マリンバの観てきた!クチコミ一覧

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清水宏の、世界に告ぐ!!

清水宏の、世界に告ぐ!!

劇団ガソリーナ

萬劇場(東京都)

2010/06/29 (火) ~ 2010/06/30 (水)公演終了

満足度★★★

汗かき男の蒸し暑い夜
役者としても、お笑い芸人としても、何度か見ている清水宏の今回は単独お笑いライブ。劇作家のじんのひろあきが作・演出で協力しているというのが気になって、久しぶりに出かけた。
席について開演を待っていると、客席後方から清水の声が聞こえてきて、振り向くと、たぶん持ちネタらしい名古屋のオバサンに扮していた。すでに座っている客、ちょうど入ってくる客をいじりつつ、開演前からすでに楽しい雰囲気が出来上がる。
内容は大きく分けて四つ。
一つはこの公演の直前に、アメリカで行われたコント大会に出かけたときのいわばルポトーク。実は応募したけれど参加が認められなかったので、次回に向けての偵察も兼ねて強引に現地まで出かけたのだという。カタコトの英語でアメリカ人と渡り合うクレイジーな旅の報告。
次は公演のタイトルにもなっている「世界に告ぐ」という一人芝居。もしも自分に息子がいたらという設定で、自分の父親の奇人ぶり(隣家から伸びてきたススキの穂が邪魔だからといって、灯油をかけて燃やしてしまったり)などを紹介しつつ、芸人の父親に対する息子の反発とそれに対する父親のとまどいをコミカルに描きながら、最後にはちょっと人情味も加えて。ちなみに、「世界」というのは劇中に登場する息子の名前。
三つ目はこれもたぶん持ちネタだろうと思うが、スタッフが用意した横長の白い紙を客の囃し立てる声に乗ってビリビリと破る。その破片をさらに適当な形にちぎって、いろんな小道具に見立てながら即興で小芝居をやる。演者のテンションと即興的なパフォーマンスから、小林健一が動物電気の芝居でいつもやるフンドシ・パフォーマンスを連想した。
最後は清水が実際にそのライブに出演したこともあるという忌野清志郎との思い出を元にして、二人の交流をおおむねコミカルに、終盤ではファンタジー風のこれまたほろっとさせる話として描いている。清水宏によって語られる、テレ臭さがこじれてシュールな禅問答みたいになった清志郎の言動がかなり可笑しい。あれは清志郎という人物を知るうえでのなかなか貴重な証言だ。

失われた時を求めて 第2のコース「花咲く乙女たちのかげに」

失われた時を求めて 第2のコース「花咲く乙女たちのかげに」

三条会

三条会アトリエ(千葉県)

2010/06/25 (金) ~ 2010/06/28 (月)公演終了

連続芝居のむずかしさ
今回も観劇の3日ほど前に原作を読了。読むにつれ、スケールが大きくなっていく原作に対して、舞台のほうは毎回1時間ほどで完結しているので、頭の中の印象としては小説と芝居の比率が最後には象とその体にとまって血を吸う蚊くらいになるような気がする。テレビドラマなら連続ものは珍しくないが、舞台劇で連続ものというのは考えてみると非常に少ない。あってもせいぜい続編くらいだろう。
そんなわけで大きなハンデを背負っているように思える今回のシリーズ上演。回を追うごとに観客数が減ることも懸念されるが、私個人としてはぜひとも最後まで付き合いたい。

マルセル・プルーストの小説「失われた時を求めて」の第2篇「花咲く乙女たちのかげに」では、語り手である「私」の若いころの恋の対象となった女性たちが描かれている。スワン夫人、彼女の娘のジルベルト、海辺のホテルで静養中に出会った数人の若い娘。その中の一人、アルベルチーヌ。

小説を読んでいて不思議に思うのは、主人公である「私」の年齢がはっきりと示されていないことだ。学校には通っていたはずだし、学校の場面が描かれていれば学年から判断して年齢も見当がつきそうなものだが、実際には学校の場面はまったく出てこない。主人公あるいは作者にとって、学校生活は思い出すに値しないということか。
歴史的な出来事、たとえばドレフュス事件についての記述があれば、プルーストの生年(1871)から数えて主人公の年齢を類推することはできるが、それでも主人公=作者ではない。

小説の内容について感想を書くのはシンドイのでやめておく。
三条会による舞台版では、前半は小説の中に出てくるラシーヌの芝居「フェードル」を引用して、前回同様にスワン夫人の扮装をした大川潤子が舞台中央に置かれた机にのぼって「フェードル」の台詞を長々としゃべった。
プログラムの解説によると、小説第2篇のモチーフは恋であり、演出家の関美能留にとっての初恋は「演劇」なので、それで小説の中に出てくる芝居を大幅に引用したのだという。プルーストの小説を舞台化したはずの芝居で、ラシーヌの芝居の台詞を長々としゃべるというのがなんとも人を喰っている。

原作の内容をただ再現することはしない、とこれは最初から言っていた。原作と同じタイトルを持ちながらも、原作の内容からどれだけ飛躍できるか。今回の三条会の連続公演は、そういう趣旨の実験とみなすこともできるのではないだろうか。

後半はジルベルト役の近藤佑子が、集英社文庫版の原作小説を手に持って、飛ばし読みするように内容をどんどん要約していく。

少女役で登場した榊原毅と関美能留は、白シャツと細めのスカートという服装が、まるで東南アジアの外国人向けホテルで働く従業員のようだった。榊原は珍しく髭をきれいに剃って若々しく、関は長い髪をポニーテールにまとめていた。出演者はそのほか、少女およびラシーヌ劇の登場人物として立崎真紀子、主人公の私をナレーションのみで橋口久男。

プルーストの小説についてウィキペディアであれこれと調べていたら、面白い記事を見つけた。世界で最も長いといわれることもあるらしいプルーストの小説。その内容を15秒で要約するというコンテストが、イギリスのお笑いグループ、モンティ・パイソンのコントの中に出てくるらしい。この時期、そのコントが猛烈に見てみたい。





