Takashi Kitamuraの観てきた!クチコミ一覧

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いとしの儚

いとしの儚

劇団扉座

ザ・スズナリ(東京都)

2021/03/06 (土) ~ 2021/03/14 (日)公演終了

満足度★★★

前半は大袈裟な物言いや伝奇的設定についていけなかったが、後半、賭博に狂って儚さえも賭けてしまうあたりからよかった。博徒の業の深さ、愚かさと、儚の無垢なひたむきさが、不純物を捨て去った末に、浄化の悲しきも美しいラストを迎える。

鈴に儚が更生を説く場面は、ラスコーリニコフとソーニャのようであり、サイコロ勝負で自滅するのは、「賭博者」のよう。恋が水になる美女とは、人魚姫のようであった。

一両とか百両とか、何かと思ったら、この劇は明治以前の時代の設定。ただ衣装も小道具も現代なので、最初分からなかった。前近代の鬼や生まれ変わりが信じられた時代を背景とするということがわかれば、ストーリーもっとスムーズに馴染めるだろう。

儚役の藤間爽子さんが粗暴な幼児期からマリアのような少女期までを、演じ分けて、最後に真の強さまで見せてよかった。博打・鈴次郎の荒井淳史は出ずっぱりを熱演。ライバルのゾロ政…七味まゆ味さん、鬼の荒川シンペーが脇で光った。

開幕とともに穴だらけの白いビニールカーテンで舞台を前後に仕切って、ばめんにばめん重層的にし、ラストでカーテンを取っ払って、主演の二人を美しく照らした美術も工夫されていた。

ネタバレBOX

「水にはならない」と言って、花びらになるラストは、幻のような美しさであった。
日本人のへそ

日本人のへそ

こまつ座

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2021/03/06 (土) ~ 2021/03/28 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

60年代末の若さと闘争と性欲と…不定形のエネルギーを体現したような戯曲を見事に今日に生かした舞台だった。ただ舞台が猥雑であればあるほど、下り坂の現代の観客とはずれが起きる。これは今回含め、2010年以降の「日本人のへそ」しか見ていない私の実感。70年代はもっと客席も活気があって、第一部の下ネタギャグの連発に笑ったのだろうか。演じるのは非常に難しい作品だと、特に2010年のテアトル・エコーの見事に空回りした舞台を見て思った。

しかし後半第二幕のレズカップル、ホモたちの誘いのところは笑わせる。この同性愛ギャグは非常にうまい。でも井上ひさしには珍しい。一幕にストリッパー、異性愛のエロスと対照的。作り自体、歌たっぷりのミュージカル仕立ての一幕と、セリフ劇に徹した推理劇のような二幕と、2つ芝居を見たような充実度だ。

たっぷりの趣向は井上ひさしの原点であり、それまでの蓄積をぶちまけたような感じ。評伝劇、香具師の口上、風刺、弱者のルサンチマンなど、後年の傑作群につながるものも多々ある。

俳優も二幕がいい。小池栄子の代議士の妾の和服姿、朝海の秘書役のメリハリをつけた演技、井上芳雄の男にモテる焦りぶり。一幕のストリッパーを演じた女優陣の度胸も良かった。小池栄子のソロ舞台は、父に犯された過去の哀切ふくめ、上品なエロスで惚れ惚れした。

花樟の女

花樟の女

Pカンパニー

座・高円寺1(東京都)

2021/03/03 (水) ~ 2021/03/07 (日)公演終了

満足度★★★

評伝劇としては、真杉静枝がどのように生きたかはわかるが、なぜそのように生きたかを掘り下げるに至らなかった。松本紀保(松たか子の姉)は、静枝の喜怒哀楽と意地をよく演じて、さすがの貫禄を示した。しかし静枝が次々男を乗り換えたのはなぜか、逆に言えば男たちにモテたのはなぜか、戦後、慈善活動や被爆者乙女救済に力を注いだのは何故か、わからなかった。特に中山義秀が結婚後は静枝をじゃけんに扱うように変わってしまうが、何故なのだろう。
女だから、植民地台湾出身だからというのが後付けの理由のように見えた。
石原燃の新作に大変期待していたのだが、今回はあまりいい観客になれず、残念。

たぬきと狸とタヌキ

たぬきと狸とタヌキ

トム・プロジェクト

シアターX(東京都)

2021/03/08 (月) ~ 2021/03/12 (金)公演終了

満足度★★★★

母だぬきの岡本麗が緩急自在の演技で見事。優しいヘルパーだぬきの榊原郁恵も明るい雰囲気で良かった。終始笑いが絶えないホームコメディだ。最後に思いがけない深刻なドラマがあり、どうなることかと思っていても、どこか安心して見ていられた。
節目節目にのどかなナレーションが入る。「優しいたぬきは…」「五匹の動物は狼のおかげで出会えたのかもしれないと思いました」などなど。
変だなーと思っていると、これが絵本作家の娘だぬき(小林美江)の書いた絵本とわかる。自分の家族の揉め事をほんわか絵本にしたのだと。そう言われて、もう一度ナレーションを聞き直したくなった。休憩なし100分

