ブラッド・ブラザーズ
ホリプロ
東京国際フォーラム ホールC(東京都)
2022/03/21 (月) ~ 2022/04/03 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
80年代から今も上演中、アメリカはじめ世界中で各国版も上演と言うイギリス産のヒットミュージカル(日本も再演)だが、全体のつくりが古めかしい。
物語も貧民階級に生まれた双子の兄弟が、一人は富裕層に一人はそのままの境遇でお互い知らぬまま暮らしていく、と言うあたりも昔の名作児童物を思わせる。最初は教育劇として書かれた作品だともいう。劇設定、人物設定も貧富の対立とか、母子の情愛とか、少女をめぐる三角対立とか、図式的、曲も、歌詞も、振付けもこれまた古めかしいが ,それだけわかりやすく落ち着いているいともいえる。
俳優陣はベテラン揃いで全員そつはなく、この内容ではボロは出ない。若い娘役の木南晴夏が儲け役。
奇蹟 miracle one-way ticket【3月12日~3月17日公演中止】
シス・カンパニー
世田谷パブリックシアター(東京都)
2022/03/12 (土) ~ 2022/04/10 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
北村想の人を食った喜劇である。
主人公はホームズばりの名探偵(井上芳雄)とワトソン役の友人(鈴木浩介)。二人が依頼された事件は山奥の迷いの森。そこは聖母マリアの奇跡の聖痕を与えられた女(滝内公実)がいて、そこをまもる神父(大谷亮介)によれば、洞窟にはマリアが現れるという。
探偵は事件の真犯人を、宗教は絶対の真実を人びとに明らかにしなければ存在理由がない。当然その論理の仕掛けには現実的にはムリが出てくる。そこへ四方八方から突っ込みを入れながら、迷いの森の真実が解き明かされる。もっともらしい解説も、引用もあるが、そのネタのすべてを観客が知っているわけもなく、時に上滑りしてしまうのはやむを得ないのだが、それでもいいのである。1時間45分、大人のエンタテイメントだと見定めてしまえば、歌のうまい主役が三曲も歌ってくれるし、スタイルとセンスのいい動画映像を駆使するマッピングはあるし、遂にはマリア様がホログラムで現れる。会話もギャグも今風の罵詈讒謗型ではないので、笑って楽しめる。ピローマンから一転、演出の寺十吾は娯楽作品もそつなくうまい。
しかし、どこかで知った記憶があるが、この作者、独立派のキリスト教信者で、処女作の「寿歌」では、人間は最後に聖地に向かう。神とか、無謬の名探偵とか絶対的なものをあれこれと求める人間の弱さの裏つけの上に出来ているところが、北村想作品のユニークな面白さなのではないだろうか。
600席もある世田パブで35公演。シスカンパニーも度胸がある。
OM-2×柴田恵美×bug-depayse『椅子に座る』
OM-2
日暮里サニーホール(東京都)
2022/03/17 (木) ~ 2022/03/19 (土)公演終了
実演鑑賞
真壁茂夫のダンス(と言うか、身体パフォーマンス)の基本的な稽古と、それを宮沢賢治の世界に援用したパフォーマンスを観客参加を入れながらつないだ1時間45分ほどの舞台。宮沢賢治の世界は散々上演されているが、今回は宮沢賢治はゲイでその抑圧からさまざまの作品を生んだという解釈のもとに作られた由。しかし、佐々木敦による演技はあまりそこは表現されていないし、野沢健を出演させている意味もよく解らなかった。セリフがあるのに、それをスライド字幕で追うのも舞台を拡散するようで意図が分からない。観客参加も肯けなかった。ひところに比べて、演劇界のダンスへの関心はずいぶん薄れているが、椅子に座るにも身体表現だというのは当然の基本的な主張である。
ピローマン The Pillow Man
演劇集団円
俳優座劇場(東京都)
2022/03/17 (木) ~ 2022/03/21 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
正面に横に拡がる窓には、二段の格子のすりガラスが入っていて。窓外の枯れ木、枯葉のシルエットが濃く映っている。室内は、机といす、無機的な事務室、マゼンタ系の照明は窓外より暗い。ここは欧州のどこかの独裁国家の警察の取調室である。
官僚的(瑞木権太郎)、と暴力的(石住昭彦)な二人の捜査員に調べられているのは、短篇小説を書いている自称作家(渡辺穣)である。作品中に書かれた幼児殺人と同じ状況での犯罪容疑者として調べられている。
作家の父母は亡くなり、障碍者の兄(玉置裕也)は共犯として捕えられ別室で拷問されている。この暗い取り調べ室で、取調官の拷問まがいの取り調べが続き、その中で、作家が書いてきた未発表作品のほとんどが児童虐待と、それがさらに不幸な結末に至る物語であること、兄がそれをヒントに殺人を犯してきたと疑われていることが分かる。さらに観客には、幼時兄が両親から虐待を受けていたこと、成年に達しようとしたとき作家は父母のその行為に耐えられなくなり両親を枕で殺し、ひそかに埋めてきたこと、が語られる。
