マリンバの観てきた!クチコミ一覧

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ミツバチか、ワニ

ミツバチか、ワニ

あひるなんちゃら

駅前劇場(東京都)

2010/03/04 (木) ~ 2010/03/08 (月)公演終了

満足度★★★

クジラもいたか!
動物臭の濃厚な今回の公演だとは思ったが、まさか墨井鯨子という4文字のなかにも動物が隠れているとは思わなかった。ところで彼女の名前は「くじらこ」という読みでいいのだろうか?

ネタバレBOX

観劇した人の評価がいつになく高かったので、期待と不安が半々の状態で見に行ったが、個人的な評価としては、いつも通りかそれよりもちょっと下くらいの内容だった。

黒岩三佳、異儀田夏葉、篠本美帆、墨井、これに劇団クロムモリブデンの女優を加えた顔ぶれは、以前にやった「フェブリー」を思い出させる。(前回クロムから出たのは金沢涼恵で、今回は渡邉とかげ〉。あのときの女優陣は劇団史上最強といってもいいくらい全員がツボにはまっていたが、今回は同じような顔ぶれながらも「フェブリー」ほどの面白さが感じられなかったのは、たぶん脚本のせいだろう。

舞台の左右にそれぞれテーブルと椅子が置いてあり、下手は占いの館の一室で、上手は客としてやって来た青年(根津茂尚〉の住まいという設定。照明を交互に当てて場面転換をしていた。
途中、墨井の演じる占い師が、時空を越えて一気に隣の場面に移動しようとするのを、共演者が制止するというちょっとメタなギャグがあった。また、青年のガールフレンドの兄という役柄で作演出の関村俊介が登場したときに、異儀田演じるキャラクターを役名ではなく、いきなり役者の本名で呼んでビールを要求したのも、これまでの「あひる」にはないメタなギャグだった。

占いの館には3人の占い師(墨井、黒岩、渡邉〉と従業員(日栄洋祐〉と無能な社長(登米裕一〉がいる。いっぽう青年の部屋には友人やその知り合い(三瓶大介、中野加奈、澤唯、関村〉、そしてほとんど無関係な二人組(異儀田、篠本)が登場する。
異儀田と篠本の扱いは、「フェブリー」で演じた幽霊コンビに近く、漫才めいた二人の掛け合いは放し飼いでもOKなくらいの絶妙さ。実際、芝居が進むにつれて二人はだんだん動物化していった。
青年の知り合いがペットショップの店員で、逃げ出した(実際には店員のガールフレンドが逃がしてしまうのだが〉ペットの行方を占いで当ててもらおうとする。
逃げ出したペットのうち、一部は人間に化けて小劇場の劇団に紛れ込んだというのが、今回の公演のメタな解釈として妥当ではないだろうか。
VACUUM ZONE

VACUUM ZONE

Dance Company BABY-Q

シアタートラム(東京都)

2010/03/05 (金) ~ 2010/03/07 (日)公演終了

満足度★★★★

リヴェンジな再演
公演中に怪我をして、中断された因縁のある作品の再演。私は幸い初日に出かけたので前回も見ることができたし、忘れていた部分も含めて、今回は初演以上に面白かった。

あーなったら、こうならない。

あーなったら、こうならない。

Nibroll

横浜赤レンガ倉庫1号館(神奈川県)

2010/03/05 (金) ~ 2010/03/07 (日)公演終了

ヒグマと鮭
横浜赤レンガ倉庫でニブロールの新作を見てきた。小雨の寒い日だったが、客席はちゃんと埋まっていた。チェルフィッチュの公演が横浜美術館で上演されているので、掛け持ちで見に来た人もけっこういたのではないかと想像する。

前半の出演は男女6名。テレビの受像機がいくつか舞台に置いてあり、そのうちの3つが客席を向いていて、そこにおなじみ高橋啓祐の映像が流れた。白い積み木細工のロボットが延々と落下していく映像にしばし目を奪われる。たとえダンサーが舞台にいても、映像にひきつけられたらそっちを見てもいいのではないか、映像への興味にダンサーの動きが勝るまでは無理にダンサーの動きを追う必要はない。今回はそんなことを思いながら作品を見ていた。

矢内原充志の衣装はパッチワークを思わせるツギハギの衣服。セーラー服のブラウスの一部が緑の植物柄になっているのを見て、なんだか体の一部に苔が生えているような印象を受けた。

男2人(陽茂弥・橋本規靖)と女4人(カスヤマリコ・小山衣美・衣川明奈・永井美里)は似たような小柄な背丈。ニブロール独特の小刻みで、すばしっこい動きには、あの体型が重要だと感じた。去年見たシルヴィ・ギエムとアクラム・カーンのダンス公演では、手足が長く上背のあるバレエダンサーのシルヴィ・ギエムと、武術的な民族舞踊を下地とするアクラム・カーンのずんぐりとした体の違いがとりわけ印象的だったのを思い出す。
マラソンのピッチとストライド走法の違いに似ているかもしれない。

それにしても矢内原美邦の振付というのは、彼女の欲求不満というか、苛立ちみたいなものが動きに色濃く反映している気がする。プログラムのあいさつ文にも、踊ることは大っキライなんて書いてあるし。

そんな彼女も後半には舞台に登場した。後半はニブロールの作品としてはかなりの新趣向。フィリップ・ジャンティの作品かと思うような、送風機で風をはらませた大きな布が舞台いっぱいに広がる。布の色は黒で、着替えたダンサーたちの衣装も黒。舞台の上手には開演前からヒグマが鮭をくわえた白い置物がたくさん並んでいたが、後半ではそれを黒い布の上に重石のように並べたりする。内容の解釈はさまざまだが、もしも作者の心象風景だとしたらそれはあまりにも殺伐としていて、ちょっと心配になる。

アナニアシヴィリ「ロミオとジュリエット」/「ジゼル」

アナニアシヴィリ「ロミオとジュリエット」/「ジゼル」

朝日新聞社

東京文化会館 大ホール(東京都)

2010/03/03 (水) ~ 2010/03/05 (金)公演終了

満足度★★★

一期一会
ニーナ・アナニアシヴィリというバレリーナを知ったのは1992年の来日公演の模様を収録したDVDで「白鳥の湖」と「ドン・キホーテ」を見たのが最初。
2007年にグルジア国立バレエの公演で来日して、DVDで見たのと同じ演目を初めてナマで見た後、翌年にはアメリカン・バレエ・シアターの一員として来日した「海賊」を見た。その存在を知ったときにはすでに40歳を越えていたわけで、来日のたびにこれが最後だと思いつつ見に出かけている。