ネタバレBOX

この芝居、実は大きな企みが隠れている。歩けない老いた母と、喋れない(自閉症?)の中年息子(カゴシマジロー)思っていると、実は生活保護をもらうための芝居。もう何年もやっているらしい。不正受給はやめさせて、自分が面倒を見ようと娘が久々に帰ってきた。
さらに、死んだ父親の残した本の間からヘルパーさんの娘時代の写真が出てきてさあ大変。ヘルパーさんとその母をこの父親が捨てて、母ダヌキと世帯を持ったという過去が明らかに。
ただし、この件、展開が意外すぎてしばしついていけなかった。ご近所コメディのリアリティを逸脱しているのは考えもの。でなければ、きちんと伏線が欲しい。例えば、最後にボケた母だぬきとヘルパーダヌキが「同じ岡崎ですね」と挨拶するが、これが最初の方にあれば、違ったと思う。
最後にもう一つ、歩けないふりしていた母が、本当に歩けなくなる(と、思いこむ)。アルツハイマーが進行していたことを息子が言い出しかねていたというオチまで。
絵本作家の編集担当という生津徹がボケ役で、また別種の笑いを添えていた。
帰還不能点【3/13・14@AI・HALL】

帰還不能点【3/13・14@AI・HALL】

劇団チョコレートケーキ

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2021/02/19 (金) ~ 2021/02/28 (日)公演終了

満足度★★★★★

日中戦争から日米開戦まで、どこで選択を誤ったのかを検証していく。珍しい知的社会派エンターテインメントといえる。歴史の検証を楽しく見せた戯曲・演出・俳優の軽妙な演技は素晴らしいものである。近衛文麿の目印をえんじ色のたすき(勲章?)に、松岡洋右は帽子を目印に、歴史上の人物を違った役者(登場人物)が入れ替わり立ち代わりして演じる。おかげで変化が生まれて全く飽きなかった。ただ、近衛文麿と松岡洋右の責任が大きいとするのはどうか? わかりやすいが、零れ落ちるものも多い気がする。ただ、東条英機を主犯のように扱う俗論ではなく、一つの歴史の見方として説得力があった。自分でも調べてみたい。

加藤陽子『とめられなかった戦争』と日中戦争と日米開戦はダブルが、その途中、日独伊三国同盟や南仏印進出はあまり考えていなかったので、ここは発見であった。
加藤陽子は満州事変までさかのぼっているし、わたしがかつてこの問題で記事を担当したときは対華21か条の要求までさかのぼった。日露戦争の勝利や、明治維新にまでさかのぼる人もいる。奥の深い問題だが、あまり「歴史の必然」ばかり考えると、ありえた別の道が見えなくなるのは注意。

1941年の「総力戦研究所」の模擬内閣は史実。そこに注目した発想が面白い。その史実から発想して、日中戦争からの歴史の検証に広げたのが古川健氏の工夫である。

ネタバレBOX

前置き的場面で30分、戦争の検証劇で1時間。残りをどうするのかと思っていたら、書記官長だった岡田(岡本篤)が「俺たちは負けるとわかっていたのに、(戦争を食い止めるため)何もしなかった」と号泣する。死んだかつての仲間も、その罪の意識から死に急いだとわかる。この問題提起にはうなった。そこまで考えるかと。

しかし現実はどうか。政府内部や敗戦を予想した人間で「何もしなかったこと」に罪悪感を持った人間は実際にはいなかったのではないか。そこに個人の責任意識の希薄な日本人の精神風土を思う。何もしなかった、というより、戦争に心ならずも加担したことを悔いた人物としては、鶴見俊輔、むのたけじ、三浦綾子が思い浮かぶ。鶴見俊輔は「何もしなかった」ことをもっとも悔いた人間ではないだろうか。
子午線の祀り

子午線の祀り

世田谷パブリックシアター

KAAT神奈川芸術劇場・ホール(神奈川県)

2021/02/21 (日) ~ 2021/02/27 (土)公演終了

満足度★★★★

従来よりも上演時間を短くし(休憩込み3時間)た。カットは役にも及び、出演者を31人から17人にしたという。全文上演は4時間半。これまで多少カットしても4時間近かったことから大幅にスリムにした。スピーディーでありつつ、テーマもクリアになってよかった。非情な天の動きは「人の世の営みとはかかわりもないこと」なのか、という知盛の問いに対し、影身が関係ないとはいわず、ただ「非情なものに、しかと眼をお据えください」というせりふの微妙なニュアンスがよくわかった。

舞台中央に傾斜した三日月形の高い舞台を作り、その中央の空間を、時に船内に、時に海面にと、いろいろに見立てた。冒頭のナレーションから影身(若村真由美)はずっと後ろ姿で舞台に立っているし、三幕ではずっと、背景にろうそく?を持った影身の姿が見える。四幕の合戦では、中央の知盛(野村萬斎)の後ろに背後霊のように民部(村田雄浩)がずっといる。公演プログラムのインタビューで、萬斎が影身と民部の存在感を高めたいと述べていたが、それをわかりやすく示した演出だった。宗盛(河原崎国太郎)の無能な善人ぶりもクリアで、彼のだめぶりの場面では必ず笑いが起こった。「子午線の祀り」の笑いは貴重である。

知盛はハムレット、対する源義経(成河)はドン・キホーテである。平家方の知盛―民部の主従・対立関係と、源氏の義経―景時(吉見一豊)の関係が対比されている構造もよく分かった。戯曲をスリム化した効果だと思う。

