よつば診療浪漫劇~父と嘘をついた泥棒は、本当の父でした~
劇団シアターザロケッツ
ザ・ポケット(東京都)
2020/03/18 (水) ~ 2020/03/29 (日)公演終了
満足度★★★★★
2020年弥生 過日 PM14:00 中野 ザ・ポケット
午後から雨だという天気予報が嘘のような、麗らかで暖かな昼下がり、桜が街を染める弥生過日、劇団シアターザロケッツ第十回舞台公演『よつば診療浪漫劇』を観に中野 ザ・ポケットへと足を運んだ。
劇場に入り、席に着き、目の前に広がったのは、
時は大正。所はよつば診療所。
若い女を連れて蒸発した父、父の蒸発後、母を病気で亡くした事がきっかけになり、医者になってよつば診療所を開業した真(井上貴々さん)の診療所に、波乱の半生を送った末に泥棒家業に至り、息子の診療所と知らずに空き巣に入り、診療所で出くわした面々についた嘘が原因で逃げるに逃げられなくなった父 次郎と診療所に訪れる人たちが繰り広げる、夢と希望、愛と別れ、嘘と真の笑ってほろりとする浪漫喜劇。
行き当たりばったり、口から次々溢れる次郎の嘘が診療所に集まる、悩みや惑い、夢を抱えた人々の心に響き、背中を押すきっかけになったのは、次郎の嘘に一欠片の実があるからではないのだろうか。
それは、物語を書く時に99の嘘をそこにあるかの如く成立させるのに、1つの真実を核にするような、1つの真実を99の嘘で包み、物語を作り上げるのに似ている。
結末へ向けて、解き解されてゆく次郎の蒸発した本当の理由、それによって溶けてゆく真の父へのわだかまり。
次郎の言葉で、次郎と接するうちに、それぞれがそれぞれの夢と希望を見出して行く。
笑って、笑って、ほのかな切なさとほろりと沁みる温かで、久しぶりにお腹の底から笑って暫し今を取り巻く落ち着かない状況を忘れた舞台だった。
文:麻美 雪
時代絵巻AsH 番外公演 『鬼人幻燈抄〜水泡の日々〜』
時代絵巻 AsH
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2020/03/11 (水) ~ 2020/03/15 (日)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2020/03/14 (土) 19:00
2020.3.14㈯ PM19:00 池袋シアターグリーン・BASE THEATRE
雨から束の間の春の雪へと移ろい、ひらひら雪の舞う土曜日の夜の池袋をシアターグリーン・BASE シアターへと時代絵巻AsH番外公演『鬼人幻燈抄~水泡の日々~葛野組』を観に足を運んだ。
幕が開いた瞬間から、引き込まれ気がつけば冷えた身体がいつの間にか暖まり、いつきひめである白夜(櫻井彩子さん)と幼なじみで巫女守である甚太(村田祐輔さん)の互いに抱く恋心を自らの胸の奥底に沈め、白夜は集落の者たちと集落の繁栄の為に、鬼に殺された先代のいつきひめだった母の後を幼くして自らの意思でいつきひめを継ぎことを決め、その決意を美しいと思い支える事を選んだ甚太の二人以外には誰も、理解し得ない生き方と思い、二人に想いを寄せる者たちとの気持ちと想いの掛け違えが招いたやり場のない悲しみと痛み、それぞれがそれぞれの成すことを成すために、翻弄され、掛け違え、すれ違い、奪われて行く命、誰よりもかけがえのない白夜を誰よりもかけがえのないと思っていた妹鈴音(辻村りかさん/伊藤優希さん)の甚太への想いの暴走が己が中に眠っていた鬼を覚醒させ殺した鈴音への烈しい甚太憤りと葛藤、そこから170年後の現代に現れた甚太の佇まいに涙が溢れていた。
原作を読んでいた時から感じていた、鬼の血を引く鈴音の鬼を覚醒させた遠見の鬼(生粋万鈴さん)にしても、遠見の鬼と共に葛野の集落を襲う剛力の鬼(黒﨑翔晴さん)もまた、自分たち鬼が人々に忘れられ、この世に存在しなくなり物語の中だけの存在になる事を阻止すべく、何の恨みもない葛野の人たちを殺め、鬼神となり、鬼をこの世に留め、忘れ去られないようにする為、自分たちの居場所を残すために、白夜を、葛野を襲いはしても遠見の鬼も剛力の鬼も何処かにすまなさのようなものを抱えているのではというのを、生粋万鈴さんの『あんた達には悪いけどね』のひと言で強く感じた。
遠見の鬼と剛力の鬼も互いを想い、それでも尚、鬼族の未来の為に、喩え自分たちが犠牲になっても、心ならずも鈴音を利用し、何の恨みもない葛野の人達を犠牲にしても、自分たちが成すべきことを成すために犠牲にする。
白夜は葛野と葛野の民たちの為、甚太はそんな白夜の為、互いの恋心を胸に沈め、いつきひめと巫女守として、共に葛野を守る事を選んだ。
これも、ひとつの愛のかたちである。しかし、それを理解し得る者は多くはない。それは、恐らく、白夜と甚太の二人しか理解し得ない思いだったろう。
だからこそ、白夜を想い、ただ白夜の傍に居られればいいと思いながら、甚太に嫉妬しつつも、白夜への想いを誰にも明かさなかった清正(愛太さん)は、甚太とは母の違う、鬼と人間の間に生まれ鬼の血を引き、父に虐待されていた自分を守ってくれた兄甚太へ思いを寄せながら、兄が白夜と幸せになることを信じて、想いを抑えていたのに、息子可愛さから清正といつきひめを後継を成すためとの大義名分で妻せ(めあわせ)ようとした葛野の長(垣内あきらさん)の説得によって清正と夫婦になることを決めた白夜を憎み鬼と化し、鈴音が白夜を殺めるという悲劇へと至ってしまったのではないだろうか。
それぞれの成すべきこと、掛け違い、すれ違う想い、もし、鈴音が白夜と甚太の決めた生き方が、誰よりも二人を強く結びつけ、真から互いを思う愛のかたちであったのだと知っていたなら、この水泡の日々は無かったのかも知れない。
此処に出てくる誰もが、誰しをも思っているのに、それぞれの持つ思いと生き方、成すべきことを掛け違い、理解し得なかった事が引き起こした悲劇が胸を抉る。
人の命も、鬼の命も、流れ行き、過ぎて行く時は、全て儚い水泡。その日々の中で、確かに白夜も甚太も生きた。
二人の日々は、喩え水泡の日々でも、170年後の現代にも白夜と甚太の守ったもの、思いは子孫へと引き継がれ、儚い水泡ではない。そんな事を、次から次へと胸に去来した舞台だった。
文:麻美 雪
第一回実験室朗読会「夢十夜」
スカレッティーナ演劇研究所
RAFT(東京都)
2020/02/07 (金) ~ 2020/02/09 (日)公演終了
満足度★★★★★
2020.2.7㈮PM20:00/2.8㈯PM17:00 東中野RAFT
寒の戻りの染み入るような寒さのただ中、金曜日の夜と土曜日の夕方、東中野RAFTで上演していたスカレッティーナ演劇研究所 第一回 実験室朗読会『夢十夜』に足を運んだ。
小西優司さん主宰のスカレッティーナ演劇研究所の朗読会は、2/8㈯17時の小西優司さんの独演会以外は、11名のメンバーの中から4~5名をレギュラーとして全ステージに出演しそれ以外は出演者が日替わりとなり、そこへ毎日日替わりのゲスト出演者を加えた10名で『夢十夜』を1話ずつ朗読する形式。
劇場に入ると、真ん中に斜めに置かれた椅子が一脚あり、その椅子を挟むように左右に向かい合わせて椅子が並べられ、真ん中の椅子の真上に小さな電球と天井から白い枝が間を空けて数本下がっているだけの簡素な空間が広がっていた。
此処で、10名による『夢十夜』と小西優司さん一人の『夢十夜』を観た。
『夢十夜』は、夏目漱石の「こんな夢を見た」で始まる、執筆当時の現在(明治)、神代・鎌倉、100年後と、10の幻想的で不思議な夢の物語。
先ずは、2/7㈮20時のゲスト出演者葵ミサさん、相良信頼さんを加えた10名による『夢十夜』の感想から。
字数の制限もあるので、特に好きな話3つに絞って書きたいと思う。
第一夜の布団に仰向けに臥せり、今しも命が潰えようとしている女の枕元にいる男に「もう死にます」と言いながら、そうとも見えぬ程瑞々しい女の顔を見つめる男に、何度か「もう死にます」と言い続ける女が、1死んだらまた会いに来るので、墓のそばで100年待っていて欲しいと言うような言葉を残して息絶える女の儚く消え入りそうなか弱さと男への蒼く燃える炎の様な恋情、墓の傍に座り、どれ程日数が経ったのか分からなくなった頃、女に騙されたのではないかと思いつつも座り続けていたある日、石の下から一本の茎が伸び、花開いた一輪の真白い百合に留まる雫に接吻して、100年が経ったことを知る男の女への思いが、葵ミサさんの声で深と張り詰めた清く蒼い月夜の情景の中にひんやりと静かに描かれて美しかった。
第三夜の背負っていた六歳になる我が子の眼は潰れていてまるで大人のように話し始めるのだが、子供は眼が見えないのに周りの風景を言い当て、恐ろしさを感じ森に子を捨てようと思った途端に、子は、「お父さん重いかい?今に重くなるよ」と言い、その後も背中で独り言のように心を見透かす事を言う子を背負いながら、森に入りやがて杉の木の前に辿りいた時、 子が「お前が俺を殺したのは丁度100年前だね」と言うや否や、100年前に盲人を殺した記憶が蘇った刹那、背中の子が石地蔵のように重くなるという怪談めいた話を、竹田真季さんのあどけない子供が徐々に不穏さを増し、大人び、怖さを孕む変化と父の一足ごとに増して来る子に対する恐怖と前世の記憶の底に沈み揺らめき、浮き上がって来る予感と思い出した時の戦きを感じ、黒く不気味な夜の森への道に佇む、膚が粟立つ不安と怖さを感じた。