ネタバレBOX

グルジア国立バレエでニーナ・アナニアシヴィリが主演する2本目は「ロミオとジュリエット」。バレエのロミジュリといえばケネス・マクミランの振付が有名ではないかと思うが、今回の振付はレオニード・ラヴロフスキーという人が担当。音楽はどちらもセルゲイ・プロコフィエフ。
マクミラン版に比べると演劇的な要素が弱まっていて、芝居として演じられていた箇所が踊りになっていたりする。
またツッコミどころとしては、キャピュレット家の舞踏会にロミオが忍び込む際、マクミラン版ではキャピュレット家の仮面舞踏会という設定なので、ロミオと彼の仲間が仮面をつけて潜入しても怪しまれることはなかったが、今回の場合はキャピュレット家の人々は誰も仮面をつけていない、つまり仮面舞踏会ではなくただの舞踏会という設定なので、ロミオたちが仮面をつけて現れたらかえって怪しまれるはずなのに、それをとがめる人は劇中には誰もいない。

ジゼルでは体型的にちょっと無理を感じたアナニアシヴィリの娘役だが、今回のジュリエットでは若いころに踊る彼女の姿が容易に想像できた。マタニティ・ドレスのように、乳房のすぐ下で絞りこまれている衣装のせいで、腰まわりがあまり目立たなかったということもあるだろうが、なによりも彼女の動きが2日前に見たジゼルとはずいぶん変化しているように思えた。
アナニアシヴィリ「ロミオとジュリエット」/「ジゼル」

アナニアシヴィリ「ロミオとジュリエット」/「ジゼル」

朝日新聞社

東京文化会館 大ホール(東京都)

2010/03/03 (水) ~ 2010/03/05 (金)公演終了

ジゼル月間
今月はバレエ作品「ジゼル」を3本見る予定で、これがその1本目。演じるのはグルジア国立バレエのニーナ・アナニアシヴィリ。1963年生まれで、今月末には47歳になる。同い年のアレッサンドラ・フェリは3年前に引退したし、本人も長年在籍していたアメリカン・バレエ・シアターを去年退団して、故国グルジアのバレエ団に籍を移して指導的な立場で貢献するつもりらしい。彼女がグルジアではなく、ロシアの生まれだったら、もうとっくに引退していたかもしれない。
今回の来日公演では「ジゼル」と「ロミオとジュリエット」のヒロインを演じる。チラシのうたい文句にはどちらも「日本最後の」という文字が踊っている。ジゼルもジュリエットも考えてみれば10代の娘の役なので、特に出産を経験して体つきがふっくらとした彼女が演じるにはちょっと無理があるのだが、もともと好きなダンサーなので、見られるうちに見ておこうという思いで、とりあえず高いチケットを買った。

ネタバレBOX

バレエ作品はいろんな人がいろんな振付をしているが、「ジゼル」はその中では比較的変化が少ないほうだと思う。今回の作品はそんな中で目に付く違いがいくつかあった。それも従来のものよりは悪い方向に変わっている。
後半はウィリという死霊の世界で物語が展開するのだが、そのウィリの首領であるミルタが登場する際、両足とも爪先で立って、舞台の袖から中央まで正面を向いたまま真横に移動して、舞台中央まで来ると直角に進路変更して、舞台前方までこれも爪先立ちのままで前進する、というのが見せ場になっている。ミルタを演じたのはラリ・カンデラキというダンサーだったが、彼女はそれをやらず、舞台の対角線上を爪先立ちで移動しただけだった。
もう一つ、ジゼルという作品で特徴的な振付として、ウィリの世界に新顔としてジゼルが加わる際、ミルタに導かれてキリキリと体を回転される場面があるのだが、これも省略されていた。
ほかにもジゼルに横恋慕する村の青年ヒラリオンというのが、プログラムでは森番のハンスという名前に変わっている。もともとバレエには台詞がないから、どういう名前であってもかまわないとはいえ、なぜプログラムでだけわざわざ名前を変更したのかが謎だ。それと、演じるイラクリ・バフターゼという人の顔つきはどう見ても悪役だった。

もう一つ気づいた相違点は、前半でジゼルの恋人であるアルブレヒトが貴族という身分を悟られないために剣を小屋に隠すところ。従来の作品ではその小屋は無人のはずだが、今回は老婆が住んでいて、金をもらって剣を預かるという設定になっている。

ジゼルを除いて、後半に登場するウィリの数はミルタも含めてたしか25人。群舞に関しては日本のバレエ団でもっといいものを見たことがある。改悪されたとしか思えない今回の振付を見ていると、バレエ団の技量に合わせて踊りの難易度を意図的に下げたのではないかとさえ思えてくる。

前半は衣装のせいもあって、アナニアシヴィリの演じるジゼルがどうしても若い娘には見えず、踊りの技量以前に、見た目からくる配役的な無理を感じてしまった。後半はなんとか見られたけれど、「ジゼル」という作品については、彼女がもっと細身だったころに見たかったというのが正直なところ。動きの面ではそれほど年齢を感じなかったし、もともとフィギュアスケートをやっていてバレエにスカウトされたという彼女の踊りは、抜群のバランス感覚が下地にあるので、回転や爪先立ちは今でも非常に安定感がある。
農業少女

農業少女

東京芸術劇場

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2010/03/01 (月) ~ 2010/03/31 (水)公演終了

満足度★★★

初日に
10年前の初演はチケットがとれずにあきらめたのを覚えている。海外の役者で上演したこともあったようだがそれは見ておらず、今回がやっとこさ初見。

ネタバレBOX

九州の田舎の農家から、東京に憧れて、農業を嫌って、上京する娘を演じるのが多部未華子。最近はほとんどテレビを見なくなったので、彼女がNHKの朝のテレビ小説で主演した人だということも知らなかった。役の設定ではたしか15歳。本人の見た目から判断して、ぜったいに10代だろうと思ったが、あとで調べたらもう21歳なんだね。骨太で健康的な感じが農業少女というキャラにはぴったりだった。農業少女というのが、秋田小町なんかと同じように、お米の銘柄だというのは意外だった。田舎を嫌って、家出同然に東京へやってきた娘がやがて都会の色というか毒に染まっていく。その辺の展開にふと既視感を覚えたので、あれこれ考えているうちに浮かんだのは、つかこうへいの「熱海殺人事件」で容疑者の青年に殺される同郷の娘のこと。登場人物の男女比率は違うけれど、どちらも4人芝居だしね。田舎と都会というモチーフもなんとなく似ている。
ただ、つか作品では田舎から上京してきた青年の純情がメインになっていたのに対して、野田作品では都会への憧れとか農業に対する負のイメージという、社会全体を包む価値観、あるいは気分といったものがテーマになっているようだ。