この作品を見るたび、結局、人間は自然の法則・歴史の法則には逆らえないのかという諦念を感じ、作者の意図をどう受け取めればいいのか困ってしまう。今回も一層そう思った。

ネタバレBOX

客席は市松模様の50%だった。
マニラ瑞穂記

マニラ瑞穂記

新国立劇場演劇研修所

新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)

2021/02/19 (金) ~ 2021/02/24 (水)公演終了

満足度★★★★

前半でまず状況と人物を立ち上げて、後半になって事件が次々起きて面白くなる。フィリピン独立派がアメリカ軍に敗れた1898年のマニラが、戦後の焼け野原の東京と重なるようなセリフがある。「日本人は熱狂するのが好きで、言葉に酔いやすい」「金だけじゃない、文化も何もかも敗れたんだ」等と。若いアメリカ兵にすがる日本人女性など、戦後のパンパンを思わない人はいないだろう。

第三場の領事館に場面変わって、さらに舞台の深みがます。カラユキさんの女性5人のなかに二人、男性登場人物と片思い関係にあるところなど、「かもめ」っぽい。前半ではその気配がなかったが、男女の出る芝居なんだから当然恋が芽生えなければ。ただあまりロマンスが膨らまず、それぞれ袖にされるのはもったいない。

女衒の秋岡(田畑祐馬)を、独立派義勇兵の梶川(今井公平)がアメリカ軍に密告する。梶川は女たちに「あんたたちは奴隷にされているんだ。さあ、逃げろ。自由になるんだ」とけしかけるが、逆に女たちは秋岡といっしょにいることを選ぶ。家族からも社会からも見捨てられた自分たちが、頼りになるのはこの男だけというわけである。この人間感情の複雑さが薄っぺらな正義を跳ね返すところが面白い。

さらに中尉と決闘して勝った秋岡が「自分は生まれ変わる。お前たちはどこでも行け」というのに対し、女たちが「私たちは仲間じゃ」「自分だけ人間のつもりだったのか「裏切りもんは突き飛ばせ、売り飛ばせ」と攻め立てる。ここでは先の秋岡頼りからさらに女衒と女たちの関係を深く掘り下げて、男が女に縛られている構図を浮かび上がらせる。女衒と女たちの共依存というべきか。
秋岡が決闘の時に「なん百何戦の女たちの声が聞こえる」と言っていたが、この5人の女が責めさいなむ声こそ、秋岡の頭の中でなっていたものが現前したものだろう。

劇場で旧知の俳優が「ああいう女衒や女たちを国家が利用しながら、踏みつぶしていったことを、秋元は見据えて書いている」と語っていた。そういうこともあるかもしれない。

女優陣がしり上がりによくなっていったのに圧倒された。のんだくれのいち(伊藤麗)がよかった。秋岡の薩摩弁(?)も見事。ただ、客席の第一列で見たせいか、男優たちは声が概して大きすぎてせりふ回しが固いように感じた。感情よりも理屈をいろいろ考えさせられた芝居だった。前半60分、休憩20分、後半80分。合計2時間40分

ネタバレBOX

米軍将校が、女たちを米軍が保護することに同意するなら、秋岡を無罪放免する、という条件を出し、女たちがそれに同意して、秋岡と一緒に米軍の元へ行く。秋岡を救うための女性たちの献身であるし、女衒と女は一蓮托生ということでもある。

最後は、襲撃隊(日本軍の介入を狙う、現地軍人の一部らしい)の裏をかき、領事が領事館に自ら火を放つ。「襲撃しても、日本軍の上陸などないんだ。それならいっそ、私が不注意で火事を起こしたことにした方がいい。襲撃隊は驚くでしょう」と。
鮮かな朝

鮮かな朝

秋田雨雀・土方与志記念 青年劇場

青年劇場スタジオ結(YUI) (東京都)

2021/02/10 (水) ~ 2021/02/21 (日)公演終了

満足度★★★★

女性による女性の悲しみを描いた70分の中編。タイトルには「朝鮮」が隠されており、慰安婦問題、日本の在日差別がメインテーマである。小学校の校庭の砂場(4スミを吊り上げることの出来る朝鮮のつぎはぎの白い布=ポシャギ=でできている)だけのシンプルな装置。戦争中に同級生だった朝鮮人の少女二人が、アイコ(五嶋佑菜)は戦後帰国の船が沈んで亡霊になり、ノブコ(蒔田祐子)は日本に残って年を重ねていく。同じ砂場で戦後育った日本人の少女三人。この三人が大人になり、それぞれの女性としての苦しみを吐露するところから、がぜん引き込まれる。

幸せな結婚をしているように見えた孝子(武智香織)は、実は子供はまだかと姑にせっつかれたあげく、せっかく妊娠したと思ったら、病院の誤診で子宮切除され、子供が出来なくなていった。姑が、その病院へ行けと言ったのに、今は姑は医療事故に遭ったのは嫁が悪いとせめる。夫は知らん顔である。友人が「訴訟するんでしょ」といっても、「わざと贅沢な病院に行くから、と周りからどういう目で見られるか」と断る。