第六夜、仏師の運慶が山門で仁王を掘っているのを見物していた中の一人の男が、見ているうちに自分も仁王を掘ってみたくて堪らなくなり、家に帰って幾体も仁王を掘ってはみたもののそのどれにも仁王は宿っておらず、運慶が運慶たるゆえを知るというこの話を、相良信頼さんの歯切れの良い畳み掛けるようなテンポと朗読が心地好かった。
十人十色の『夢十夜』は、時に怖く、時に可笑しく、時に痛ましく、時に切なく、時に美しくそれぞれに、明確な情景と像を結ぶ朗読だった。
続いて小西優司さんの『夢十夜』独演会。
此処でも、やはり一番好きなのは、第一夜。なので、第一夜の感想を。
凄かったのは、男の時間の流れを声で感じたこと。女を看取る時の張りのある壮年の声が、日がどれ程経ったのか分からなくなり、おんなに騙されたのではないかと思い始めた後あたりに、ふっと超えの質が年古り、嗄れ、皺をよったようになり、最後のくだりになった時、『嗚呼、100年経っていたのだ』という事を、耳と膚で感じた。
そのほんの僅かの境目、時間の縫い目の移ろいを声で感じた凄さ。
この第一夜を聴いただけで、独演会を観て、聴いて良かったと思った。
他にも、この話は、「黙れ、小僧!」のあの方や独特のナレーションでお馴染みのあの俳優さんを彷彿させるような抑揚や声音を感じてニヤリとしたり、第三夜では、やはり、ゾクリとしたり一人十色の『夢十夜』を堪能した。
2日間、『夢十夜』を聴き、声に出して読みたくなり、このブログを書く前に、『夢十夜』を声に出して読み返してみた。
声に出して読みながら、東中野RAFTのあの空間、あの時間で観て聴き、瞼の裏と脳裏に結んだ映像と情景が甦ってきた。
今でも目を閉じると、あの日観た『夢十夜』の空気と肌触りに包まれる余韻の残る朗読会だった。
文:麻美 雪
『帝都メルヒェン探偵録 ~幽霊屋敷のブレーメン~』
REON NEO COMPANY
シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)
2020/01/29 (水) ~ 2020/02/02 (日)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2020/02/01 (土) 13:00
2020.2.1㈯PM13:00 池袋シアターグリーン BIG TREE THEATER
明け方地震に揺り起こされたものの、麗らかに晴れた土曜日の池袋を、池袋シアターグリーン BIG TREE THEATERへREON NEO COMPANY vol.2『帝都メルヒェン探偵録~幽霊屋敷のブレーメン~』を観に足を運んだ。
2階にある劇場へ入り、前から3列目の真ん中の席へ着くと目の前には、この物語の舞台となる“カフェグリム”の店内が現れる。
階段を下り、舞台右手に千崎理人の教育係であり、店主小野カオルに仕える“カフェー・グリム”の店員三宅が、珈琲を淹れるカウンター、舞台の左右に二人掛けの席が一席ずつある“カフェー・グリム”を舞台に起こるひとつの事件。
伝統とモダンが、新たな市民文化を花開かせる帝都。昭和の初め、ドイツ人の母を持つ華族の青年・千崎理人は、乙木(おとぎ)夫人が経営するカフェで知り合い、仕事を紹介してもらおうと訪れた乙木夫人のサロンで出会った謎の美少年小野カホルに、理人に職と住まいを用意する代わりに、グリム童話に擬え、3ヶ月の間に自分の本当の名前を当てる賭けを持ち掛かけられると同時に、「自分が事件を解決するから、『探偵』として表に立ってほしい」と頼まれた事から、華やかな昭和の初めを舞台に、理人は「少年助手を従えた美貌の探偵」として、様々な事件に巻き込まれていく小説『帝都メルヒェン探偵』を原作に、舞台の為に書かれたオリジナルストーリーとオリジナルキャストを加えて描かれる物語、それは。
とある日、千崎とカホルは明治末期に活動した「音楽隊」と名乗り強きをくじき弱気を助けると人気のあった窃盗団とその手口を模倣しているが、なりふり構わず人を傷つけて盗む強盗団のやり口に違和感を感じるという常連客遊馬親子の話をカフェー・グリムで耳にした同じ頃、新人画家・宇崎善太郎(うざきぜんたろう)と新人音楽家・吉永侑哉(よしながゆうや)に出会い「幽霊屋敷」の怪談話を聞いた千崎たち一行は屋敷へ赴き、巻き込まれる事件とは……という物語。
全編オリジナルの楽曲による【CLASSICAL ROCK MUSICAL】と銘打っている如く、幕が開いた瞬間、千崎(冨森ジャスティンさん)の独白から、舞台の主題歌から始まり、登場人物たちが現れ歌い上げ、踊り、華やかに物語の中へと誘われる所から高揚感に包まれた。
REONさんが『帝都メルヒェン探偵録』を舞台化すると聞いてすぐに原作を読んだ時からイメージしていたそのものの冨森ジャスティンさんの千崎に瞠目した。
漫画や小説が原作の場合、読者がイメージしていた登場人物と余りにもかけ離れていて、残念な事も多々ある中で、今回のこの舞台はイメージ通りの登場人物たちが目の前に現れたので、小説を読んでいた時のように自分がその物語の中に迷い込み、物陰から見ているような臨場感があった。
観ながらふと、頭の中を「ねずみ小僧次郎吉」や「石川五右衛門」「大岡越前」が過ぎった。
これらに共通するのは、義賊と呼ばれた盗賊の話し。この物語の窃盗団「音楽隊」も義賊のように扱われ庶民に人気があった。
けれど、盗んだお金を施す事で助かる人がいる反面盗賊に間違われたり、お金を奪われた事で、人生が一変し、謂れのない労苦を強いられ不幸になった人もいるのではないか。
金持ち=悪、悪どい事をし、人を傷つけて金を儲けた人たちばかりではない。金持ち=悪と決めつけ、根こそぎ金を奪った窃盗団「音楽隊」によって、犯人と間違われ、人を傷つけず仲睦まじく暮らしていた家族の幸せと夢を奪い、一家離散になった子供たちが強盗団「音楽隊」を名乗り盗みを繰り返し、人を傷つけた強盗団になった者たちの憤りと悲しみと悔しさを思う時、正義と悪の紙一重、表裏一体の怖さと危うさも感じた。
自分の育った家を強盗団のアジトにされ、家業の不振から家を手放し、一家離散になるも、悪に走らず、画業に打ち込みながらも孤独と切なさを抱えて生きていた画家の宇崎(古畑恵介さん)を包み、前を向かせたのは千崎や花村(REONさん)たちの温かさと思いだったのではないか。
人は人によって、傷つけられもするが、また、救われもする。
観終わってしみじみ、人っていいな、人が好きだなと思った。
もうひとつ、最後に付け加えるならば、音楽と踊りの素晴らしさ。役者さんの超えと歌が素晴らしく、ダンサーさんたちの踊りが格好良かった。
特に千崎(冨森ジャスティンさん)、花村(REONさん)、一谷(大橋篤さん)、三宅(川井康弘さん)は、原作のイメージそのままで素晴らしく、遊馬(楠田敏之さん)の声と歌、宇崎(古畑恵介さん)が好きだった。
ミュージカルの楽しさと物語の面白さに惹き込まれた舞台だった。
文:麻美 雪
第一回実験室公演「温室の前」
スカレッティーナ演劇研究所
RAFT(東京都)
2019/12/19 (木) ~ 2019/12/22 (日)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2019/12/19 (木) 19:30
2019.12.19㈭ PM19:30 東中野RAFT
鈍色の空が広がる、師走の中野坂上を東中野RAFT へスカレッティーナ演劇研究所 第一回実験室公演『温室の前』を観に足を運んだ。
スカレッティーナ演劇研究所は、今年3月に解散したアクト青山主宰の小西優司さんが、4月に新しく立ち上げた劇団月とスカレッタと共に、レッスン機関として立ち上げた演技研究所。
今回の『温室の前』には、そのスカレッティーナ演劇研究所の第一回実験室公演。
なぜ、実験室公演なのかは、この舞台を観れば朧気ながら解るだろう。
岸田國士の戯曲『温室の前』を、ABCDの4チーム、西原役の小西優司さんとABチームの貢役の高村賢さん、CDチームの貢ぐ役の佐古達哉以外、全チーム違う役者が演じ、全チーム同じ動き、同じ解釈、同じ狙いで構成されており、兎に角『同じ』になるように創られていることと、演出が今まで観た事のない演出であること、足捌き、手の使い方、台詞の抑揚までも『同じ』になるように、役者に強制し、矯正した舞台で、どのような差、役者の個性が滲み出し、観客がどのように違いを感じ、受け止めるか、どのような感想或いは印象を抱くのかという事を指して実験室公演としたのではないかと、私は受け止めた。
舞台の真ん中に、背もたれのない一脚の椅子があるだけの空間で紡がれたのは、身寄りのない兄弟が温室のある家でひっそりと暮らしている所へ、古い友人たちが訪れ、暗い生活の中に明るい空気が漂い出したが、その結末は…という物語。
私が観たのはAチーム。
