昭和虞美人草
文学座
文学座アトリエ(東京都)
2021/03/09 (火) ~ 2021/03/23 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
大変面白かった。漱石「虞美人草」の人物を70年代に置き換えて、ロック雑誌を作る青年と周囲の女性たちの、世俗にまけずにいかに「真面目」を貫くかを描いた。漱石作品の換骨奪胎が実に見事。「虞美人草」を読んでからいったので、一層楽しめた。藤尾が小野に入れ込む心理も、原作以上に納得できた。
「自分の中の第一義の部分で生きるのが大人」「世界を幸せにするのが本当の大人だ」「悲劇はなぜ人を真面目にするのか」「ここが真面目になるところだ」など、「虞美人草」のエッセンスがどこにあるかが、よくわかった。
「アントニーとクレオパトラ」のNY公演の挿話も、ひねりが効いていて、藤尾の屈折をよく照らしていた。藤尾役の鹿野真央が、女王様然とした表面の奥の悔しさ寂しさをよく示して好演。糸子役の平体まひろは、同じマキノノゾミの「東京原子核クラブ」に続いて良かった。70年代を直接生きたわけではないが、フォークソング「結婚しようよ」は個人的に懐かしく、嬉しかった。
クラシックな家具と、重厚な本たちに囲まれた書斎の美術が象徴するように、大変古典的ともいえるスマートで洒落た舞台であった。
岬のマヨイガ
特定非営利活動法人 いわてアートサポートセンター
東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)
2021/03/17 (水) ~ 2021/03/21 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
震災で大事なものを失った人たちの、気丈な姿を見ているだけで涙腺がゆるくなってしまう。t血縁のない三人の女性が、遠野のもののけたちの力をかりて、赤目と海ヘビから岬の人たちを守る物語。もののけたちの人形の造形や動きが素晴らしい。影絵も見事で、視覚効果に秀でていた。「私たちは大事なものはいまみんなあるから大丈夫。でもここの人たちは本当はこんなに大事なものをなくしていたんだ。それなのに私たちを助けてくれたんだ」の言葉が心に響いた。
竹下景子のおばあさんの昔話も味わいがあった。昔話のような座敷童やお地蔵さんも現れて、不思議なできごとが起きるお芝居にぴったりだった。
岸辺の亀とクラゲ-jellyfish-
ウォーキング・スタッフ
シアター711(東京都)
2021/03/06 (土) ~ 2021/03/14 (日)公演終了
満足度★★★★
万引きした女(白勢未生)と、映像関係のひも男(若杉宏二)他の脇役が良かった。部屋の住人である女性教師(南沢奈央)の都合はお構いなしに、自分の話ばかりして教師を振り回す。それでいて愛嬌があって、無碍にできない。「でてって」と言われれも全然平気なふてぶてしさ。で、ドラマを引っ張っていた。
とは言え、主役の南沢のオーラがあればこその舞台でもある。彼女の輝きがないと、2時間付き合うのは辛いだろう。特にまだ事件の始まらない前半は特に。
「岸辺のアルバム」をオマージュしたというだけあって、多摩川沿いに住む幸福な恋人たちの生活が、もろくも崩れていく展開。予期せぬ乱入者たちによってと思っていたら、意外にも女教師にもかつて教え子の進学希望を潰した黒い過去が明らかになる。エゴむき出しの教師の素顔。この落差が見事で、荒んだ生活のラストの南沢奈央は全然別人で「あれは教え子の方かな」と思ってしまった。
藪原検校 やぶはらけんぎょう
パルコ・プロデュース
PARCO劇場(東京都)
2021/02/10 (水) ~ 2021/03/07 (日)公演終了
満足度★★★
