マリンバの観てきた!クチコミ一覧

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点と線

点と線

カンパニーデラシネラ

川崎市アートセンター アルテリオ小劇場(神奈川県)

2009/12/17 (木) ~ 2009/12/20 (日)公演終了

満足度★★★★

マイム+台詞≠演劇
通常は声を出さないマイム作品で、どうやって松本清張の小説を舞台化するのかと思ったら、今回はなんと、台詞をしゃべった。プログラムにはテキスト協力:小里清とクレジットされている。しかし台詞があるからといって、普通の演劇作品ではない。やはりマイムの要素が濃厚に入っている。

事件を調べる主人公の刑事を森川弘和が単独で演じるほかは、残りの五人(佐藤亮介、鈴木美奈子、関寛之、藤田桃子、小野寺修二)が複数の登場人物(プログラムに記されているのを数えると全部で26役)を演じている。

ストーリーはほぼ原作通りだが、あらかじめ内容を知っていたほうが楽しみやすいだろう。小説の内容をまったく知らずに見た場合、はたして時刻表のトリックを充分に理解できたかどうか、あまり自信がない。

マイムのパフォーマンス自体はこれまで小野寺がやってきたものとそれほど変わらないと思うが、今回は台詞が加わって演劇に近づいているぶん、逆に演劇との違いがよくわかった。

冒頭の場面では男女の死体が客席に足の裏を見せるかたちで横たわっていて、それを二人の男が見下ろしている。どうやら青酸カリをあおっての心中らしい、と男の一人がいう。この第一声でオヤッと思い、今回は台詞がつくのだなと頭の準備態勢を切り替えた。ここまでは普通の演劇の流れだが、次に男女の死体がむっくりと起き上がってはまた横になるという動作が始まると、ここからはシュールな雰囲気を持つ従来のマイム作品の色合いになる。二人組の男のほうも、死体の動きに反応したり、あるいはそれをまったく無視して台詞をしゃべり続けたりする。
そのあともこんな調子で台詞劇とマイムの要素が入り乱れながら話が展開する。マイムでは動きがスローモーションになったり、反復したりするし、台詞のほうでも反復や大幅な省略がある。
一人が普通の芝居をしているのに、相手のほうだけがマイム的な動きをする場面を見ていると、なんだか舞台上の時空間が歪んでいるというか、物語の流れそのものが速度変化を起こしているような印象を受ける。
詳しいことは知らないのであれだけど、クラブのDJがレコード盤の回転を手で操作して不思議な効果を出すという音楽がある。あれを聴覚的なデフォルメだと考えれば、こちらの舞台作品では同様の効果を視覚面で作り出しているように思えるのだ。

具体的な内容を言葉でうまく伝えられないのが残念だが、マイムと台詞が融合することで、なんだかものすごくユニークな、従来の演劇では見たことのないものが生まれた気がする。

新しい男

新しい男

城山羊の会

三鷹市芸術文化センター 星のホール(東京都)

2009/06/26 (金) ~ 2009/07/05 (日)公演終了

満足度★★★★

絶妙の脚本と演技を満喫
この劇団の芝居を見たのは深浦加奈子の(たぶん)遺作になった「新しい橋」が最初。舞台を見るかぎりこのときは病気の気配などまるで感じなかったのに、その半年後に彼女は亡くなってしまった。
そのあと「新しい歌」「新しい男」と似たようなタイトルが続いている。見続けているのは別に深浦加奈子に義理だてしているからではなく、ただ作・演出を担当する山内ケンジの芝居が面白いから。
今回も期待を裏切らない内容だった。

ネタバレBOX

三鷹にあるこの劇場では太宰治にちなんだ芝居をシリーズで上演していて、選ばれた劇団の作家はいわば、出されたお題に答える形で脚本を書かなければならない。しかし誰もが太宰の作品を愛読しているとはかぎらないわけで、いまさらあわてて読んでもそれは付け焼き刃になるだけかもしれない。
実際に作者の山内ケンジがそうだったかどうかは知らないけれど、出演者の一人、三浦俊輔をそのまま本人という形で登場させ、彼が太宰治の役を演じることになったので、それまでまったく読んでいなかった太宰作品にチャレンジするというちょっとメタフィクション的な設定は、作者と太宰治の関係をそれとなく感じさせる。
登場するのは3組の男女と、ホモっぽい編集者の合計7名。女3人はどちらかというと男女関係がもつれたとき、自殺や心中に走りそうなタイプで、いわゆる自立した強い女性ではない。
古舘寛治と石橋けいの演じる夫婦は元は大学教授と教え子という関係だった。妻はいまだに夫を先生と呼んでいる。
三浦と初音映莉子は恋人同士。三浦の浮気にショックを受けた彼女は思いつめて自殺をはかろうとする。彼女は石橋の妹で、彼女を追いかけて三浦が大学教授の家にやってきたという設定。
もう一組は岡部たかしと山本裕子が演じる夫婦で、岡部は古舘の弟。彼は小説家志望だが認められずに行き詰っている。妻の山本はそんな夫とあっさり心中をしかねない、生への執着が妙に希薄なところがある。
3組の男女の関係を描くだけで充分に面白い恋愛劇になると思うが、芝居を複雑にしているのは、本人として登場している三浦俊輔が、途中で熱に浮かされて妄想を見始め、その妄想が現実の場面とまったく切れ目を見せずに展開するところ。現実では歯止めがかかっていることでも、妄想の中ではそれが実行されてしまう。見ている側からすれば、最初は実際に起きている事を見ているつもりが、いつのまにか三浦の妄想を見せられていることになる。