一幕、1時間45分、救いのない残酷な童話、家庭内暴力、殺人事件をめぐる取り調べの拷問が、次第に不気味さを増す取調室の中で進行する。観客の残虐嗜好度を試されているような暗く重い舞台だが、不思議に飽きない。二幕になると、そのそれはさらに増幅して、キリストを信じる少女(古賀ありさ)に振るわれる虐待行為を通して神と対決することになる。
英国の劇作家マクドナーの代表作で、すでに何度か上演されているがこの作品は初めて見た。すさまじいドラマである。
二幕目の終わり、少女の運命が明らかになるクライマックス。陰鬱な取調室のセットが奥に押しやられると、すべてが浄化されるようなエピローグになる。
押しやられたセットは変わらず、現実の警官二人も変わることなく日々は続くのだが、作家の誰にも読まれることのなかった原稿だけは人知れず世に残る。
それが、混濁した世界で背徳とともに生きていく人間たちを、深いところで救っていく。それは安易な常識的、あるいは教条的エンディングではない演劇のみがなしうる物語のエピローグである。世紀の代表作と言われるのも肯ける。この作家と長年取り組んできた劇団もその甲斐はあった。俳優では渡辺襄が全力投球。主役の任を果たした。
演出の寺十吾はかつて、役者として主役を演じたことがあるというだけあって、作品の世界が強い。この演出家の随一の舞台だろう。美術(乗峯雅寛)も見事だが既成曲で構成されている音響も素晴らしい。
サヨナフーピストル連続射殺魔ノリオの青春
オフィスコットーネ
シアター711(東京都)
2022/03/11 (金) ~ 2022/03/21 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
永山則夫は十三歳年下だが、私が社会に出て仕事を覚え始めたころにこの事件が起きたので忘れられない犯罪事件だ。昭和三十年から四十年にかけて、高度成長驀進中の社会で、経済による階層分化は、音を立てて、日々進んでいった。当時を知らない今の人びとも記録を渉猟すればその実態のすさまじさは理解できるだろう。
現在は、「ノリオ」の直接原因となった貧窮の実態は当時とは変わってしまっているが、今もなお、社会に巣くう様々な形の階層分化はいまを生きる人間の宿痾の源になっている。
この芝居のテーマは確かに今も生きている。満席の客席が粛然となったことも肯ける。
舞台ではノリオ(池下重大)の軌跡が、犠牲者四人が、紀夫の家族(母・水野あや、姉・清水直子)のもとに集まってくるという巧みな相対化の仕掛けの中で演じられる。どのようなテキストレジがされているかは知らないが、過不足ない演出だ。711の狭い劇場の観客に、網走の氷の海に浮かぶ氷山でひとり遊ぶ幼いノリオを眼前に見せてくれる。
俳優も全員が、よく演じ切っている。幕間なしの1時間45分。
現実の本人の犯行からその後の獄中の変遷まで、事実はセンチメンタルな悲劇やプロバカンダ劇に流れやすい素材だが、そこをよく押さえ、現代の社会がもたらす普遍的な差別の社会劇にまとめた見事な舞台であった。見た回にはオマケで、母親が事件後に取材を受ける短いひとり芝居〈15分〉がついていて、濃い内容の芝居を見た後、劇場を出るまでの短いブリッジになっていたが、やはりこれは蛇足だろう。観劇後そのまま今の世の中に放りだされたほうが心に響いたと思う。
悪いのは私じゃない
MONO
吉祥寺シアター(東京都)
2022/03/11 (金) ~ 2022/03/20 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
珍しく企業を舞台にした世相劇だが、芝居上手の土田英生も会社の経験はないだろうから勝手が違う。製品には自信のある中企業が、今盛んに言われているハラスメント騒動でどうしたか、と言う話なのだが、連綿と続く東宝映画サラリーマン物から現在の中村ノブアキに至る企業舞台の作品が逃れられない会社モノのつくりから抜け出せていない。
東には鈴木聰と言う大企業勤務経験者のサラリーマン新劇があるが、やはり構造は『会社もの』をなかなか抜け出せない。経済と演劇は違うと言ってしまえば終わりなのだが、どちらのリアリティを突き詰めていくとお互いが成立しなくなってしまう。むつかしい素材だが、現在の社会の中枢をなす生活の場だから面白くかつ真実を衝く作品が出てくるのを期待している。
リムーバリスト―引っ越し屋―
劇団俳小
萬劇場(東京都)
2022/03/12 (土) ~ 2022/03/20 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