里子(岡本有紀)は高校生時代にレイプされたことを隠し、建設業の夫を持ち裕福な暮らしをしている。実は彼女は、朝鮮人の子。先述の二人の朝鮮人少女の同級生が産み落とし、日本人に拾われたのであるが、本人は知らない。
かつてレイプされた時に助けてくれた朝鮮人老婆・ノブコと再会するが、女は「再開発の邪魔だから、立ち退いて朝鮮に帰ってくれ」とひどいことをいう。老女は女の出自を知っていて、近くでずっと見守ってきたのだが、本当のことを言うことはできない。どんな苦しみ・修羅場を生むかわからないのだから。でも亡霊の少女いう「知らないことは罪だよ」と。

戯曲は93年に書かれた。91年に韓国の元慰安婦当事者が初めて名乗り出たことがモチーフにある。戯曲は後半の作りが非常に緊密で、多くの問題を考えさせる。そのシンプルさをストイックな舞台に仕上げて、男の「罪」(不作為の罪も含め)を突きつけられるような思いがした

ネタバレBOX

最後は、修羅場になるところは時間を飛んで、数年後に。それぞれ医療事故の損害賠償の裁判に立ち上がったり、土建屋の夫とは離婚して、自分のルーツを調べ始めている。それぞれの「朝」を描いて終わる。そして、元慰安婦の少女には、朝鮮の山を二人で歩いた恋人との夢の再会が。唯一、男性の出る場面だが、彼に科白はない。二人、遠く離れたまま抱き合って幕。
オペラ『森は生きている』

オペラ『森は生きている』

オペラシアターこんにゃく座

世田谷パブリックシアター(東京都)

2021/02/19 (金) ~ 2021/02/24 (水)公演終了

満足度★★★★★

有名だが見たことはなかった「森は生きている」。しかも林光のオペラ版の新演出。期待にたがわぬいい舞台だった。前半・第一幕はスローテンポで話が進み、音楽も現代音楽風の響きと旋律で盛り上がりを抑え気味。薪拾いに生かされる継娘(鈴木裕加)、農夫出身の兵士(大石哲史)、12月の精たち、という森の人々が出る。からす(泉敦史)と、うさぎと、リスの追いかけっこも(子供が楽しめる場面)。宮廷に場面は移って、「シャクホウより短いから」と「シケイ」を言い渡す怖ーいわがままな女王(熊谷みさと)が、「大晦日に(春に咲く)マツユキ草をカゴいっぱい持ってきたら、カゴいっぱいの金貨を褒美にやる」という気まぐれなお触れ。それを知ったおっかさん(斎藤路都)と姉娘(沖まどか)が継娘を、厳寒の森にマツユキ草とりを言いつける。

後半は、物語が一気に加速し、音楽も一気に親しみやすく、盛り上がる場面が続く。音楽は、オペラ化以前の劇中曲がそのまま使ってあるそうだ。12の月の精たちが1月から2月の嵐へ(精たちの動きが秀逸)3月から、一気に4月になって、舞台一面にマツユキ草が咲き乱れる演出は華やかで驚きがあった。

場面変わって宮廷。舞踏会の場面も華やかさとコミカルさがあり、おっかさんと姉娘が女王に「どこでマツユキ草をとって来たか話しなさい」と詰められて、大雪の中を森の奥の不思議な湖で、とその場しのぎの出鱈目を真剣に映じるのもおかしかった。
女王一行の森へ行くそりのスピード、カーブ、勢い。継娘の「指環よ転がれ」の長めの呪文はハイライト、大変光った。第一幕では耳打ちだったので、言葉は分からず、オケだけで予告してあった。森の精たちが季節を変えてみせて女王を懲らしめるのがまた、盛り上がる場面。転じて、女王たち3人(博士と兵士)が森に迷子になり「三人乗った難破船」とよたよたさまよう歌も哀れでおかしい。こうしたローテンションが、人間の信頼と森の讃歌を歌い上げるフィナーレを際立たせる。「これまで取ってきた以上のものを森から取らない」という姿勢は、気候変動の危機に立つ現代に通じるメッセージだ。

12人で全ての役をとっかえひっかえ演じて、面白い。森の精の人数が場面場面で変わっても(しかも最初とラストをのぞけば、最大11人で一人足りないのだが)全然気にならない。
12の月の精たちが、色違いの裾長の衣装と冠で季節を示し、女王が金ピカの衣装で、娘がみすぼらしい服から最後は白銀の衣装にかわり新しい人生の門出を示す。動物たちの扮装も、その特徴を示しつつ、やりすぎず品があった。美術、衣装、演出、音楽、歌があいまってよかった。

就学前や小学生の子供連れの観客も多く、子供が集中してみていたのも感心した。大人も子供も楽しめる、とは言うは易く行うは難し。カーテンコール後、4歳くらいの女の子がピットに駆け寄って、桶メンバーに手を振ってた。ほほえましい。休憩15分込み2時間35分(前半60分、後半80分)

ネタバレBOX

パンフにあったが、マルシャークはこの戯曲を独ソ戦の最中に(ソ連が攻勢に転じたあとだが)書いていたそうだ。ビックリした。民話をもとにしたという点で、木下順二の「夕鶴」に似ているが、「夕鶴」は戦後の創作である。
タイトル、拒絶【2月4日、5日、6日の夜公演のみ中止】

タイトル、拒絶【2月4日、5日、6日の夜公演のみ中止】

ロ字ック

本多劇場(東京都)