大里貢=高村賢
大里牧子=華奈
高尾より江=やまなか浩子
西原敏夫=小西優司
有り体に言えば、観終わってから4日間、自分の中で反芻しても理解出来ているかと言えば、恐らく半分理解出来ているかどうかと言う心許なさである。
観終わった後、観た後の今陥っている感覚を言葉にし、文章として綴るのが難しいと思った。理解しきれていないながらも、今まで見た事のない演出であり、舞台でありながら、月並みな言葉にで言えば、とても面白く、ああ、観て良かったという一語に尽きる。
兎も角も、その時感じたことをそのまま記してみよう。
先ず感じたのは、声と発語の良さと的確さ。声が聴き取り易いのは勿論だが、劇中、観客に背を向け登場人物たちが語る場面で、表情は一切見えないのに、声の抑揚、トーン、間合いや息遣いで、それぞれの表情や感情、腹の水底に沈めた思いが目の前に確と立ち上る凄さと一音一語が明確にくっきりと発語されるだけでなく、岸田國士の描いた昭和初期の独特の言葉遣いや速度、間合い、息遣い、言葉の発し方が、この戯曲が書かれた当時の人や風景、雰囲気そのままに感じた。
登場人物についてもメモ的ではあるが、あの夜感じたままを綴ってみる。
今の時代に照らすと、女が家事をするのが当たり前という考えが言葉に表れる貢は、自分は何もせず妹 牧子に家事を全て任せ、求める、苛立つ男と思われるだろうし、私も、そう感じる場面がいくつかあったが、より江と対している時の高村賢さんの貢は、可愛いと思った。
確かに、熱血漢で、女性の扱いにも慣れているであろう西原は、カッコイイ。より江でなくとも、現在でも恐らくはそりゃあ西原に心惹かれるという女性が多いと思う。
けれど、より江に対する不器用さと思いの寄せ方、より江が西原へと魅せられ選んだと知った時の貢の背中には、男の切なさと不器用さと初さが綯(な)い交ぜになって表れていて、抱き締めたくなる男の可愛さが滲み出ていた。
妹に頼りっきりの兄に、言えに縛り付けられ、自由がないように見える牧子は可哀想に見えるかも知れないけれど、牧子もまた、人と接することが上手くない自分を知っているがゆえに、兄に早く結婚して私は自由になると言いつつ、この温室のある家から出て行く事に不安と心細さを感じているのではないか。
その一方で、兄がより江と上手くゆく事を心から願う、妹としての愛情を華奈さんの牧子に感じた。それ故に、より江が西原に傾いた時、より江に対する腹立たしさを感じ、より江に対して抑えていた不満をくちにしたのではなかったか。また、自らも西原に淡い思いを抱いていたその思いを西原は気づいていつつ、より江と思いを通じた西原へのやるせなさと、兄の友達で、兄のより江への思いを知りつつ、より江と思いを通じた西原の兄への仕打ちに含むところもある牧子もまた、兄へ依存しているのかも知れない。
貢と牧子は、共依存の関係なのではないだろうか。互のある部分には不満もしくは苛立ちを感じながらも、人とのコミュニケーションが不得手の似たもの同士、故に、互いが抱いた絶望を理解し合えもし、得がたい相手なのかも知れない。
鏡の中と外のようにシンクロした動きを見せる場面は、そういう心を表したのではいかというのは深読みに過ぎるだろうか。
より江と西原の見交わす目線で、ああ、この二人は多分、お互いの中に同じ性質を嗅ぎ取ったな、この二人が互いの手を取るだろうと予感させた小西優司さんとやまなか浩子さんの見交わす場面では、より江と西原の心の中で交わす会話が聞こえて来るようだった。
より江と西原が結びついたことを知った時の貢は、もしや自死するのではないかと内心、胸をざわめかせながら、ラストの数分間息をするのを忘れたように見入った。
ピンと張り詰めた空気の中、まるでサスペンスを観ているような緊迫感と曰く言い難い切なさと、観終わった後の名状し難い高揚感を感じた舞台だった。
文:麻美 雪
誰が為に鐘が鳴るなり法隆寺
オフィスリコプロダクション株式会社
劇場HOPE(東京都)
2019/11/20 (水) ~ 2019/11/24 (日)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2019/11/23 (土) 13:00
2019.11.23㈯ PM13:00 中野 劇場HOPE
前日から降り続く雨の中、のぐち 和美さん、椿 紅鼓さんが出演されていたoffice RI.coプロデュース 劇団 燈楼 旗揚げ公演『誰が為に鐘が鳴るなり法隆寺』を観る為、足を運んだ。
一段高くなったアクティングスペースが舞台の中央にある以外、一切の物が削ぎ落とされた空間で繰り広げられるのは、あることをきっかけに人生を見失い、大事な試合に負けるために挑もうと考えていたボクサー登坂直樹と同じ頃、ヤクザの成門が些細ないざこざから新宿歌舞伎町で刺され、死にかかっている所へ偶然現れた日本神話の神様、天照大神と須佐之男命の二人が好奇心から成門を助け、登坂の計画を狂わせ、助けられ、計画を狂わされた二人が天照と須佐之男と関わるうちに変化して行く先に待つ運命とはいかにと言う、古事記の神々と、ニンゲンたちが織りなす物語。
男たちが真に求めるものとは?本当の強さとは?愛とは?笑いの中に時に胸を衝き、心を貫く言葉と感情が目まぐるしく入り乱れるジェットコースターのような急展開の殺陣あり、踊りありのエンターテイメント活劇。
古事記の神様天照大神、須佐之男命と負けてリングを去ろうと思い詰めているボクサーと刺されて死にかけている歌舞伎町の極道この三竦みのような組み合わせに、殺陣と踊りと笑いを散りばめて展開されるというこの設定だけでもカオスで、観た事もない舞台にのっけから引き込まれ、2時間数分が刹那に感じた胸踊り、胸に刺さる上質なな娯楽活劇。
冒頭から要所要所で出て来る小山蓮司さんの『運命』は、天照大神に寄って一命を取り留め、いつ死んでも良いと諦観し、生きる意味も目的も捨てた様に生きていた成門が、天照大神や登坂と関わり合うい、生きたいと思った時、その手で成門の命を奪う。
それは、一見決められた運命からは逃れられないと言う暗示にも見えるが、生きる意味、生きたいと思う何かを見つけるまで死を猶予し、そういう気持ちが芽生え、人の想いや愛の温かさを知り、人として命を終えさせる為の『運命』の計略のようにも感じた。
『運命』は、須佐之男命が探し続ける喪った半分の自分のようでもあり、半分の自分を探すように誘う案内人のようであり、登坂にとってはやさしい『運命』であり、光と闇の2つの運命を司っているように感じた。
小山蓮司さんは、2年前ゲイジュツ茶飯で『カエルの置物を食べたヘビ』のペケがとても強く記憶と印象に残っている役者さんだが、今回の『運命』の最後の微笑に『運命』の全てが集約されているような凄みを感じた。
白倉裕二さんは、4年前、Xカンパニーの『泡の恋』で観た時とは、ガラリと印象が違った、いつ死んでも良いと諦観し、生きる意味も目的も捨てた様に生きるシリアスな極道かと思えば、その中に笑いを散りばめ、時に胸を突くような人生の真理や胸を刺す事を言う成門とお気楽なツクヨミの両極と鋭くきれいな殺陣に魅せられた。
3月の芸術集団れんこんきすた『雲隠れシンフォニエッタ』の源氏への愛の執着に苛まれる六条御息所とは対極の過保護でおっとりとぼけて明るい椿 紅鼓さんの愛らしく、たおやかな天照大神は、笑いからシリアスになった場をふんわりと明るく照らし、出てらっしゃるだけで場が和んでほっとした。
銀ゲンタさんのスサノオの明るさの中にある喪われたもう一人若しくは半分の自分を思い出せないことにより秘めた暗さ、忘れた自分を探す為に地上に降り、登坂と出会い共に過ごす内に、喪った自分を思い出し始めた時の荒ぶる心に、自制が効かなくなり烈しい感情の発露の美しく凄みとキレのある殺陣と、スサノオの光と影、陰と陽、不安と孤独、優しさと強さと弱さ、忘れていた半分の自分を思い出した上で、神としてスサノオとして生きる事を選んだ表情が清しかった。
御祝儀出演されていたのぐち 和美さんは、3場面で10分の出演であるのに、『毛皮のマリー』『疫病流行記』とは全く違う、軽やかでコミカルで、観ているだけで楽しく、10分の場面がどれも記憶に強く焼き付く。中でも好きなのは今日子さん。あの、破壊力のある面白さは、筆舌に尽くし難い。差し入れにお渡ししたお花を今日子さんの場面で、何やら使って下さったとのぐち 和美さんから聞き、千穐楽も観たかったと思ったぐらい好きだった今日子さんだった。
今月の観劇の締めに観られて良かったと思った、笑いの中に人生の真理を突いた胸を衝き、胸を刺す言葉と感情が散りばめられつつ、美しい殺陣と所作に見惚れた、観終わった後に爽快感としみじみした情感と楽しさに充たされた舞台だった。
文:麻美 雪
なまくら刀と瓦版屋の娘
劇団6番シード
テアトルBONBON(東京都)
2019/11/06 (水) ~ 2019/11/10 (日)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2019/11/09 (土) 13:00
座席E 列3番
2019.11.9㈯ PM13:00 中野BON BON