吹越満が演じるのは、気まぐれな社会の気分を体現して、AVからエコへ、さらには政治へと無節操な転身を計る怪しげな男。多部の演じる田舎少女の誘惑者でもある。

毛皮族の芝居をしばらく見ていなかったので、久しぶりに見るエモジュンこと江本純子はだいぶ歳をとったように見えた。短髪で金色に染めているせいだろうか、中村メイコにちょっと似ていると思ったのはきっと私の気の迷いだろう。もっぱら吹越が演じるキャラクターの子分的な存在だった。

山崎一は毒草を調べるのが趣味のオタク的な中年男で、利用されているとも知らずに上京したての少女の面倒をみる。歳の離れた娘に翻弄されるその姿は、映画「嘆きの天使」で、若い女に惚れて身を滅ぼす大学教授を彷彿とさせる。

野田秀樹が演出したものを見ていないので、今回、松尾スズキが演出したといっても、どの辺までが野田脚本で、どの辺までが松尾演出なのかがよくわからない。美術面でいくらか違いがあるとすれば、雑然とした状態が最初にあって、装置や道具をとっかえひっかえしているのが今回だとすれば、野田演出の場合は、少なくとも私がこれまでに見た範囲では、最初は意外と簡素な舞台装置で、芝居が進むにつれていろんな趣向が現れるという形だったように思う。
The Heavy User

The Heavy User

柿喰う客

仙行寺(東京都)

2010/02/27 (土) ~ 2010/03/02 (火)公演終了

満足度★★★

@本堂
シアターグリーンのビルの隣にある仙行寺というお寺の本堂で観劇、というか拝観してきた。
開演前のあいさつでは、上演時間は約1時間と訂正された。

ネタバレBOX

これまでお寺の本堂で仏事以外の催しを見たのは2回。青砥の延命寺ではトリのマークの芝居、白金の正源寺ではアラビア音楽のコンサート。どちらもお寺の人がそういう文化活動に理解のあるようすだった。
この日の公演もそうだが、本堂には和風シャンデリアと呼びたくなる豪華な飾りが天井から下がっている。仏壇も華やかに飾り付けられていた。普段は住職がお経を上げる場所だろう、仏に近い板の間が芝居の舞台。檀家が座る畳の間が客席になる。
開演間際になったとき、仏壇の下手(といっていいのだろうか)に、喪服姿の出演者8名が所在なげに集まってたたずむ。
始まると、結局は全員が最後まで出ずっぱり。動きと声はダンスと歌のように、あらかじめきちんとアレンジされた、いかにも柿喰う客らしい演技。

内容はまあ、ホラー作品「リング」の影響がいやでも感じられる。
回転寿司で、苦情受付の窓口として働く女子従業員にしつこくかかってくる謎の電話。出ても相手の声は聞こえず、不気味なノイズが響くばかり。やがてその店員が勤務中に自殺。ボールペンで両耳をなんども刺すという異常なやり方で。警察が捜査に乗り出し、店内のセキュリティ・カメラ、通話を記録した録音テープがチェックされる。まもなく今度は捜査に当たった刑事二人も自殺。果たしてノイズの正体とは。

数日前に本番を終えたばかりの七味まゆ味も出演。開演前は、稽古期間も少ないことだし、台詞のない幽霊の役でもやるんじゃないかと勝手に想像していたが、驚いたことにほぼすべて英語で台詞をしゃべった。あれはやっぱり海外遠征に向けた趣向だろうなあ。アフタートークではそうじゃない旨を作者が発言したらしいけど。

終盤にひとひねりを加えて、単なるホラーではなく、SF作品でみかけるような文明批評をテーマとして浮かび上がらせている。とはいえ、全体としてはストーリー的にちょっと物足りなさを感じた。素舞台で上演してもいいような芝居だったという点では、お寺の本堂でやる意味もあまりなかった気がする。まあ、本堂に入れただけでも楽しいんだけどね。
リズム三兄妹

リズム三兄妹

岡崎藝術座

横浜にぎわい座・のげシャーレ(神奈川県)

2010/02/27 (土) ~ 2010/03/02 (火)公演終了

変則なリズム
再演を初見。会場も初めてで、寄席の地下にこんなスペースがあるとは意外だった。
作品に関してはなんというか、演出のゆるさがねらいだというのはわかるけれど、私にはちょっとゆるすぎて、反応としては苦笑と失笑の入り混じったものになってしまった。

ネタバレBOX

トイレで大のほうをして、ポッチャンとブツが落ちたときに、勢いでしずくが跳ね上がって自分のお尻に付くのを、「お釣りがきた」と表現したりする。
この芝居では、バケツをトイレに見立てて、財布の硬貨をチャラリンとバケツに落とし、紙幣でお尻を拭くというのをやっていた。硬貨は釣り銭ってことだろう。
もちろん役者が実際にお尻を出したりはしない。服を着た状態を裸とみなして、その上に別の下着や上着を重ねており、脱ぐのは重ね着をした上のほうだけ。入浴の場面も同様。
あらすじというのも一応あるけれど、ストーリーよりは場面場面のとぼけた趣向というか演出を楽しむ作品だろう。前述したとおり、それが私にはどうもゆるすぎて・・・

三条会の橋口久男も出演していた。序盤でしばらく、ソファを演じるといって、そのまま家具になる場面がある。何分くらいだろうか、私が見た範囲では、ほとんどまばたきをしていなかったのがすごい。ドライアイ気味の私には絶対に無理だ。
シルヴィア

シルヴィア

東京バレエ団

東京文化会館 大ホール(東京都)