江戸時代の盲人の悪の一代記を、津軽三味線風ギターと、渋い弾き語りで演じる井上ひさしの傑作。今回は現代の汚れたガレージ街(渋谷をイメージしたらし)をバックに、エレキギター(益田ドッシュ)、川平慈英のDJ風弾き語りに換えた。それはいいとして、戯曲にある社会批判が弱まった。藪原検校(市川猿之助)の最期が、権力が民衆を踊らせるための生贄という恐ろしいアイロニーでなく、ただの悪の破滅になってしまった。
なぜかというと、「朝日」で大笹吉雄氏も書いていたが、塙保己市(三宅健)の存在感が小さかったことが大きい。しかも、松平定信(みのすけ)に藪原検校の処刑を進言する塙保己市の肝心かなめのところをカットしている。また、死んだと思われていたのに何度も蘇って、藪原検校に執着するお市(松雪泰子)も出てきたかと思うと、すぐ消えてしまう。もっとたっぷり藪原を苦しめないと、女の執念と藪原の業の印象が弱まる。
いとしの儚
劇団扉座
ザ・スズナリ(東京都)
2021/03/06 (土) ~ 2021/03/14 (日)公演終了
満足度★★★
前半は大袈裟な物言いや伝奇的設定についていけなかったが、後半、賭博に狂って儚さえも賭けてしまうあたりからよかった。博徒の業の深さ、愚かさと、儚の無垢なひたむきさが、不純物を捨て去った末に、浄化の悲しきも美しいラストを迎える。
鈴に儚が更生を説く場面は、ラスコーリニコフとソーニャのようであり、サイコロ勝負で自滅するのは、「賭博者」のよう。恋が水になる美女とは、人魚姫のようであった。
一両とか百両とか、何かと思ったら、この劇は明治以前の時代の設定。ただ衣装も小道具も現代なので、最初分からなかった。前近代の鬼や生まれ変わりが信じられた時代を背景とするということがわかれば、ストーリーもっとスムーズに馴染めるだろう。
儚役の藤間爽子さんが粗暴な幼児期からマリアのような少女期までを、演じ分けて、最後に真の強さまで見せてよかった。博打・鈴次郎の荒井淳史は出ずっぱりを熱演。ライバルのゾロ政…七味まゆ味さん、鬼の荒川シンペーが脇で光った。
開幕とともに穴だらけの白いビニールカーテンで舞台を前後に仕切って、ばめんにばめん重層的にし、ラストでカーテンを取っ払って、主演の二人を美しく照らした美術も工夫されていた。
日本人のへそ
こまつ座
紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)
2021/03/06 (土) ~ 2021/03/28 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
60年代末の若さと闘争と性欲と…不定形のエネルギーを体現したような戯曲を見事に今日に生かした舞台だった。ただ舞台が猥雑であればあるほど、下り坂の現代の観客とはずれが起きる。これは今回含め、2010年以降の「日本人のへそ」しか見ていない私の実感。70年代はもっと客席も活気があって、第一部の下ネタギャグの連発に笑ったのだろうか。演じるのは非常に難しい作品だと、特に2010年のテアトル・エコーの見事に空回りした舞台を見て思った。
しかし後半第二幕のレズカップル、ホモたちの誘いのところは笑わせる。この同性愛ギャグは非常にうまい。でも井上ひさしには珍しい。一幕にストリッパー、異性愛のエロスと対照的。作り自体、歌たっぷりのミュージカル仕立ての一幕と、セリフ劇に徹した推理劇のような二幕と、2つ芝居を見たような充実度だ。
たっぷりの趣向は井上ひさしの原点であり、それまでの蓄積をぶちまけたような感じ。評伝劇、香具師の口上、風刺、弱者のルサンチマンなど、後年の傑作群につながるものも多々ある。
俳優も二幕がいい。小池栄子の代議士の妾の和服姿、朝海の秘書役のメリハリをつけた演技、井上芳雄の男にモテる焦りぶり。一幕のストリッパーを演じた女優陣の度胸も良かった。小池栄子のソロ舞台は、父に犯された過去の哀切ふくめ、上品なエロスで惚れ惚れした。
花樟の女
Pカンパニー
座・高円寺1(東京都)
2021/03/03 (水) ~ 2021/03/07 (日)公演終了