天皇陛下御即位をお祝いする『国民の祭典』を夜に控え、何処か浮き立つ空気の中、中野BON BONへとSetsukoさんが出演されていた劇団6番シード『なまくら刀と瓦版屋の娘』を観に足を運んだ。
目の前に広がるのは、瓦版屋の店先。
舞台は、華のお江戸のちょっと北、日光と江戸を繋ぐ宿場町にある気風の良さで評判の看板娘お紙のいる瓦版屋。
笑顔の良い、器量良しのお紙には、毎日引きもきらずに縁談が持ち込まれるが、お紙は瓦版の特ダネ探しに夢中で、嫁に行く気は更々なく、毎日お江戸の町を走り回っているそんなある日、遊女が失踪したという話がお紙のもとに持ち込まれるのと時を同じくして、謎の浪人が瓦版屋に籠城した事から始まるすったもんだのドタバタ喜劇。
同日同時刻、瓦版屋の正午からの1時間の店の表の騒動と店の奥座敷で起こった騒動の両面を休憩なしの全二景で描いて観せる同日同時刻同時進行の舞台は、今まで観たことの無い面白い趣向に、二景目が始まった瞬間、上手い運びと展開に胸高まり、心踊った。
頭から尻尾まであんこの詰まった鯛焼きのように、笑いがギュッと詰まって、笑いっぱなしの2時間は、瞬く間に過ぎて行き、2時間という時間を感じさせない舞台。
因業に見えた遊廓の女将と用心棒が、何だかんだと言いつつも、心の底では、失踪した遊女に情を掛けていたり、遊女と生き別れた浪人との再会にほろっとしながらも、明るく、笑いに満ちた舞台は、胸の中にも身体の中にも暖かな陽が射し込み楽しい気分に満ちて劇場を後にする事が出来た。
笑いと人情がたっぷり詰まった、観ればたちどころに元気になれる舞台だった。
文:麻美 雪
クロスミッション
カラスカ
アトリエファンファーレ東池袋(東京都)
2019/10/23 (水) ~ 2019/11/03 (日)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2019/10/31 (木) 14:00
座席E列3番
渋谷はハロウィンで賑わっているであろう昨日、REONさんが出演しているカラスカ公演『クロスミッション~交差ミッション~』を観にアトリエファンファーレ東池袋に足を運んだ。
先週の土曜日に観た、十字架ミッションと繋がっている交差ミッションは、時間軸で言うと十字架ミッションから交差ミッションへと繋がる話。
目覚めたら知らない部屋に居た十人近くの男女。自分たちが、いつ、何故、どうやってここに連れて来られたのかも分からない状態の彼らに、二人の男女が現れ、「貴方達は、これからゴッド・オブ・ゴッドに参加して貰います」と告げる。
ワケも分からないまま2組に分かれ、優勝者には地位と名誉と多額の富が与えられるという謎のゲームに、参加する以外に選択肢の無い彼らはゴッド・オブ・ゴッドを目指して、ゲームに参加するが、そのゲームは彼らの想像以上にくだらないゲームの数々だった。
繰り広げられるのは、死なないデスゲーム。
確かに、命は落とさないけれど、ゲームの中に散りばめられているのは、参加者たちが心に抱えるトラウマであり、ゲームを進めて行く中で、それぞれが目を逸らしたいトラウマと過去に否応もなく向き合わざるを得ず、その心に抱えた傷を抉られ、膿を出し切る事でそれまでの自分たちは一度死に、そのトラウマと過去を直視し、向き合った事で再生し、生まれ変わる。
十字架ミッションの根底にも流れる愛と救済、再生を感じつつ、描き方は徹頭徹尾コメディ。
繰り広げられるゲームは、人の知性、人間性に迫るような、人生を見直すかも知れない場面を垣間見せながらも、全編笑いが散りばめられていて、観ている間はひたすら笑い続ける死なないデスゲームコメディ。
十字架ミッションもそうだが、観終わって、舞台の台詞や場面を反芻しているうちに、じわじわ考え、ああだったのではないか、こうだったのではないかと思い至るという愉しみ方が出来る舞台。
交差ミッションもネズミの国のあの映画やミュージカルのあの歌この歌がちょこちょこと顔を出すのも楽しい。
十字架ミッションも交差ミッションも全ての役者さんが皆、魅力的で、ややもするとただの悪ふざけになってしまう舞台が、徹底的に馬鹿馬鹿しいのに最高のエンターテインメントになり得ているのは、役者さんたちの力と根底にきちんと描かれているテーマがあるからだと思う。
交差ミッションを観ると、十字架ミッションの良平がなぜ桐斗の身代わりとして教祖に選ばれたのかが解る。
良平と桐斗は、物事の捉え方、人に対する接し方、問題を解決する時に根底に温かさを持っていると言う点で、同じだからなのだろうと感じた。
10月の最後の日に、お腹の底から笑って、観終わった後に、ハッピーな気持ちで劇場を出られる後味の良い、爽快な舞台だった。
3日が千穐楽、流れとしては十字架ミッションから観るのがオススメですが、交差ミッションから十字架ミッションを観ても充分に楽しめる舞台なので、1人でも多くの方に観て欲しいと心から思う。
文:麻美 雪
クロスミッション
カラスカ
アトリエファンファーレ東池袋(東京都)
2019/10/23 (水) ~ 2019/11/03 (日)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2019/10/26 (土) 14:00
座席1階A列8番
2019.10.26㈯PM14:00 アトリエファンファーレ東池袋
秋の陽射しに夏の名残が香る昨日の昼下がり、アトリエファンファーレ東池袋にカラスカ公演『クロスミッション~十字架ミッション~』を観に足を運んだ。
23日から11月3日までの2週間に渡り、『十字架ミッション』と『交差ミッション』の2作品を上演する舞台は、それぞれ単独で完結はしているが話は繋がっていて、2作品に共通する登場人物もいるらしく、2作品観るとより愉しめる両作品合わせると4時間の大作になる個性的を超越した登場人物たちが繰り広げる、くだらないのに下品ではなく、のっけから腹筋を使ってお腹の底から笑えるコメディ。
舞台上には大きな鉄色の十字架があるだけ。
此処で繰り広げられる『十字架ミッション』は、お人好しが災いして頼られるままに友人知人に金を貸し、仕事も家族も無く、ただ借金だけ背負って生きていた男、葛城良平(紅葉 美緒さん)の前に、クロスクロイツという新興宗教団体の石丸(関 修人さん)とシスターの佐織(有栖川 姫子さん)が突然現れ、借金の肩代わりを引き受ける代わりに、良平と瓜二つの教祖桐斗(紅葉 美緒さん)の身代わりとして教祖になって欲しいと言うが、ひょんな流れで、良平は、クロスクロイツにいるSランクの特定信者という常識から外れた特殊な信者達を救うことになってしまうことになり……という物語。
ゲームをしない私でも何となくは知っているドの付く魔法と呪文を駆使するロールプレイングゲームとサバンナの動物たちが織り成す感動的あのミュージカルと海外でも高く評価された森の動物たちに育てられ人間嫌いの少女が主人公のアニメ映画を彷彿とさせる野生と超能力と忍術が入り乱れて展開される愛と救済の新興宗教コメディ。
まだ、千穐楽を迎えていないのと舞台全編にちらりと触れた世界や言葉が散りばめられているので、内容に関する詳細な感想は書けないが、一見、馬鹿馬鹿しく、ともすればくだらないだけに見えつつ、下品にならずに腹筋を使って笑うほど可笑しくて、ニュース沙汰になるような新興宗教に対するチクッとした皮肉がお汁粉に入れるひとつまみの塩のようにピリッと効いたエンターテインメントになっている。
無責任でちゃらんぽらんに見える様々な問題を抱えるSランクの特定信者の一人一人の心の中にある問題を見つめ、自らがその問題に向き合えるようにさりげなく導こうとする教祖桐斗と渋々ながら教祖の身代わりになったものの、特定信者たちと関わるうちに桐斗と同じようなアイデアで信者たちに寄り添い始める良平が見ているうちにひとつに重なり、同化し、「良い奴だなぁ」と思った。
こういう事も感じながらも、自分を救えるのは結局自分なのだと大上段に愛や救済を訴える舞台ではなく、頭を空っぽにして、何も考えず、深読みもせず、ただただ面白さに身を任せ、笑いに笑い、観終わったら何度だかスッキリして元気になれる、この目で、その目で間近に観ることでしかその面白さを味わえないからこそ、観て欲しい舞台。
文:麻美 雪
舞台「オヤジインデッドリースクール」
松扇アリス
シアターKASSAI【閉館】(東京都)
2019/10/10 (木) ~ 2019/10/14 (月)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2019/10/13 (日) 14:00
2019.10.13㈰PM14:00 池袋シアターKASSAI
今までで、最大の台風とも言われた台風が過ぎ去り、電車の運休や遅延の影響で、新宿も池袋も人出が少なく、デパートやお店も軒並みお昼過ぎからの開店で、シャッターの降りる静かな街並みを、台風一過の照りつける太陽を背中に、秋風を踝に感じながら池袋シアターKASSAI に松扇アリス第一回公演『オヤジインデッドリースクール』を観る為に足を運んだ。