Political Mother ポリティカル・マザー

Political Mother ポリティカル・マザー

彩の国さいたま芸術劇場

彩の国さいたま芸術劇場 大ホール(埼玉県)

2010/06/25 (金) ~ 2010/06/27 (日)公演終了

満足度★★★

お手上げダンス
ホフェッシュ・シェクターという男性振付家のダンス作品「ポリティカル・マザー」を見る。上演時間は70分くらい。ギターとパーカッションの演奏者が4名ずつ、舞台奥で生演奏をした。出演ダンサーはたぶん10名。スポット照明を多用していて、暗転も多いので、全体的に暗い雰囲気が漂っている。座席は上手の6列目。スピーカーから響く音がちょっと大きすぎた。出だしは鎧をつけて剣を持った男が一人、おもむろに剣で腹を突き刺して死ぬ。次に男二人が踊った後、人数が増えていく。舞台奥の下段にパーカッション、上段にはギターとヴォーカル担当らしき人物。バンドのライブステージのような印象のほか、独裁者が群集にむかって演説しているように見える場面もあった。舞台で踊るダンサーは粗末な衣装を着けていて、収容所の囚人めいた雰囲気もときどき感じられた。踊りの特徴として、両手を頭の上にかざすことが多かった。お手上げのしぐさにも見えるし、天に向かって何かを請うているようでもあり、ときには阿波踊りのような盆踊りの雰囲気もある。
ホフェッシュ・シェクターはイスラエル出身のようで、オハッド・ナハリンのバットシェバ舞踊団にもいたという。この作品のヴォーカルを担当していたらしい。タイトルにポリティカルとあるからというわけでもないが、同じくユダヤ系の振付家であるヤスミン・ゴデールの「ストロベリークリームと火薬」という作品を連想した。抑圧された人々を群舞で描いているところに共通点を感じたせいだろう。内容的には「ストロベリークリームと火薬」のほうが断然好きだけど。

裂躯(ザックリ)

裂躯(ザックリ)

乞局

笹塚ファクトリー(東京都)

2010/06/16 (水) ~ 2010/06/21 (月)公演終了

満足度★★★

親を恨む若者同盟
ここ何作かちょっと物足りなくて、作者の身辺の変化(結婚したり、子供ができたり)と関係があるのかなんて余計なことまで心配したが、今回はなかなか面白かったのでひと安心。
もともと暗く歪んだ世界観が作品の特徴だったが、今回は妙に明るくはじけたところもある。
作品世界が独特なので、以前は公演チラシにあらかじめ状況設定を詳しく書いたりもしていた。今回は劇団のホームページに、短い小説形式でいわば物語の前日談が掲載されている。

ネタバレBOX

親に恨みを持つ青年男女の同盟とでもいうか、そんな集団が古い民家を根城にして共同生活をしている。メンバーの一人が両親に猛省を促すべく、彼らをアジトへ拉致してきたのがことの発端。

客席を二つに分ける和風の舞台装置が一種独特。渡り廊下のようでもあり、縁側のようでもある。障子戸に人影が映ったかと思えば、障子戸の紙の部分を取り外すと、今度は木の枠組みが座敷牢にも見えてくる。

最初は拉致された両親、特に父親の反応を見て、ドメスティック・ヴァイオレンスの家庭かと思ったが、実はそうではないらしい。共同生活をする男女の行動を見ていると、むしろ自立できない若者たちがその原因を親に求めて、逆恨みしているようにも思えてくる。

若者たちの共同生活ぶりにはちょっとカルト集団の匂いも感じるが、しかし教祖的な存在がいるわけではない。自分たちをブラピとかMJとか外国ふうのあだ名で呼び合っている。場面によってあちこちの方言をしゃべっていたのはどういうことなのかよくわからないが、集団の異様さを示す効果はあったようだ。

人間関係がうまく築けない彼らは当然ながら異性と付き合ったこともない、童貞と処女ばかり。両親を拉致してきた娘はそんな中ではむしろ行動力があるといわなければならない。母親の不倫相手を見つけ出し、彼と関係を持ち、結婚話にまでこぎつける。動機は親への復讐だったのかもしれないが、怒りを行動に変えることで自立の方向が見えてきたようにも思える。不倫相手を仲間に紹介する場面では、まるで彼のライブステージのようなすっとぼけた演出で、周りからは囃したてたり励ましたりの声が飛ぶ。そういえばミラーボールも天井から降りてきた。ふつうなら深刻なストーリーが展開するところを、ちょっとシュールでコミカルな描き方になっているところが、これまでにない作風の変化ではないだろうか。

結局、拉致された両親が解放されるわけでも殺されるわけでもない。作者が描きたいのはそういうストーリーではなく、特殊な状況を設けることで、親や家族について感じるあれこれを顕在化できればそれでいい、ということだろう。

テーマ的なものとは別に、役者陣の演技も見所だった。両親(井上裕朗、石村みか)と娘(中島佳子)、青年男女(石田潤一郎、三橋良平、河西裕介、岩本えり、加古みなみ、笹野鈴々音、墨井鯨子)、不倫相手(下西啓正)、その妻(西田麻耶)、偶然巻き込まれた建築事務所の男(佐野陽一)。
モリー先生との火曜日

モリー先生との火曜日

加藤健一事務所

本多劇場(東京都)

2010/06/03 (木) ~ 2010/06/15 (火)公演終了

満足度★★★★

数年ぶりのモリー先生
原作のノンフィクションは過去に2度、それもかなり時間を空けて読んでいる。今回の舞台版を含めると、数年に一度はモリー先生の話に接していることになる。原作が出版されたのが1997年。
こういうポジティブな心を持った人物が現代にもいるということがすばらしい。死ぬまでに一度は、モリー・シュワルツという人物の人となりに触れてみるのも悪くないのではないだろうか。
教師と生徒の物語といえば、最近では湊かなえの「告白」なんていう怖い話もあるが、もともとは感動的な内容のものが多い。この作品もそういう伝統に則っている。