満足度★★★
評伝劇としては、真杉静枝がどのように生きたかはわかるが、なぜそのように生きたかを掘り下げるに至らなかった。松本紀保(松たか子の姉)は、静枝の喜怒哀楽と意地をよく演じて、さすがの貫禄を示した。しかし静枝が次々男を乗り換えたのはなぜか、逆に言えば男たちにモテたのはなぜか、戦後、慈善活動や被爆者乙女救済に力を注いだのは何故か、わからなかった。特に中山義秀が結婚後は静枝をじゃけんに扱うように変わってしまうが、何故なのだろう。
女だから、植民地台湾出身だからというのが後付けの理由のように見えた。
石原燃の新作に大変期待していたのだが、今回はあまりいい観客になれず、残念。
たぬきと狸とタヌキ
トム・プロジェクト
シアターX(東京都)
2021/03/08 (月) ~ 2021/03/12 (金)公演終了
満足度★★★★
母だぬきの岡本麗が緩急自在の演技で見事。優しいヘルパーだぬきの榊原郁恵も明るい雰囲気で良かった。終始笑いが絶えないホームコメディだ。最後に思いがけない深刻なドラマがあり、どうなることかと思っていても、どこか安心して見ていられた。
節目節目にのどかなナレーションが入る。「優しいたぬきは…」「五匹の動物は狼のおかげで出会えたのかもしれないと思いました」などなど。
変だなーと思っていると、これが絵本作家の娘だぬき(小林美江)の書いた絵本とわかる。自分の家族の揉め事をほんわか絵本にしたのだと。そう言われて、もう一度ナレーションを聞き直したくなった。休憩なし100分
帰還不能点【3/13・14@AI・HALL】
劇団チョコレートケーキ
東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)
2021/02/19 (金) ~ 2021/02/28 (日)公演終了
満足度★★★★★
日中戦争から日米開戦まで、どこで選択を誤ったのかを検証していく。珍しい知的社会派エンターテインメントといえる。歴史の検証を楽しく見せた戯曲・演出・俳優の軽妙な演技は素晴らしいものである。近衛文麿の目印をえんじ色のたすき(勲章?)に、松岡洋右は帽子を目印に、歴史上の人物を違った役者(登場人物)が入れ替わり立ち代わりして演じる。おかげで変化が生まれて全く飽きなかった。ただ、近衛文麿と松岡洋右の責任が大きいとするのはどうか? わかりやすいが、零れ落ちるものも多い気がする。ただ、東条英機を主犯のように扱う俗論ではなく、一つの歴史の見方として説得力があった。自分でも調べてみたい。
加藤陽子『とめられなかった戦争』と日中戦争と日米開戦はダブルが、その途中、日独伊三国同盟や南仏印進出はあまり考えていなかったので、ここは発見であった。
加藤陽子は満州事変までさかのぼっているし、わたしがかつてこの問題で記事を担当したときは対華21か条の要求までさかのぼった。日露戦争の勝利や、明治維新にまでさかのぼる人もいる。奥の深い問題だが、あまり「歴史の必然」ばかり考えると、ありえた別の道が見えなくなるのは注意。
1941年の「総力戦研究所」の模擬内閣は史実。そこに注目した発想が面白い。その史実から発想して、日中戦争からの歴史の検証に広げたのが古川健氏の工夫である。
子午線の祀り
世田谷パブリックシアター
KAAT神奈川芸術劇場・ホール(神奈川県)
2021/02/21 (日) ~ 2021/02/27 (土)公演終了
満足度★★★★
従来よりも上演時間を短くし(休憩込み3時間)た。カットは役にも及び、出演者を31人から17人にしたという。全文上演は4時間半。これまで多少カットしても4時間近かったことから大幅にスリムにした。スピーディーでありつつ、テーマもクリアになってよかった。非情な天の動きは「人の世の営みとはかかわりもないこと」なのか、という知盛の問いに対し、影身が関係ないとはいわず、ただ「非情なものに、しかと眼をお据えください」というせりふの微妙なニュアンスがよくわかった。