13時開演を1時間遅らせての開演。
1週間前に同じこの場所で、全て女性で演じた『オトナインデッドリースクール』を観た。『オヤジインデッドリースクール』は、その男性版。内容は、『オトナインデッドリースクール』の観劇ブログを読んで頂くとして、『オトナインデッドリースクール』で、書かなかった事を此処では書いて、『オヤジインデッドリースクール』の感想としたい。
『オトナインデッドリースクール』と『オヤジインデッドリースクール』を観て、一番胸に残ったのは『2度目の未来』という言葉。
ずっと昔、人生は30年だった時代から見れば、今は平均寿命が延び、約90年。つまりは、3度の人生が生きられると考えたら、3度の未来があると考えられる。
だとしたら、一度や二度挫折したって、2度目の未来、3度目の未来で自分の望む事、行きたかった生き方が出来るということ。
登場人物やたちも、お笑い芸人から市役所の職員になり、また、お笑い芸人になりたい者、本当は歌手になりたかった市長、正に2度目の未来でイラストレーターから漫画家になった者など、2度目の未来の只中にいる者、2度目の未来に踏み出そうとしている者、2度目の未来を夢見る者たちだ。
そして、この舞台を観る私もまた、2度目の未来の只中にいる。幼い頃から作家になりたくて、生きるために作家とは関係の無い仕事に就き、ブログがきっかけで、まだ派遣社員との二足の草鞋ではあるものの、主に舞台について書くフリーのライターとして、幼い頃から願っていた文章を書く仕事をして2度目の未来の只中で生きている。(今年は更に趣味で作っていたハンドメイドの発注も受けハンドメイドの仕事も細々始まった)
人には3度の未来がある。
ユウ(布施 勇弥さん)だけが生き残ったこの世界にも、もしかしたら2度目の未来の世界があるのではないだろうか。
この1度目の世界では、ゾンビに噛まれ亡くなった者たちも、2度目の未来の世界でユウは会う事が出来るのではないか、そうであって欲しい、そうであると信じたいと思いながらこの舞台を観た。
『オトナインデッドリースクール』とは、男女の違いだけでなく、また違う面白さがあった。最高のオヤジたちに笑わされて、泣かされた舞台だった。
文:麻美 雪
探偵なのに
ENG
シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)
2019/10/09 (水) ~ 2019/10/15 (火)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2019/10/11 (金) 14:00
座席1階I列14 番
2019.10.11㈮ PM14:00 池袋シアターグリーン BIG TREE THEATRE
夜遅くから今までにない大きな台風が来ると言われていた夏の暑さの名残を感じる金曜日の午後、池袋シアターグリーン BIG TREE THEATREに松本 稽古さんの出演されているENG第十回公演『探偵なのに』を観に足を運んだ。
劇場に入り、席に着いて舞台を見ると、深紅の絨毯、部屋の左右に小さいテーブルと二脚の紅いビロード張りの椅子が二脚、向かって右手のテーブルの後ろには壁の上まで届くかと思われる本がぎっしり詰まった本棚が一架、左右の壁際にも赤いビロード張りの椅子が二脚ずつ置かれている部屋。
一軒の豪邸の一部屋で展開されるのは、推理小説に登場する難事件を鮮やかに解決する“探偵”に憧れたわけじゃなく、ただただ喫茶店で見かけて以来、気になって、心惹かれたあの子(森岡 悠さん)が妙な事件に巻き込まれそうな気配を感じ、危険が及ぶ前に鮮やかに守ってあげたくて、尾行をしたら、妙な事件の容疑者として、怖い人たちに囲まれた挙句に監禁され訳が解らない興信所の探偵(図師 博光さん)のいる部屋に、探偵を監禁した怖い人たちに次々と捕まり、放り込まれ増えて行く謎の人々と、気になっていたあの子が、何とこの家のお嬢様、此処にいるいる人たちは誰?この家で何が起ころうとしてる?どうしよう、推理しよう、自分を守るために、捜査しよう、だって俺犯人じゃないしと始まったミステリー?なコメディ。
まだ、千穐楽を迎えていないので、あまり詳しい感想が書けないので、好きな場面や台詞について少しだけ書こうと思います。
好きでオススメなのは、オープニングとラストのダンスシーン。
このダンスがちょっとアメリカンコミックのアニメや映画を見ているみたいな、コミカルさと軽妙さを含みながら、とってもキレがあって格好良く、登場人物やストーリーのヒントが隠されていて見ているだけで楽しくなる。
好きな台詞は、何度か興信所の探偵から発せられる「探偵は人を見る仕事。人を見続ける仕事」という言葉。人を見るから、見続けるからその人の持つ本質、人間としての真の部分が見え、分かり、だから気になるあの子が何かに巻き込まれているのが気づいて、守ろうと尾行する探偵の一途な思いが伝わってくる。
『人を見る仕事。見続ける仕事』良い言葉だなと思う。人を見るというのは、いい事ばかりでも、美しい事ばかりでもなく、人の醜い部分、嫌な部分も見る。それでも目を逸らさずに見続ける事で見える真実、見える事がある。
探偵が探偵を続けるのは、それでも結局人間が好きで、少なくはあるけれど、純粋で美しい心を持つ人に出会う事があり、好きで、人を信じよう、信じたいという思いがあるからではないかと思った。
一歩間違えば、仕事ではなく個人的な思いからの尾行は、ストーカーと言える行為だが、冴えないちょっと情けない探偵が終盤、何度だかとっても格好良く見えて来る。
全編に笑いが散りばめられていて、何も考えずに、その可笑しさ、面白さにお腹の底から笑い続けているうちに、とってもハッピーな気持ちのまま、幕を閉じていた。
心も頭も空っぽにして、笑い愉しめる最高に面白いコメディでした。
文:麻美 雪
舞台「オトナインデッドリースクール」
松扇アリス
シアターKASSAI【閉館】(東京都)
2019/10/03 (木) ~ 2019/10/08 (火)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2019/10/05 (土) 13:00
2019.10.5㈯ PM13:00 池袋シアターKASSAI
前日に引き続き、夏の日差しを背中に、涼やかな秋風を踝(くるぶし)に感じながら、池袋シアターKASSAI へとSetsukoさんの出演されている松扇アリス第一回公演『オトナインデッドリースクール』を観に足を運んだ。
ベンチシートに腰を落ち着け、正面へ目を転じると、目の前に現れるのは区役所の屋上。
話は全て、この屋上で進んでゆく。
区役所の屋上で総務課の墨尾優(七海 とろろさん)と百村信子(遠藤 瑠香さん)が漫才の練習をしていると近所の人々が駆け込んで来るのだが、その人々を見ると怪我をした者、常軌を逸した者、手に血に濡れた金属バットを持った商店街でバーを営む紅島弓矢(高瀬川 すてらさん)の姿があり、理由を聞くとふたりが知らぬ間に、世界は死体が蘇り、生きてる人間を襲い出す地獄と化していると言う。
屋上に集まる様々な境遇のオトナたちを目の当たりにしたユウとノブは、恐怖と絶望の狭間でふたりは、漫才をするという「えっ?何で?」
という決断を下す。夢も希望も失われた世界で、オトナたちは笑って生きられるのか?という、SFとファンタジーとシリアスとコメディーを魔女の大鍋に入れてかき混ぜたような不思議だけれど、妙に現実的でいながらやっぱりとんでもなく非現実的な世界が繰り広げられる。
『オトナインデッドリースクール』は、本日が千穐楽なので、これからご覧になる方もいらっしゃると思うので、ここでは、全体の感想を書かせて頂きます。
この屋上は、人生の縮図であり人生の坩堝だと思った。
此処に集まって来た人々は、年齢も性格も職業もそれぞれが悩みや秘密、痛みや悲しみも様々な人々。
孤独で弱いのに虚勢を張り、人を見下すような物言いで、斜めに物を見ている風を見せる辻井(八木橋 里紗さん)、しっかりしてそうに見えて、アイドルになりたかった愛らしい一面と市民を護る強さを併せ持つ青池市長(Setsukoさん)、明るくおちゃらけているように見えて、臆病で寂しがり屋で、それでも前に進もうとするユウ(七海 とろろさん)、ぶっきらぼうで一見怖く見えるが、拘らない強さと潔さの中に温かさを持つ紅島(高瀬川 すてらさん)、高校時代、自分の不始末を紅島のした事と誤解された儘にした事に負い目と痛みを感じる高森(市倉 有菜さん)、いつもユウを穏やかに見守りながら芯に強さを秘めたノブ(遠藤 瑠香さん)など、穏やかな日常から一転、恐怖と絶望渦巻く屋上に集まった人々の吐露から浮き彫りになるそれぞれの抱える悩みや痛みと人生の縮図であり坩堝。
それはまた、観ている一人一人にも重なり、抱えるものでもあるのではないだろうか。
ファンタジー或いはコメディーのように見えながら、人間の持つ弱さと強さ、醜さと美しさ、悲しみと喜び、笑いと涙、そして、生と死というテーマを笑いの中に、ハッと胸を衝かれる言葉共に宝石の原石を呑んだ鉱物の煌めきのように瞬き、観ながら様々な思いや考えが全身を過ぎり、最後に掌に残った言葉は、それらを全て引っ括めてもなお、この舞台最高に面白い!だった。
