくさん頂きましたが、コリッチでのレビューの書き方や、この場所に対するスタンスはずいぶん異なっていると、自分では感じているのですが…。観る舞台も、ほとんど被らないし、応援している劇団も大分違うように思うので、どうして間違えられたのか、ちょっと不思議に思ってしまいました。(笑)

     たまたま同窓って、凄いですよね。それを初めて読んだ時は、ビックリしました。また、KAEさんのお父様の下りも、びっくりでした。でも、本当に、お二人については「コリッチでのレビューの書き方や、この場所に対するスタンスはずいぶん異なっていると、自分では感じているのですが…。観る舞台も、ほとんど被らないし、応援している劇団も大分違うように思う」とKAEさんがお書きになっているように、私もそう感じていました。お二人の違いは明々白々です。

     だからこそ、私にとっては、お二人のレビューを読ませていただくのが、何よりの「酒の肴」なんです。いや、失礼、でも、お二人のレビューや私に頂いたコメントを読んでいると、何故か、とっても酒がおいしく、楽しいのです。また、知的にも凄く刺激を受けるのです。一日のエンディングがよい気分でフィニッシュ出来る感じで。

     作品の好みや評価、また相性がいい劇団や作家などは、私も含めて皆、違っている部分もあって当然で、その上で、私は、お二人から、凄く刺激を受けさせて頂き、ハッピーです。

     ということで、お二人には感謝です!

    2010/06/22 22:47

    KAEさま

    tetorapackさんがたまたま2人へのコメントのレスが重なったための単純な書き間違いであって、人物像を混同しているわけではないと思うので。どうかお気になさらずに(笑)。
    私なんかと名前を混同されてご迷惑でしょうけれど、お許しくださいませ(笑)。

    2010/06/22 21:23

    きゃる様tetorapack様

    きゃるさんのページを開いたら、何故か、私への呼びかけがあり、あらま、tetorapack
    さん、間違えてらっしゃると、ずっと気になっていました。(笑)

    お2人の間で、落着して、何よりでした。

    でも、どうして、きゃるさんと私を混同なさったんでしょう?

    きゃるさんとは、たまたま同窓であることがわかり、きゃるさんが、私の父の劇評を愛読してくださっていたというお話も伺い、個人的には、大変嬉しいお言葉をたくさん頂きましたが、コリッチでのレビューの書き方や、この場所に対するスタンスはずいぶん異なっていると、自分では感じているのですが…。観る舞台も、ほとんど被らないし、応援している劇団も大分違うように思うので、どうして間違えられたのか、ちょっと不思議に思ってしまいました。(笑)

    2010/06/21 16:55

    きゃるさん

    >ところで・・・コメントの宛名が「KAEさん」になっているのですが、錯覚してませんか(笑)

    うー、大変失礼いたしました。浄化ならぬ「同化」しちゃって、いや、申し訳ありませんでした。

    彩星さん

    どうもです。
    >お話の中にでてきた劇団阿彌の公演「青いクレンザーの函」が7月にありますので、おすすめします。

    はい、存じています。シアターバビロンの今度のフェスタですね。もう少しスケジュールが見えてきたら、検討したいと思います。

    2010/06/19 23:46

    tetorapack様

    ありがとうございます。
    そういえば、このお芝居、唐さんのお芝居にも共通点がありますね。
    特に、スーツケースを引きずっている女。
    唐さんも、何かを持っている、とか、引きずっている人物を登場させ、その何かが「過去」であったり、中身の見えない小道具の場合、その中身に観客の注目を集めつつ、物語を進めていく手法がありますし。

    ところで・・・コメントの宛名が「KAEさん」になっているのですが、錯覚してませんか(笑)

    2010/06/18 11:37

    きゃる様 tetorapack様 ご観劇とコメント、ありがとうございます。ご指摘の点、今後の活動に活かしたく思います。ありがとうございます。なお、お話の中にでてきた劇団阿彌の公演「青いクレンザーの函」が7月にありますので、おすすめします。

    2010/06/17 23:29

    KAEさん

    >たしかに、今回の戯曲はよくできていて、演者も熱演していたと思うのです。~(中略)~この「鉄輪」は「表現の生」が浄化を妨げていて、これは戯曲のよしあしとは別の問題なのです。

     「あれほど生々しい芝居が得意な唐十郎も肝心の部分は踏み越えておらず」は分かるような気がします。唐さんの作品は何本か観ています。また、今夏も、座・高円寺に観に行く予定です。この作品は観ていませんが、「あれ!」と相通じるものを感じた経験があります。