舞台中央に傾斜した三日月形の高い舞台を作り、その中央の空間を、時に船内に、時に海面にと、いろいろに見立てた。冒頭のナレーションから影身(若村真由美)はずっと後ろ姿で舞台に立っているし、三幕ではずっと、背景にろうそく?を持った影身の姿が見える。四幕の合戦では、中央の知盛(野村萬斎)の後ろに背後霊のように民部(村田雄浩)がずっといる。公演プログラムのインタビューで、萬斎が影身と民部の存在感を高めたいと述べていたが、それをわかりやすく示した演出だった。宗盛(河原崎国太郎)の無能な善人ぶりもクリアで、彼のだめぶりの場面では必ず笑いが起こった。「子午線の祀り」の笑いは貴重である。
知盛はハムレット、対する源義経(成河)はドン・キホーテである。平家方の知盛―民部の主従・対立関係と、源氏の義経―景時(吉見一豊)の関係が対比されている構造もよく分かった。戯曲をスリム化した効果だと思う。
この作品を見るたび、結局、人間は自然の法則・歴史の法則には逆らえないのかという諦念を感じ、作者の意図をどう受け取めればいいのか困ってしまう。今回も一層そう思った。
マニラ瑞穂記
新国立劇場演劇研修所
新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)
2021/02/19 (金) ~ 2021/02/24 (水)公演終了
満足度★★★★
前半でまず状況と人物を立ち上げて、後半になって事件が次々起きて面白くなる。フィリピン独立派がアメリカ軍に敗れた1898年のマニラが、戦後の焼け野原の東京と重なるようなセリフがある。「日本人は熱狂するのが好きで、言葉に酔いやすい」「金だけじゃない、文化も何もかも敗れたんだ」等と。若いアメリカ兵にすがる日本人女性など、戦後のパンパンを思わない人はいないだろう。
第三場の領事館に場面変わって、さらに舞台の深みがます。カラユキさんの女性5人のなかに二人、男性登場人物と片思い関係にあるところなど、「かもめ」っぽい。前半ではその気配がなかったが、男女の出る芝居なんだから当然恋が芽生えなければ。ただあまりロマンスが膨らまず、それぞれ袖にされるのはもったいない。
女衒の秋岡(田畑祐馬)を、独立派義勇兵の梶川(今井公平)がアメリカ軍に密告する。梶川は女たちに「あんたたちは奴隷にされているんだ。さあ、逃げろ。自由になるんだ」とけしかけるが、逆に女たちは秋岡といっしょにいることを選ぶ。家族からも社会からも見捨てられた自分たちが、頼りになるのはこの男だけというわけである。この人間感情の複雑さが薄っぺらな正義を跳ね返すところが面白い。
さらに中尉と決闘して勝った秋岡が「自分は生まれ変わる。お前たちはどこでも行け」というのに対し、女たちが「私たちは仲間じゃ」「自分だけ人間のつもりだったのか「裏切りもんは突き飛ばせ、売り飛ばせ」と攻め立てる。ここでは先の秋岡頼りからさらに女衒と女たちの関係を深く掘り下げて、男が女に縛られている構図を浮かび上がらせる。女衒と女たちの共依存というべきか。
秋岡が決闘の時に「なん百何戦の女たちの声が聞こえる」と言っていたが、この5人の女が責めさいなむ声こそ、秋岡の頭の中でなっていたものが現前したものだろう。
劇場で旧知の俳優が「ああいう女衒や女たちを国家が利用しながら、踏みつぶしていったことを、秋元は見据えて書いている」と語っていた。そういうこともあるかもしれない。
女優陣がしり上がりによくなっていったのに圧倒された。のんだくれのいち(伊藤麗)がよかった。秋岡の薩摩弁(?)も見事。ただ、客席の第一列で見たせいか、男優たちは声が概して大きすぎてせりふ回しが固いように感じた。感情よりも理屈をいろいろ考えさせられた芝居だった。前半60分、休憩20分、後半80分。合計2時間40分
鮮かな朝
秋田雨雀・土方与志記念 青年劇場
青年劇場スタジオ結(YUI) (東京都)
2021/02/10 (水) ~ 2021/02/21 (日)公演終了