加藤健一事務所の翻訳劇を見るのは久しぶり。レイ・クーニーやマルク・カモレッティなどコメディ作品をやっているころはよく見ていた。
最近は感動的な作品が増えたような気がするが、かといってそのせいで足が遠のいたわけでもない。
久しぶりに見た今回は、翻訳劇を親しみやすく見せるという点で、やはりここはほかの劇団よりも一歩抜きん出ていると感じた。


よせあつめフェスタ

よせあつめフェスタ

プロジェクトあまうめ

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2010/06/13 (日) ~ 2010/06/13 (日)公演終了

目撃
企画が出来るまでのツイッターでのやりとりがなかなかスリリングだったので、内容はともかくとりあえず本番が見られてよかった。

こういう特別な公演だからだろう、劇場スタッフの熱気と、出演した役者陣の緊張感は通常よりも割り増しに思えた。

作・演出の面で中心的な役割を担った関村俊介は元々お気に入りの劇団あひるなんちゃらの主宰なので、実は内容的にもそれほど心配はしていなかった。

あひるなんちゃらでは、これまでにもシークレット・ライブと称して、王子小劇場で平日の二日間、寄せ集めの公演をやった実績があるし、ほかにも劇団員3名による無料公演をやるなど、ゆるい作風に似合わない斬新なことをやっている。

内容は出演者2~3名による6本のコント集だった。そのうち4本が関村の脚本で、あとの2本は三谷麻里子と櫻井智也が担当。冒頭と中盤にはMCとしてオケタニイクロウが関村とともに登場し、用意したオモシロ映像を披露したのがやたらにウケた。

今後もこういうツイッターを使った穴埋め公演が行われるかどうかは予想がつかない。仮にそういう話がまたツイッターに出たとして、さらにその企画がまとまったとしても、おそらく今回以上の盛り上がりや集客は期待できないのではないだろうか。

何も言えなくて...唖

何も言えなくて...唖

ゴキブリコンビナート

木場公園 多目的広場(東京都)

2010/06/11 (金) ~ 2010/06/13 (日)公演終了

満足度★★★

破壊的舞台
コリッチの「観たい」の欄に投稿したのが私だけだったので、当日は誰も来ていないんじゃないかとちょっと心配になったが、大丈夫。コリッチに投稿していないだけでゴキコンのファンはちゃんといる。

会場は江東区の都立現代美術館の南側にある木場公園の多目的広場。そこにビニールシートで作られたテント小屋が立つ。3日間の公演はいずれも午後7時からの開演。出かけてみてわかったが、これを昼間にやったらたぶん脱水症状で倒れる客が出るんじゃないだろうか。それくらいビニールシートで作られた会場は温室効果が抜群だった。

例によってストーリーはあまり頭に残っていない。出だしでは老人介護の問題を扱っているように見えたが、そのあとは遺産相続をめぐるドロドロとした人間模様が展開する。ゴキブリコンビナートの特徴はなんと言っても、俗悪で猥雑な題材をミュージカル仕立てで表現するところにある。激しい動きを求められる役者陣にこれ以上の歌やダンスを望むのは酷かもしれないが、歌だけではなくダンスの振付においても、いよいよミュージカル化が進んでいると思われる今作を観ていると、絶対に無理だとは思うが、劇団四季の役者にこの芝居を演じてもらいたいという妄想がふくらむ。

上演時間は約90分。観客はオールスタンディング。終演後、駅に向かって歩くうちに、街灯の明かりの下でふと足元を見ると、靴がほこりをかぶってすっかり白くなっていた。

さっぱり!親子丼

さっぱり!親子丼

動物電気

駅前劇場(東京都)

2010/06/05 (土) ~ 2010/06/13 (日)公演終了

満足度★★★

毎度おなじみの
結成されたのが1993年というからずいぶん古い劇団。私が見だしたのは2003年ごろから。とはいってもそれほど熱心な観客ではない。
私の知っている範囲では、小劇場の劇団でいちばん吉本新喜劇に近いのではないだろうか。
一つは芝居の設定が日常的なこと。旅館とか食堂というのはあっても、宇宙ステーションとかスパイというのはあまり出てこない。
もう一つは毎回おなじみの、定番のギャグがあること。これはわかっていてもつい笑ってしまう。森戸宏明のゴムパッチン、高橋拓自のハイキック、辻修の柔軟な体と八墓村の狂気、小林健一の鈍磨した痛覚と即興まじりのフンドシパフォーマンス。

座席は前の2列が自由席で、あとは指定席だった。小林健一の傍若無人なパフォーマンスを楽しみたい人には自由席がオススメかも。

ウェルダン

ウェルダン

リトルモア地下

リトルモア地下(東京都)

2010/06/04 (金) ~ 2010/06/06 (日)公演終了

満足度★★★★

肉食系ダンス
モチーフは肉だった。肉食に始まって肉食に終わる60分。開演前から、ステーキ用の生肉が天井からいくつも吊り下げられている。上手にはコンロがあり、開演するとまもなく背中に負ったホットプレートをコンロに乗せて焼肉が始まる。

珍しいキノコ舞踊団のダンサー篠崎芽美による初のソロ公演。ダンスの作り手としては未知数だし、実をいうと公演案内チラシの絵柄(顔の上にステーキが載っているやつ)があまりにもグロテスクで、最初は見る気をなくしたのだが、公演が始まってみるとなかなか評判がいいようなので、急遽当日券で見ることにした。チラシによって公演を見る気になるというのはたまにあるが、チラシによって興味が萎えたというのは今回が初めてかもしれない。