2010/02/26 (金) ~ 2010/02/28 (日)公演終了

満足度★★★

初見の演目
「シルヴィア」というバレエ作品を全幕で見るのはこれが初めて。以前に一度だけ、ガラ公演で同名の短いパ・ド・ドゥを見たことがあるが、そのときのダンサーの衣装は現代風だった。あとでわかったのだが、それはハンブルグ・バレエ団の振付家ジョン・ノイマイヤーが1997年に古典を現代化した作品だった。
もともとは1876年にパリ・オペラ座で初演された作品。
今回のは英国ロイヤル・バレエ団のフレデリック・アシュトンが1952年に振り付けたものをベースにして、それがいったん失われたのを2004年にクリストファー・ニュートンが復元したものだという。

バレエ作品の場合は同じ題名でもいろんな人が違う振付をしているし、作品の成り立ちにもいろいろと背景があったりするので、興味を持って調べるぶんには問題ないけれど、気軽に楽しむにはちょっと面倒なところがある。
それに演劇とは違って状況を説明する台詞がないので、初めて見る作品の場合はプログラムを買うなどしてあらかじめ粗筋を予習しておかないと、話の内容についていけなかったりする。

女性の名前がそのままタイトルになっているバレエ作品としては、「ジゼル」や「ライモンダ」や「パキータ」などがあるが、それに比べると「シルヴィア」という名前はずいぶん現代的だ。けれど実際の内容は、ギリシャ神話を題材にした古風な物語。

ネタバレBOX

狩猟と純潔の女神ディアナ、その家来であるニンフのシルヴィア。彼女は兜をかぶり弓を持って、仲間とともに森で狩猟の日々を送っている。そんなある日、森に迷い込んだ羊飼いのアミンタが彼女に恋をする。オリオンという邪悪な狩人が二人の恋路の邪魔をするが、愛の神エロスの手助けによって二人の恋はなんとか成就する。お話としてはそういう単純な内容。

バレエの場合は台詞がないので、外国のダンサーが日本のバレエ団に客演することも珍しくない。これが台詞のある演劇の場合だと、なかなかそうはいかない。ただしオペラの場合は歌詞が外国語であるにもかかわらず、いろんな国の歌手が共演しているが、あれを可能にしているのはやはり音楽の力だろう。
この日の主役はベルリン国立バレエ団のポリーナ・セミオノワとアメリカン・バレエ・シアターのマルセロ・ゴメス。二人とも見るのは初めて。
シルヴィアを演じるセミオノワはロシアの出身。おでこの秀でたところが女優のジェラルディン・チャプリンにちょっと似ている。上背があるので、彼女が本気になれば、高岸直樹が演じる悪役オリオンもあっさりやられてしまいそうに見える。いっぽう、羊飼いのアミンタを演じるゴメスはブラジルの出身。
ドイツで活躍するロシア人ダンサーと、アメリカで活躍するブラジル人ダンサーが、日本のバレエ団で共演するという状況そのものがなんだか奇跡的。
フレデリック・アシュトンの(復元された)振付は音楽に合わせた装飾的な動きが多く、感情表現という点ではあっさりしたものだった。








早起きの人

早起きの人

薔薇ノ人クラブ(黒沢美香)

テルプシコール(TERPSICHORE)(東京都)

2010/02/24 (水) ~ 2010/02/26 (金)公演終了

宮廷の人?
黒沢美香が以前からやっているソロ・ダンス公演「薔薇の人」シリーズの第13回目。私自身はこれが3回目くらい。上演時間は80分ほど。背もたれのない窮屈な座席で見るのがつらかった。

ネタバレBOX

毎回、けっこう奇抜な衣装で登場するが、そっち方面は疎いので、表現する語彙が不足している。上は白いブラウスふうで、胸元にフリル。下はゆったりしたグレイっぽいズボンで、きらきらしているのはラメだろうか。印象としてはブルボン王朝のフランス宮廷あたりにいそうな雰囲気。ただ、髪型は二つのお団子ふうにまとめたのと、1本の辮髪ふうに束ねたのが同居していて、そちらはなんとなく中国風。
太鼓を叩くバチのような棒を何本も入れた金属製のボウルを抱えて、舞台奥下手の出入り口から、ノリのいい音楽で登場。いつになく活発な動きなのと、前述の扮装とがあいまって、バレエの「くるみ割り人形」に出てくる中国の踊りっぽいものを連想した。
開演前から舞台にはセットが配置されている。下手にはコンロや台所用品をならべた調理台。上手の奥には物干し台に椅子。手前の客席寄りには水を入れた透明なボウルがこれも台に載っている。レンガ大の石が一個、床の上、隅には布切れも落ちている。

黒沢のソロダンスではところどころで音楽や照明の段取りを決めて、間では即興をやるということが多いような印象を持っていて、それは今回も変わらなかった。振り付けた動きかそれとも即興かを見分けるのはむずかしいものだが、振り付けたにしては静止する時間がやけに長いと感じることがたびたびあるので、その辺から即興をやっているのだろうと判断している。実際は終演後にでも本人にじかに聞けば早いのだろうが、わざわざそこまでするのもねえ。

金属製のボウルに入っていた棒を椅子の周辺の床に並べる。そのあとはまず、物干し台に布切れを架け、端っこにあった箒を手に取ってひとしきりもてあそぶ。次にボウルの水に手を浸す。さらに下手の調理台を中央に移動させ、用意してあった器から白いどろっとしたものをコンロのフライパンに注ぐ。どうやら火がついていたようでやがてパンケーキのようなものが出来上がる。缶詰を開けてパイナップルを二切れ、パンケーキの上に乗せる。調理の際、腰に巻いていた紅白模様の布をたたんでランチョンマットとして椅子の上に敷き、出来上がった料理の入った皿をその上にのせて椅子の前に正座。フォークとスプーンを使い、行儀よく、時間をかけて平らげる。

登場の際の活発な動きはまもなく影をひそめ、炊事洗濯などの家事労働をダンス的な振る舞いの中でこなしていく。過去に見た公演でも、こういう日常的な行動も広い意味でダンスとして捉えるというスタンスでやっていた。たとえば、机に座って手紙を書いてそれを封筒に入れるといった一連の動作。一見、演劇のようでもあり、またマイムのようでもあるが、本人の意識としてはたしかにダンサーとして舞台にいるのだろう。

やがて家事や食事も片付いて、彼女は横になる。この辺で自分なりにドラマ的な状況設定を想像してみると、おそらく彼女は宮廷のお抱えダンサーだろう。きょうはもう勤めはないだろうと思って横になったとき、急にお呼びがかかる。そしてなぜかは知らないが椅子の上で着替えをして、御前に参上。床に散らばっていた棒を奥に片付ければ場面転換も完了。終盤のクライマックスにふさわしいダンスのお膳立てができた。
ビリビリHAPPY