本村壮平が演じるもう一人の登場人物は、大学教授の著書を出版しているそこの編集者。3組の男女の面倒な関係から距離をおいて、傍観者としてそれを眺めている。非常に控えめな表現ながらも、彼がホモであるということは見ているうちにわかってくる。気に入った男が付き合っている相手ともめているということは、彼にとっては単なる好機にすぎないわけで、その辺のドライさがいいアクセントになっていた。出演者7人の中では彼だけが初顔。チラシによると、Live Naturally Activelyという劇団で作・演出をやっているらしい。これだけいい演技を見せられると、そっちのほうも機会があれば見てみようかという気になる。

三鷹芸術文化センターのスタッフである、たしか渡辺という人も、面白い役で起用されていた。あれも作品にメタフィクションな味わいを付加している。
SHE-彼女

SHE-彼女

KARAS

川崎市アートセンター アルテリオ小劇場(神奈川県)

2009/11/20 (金) ~ 2009/11/29 (日)公演終了

満足度★★★★

見ごろ食べごろ
勅使川原三郎のカンパニー、KARASのメンバーである佐東利穂子のソロダンス。上演時間は1時間弱。ソロダンスの公演では普通の長さだが、これだけの運動量というかダンス量のある公演はちょっと見たことがない。それだけでも見る価値充分。
公演は11月20日から23日までまず4回踊った後、3日間休演して、27日から29日までさらに3回踊る。全7回という公演数もソロダンスとしてはかなり多い。
ダンサーとしての力のピークがどの辺にあるのかはわからないが、ものすごく充実した時期にあることは間違いない彼女のダンスは、今がまさに旬。ダンス好きならこれを見逃す手はない。

ネタバレBOX

最前列のド真中で見たが、ここは特等席だった。4メートルくらいの距離を隔てて、彼女のダンスを差し向かいで眺める瞬間が何度かあった。体は細身で長身。プログラムにはdance:佐東、direction:勅使川原としか書いていないので、誰の振付なのか、あるいは即興なのかは定かでないが、腕全体をしならせるように動かすところは過去に見た勅使川原ダンスの特徴が感じられる。
冒頭には戸外で踊る彼女の映像が映画館なみのスクリーンサイズで舞台奥に映し出された。風や光、空気や地面といった周囲の自然に同化、同調しながら動く、これも過去に見た勅使川原ダンスの基本方針を提示しているように思える。
映像の終了とほぼ同時に本人が舞台に登場。ビートの効いた騒音とでもいうか、それに合わせて体が激しく動きだす。全身の緊張をほぐすように体を盛んに揺するので、両腕はまるでゴムになったように上下左右前後にぐにゃぐにゃと動く。首の力も抜けているので頭もぐらぐら。それでいて、体はちゃんとビートに反応していて、足もステップを踏んでいるように感じられる。
出だしのこの何分間かのダンスだけでもその運動量に圧倒させられた。そのあともずっと彼女の動きを目で追いながら、ふと照明の効果を感じたり、いつのまにかダンスの特徴について考えたり。目の前の刺激への直接的な反応とそれについての物思いが交錯するダンス鑑賞に特有の時間が流れた。
できればもう一度見たいのだけど、残念ながら時間の都合がつかない。


孤天 第二回「ボクダンス」

孤天 第二回「ボクダンス」

コマツ企画

APOCシアター(東京都)

2009/12/03 (木) ~ 2009/12/07 (月)公演終了

満足度★★★★

孤独天国
コマツ企画の役者である川島潤哉による自作自演の一人芝居。その第2回公演だが、見るのはこれが初めて。
劇団の役者として活動してきた人が、ふいに自分でも脚本を書いて一人芝居を始めるというのはかなり珍しいケースではないだろうか。
脚本の書き手としてはまったくの未知数だし、あくまでも役者としての魅力に引かれて見に行ったのだけど、フタをあけてみると芝居の内容が予想外に面白かったのでちょっとビックリした。







ネタバレBOX

寝言で「ドストエフスキー!」と叫ぶ人はいるかもしれないが、くしゃみでそう言ったのはこの芝居のキャラクターがたぶん初めてだろう。
---MESs---メス---

---MESs---メス---

Dance Company BABY-Q

リトルモア地下(東京都)

2009/06/12 (金) ~ 2009/06/14 (日)公演終了

満足度★★★★

この人を見よ
去年10月のシアタートラムでのソロ公演から半年ぶりに見た。東野祥子のソロダンス。あのときは怪我で公演が中断してしまったが、私は初日に出かけたので見ることができた。幸い怪我は回復して、その後まもなく踊り始めたが、今回もらったチラシをみると、英語で My head is a mess と書いてあるので、頭のほうはまだ問題を抱えているのかもしれない。
シアタートラムよりもはるかに小さな空間で、それでも従来通りのしなやかさをとりもどした彼女の体を間近に眺める約1時間。照明と音響が加わって、いつもながらの空間演出力を感じさせる。独特の体、独特の作品世界。

ネタバレBOX

前半はフルフェイスのヘルメットをかぶり、顔を見せない。照明はストロボを多用。衣装はシルバーっぽい袖なしのワンピース。カジワラトシオの音楽は以前にも聞いた通りのノイズ系。そういえばあのときも前半は全頭マスクをつけていた。いわば東野流の焦らしのテクニック。

前半はまた、これもカジワラが担当したのだろう不思議な照明を使っていた。夏の夜空に開く花火のような、といえばいいか。ちょっとミラーボール的な色彩だ。それをときどき照射する。一方、隅に立て掛けてあった全身大の姿見を東野が抱え、その照明を鏡に反射させて客席に送ったりもした。

後半はカジワラがステージの端に出没して、あれこれ装置をいじっていたし、映画「リング」に出てくる貞子のような黒髪のかつらで顔を隠し、ステージの下手奥に座ってたぶん即興だと思うが機械を操作して音を出していた。