家庭内暴力、官憲の横暴、家族夫婦間の倫理の欠如など、日常社会の中に潜む非人道性を描いたドラマだ。オーストラリアの長老劇作家であるウイリアムソンが五十年前に書いたデビュー作という。
劇団俳小は三年前に「殺し屋ジョー」と言うアメリカのプアホワイのトレーラーハウスを舞台に殺し屋を描いた優れたハードボイルド作品を創りだしヒットした。今回は同じ路線で、悪徳警官ものだが、国がオーストラリアとなって味わいも違う。舞台はメルボルンのいかがわしい街の警察の分署。なれ合いの警察に染まり切った分署長〈斎藤淳〉のもとに新人警官(北郷良)が赴任してくる。分署長が、若い警官に警察学校では習わない現実生活の教育をする一日の物語である。持ち込まれる事件は、ドイツに出稼ぎに行っているうちにひどい男(八柳豪)にひかかって帰国、子供までできたが、何とか別れたいと苦慮する女(小池のぞみ)と、その相談相手の姉(荒井晃惠)が持ち込んでくる家庭内暴力からの逃走である。暴力的な夫が夜勤の金曜日の夜に家財とともに逃げようと引っ越し屋(大久保卓洋)を手配し、助平心から警官二人も手つだおうとしたところで夫が帰ってくる。
権力をかさに着て、自分では、在職三十年で一度も拳銃を抜いたことがなく、逮捕したこともないと警察生活の極意を説く分署長も人間的にも社会的にもいい加減だが、相談する方の姉妹も夫婦のモラルなど毛筋ほどにも考えていない。その社会の壊れ具合を象徴するように我関せずの引っ越し屋が次々と家具を運び出していく。その中で警官たちと夫、夫と妻の争いがあり、遂には殺人にまで発展する。
五十年前の本で、オーストラリアと言う国情もあってか、「殺し屋ジョー」のようなピストルを撃ち合う殺伐さよりも、現在の社会には遍在してしまった日常モラルの頽廃が、笑ってしまうような勝手放題なストーリーで展開する。古めかしくもあるが、今や、こういう事態は我が国でも珍しくない。俳優は俳優座から借りてきた斎藤淳と八柳豪が、さすがに動きもセリフの切れもよく、舞台を支える。俳小では若い警官役の北郷亮が、格段の進歩。大久保卓洋もとぼけた味を出している。女優陣はかなり苦しい。役に柱を通すところが出来ていないので、どこまで行っても不見転女の勝手でドラマに深く咬んでこない。
前作の演出が腕力型のシライケイタだったのに比べると今回の小笠原響はおとなしくまとめる方だ。まとまってはいるのだが上手の手から水も漏れる。プロローグの男女二人のシーンは、思わせぶりだが何のことかわからなかった。休憩なしの2時間。
冬のライオン
東京芸術劇場
東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)
2022/02/26 (土) ~ 2022/03/15 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
うっかり予習していかなかったのが悪かった。かつてどこかで見た記憶もあって(主な公演だけでほぼ十年おきに四演目)高をくくっていたのだが、この家族、夫婦、親子共にかなり複雑。しかも十二世紀の西ヨーロッパの政治地図が今とは違う。第一幕の冒頭でその関係は手際よく説明しているのだが、状況がすっきり頭に入らない。言って見れば、西洋歌舞伎の世界、新劇にすれば西洋版「子午線の祀り」の平家物語の世界だ。
人間関係と欲望地図が分かってしまえば、あとは国を手にした国王の権力劇、その家族劇としてよく出来た芝居なのである。
森林太郎の演出はセリフ劇に徹していて、きれいに整理された美術の舞台で登場人物たちがそれぞれの欲望をぶつけ合う。国王夫妻は、佐々木蔵之助と高畑淳子、過去の例では平幹と麻美れい、山崎努と岸田今日子〈これは見ておけばよかった、いや忘れたのか?〉という当時ではなるほどと言う顔合わせだが、こういういかにも権力ずくの国王夫妻が似合う組み合わせから、今回は地位をいいことに勝手放題の国王夫妻のジレンマとしたところが新しく、まるで、今の世界情勢に合わせたみたいで面白い。その権力の横暴ぶりが親子、夫婦、兄弟と個人的な関係に落ちていくと手に負えない。そういう人間的な矛盾に焦点を当てて下世話な芝居にしているところが今回の見どころで、佐々木、高畑ともに王冠を常時つけているのがジョークにしか思えない演技で舞台を圧倒する。助演陣もそれぞれ役柄を好演。舞台俳優が多いなか、テレビの葵わかなが、ガラはあっていないのにうまくはまっている。舞台としてはよくまとまっていていいのだが、この芝居の面白さを味わい尽くすには観客も勉強していかなければ楽しめないのが辛いところだ、しかし一月公演、中日でもほぼ一階は満席だった。何より!である。
ラビット・ホール【2月18日~20日公演中止、兵庫公演中止】
KAAT神奈川芸術劇場
KAAT神奈川芸術劇場・大スタジオ(神奈川県)
2022/02/18 (金) ~ 2022/03/06 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