満足度★★★★
女性による女性の悲しみを描いた70分の中編。タイトルには「朝鮮」が隠されており、慰安婦問題、日本の在日差別がメインテーマである。小学校の校庭の砂場(4スミを吊り上げることの出来る朝鮮のつぎはぎの白い布=ポシャギ=でできている)だけのシンプルな装置。戦争中に同級生だった朝鮮人の少女二人が、アイコ(五嶋佑菜)は戦後帰国の船が沈んで亡霊になり、ノブコ(蒔田祐子)は日本に残って年を重ねていく。同じ砂場で戦後育った日本人の少女三人。この三人が大人になり、それぞれの女性としての苦しみを吐露するところから、がぜん引き込まれる。
幸せな結婚をしているように見えた孝子(武智香織)は、実は子供はまだかと姑にせっつかれたあげく、せっかく妊娠したと思ったら、病院の誤診で子宮切除され、子供が出来なくなていった。姑が、その病院へ行けと言ったのに、今は姑は医療事故に遭ったのは嫁が悪いとせめる。夫は知らん顔である。友人が「訴訟するんでしょ」といっても、「わざと贅沢な病院に行くから、と周りからどういう目で見られるか」と断る。
里子(岡本有紀)は高校生時代にレイプされたことを隠し、建設業の夫を持ち裕福な暮らしをしている。実は彼女は、朝鮮人の子。先述の二人の朝鮮人少女の同級生が産み落とし、日本人に拾われたのであるが、本人は知らない。
かつてレイプされた時に助けてくれた朝鮮人老婆・ノブコと再会するが、女は「再開発の邪魔だから、立ち退いて朝鮮に帰ってくれ」とひどいことをいう。老女は女の出自を知っていて、近くでずっと見守ってきたのだが、本当のことを言うことはできない。どんな苦しみ・修羅場を生むかわからないのだから。でも亡霊の少女いう「知らないことは罪だよ」と。
戯曲は93年に書かれた。91年に韓国の元慰安婦当事者が初めて名乗り出たことがモチーフにある。戯曲は後半の作りが非常に緊密で、多くの問題を考えさせる。そのシンプルさをストイックな舞台に仕上げて、男の「罪」(不作為の罪も含め)を突きつけられるような思いがした
オペラ『森は生きている』
オペラシアターこんにゃく座
世田谷パブリックシアター(東京都)
2021/02/19 (金) ~ 2021/02/24 (水)公演終了
満足度★★★★★
有名だが見たことはなかった「森は生きている」。しかも林光のオペラ版の新演出。期待にたがわぬいい舞台だった。前半・第一幕はスローテンポで話が進み、音楽も現代音楽風の響きと旋律で盛り上がりを抑え気味。薪拾いに生かされる継娘(鈴木裕加)、農夫出身の兵士(大石哲史)、12月の精たち、という森の人々が出る。からす(泉敦史)と、うさぎと、リスの追いかけっこも(子供が楽しめる場面)。宮廷に場面は移って、「シャクホウより短いから」と「シケイ」を言い渡す怖ーいわがままな女王(熊谷みさと)が、「大晦日に(春に咲く)マツユキ草をカゴいっぱい持ってきたら、カゴいっぱいの金貨を褒美にやる」という気まぐれなお触れ。それを知ったおっかさん(斎藤路都)と姉娘(沖まどか)が継娘を、厳寒の森にマツユキ草とりを言いつける。
後半は、物語が一気に加速し、音楽も一気に親しみやすく、盛り上がる場面が続く。音楽は、オペラ化以前の劇中曲がそのまま使ってあるそうだ。12の月の精たちが1月から2月の嵐へ(精たちの動きが秀逸)3月から、一気に4月になって、舞台一面にマツユキ草が咲き乱れる演出は華やかで驚きがあった。
場面変わって宮廷。舞踏会の場面も華やかさとコミカルさがあり、おっかさんと姉娘が女王に「どこでマツユキ草をとって来たか話しなさい」と詰められて、大雪の中を森の奥の不思議な湖で、とその場しのぎの出鱈目を真剣に映じるのもおかしかった。