ビリビリHAPPY

突劇金魚

こまばアゴラ劇場(東京都)

2010/02/23 (火) ~ 2010/02/24 (水)公演終了

東京に初登場
初めて見る大阪の劇団の芝居で、客演の七味まゆ味のほかはみんな関西弁をしゃべっていた。作・演出のサリngROCKというのは若い女性で、カラフルな衣装をまとって不思議動物園の謎の生き物を演じていたが、なかなかカワイイ顔をしている。
この公演のチラシには、たしか渡辺えりがコメントを寄せていたが、この日の客席でも姿を見かけた。突劇金魚の芝居の印象をどう表現すればいいかと考えているうちに、そういえば、渡辺えりが主宰していた劇団3○○の作品に近いんじゃないかと思い至った。
ファンタジー調の展開が、同時にヒロインの心象風景でもあるような。そしてヒロインの心情には多分に作者の思いが含まれているような芝居。

ネタバレBOX

ひとり標準語をしゃべる七味がヒロインを演じる。出だしの場面では、帰宅すると泥棒の犯行現場に出くわしてしまい、ガムテープで後ろ手に縛られる。ところがなぜか両手が自由になって、いきなり一人芝居が始まる。そういえば「いきなりベッドシーン」という一人芝居で彼女は大阪へ進出したのだった。そのことをふと思い出した。その一人芝居がしばらく続いたあと、今度は出演者たちがゾロゾロと現れて合唱を始める。あまりにもトーンがコロコロと変わるので、最初はどんな芝居になるのかがまったく見当がつかない。そのご、押し入ったヒロインの家に住み着く泥棒カップルだとか、剥製技術を持つ伯爵と20歳年上の貴婦人だとかが登場し、ヒロインは伯爵に歌い手として雇われたり、伯爵が所有する動物園を譲り受けたりする。またヒロインは一人っ子のはずなのに、妹だか姉のようなキャラクターが登場したり、母親が失踪したという過去の出来事が明らかになったりする。アイドルの追っかけをしながら単純労働にいそしむ女性と作業場の同僚の男性、動物園にいる謎の生き物のつがいも出てくる。
見ている間も、見終わってからも、なんだかよくわからない作品だった。
わたしたちは無傷な別人であるのか?

わたしたちは無傷な別人であるのか?

チェルフィッチュ

STスポット(神奈川県)

2010/02/14 (日) ~ 2010/02/26 (金)公演終了

八月の2日間
上演時間は約100分。

ネタバレBOX

2009年8月30日(日)には衆議院選挙があった。その前日、入居予定の高層マンションを道端で眺める一人の男。幸せな境遇であることが何度も強調される。帰宅後は訪ねてきた妻の女友達を夫婦でもてなす。一方、夫の留守中、引越し前の彼のマンションには、不幸の象徴のような男が訪ねてくるが、その言動は実在の人物というよりも、いまの幸せな境遇にふと不安を覚えた妻の脳裏に浮かぶ妄想のように思える。そしてそんな不安もソファの上で夫と体を重ねることで薄らいでいく。

チェルフィッチュのこの芝居では、凶悪な犯罪は起こらない。帰宅途中の夫がバス停でバスを待つ間に、前の男のヘッドフォンから音がもれているのを聞いて言い知れぬ苛立ちを覚える程度。ただ、作品全体をうっすらと包む暑い夏、貧富の差というモチーフからは黒澤明監督の映画「天国と地獄」を連想したし、夏の日差しの中に潜む不穏さは、通り魔的な殺意を太陽が喚起するカミュの「異邦人」のようでもある。

話の内容を簡単に、自分勝手にまとめてみたが、芝居の語り口はまさに岡田節というか、チェルフィッチュ独特。親密な男女のやり取りと社会の空気を対比させる描き方が「三月の5日間」に似ていなくもない。ただ、三月のほうは台詞が饒舌なくらいだったのに対して、八月のほうはだいぶ削ぎ落とされている。そのせいだろうか、あるいは来月に会場を横浜美術館に移して上演を続けるせいだろうか、作品の雰囲気が平田オリザの「東京ノート」に近くなったような気がする。少なくとも三月よりは八月のほうが。

出演者は男3女4の合計7名。男のほうの登場人物は一応人数的には合っているが、それでも一人一役に固定されてはいない。一方、女のほうは、出演者4人に対して、登場人物は2人だけ。役と役者のシャッフル具合にチェルフィッチュらしさが感じられる。女2人が退場する際、2人のあとにさらに別の2人がついていく場面が終盤にあって、そこが妙にユーモラスだった。
役者の出入りは舞台奥の二つの出入り口よりも、客席後方上手側の出入り口を主に使っていた。そして役者の入退場にも独特の間があった。
モノローグ的な台詞が比較的多いので、役者がしゃべりだすタイミングを決めるとき、その選択の幅がダイアローグよりもかなり大きいのではないかとも思った。


LAND

LAND

Яichal Dance Art Museum

横浜赤レンガ倉庫1号館(神奈川県)

2010/02/19 (金) ~ 2010/02/21 (日)公演終了

5年ぶり
チェルフィッチュの公演を横浜へ見に行くついでがあったので、赤レンガ倉庫でやっているこちらの公演も見てきた。
2004年と2005年にダンスバザール大賞公開審査(東京コンペ)というコンテンポラリーダンス主体のコンテストが丸ビルホールで開催された。
初回にはナイロン100℃のケラリーノ・サンドロヴィッチも審査員で参加していたこの催し、どういうわけか2回だけで終了してしまったが、その第2回目に出場して印象に残った一人が、この日の公演で振付を担当している橘ちあ。
東京コンペに出場した年に、衣装担当の櫻井薫と組んで彼女が立ち上げたのがЯichal Dance Art Museum。2年後の2007年に今度は横浜ダンスコレクションというコンテストに出場して賞をとり、その副賞が今回の赤レンガ倉庫での公演ということらしい。