アメリカの現代演劇には珍しく、4歳の男の子を突然事故で失った30歳代の夫婦とその周囲の喪失感と回復のドラマだ。こじんまりした室内劇で、なんでも大仰になるアメリカ演劇らしくなく、普通に生きている市民の人間の内面の孤独に迫っている。
新任のKAAT長塚圭史芸術監督の一年目、タイトルに「冒」と振っていて、型破りを旗印にしているがこれは、外へ、ではなく内への冒、で意表を突かれた。
泣かせるのである。
いいところを箇条書きにすると、まずスタッフの組みがいい。ことに翻訳脚本をテレビ・ライターに上演台本に書き直し委嘱していて、これがなかなかうまい。外国かじりの演出家で、翻訳台本まで作る人も少なくないが、翻訳調が抜けない。ミュージカル台本などはよほどこなさないと曲に乗らない。戯曲翻訳も上演台本は別のものと考えた方がいいことがこの舞台で実証された。
小山ゆうなは手堅い演出家で、こういう人情物もできることが分かった。人物も、市民の細かい日常感を舞台化して類型に堕さない。ステージングもうまい。公共劇場でも、ジャニーズ頼みのだらしない公演は沢山あるが、ここは俳優も思い切って舞台の実力者を揃えている。この欄の読者ならこのキャスティングのうまさはよくわかるだろう。その期待に応えて皆全力で役に挑んでいる。見ていて気持ちがいい。
公共劇場は商業演劇、劇団公演ではできないこういう新鮮な座組で頑張ってほしい。
劇場の天井は高く、舞台は広い、舞台機構は行き届いている。客席はわずか200席ほどでこの舞台を観る、こんな贅沢はない。税金の払い甲斐がある。
コロナで初日が三日ほどずれ、出ばなをくじかれたのか、この欄でもまだ「見てきた」を見ないが、横浜まで行くだけのことはある。
純愛、不倫、あるいは単一性の中にあるダイバーシティについて
アマヤドリ
シアター風姿花伝(東京都)
2022/02/18 (金) ~ 2022/02/27 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
今生きている二十歳から三十歳にかけての男女の性をめぐる風俗劇だ。時に家族をめぐっては笑いに落とし込めない場面も出てくるが、男女の性関係について現在のジェンダー論議を含めてコメディにしている。始まりは、いったい一夫一妻制で家族ができているのは人間の本能に反するのではないか、とか、男女の愛の手続きが性と家族にとって必然のものか、とか、今までは肉体で語ってきたテーマを、会話で進めていく。そのあたりは今の男女のありようを巧みに描いていて、そこはいまの劇作品だなと思う。
男女の勝手な言い分とその解決法(男女二組が同棲する)で紛糾するあたりが面白いので笑っていたら、周囲の若い男女はほとんど笑っていない。真剣なわが身の問題として見ているのだが、それはずいぶんナイーブではないか。舞台で行われている男女の性関係はそんなところは超えてしまっているのだから。会話で、きわどいことは言葉にしないで猥談してしまうところがコメディとしては新鮮だった
二十周年と言うが、初めて見る劇団だ。
感想を言えば、まともにやっては、と言う配慮(当たっている)からか、会話にちょっとオーバーな日常的な動きをつけていて、岡田利規ばりだが、うるさいばかりでわざとらしい。これがないと会話が持たないのではないかとすら思ってしまう。最後に出てくるダンスも、終わりようがないのでやってみました、と言う感じで蛇足だろう。俳優も、皆似ていてとびぬけて引っ張っていくパンチがある人がいない。その辺が課題だろう。
しかし、役の年齢を絞り同年代の役者だけで性をテーマにセリフ劇にするというのはポツドールの三浦大輔とは違った狙いでまだ先はあると思う。小さい劇場ながら十日も打て、千秋楽という事もあってか、見た回も満席だった。
陰陽師 生成り姫
松竹
新橋演舞場(東京都)
2022/02/22 (火) ~ 2022/03/12 (土)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
ここ、新橋演舞場とか明治座のように、千席以上の大きな劇場で多くの観客を集めなければならぬ演劇を製作し続けるのは本当に大変なことだと思う。それは、若い情熱で走り始められる小劇場の演劇とも、長い歴史に支えられた伝統演劇や宝塚歌劇団とも、公共劇場とも違う演劇観が必要な世界なのだろう。
「陰陽師・生成り姫」は、新橋演舞場で松竹の制作。関西でも上演されるから、この時期慎重にならざるを得ない。集客が最も安定しているジャニーズ頼みのキャスティングは仕方がないにしても、どういう芝居が興行的に成功するか、演劇部は大いに頭を悩ませるところだろう。