しかし実際に見てみると、評判通りの面白い内容だった。彼女の顔の特徴である鋭くとがった顎。作品から感じられる独特の感性とも無縁でないように思えた。

舞台下手奥の隅にテントふうに張られた縦長の三角形の布。その上部から顔だけを出して歌いつつ、天井から下がっている肉をパクつくところから始まる。そのあと赤い布の下部の裂け目から下半身を現わすところでは、なんだか出産を連想させたりした。衣装は男子の体操選手が着るような白の短パンと袖なしのシャツ。鍛えられた体は実際、体操選手のように筋肉質だった。
一踊りした後、肉を焼きながらしばしトークが入る。ネットの検索で見つけたという「肉占い」についてあれこれと。こういうしゃべりを気軽に入れるところは珍しいキノコ舞踊団仕込みだろう。
そのあと開脚で床にうつぶせの状態から、自分の体を肉という物質として、ちょっと突き放した感じで探り始める。木の床に当たってペタペタと音を立てる手足の肉。皮膚に口をつけて息を吹きかけるとまるでオナラのようにブブゥと音が出る。ひざの裏や脇の下でも同様に音が出せる。自分の体を不思議そうに探るその感じは子供のころの感覚を思い出させる。

後半ではぬいぐるみをいったんバラバラにしてつなぎ合わせたような被り物で登場。顔の部分は目と口があいていてマスクのよう。立ち上がると下半身が出てしまう大きさ。獅子舞っぽくもある。ギターを弾く男性が共演。白い机ふうの台を舞台に置く。篠崎は被り物のまま台の中にもぐりこむ。手と足を両側に出して這い進むと、台がまるで亀の甲羅のようにみえる。ギター弾きが台の上に飛び乗ったときにはひやりとしたが、亀が手足を甲羅の中に引っ込める要領で、直前に台を床まで下げたので、手足にダメージを受けることはなかった。この辺はダンスというよりも、道具を使ったインスタレーション的な面白さかもしれない。予想のつかないアイデアが全体を通してちゃんと盛り込まれていたので、終始興味をひきつけられた。床に体育座りという苦しい鑑賞環境で、後半は腰が悲鳴を上げていたにもかかわらず。
終盤にも奇妙な装置を背負って登場した。フラフープのような輪が二段になっていて、それぞれに肉が吊るしてある。電動式になっていて、それがくるくると回転する。発想の奇抜さがなんといっても独特で、作り手としての才能を感じずにはいられない。

音楽も何曲か使われたうち、グロリア・ゲイナーのヒット曲「I wil survive」が誰かのカバーと本家のと2回流れたのが印象に残る。最後もゲイナーの歌に乗って、同時に焼けた肉をほおばりながらの、彼女ならきっとどんな逆境でもサバイバルするだろうと思わせる、たくましいダンスで締めくくった。


カルミナ・ブラーナ

カルミナ・ブラーナ

新国立劇場

新国立劇場 オペラ劇場(東京都)

2010/05/01 (土) ~ 2010/05/05 (水)公演終了

満足度★★★★

しびれた
新国立劇場オペラパレスで同劇場バレエ団の公演を見る。デヴィッド・ビントレーの振付作品を2つ。「ガラントゥリーズ」はモーツァルトの音楽に合わせて踊るストーリー性のない20分ほどの群舞。ダンサーの編成は女8男4。メインとなる女性ダンサー4人は湯川麻美子、さいとう美帆、西山裕子、本島美和。

もう1本の「カルミナ・ブラーナ」は1時間あまりの長さ。5年前に上演されたものの再演で、見るのは今回が初めて。カール・オレフの同名曲を使用。
全6回公演でキャストは3通り。私が見た回の主要キャストは、運命の女神フォルトゥナ:小野絢子、神学生:福岡雄大、古川和則、山本隆之。

なんといっても小野絢子のかっこよさにしびれた。ボブ・フォッシーの振付みたいな、猥雑でなまめかしいダンス。バレエでいえば「白鳥の湖」のオディールのようなキャラクターを、魅力たっぷりに演じていた。
かつて劇団四季が上演したスーザン・ストローマン振付の「コンタクト」という作品で、「黄色いドレスの女」という誘惑者的なキャラクターを演じた高久舞のダンスがすっかり気に入って、彼女の踊り見たさに3度リピートしたことがあるが、ダンサーとダンスのかっこよさではこちらも負けていない。

失われた時を求めて 第1のコース「スワン家の方へ」

失われた時を求めて 第1のコース「スワン家の方へ」

三条会

三条会アトリエ(千葉県)

2010/05/14 (金) ~ 2010/05/17 (月)公演終了

満足度★★★

読書のモチベーションとしての演劇
会場でもらったプログラムによると、村上春樹の小説の影響でこのマルセル・プルーストの原作が本屋で平積みになっていたという。私は村上作品をほとんど読んだことがないのでわからないが、最近出た本の中で村上春樹がプルーストの「失われた時を求めて」に言及しているということだろうか。

それはともかく、三条会がこの小説を芝居化するということで、全7作ある小説のうちの第1篇「スワン家の方へ」を観劇3日前になんとか読み終わった。文庫本で700ページもある長編で読むのに2週間ほどかかった。しかもこのサイズの作品があと6冊もある。読んだのはちくま文庫から出ている井上究一郎の訳。これが翻訳調のなかなか読みづらい文章だったので、すでに読みはじめている次の第2篇では、集英社文庫から出ている鈴木道彦の訳に変えてみたが、こちらのほうがだんぜん読みやすい。これから読む人には集英社文庫版がオススメ。

そんなわけで、三条会の芝居を見るために大長編の小説を読み出したのだが、こういうきっかけがなければたぶん当分、というかおそらく一生、この小説を読むことはなかっただろう。幸い小説の内容にも興味が持てたので、このまま三条会の公演に寄り添う形で最後まで読み続けたい。演劇によって読書のモチベーションが高まるという、なかなか珍しい体験をしている。

芝居の上演時間は約1時間。三条会の公演では普通の長さだが、原作の長大さを考えるとこれは暴挙を通り越してむしろ潔さを感じる。小説に書かれた出来事を一つ一つ追っていく作業ではなく、この芝居を見ることで少しだけ小説が読みやすくなればいい、と演出家はプログラムの挨拶文に書いている。

