実演鑑賞
満足度★★★★★
実に数年ぶり、新国立劇場の創作劇、久々のヒットである。
この作者は今春吉祥寺劇場でヴァンダインの本格ミステリの劇化を見ただけで、その時は、なんと大胆な!と思ったが、技術はしっかりしていたので期待して初日に行った。
地方のささやかな家族のほぼ二十年にわたる人生ドラマなのだが、現代の世相も、人間像も的確にとらえられている。脚本も演出も上滑りしていないところがいい。
演劇ならではの工夫がいろいろあって、それが膨らんで豊かな芝居になっている。
例えば、母が子に託す十数年前に一か月だけ書いてやめてしまった昔の日記。その日記をいま、娘が一か月書く。と言うのがタイトルの所以なのだが、そこに込められた人が生きていくことの喜怒哀楽の深さ!。日常表現からを重ねて、書き切っている。表紙の赤い小さな日記帳の小道具が心憎い。
夫が自死しているというのをさりげなくポッと出すタイミングの良さ。説明しないから生きている。その夫が残した最後の台詞もいい。なんだかよくわからなくなった、と言うような言葉だったと思うが、そういうさりげない言葉が人を動かす。ここでの母親の日常誰もがやる不愛想な対応も、実に!うまい。日々の生活の亀裂の深淵をさっと見せる。
本が最初平田オリザ風に始まるので、ヤダナと感じたが、その後は全くオリザとは似て非なる手法で、日本海側の地方の小さなコンビニを営む一家の話が、新幹線で、東京と簡単に往復できる今の時代を背景にじんわりと、時空も、異界の人も含めて広がっていくあたり、とても新人とは思えない出来である。
ドラマは、テーマとしては珍しくもない喪失の物語なのだが、現代の観客の心を打つように周到に出来て居る。母子を演じる村岡希美と、藤野涼子がいい。この親子とカップリングされるように置かれている中年を迎える男同士の友情の行方は、影が薄いが、物語にくっきりと陰影をつけているのは、この男たちの喪失の物語なのだ。ここは少しわかり良すぎるか、とも思うが、それはないものねだりで、次はもっといい芝居が見られそうで楽しみである。
入りは、いつもガラガラのこの劇場だが、意外にも8割ほど。客はよく知っているものだと感心。