2021/02/04 (木) ~ 2021/02/10 (水)公演終了

満足度★★★★★

デリヘル(風俗店)のデリヘル嬢たち、店のマネージャーの表面仲よさそうで、実は内に秘めた侮蔑意識や屈託を描いた。まだ36で、初演の時28だった作・演出の山田佳奈の力量に感心した。語り手的存在のカノウ(木竜麻生)は、デリヘル嬢志望だったが初仕事で逃げ出して、そのまま雑用係として働いている。かわいくて売れっ子のマヒル(小島梨里杏)の、いつもケラケラ笑っているが、実は心に誰よりも大きな空洞を抱えている内面が次第に明らかになってくる。
マヒルがビルの屋上で、子持ちの姉に金を貸す2度の場面から、それが明らかになっていく。少女時代に母の男から性的暴行を受けていたという設定はあるあるだが、小島の虚ろな明るさを漂わせる演技が光っていた。

ブスの新人(信川清純)のとんちんかんな反応と、彼女の客への乱暴な対応が巻き起こす騒動が笑いをうんで、これが一番盛り上がった。ただ、この時、最後に入ってきたマヒルの錯乱はなぜだったのか。積もり積もった心の矛盾の爆発ということだろうが、あまりはっきりしなかった。

孤高のトシマ風俗嬢の美保純、マネージャー役の後藤剛範、美人なのに可愛げのない新人の田野優花、いつも本を読んでいるけど実は風俗の仕事もするチカ演ずる川添野愛、おしゃべりし通しのくせに、接客がずさんで客からはクレームばかり、最後にはブチギレて店に火を付けそうにあんるアツコ演じた安藤聖等々、戯曲も俳優陣もしっかりキャラが立って存在感があって素晴らしかった。

カノウが最後に失恋して泣くのだが、ボーっと見ていたせいか、彼女がその男に恋しているというのが、それまで全然わからなかった。

ネタバレBOX

パンフレットの初演メンバーの座談会で風俗嬢を扱うことについて男優が「職業利用じゃないか」と、当時疑問を呈していたという話が良かった。作・演出の山田佳奈もそれを意識して舞台を作ったと。そういう恥らいを持ちながらでないと、本当の風俗嬢に迫るものにならなかっただろう。
堕ち潮

堕ち潮

TRASHMASTERS

座・高円寺1(東京都)

2021/02/04 (木) ~ 2021/02/14 (日)公演終了

満足度★★★★

親世代と子世代、夫婦の間、嫁と姑、借金地獄など家族間の軋轢を、保守一族に対する、若い革新世代の反乱にまとめた。役者たちがどないあい、泣き叫ぶ熱と圧がすごい。でも、観終わってみると、意外と爽やかな気分で終わった。

激しく議論がぶつかり合うのはいつものトラッシュ節なのだが、どこか距離を取ってみられたのは、なぜだろうか。保守で選挙のためには金もばら撒くワル爺さんにも、可愛げが感じられ、悪人はいない。中津留氏の大分の実家がモチーフになっているそうなので、登場人物への愛情が根底に流れている気がした。そう言えば、永井愛も思春期は明治女の祖母との闘いに明け暮れたそうだが、祖母をモデルにした芝居「見よ、飛行機の高く飛べるを」は、愛らしい少女時代の話でさわやかな青春ドラマだった。

広い家の間取りをキッチンから大広間まで作った舞台セットは間口八間もあった。横長のこの舞台が、家族の芝居のリアリティーを支えていてよかった。

ネタバレBOX

地方で建設業を営み、一族から市議も出た一家の話だが、最初は小学4年生だった孫が、最後は大学を出て東京で劇団作って芝居を書いている。自分の芝居は「未来の人への伝言だ」というセリフに、珍しく作者のはにかんだ声を聞いた。
中津留氏の旧習を破壊し、政治と社会の革新を求める姿勢の根っ子には、自らのルーツへの反発もあるのかもしれない。
キオスク【東京公演一部中止】

キオスク【東京公演一部中止】

兵庫県立芸術文化センター/キューブ

東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)

2021/02/11 (木) ~ 2021/02/21 (日)公演終了

満足度★★★★★

前半はまだテーマがわかりにくいのだが、後半にナチス支配が確立した中、それぞれの登場人物の選択が胸を打つ。いい芝居だった。フランツ(林翔太)とアネシュカ(上西星来)の2回のデートシーン(スピーディーで大胆で楽しそう)や、フランツがゲシュタポ本部にお百度踏む場面など、演劇的省略と早回し的動きでを圧縮してみせ、印象に残った。上西星来が演じる奔放なボヘミア少女がよかった。青春の夢と儚(はかな)さを体現していた。

最初は湖のある故郷から都会に出て恋を知るフランツの生活がメイン。ナチスの台頭や、ユダヤ人への嫌がらせは点描に過ぎない。後半になって、オーストリアが合併されると、キオスク店主のトゥルスニエク(橋本さとし)がゲシュタポに連れ去られ、フランツ一人が時代の激流の中に残される。そんな中、フロイト(山路和弘)との会話、それに背中を押されたフランツの「愚行」が胸に染みる。

