私の一ヶ月 公演情報 私の一ヶ月」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.9
1-8件 / 8件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    英国ロイヤルコート劇場と共催した劇作家ワークショップの成果を上演する第一弾。
    須貝英の作品は断続的に三作を目にしているが、数年前観たやや小じんまりした二作と比べ、最近吉祥寺シアターで上演した舞台は中々ボリューミーで成長の跡を見た。今作、二年間のワークショップを経たという意味で特別ではあるが、手応えのある舞台であった。
    三つの時空を上手、中央、下手に設え、明確に仕切られた形でなく空間的に乗り入れ可能な緩やかさがある。
    村岡希美の演じる泉を軸に、その夫拓馬との新婚時代(実家に身を寄せ幼い長女を育てている)、拓馬の実父母が経営するコンビニと自宅がそれぞれ中央、上手。時は拓馬が自死して暫くした頃、また泉の一人娘・明結(あゆ)が成長し就職で上京しようとしている頃、そしてその就職先の図書館が下手にある。時は前後して場面が進み、一つの家族とその周辺の図が徐々に見えて来る。淡々とした場面の中にその背後に流れる個々の心情、互いの関係性が薄っすらと浮かび上がり、やがて濃い色彩を伴った風景が現われている。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    なんとも不思議な魅力を持った作品。よくこんな構成を思いつくものだ。あらすじの前知識なしで観劇した。最初、物語がよく見えて来ないし、コンビニで買い物を延々繰り返すシーンはいったい何なのか、と不思議だったが・・・。現実感がなく、どこか幻想的で、でも気づいたらいつの間にか登場人物の心の奥底に入り込んでいた、というような。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    妙に気になって観に行った。今年5月に上演された『グリーン・マーダー・ケース』と『ビショップ・マーダー・ケース』が面白過ぎた、その演出・脚本の須貝英氏の新作オリジナル脚本。全く想像がつかない。
    三つに分けられた舞台。下手は大学図書館の閉架式書庫の事務室、中央はコンビニのレジ、上手はコンビニに隣接している民家。三つの物語が同時進行で淡々と語られる。図書館では司書(岡田義徳氏)のもとに新しく入ったバイトの女の子(藤野涼子さん)がやって来て自己紹介。レジでは疲れ果てた常連の青年・拓馬(大石将弘氏)が毎日毎日昼飯を買いに来る。民家では泉(村岡希美さん)が季節外れの風鈴を吊るし、赤い日記帳に日々を綴る。その家のじいじ(久保酎吉氏)とばあば(つかもと景子さん)。
    登場人物の基本は東北訛り、司書だけが標準語。
    三つの時間軸が段々と溶け合わさって、何の話だったかが解けていく。

    藤野涼子さんが超可愛い。人懐っこい照れ隠しのような笑みがにやにや零れ落ちて、空間がじわじわ明るくなる。母からの誕生日プレゼント、白いコートを着てみせるシーンは至極。村岡希美さんとの遣り取りがズバリハマった。「ウゥワフー、フゥワフゥワー」と鼻唄のようにスキャットしながら踊る二人。遊ぶ子猫のようにずっと見ていられる。

    母からの手紙に16年掛けて娘が返信するような物語。照明が秀逸。

    ネタバレBOX

    演出がやり過ぎでホンの持ち味を損ねているように感じながら観ていた。この話の伝え方にこのやり方が正解なのか?ひたすらコンビニで買い物する日々の描写が無駄。だったら明結(あゆ)の山手線から見た世界の素顔を描写してくれ、と。(逆に実験的なこの語り口を評価する人も多数いるだろう)。
    だが、司書の正体が父母の幼馴染のフジ君だったことが分かると話の全体像が見え、ホンもイマイチ好きになれなくなる。登場人物全員を絡めていくキャラメルボックス・スタイル。幼馴染の死を作品として昇華(舞台化)することを自負して語るフジ君、それに醒めた眼をして白ける泉。置いていったそのチラシを見て東京の小劇場まで舞台を観に行くじいじ。その舞台の「皆が悪かったのよ」の台詞に深く傷ついてしまう・・・。

    何か継ぎ接ぎだらけの、付箋で注釈が一杯貼られた脚本。話し合いを重ねすぎて均された民主的な不恰好さ。いろんなテーマが飛び散って取り留めのない様は『猫、獅子になる』にも重なる。

    だが然し、何と言っても藤野涼子さん演じる明結(あゆ)が素晴らしい。こういうキャラを生み出すセンス。相米慎二や大森一樹が斉藤由貴で撮ったアイドル映画のような空気感。昔、角川春樹がよくやっていた手法で、集客は人気アイドルに任せ、内容は野望のある若手に好きに撮らせる。(最近は秋元康が似たようなことをやっている)。凄く気の滅入る物語をアイドル映画に仕立て上げるコントラプンクト(対位法)の面白さ。