『オトナインデッドリースクール』は、今日が千穐楽ですが、10日は、全員男性だけで紡ぐ『オヤジインデッドリースクール』が始まりまるので、興味を持たれた方は是非劇場へ。
文:麻美 雪
Court Gort(コートゴート)
PLAYunitむめむめ
アトリエファンファーレ東池袋(東京都)
2019/10/02 (水) ~ 2019/10/14 (月)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2019/10/04 (金) 14:30
2019.10.4(金) PM14:30 アトリエファンファーレ東池袋
10月だというのに30℃を超える真夏の暑さに照りつけられながら、アトリエファンファーレ東池袋へと華奈さんが出演されているPLAYunitむめむめ 第3回公演『Court Goat』白ヤギチームを観に足を運んだ。
階段を地下へと降り、劇場に入り席に着く。目を上げると、正面に半円に描くように置かれ3台の長机と椅子、正面の机には裁判長と裁判官、左右の机には6選ばれし人の裁判員と1人の補充裁判員が分かれて座っている。裁判長の後ろには、ヤギの仮面が止められた額縁が掛けられている。
此処では、裁判員制度が導入され十年が経つ頃、東京で密かに人気を集める『模擬裁判ツアー』が行われている。
ツアー参加者の一人である穂高菜々子(百々 ともこさん)は、学生時代の先輩でツアーガイドの利木 誉(五十嵐 絢美さん)に頼まれ、補充裁判員として模擬裁判に参加する。
この裁判の被告人・大学生の加賀美(栁沢 茂人さん)は同じ大学に通う幼なじみの彼女が、同大学生の根岸に襲われている現場に行き合わせ、助ける為に揉み合ううちに、ナイフで根岸の脇腹を二度刺した事により根岸が死亡したことによる傷害致死罪に問われており、検事(山本 蓮さん)・弁護士(中村 つぐみさん)ともに罪状に相違はないが、この日が襲った幼なじみと初対面だという被害者の根岸は、なぜ幼なじみを襲い命を落とすことになったのか、なぜ、ストーカーされていると怯えていた幼なじみは、根岸のいるこの場所に一人で来たのか、なぜ、被告加賀美は、脇腹を2度も刺したのか、その時殺意はあったのか、被告は情状酌量に値するのか、裁判員ら十人での評議は順調に進んでいると思われたが、一人の裁判員の突然の辞退により評議は思わぬ方向へと進み始めるという物語。
重いテーマなので観るまでは、どんな舞台で、それを観た自分はどう感じるのか、最後まで目と心を逸らさずに観ることが出来るのかと不安があったが、重いだけでは無く所々に笑えて和める場面が散りばめられおり、休憩無しの2時間15分という長尺の舞台であるにも関わらず、話が進むにつれ引き込まれ、終盤に向けて伏線が回収されて行く最後までググッと魅せられた。
裁判員制度が導入された時、友人とアメリカでさえ、陪審員制度に留まっており、アメリカの人達でさえ、陪審員制度を導入されていなかった日本人が、いきなり陪審員制度より重い裁裁判員制度を動導入するのは大変すぎる、無謀、選ばれた人達の精神的負担が大きいのではないかと言うのを聞いたが、大人として成熟していない多い今の日本で、この制度を採用するのは不安だと語り合った事を思い出した。
その時は、比較的殺人など重い裁判ではなく、窃盗や万引き等負担の少ない裁判に裁判員として呼ばれると聞いていたが、気がつけば殺人などの重い裁判でも裁判員制度が用いられている今、裁判員制度や裁判員裁判は私たちにとっても他人事ではなく、描かれているテーマも昨今の痛ましいニュースの報道の在り方、受け取る我々の姿勢、もし自分がこの様な事件の裁判員になったら等、決して他人事として看過出来ないテーマであり、自分だったらと考えながら観た。
14日が千穐楽なので、細かく書くとこれから観る方に結末が判ってしまうので、全体の感想をざっくりと綴に留めるが、本当の悪、本当の罪、真犯人はどう裁かれるのか、この『Court Goat』の幼なじみを襲った加害者根岸は加賀美刺され最終的に被害者になったが、本当の加害者と言えるのか。
被害者であるが加害者とも看做された根岸の家族は、事件の報道により、世間や近所から心無い言葉と視線を浴びせられ生きる地獄に落とされた家族もまた被害者であり、助ける為に根岸を刺した加賀美も加害者と言えるのか。
幼なじみの遺族の絶望と悲しみ。
助けられたものの結局は、事件後命を絶ってしまった幼なじみの描き潰えてしまった夢は、事件の発端を作った真犯人に痛みはあるのか、もし痛みを感じていないなら、そのような人間らしい感情を持たない人間を前にした時、この痛ましい事件で奪われた人々の命と時間を誰が何を持って贖うことが出来るのか。
もし、自分がこのような事件に巻き込まれ、当事者となったとしたら、若しくは、このような事件の裁判員として選ばれ、居合わせることを余儀なくされたとしたら、自分はどういう結論を出すのか。
星の王子さまの『大切なことは目に見えない』という言葉を思い出す。事件の隠された真実を知った時、その隠された真実を知らないままに出した結論が間違いであり、一人の人間の命と未来と夢を奪ってしまったとしたら、そう思うと裁く側、市井たる裁判員に及ぼす精神的負担と拭えないトラウマをどうケアしてゆくのか、一方的な、偏った報道により加害者の家族の味わわされる絶望と地獄を思う時、加害者の家族もまた、被害者であり、加害者の家族と言うだけでそしられ続ける痛みと苦しさ等を思い、考え、感情と思考が全身を駆け巡り、胸を締め付けられた。
このような事件も裁判員制度も、他人事ではない怖さ。裁判員制度だけでなく、様々な事について自分自身に置き換え、重ね考えたこの舞台は、質の良いサスペンスを観た様な、進むにつれ、伏線が回収されて行き、ドンドン引き込まれ、ラストまでたどり着くとそう来るかという極上のミステリーを一冊、一気に読んだような舞台だった。
文:麻美 雪
スペインの悲劇~ヒエロニモの怒り~
劇団 現代古典主義
コフレリオ 新宿シアター(東京都)
2019/09/14 (土) ~ 2019/09/16 (月)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2019/09/14 (土) 14:30
2019.9.14㈯ PM14:30 コフレリオ新宿シアター
夏も背中を見せ、秋めいて涼しい風の吹く土曜日の昼下がり、東新宿から程近いコフレリオ新宿シアターに、劇団現代古典主義 The 4th floor series vol.3『スペインの悲劇~ヒエロニモの怒り~』を観るため足を運んだ。
16世紀にイギリスでトマス・キッドが発表した16世紀末のスペインを舞台に息子を殺害された司法長官ヒエロニモが、法と理性の間で苦しみながらも復讐を果たす物語として描いた「スペインの悲劇」に独自解釈を加え、劇団現代古典主義独自のステージを複数に分割して物語を同時に進行させる“同時進響(しんこう)劇”として3時間かかる舞台を70分に凝縮し、分かりやすく、強く心に響き残り、のっけから観客を物語の中に引き込む舞台として展開する。
この『スペインの悲劇』は、シェイクスピアの『ハムレット』の原案になったと言われ、復讐劇の先駆けとなった舞台で、シェイクスピアが現れるまでは、1587年のイギリス初演以降15年間に渡り上映されたヒット作でありながら、シェイクスピアの人気の影に隠れ、現在では世界でも殆ど上演される事がなくなり、日本でもこの『スペインの悲劇』を上演し観られるのは、私は、劇団現代古典主義しか知らない。
舞台上に舞台装置はほとんど無い。有るのは、舞台と客席の境界線のように置かれた低いフェンスとその上に等間隔で1列に乗せられたロウソク型のライトのみ。
この簡素な舞台で繰り広げられるのは、16世紀スペイン、世界最大の植民地帝国として隆盛を極めた黄金時代スペインが、ポルトガル支配の成功にファンファーレが響く中、華やかな劇中劇で幕が上がる中、一介の司法役人ヒエロニモの息子ホレイショーの遺体が発見され、宮廷に不穏な空気を垂れ込め、息子が殺害された理由すら分からないヒエロニモは、暗闇を手探りするように真相に迫り、息子を殺された事を知り、哀しみと怒りに震えるヒエロニモは、宮廷内にいる筈の殺人者へ復讐心を募らせ、一人スペイン帝国に立ち向かう悲しく痛ましい復讐劇。
明日が千穐楽の舞台、これからご覧になる方もいられると思うので、あまり詳(つまび)らかに書くのは控えるとして、舞台を観た全体の感想と見どころを書くに留めておきます。
全体の感想としては、凄い、素晴らしいの一言に尽きる。
舞台装置もほとんど無く、照明も極限までに絞った、仄暗い中で紡がれて行くのに、登場人物の表情が一層際立ち、その声と動きと相まって、息子を殺されたヒエロニモの絶望と悲しみと憎しみ、国家利益のためには手段を選ばないスペイン王族たちの醜さと非道さとその者達によって引き裂かれたヒエロニモの息子ホレイショーと恋人のインペリアの純愛、ホレイショーを殺されたインペリアのスペイン王族への激しい憎しみとホレイショーへの愛の深さ、息子を殺され絶望と烈しい憎しみの果てに自死を遂げた母ダニエラの胸を裂くような悲しみが、全身に響き、その場に居合わせたかのように迫って来た。