フランツの1937年晩夏から翌年6月までの1年足らずの体験だと知ると、悪気流の加速の激しさ、彼の成長の速さにめまいがする。キオスクの店のセットの上に、何度も故郷の山と湖を描いた背景画が掲げられる。何か意味があるのだろう。セットが示す二重性は、故郷の母とフランツが常に絵葉書をやり取りすることともつうじている。日々の出来事を書くだけのたわいもないはがきだったのが、最後は、母を心配させないために嘘を書く。でも、母はフランツに危険が迫る直前、湖畔に大きなかぎ十字を幻視して、予感する。

前半65分、休憩15分、後半90分(計2時間50分)だが長さを感じなかった。特に後半。

ネタバレBOX

フランツ「ぼくは嵐の中で櫂を失って波に揉まれるボートのような気がするんです」というのに、フロイト「たどるべき道を知っている者などいはしない。人は闇の中を手探りする。小さな灯りすら見つからないものだ。そして生きた証を残すには、かなりの勇気か根性か愚かさ、あるいはその全てが必要だ」という。

フロイトは行動のために「愚かさ」が必要なことを説く一方で、別の時には「何も知らないほうが幸せだ。無知は時代の指針だ」とシニカルにつぶやく。「愚かさ」の力とともに、「無知」の落とし穴が同時に見えてしまう相対的視点だ。フロイトは行動の人ではなかった。

とにかく、最後にフランツのささやかな「抵抗」が心に残る。トゥルスニエクの片足の短いズボンを、かぎ十字の旗のかわりにゲシュタポ本部に掲げるのだ。そのズボンが風にたなびき、朝の光の中、「何処か遠く」を指す人差し指のように見える場面、これは忘れることができないだろう。藪原検校のラスト、腰と、首を「三段切り」された主人公のように。舞台を通して要所要所で影絵を使い、ラストも違和感なくビジュアル化した演出も良かった。ラストにも流れるしっとりとしたテーマ曲も余韻を残した。

最後の場は時間を飛んで、1945年3月12日、フランツもおらず、残ったキオスクをのぞくアネシュカがいるが、すべてが炎に包まれるかのよう。
モンティ・パイソンのSPAMALOT

モンティ・パイソンのSPAMALOT

エイベックス・エンタテインメント

東京建物 Brillia HALL(東京都)

2021/01/18 (月) ~ 2021/02/14 (日)公演終了

満足度★★★★

なるほど、基本はボケとツッコミだが、「ゴドー」や別役のような会話がすれ違う不条理の笑いにも通じる。最近の芝居の笑いは、リアクション芸で笑わせるのが多いのだが、言葉・台本でしっかり笑わせるところはさすがである。放蕩息子を部屋に軟禁する領主と、護衛の二人組のナンセンスなやりとりが一番笑えた。
ほかにも、劇場は若い女性客の笑いが絶えなかった。新妻聖子の自虐ソングも、歌詞がとにかくおかしい。ヘンナ歌詞を大真面目にソロ、デュエットで歌い、そのギャップがおかしかった。とくに「オペラ座の怪人」のパロディーは傑作。

モンティ・パイソンの名はケラのインタビューで初めて知った。中学生の頃から好きで、その笑いに影響を受けたというし、コロナ禍の中で配信したコント風の舞台でもオマージュがそこかしこにあると。そこで、この機会に見てみた。

Oslo(オスロ)【宮城公演中止】

Oslo(オスロ)【宮城公演中止】

フジテレビジョン/産経新聞社/サンライズプロモーション東京

新国立劇場 中劇場(東京都)

2021/02/06 (土) ~ 2021/02/23 (火)公演終了

満足度★★★★

全64場とプログラムに書いてあって、そんなに次々場面が変わるのかと驚いた。でも見ていると、そうした目まぐるしさはあまり感じない。ノルウエーの外交官夫婦が仲介した、パレスチナ(PLO)とイスラエルの極秘の和平交渉を、瑣末な議論に深入りせず、あくまで芝居としてわかりやすくメリハリつけて見せたところが、最大の成果であろう。和平交渉という硬い題材ながら、知的な議論の正確さより、感情的なうねりを重視した芝居だった。

冒頭でPLOとイスラエルの両方からの電話を、夫婦がとって、仲介する場面から始めて、なぜこんなことになったのかと、さかのぼって事の発端から始める物語の構成にも、その工夫は見られる。しかし、何よりもの力は配役の妙にある。いちいち名前は上げないが、脇を固めるベテランたちの、役作りがすばらしい。老練な政治家たちの、虚々実々の駆け引きと、うちから滲む人間的な魅力と真情にひきこまれた。

ネタバレBOX

クリントン大統領の立会いのもと、ワシントンでラビンとアラファトが握手した歴史的和平合意。エピローグの、交渉当事者のその後(とくに和平反対派に暗殺されたラビン首相)が、この芝居に収まりきらない、中東問題の対立の根深さを示す。国民が納得しない限り、いくらトップ同士で合意を交わしてもダメということか。
安倍政権と朴クネ政権の慰安婦合意のことも思い合わされる。国民の対立を煽ってきた政治家の責任も大きい。政治家が党利党略で呼び起こした魔物(世論)を、いつの間にかコントロールできなくなった姿だろうか。
地熱

地熱

劇団民藝

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2021/02/06 (土) ~ 2021/02/14 (日)公演終了