女王一行の森へ行くそりのスピード、カーブ、勢い。継娘の「指環よ転がれ」の長めの呪文はハイライト、大変光った。第一幕では耳打ちだったので、言葉は分からず、オケだけで予告してあった。森の精たちが季節を変えてみせて女王を懲らしめるのがまた、盛り上がる場面。転じて、女王たち3人(博士と兵士)が森に迷子になり「三人乗った難破船」とよたよたさまよう歌も哀れでおかしい。こうしたローテンションが、人間の信頼と森の讃歌を歌い上げるフィナーレを際立たせる。「これまで取ってきた以上のものを森から取らない」という姿勢は、気候変動の危機に立つ現代に通じるメッセージだ。
12人で全ての役をとっかえひっかえ演じて、面白い。森の精の人数が場面場面で変わっても(しかも最初とラストをのぞけば、最大11人で一人足りないのだが)全然気にならない。
12の月の精たちが、色違いの裾長の衣装と冠で季節を示し、女王が金ピカの衣装で、娘がみすぼらしい服から最後は白銀の衣装にかわり新しい人生の門出を示す。動物たちの扮装も、その特徴を示しつつ、やりすぎず品があった。美術、衣装、演出、音楽、歌があいまってよかった。
就学前や小学生の子供連れの観客も多く、子供が集中してみていたのも感心した。大人も子供も楽しめる、とは言うは易く行うは難し。カーテンコール後、4歳くらいの女の子がピットに駆け寄って、桶メンバーに手を振ってた。ほほえましい。休憩15分込み2時間35分(前半60分、後半80分)
タイトル、拒絶【2月4日、5日、6日の夜公演のみ中止】
ロ字ック
本多劇場(東京都)
2021/02/04 (木) ~ 2021/02/10 (水)公演終了
満足度★★★★★
デリヘル(風俗店)のデリヘル嬢たち、店のマネージャーの表面仲よさそうで、実は内に秘めた侮蔑意識や屈託を描いた。まだ36で、初演の時28だった作・演出の山田佳奈の力量に感心した。語り手的存在のカノウ(木竜麻生)は、デリヘル嬢志望だったが初仕事で逃げ出して、そのまま雑用係として働いている。かわいくて売れっ子のマヒル(小島梨里杏)の、いつもケラケラ笑っているが、実は心に誰よりも大きな空洞を抱えている内面が次第に明らかになってくる。
マヒルがビルの屋上で、子持ちの姉に金を貸す2度の場面から、それが明らかになっていく。少女時代に母の男から性的暴行を受けていたという設定はあるあるだが、小島の虚ろな明るさを漂わせる演技が光っていた。
ブスの新人(信川清純)のとんちんかんな反応と、彼女の客への乱暴な対応が巻き起こす騒動が笑いをうんで、これが一番盛り上がった。ただ、この時、最後に入ってきたマヒルの錯乱はなぜだったのか。積もり積もった心の矛盾の爆発ということだろうが、あまりはっきりしなかった。
孤高のトシマ風俗嬢の美保純、マネージャー役の後藤剛範、美人なのに可愛げのない新人の田野優花、いつも本を読んでいるけど実は風俗の仕事もするチカ演ずる川添野愛、おしゃべりし通しのくせに、接客がずさんで客からはクレームばかり、最後にはブチギレて店に火を付けそうにあんるアツコ演じた安藤聖等々、戯曲も俳優陣もしっかりキャラが立って存在感があって素晴らしかった。
カノウが最後に失恋して泣くのだが、ボーっと見ていたせいか、彼女がその男に恋しているというのが、それまで全然わからなかった。
堕ち潮
TRASHMASTERS
座・高円寺1(東京都)
2021/02/04 (木) ~ 2021/02/14 (日)公演終了
満足度★★★★
親世代と子世代、夫婦の間、嫁と姑、借金地獄など家族間の軋轢を、保守一族に対する、若い革新世代の反乱にまとめた。役者たちがどないあい、泣き叫ぶ熱と圧がすごい。でも、観終わってみると、意外と爽やかな気分で終わった。
激しく議論がぶつかり合うのはいつものトラッシュ節なのだが、どこか距離を取ってみられたのは、なぜだろうか。保守で選挙のためには金もばら撒くワル爺さんにも、可愛げが感じられ、悪人はいない。中津留氏の大分の実家がモチーフになっているそうなので、登場人物への愛情が根底に流れている気がした。そう言えば、永井愛も思春期は明治女の祖母との闘いに明け暮れたそうだが、祖母をモデルにした芝居「見よ、飛行機の高く飛べるを」は、愛らしい少女時代の話でさわやかな青春ドラマだった。