素材は陰陽師、平安時代を背景にした王朝ファンタジー・ロマンだ。前例豊富と言う世界でもない。夢枕獏の原作をマキノノゾミの脚本は大劇場向きのスペクタキュラーなドラマに仕立て上げた。筋立ては、陰陽師の安部晴明(三宅健)と源博雅(林翔太)の友情を敷いて、その上に博雅と徳子姫(音月柱)との音楽を仲立ちにした恋物語、安部晴明と蘆屋道満(木場勝己)との陰陽術競べ。さらに時の施政者である藤原清時(姜暢雄)のコミックなダメぶりが引き起こす混乱など、かなり複雑なストーリーが展開する。
演出の鈴木裕美は、この物語を音楽、ダンス、劇場機構を使った技術、さらには美術、衣装などを総動員して和製ファンタジーを飽きずに見せ切ってしまう。そのためには、音楽はナマの西洋音楽だし、陰陽師の起こす仕掛けをコンテンポラリーダンス風の踊りで表現しもすれば、フライイングもある。舞台美術も衣装も視覚的で、あまり時代考証にとらわれていない(しかし、道満と蝉丸の衣装の色調とコンセプトが似ていて、時に錯覚する)。
役者ではジャニーズの林翔太が健闘で、晴明との若い友情が物語を支える。笛と提琴の恋物語も、その後のミステリアスな展開も、小劇場出身のマキノ・鈴木の息があって青春ものの味がする。変な翻訳劇を見つけてきて皆が分からないままやっているスター興行に比べると、随分苦労してまとめている。例によって女性客ばかりだが、年齢層は広く、ほぼ満席だったのは以って瞑すべしか。35分の休憩を入れて三幕3時間半。たっぷり!(と言う掛け声も聞かれなくなったが)
Speak low, No tail (tale).
燐光群
新宿シアタートップス(東京都)
2022/02/18 (金) ~ 2022/02/27 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
シアタートップスが小劇場に戻ってきた。
80年代から今世紀初頭まで(85-09)一階の喫茶店トップスの上にあった劇場には、遊眠社以後の小劇場が次々と登場して、「バブル・その後」の広い層の若者に支持される「トップス演劇」を繰り広げた。
そのころすでにそれらの若者とは一線を画して社会に強いメッセージをもって下北沢から演劇を発信していた燐光群が、昨年秋から本多劇場が新しく経営することになったトップスの舞台に立つ。坂手洋二は演出に回って、本は詩人の小沼純一の戯曲処女作。ちょうど、トップスがあった時代から今までの小さなジャズバーをメインの設定にしたユニークな舞台である。バブル期にはその前の安保闘争型の若者は去り、ジャズバーで気心の知れた仲間だけに沈潜する若者の時代になり、さらには個人の時代になる。その経緯を自分好みのLPをかけながら見守っているマスター役の猪熊恒和が好演だ。あまり幸せでなかったこの国の一時代を言葉でなく体現している。客たち、古い時代は鴨川てんしと川中健次郎、次の世代は杉山英之、一番若い世代は樋尾麻衣子が軸になって演じるが、いい味を出しているべテランに負けず杉山、樋尾も微妙な時代性を出していて、この劇団の年輪と時代の波を感じる。樋尾麻衣子は、地か、演じているのか分らないが、まさに今の女だ
舞台はこのバーのクロニクルに、街中の野良猫を見守る近所の女性たちのエピソードと、一家の中で欠かせない犬との交流を回顧するエピソードが交錯する。その構成は多分、坂手が演出とともにやったのだろうが、うまいものだ。話としては猫の話が発展するところがなく後半退屈になるが、全体として、短いシーンを重ねて時代を巧みに描いていて、劇作家としての坂手の円熟ぶりも見られる。思いだしたように政治的、社会倫理的メッセージも出てくるが、そんな言葉はなくても時代批評にはなっている。いかにも、いまの小劇場らしい、時代を敏感に反映する新宿にふさわしいトップスの芝居である。これでこけら落としをやればよかったにと思うが、それはできなかったのだろう。それはネタバレで。
SLAPSTICKS
KERA CROSS
シアタークリエ(東京都)
2022/02/03 (木) ~ 2022/02/17 (木)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
ケラリーノ・サンドロヴィッチの旧作を若い演出家が戯曲を尊重する以外一切条件なしで商業劇場で上演するクリエのKera Cross の第三弾。
鈴木裕美、河原雅彦に続く三人目の演出者はロロの三浦直之。幕内では接点があったのかもしれないが外見では、今まで縁もゆかりもなさそうな若い小劇場演出家が、この気難しい劇団持ちの劇作家の戯曲にどう対処するか、が今回の見どころだ。演出者とケラとの年齢差・鈴木、同年、河原、六年に比べると三浦は二十四年。思い切った若い演出者起用だ。
今回は更に難しい条件もある。コロナ禍でほとんどの商業劇場はファンチケットを見込めるキャステイングになっている。このキャストでももちろん固定ファンはいるだろうが、券売からキャストに媚びていない。三浦にとってははじめてのキャストと組む。それに、このような長期の全国ツアーを含む商業大劇場・公演は初めての経験だろう。