ただ、原作の内容を再現するのをやめたことで、芝居としての表現はものすごく飛躍したものになっている。そしてその飛躍ぶりを面白がるためには、やはり原作は事前に読んでおいたほうがいいだろうと思う。

私自身はこの小説をスワンという人物を主人公にした恋愛小説として読んだ。また19世紀末のブルジョア文化を描いた風俗小説としても興味深いと思う。ただ、紅茶とマドレーヌのエピソードに象徴されるように、芝居ではむしろ人間にとっての記憶とはなにか、みたいな部分に焦点が当てられていたようだ。もちろんいろんな角度からの読み取りが可能なのがこの小説の魅力ではある。開演前に受付でもらった紙袋には、紅茶のティーバッグとマドレーヌというお菓子が入っていたのが洒落た趣向だった。

それにしても舞台表現の飛躍がすごい。原作の登場人物だと思えるのはスワン夫妻と娘のジルベルトくらいで、あとは医者、看護師、役者、易者など小説とはあまり関係のない人物が登場する。漫画「あしたのジョー」のアニメの音声が役者の動きと重なったり、東宝の怪獣映画に出てくるキングギドラの魅力をスワン役の中村岳人が延々としゃべる一方で、スワン夫人を演じる大川潤子がキングギドラ然として両腕を広げたりする。

ところで、スワンとオデットという名前はバレエの「白鳥の湖」を連想させるが、はたして作者のプルーストはそれを意識していたのだろうか。時代的には「白鳥の湖」が初演された時期と小説で描かれた時代は重なっている。ただし内容的にはあまり関係はなさそうだ。
それにしても19世紀末から20世紀初頭にかけては文化的に豊かな時代だったと思う。王侯貴族を筆頭に地主階級を中心にしたブルジョア文化が最後の輝きをみせた時代ではないだろうか。金と時間がたっぷりあって、子供のころから文化芸術に親しんでいる人々。音楽も美術も演劇もそういうブルジョア階級が支えていた時代。

勧進帳

勧進帳

木ノ下歌舞伎

STスポット(神奈川県)

2010/05/13 (木) ~ 2010/05/17 (月)公演終了

満足度★★★

歌舞伎の現代化
初見。評判がよさそうだし、横浜へ出かけるついでもあったので見てきた。
歌舞伎の勧進帳を杉原邦生が現代風に演出したもの。杉原はたしか去年、こまばアゴラ劇場でやった「キレなかった14才♥りたーんず」の参加メンバー。
いっぽう監修の木ノ下裕一は京都を中心に活動する歌舞伎好きの演劇人。アフタートークや客入れのときにも場内にいたので初めてその姿を見たが、こちらが予想したのよりもずいぶん若い、歌舞伎オタクと呼びたくなるような演劇青年だった。
古典の現代化といえば、東京デスロックの多田淳之介がシェイクスピア作品を演出したのが思い浮かぶ。アフタートークでの木ノ下の話によると、シェイクスピア作品でやるような現代化が、歌舞伎作品ではあまりやられていないので、そっち方面をめざしたのだという。

STスポットにはこれまでほんの数回しか来たことがないが、スペースを縦長に使っているのを見たのはこれが初めて。中央に歌舞伎の花道を思わせる舞台があり、その両側が客席。舞台の中央に柿色の線が引いてあり、そこがいわば安宅の関。
現代化の特徴をいくつか挙げると、まずは関所の番人である富樫と番卒2名が現代青年であったこと。また番卒を演じる二人の役者が義経側の山伏2名を兼ねていたこと。義経役は女性。弁慶役はアメリカ人。口調は基本的には歌舞伎に準じているが、勧進帳を読み上げるところでは英語を使い、ところどころで日本語の日常会話をしゃべっていた。

アフタートークでもう一つ興味深いと思ったのは、約2ヶ月の稽古期間のうち、前半の1ヶ月は「勧進帳」のDVDを見て、歌舞伎役者のしゃべりと動きをひたすらコピーしたということ。そして後半の1ヶ月で、演出を入れてどんどんそれを崩していった。このやり方が作品全体を通して非常に効果的だったのではないかと思う。

熱帯樹

熱帯樹

シアターオルト Theatre Ort

atelier SENTIO(東京都)

2010/05/05 (水) ~ 2010/05/09 (日)公演終了

満足度★★★

2通りに味わう
「熱帯樹」という作品は1960年に文学座によって初演されたそうだ。三島由起夫の新作戯曲が文学座で上演されていたなんて、今から考えるとずいぶん贅沢な気もするが、その時代に生きていればそれほどありがたみは感じなかったのかもしれない。

3日前に谷賢一の演出でこの戯曲のリーディング公演を見た。今回は音響や衣装がちゃんとしている本格的な上演。一つの劇団がリーディングをやってから本公演をやるというのはときどき見るが、同じ戯曲のリーディングと本公演が別の団体によって連続で上演されるというのはきわめて珍しい。リーディングを白黒映像とすれば、本公演はカラー作品だね。

戯曲は、人物の設定がとにかくドラマチック。財産家の夫、20歳も年下の妻。夫が妻に求めるのはいつまでもかわいい女であること。美しさを保つためなら出費を惜しまない。周りの人間はどんな悩みを抱えていようとそんなものは見たくもない。妻も子供も自分の前ではひたすら微笑を浮かべていてほしい。夫のそんな歪んだ人間観・人生観が家族に影響を与えないはずがない。妻は夫に対して女であろうとするあまり、自分の子供に対して母親としての十分な愛情を育むことができなかったようだし、夫に対してもいつしか財産だけを求めるようになる。子供は兄と妹の二人。男と女であろうとして親になりきれなかった夫婦によって育てられた子供たちは、親に対する不信感と敵意、もういっぽうでは近親相姦のタブーを越えた自分たちの関係を深めていく。
病いに冒された妹は兄に母親殺しをそそのかすが、したたかな母親によってそのたくらみは頓挫する。すると今度はかねてからの予定通り、兄妹で心中を計る。
救いのない家族の破滅劇。夫のいとこで、未亡人の家政婦が半ば傍観者としてその悲劇を見守る。