上手の手前壁際に裸電球が床近くまで垂れていて、それを体で包むようにして暗転して終演。

たとえば地下の駐車場で車の急ブレーキ音が響き、突然ともった車のヘッドライトに照らされて、壁際に追い詰められた美女が浮かび上がる。サンペンス映画に出てきそうなワンシーンだが、東野の体は照明とあいまってそんな雰囲気をやすやすと作り出す。経歴にクラシックバレエが含まれていないのが意外に思えるくらい、しなやかさと強靭さを兼ね備えた体は、日本のコンテンポラリーダンス界でも傑出している。
アンドゥ家の一夜

アンドゥ家の一夜

さいたまゴールド・シアター

彩の国さいたま芸術劇場 小ホール(埼玉県)

2009/06/18 (木) ~ 2009/07/01 (水)公演終了

満足度★★★★

老人力
オーディションで選ばれた年配者の劇団、さいたまゴールドシアター。ナイロン100℃のケラが脚本を提供したというので第3回目の今回、初めて足を運んだ。ふだん小劇場の芝居を見ている者ほど、老人一色に埋め尽くされた舞台に面食らうのではないか。「老人力」という古い流行語が頭に浮かんだほど。
ケラの脚本は少人数の芝居も悪くはないけど、やっぱりこういう出演者が40名を越えるような芝居をやらせたら本領を発揮する。多くの若手を起用したケラマップの芝居「ヤング・マーブル・ジャイアンツ」などはある意味でこの芝居の若者版だったような気がする。
カーテンコールで拍手をするときには「みなさんいつまでもお元気で」という、およそ芝居の観劇後とは思えない感慨が湧いた。

ネタバレBOX

設定は比較的シンプル。学生時代、演劇部にいたメンバーが、数十年後、ポルトガルで隠居生活を送るかつて演劇部の顧問だった教師のもとを訪ねてくる。集まるきっかけは教師がすでに死の床に就いているから。
話を面白くしているのは、危篤のはずのアンドゥ氏が健康な姿であちこちに出没し、そしてその姿がアンドゥ氏の会おうと思った人物にしか見えていないという怪奇テイスト。
大勢の登場人物をそれぞれに個性を持たせて描き分けるケラの脚本が冴える。約3時間という上演時間は、ケラの芝居では普通とはいえ、役者たちの演技のテンポともいくらか関わりがあったのではないか。老役者たちの健闘を讃えつつも、同じように大人数の役者が登場する劇団、柿喰う客の芝居を思うとき、激しい動きはやはり若さの特権だということをあらためて感じた。

開演前から役者たちが舞台に出ていて、それぞれが演じる場面を稽古している。演出家の蜷川幸雄もそのなかに混じってアドバイスをしている。平床をすべて使った広々とした舞台。そこに蠢く数十名。台本を持った若い人が何人か混じっているのはプロンプタだろう。さすがにドクターの姿は登場人物としてしか見られなかった。台詞覚えはともかく、定年後に舞台に立とうなどと考える人は普通の人よりもよっぽど丈夫な体の持ち主ではないだろうか。
プロンプタをあからさまに待機させたり、開演前から役者を舞台に上げて稽古をさせるというのは、必ずしも脚本の上がりが遅かったからではなく、素人くささも人間くささのうちだと割り切った演出のねらいではないかと思う。先日、フェステバル/トーキョーで来日したリミニ・プロトコルなどはまさにそういう作り方だったし、さいたまゴールドシアターもこのフェスティバルには別の作品で参加していた。
開演前から役者を舞台に上げるというのは別に青年団の専売特許ではない、蜷川幸雄も以前からよく使う演出だ。
ボス・イン・ザ・スカイ

ボス・イン・ザ・スカイ

ヨーロッパ企画

青山円形劇場(東京都)

2009/06/17 (水) ~ 2009/06/28 (日)公演終了

満足度★★★★

見上げたもんだ
初日観劇。期待通りに楽しませてもらった。
この劇場の円形舞台をきちんと使ったうえで、見づらさ、聞きづらさから来るストレスをほとんど感じさせなかったのが素晴らしい。さすがは理系の劇作家、上田誠の面目躍如。ここ何作か、長田佳代子という人が美術を担当するようになって、そっち方面がかなりグレードアップしたのも大きい。

開演前に座席にすわって、舞台のセットを眺めながら、どんな話になるのだろうと想像をめぐらすのも楽しい時間。ゴキブリコンビナートの「ちょっぴりスパイシー」という作品の舞台装置を思い出したのは私だけだろうか。

ネタバレBOX

変則的というか、オフビートなファンタジー作品だ。本来はもっとカッコイイはずの集団が、時代の流れに逆らえず、斜陽産業の悲哀をかこっているという設定が非常に面白い。

全国ツアーの最終ということで、役者陣の演技も安定していた。
ろじ式〜とおくから、呼び声が、きこえる〜

ろじ式〜とおくから、呼び声が、きこえる〜

維新派

にしすがも創造舎 【閉館】(東京都)

2009/10/23 (金) ~ 2009/11/03 (火)公演終了

満足度★★★★

屋台は終演後も1時間ほど営業
維新派を見るのは6年前に新国立劇場中劇場で上演した「nocturne」以来。このときは良い印象を持たなかった。2年前に埼玉でやった「nostalgia」もチケットは取っていたのだが、開演時間を間違えて見られなかった。この劇団とはどうも縁がないなと思いつつ、2度目の観劇となる今回は、内橋和久の音楽に気持ちよく反応できたので、台詞のある歌の部分も、台詞のないダンスの部分も飽きずに最後まで楽しめた。ドラマとしてではなく、あくまでもソング&ダンスの音楽ショーとしての面白さだった。これがいわゆるジャンジャンオペラってやつ?