3時間ある舞台を、独自の視点と解釈を加えた上に、70分に凝縮し1つの舞台の上で、複数の場面を同時進行して見せながら、一切破綻なく、尚且つこの話を初めて知り、観る人にも話の筋が分かりやすく、それでいて最初か観客を物語の中に引き込み、一つの完成された舞台として観せる凄みと素晴らしさに溢れた舞台だった。
見どころは、16世紀当時を再現した仮面をつけた劇中劇とフェンシングでの殺陣、そして何より、役者さんの表情と声。
言葉の一つ一つがくっきりとその人物たちの輪郭と表情を感じさせ、尚且つとても聞き取りやすく、感情を声でコントロールしながら、それぞれの人物の心情を現し、だからこそ、思いと感情が込み上げての慟哭や叫びがより際立つ。
フェンシングでの殺陣は、その美しさと激しさと迫力に圧倒される。
仮面をつけた劇中劇は、フェンシングの場面や劇中劇以外の身体の動きの違うことが分かる凄さ。
登場人物たちの命が消えるのに呼応して、フェンスの上のロウソクが消える細かい演出。
観終わって胸に渦巻いたのは、凄いものを観た、凄い、面白い、感動という言葉が不思議な興奮と高揚感を持ってグルグルと駆け巡り続ける感覚。
去年は、父が亡くなり慌ただしくしていて、観ることが叶わなず、ずっと観たいと思っていたこの舞台を観られて心から良かったと思った。
文:麻美 雪
V-e ヴォイス・エレメント
萬腹企画
上野ストアハウス(東京都)
2019/09/04 (水) ~ 2019/09/08 (日)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2019/09/06 (金) 13:00
2019.9.6㈮ PM13:00 上野ハウス
暑さがぶり返した真昼の上野を、宮岡志衣さんが出演されている満腹企画8杯目『V-e ヴォイス・エレメント』を観る為に上野ストアハウスへと足を運んだ。
舞台の左右に数段の階段、その階段の上と下にあるスペースと階段に挟まれた舞台中央にある回り舞台で物語が展開される。
今日が千穐楽なので、詳しくは綴れませんが、全体の感想を書ける範囲で書かせて頂きます。
この舞台を観るきっかけは、タスクを演じる宮岡志衣さんに、『キーキャラクターを演じるので、麻美さんに是非見て欲しい』と連絡を頂いてこと。志衣さんが出て来た瞬間、タスクは、志衣さんでなければ出来ないタスクで、カッコイイ!と思った。
20年前、高校のアニメ部に所属し、夢を語り合った若者たちは、つばさ(榎本温子さん)とひなた(樹元オリエさん)は声優になるもひなた翼と共にヒットアニメの主役を演じたあと声優を辞め、つばさは人気声優となり今も活躍し、ヒロキ(谷口健太郎さん)はアニメ監督、ジロウ(近藤大稀さん)はスーツアクターとそれぞれが夢を叶えて仕事を続けているが、現実に忙殺されていた。
夢の世界に憧れ、夢を叶えた若者達が20年の時を過ごすうち現実に翻弄され葛藤しながらも、もう一度あの頃の気持ちを思い返し、流され押し潰されそうになりながら、もう一度原点に立返る人間ドラマかと思いきや、そこに未来の世界から危機に陥った未来の世界の人間を救う為タスク(宮岡志衣さん)によってプログラミングされた人型AIロボットが加わっての紆余曲折、アクションあり、対決あり、笑いあり、ドタバタコメディーのようで、ほろっとしたり、涙もぽろりと零れたりの観終わったあとに、爽快で幸せで温かい気持ちに包まれて、元気になれるコメディー。
人の声には力があり、言葉には『言霊』と言われるように思いを叶える力がある。
『声の力』『言葉の力』が、この2つがこの舞台、物語のテーマ。
言葉によって操っていたはずが、いつの間にか操られていたり、悪い思いや気を持って発した言葉は、この世界を闇に染め戦争や紛争、嫉妬や憎しみを生む一方、うつくしい思いや優しい気を持った言葉は、この世界を温かな光で満たし、平和や思いやり、愛や幸せ、喜びや希望を生む。
言葉と声には魂があり、力がある。
つばさとひなた、二人の声が一つになり立ち向かうべき敵に、その声で、その思いで挑み、立ち向かう時、きっと世界は変わる。
とこう書くと、ちょっとシリアスな舞台に見えるこの物語を全編笑いを散りばめながら、主演のお二人が声優であることもあり、リアルな声優あるあるや声優のお仕事を垣間見れたり、カッコイイアクションもあり、子供の頃、ヒーローものや美少女戦士もの、アニメで育ったお父さんお母さん世代から子供まで幅広い世代が楽しめて、思いっきり笑えて面白い、最高のエンターテインメントな舞台。
文:麻美 雪
迷宮の扉
REON NEO COMPANY
新宿シアターモリエール(東京都)
2019/08/07 (水) ~ 2019/08/12 (月)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2019/08/10 (土) 13:00
座席1階B列9番
2019.8.10 PM13:00 新宿シアターモリエール
太陽が背中に照りつける、土曜日の新宿をREONさんが初プロデュースし、出演されたREON NEO COMPANY 第一回公演『BATTLE ROCK MUSICAL 迷宮の扉』を観に新宿シアターモリエールへと足を運んだ。
前から2列目真ん中左手寄りの席に着き、舞台に目を転じると、舞台の奥に透かし模様の施された鉄の扉が、現在と過去、彼岸と此岸を隔てる境界若しくは結界のようにある。
この扉を巡って繰り広げられるのは、千年の昔、欺瞞と憎悪に溢れ混沌としていた世界で、人々の心の中には悲しみが満ち、目が覚める事にすら失望する程希望のない日々の中で、平和を願い、ただ祈ることしか出来ない人々と世界を「アルク」という青年が、彼の作り出す「音楽」で善も悪もその想いの強さが開く事が出来るという、人々の最後の希望である「門」を開け、世界を浄化したという英雄伝が語り継がれる平和に満ち溢れた現代に、「アルク」の意思を引き継ぎ、「音楽」を創り、千年前に「アルク」の音楽によって扉の向こうに封じ込めた絶滅者ギルファーを復活させようと暗躍するギルファーの部下たちが送り込む刺客と「音楽」の魔法で戦い人々を守り続ける人気ロックバンド「レゾンデートル」の元に届けられた一枚の楽譜によって起こる、『迷宮の扉』=パルスゲートを巡っての物語。
BATTLE ROCK MUSICALと聞いただけでワクワクする。全編オリジナル楽曲、歌、ダンス、殺陣、芝居が融合し、凝縮したREONさん初プロデュース、REON NEO COMPANYの第一歩となる舞台は、幼い頃ヒーロー物を見て育った世代の大人はもちろん、今ヒーロー物に夢中になっている子供も楽しめるカッコイイロックファンタジー。
出演されていた役者さんもダンサーさんもとにかくカッコイイ。
テーマになっているのは『絆』。人を信じること、人を信じ仲間を信じ、思いやることによって生まれる力、『絆の力』。
その絆の力を利用し、絆の力を弱める為巧妙に創られた疑心暗鬼、不和をもたらす楽譜を仲間を思うが故に、時に仲間に厳しく接するクロエ(REONさん)の自分に対する仲間たちの態度に、自分の存在を示したいと同時にモヤモヤした物を抱えた心の隙に付け込まれ、渡された楽譜をそうとは知らずに演奏したことで、崩れ壊れかけた絆の力を取り戻し、復活したギルファー(當間ローズさん)を倒したのもまた、人を信じ、仲間を信じ思いやる心と絆。
テオ(古畑恵介さん)の『あなたは、やれば出来る子なんです。』という言葉によって、自信に目覚めるルーカス(松岡卓弥さん)。この言葉は、幼い頃何一つ自信を持つ事の出来なかった私に母がかけ続けてくれた懐かしくも私の糧になった言葉でもあった。人は、誰か一人でも自分を認め、必要とする人が居たら強くなれるし、生きて行ける。古畑恵介さんのテオは、母のような愛で仲間を包み込み護る。古畑恵介さんは、舞台上での所作と動きがとても綺麗で素敵だった。
REONさんのクロエの心に生じたモヤモヤは、きっと生きていれば、誰もが一度は覚える気持ちだと思うし、それは、裏を返せば、仲間を思うあまりに時に厳しくなり、もう少し柔らかく、素直に接したいと思っても出来ない不器用さと生真面目さは、クロエの仲間への愛情の強さであり、そんなクロエに私は熱い心と温かさを感じた。
ギルファーの部下でありながら、ギルファー一味に捕らえられたアイリ(佐々木七海さん)を助けたオズワルド(吉岡佑さん)は、実はアイリと生き別れた兄妹もしくは、アイリと関わりのある者だったのではないかと思った。若しくは、自分の中にある優しい心、その心を封印しなくてはならなかった悲しみ、優しい心、平和を求め、人の心の温かさに焦がれながら、善の世界には戻れない自分、せめて、純粋で優しく温かな心を持ったアイリにはそのままでいて欲しいから守ったのではなかったか。