劇団Ort-d.dの芝居は美術的にも、演技の面でもけっこうデフォルメが入っているので、リーディングのときとはかなり違う印象を受ける。特に脇の登場人物はキャラクターまですっかり変わっていた。
夫のいとこで未亡人の家政婦は、リーディング公演では人生に諦観を抱いた無気力な人物として描かれていたが、Ort-d.dの公演では、もっと下世話な、「家政婦は見ていた」的な好奇心旺盛なキャラクターとして描かれている。髪型もまるで「サザエさん」みたいだし。

上演時間は2時間半。1時間半ほど経ったところで10分の休憩が入るのはリーディングのときもそうだったからたぶん戯曲のなかで指定されているのだろう。
舞台の上手奥には金子由菜という音響担当の女性が陣取っていて、いろんな道具を使って効果音を出していた。後半に入って兄妹が心中を図るところでは、太鼓によるリズミカルな効果音がどうも場面にそぐわない気がした。近親相姦の果てに心中という背徳感よりも、パーカッションの元気のよさは青春の暴走とか若気の至りみたいな印象を与える。演奏にあおられる形で役者二人の演技も後半はちょっとテンションが高すぎた。

ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶

ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶

チェルフィッチュ

ラフォーレミュージアム 原宿(東京都)

2010/05/07 (金) ~ 2010/05/19 (水)公演終了

満足度★★★★

歌と踊りとチェルフィッチュ
「ホットペッパー」「クーラー」「お別れの挨拶」の順で上演。会社のオフィスらしい場所設定が共通で、それによって三作が一つのお話になっている。が、ストーリー自体はそんなに複雑なものではない。上演時間はトータルで70分ほど。
私が見た回は場内の冷房がかなり効いていて寒かった。まさか「クーラー」という作品の内容に合わせて意図的にやったとは思わないが、これから見る予定の人はクーラー対策をしておいたほうがいいかも。

「ホットペッパー」と「クーラー」はそれぞれ単独で見たことがあり、そのときはそれほど面白いと感じなかったが、今回は以前とどういう違いがあるのかはわからないけれど、最後まで、3作とも、面白く見た。

ネタバレBOX

「ホットペッパー」は武田力、伊東沙保、横尾文恵が出演。音楽はジョン・ケージ。台詞と動きが普通の演劇に比べるとよりいっそう音楽に呼応しているので、パフォーマーの音楽性やリズム感が優れていればいるほど、台詞は歌に、動きはダンスに近づくように思える。この3人の中では武田力のパフォーマンスが飛び抜けてよかった。派遣社員が退職することになり、その送別会をどうするかという相談がテクスト部分の内容だが、この作品ではもう歌と踊りのパフォーマンスだと割り切って、言葉の意味とかストーリーはあまり考えなくてもいいのではないかと思った。

「クーラー」は山縣太一と安東真理が出演。これまでに2度見ているが、今回がいちばん面白く見られた。音楽はステレオラブとトータスとあるが、これは聞いたこともない。台詞や動きの反復が目立った。山縣太一の胸ポケットに入れたタバコが、彼が腰をかがめるたびに床に落ちる。何度目かに落ちたとき、タバコの箱が思わぬ方向へ転がったが、それでもパフォーマンスに大きな影響はなかった。それを見たとき、全部とはいわないまでも、一部にパフォーマーが即興をやる箇所を設けても面白いのではないかと思った。(いや、私が気づかなかっただけで実際にやっていたりして・・・)

「お別れの挨拶」は前2作の出演者全員が下手に並び、彼らに送別される派遣社員の女性が挨拶をするという設定で、基本的にはそれを演じる南波圭のソロ・パフォーマンス。音楽はジョン・コルトレーン。ここではもう見る側も体をスイングさせる感じで、演劇というよりも音楽とダンスのパフォーマンスとして楽しんだ。

これまでのチェルフィッチュの作品はおおむね演劇作品として見てきたし、その場合はパフォーマーのしゃべりや動きも基本的には役者の演技の延長として捉えていたが、今回のようにこれだけ音楽性が高まると、役者もただ芝居の演技力があるだけでは追いつかなくなってくるのではないだろうか。
オペラ歌手とブロードウェイ・ミュージカルで活躍する役者を比べてときどき思うのだけど、前者は演技力がそこそこでも歌唱力があればカバーできるし、ダンスは踊れなくてもなんとかなる。それに対して後者は演技力のほかに、歌って踊ってが求められる。
チェルフィッチュの芝居とブロードウェイのミュージカルを比べてもしかたがないが(笑)、今回のチェルフィッチュの作品が役者にとって通常の芝居よりもハードルが高いのは確かだろう。
日本語を読む その3~ドラマ・リーディング形式による上演~『老花夜想』 

日本語を読む その3~ドラマ・リーディング形式による上演~『老花夜想』 

世田谷パブリックシアター

シアタートラム(東京都)

2010/05/07 (金) ~ 2010/05/09 (日)公演終了

演出という仕事
若手演出家によるドラマ・リーディングの3本目は中屋敷法仁の演出で、太田省吾の作品を。上演時間は約90分。
今回は登場人物が多いこともあり、ほかの2本ではあまり感じられなかった演出の仕事ぶりがちゃんとわかった。一つは戯曲の登場人物12名に対して、役者を8名にしたこと。アフタートークによると、これは戯曲で指定されたものではなく、演出家の判断でそう決めたものだという。登場人物が多いと混乱を招きやすい。観客の理解を助けるという配慮から出演者を8名にするのがベストだと判断したそうだ。
もう一つ、ト書きの扱いについてもほかの2作と違いがあった。役者それぞれが、自分の役について書かれたト書きを基本的には自分でしゃべっていたというのが特徴的。また複数の役に向けてのト書きでは、その複数を演じる役者がユニゾンでト書きを読んでいた。たとえば「AとB、退場」というト書きがあったとすれば、そのト書きをAとBが声をそろえて読むわけだ。いっぽうまた、役者個別のト書きではなく、全体的な状況説明のような場合は、出番が後半にしかない役者が主にそのト書きの読み手を担った。そんな具合で、ト書きの読みにも独特の割り振りがあり、そこにも演出家の創意工夫が感じられた。