ネタバレBOX

会場がかつて学校だったからだろうか、理科室の雰囲気のある美術がとてもいい。ただし労働者も出てきたりするから、必ずしも学校という設定ではないようだ。
4.48サイコシス(演出:飴屋法水)

4.48サイコシス(演出:飴屋法水)

フェスティバル/トーキョー実行委員会

あうるすぽっと(東京都)

2009/11/16 (月) ~ 2009/11/23 (月)公演終了

満足度★★★★

内なる狂気へようこそ
良い意味で、演劇作品に名を借りた美術作品ではないかと思う。サラ・ケインの原作は前にいちど、川村毅の演出で見たことがある。あちらは映像で東京の街並みを映し出したりして、それなりに凝った演出が面白かった。それとの比較でいうと、飴屋作品の場合は字幕のほかには映像を使っていないというのが一つの特徴かもしれない。映像を使うとそれだけでけっこうスタイリッシュな感じがするものだが、この作品では映像を使っていないので、美術面ではなんとなく手作りな感じがするのがいい。遊園地のお化け屋敷を体験するような感覚で、観客は眼前に展開する鬱病患者の狂気を目の当たりにする。

脚本は鬱病の末に自殺した劇作家の遺作。会話劇といえるものではなく、作者の独白に近い内容で、普通に演じたらたぶん退屈なものになるだろう。そのぶん演出家が腕を振るう余地のあるテキストなのかもしれない。
昔、二十歳で自殺した女子大生の日記がベストセラーになったことがある。サラ・ケインの場合もそうだけど、作者が自殺したということが作品の付加価値になっていて、もし作者が健在ならそれほど特別視される内容ではないのではないか、という気がしないでもない。
変な例えで申し訳ないが、この作品の作者がサラ・ケインではなく、もしも三谷幸喜とクレジットされていたら、観客はただもう、なんてひどい作品だろうと思うのではないだろうか?

そういったことはさておいて、美術と演出は一見の価値あり。

VACUUM ZONE

VACUUM ZONE

Dance Company BABY-Q

シアタートラム(東京都)

2010/03/05 (金) ~ 2010/03/07 (日)公演終了

満足度★★★★

リヴェンジな再演
公演中に怪我をして、中断された因縁のある作品の再演。私は幸い初日に出かけたので前回も見ることができたし、忘れていた部分も含めて、今回は初演以上に面白かった。

バットシェバ舞踊団『MAX マックス』

バットシェバ舞踊団『MAX マックス』

彩の国さいたま芸術劇場

彩の国さいたま芸術劇場 大ホール(埼玉県)

2010/04/15 (木) ~ 2010/04/17 (土)公演終了

満足度★★★★

面白さもマックス
3日間公演の真ん中に見て、見終わったとたんにまた見たくなったので、翌日の楽日にも見てきた。

ダンサーは男女5人ずつ。中身の濃い1時間。

客席側からの青みがかった緑の照明と、舞台両サイドからの朱色がかった赤い照明が、歓楽街のネオンを思わせる不健康な色でダンサーの体を染める。

前回の「テロファーザ」ともだいぶ趣が違う。音声もいくらかは入るが、無音で動く場面もけっこうある。

独特の動き。ダンスとはなんぞや、みたいなことを考えさせられたという意味で、久々に頭を刺激する作品。もちろん普通にダンスとして眺めても面白かった。

ネタバレBOX

終盤で、1から10までを外国の言葉でカウントする声に合わせて、ダンサーが踊るところがある。数え方は「1」「1、2」「1、2、3」というふうに、数えるたびに数字を一つ増やしていき、最後に1から10まで数えたところでまた「1」にもどるというもの。
いっぽうダンサーは、10個の数字に対応する10通りのポーズ(静止した状態での体のフォルム)を用意していて、カウントされる数字にしたがってそれに対応するポーズを次々に決めていく。

この一連の動きを見ていて感じたのは、この作品でオハッド・ナハリンがやっているダンスの振付が、通常のものとはちょっとちがうのではないかということ。

ダンスの振付というと普通は体のいろんな部位をどういう方向に、どういう速度で動かすかを決めることのように思うが、極端な話、ナハリンのこのダンス作品の場合は、10個のポーズさえ決めれば、あとはカウントするスピードに合わせてそれをつなげるだけで、ダンスの振りとして成り立っているように思えるのだ。

2つの点を決めればその間に引かれる直線はおのずと決まる。通常の振付がどこへ線を引くかを考えることだとしたら、ナハリンの振付はむしろどこへ点を打つかが重要なのかもしれない。

その応用編として、たとえばダンサーがジャンプする場合は、空中でのポーズと、ジャンプの前後の着地点という3点を決めればいいわけだし、回転運動の場合は、上下左右あるいは前後左右の4点を決めれば、あとは体にもっとも負担の少ない、効率的な線がおのずと生まれてくる。
あの人の世界

あの人の世界

フェスティバル/トーキョー実行委員会

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2009/11/06 (金) ~ 2009/11/15 (日)公演終了