ネタバレBOX

上演時間は前半後半がそれぞれ40分で、あいだに20分の休憩が入る。音楽は全編にわたってバレエ音楽「白鳥の湖」が使われた。ただし曲順は並べ替えてあったようだ。
出演者は7人。虹を連想させる7色の衣装。男2女5という編成。
奥のスクリーンにこれもほぼ全編にわたって映像が流れる。墨絵を思わせる白地に黒の簡略化された風景、というか絵模様。
たんにダンス作品というのではなく、作品全体に美術的な要素を盛り込みたいというのがこのカンパニーの趣旨らしい。それ自体は悪いことではないと思うが、映像と音楽が流れる中で、舞台にダンサーのいない時間が妙に長く感じられたりもするので、やはりダンスの振付をもっと充実させてほしいと思う。
わざわざ美術面を強調するまでもなく、ニブロールやレニ・バッソはダンスと同時に映像や美術でも凝った作品をつくっているわけだし。

傘やかばんを持ったダンサーがストップモーションでたたずむ出だしではドラマっぽい設定がありそうに思えたが、ダンス自体にはドラマやストーリー性は感じられなかった。せっかく音楽に「白鳥の湖」を使っているのに、踊りのきっかけとしてしか生かされていなかったのがもったいない。またバレエの音楽だということが頭にあるから、ユニゾンの不揃いがいっそう気になった。



遠ざかるネバーランド

遠ざかるネバーランド

空想組曲

ザ・ポケット(東京都)

2010/02/10 (水) ~ 2010/02/14 (日)公演終了

満足度★★★

青少年の自殺防止委員会制作(嘘)
ここでの評判がよさそうなのでふらっと観劇。劇団の名前は聞いたことがあるが、芝居を見るのはこれが初めて。

ネタバレBOX

ピーターパンの話を読み替えたような内容。大王こと後藤ひろひとの作品とも通じるものがある。
「本当は残酷なグリム童話」とか、裏サザエさんとか、かわいい物語のダークサイドを描いたともいえる。
ピーターパン・シンドロームにシンデレラ・コンプレックス。メルヘンと社会心理学は結びつきやすいのかもしれない。
空を飛びたがらない、すなわち子供のままでいたがらない者たちを、ピーターパンが次々と抹殺していくところがちょっとこわい。
ストーリー自体がそれほど好みではないので、脚本の印象は面白さよりも巧みさが上回るけれど、どのキャラクターも魅力的に描かれているし、演じられている。
舞台版の「ピーターパン」は見たことがないが、西洋ふうミュージカルのノリのいい演技を役者たちは達者にこなしている。出演者は13人。知っている顔はクロムモリブデンの奥田ワレタだけ。
それにしても役者たちのキャラクターがどれも光っていた。あえて男女一人ずつを挙げるとすれば、フック船長の中田顕史郎、タイガーリリーの小玉久仁子かな。
終盤で、話全体が、ピーターパンへの憧れと自殺願望の入り混じった悩める女子高生の心象風景だということが明らかになる。
イーピン光線【作・演出 山内ケンジ】

イーピン光線【作・演出 山内ケンジ】

E-Pin 企画

駅前劇場(東京都)

2010/02/09 (火) ~ 2010/02/14 (日)公演終了

満足度★★★★

不思議の国の団地妻
一応、サスペンス・コメディって感じの流れだけど、現代口語演劇ふうの自然なやりとりのまま、現実か妄想かわからないシュールな世界に入っていくところがなんともいえず魅力的。

ネタバレBOX

駅前劇場とは思えないしゃれた空間。マンションの一室に集まって、知り合いの主婦4人が昼下がりのおしゃべり中。出会い系サイトを利用したとかしないとか。やがて仲間3人が帰り、ひとりになった主婦。もともとアル中気味なのか、卓上のワインを飲むうちにそのまま眠ってしまう。
いったん暗転して目覚めた後、夫が帰宅。迎えにいくはずの息子の姿が見えない。そこに電話がかかってきて、息子を誘拐したという相手の声。警察に知らせようという夫、知らせたら息子が殺されるといってそれを制止する妻。
ここまではサスペンスタッチ。すると玄関のチャイムが鳴って、先ほどの知り合いのうちの2人が心配そうに訪ねてくる。大変ねえ、息子さんが誘拐されたんですって、と慰める。ところがちょっと待て、いま犯人の電話があったばかりなのに、どうしてあんたたち、息子の誘拐のことを知ってるわけ?
妻が問い詰めようとすると、話の腰を折られたり、別の訪問者があったりして、それ以上の追及が阻まれてしまう。通報もしていないのに二人の刑事がやってくる。夫の父親もやってきて、頼んでもいない身代金をすでにポケットに用意してある。
この辺の展開は夢の論理というか、相当シュールな流れになっていて、どうやらこれは先ほどワインを飲んだ妻が、眠っているうちに見ている夢じゃないのかと思えてくる。
現実からいつのまのか夢の世界へ移行するという点では、以前に見た五反田団の「逃げろおんなの人」と共通している。どちらも演技が自然であるだけに、よけいにシュールな印象が強まる。

そんなわけで、途中までは妻の見ている夢だろうと思って見ていたのだが、そのうちに妻を演じる役者が金谷真由美からKONTAという人に入れ替わってしまう。周囲の人物もそれにいくらか反応はするが、特に怪しむようすもなく話はそのまま進行する。顔つきがちょっと変わったんじゃないか、たぶんストレスのせいだろう、で済ませてしまうのが可笑しい。

芝居はさらに誘拐犯の夫婦と誘拐された子供、殺人や遺体処理を請け負う不気味な二人組、妻の兄や二人の精神科医らが登場して、予測不能な、そしてかなりショッキングな方向へどんどん転がっていく。これ以上の内容説明は私には無理。実際に芝居を見るか、脚本を読むかしてほしい。

ラストも唐突。もはや妻の見ている夢なのかどうかもわからなくなっている。刑事の一人は数ヶ月前に母親を亡くしたが、時間が経っても悲しみは癒えるどころか逆に増すばかり。それで精神科に通っている。実はその精神科医というのが遺体処理請負業者の一人だという怖い設定だったりもするのだが、そのへんのツッコミは観客まかせで、台詞での言及はない。相談するうちに刑事はまた悲しみがこみ上げてくる。そういう症状はあなただけじゃない、と医者は慰める。前後の脈絡もなく、そこでにわかに暗転&終演。思わず、はぁ?と声を出しそうになった。

勝手な勘ぐりかもしれないが、母親を亡くした刑事の悲しみを、盟友の深浦加奈子を亡くした山内ケンジのそれに重ねてみたりしたのだけど・・・
そして彼女はいなくなった

そして彼女はいなくなった

劇団競泳水着

サンモールスタジオ(東京都)