    2005年9月、介護サービスのブラック企業で過労死寸前の日々を送る拓馬。昼食は実家のコンビニで買うことにしている。人手が足りず店先に誰もいないことも多い。そんな時は勝手にレジを打って金を入れていく。レジの金が合わないことが多くなり(拓馬のせいではない)、両親は拓馬に開けられないようにレジを設定。誰もいない店で呼べど叫べど誰も来ない。レジも打てない。実家にさえ拒絶されたような気持ちで絶叫し計算機を叩き付け踏み付け商品を置いて帰る。家でゲームに没頭して会話に応じない拓馬に、妻の泉は痛烈な言葉をかけてしまう。「あんた、本当にいてもいなくてもおんなじね」。次の日、山で首を吊る拓馬。
    一ヶ月の空白。11月から泉は日記を書き始める。今の自身の赤裸裸な気持ちをいつか娘の明結(あゆ)に読んで貰う為に。
    18の誕生日、父の死が自殺だったことを明かされ、日記を手渡される明結。
    2021年11月、東京の大学に通っている明結は両親の幼馴染で親友でもあったフジ君が働く図書館でバイトを始める。

    泉にとって季節外れの風鈴が首を吊った拓馬のことを忘れてしまう自分自身への戒めであったこと。

    明結が現在の自分の一ヶ月を散文詩にしたためて母親に送るラスト。それを添削したフジ君との合作のよう。
    泉は静かに肯き「有難う。」と微笑む。
  • 実演鑑賞

    満足度

    新国立劇場で「私の一ヶ月」を観劇してきました。
    役者さんの演技など表面に出てるものの効果が素晴らしかったから、私の残念な気持ちも強いのかもしれないけれど、この話、脚本の設定の一部に「大学図書館の閉架書庫」「(中途採用の)職員」が出てくる点、誤解を招くセリフや状況があります。

    大学図書館の学生アルバイトに対して職員が「時給の発生する休憩」と告げる、導入部の台詞は衝撃的なほど、現実の大学図書館の状況とかけ離れています。

    お芝居としてはそれなりに飽きない構成だったけれど、脚本の設定がなってない。
    中途採用で、司書資格しか持ってない人が正職員になれるほど甘い業界ではないです。
    お芝居としてはたぶん、ほかに良いところもあったし、本の流通に対する問題意識、人間どうしの交流過程、「司書ってもっと評価されていい職業だと思ったんだ」という台詞もあったんだけど、とにかく設定がこれではいろいろ失敗しています。

    コロナ禍で停滞して苦境に立たされた演劇界の脚本家が、大学図書館の職員に嫉妬して、わざとねじ曲がった表現をした可能性もあると、残念に思いました。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    日英の数年にわたる劇作家ワークショップの成果ということで、通常の舞台とは一味違った仕掛けが楽しめる。お勉強と割り切って観ても良いが、素晴らしい役者さんのおかげでしんみりとストーリーに浸ることもできる。
    そういうわけで不満はないのだが大満足というにはもうひとつ。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    いい芝居だった。私には未知の若い作者だが、英国の劇場との共同のワークショップに参加した、14人の日本の若手劇作家のひとりとのこと。その中でも優れた戯曲を上演したのだろう。新作だが、戯曲がすでに練り上げてあるから無名の作家でも冒険できた。上演に当たって、演出の稲葉賀恵とも意見交換しながら、さらに3度は書き換えたそうだ。二本の軸があったのを母と娘の一本の軸に絞ったのがとくによかった。おそらく佐東と娘がもう一つの軸として、もっと強かったのではないか。ほかに3人の作を英訳して英国で朗読公演するという。国立ならではの取り組みだ。

    舞台では最初、三つの場所が横並びにしつらえてあり、それぞれの場面が同時に演じられる。右から田舎の茶の間、コンビニのレジ、東京の大学図書館の閉架室である。茶の間での老夫婦(久保酎吉、つかもと景子)と娘のいずみ(村岡希美)はどこかぎこちない。左でのベテラン司書佐東(岡田義徳)と、学生バイト明結(あゆ、藤野涼子)は、ずれた掛け合いがクスリと笑える。真ん中のコンビニでは、拓馬(大石将弘)が毎日、昼食を買いに来て、久保やつかもとがレジに立ち、右の茶の間と同じ家とわかる。ただ、茶の間では「拓馬があんなことになって」的な話があり、時間はずれているらしい…。