満足度★★★★

雨にぬれても
初日に観劇。どんな話が展開するのか予想のつかない抽象系の美術。あの人(松井周)の妄想世界を舞台化した作品、といっていいのではないでしょうか。

ネタバレBOXでは文字通り、かなりネタバレしているのでご注意ください。

ネタバレBOX

サンプルという劇団名が示すように、作者が描きたいと思う場面がばらばらに何個かあって、場面それぞれはそれほど緊密に繋がってなくて、それでも無理にストーリーをこしらえて繋げることはせず、ばらばらな各場面が舞台上で一つのまとまりを感じられるように工夫をこらして提示してある。そんな印象を受ける。
役者が台詞をしゃべっていれば、ドラマや物語世界が自然と浮かんでくるのが通常の芝居だと思うが、この作品では最後まで場所の設定がどうなっているのかが曖昧だった。特に上と下の世界の関係がよくわからない。
出だしの場面では上の世界の夫婦(古館寛治、石橋志保)が死んだペットの墓参りをしている。夫婦が犬の名を呼んだときに袖から登場する青年(田中佑弥)がいる。
最初はてっきりこの世とあの世という関係かと思った。下に広がる白い世界は火葬にふされたペットたちの遺灰ではないのかと。ところが終盤になると上の夫婦が犬になって下に降りてくるし、逆に下の住人の一人が入れ替わりで上に現われる。上下世界を行き来する人物としてはもう一人、出だしに登場した青年が運命の女性をさがして下の世界をさまよう。
場所の設定がよくわからないといっても、それは別に文句をいっているのではなく、場所設定を曖昧にすることで、ばらばらな場面の収まりがよくなっているのではないかと思うのだ。
上の世界では墓参りのあと、ペットを亡くしてからギクシャクしだした夫婦の関係がもっぱらテーブル越しに展開する。
一方、下の世界では、浮浪者とも動物ともつかない登場人物たちが劇団四季の「キャッツ」かなにかだろうか、動物モチーフのミュージカルを作ろうとしている。鬼コーチふうの一人(古屋隆太)と3人のメンバー(奥田洋平、渡辺香奈、善積元)の関係はこれまでの松井作品でもなんとなくなじみがある。鬼コーチ役は従来なら古館の担当だろうが、今回は上の夫婦を演じているので替わって古屋が担当したが、彼も充分に狂っている。ほかにも舞台装置の外周を自転車に乗って登場する若い娘(深谷由梨香)がこの集団に新人として入団する。
また、互いに首輪で繋がった嫁姑(山崎ルキノ、羽場睦子)が夫・息子を捜しながらさまよったりする。嫁は盲目のようで色つきの眼鏡をかけたまま。演じる山崎は結局最後まで目を観客から隠したままだった。この二人の関係にも盲導犬という動物モチーフが感じられる。
冒頭に登場した青年は、ビラ配りの男(芝博文)から顔写真をもらい、女を捜し始める。この不思議世界の案内役になってくれそうな気配もあったが、結局は彼もこの世界の一員にすぎず、混沌は増すばかり。やがてめぐり合った運命の女というのが実は自転車で現われた娘で、彼女が実は上の夫婦の亡くしたペットの犬でもあるらしい。

思いつく範囲で内容を書き出してみたが、ディテールはごっそりと抜け落ちている。とにもかくにも濃厚な、松井周の妄想劇場。誰にでもオススメというものではないが私は面白かった。

辻美奈子は映像のみの出演。作品の意図によるものか、それとも個人的なスケジュールや体調によるものなのか、その辺がちょっと気になる。

モリー先生との火曜日

モリー先生との火曜日

加藤健一事務所

本多劇場(東京都)

2010/06/03 (木) ~ 2010/06/15 (火)公演終了

満足度★★★★

数年ぶりのモリー先生
原作のノンフィクションは過去に2度、それもかなり時間を空けて読んでいる。今回の舞台版を含めると、数年に一度はモリー先生の話に接していることになる。原作が出版されたのが1997年。
こういうポジティブな心を持った人物が現代にもいるということがすばらしい。死ぬまでに一度は、モリー・シュワルツという人物の人となりに触れてみるのも悪くないのではないだろうか。
教師と生徒の物語といえば、最近では湊かなえの「告白」なんていう怖い話もあるが、もともとは感動的な内容のものが多い。この作品もそういう伝統に則っている。

加藤健一事務所の翻訳劇を見るのは久しぶり。レイ・クーニーやマルク・カモレッティなどコメディ作品をやっているころはよく見ていた。
最近は感動的な作品が増えたような気がするが、かといってそのせいで足が遠のいたわけでもない。
久しぶりに見た今回は、翻訳劇を親しみやすく見せるという点で、やはりここはほかの劇団よりも一歩抜きん出ていると感じた。


In The PLAYROOM

In The PLAYROOM

DART’S

ギャラリーLE DECO(東京都)

2010/04/27 (火) ~ 2010/05/02 (日)公演終了

満足度★★★★

凝りに凝ってる
昨年12月の初演から4ヶ月ぶり。劇場でもらったプログラムの挨拶によると、今回は再演ではなく追加公演だという。そのココロは、劇場も出演者も初演と同じだから。確かに4ヶ月後、同じ会場、同じ面子でやるのは演劇の場合むずかしいもんね。
なにはともあれ、観られてよかった。
DART’Sという劇団の第1回公演。作・演出は広瀬格という人(要注目)。役者の演技もよかったし、なによりも凝りに凝った脚本がすごい。
複雑な設定、不思議な構造、そんな芝居が好物の人にはオススメかも。
具体的な内容に触れるのは体力的、能力的にシンドイので、興味のある人はとりあえず観てほしい。

(観劇上の注意として、トイレが一つしかないので、なるべく外で(別に屋外でという意味ではない)済ませてきたほうがいい。初日は寒い日でトイレ待ちの行列ができて開演がちょっと遅れたりしたので)

タルダンス・カンパニー/ムスタファ・カプラン-フィリズ・シザンリ「DOLAP」 / 鈴木ユキオ/金魚「犬の静脈に嫉妬せず」

タルダンス・カンパニー/ムスタファ・カプラン-フィリズ・シザンリ「DOLAP」 / 鈴木ユキオ/金魚「犬の静脈に嫉妬せず」

ダンストリエンナーレトーキョー

青山円形劇場(東京都)

2009/10/04 (日) ~ 2009/10/04 (日)公演終了

満足度★★★★

地震国のダンス
ダンストリエンナーレの第8弾は、トルコと日本の作品の2本立て。
トルコとコンテンポラリーダンスという言葉の組合せがそもそも矛盾しているのではないか、と冗談をいいたくなるくらい、今回のフェスティバルではいちばん異色というか、単純にいって珍しさを感じる作品。
もう1本は初演を見たことのある鈴木ユキオ振付作品の改訂版。
両者の内容に共通点は感じられなかったが、結果的にはどちらも面白かった。