2010/02/11 (木) ~ 2010/02/21 (日)公演終了

満足度★★★★

驚きの真相
恋愛劇が得意な劇団の初めて見るミステリーもの。期待以上に面白かった。ミステリーなので、内容はまったく知らずに見たほうが絶対に楽しめると思う。

ネタバレBOX

芝居は複数の場所を行き来し、時系列もときおり並べ替えながら、短い場面の積み重ねによって徐々に真相に迫っていく。闇の中から一つ一つの場面が浮かんでは消えていく感じが、独特のムードをかもしだす。小説や映像とも一味ちがう、舞台劇ならではの展開がとても魅力的。

一人の女性の失踪がことの始まり。「ゼロの焦点」を連想したが、内容はまったくちがう。役者12名もおおむね好演。
マニュエル・ルグリの新しき世界

マニュエル・ルグリの新しき世界

公益財団法人日本舞台芸術振興会

ゆうぽうとホール(東京都)

2010/02/03 (水) ~ 2010/02/09 (火)公演終了

Bプロ
カーテンコールで、シルヴィ・ギエムをはさんでオレリー・デュポンとアニエス・ルテステュというパリ・オペラ座バレエ団の名花が並ぶところが実にゴージャスだった。

マニュエル・ルグリの名前を冠した公演は3年前に「ルグリと輝ける仲間たち」のAプログラムというのを見たことがある。ルグリは今年、パリ・オペラ座バレエ団を定年で退職したが、企画公演は退職後も催されるようで、とりあえずはめでたい。

音楽はほとんど録音テープを使ったが、「アザー・ダンス」と「三人姉妹」の2本だけは渡邉浩子という人がピアノを弾いた。

ネタバレBOX

全部で10本のガラ公演。上演時間は2時間ほどなので、1本の長さは10分程度。20分の休憩を挟んだ2部構成。とりあえず演目と出演者を書いておく。

「チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ」(振付:ジョージ・バランシン)
ナショナル・バレエ・オブ・カナダのヘザー・オグデンとギヨーム・コテが出演。初めて見る二人。技術的には安定している感じ。と同時にアスレチックな印象を受けるのは、あまりドラマ性のないバランシン作品のせいかもしれない。

「モペイ」(振付:マルコ・ゲッケ)
シュツットガルト・バレエ団のフリーデマン・フォーゲルのソロ。彼は稽古中に首を痛めて、「アザー・ダンス」と「ドニゼッティ・パ・ド・ドゥ」には出られなくなったが、この作品にだけは出演。黒いタイツで上半身は裸。主に肩と腕の動きが目立つ踊りだった。バレエダンサーはみんなよく鍛えられた体をしているが、彼の体も筋肉のつき方、体脂肪率の低さがハンパじゃない。

「スリンガーランド」(振付:ウィリアム・フォーサイス)
パリ・オペラ座バレエ団のアニエス・ルテステュと、Aプロでフィーチャーされているパトリック・ド・バナのデュオ。アニエス・ルテステュが腰につけている楕円形のチュチュがやけに気になってしようがなかった。ゆがんだシルクハットの鍔のようでもあり、歪曲した土星の輪のようにも思える。ギャビン・フライアーズの音楽とあいまって、二人はまるで踊る宇宙人のようだった。

「アザー・ダンス」(振付:ジェローム・ロビンズ)
オレリー・デュポンとアメリカン・バレエ・シアターのデヴィッド・ホールバーグのデュオ。渡邉浩子がピアノで生演奏。曲はショパン。デュオで踊ったあと、二人のソロが交互に二回。濃いめのグラン・パ・ド・ドゥになっていたのがちょっと意外。弦楽器に比べてピアノの演奏は音の一つ一つが粒だっているので、それにあわせて踊るダンサーの音楽性が現れやすい。第2部の「三人姉妹」を踊ったシルヴィ・ギエムとともに、オレリー・デュポンの動きもしっかりと音楽を反映していた。

「優しい嘘」(振付:イリ・キリアン)
ルグリとギエムの共演。これは残念ながらキリアンの振付がイマイチだった。

休憩のあと、

「マリー・アントワネット」((振付:パトリック・ド・バナ)
前半に続いてルテステュとバナのデュオ。長い作品の一部なのか、それともこれだけで完結しているのかは知らないが、終盤に赤い照明がともったところでヒロインが断頭台の露と消えるらしいことはわかった。

「ハロ」(振付:ヘレナ・マーティン)
アントニオ・ガデスやホアキン・コルテスとも共演したスペイン舞踊の人だというヘレナ・マーティンのソロ。赤いドレスや音楽が道理でフラメンコっぽいわけだ。ルグリに請われて今回の出演になったとのこと。50センチくらいの長い房がついた大きな布(ケープ?)をまるで闘牛士のように操って踊った。

「ドニゼッティ・パ・ド・ドゥ」(振付:マニュエル・ルグリ)
東京バレエ団の上野水香と高岸直樹が出演。予定されていたフリードマン・フォーゲルに替わって、リハーサル・パートナーだった高岸が出演とのこと。

「失われた時を求めて」より“モレルとサン・ルー”(振付:ローラン・プティ)
ギヨーム・コテとデヴィッド・ホールバーグのデュオ。男性二人の踊りというのが珍しい。しかも二人とも着けている衣装が肌色なので、一見裸で踊っているような印象を与える。

「三人姉妹」(振付:ケネス・マクミラン)
ルグリとギエムのデュオ。これもピアノの生演奏付。最後を飾るにふさわしい踊りだった。内容的にはなんとなく「オネーギン」に似た雰囲気。「三人姉妹」でも「オネーギン」でもどちらでもいいけど、この二人が主演する全幕ものを見たいと思うことしきり。
ムートンにのって

ムートンにのって

むっちりみえっぱり

アトリエヘリコプター(東京都)

2010/02/04 (木) ~ 2010/02/07 (日)公演終了

満足度★★★

4年ぶり
今回は別枠公演ということだが、本公演との違いはよくわからない。見るのは今回が4回目で、最初に見たのが8年前。2と3回目が4年前。オリンピックでも閏年でも例えるのはなんでもいいけれど、きっちり4年おきに見ているというのがなんだか可笑しい。慌てず騒がず、のんびりペースで活動している感じがそのまま公演の内容にも反映しているし、ゆる~い雰囲気の中に手作りなこだわりが感じられるのもいい。