物語は無声映画からトーキーに移る時代の1930年代のアメリカ・ハリウッド。設定からすべて作り出さなければいけない劇的世界である。この座組で正面から勝負で大丈夫か。
結論から言えば、すべての危惧は見事に回避され、舞台は、楽しく懐かしい青春喜劇に纏まっている。ナイロンの俳優たちだったら粒だって笑いを取るところや独特のケラ喜劇調も生かせただろう。アクロバチックなところはもっとドタバタの面白さが出たに違いない。今回はそういうところはすべてモノクロのホンモノ的な無声映画フィルムに任せ、舞台を勃興期産業(映画)に巻き込まれていく若者たちの青春回顧劇にしている。ケラの戯曲ではいつも照れて隠されている素直な良さが出た。こうしてみると、主人公の助監督(小西遼生・木村達成)をはじめ、大監督(マギー)も、有名女優(荘一帆)も、若手の女優も事件に巻き込まれる不運な喜劇俳優(金田哲)も、ピアノ弾きもみな懸命に青春を生きている。
東宝の商業劇場系の俳優たちが適役を得て生き生きと演じている。演出も、アメリカ映画の初期トーキー喜劇風のスタイルがあって、とても初めての商業演劇とは見えない落ち着きぶりだ。ほとんど音楽には比重をおいていない。
ケラの戯曲だけから出発していて、今までのケラ演出作品とは違う世界になっている。そこがいい。
Kera Crossの企画は東宝とケラのプロダクションでもあるキューブとの共同開発だが、一年一度、五年は続けてほしい。欲を言えば末永く。それがケラリーノサンドロヴィッチと言う稀有な劇作家を日本の演劇財産にしていく確かな道である。さしづめ、まずはケラの初期作品、例えば、ウチハソバヤジャナイとか、カラフルメリイでオハヨを加藤拓也の演出で見て見たいものだ。がんばれ東宝!
レストラン「ドイツ亭」
劇団民藝
紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)
2022/02/03 (木) ~ 2022/02/12 (土)公演終了
実演鑑賞
ドイツのベストセラー小説の日本での劇化。脚本は長田育恵。長田主宰のてがみ座と民藝の
合同公演。演出は民藝の丹野郁弓。
この小説がいつ書かれたのか知らないが、舞台はほぼ、六十年前、ようやくドイツ国内でホロコーストが裁かれるようになった時代である。その裁判のポーランド語訳者として法廷に出ることになった「ドイツ亭」の娘(賀来梨夏子)の視点からのアウシュビッツものである。十五分の休憩を入れて二時間半足らずだから長い芝居ではないが、登場人物も三十人近く多い上に、小説の脚色にありがちの人物設定、説明も多くかなりもたれる。
ドイツと日本は同じ敗戦国でありながら、一応前世紀の間にその位置を回復した。六十年前には、負の遺産の清算ではさまざまな場面で国民も生傷を負った。戦前生まれの私にはそれはよくわかる。それを忘れないでおこうという事も大事だが、それならもっと、今の若い人たちが共感できるような作りがあったのではないだろうか。このドラマを作った人々はほとんどその時代を生きてない。無理にその時代に戻るよりも、現今の民族国家の問題点を生きたドラマにすることの方がよほど訴求力があると思う。運悪く私は長田育恵の評判の良かった作品を見逃しているが、見た作品からでも今注目されているア・ラ・フォーティの女性劇作家の実力者の一人だという事は知っている。海外を舞台にすることも、時代を超えて設定することも、ドラマには便利かもしれないが、そこは、無理にでも祖国のドラマを祖国の人間と文化の中で描いてほしい。日本固有の歌人を素材にちゃんといいホンが書けているではないか。
天日坊【2月25日-26日公演中止】
松竹/Bunkamura
Bunkamuraシアターコクーン(東京都)
2022/02/01 (火) ~ 2022/02/26 (土)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
改築になるコクーン最後のコクーン歌舞伎。掉尾を飾るすばらしい舞台だった。
数え上げればきりがないほどいい。初演は12年、再演らしく跳ねるところははね、抑えるところは抑えて緩急自在、現代歌舞伎の代表作になった。
まず宮藤官九郎の脚本。百五十年ぶりの黙阿弥再演と言うが、中身は黙阿弥歌舞伎によくある趣向盛り沢山の大歌舞伎でも時に見る御落胤悪党ものである。そこを宮藤官九郎が現代観客向きに、あれよあれよというテンポのいい道中物にアレンジしている。御簾内は上手下手に置いたそれぞれに金管二本(ほかに下手にリズム二名、上手はギター二名)入りのジャズ風バンド(音楽Dr,kyOn、平田直樹)これがよく似合う。二十分の休憩を入れて3時間10分、全く飽きない。
演出は串田和美。コクーン歌舞伎を先代勘三郎と組んで始めた功労者である。串田ももう八十歳、初期の青臭さはなくなって老練であるが古びていない。いつまでも気分は青春だ。ここの歌舞伎がよくやるように小屋掛け芝居の外枠を作っていて、それがこのチープな詐話にぴったりだ。