ネタバレBOX

トルコからはタルダンス・カンパニーの男女二人が出演。タイトルは「Dolap」。初演は9年前にパリで。大型冷蔵庫サイズの直方体の箱が重要な役割を果たす。要するに、人間2人と箱1個によるコンタクトだと思えばいい。
出演する二人の衣裳は裾が短めのズボンと半袖のシャツ。それにニット帽の縁をひとつ折り返してかぶっている。
開演して登場すると、端に寝かせてあった箱を中央に移して立てる。箱を挟んで二人は、互いの足が箱の方を向く形で、直線上にあお向けに横たわる。そのままならただ人も箱もじっと静止しているにすぎない。そこでまず、一人が横たわる前に箱を、先に横たわっている相手の方へゆっくりと倒す。倒したほうもすぐに横になる。すると、傾けた箱はそのまま反対側の寝ている人間に向かって倒れていく。体が箱の下敷きになる寸前に、相手は両足を上げて倒れかかった箱をキャッチする。そして今度は相手のほうへ箱を蹴って倒す。これを交互に続ける。
次はいったん両足で箱をキャッチしたあと、数十センチほど体を移動させてからまた箱をキックする。倒れる位置が少しずれたので、相手も数十センチ移動しないと箱をキャッチできない。
最初は二人の間を箱がメトロノームの振り子のように行き来していたが、今度は、常に反対側にある時計の針のように、箱を中心点にして二人がその周囲を回り始めるのだ。その間も仰向けに横たわったままで箱はキックしている。
次は一人が箱を両足でキャッチした瞬間、もう一人が跳ね起きて、傾斜したまま止まっている箱の上に乗りかかる。バランスよく形が決まってところで元の位置にもどり、今度は立場を逆にする。
その後も次々といろんな動きが繰り出すのだが、派手ではないものの妙に意表をつく動きの連続で、最後まで面白く見た。中盤ではそれぞれがソロで演じるパートもあった。
演じる二人は生まじめに黙々とパフォーマンスをこなしていく。その雰囲気がどことなく神村恵カンパニーのミニマルな作品と似ている気がした。動きそのものよりも、取り組む姿勢が。
出演者二人の経歴を見ると、男性のムスタフォ・カプランは大学で電子工学と電気通信学を学び、女性のフィリズ・シザンリは工業大学の建築学部を卒業したとあり、ともに理系のインテリだという点が興味深い。さしずめこの公演は「重さとバランスに関する調査研究」だったのかもしれない。

鈴木ユキオの「犬の静脈に嫉妬せず」は3年前にこまばアゴラ劇場でやったのを見ている。とても好きな作品だったので、また見られるのが楽しみだったのだが、出演者の人数が減っているうえ、美術もすっかり違うものになっていたのがちょっと残念だった。ただし、見覚えのある振りはちゃんと残っていた。客席に向かって遠投するところとか、胸板を叩きまくるところとか、ワイシャツの襟元や裾を開けて相手に誇示するところとか。
出演者4人のうち、安次嶺菜緒と鈴木はよく体が動くぶん、動物的というか獣的な印象が強い。あの引きつったような動きを見ていると、いつのまにか自分の指にも力が入っていたりする。共演は川合啓史と寺田未来。
ローザス「ツァイトゥング Zeitung」

ローザス「ツァイトゥング Zeitung」

彩の国さいたま芸術劇場

彩の国さいたま芸術劇場 大ホール(埼玉県)

2009/11/27 (金) ~ 2009/11/29 (日)公演終了

満足度★★★★

アフタートークは聞かなかった
映像も含めて、これまでに見たローザスの作品の中ではかなり好きなほう。
上演時間は2時間弱。開演前はずいぶん長いと思ったが、始まってからはあまり気にならなかった。



ネタバレBOX

出演者は9人。国籍が多彩で、その点では今年亡くなったピナ・バウシュのヴッパタール舞踊団を連想させる。ただし、ヴッパタール舞踊団のメンバーよりもこちらのほうがずっと踊れる人が揃っている感じ。
出演者の中では古株といっていい池田扶美代が唯一の日本人ダンサー。一人だけハイヒールの赤い靴を履いていて(他のダンサーは素足)、動きの面では若いダンサーとの競合をはなから避けているようだった。ダンサーが群れ集う場面では、素足の中にハイヒールが混じっているのでヒヤヒヤした。踊る凶器というか、彼女はローザスの秘密兵器だった。顔立ちがニブロールの矢内原美邦に似ていると感じるのは私だけだろうか。ついでにいうと、ローザスの韓国人ダンサーであるスーヨン・ヨウンは、ヴッパタール舞踊団の日本人ダンサー、瀬山亜津咲になんとなく似ている気がする。

舞台の下手奥にはピアノが一台。立て看板ふうの舞台装置がいくつか後ろ向きのまま三方の壁際に間隔をあけて並んでいる。座った席が最前列だったので、見上げると高い天井に組まれている照明器具設置用の骨組みが複雑に入り組んでいるのが見える。そして舞台の両端に置かれたいくつかの椅子。全体としてはダンスの稽古場のような雰囲気が感じられた。音楽はアラン・フランコという人がピアノを演奏したほか、録音も使っていた。バッハは何曲か聞いたことがあるが、シェーンベルクは名前だけ、ウェーベルンは名前も知らなかった。聞いていてわかったのは、クラシックと現代音楽がともに使われていて、ダンスといっしょに聞くぶんにはまったく抵抗がないということ。

ダンス作品で使われる音楽は、踊りの伴奏だったり、作品の雰囲気を盛り上げるBGMだったりすることが多いと思うが、一部の振付家は音楽をもっと積極的に聞き込んでいて、ダンスの振付と音楽の関係もより密接なものになっている。いってみれば、聴覚的な刺激である音楽をダンスによって視覚化していると感じられる。ジョージ・バランシンやナチョ・ドゥアトの振付がそうだと思うし、ローザスの振付家であるアンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルの作品にも同じことがいえるのではないだろうか。
ダンスを通して音楽を見ている感じ。それさえあれば、ドラマ的なものを別に想像しなくても最後まで退屈せずに見ていられる。