アフタートークによると、中屋敷はこの日の午後にトルコからもどったばかりとのこと。イスタンブールで例の蛇使いを上演してきたわけで、考えてみればずいぶん無茶なスケジュールだが、トークによるとリーディングは基本的に稽古を2~3回やっただけで本番に臨むそうなので、だからこういう綱渡り的なことも可能だったのだろう。

太田省吾の作品はこれまでまともに見たことがない。劇団地点がやったのは全テクストからの抜粋だし、晩年の作である「ヤジルシ」は途中で興味をなくして席を立ったのだった。
「老花夜想(ノクターン)」という作品は太田が沈黙劇を始める以前に書いたもの。月食の夜に老いた娼婦の思い出が幻想的に花開く。月が人間に特別な影響を与えるファンタジーといえば「月の輝く夜に」という映画を思い出すが、この作品もそういう系列の物語のようだ。この戯曲は面白かった。

役者では老いた娼婦を演じる内田淳子の演技が飛びぬけてすばらしい。ほかの出演者だって全然悪くないのだが、彼女の演技力はなんだかものすごく特別なものに思える。

日本語を読む その3~ドラマ・リーディング形式による上演~『ポンコツ車と五人の紳士』

日本語を読む その3~ドラマ・リーディング形式による上演~『ポンコツ車と五人の紳士』

世田谷パブリックシアター

シアタートラム(東京都)

2010/05/06 (木) ~ 2010/05/08 (土)公演終了

男優精鋭部隊
若手演出家によるドラマ・リーディング公演の2本目は、柴幸男の演出で、別役実の作品を。上演時間はすっきりと短めの約1時間。
男優5人が車座になって、浮浪者たちの浮世離れした会話が展開する。
戯曲のト書きの部分は、上手にいる演出補の女性がすべてしゃべっていた。きのうの谷賢一の演出による三島作品では、脇の役者のひとりがト書きを読んでいた。ドラマ・リーディングは基本的には役者が台本を読むだけなので、演出といってもそれほど派手なことはやらないのかもしれない。そんな中で、ト書きの扱いは一つのチェックポイントかも。
男優5人は巧者揃い。粕谷吉洋、福士惠二、玉置孝匡、谷川昭一朗、ベンガル。
別役作品ではもともと人物がいくぶん記号的だし、舞台装置も簡略化されていることが多い。今回のリーディングでは小道具や役者の動きがさらに省略されていたが、むしろそちらほうが効果的に思えたくらい。別役実の戯曲はものすごくリーディング向きだ。

日本語を読む その3~ドラマ・リーディング形式による上演~『熱帯樹』

日本語を読む その3~ドラマ・リーディング形式による上演~『熱帯樹』

世田谷パブリックシアター

シアタートラム(東京都)

2010/05/05 (水) ~ 2010/05/08 (土)公演終了

近親相姦・兄妹編
なにしろ三島由紀夫の戯曲「熱帯樹」が初めてだったので、内容的には最後まで飽きることがなかった。偶然だろうけどこの戯曲、5月5日から9日まで、劇団Ort-d.dも池袋のアトリエ・センティオで上演する予定。

出演者は5人(石母田史朗、久世星佳、中村美貴、松浦佐知子、吉見一豊)。役者が台本を手にしてのリーディング公演。これは私だけの感じ方かもしれないが、リーディングの場合は何よりもまず、発声の明晰さを優先してほしいと思う。感情を込めてしゃべることで台詞が聞きづらくなるくらいなら、むしろ棒読みでしゃべったほうがマシ。もちろん聞きとりやすくてなおかつ感情がこもっていればいうことはないのだが。
その意味では、父親役の吉見一豊がよかった。

若手演出家3人によるドラマ・リーディング。その第1弾である今回はdull-colored popの谷賢一が演出を担当。それほど特徴の感じられる演出ではなかった。むしろオーソドックスというか。

間に10分ほどの休憩が入る。正味2時間半の長い作品。

NEXTREAM21 in Rikkoukai vol.9

NEXTREAM21 in Rikkoukai vol.9

NEXTREAM21 in RIKKOUKAI 事務局

六行会ホール(東京都)

2010/04/29 (木) ~ 2010/05/05 (水)公演終了

ゲスト:はむつんサーブ
2002年から毎年、GWに開催されているという創作ダンスのコンテスト。見るのはこれが初めて。というか、このコンテストの存在自体を最近まで知らなかった。踊りのジャンルはいろいろ。出場者15組はすべて初めて見る。プログラムに書かれている数行の紹介文をのぞけば、目の前で行われるダンスが自分に入ってくる情報のすべて。カーテンコールもなく、一組が終わって暗転するとすぐに次の組が踊りだす。10分前後の短い作品だったが、全体的にレベルが高くて、最後まで飽きずに見ることができた。コンテストなのでいちおう審査員がいて(山田うんもその一人)、その結果発表もあったが、受賞者を選ぶことよりも、出場する15組を選ぶほうが大変な作業だろうし、面白い催しだと感じられたのもそちらの選考をした人の功績が大だろうと思う。