役者もいい。座頭の勘九郎はもとより(いやと言うほど先代に似てきたなぁ。歌舞伎と言うのは怖いものだ)お六の七之介ももはや見事な大看板ぶり、地雷太郎の獅童もニンにあっている。脇の鶴松の高窓大夫、萬次郎の猫間、など歌舞伎役者に交じった笹野高史のお三婆ア、初出演(でもないと思うが)の小松和重の現代劇俳優がいい色合いで入っている。抑えに扇雀。いう事のない座組である。皆精彩があって少しづつ全体を押し上げ、舞台が活気を帯びている。最後の長い殺陣。古典歌舞伎の殺陣の様式を踏まえていて、それがジャズ伴奏に嵌まる現代の殺陣で山場になっている。コロナ禍で掛け声がないのが歌舞伎公演としては唯一の失点か。ここは仕込んででも掛け声がないと緞帳が降りない。
コクーン歌舞伎全作に言えることだが、どの作品も古典を踏まえている。そこが赤坂歌舞伎、六本木歌舞伎や新感線とちがって、高く評価したいところだ。歌舞伎はファッションではない、単なる様式でもない。日本の文化の中で、数少ない世界のレベルで誇れる演劇文化なのだ。
見舞う男
ジェットラグ
CBGKシブゲキ!!(東京都)
2022/02/03 (木) ~ 2022/02/07 (月)公演終了
実演鑑賞
企画は先を見ている。ジャニーズもファンクラブの総会のような演劇公演をやっていても仕方がない、中津留も社会派ばかりでは観客の幅が狭くなる。トムプロジェクトに代わる新しい若者向けのストレートプレイで劇場を埋めようというのは意欲的だ。ジャニーズ主演、文学座から手堅い女優を借りてきて、ショーが似合う劇場シブゲキで若者の人情社会劇をやる。狙いは新鮮だが、今回は滑った。あまりやらない試みだから仕方がないが、意余って力足りず。みなが安全興行に走って見逃しているとことをついたいい企画なのに残念。懲りずに次を期待しよう。
ある王妃の死
劇団青年座
東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)
2022/01/21 (金) ~ 2022/01/30 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
若い作家が歴史上の事件を舞台に上げることが多くなったように感じる。
これは、130年前の朝鮮王朝の王妃暗殺事件を素材にしたシライケイタの作。歴史劇では先鞭をつけた古川健が意外なアングルから歴史に光を当てて人間像を描くのに対して、こちらは正面から直球一本。当時のかなり複雑な国際情勢や日韓の国内の事情も分かりやすく、登場人物もよく整理されていて、2時間のコンパクトな歴史ドラマになっている。その中に、親子の情愛溢れる短いシーンとか、国民歌であろうアリランを織り込んで、温泉ドラゴンではどこか不器用なところがあったシライケイタ、なかなか筆達者になった。芝居として見れば、歴史を知らない観客も釣り込まれる裏切りと反逆の王宮陰謀劇になっている。歴史に翻弄されるそれぞれの人間像もよく描かれている。
若い演出の金沢菜乃英も、上手に宮廷の御簾を置いたシンプルなワンセットでテンポよく全場を裁いてダレない。出演者も、こういうドラマになると層の厚い青年座の地力が出た。
中でも、物語の軸になる王妃(万善香織)と夫の高宗(若林久弥)その子で語りても務める世子(須田祐介)は、陰謀の中で孤立する親子の情感を巧みに出していて、好演、新人にしては舞台度胸があるなぁと見ていたら、みなベテランではないか。大院君(津嘉山正種)をはじめ周囲の日韓の敵役もみな一癖をうまく演じている。芝居としては楽しめる出来になっているのだが、単純にそう言えないところが、こういう歴史素材の難しい所で、近代になってから日韓関係のこじれはこの事件を日本側が仕組んだところから始まる、と言われているくらいだから、このドラマについても議論はいくらでも立てられるだろう。
ドラマは、よくある空疎なお題目を並べてケリをつけたりしていないでいるのはいいが、単純に面白いというにも後ろめたいところがある。そこが近い国同士の近親感情かもしれないが、そこへあえて踏み込んだところを評価したい。青年座、なかなかやるじゃないか。
アオイの花【1月25日-27日公演中止】
“STRAYDOG”
テアトルBONBON(東京都)
2022/01/20 (木) ~ 2022/01/30 (日)公演終了
実演鑑賞
こういう事態だから急遽休演という事もあるだろう。しかし、今日の対応はいかがなものか。私は13時にストレイドッグのHPを確認して何事もないと、午後の仕事に出かけ、中野へ行って見れば、がらんとしたホールの表にはり紙が一枚。帰宅して私のパソコンをチェックすると、今日休演の通知が来たのは16時30分。開演の1時間半前である。これでは、劇場の前でうろうろしていた今日のチケットを持った客はどうしようもない。緊急事態だからとは言うが、紙一枚で、係員は一人もいない。払い戻し、代替公演の案内もない。いかにも礼を失していないか。こういうところで「アート気質」を出していてはこの劇団に未来はない。まぁ、そんな悪意はなかったとしよう。しかし、世間の常識、儀礼は舞台に立つもの心得ていてもらわなくては困る。雨も降り始めた帰りの夜道、かなり不愉快だった。