    >「能」は激しすぎて観客を疲れさせてはダメです。「能」の真髄は「同化」より「浄化」にあるので、今回の夜叉の演技は明らかにやりすぎです。

     なるほど「同化」より「浄化」という感覚も分かるような気がします。王子神谷のシアターバビロンと王子のpit北/区域という2劇場のオーナーでもある岡村さんは8年間、観世栄夫さんに師事されたそうですが、私ごときのために、能に関して、また、絵画との連関性に関して、私的に長文のメールで解説してくれたことには今も感謝していますが、岡村さんも、きゃるさんのいう「浄化」と同様の指摘をされていました。また、一般の劇では当たり前の「劇中で他の役者の体に触れる」ということについても、その制約を言われていました。

    >その昔、女優である観世寿夫(栄夫氏の兄)夫人が現代能の「班女」の稽古をつけてもらったときも、「静かにそこにある演技」を要求されたと言っています。

     これはビックリしました。岡村さんも「静かにそこにある演技」のことを私に劇場で語ってくれました。岡村さん企画のフェスタでも、それができていない、ある参加劇団の作品に対し、じくじたる思いを感じていると語ってくれました。

     いろいろ勉強させて頂きました。こちらこそ、ありがとうございました。

    2010/06/17 23:03

    tetorapackさま

    ありがとうございます。たぶん、tetoraさまは岡村さんとの対話を通じ、現代能の制約を感じ取っておられると思うのです。
    たしかに、今回の戯曲はよくできていて、演者も熱演していたと思うのです。
    あれほど生々しい芝居が得意な唐十郎も肝心の部分は踏み越えておらず、昨年SPACの「唐版葵の上~ふたりの女~」は宮城聡の名演出とあいまって、「浄化」されました。それでこそ現代能といえましょう。唐十郎の観世栄夫さんに師事した時期があるせいか、アングラでも「現代能」の肝をはずしていません。
    この「鉄輪」は「表現の生」が浄化を妨げていて、これは戯曲のよしあしとは別の問題なのです。
    「能」は激しすぎて観客を疲れさせてはダメです。「能」の真髄は「同化」より「浄化」にあるので、今回の夜叉の演技は明らかにやりすぎです。
    その昔、女優である観世寿夫(栄夫氏の兄)夫人が現代能の「班女」の稽古をつけてもらったときも、「静かにそこにある演技」を要求されたと言っています。
    ただ能をヒントに芝居を作ったという一般劇団なら目をつぶりますが、専門劇団なので注意をうながしたしだいです。

    2010/06/17 19:31

    きゃるさん

     すごく詳細な、また、いろいろと参考になるレビューありがとうございます。
     実は、私もこの作品は「観たい!」にアップし、14日(月)ソワレの回の予約をしていましたが、前日から珍しく風邪をひいて発熱してしまったため、13日のリオフェス第1弾「草迷宮」に続き、この公演も当日、キャンセルせざるを得なくなってしまいました。
     このため、能に詳しいきゃるさんのレビューがどうなのか、すごく興味をもって待っていた次第です。

    >こんな陰惨な怨念に満ちた曲がなぜこれほどまでに爽快感をもたらすのか不思議でならないが、能楽師のかたに聞くと謡曲とはそういうものらしい。
    >三島の「近代能楽集」が優れているのは、原曲の骨子を崩さずに、時代感覚を生かしつつ現代劇に面白く置き換え、能の怨念=タブーを封じ込めている点にある。
    本作も、三島の手法に近いものがあるが、ひとつだけ残念なのは現代劇に置き換えたことによる「生(なま)の表現」が強すぎて、不快感を高めてしまう箇所があることだ。それが個性と言えなくもないが、古典が忌み嫌う「表現が生になる」というタブーを犯して現代劇を作るのは、能の特殊な主題を扱うときにはとても注意しなければならない点である。

     この部分は、すごく参考になりました。きっと、私が観ていたら、リアルな熱演に触れたならば、それだけで「良し!」と納得してしまうところだったでしょう。
     ただ、
    >能に近い演技はリアルに演じればよいと単純なものではない。これは「現代能」を謳う劇団としては、今後、一考の余地があると思う。 
     との記述を読み、この劇が「現代能」をうたう以上、そういう視点からの考察もあるのだな、と凄く参考になりました。

     そういえば、故・観世栄夫氏に師事した岡村洋次郎氏率いる劇団阿彌が観世栄夫追悼公演として行ったアミナダブを観て観劇後に岡村氏とお話しした際、岡村氏も、能表現と、現代能としての演劇における表現の規律的な範疇について語っておられたことを思い出しました。また、わざわざ後日、長文メールにて丁寧な解説をしてくださいました。

     古典用語のいわゆる「表現が生になる」域……私も作品を観た上で、きゃるさんのレビューを拝見し、「表現が生になる」の意味を自答してみたかったところです。

     

    2010/06/17 18:13

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