HIPHOP系の踊りでは、和風とか東洋風の味付けをしていたのが印象に残る。
バリ島の伝統舞踊をベースにした作品がひとつ、珍しさで目を引いた。機会があれば本場のものも見てみたいと思った。眼球を左右に激しく動かすところでは、目玉の動きも振付の対象だというのがおかしかった。
コスプレ的な雰囲気の作品も多かった。「死神」「魑魅魍魎」といったタイトルや、攻殻機動隊という名前のグループだとか。
歌手のプロモーション・ビデオを彷彿とさせるような、バックダンサーっぽい群舞もいくつかあった。PVの影響って意外と大きいのかもしれない。
抒情性とかポジティブさとか、そういうものをテーマとしている作品が結果的には評価されたようだ。あくまでもコンテストの審査においては、だけど。
個人的な好みで、自分ならどの作品を選ぶかと考えたりもしたが、審査員が選んだものとはかなり違っていた。
このコンテストでは最優秀賞に選ばれると、同年秋にこの会場を4日間無料で使って自分たちの公演を行なえるという特典がある。
今回は作品の長さが10分前後だったので、もし最優秀賞に選ばれて、1時間くらいの長さになった場合、どのグループの作品がいちばん見たいかという基準で考えると、私個人としては「ごく小さな生物-40億倍の世界から覗いてみたら・・・」という作品を踊った「いだくろ」という女性二人組が好みだった。「いだくろ」とは井田亜彩実、黒田なつ子の二人の名前をくっつけたもの。二人の絡み合う動きをミクロの世界の生き物として眺めてほしい。作品のタイトルは観客にそう語っているわけで、最初からそういう見立てへと誘導するところがちょっとユニークな気がしたのだ。

ネタバレBOX

出場15組、また見る機会があるかどうかはわからないけれど、とりあえずグループと作品の名前を記しておく。

刹那舞踊団 「怒」
KAMI-NARI 「LANAG-WADON」
矢島みなみ 「shin-getsu」
chairoiPURIN 「market」
攻殻機動隊 「クロコダイル」
mystique 「grounding」
HIROKO MINION 「Women in the factory」
グレン(Bodypoet) 「pneuma」
AMM 「run」
いだくろ 「ごく小さな生物-40億倍の世界から覗いてみたら・・・」
FLY&STONE 「死神」
Ryo-chan 「魑魅魍魎」
EVOROOTS 「ひかりのしずく」(最優秀賞)
Yoko oh yes! 「Yokoso~!Yoko’s world!」
Caju Caju 「あら あらら あらわ」


アイーダ

アイーダ

劇団四季

電通四季劇場[海](東京都)

2009/10/03 (土) ~ 2010/05/30 (日)公演終了

満足度★★★

久しぶりの四季
四季の公演には複数のキャストがあるので、希望の座席を早めに押さえると当日のキャストがわからないという難点がある。今回は幸い、個人的に文句のない顔ぶれだった。

アイーダ:樋口麻美、ラダメス:渡辺正、アムネリス:鈴木ほのか、ゾーザー:田中廣臣、メレブ:有賀光一

2階席からだと床に当たる照明の効果がものすごく感じられるのがいい。

ネタバレBOX

オペラの「アイーダ」は見たことがないが、大まかな人物や状況の設定はたぶん同じだろう。初めと終わりの部分だけ、現代の美術館が舞台になっている。

アンポテンツ

アンポテンツ

劇団チャリT企画

王子小劇場(東京都)

2010/04/28 (水) ~ 2010/05/02 (日)公演終了

満足度★★★

塀際の門外漢
この劇団を最初に見たのは7年前。あのときはまだ吉本菜穂子が在籍していた。2本見たところで彼女が退団し、そのあと続けて何作か見たあと、しだいに足が遠のいた。なのでやや久しぶりな感じがする今回の観劇。
舞台全体に塀が広がっていて、その手前で話が展開するというのは、かつて「ドウニモタマラナイ」という作品で使っていたアイデア。
出演者の顔ぶれはだいぶ変わったけれど、長岡初菜や小杉美香という私にとっては新顔の劇団員をはじめ、演技のレベルは昔よりも上がった気がする。

「アンポテンツ」というタイトルを見て思い出した話。
昔、テレビの対談で三宅裕司が学生時代のことをしゃべっていた。彼が明治大学の学生だったころがちょうど70年安保をめぐる学生運動の盛んな時期で、周囲では連日デモ隊が安保粉砕を叫んでデモ行進をしていた。落語研究会に入っていた三宅はそうした政治運動に好意をもっておらず、むしろ苦々しく思っていたという。ある日、デモ隊をからかってやろうと思い立ち、デモ隊の「アンポ反対」という掛け声のあとに、「インポ治せ」という合いの手を入れながら、仲間といっしょにデモ隊の横に並んで行進した。「アンポ反対!」「インポ治せ!」「アンポ反対!」「インポ治せ!」・・・そんな息の合ったシュプレヒコールがしばし巷に響いたという。

この芝居でも似たような話がちょこっと出てきたが、要するにアンポとインポという語呂合わせは当時からすでにあったということだ。
とはいえ、この芝居はじかに安保闘争を扱ったものではない。デモ行進からはぐれた3人組のデモ隊は登場するけれど、職と住まいをなくしたホームレスのカップルはどちらかというと、最近の話題である派遣村の若者を連想させる。塀の向こう側ではなにか危険なことが起こっているようすで、塀から連想されるのは今はもうなくなってしまった東西冷戦の象徴であるベルリンの壁。
塀の中央には観音開きの門扉があり、いつ開くかわからない門のそばで待つ人たちがいる。若いカップルはコンドウだかゴンドウだがという人物が門の向こうから現れて仕事を斡旋してくれるのを待っているが、結局芝居の最後まで門は開かない。この辺はベケットの「ゴドーを待ちながら」がモチーフなのかもしれない。また門の向こうに危篤の知り合いがいて、必死に向こう側へ行こうとしている人物には太宰治の「走れメロス」が重なってくる。さらにまた塀には門番がいて、彼と門外の人々とのやりとりからは、隣国に脅威を感じるかどうかという認識の差、そこから生まれる軍事力は要不要かの議論、そんな問題にも触れているようだ。

一つのテーマを掘り下げるというよりは、塀と門のある架空の場所を舞台にして、いくつかのモチーフを重ね合わせた作品だろう。

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