MURDER for Two マーダー・フォー・トゥー
テレビ朝日/シーエイティプロデュース
Bunkamuraシアターコクーン(東京都)
2022/01/08 (土) ~ 2022/01/23 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
二人の出演者がピアノの演奏もしながら、殺人事件の犯人捜しをするオフ・ブロードウエイ・ミュージカル。2011年シカゴ初演、NYへは2013年、日本では2016年に初演している。この再演では坂本昌行は変わらず相手役が松尾貴史から海宝直人に変わった。
もともとはタレントショーとして企画されたようでコクーンの客席は固定フアンらしい40歳代を軸とした女性観客に埋められている。あまり一般には宣伝もしていないが、顔見世だけに終わらせるにはちょっと惜しい舞台である。
二人だけのフーダニット(犯人探し劇)というと、「スル―ス」と言う名作があるが、こちらはミュージカルである上にアクロバットなピアノ演奏もあるから誰にでもできるというものではない。今回も出演者たちの好演もあって、まずまずの出来なのだが、スルースのように何度再演しても、キャストを変えても、なお別の面白さが出るところまで練り上げたらどうだろう。翻訳物が得意なプロダクションCATの財産になるかもしれないではないか。
出演者でいえば、坂本昌行はほとんど捜査官の一役を演じるが、相手役の海宝直人は男女、老若、少年から老婆までを白シャツに黒のベスト、スラックスと言う衣装で、小道具の助けも借りず多くの役を演じる。本は何もしない二枚目役と、何でもできる役者と言う取り合わせの面白さも狙っているので、ここがうまくいっている。海宝直人は、これをやってのけただけでも見直した。もっとそれぞれのキャラを立てるところを見つけていけば持ち役になりそうだ。坂本は以前「オスロ」を見て愕然としたが、こちらはニンにあっていて、資質(歌える)が生きている。いい組み合わせだと思う。
本は、やはり問題あって、ミステリとしては犯罪そのもののドラマが描けない。フーダニットを正面からやってはボロが出る、犯罪現場と時間を絞ったのはいいが、あとは動機探ししかない。そこは説明になってしまうので、歌となじまない。よく聞き取れないところが何か所かある。歌詞翻訳はよく見る人だが、思い切って日本語で聞き取りやすいように譜割りを直したらどうだろう。外国人演出の思わぬ弱点である。
原作にもあるに違いない客いじりが四か所もあるが、おオフの小さな小屋ならともかく、コクーンではしらけるだけで客も乗れない。
コロナ禍で劇場にまで来てくれるのはファンだけ、という現状も理解できるが、せめてこのレベルの舞台は見せてほしいものだ。
S.ストーリーズ
劇団かもめんたる
座・高円寺1(東京都)
2022/01/19 (水) ~ 2022/01/23 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
演劇と演芸と、どこで線を引くのか。ステージで演じる、という事では同じなのに、両者の間のジャンルの溝は意外に深い。かもめんたるの岩崎う大は、岸田戯曲賞の候補にもなっている。超えられるか。
小劇場の一方の雄・佐藤信が芸術監督の座・高円寺の公演である。
裸舞台に雪が降る。冬の夜の若い夫婦の家にマラソンランナーとそのコーチが入ってくる。どうやら時空を飛んでコースを間違えたらしい、「しゃがいも」という不思議な声がどこからか聞こえる。と言うのがシュールな序幕から、六つの短編が演じられる。演芸を志す若者の生活に近いエピソードもあれば、カフカ風の挿話もある。コンテンポラリーダンスをからかったようなものもあれば、流行のユーチューバーを志す若者をやや時代から取り残されそうになった芸人がとっちめる話もある。いずれも、形で見せる外面的な演芸の要素と、内面的な演劇の要素が織り込まれている。1時間50分、見ている分には面白いが、この舞台が、どういう方向に進んでいくのかは掴みかねた。岩崎自身もまだ模索しているようだ。幾つもの答えがあって、その中にはステージをより豊かにする発見もあるだろうが、見ていて感じたのは演芸と演劇の物理的なステージ設定の違いだ。基本ノーセットで演じる演芸と多くの人々がかかわって作っていく演劇の違いである。そこは多面的な要素がかかわっていて、単に戯曲、あるいは演者だけではなかなか乗り越えられないのではないか。この感想は横に長いこの劇場だから感じられたものかもしれないが。