劇場でもらったプログラムを見ると、即興も行われているらしいが、まったく気づかなかった。ただ、コンタクトがほとんどないなかで、ロシア出身の男女が終盤で猛烈に絡み合っていたところがコンタクト・インプロビゼーションぽいかなと感じたくらい。最前列の座席だとソロダンスの場合はともかく、複数のダンサーが踊るときには見づらくなったりするものだが、各ダンサーのソロも用意されていたので充分に満足だった。

序盤で色付きの紐を使って距離を測るみたいな動きがあったり、大勢が舞台上をわらわらとあちこちへ移動するだけという場面もあったが、そのどちらもちゃんと音楽と連携しているのがわかった。





シリタガールの旅

シリタガールの旅

本能中枢劇団

こまばアゴラ劇場(東京都)

2009/06/20 (土) ~ 2009/06/27 (土)公演終了

満足度★★★★

なにはともあれ、祝復活
ベターポーヅとの涙の別れから早2年近くが経つ。その涙もすっかり乾ききったころ、帰らぬはずの人が名前を変えてもどってきた。喜び勇んで初日に出かけたが、40席ほどの客席はどうにか満席という程度。自分の期待と世間の反応の温度差にやや戸惑う。
作者にとってはそれなりのブランクだから、今回はウォーミングアップという面もある。前半は短いやりとりを反復する変態シュールなコント集の趣き。後半は人物や状況の設定がそれなりに定まってくる。
さすがにここの芝居は誰にでもオススメというわけにはいかない。いってみれば、好きな人の、好きな人による、好きな人のための演劇。

ネタバレBOX

吉原朱美がソロで踊るときに流れる、ミディアム・テンポの「ハイスクール・ララバイ」が個人的にものすごくツボだった。あれは誰が歌っているのだろう。
あたしちゃん、行く先を言って-太田省吾全テクストより-

あたしちゃん、行く先を言って-太田省吾全テクストより-

地点

吉祥寺シアター(東京都)

2010/01/22 (金) ~ 2010/01/31 (日)公演終了

満足度★★★★

ウィキウィキ
1月25日に続いて、30日にも見てきた。
2回目の観劇のあと、受付で販売していた三浦基の著書「おもしろければOKか?現代演劇考」という本を買ってきて、ただいま熟読中。

ネタバレBOX

今回も実験性はあいかわらず。ひとりの作家の全テクストから抜粋したという20あまりのテクスト。その一つずつにおいて、ことなる実験をやっているようだ。過去に見たチェーホフ作品などは、一つの原作を使っているから、実験的とはいっても作品全体を一つのスタイルで捉えることができたが、今回は短いテクストをたくさん使っているので、実験もさまざまなスタイルが試されているということかもしれない。

芝居と音楽を対比して、テクストを楽譜、役者を歌手、だと考えてみる。
音楽では音の高低や長さ、強弱も楽譜に指定されているが、芝居のテクストにはそういうものはない。テクストの内容に忠実でさえあれば、声の高低や長さ、強弱は基本的には役者の判断にまかされている。
ただ、音楽の場合も、楽譜に指定されているからといって、音程はともかく、音の長さや強弱は歌手によって微妙な差があるし、いっぽう芝居の場合も発声についての指定がテクストに書かれていないからといって、役者が好き勝手にしゃべってはいない。

この作品は去年から今年にかけて4つの会場を移動しながら上演されてきたもので、今回がその最後になる。去年の7月に川崎で見たとき、プログラムに載っていた演出家、三浦基のあいさつ文によると、彼はせりふを発することと歌をうたうことに、それほど大きな違いはないかもしれない、と考えているようだ。つまり、楽譜にしたがって歌うにしても、脚本のせりふをしゃべるにしても、パフォーマーの体を通してしかテクストは音声化できないということだろう。

そこで、テクストを音声化する装置としてパフォーマーを捉えたとき、その新しい装置を使ってどんなことができるのかを好奇心いっぱいに試しているのが、今回の公演といえるのではないだろうか。

芝居でも音楽でも、複数の人間でやる場合は誰がどのパートを担当するかはたいがい決まっている。今回の上演においては、そういう枠組みもとっぱらわれているようだ。なにしろ使用されたテクストが断片的なので、一人一役というような配役はそもそも不可能だし。そしてテクストとパフォーマーの組み合わせのさまざまなパターンが試されている。

通常の音響装置なら配置したあとはそのままじっとしているが、テクストを音声化する装置としての人間は、声を出しながらもいろんな動きをする。そしてその動きが今度は音声化に影響を与える。なにしろ人間だから動いていれば息も切れるし、疲れも出る。

複数の装置によるテクスト音声化のいろんなパターンを試す。
次に装置にさまざまな負荷をかけて、それが音声化に与える影響を調べる。
以上の2点が、大雑把に言って、今回の実験の二本の柱ではなかっただろうか。







ウェルダン

ウェルダン

リトルモア地下

リトルモア地下(東京都)

2010/06/04 (金) ~ 2010/06/06 (日)公演終了

満足度★★★★

肉食系ダンス
モチーフは肉だった。肉食に始まって肉食に終わる60分。開演前から、ステーキ用の生肉が天井からいくつも吊り下げられている。上手にはコンロがあり、開演するとまもなく背中に負ったホットプレートをコンロに乗せて焼肉が始まる。

珍しいキノコ舞踊団のダンサー篠崎芽美による初のソロ公演。ダンスの作り手としては未知数だし、実をいうと公演案内チラシの絵柄(顔の上にステーキが載っているやつ)があまりにもグロテスクで、最初は見る気をなくしたのだが、公演が始まってみるとなかなか評判がいいようなので、急遽当日券で見ることにした。チラシによって公演を見る気になるというのはたまにあるが、チラシによって興味が萎えたというのは今回が初めてかもしれない。