満足度★★★★★

三好十郎の隠れた秀作を、老舗劇団が中堅・若手俳優陣を中心に、現代の観客に訴える笑えて泣ける感動的な舞台を作った。すばらしい。父親が死んで手放した田地を取り戻すという「夢」=カネを追い求めるあまり、人間の愛や情けを忘れてしまった留吉を神敏将が好演。留吉に思いを寄せる香代(飯野遠)も、抑えた心情がいじらしくたまらなかった。ふたりが結ばれる、素っ気無さの中に真情のこもるラストは(甘いとか、出来すぎという人がいたとしても)よかった。ひさびさに目頭が熱くなった。

労働者の連帯ともろさ、単行の過酷な労働、金が人を卑しくしてしまう現実、農村の古い人間関係と金絡みの駆け引きのずるさ、大きなカネが小さなカネを飲み込んでいく資本主義の冷酷さ、いまならDVともいえる夫婦関係等々、社会の現実をたっぷり描き込んでいる。プロレタリア演劇の流れを汲むとともに、市井の人情もの的な喜怒哀楽もしっかり描いている。三好の戯曲はリアリズム演劇として水準が高い。

実はこの芝居、男は実は女に動かされている、という「妹の力」が浮かび上がる形になっている。乱暴な山師の男を演じた齊藤尊史が、真に迫る演技で、影の功労者である。

全5場あるが、最初2場と最後は九州の炭鉱町が舞台で香代が主役、3,4場は信州で留吉が主役という、分裂とも取れる異例の形式である。しかし全体を通して、人間の「美しさ」、再出発の希望がぐっと浮かび上がってくる。破格の作劇法も、この感動のためなら許されよう。荒れ地をイメージしつつ、舞台美術、要所要所で証明がドラマを助ける演出も、メリハリが付いて良かった。

墓場なき死者

墓場なき死者

オフィスコットーネ

駅前劇場(東京都)

2021/01/31 (日) ~ 2021/02/11 (木)公演終了

満足度★★★★★

第一場はレジスタンスたちが監禁された部屋。拷問への恐れに震えつつ、励まし合っている。第二場はビシー政権側の民兵たちの部屋。抵抗側の医学生アンリを出してきて、拷問を始める。この拷問シーンが生々しく、痛みがこちらにも伝わってくるようで、つらいのに目を離せない。もちろん演技なのだが、アンリの苦悶の表情、叫び、拷問者の相手を屈服させることに喜びを見出すサディスティクな冷徹さ。凄かった。映画「小林多喜二」の拷問シーンが有名だが、今回は生で見る芝居ならではの体験だった。

後半の第3場になって、レジスタンスのメンバー同士で猜疑心が起こり、しゃべってしまいそうな15歳の少年を首を絞めて殺す。これは極端な出来事のように見えて、ここまでの積み重ね結果として、意外と無理がない。演技の説得力というより状況の必然である。どうせみんな銃殺されるのだから。ただ、拷問で手首を砕かれたアンリが少年の首を絞めるのは、拷問のダメージと反しているようで、そこは疑問だった。

なんのために戦っているのか、双方とも大義は語られず、ただ追い詰められて殺し殺されていくだけである。戦争に英雄はいない。皆が歪み、人間性を失っていくということだろうか。

自尊心のために耐える。自尊心のために少年を殺した。と、自尊心がキーワードなのだが、この言葉にあまり切実さをかんじなかった。ちっぽけな自尊心など太刀打ちできない、もっと何か大きなものが問われる極限状況なのではないか。それを実存と名付ければ、そういう気もする。

ネタバレBOX

最後、民兵の「情報と引き換えに助けてやる」という提案を逆手にとって、レジスタンス側がしてやったりとなるかと思いきや、みな呆気なく銃殺される。この「不条理」が、最後の衝撃である。
シェアの法則

シェアの法則

劇団青年座

ザ・ポケット(東京都)

2021/01/22 (金) ~ 2021/01/31 (日)公演終了

満足度★★★★★

文句なしに素晴らしい舞台だった。今年の(始まったばかりだが)最大の収穫。シェアハウスの日常のあるあるから始めて(例えば、若い女性が部屋に男を連れ込む)、意外な展開(男が実は息子!!だった)で、背後の個人的社会的問題を示していく。サラ金・闇金、外国人技能実習制度、東日本大震災のトラウマ、家と個人。戯曲の展開と伏線の回収が見事。中年引きこもりの小池一男(若林久弥)の事情も意外で、楽しめた。しかも演劇(小説)が人間の背中を押し、力になるという演劇論、芸術論も大事な内容になっている。

役者陣も自然体で熱演。おっかない大家の夫の噂話を聞きながら、怖いといえば青年座ならあの人だよな、と思っていると、その通りの山本達二が出てきた。予想通りと笑ってしまった。山本龍二の父と子(嶋田翔平=頼り無さそうな感じがそのまま)の最後の和解は、期待通りなのに、その期待の実現に、ホント涙が抑えられなかった。涙腺の刺激の仕方をよくわかっている。(この和解に、小池一男の存在が深い意味を持つ)

正義の人びと

正義の人びと

劇団俳優座

俳優座劇場(東京都)