広い家の間取りをキッチンから大広間まで作った舞台セットは間口八間もあった。横長のこの舞台が、家族の芝居のリアリティーを支えていてよかった。
キオスク【東京公演一部中止】
兵庫県立芸術文化センター/キューブ
東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)
2021/02/11 (木) ~ 2021/02/21 (日)公演終了
満足度★★★★★
前半はまだテーマがわかりにくいのだが、後半にナチス支配が確立した中、それぞれの登場人物の選択が胸を打つ。いい芝居だった。フランツ(林翔太)とアネシュカ(上西星来)の2回のデートシーン(スピーディーで大胆で楽しそう)や、フランツがゲシュタポ本部にお百度踏む場面など、演劇的省略と早回し的動きでを圧縮してみせ、印象に残った。上西星来が演じる奔放なボヘミア少女がよかった。青春の夢と儚(はかな)さを体現していた。
最初は湖のある故郷から都会に出て恋を知るフランツの生活がメイン。ナチスの台頭や、ユダヤ人への嫌がらせは点描に過ぎない。後半になって、オーストリアが合併されると、キオスク店主のトゥルスニエク(橋本さとし)がゲシュタポに連れ去られ、フランツ一人が時代の激流の中に残される。そんな中、フロイト(山路和弘)との会話、それに背中を押されたフランツの「愚行」が胸に染みる。
フランツの1937年晩夏から翌年6月までの1年足らずの体験だと知ると、悪気流の加速の激しさ、彼の成長の速さにめまいがする。キオスクの店のセットの上に、何度も故郷の山と湖を描いた背景画が掲げられる。何か意味があるのだろう。セットが示す二重性は、故郷の母とフランツが常に絵葉書をやり取りすることともつうじている。日々の出来事を書くだけのたわいもないはがきだったのが、最後は、母を心配させないために嘘を書く。でも、母はフランツに危険が迫る直前、湖畔に大きなかぎ十字を幻視して、予感する。
前半65分、休憩15分、後半90分(計2時間50分)だが長さを感じなかった。特に後半。
モンティ・パイソンのSPAMALOT
エイベックス・エンタテインメント
東京建物 Brillia HALL(東京都)
2021/01/18 (月) ~ 2021/02/14 (日)公演終了
満足度★★★★
なるほど、基本はボケとツッコミだが、「ゴドー」や別役のような会話がすれ違う不条理の笑いにも通じる。最近の芝居の笑いは、リアクション芸で笑わせるのが多いのだが、言葉・台本でしっかり笑わせるところはさすがである。放蕩息子を部屋に軟禁する領主と、護衛の二人組のナンセンスなやりとりが一番笑えた。
ほかにも、劇場は若い女性客の笑いが絶えなかった。新妻聖子の自虐ソングも、歌詞がとにかくおかしい。ヘンナ歌詞を大真面目にソロ、デュエットで歌い、そのギャップがおかしかった。とくに「オペラ座の怪人」のパロディーは傑作。
モンティ・パイソンの名はケラのインタビューで初めて知った。中学生の頃から好きで、その笑いに影響を受けたというし、コロナ禍の中で配信したコント風の舞台でもオマージュがそこかしこにあると。そこで、この機会に見てみた。
Oslo(オスロ)【宮城公演中止】
フジテレビジョン/産経新聞社/サンライズプロモーション東京
新国立劇場 中劇場(東京都)
2021/02/06 (土) ~ 2021/02/23 (火)公演終了
満足度★★★★
全64場とプログラムに書いてあって、そんなに次々場面が変わるのかと驚いた。でも見ていると、そうした目まぐるしさはあまり感じない。ノルウエーの外交官夫婦が仲介した、パレスチナ(PLO)とイスラエルの極秘の和平交渉を、瑣末な議論に深入りせず、あくまで芝居としてわかりやすくメリハリつけて見せたところが、最大の成果であろう。和平交渉という硬い題材ながら、知的な議論の正確さより、感情的なうねりを重視した芝居だった。