ネタバレBOX

7本の短編集。配役的に繋がっているものもある。むっちりみえっぱりのメンバー4人(樋口徳子、江川瑠衣、山本由佳、吉田麻生)の作演出&出演。これに前田司郎、黒田大輔、兵藤公美という五反田団の系列が参加。齊藤康介は初めて見る顔で、むっちり系列でもう一人、佐藤沙恵も出演している。

五反田団が年頭にやっている工場見学会というのは、私は帰省時期にあたるので見たことがないのだが、今回の公演はそれに近いのではないかという気がする。

仕事を終えてからの観劇だし、週末の疲れもたまっているしで、それほど期待もせずに出かけたのだが、眠気に襲われることもなく、最後まで楽しく見られた。

出演者たちはおおむね30代じゃないかと思う。ボブ・ディランやビートルズやジャニス・ジョプリンの世代ではないはずだし、ましてやアンディ・ウォホールやバスキアやツィギーが出てくるとは思わなかった。
あたしちゃん、行く先を言って-太田省吾全テクストより-

あたしちゃん、行く先を言って-太田省吾全テクストより-

地点

吉祥寺シアター(東京都)

2010/01/22 (金) ~ 2010/01/31 (日)公演終了

満足度★★★★

ウィキウィキ
1月25日に続いて、30日にも見てきた。
2回目の観劇のあと、受付で販売していた三浦基の著書「おもしろければOKか?現代演劇考」という本を買ってきて、ただいま熟読中。

ネタバレBOX

今回も実験性はあいかわらず。ひとりの作家の全テクストから抜粋したという20あまりのテクスト。その一つずつにおいて、ことなる実験をやっているようだ。過去に見たチェーホフ作品などは、一つの原作を使っているから、実験的とはいっても作品全体を一つのスタイルで捉えることができたが、今回は短いテクストをたくさん使っているので、実験もさまざまなスタイルが試されているということかもしれない。

芝居と音楽を対比して、テクストを楽譜、役者を歌手、だと考えてみる。
音楽では音の高低や長さ、強弱も楽譜に指定されているが、芝居のテクストにはそういうものはない。テクストの内容に忠実でさえあれば、声の高低や長さ、強弱は基本的には役者の判断にまかされている。
ただ、音楽の場合も、楽譜に指定されているからといって、音程はともかく、音の長さや強弱は歌手によって微妙な差があるし、いっぽう芝居の場合も発声についての指定がテクストに書かれていないからといって、役者が好き勝手にしゃべってはいない。

この作品は去年から今年にかけて4つの会場を移動しながら上演されてきたもので、今回がその最後になる。去年の7月に川崎で見たとき、プログラムに載っていた演出家、三浦基のあいさつ文によると、彼はせりふを発することと歌をうたうことに、それほど大きな違いはないかもしれない、と考えているようだ。つまり、楽譜にしたがって歌うにしても、脚本のせりふをしゃべるにしても、パフォーマーの体を通してしかテクストは音声化できないということだろう。

そこで、テクストを音声化する装置としてパフォーマーを捉えたとき、その新しい装置を使ってどんなことができるのかを好奇心いっぱいに試しているのが、今回の公演といえるのではないだろうか。

芝居でも音楽でも、複数の人間でやる場合は誰がどのパートを担当するかはたいがい決まっている。今回の上演においては、そういう枠組みもとっぱらわれているようだ。なにしろ使用されたテクストが断片的なので、一人一役というような配役はそもそも不可能だし。そしてテクストとパフォーマーの組み合わせのさまざまなパターンが試されている。

通常の音響装置なら配置したあとはそのままじっとしているが、テクストを音声化する装置としての人間は、声を出しながらもいろんな動きをする。そしてその動きが今度は音声化に影響を与える。なにしろ人間だから動いていれば息も切れるし、疲れも出る。

複数の装置によるテクスト音声化のいろんなパターンを試す。
次に装置にさまざまな負荷をかけて、それが音声化に与える影響を調べる。
以上の2点が、大雑把に言って、今回の実験の二本の柱ではなかっただろうか。







 『F』

『F』

青年団リンク 二騎の会

こまばアゴラ劇場(東京都)

2010/01/29 (金) ~ 2010/02/07 (日)公演終了

満足度★★★

FはSFのF?
設定はSFだけど、中身はしっとりと情感を湛えた二人芝居。現代口語演劇による静かなサイエンスファンタジーと呼びたい。

ネタバレBOX

舞台中央に大きなベッドが一つ。下手にブランコ。
貧富の差がまるで身分制度のようになってしまった未来社会。貧困層出身の娘は新薬開発の実験台に志願することで、貧しい暮らしから脱出しようとする。
個室と身の回りの世話をする人間型ロボットが与えられて、薬の効果を調べるための投薬が続けられる日々。世話役であるその男性型アンドロイド(多田淳之介)と娘(端田新菜)の交流を、春夏秋冬、4つの場面で描いた二人芝居。上演時間は100分ほど。

多田の序盤でのしゃべり方はいかにもロボットふうで、台詞の間もかなり機械的。これでずっと通すのを見るのは辛いなと思っていたら、さいわいアンドロイドには言語モードの切り替え機能がついているようで、まもなく娘の指図に従って現代口語的なしゃべりに変わった。

芝居の設定でちょっとわかりにくかった点がひとつ。それは娘が新薬開発の実験台になる際、もともとその病気にかかっていたのか、それとも自ら進んでその病気に感染したのかということ。もし後者だとしたらずいぶん無茶なことをしたものだと思う。

SF好きな人にはおなじみの展開だと思うが、人間的な感情を理解できないはずのロボットが徐々に学習能力を発揮して、やがてその人間にとって欠くことのできない存在になっていく。
春は花見、夏は浴衣を着ての花火大会、食欲旺盛な秋は食事をしながら小さい秋を謳歌し、冬にはクリスマスツリーを飾る。しかし結局は、効果的な薬を作ることができず、彼女は病に倒れる。

季節の変わり目では、役者たちの衣裳替えをそのまま舞台上で見せていたのが面白い演出。イッセー尾形の舞台を彷彿とさせた。

アンドロイド役の多田の場合、台詞をとちるとアンドロイドとしての性能そのものが疑われてしまうので、その辺が演じるうえでのプレッシャーではないかと思うのだが、この日の演技はほぼ完璧だった。

病に冒される端田の場合は、五反田団の「いやむしろわすれて草」でも似たような役を演じているし、こういうのはむしろ得意分野かもしれない。

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