2021/01/22 (金) ~ 2021/01/31 (日)公演終了

満足度★★★★

「正義」を実現するための「暴力・殺人」は許されるのか。革命組織内の「恋愛」は、組織を離れても続くのか。革命を支えるのは愛か憎しみか。こうした問題を正面から激しく論じ合い、ぶつかり合う。思想劇であり、絵に描いたような葛藤のドラマである。「大公」は殺せても、その甥・姪の子供は殺せないというのは、ドストエフスキーを思い出した。状況は全く違うが、文豪も子供の命が踏みにじられることに耐えられないさまを「カラマーゾフ」に描いた。「子ども」は無垢、イノセンスの化身であり、特別な意味を持たせうる。

テロ実行犯のヤネクを演じた斎藤隆介が知性と感情を兼ね備えた、抑えがたい悩みと葛藤が非常にリアルで、素晴らしかった。その存在感によって、観念的な議論に血が通った。

でも「子どもを殺すより、失敗を選ぶ」と、一人の冷徹な年長者の革命家以外はみんな一致するところは優等生的、穏健的である。革命組織内で、テロのために皆が集中すればするほど、そうしたヒューマニズムは置き去られてしまうのが現実である。それは歴史とイスラム過激派等の現状が示している。カミュはアルジェリア戦争で「一般人へのテロの停止」を提唱したが、全く容れられず孤立したそうだ。

後半(4幕)の独房での大公妃との対話は、キリスト教をテロ行為に対置してやりあったようだが、よくわからなかった。この芝居の中心は正義と子供の命を天秤にかける2幕と、革命と恋がぶつかる3幕にあるだろう。
休憩15分込み2時間半

ネタバレBOX

最後(5幕)ヤネクの絞首刑を聞いて、女のドーラが「自分もテロをする、そして同じ絞首刑に会うことで、彼と一体になる」と叫んで、終わる。カミュの、これが結論でいいのだろうか。次々テロに参加し、そして死んでいく、その連続は終わることがない。カミュはこれを「解決策」とするのか? 大いに引っかかった。
ロボット・イン・ザ・ガーデン

ロボット・イン・ザ・ガーデン

劇団四季

自由劇場(東京都)

2020/10/03 (土) ~ 2021/03/21 (日)公演終了

満足度★★★★★

賑やかでエネルギッシュなダンスシーンと、しんみり聴かせるバラードと、メリハリの効いた楽しくてジンと来る舞台だった。ダメ男のベンがロボットのタングと次第に心通わせていく「バディもの」であり、かつベンとエイミーの若い夫婦が、離婚の危機から愛を取り戻すまでの恋の物語でもある。さらに、ロボット科学は人間を幸福にするのか、人間を貶めるのかという科学倫理の問題も背景にあり、意外と重層的な深みのある舞台だった。

ロボットのタングがかわいい。ふたりの俳優が後ろに付いて操り、セリフを言い、歌うわけだが、俳優と一体になりつつ、タングとしての仕草(眉毛、まぶたもうごく)がよく、存在感が素晴らしかった。犬のロボットも、チョイ役ながら、やはり人間がつきっきりで動かしているのに、動きが犬らしくて、これも良かった。「ライオンキング」「キャッツ」など人間以外の登場生物で舞台作りを成功させてきた劇団四季ならではだろうか。

美術、衣装、照明、ダンスも非常に洗練されていて、視覚的にも楽しめる。カリフォルニアの場末のホテルのセクシーなパーティーシーンなど、ウエストサイドストーリーのようにスタイリッシュ。マッドサイエンティストの島での最新式アンドロイドの女性たちが銀色の近未来的スーツとヘルメットで整列したシーンはSF的で「クーッ! かっこいい!」とうなった。

ネタバレBOX

ベンは家に帰って妻に「旅の間、ずっと君のことを考えていた」という。たしかに、ベンとタングの長大な旅と並行して、イギリスのエイミーの様子やエイミーとの思い出が並行して描かれていた。よくできた構成である。
エイミーとベンの子供がうまれて、お兄さん(?)になったタングが赤ちゃんを抱いて「ようこそ、この世界へ」と、生命の喜びを一言で言うところで、目頭が熱くなった。

ベンとエイミーの歌声の発声は独特のもので、オペラとも、ポップスとも違う。最初どこか技巧的な声の感じがしたが、すぐなれた。今まで四季で「キャッツ」など見ても発声法が違うと気にならなかったが、今回少し変えたのだろうか?
トスカ

トスカ

新国立劇場

新国立劇場 オペラ劇場(東京都)

2021/01/23 (土) ~ 2021/02/03 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

METライブビューイングも含めて4回目のトスカ。4年前の新国立は、これが生のオペラ初体験だったせいか、何かなじめなかったが、今やほれ込んだ。非常によくできているオペラ。主役のトスカが1幕では嫉妬深い、面倒くさくて、うまく警察に泳がされるコマッタ女なのに、2幕で強い女に変貌し、3幕で悲劇的な死を迎える。悪役スカルピアがトスカを追い詰めた結果、彼女を変化させるわけだが、スカルピアが光る。色男カヴァラドッシは、正義感なんだけれど、この二人の間では少々影が薄い。

今回はテノールがよかった。ソプラノ、バスはもちろん。
ただ、急に仕事が入って、2幕までしか見られず。でも、その分、3幕の映像を家で見たり、モチーフを後で復習したり、全部見られなかった不全感にはメリットもあった。

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