冒頭でPLOとイスラエルの両方からの電話を、夫婦がとって、仲介する場面から始めて、なぜこんなことになったのかと、さかのぼって事の発端から始める物語の構成にも、その工夫は見られる。しかし、何よりもの力は配役の妙にある。いちいち名前は上げないが、脇を固めるベテランたちの、役作りがすばらしい。老練な政治家たちの、虚々実々の駆け引きと、うちから滲む人間的な魅力と真情にひきこまれた。
地熱
劇団民藝
紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)
2021/02/06 (土) ~ 2021/02/14 (日)公演終了
満足度★★★★★
三好十郎の隠れた秀作を、老舗劇団が中堅・若手俳優陣を中心に、現代の観客に訴える笑えて泣ける感動的な舞台を作った。すばらしい。父親が死んで手放した田地を取り戻すという「夢」=カネを追い求めるあまり、人間の愛や情けを忘れてしまった留吉を神敏将が好演。留吉に思いを寄せる香代(飯野遠)も、抑えた心情がいじらしくたまらなかった。ふたりが結ばれる、素っ気無さの中に真情のこもるラストは(甘いとか、出来すぎという人がいたとしても)よかった。ひさびさに目頭が熱くなった。
労働者の連帯ともろさ、単行の過酷な労働、金が人を卑しくしてしまう現実、農村の古い人間関係と金絡みの駆け引きのずるさ、大きなカネが小さなカネを飲み込んでいく資本主義の冷酷さ、いまならDVともいえる夫婦関係等々、社会の現実をたっぷり描き込んでいる。プロレタリア演劇の流れを汲むとともに、市井の人情もの的な喜怒哀楽もしっかり描いている。三好の戯曲はリアリズム演劇として水準が高い。
実はこの芝居、男は実は女に動かされている、という「妹の力」が浮かび上がる形になっている。乱暴な山師の男を演じた齊藤尊史が、真に迫る演技で、影の功労者である。
全5場あるが、最初2場と最後は九州の炭鉱町が舞台で香代が主役、3,4場は信州で留吉が主役という、分裂とも取れる異例の形式である。しかし全体を通して、人間の「美しさ」、再出発の希望がぐっと浮かび上がってくる。破格の作劇法も、この感動のためなら許されよう。荒れ地をイメージしつつ、舞台美術、要所要所で証明がドラマを助ける演出も、メリハリが付いて良かった。
墓場なき死者
オフィスコットーネ
駅前劇場(東京都)
2021/01/31 (日) ~ 2021/02/11 (木)公演終了
満足度★★★★★
第一場はレジスタンスたちが監禁された部屋。拷問への恐れに震えつつ、励まし合っている。第二場はビシー政権側の民兵たちの部屋。抵抗側の医学生アンリを出してきて、拷問を始める。この拷問シーンが生々しく、痛みがこちらにも伝わってくるようで、つらいのに目を離せない。もちろん演技なのだが、アンリの苦悶の表情、叫び、拷問者の相手を屈服させることに喜びを見出すサディスティクな冷徹さ。凄かった。映画「小林多喜二」の拷問シーンが有名だが、今回は生で見る芝居ならではの体験だった。
後半の第3場になって、レジスタンスのメンバー同士で猜疑心が起こり、しゃべってしまいそうな15歳の少年を首を絞めて殺す。これは極端な出来事のように見えて、ここまでの積み重ね結果として、意外と無理がない。演技の説得力というより状況の必然である。どうせみんな銃殺されるのだから。ただ、拷問で手首を砕かれたアンリが少年の首を絞めるのは、拷問のダメージと反しているようで、そこは疑問だった。
なんのために戦っているのか、双方とも大義は語られず、ただ追い詰められて殺し殺されていくだけである。戦争に英雄はいない。皆が歪み、人間性を失っていくということだろうか。
自尊心のために耐える。自尊心のために少年を殺した。と、自尊心がキーワードなのだが、この言葉にあまり切実さをかんじなかった。ちっぽけな自尊心など太刀打ちできない、もっと何か大きなものが問われる極限状況なのではないか。それを実存と名付ければ、そういう気もする。