ノア版 桜の園 公演情報 ノアノオモチャバコ「ノア版 桜の園」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    翻案は嬉しいが・・・
    「桜の園」を和物に翻案しているところが評価できる。現代は昭和のころに比べると「桜の園」が誰でも知っている芝居ではなくなっている。だから小劇場演劇でこういう試みをやってくれるのは大賛成。寺戸さんがロシア語学科出身というのも心強い。ぜひ、「三人姉妹」も上演してほしいと思います。
    舞台美術も良かったけれど、桜の幹は素晴らしいのに、花の創りが大まかで、幼稚園や小学校でよく見る花飾りのようでちゃちな感じがした。
    この花の装置、興味深かったのは、能舞台の「松」と似た扱いになっていること。人々は目の前の桜に向かって語りかけているが桜は背景にある。能も背景に松があるが、実は演者は目の前に松があるという設定で演じている。
    能舞台の松は神の象徴であり、神に向かって演じるが、観客には松は背景として映っているのだ。
    ちなみに「演劇初心者バツマーク」をつけたのは、やはり、もし自分が演劇になじみがなく、この芝居を観たとしたら、引いてしまうだろうな、と思ったからで、決して「低評価」の意味の×ではありません。

    ネタバレBOX

    「ノア版」というのが、あのダンスに表現されてるように思えたが、これは以前に初めて観たときも感じたことで、劇団の特徴である「俳優の身体を駆使した空間造形とスピード感あふれる演出」らしいが、どうも、私はこの表現法になじめず、好みではない。
    ドヤドヤ人物が舞台に上がってきたり、大勢で床を強く踏み鳴らすところも私にはうるさくて耳障りに感じた。
    「桜の園」にしては騒々しく、冒頭の珍妙な場面にはがっかりしました。レトロな衣装に似合わないヘンテコな動きと役者陣の陶酔しきったような表情には
    興ざめです。しかし、この劇団のウリである以上、この演出は今後も続くのでしょうね。こういうダンスによる群集表現が昨今のはやりのようだが、それがうまく行ってる作品とそうでないものがあるように思う。
    内容では、登場人物の年齢設定が一部どうもよくわからなかった。
    「桜の園」のヒロインで思い浮かべるのは自分は文学座の名・杉村春子なのだが、時代の推移についてゆけず若いときの華やかな暮らしが忘れられず想い出に生きる老当主というイメージ。
    このマツは5年前に幼い息子・海を亡くしているのでまだ若い妻のようだが、娘の梅子が「家庭教師の富美の同伴がイヤだった」と言うと、竹代が「それはしょうがないでしょう。まだ11歳なのだから」と言う。それはマツにとって「梅子は11歳のまま記憶が止まっている」という設定なのだろうか。ここがわかりにくかった。梅子は11歳には見えないので。
    息子・海の家庭教師だったという大学生青山(岡野大生)が「いまも学生だが老けている」という設定なので、梅子と青山の年齢がよけいにわかりにくい。
    それにしても、衣装・小道具で言うと、マツの赤い道行きコートと真っ赤なバッグはNG。あれは、どう見ても成人式の娘だ(特にあのバッグは子供っぽすぎる)。いくらマツが若々しく、現実逃避気味とは言え、未婚女性向けの衣装・小道具はおかしい。
    マツの菅野佐知子は美しいが、前編通して演技の質が安定しておらず、巧く演じているときと、そうでないときの落差が激しい。
    台詞を言うときに力みなのか「いまから芝居するわよ」という表情が見えるときがあるのがいただけない。
    老け役は難しいと思うが、老女中・土岐の松倉かおりが百面相芸人のように表情が変化し、これがよくわからない。
    この役は「千石規子」なのか「白石加代子」なのか、どっちの線なのかという疑問だ。つまり老獪な老女なのか、屋敷の忌まわしい過去を知っているおどろおどろしい老女なのか。
    物語上、後者のはずはないわけで、時に白目を剥いて口をパクパクしているのが、やりすぎに思えた。
    「ノア版」となっていることで、当然、原作と変えているところもあると思うが、登場人物の会話を追っているだけでは、役の性根をつかみきれない人物も見受けられ、原作を観ているときよりわかりにくく感じる点もあった。
    この屋敷の桜が切り倒され、この屋敷の命が終わる瞬間に山岡万吉(八木光太郎)が歌舞伎の「荒事」のような「振り」を見せる演出が面白かった。
    八木は成り上がり者の粗野なところと、小作人の悲哀、マツへの思慕の情を表し、熱演。
    竹代の猿山のぼるの演技が自然で、この世界で呼吸している人物に見える。
    英明(和田哲也)は刹那的女ったらし風で雰囲気があったが、脚本上の描かれ方には不足を感じる。同様に家庭教師の富美(本田ようこ)は、短い出番ながら、二本柳家になじめない醒めた存在をよく表現していたが、竹代との兼ね合いからか、脚本上、あまりこの役が生きていないのが残念だ。
    キャリアのある達者な著名俳優なら、台詞に出てこない行間も容易に体現できるが、若い彼らには難しいからこそ、脚色するなら脚本上もっと役を浮き彫りにしないと、と思う。
    登場人物が多いわりに全体的に人物の有機的な結びつきがあまりくっきり出ていない点が気になるのだ。
    今回、舞台の大きさに合わせた声を出していない俳優がいたのも残念。やたら声がバカデカく響いて、しらけてしまった。

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    2010/06/15 17:22

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