私の一ヶ月 公演情報 新国立劇場「私の一ヶ月」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    妙に気になって観に行った。今年5月に上演された『グリーン・マーダー・ケース』と『ビショップ・マーダー・ケース』が面白過ぎた、その演出・脚本の須貝英氏の新作オリジナル脚本。全く想像がつかない。
    三つに分けられた舞台。下手は大学図書館の閉架式書庫の事務室、中央はコンビニのレジ、上手はコンビニに隣接している民家。三つの物語が同時進行で淡々と語られる。図書館では司書(岡田義徳氏)のもとに新しく入ったバイトの女の子(藤野涼子さん)がやって来て自己紹介。レジでは疲れ果てた常連の青年・拓馬(大石将弘氏)が毎日毎日昼飯を買いに来る。民家では泉(村岡希美さん)が季節外れの風鈴を吊るし、赤い日記帳に日々を綴る。その家のじいじ(久保酎吉氏)とばあば(つかもと景子さん)。
    登場人物の基本は東北訛り、司書だけが標準語。
    三つの時間軸が段々と溶け合わさって、何の話だったかが解けていく。

    藤野涼子さんが超可愛い。人懐っこい照れ隠しのような笑みがにやにや零れ落ちて、空間がじわじわ明るくなる。母からの誕生日プレゼント、白いコートを着てみせるシーンは至極。村岡希美さんとの遣り取りがズバリハマった。「ウゥワフー、フゥワフゥワー」と鼻唄のようにスキャットしながら踊る二人。遊ぶ子猫のようにずっと見ていられる。

    母からの手紙に16年掛けて娘が返信するような物語。照明が秀逸。

    ネタバレBOX

    演出がやり過ぎでホンの持ち味を損ねているように感じながら観ていた。この話の伝え方にこのやり方が正解なのか?ひたすらコンビニで買い物する日々の描写が無駄。だったら明結(あゆ)の山手線から見た世界の素顔を描写してくれ、と。(逆に実験的なこの語り口を評価する人も多数いるだろう)。
    だが、司書の正体が父母の幼馴染のフジ君だったことが分かると話の全体像が見え、ホンもイマイチ好きになれなくなる。登場人物全員を絡めていくキャラメルボックス・スタイル。幼馴染の死を作品として昇華(舞台化)することを自負して語るフジ君、それに醒めた眼をして白ける泉。置いていったそのチラシを見て東京の小劇場まで舞台を観に行くじいじ。その舞台の「皆が悪かったのよ」の台詞に深く傷ついてしまう・・・。

    何か継ぎ接ぎだらけの、付箋で注釈が一杯貼られた脚本。話し合いを重ねすぎて均された民主的な不恰好さ。いろんなテーマが飛び散って取り留めのない様は『猫、獅子になる』にも重なる。

    だが然し、何と言っても藤野涼子さん演じる明結(あゆ)が素晴らしい。こういうキャラを生み出すセンス。相米慎二や大森一樹が斉藤由貴で撮ったアイドル映画のような空気感。昔、角川春樹がよくやっていた手法で、集客は人気アイドルに任せ、内容は野望のある若手に好きに撮らせる。(最近は秋元康が似たようなことをやっている)。凄く気の滅入る物語をアイドル映画に仕立て上げるコントラプンクト(対位法)の面白さ。

    2005年9月、介護サービスのブラック企業で過労死寸前の日々を送る拓馬。昼食は実家のコンビニで買うことにしている。人手が足りず店先に誰もいないことも多い。そんな時は勝手にレジを打って金を入れていく。レジの金が合わないことが多くなり(拓馬のせいではない)、両親は拓馬に開けられないようにレジを設定。誰もいない店で呼べど叫べど誰も来ない。レジも打てない。実家にさえ拒絶されたような気持ちで絶叫し計算機を叩き付け踏み付け商品を置いて帰る。家でゲームに没頭して会話に応じない拓馬に、妻の泉は痛烈な言葉をかけてしまう。「あんた、本当にいてもいなくてもおんなじね」。次の日、山で首を吊る拓馬。
    一ヶ月の空白。11月から泉は日記を書き始める。今の自身の赤裸裸な気持ちをいつか娘の明結(あゆ)に読んで貰う為に。
    18の誕生日、父の死が自殺だったことを明かされ、日記を手渡される明結。
    2021年11月、東京の大学に通っている明結は両親の幼馴染で親友でもあったフジ君が働く図書館でバイトを始める。

    泉にとって季節外れの風鈴が首を吊った拓馬のことを忘れてしまう自分自身への戒めであったこと。

    明結が現在の自分の一ヶ月を散文詩にしたためて母親に送るラスト。それを添削したフジ君との合作のよう。
    泉は静かに肯き「有難う。」と微笑む。

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    2022/11/11 14:59

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