    三つの場面のつながりが、ついに明らかになった時、それぞれの登場人物の、決して取り戻せない後悔と葛藤が明らかになる。人生のつらさとどうしようもなさ、それでも生きていく人びとの健気さに、派手ではないが小さくもない、ジワリとした感動を覚えた。岸田戯曲賞の有力候補と思う。

    ネタバレBOX

    いずみは娘が大きくなったら読ませようと、日記を書いていた。一カ月だけだけど。その最後に、いなくなった拓馬を探して、サンダルで山に入ったこと、3歳の娘が棺の周りを走り回って「パパおっきして」と何度も言ったことが書いてある。具体的な記述はそれだけだが、少ないだけに印象的だった。

    両親と、いずみのあいだの、お互いに言葉に出さずに来た内心をぶつける場面もよかった。修羅場にもできるところを、本音をぶつけながらも抑制的で、どうしようもない悲しみが伝わる。いずみたちの友人のフジ君が意外な形で現れるのも、この喪失と後悔の静かなドラマに動きと深みを与える。

    介護施設での拓馬の仕事の加重ぶりを明らかにし、過労死認定を得ようと取り組む。いずみは弁護士に相談し、意欲的で決意も堅い。しかし、施設の同僚も退職が続きいて協力が得られず、理事長、所長も交代し、責任がうやむやになっていく。結局10万円のお見舞金しか残らないとは、むなしい現実だ。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    鑑賞日2022/11/02 (水) 19:00

    丁寧に作り込まれた戯曲を、役者陣がしっかり演じる。116分。
     舞台を3つに分け、それぞれの物語が関わり合って一つの物語になる過程は見事。上手と中央の物語の関わりはすぐ分かるが、下手と他の2つの関連が明らかになるに連れて、物語が展開を始める。説明セリフなしに、それを提示する筆力が見事である。3つの関連が明らかになる過程と、その後の変化の2つを楽しむ舞台である。作家・演出家による2年のワークショップを通しての創作ということで、丁寧に作られたことがよく分かる。タイトルが非常に活きてる。重たい話題だが、藤野涼子の役柄の明るさに救われる気がした。
     作者の須貝は、2007年に箱庭演舞曲の役者として観てから、役者・作家・演出家として観ている人だが、一種のファンタジー的な戯曲を書く事が多いと思っていた。本作もファンタジーと言ってみれば言えなくもないな…。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    実に数年ぶり、新国立劇場の創作劇、久々のヒットである。
    この作者は今春吉祥寺劇場でヴァンダインの本格ミステリの劇化を見ただけで、その時は、なんと大胆な!と思ったが、技術はしっかりしていたので期待して初日に行った。
    地方のささやかな家族のほぼ二十年にわたる人生ドラマなのだが、現代の世相も、人間像も的確にとらえられている。脚本も演出も上滑りしていないところがいい。
    演劇ならではの工夫がいろいろあって、それが膨らんで豊かな芝居になっている。
    例えば、母が子に託す十数年前に一か月だけ書いてやめてしまった昔の日記。その日記をいま、娘が一か月書く。と言うのがタイトルの所以なのだが、そこに込められた人が生きていくことの喜怒哀楽の深さ!。日常表現からを重ねて、書き切っている。表紙の赤い小さな日記帳の小道具が心憎い。
    夫が自死しているというのをさりげなくポッと出すタイミングの良さ。説明しないから生きている。その夫が残した最後の台詞もいい。なんだかよくわからなくなった、と言うような言葉だったと思うが、そういうさりげない言葉が人を動かす。ここでの母親の日常誰もがやる不愛想な対応も、実に!うまい。日々の生活の亀裂の深淵をさっと見せる。
    本が最初平田オリザ風に始まるので、ヤダナと感じたが、その後は全くオリザとは似て非なる手法で、日本海側の地方の小さなコンビニを営む一家の話が、新幹線で、東京と簡単に往復できる今の時代を背景にじんわりと、時空も、異界の人も含めて広がっていくあたり、とても新人とは思えない出来である。
    ドラマは、テーマとしては珍しくもない喪失の物語なのだが、現代の観客の心を打つように周到に出来て居る。母子を演じる村岡希美と、藤野涼子がいい。この親子とカップリングされるように置かれている中年を迎える男同士の友情の行方は、影が薄いが、物語にくっきりと陰影をつけているのは、この男たちの喪失の物語なのだ。ここは少しわかり良すぎるか、とも思うが、それはないものねだりで、次はもっといい芝居が見られそうで楽しみである。
    入りは、いつもガラガラのこの劇場だが、意外にも8割ほど。客はよく知っているものだと感心。

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