しかし実際に見てみると、評判通りの面白い内容だった。彼女の顔の特徴である鋭くとがった顎。作品から感じられる独特の感性とも無縁でないように思えた。

舞台下手奥の隅にテントふうに張られた縦長の三角形の布。その上部から顔だけを出して歌いつつ、天井から下がっている肉をパクつくところから始まる。そのあと赤い布の下部の裂け目から下半身を現わすところでは、なんだか出産を連想させたりした。衣装は男子の体操選手が着るような白の短パンと袖なしのシャツ。鍛えられた体は実際、体操選手のように筋肉質だった。
一踊りした後、肉を焼きながらしばしトークが入る。ネットの検索で見つけたという「肉占い」についてあれこれと。こういうしゃべりを気軽に入れるところは珍しいキノコ舞踊団仕込みだろう。
そのあと開脚で床にうつぶせの状態から、自分の体を肉という物質として、ちょっと突き放した感じで探り始める。木の床に当たってペタペタと音を立てる手足の肉。皮膚に口をつけて息を吹きかけるとまるでオナラのようにブブゥと音が出る。ひざの裏や脇の下でも同様に音が出せる。自分の体を不思議そうに探るその感じは子供のころの感覚を思い出させる。

後半ではぬいぐるみをいったんバラバラにしてつなぎ合わせたような被り物で登場。顔の部分は目と口があいていてマスクのよう。立ち上がると下半身が出てしまう大きさ。獅子舞っぽくもある。ギターを弾く男性が共演。白い机ふうの台を舞台に置く。篠崎は被り物のまま台の中にもぐりこむ。手と足を両側に出して這い進むと、台がまるで亀の甲羅のようにみえる。ギター弾きが台の上に飛び乗ったときにはひやりとしたが、亀が手足を甲羅の中に引っ込める要領で、直前に台を床まで下げたので、手足にダメージを受けることはなかった。この辺はダンスというよりも、道具を使ったインスタレーション的な面白さかもしれない。予想のつかないアイデアが全体を通してちゃんと盛り込まれていたので、終始興味をひきつけられた。床に体育座りという苦しい鑑賞環境で、後半は腰が悲鳴を上げていたにもかかわらず。
終盤にも奇妙な装置を背負って登場した。フラフープのような輪が二段になっていて、それぞれに肉が吊るしてある。電動式になっていて、それがくるくると回転する。発想の奇抜さがなんといっても独特で、作り手としての才能を感じずにはいられない。

音楽も何曲か使われたうち、グロリア・ゲイナーのヒット曲「I wil survive」が誰かのカバーと本家のと2回流れたのが印象に残る。最後もゲイナーの歌に乗って、同時に焼けた肉をほおばりながらの、彼女ならきっとどんな逆境でもサバイバルするだろうと思わせる、たくましいダンスで締めくくった。


「ロメオとジュリエット」「令嬢ジュリー」

「ロメオとジュリエット」「令嬢ジュリー」

谷桃子バレエ団

新国立劇場 中劇場(東京都)

2009/07/04 (土) ~ 2009/07/05 (日)公演終了

満足度★★★★

文芸バレエ
バレエを見始めてまだ日は浅いのだけど、チケット代が安ければもっと見たいと思っている。文字通り、バレエは高値の花だ。
谷桃子バレエ団は今年が創立60周年だという。見るのはこれが4度目くらい。そのうちの2回は団員による創作バレエの発表会だった。BATIKの黒田育世が所属していたこともあり、古典だけでなく、創作ものにも熱心なカンパニーなのかなという印象がある。
今回はスウェーデンの女流振付家ブリギット・クルベリ(1908-1999)の作品を2本立てで上演。彼女の名前は今回初めて知ったが、スウェーデンではバレエ・カンパニーにその名前が冠せられているくらい有名な存在らしい。現在も振付家として活躍しているマッツ・エックが彼女の息子だったというのには驚いた。
上演された2本はどちらも有名な戯曲が原作。一つはシェイクスピアの「ロメオとジュリエット」、もう一つはストリンドベリの「令嬢ジュリー」。言葉そのものといっていい戯曲を、言葉をまったく使わないバレエに置き換えるのは、ある意味で乱暴な行為だと思うけれど、実際にはドラマ性がより濃厚なほうが、無言のダンス表現では観客に内容がよく伝わるようだ。

「ロメオとジュリエット」は芝居だと2時間以上はかかるはずだが、バレエ作品では約1時間に収まっている。舞台装置はまったく使わず、照明と衣装による色彩の変化だけで雰囲気を盛り上げている。対立するキャピュレットとモンタギューを青と赤で色分けし、そのなかでジュリエットだけは白い衣装を着ている。シェイクスピアの芝居を観客が知っていることを前提にしているとはいえ、鍵となる10の場面をダンスで演じることによって、「ロメオとジュリエット」の物語をわずか1時間で観客に伝えてしまうというのはすごいことだと思う。ソワレで主役の二人を演じたのは永橋あゆみと齊藤拓。ともに好演。

「令嬢ジュリー」はストリンドベリが1888年に発表した戯曲をクルベリが1950年にバレエ化したもの。上流階級の女性と使用人の関係を軸にしているところは「チャタレイ夫人の恋人」を連想させる。発表当時は大胆な内容がバレエ界では相当話題になったらしい。(スウェーデン映画がハードコアなポルノ映画の代名詞だったなんてことは、今の若い人には想像もつかないだろうなあ。)1本目の「ロメオとジュリエット」とは違い、こちらは舞台装置を場面ごとに転換させていく。しかし悲劇的な内容にもかかわらず、色彩が派手なのはどちらにも共通している。こちらの主役二人は髙部尚子と三木雄馬。こちらも良かった。

クルベリの振付は、音楽のリズムに合わせてマイムを演じるせいか、どことなく人形振りを感じさせるところがあった。バックのダンサーをストップモーションで静止させて背景化するのも特徴的だった。


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