當間ローズさんのギルファーは、佇まいと、横顔の眼差しに凄みがあり、殺陣が美しく迫力があった。ギルファーもまた、悪に生きざるを得なかった葛藤を抱えていたのかも知れない。ギルファーを作ったのは、人間の憎しみや嫉妬、醜い心だったのかも知れず、それは、私たちの中にも常に潜んでいるものであり、闇に落ちるか、光の中に佇むのかは、己の心根ひとつということなのだろう。
明音さんと中野亜紀さんのダンスも、この舞台を観ようと思った楽しみの一つでもあって、やはり、その表情や踊りの美しさとカッコ良さに釘付けになった。
出演されている役者さん、アンサンブル、ダンサー全ての人について書きたいが、書き切れないのが申し訳ない程、胸にグッとくる、ダンスあり、歌あり、殺陣あり、笑いのスパイスあり、涙あり、そして何より格好良くて、夏にピッタリの爽快で、素敵なエンターテインメント溢れる舞台だった。
文:麻美 雪
『夏の朗読会/怖い話』
劇団 月とスカレッタ
ギャラリーしあん(東京都)
2019/08/02 (金) ~ 2019/08/04 (日)公演終了
満足度★★★★★
2019.8.2㈮ 3㈯ 4㈰ 上野御徒町 古民家ギャラリーしあん
今年最高の37℃を記録した金曜日から、猛暑続きの3日間、大江戸線の新御徒町から歩いて程近い古民家ギャラリーしあんに、劇団月とスカレッタ 試演会シリーズ①『夏の朗読会/怖い話』を聴きに足を運んだ。
今年3月末に解散した演劇集団アクト青山の主宰小西優司さんが、新しく立ち上げた劇団月とスカレッタの本公演に向けて、いくつか試演会として公演があり、その最初がこの『夏の朗読会/怖い話』。
演劇集団アクト青山時代から好きな役者さんが出演され、春夏の朗読会も好きで聴きに行っていたので、2日の夜の回、3日と4日の昼の回の予約をしていた矢先、主宰の小西優司さんから、劇団名に因んだ『月』をイメージしたコラボレーションのハンドメイドの依頼があり、物販担当の岩崎友香さんと打合せ、アクセサリーとブックマークを製作させて頂くという形で、少しだけ関わらせて頂いた夏の朗読会は、私にとっても忘れられない公演になった。
3日間聴きに行ったので、今回は、全体を通して感じた感想をつづらせて頂く。
2年前まで派遣の仕事で、通っていた会社の近くに、こんな静かなギャラリーがあったのを知らなかった。紺地に白でお店の名前を染め抜かれた暖簾を潜り、木戸を開けて歩いた数歩先にある古民家の引戸をあけ、上がり框を上がり、木戸銭を払い部屋に入り、前から二列目左隅の席に着き、目を上げると正面に緑濃い葉をさやさやと風にそよがせる庭木のある小体な庭が、硝子戸の向こうに見える。
庭に続く硝子戸と磨きこまれた板の間の間にある縁側のようになった場所に置かれた、昭和初期の佇まいのアンティークな長椅子とテーブルが置かれており、その長椅子に座り役者さんたちが朗読する。
偕成社の『日本のこわい話 民話と伝説 呪いの巻物』の中から選ばれ読まれた話は、怖いと言うよりも、温かさやそこはかとない悲しみ、切なさ、可笑しみに重心が置かれているように感じた。
おどろおどろしい怖い話と言うより、そうなる理由や、母の愛や、人の身勝手さ故に起きた事であったり、切なさや悲しみ、それだけでなく、滑稽な話もあったり、日本古来の伝説や民話の中に出て来る怖い話は、子供たちへの教訓を分かりやすく伝える役目もあった。
怖い話にしても、こういう事をするのはいけない、こういう事をするとバチが当たるというのを分かりやすくヒシヒシと身にします様に教える役割も担っているので、怖いだけではなく、そこには情や温かさがあるのだと言うことが、この偕成社の本の中にある怖い話を朗読によって聴くことでより強く、皮膚感覚を伴って伝わって来た。
劇団月とスカレッタの役者さんは、声、発声発語がハッキリしていて、とても聴き取りやすく、情景を声で描き出されるので、すうーっと話の中に彷徨い混む事が出来る。
それは、ゲストの飯田南織さん、牛抱せん夏さん、三浦剛さんにも感じたこと。
小西優司さんの読んだ、身篭ったまま亡くなり、棺の中で産み落とされた我が子を飢えさせぬ為、毎夜飴屋に飴を買いに行き、その飴を我が子に舐めさせる『子育てゆうれい』は、死してなお、母の愛を感じて聞く度にしみしみと切なくなった。
岩崎友香さんの『うばすて山の夜なき石』の、年老いた母が自ら、息子の負担になってはいけないとうばすて山に行くと言い、山に着き、見上げた空の深々と凍える空気と年老いた母の目に映る景色、胸に去来する思い、息子の辛さが、悲しくも美しい一幅の絵のように瞼の裏に映った。
葵ミサさんの『墓をあばく老婆』は、静けさの中に緊迫感を感じ、幼い頃母に読んでもらった、山姥に追いかけられ、命からがらでお寺に駆け戻って九死に一生を得た、小僧さんの話を思い出し、怖いのに懐かしいような、幼い日の手に汗握って聞いていた夏の日を思い出した。
実話怪談師の牛抱(うしだき)せん夏さんの朗読とその後にされた、実話怪談は、話されている間後ろの庭の木の枝が風にざわざわと揺れていて、臨場感たっぷりで、怖かった。
相楽信頼さんの『うらみの白骨』は、眠狂四郎がスパッと抜刀して斬ったような、冴え冴えとした静けさの中に、冷やっとするこわさがあった。
キャラメルボックスの三浦剛さんの『大入道と小僧』は、別の意味で怖くはあるけれど、唯一、ほのぼのと可笑しみのある話で、三浦剛さんの語り口と相俟って、唯一ほっこりとした。
ベニバラ兎団の飯田南織さんの『鬼につかれた妹』は、鬼が妹を食い殺して妹になりすまし、村中の人を食べ尽くし、残ったのは息子の言うことを信じず、息子を家から追い出した両親のみで、兄が鬼を退治する話だが、登場人物が、一人一人を声で描き出し、目の前にありありと見えるようだった。
朗読会とはなっているものの、朗読を越えて、一人芝居を見ているような、1日3本の短編芝居を観ている様な素晴らしい『夏の朗読会/怖い話』だった。
文:麻美 雪
しだれ咲き サマーストーム
あやめ十八番
吉祥寺シアター(東京都)
2019/07/19 (金) ~ 2019/07/24 (水)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2019/07/20 (土) 14:00
座席1階F列18番
2019.7.20㈯ PM14:00 吉祥寺シアター
夏の暑さが戻った梅雨明け間近の吉祥寺の駅から、あやめ十八番『しだれ咲きサマーストーム』を観る為、吉祥寺シアターへ足を運んだ。
劇場に入ると紅殻色の橋から階段へ、階段から中空、地上の左右に紅柄色の格子に囲まれた、廓の部屋のようなものへと繋がる舞台が暗い中に鮮やかに浮かび上がっていた。
江戸時代まで行われていた風習、“ 後妻打ち”の場面から賑々しく始まった『しだれ咲きサマーストーム』の舞台は、2020年の江戸。
“ 後妻打ち(うわなりうち)”とは、妻と離縁して1ヶ月以内に夫が再婚した場合、予告した上で、先妻が後妻の家に徒党を組んで襲撃し、後妻も徒党を組みこれに応戦すると言うもので、刃物は用いず、人を攻撃してはならず、壊すのは家具や物品のみに限り、男は参加出来ないなどのルールがあり、互いの鬱憤を晴らす風習。
この“ 後妻打ち”、落語や時代劇等にも描かれており、「ああ、落語の世界だなぁ」、これはもしや落語仕立ての話かと胸が弾んだ。
舞台は2020年の江戸。江戸と現代が混ざり合いながら、するりと溶け込み違和感がない世界が目の前に立ち現れた。2020年の江戸を舞台に紡がれるのは、
風間東薫という元落語家が新婚の身でありながら、鬼瀬川という吉原の遊女に一目惚れして以来、毎日のように妻のお袖に離婚を迫るも、お袖はこれを頑として聞き入れず、夫婦の話し合いは平行線を辿る日々を送っている。
一方、落語家時代の東薫と同期であった岩鼻牡蠣衛門も、現在は落語家を辞め、戯作者となっていたが、或る日、作家として活動する牡蠣衛門の下に、かつての兄弟子である落語家の大酩亭白菊から新作落語の執筆依頼が舞い込む。
時を同じくして、廓の主から遊女が演じる俄狂言“吉原にわか”の執筆依頼を受けた牡蠣右衛門は、白菊から依頼された落語と“ 吉原にわか”の二つの作品を一つの廓話として成立させようと目論み、吉原とそこに通う男達の間に、様々な騒動を巻き起こし、この騒動の煽りを受けて、東薫は、五年もの間、胸に秘めていた壮大な計画を実行に移していくのだが…という物語。
落語の廓話を軸に、人情噺、滑稽話、色悪の噺など、様々な噺のパッチワークのような噺が展開され、最後のピースがカチリと嵌り、最後にはそれが壮大なジグソーパズルとして完成するような舞台。
自分が七代目大酩酊白菊を襲名せんが為、六代目白菊の娘お袖と夫婦になるが、七代目襲名を狙う兄弟子の策略に嵌り、初めて足を踏み入れた吉原遊廓で遊女鬼瀬川に一目惚れして、身を持ち崩し、七代目白菊を兄弟子に奪われても尚、鬼瀬川に焦がれ続ける東薫、歌舞伎役者の猿若藤七郎もまた、鬼瀬川に恋焦がれ、身請けを目論む。
藤七郎は、自分に想いを寄せる遊女二人に、嘘を吐いて金を工面させ、その金を工面する為に遊女二人は、自分にぞっこんのVチューバーコンビに偽りを言い、借金をさせ金を手に入れ、そのVチューバーコンビは、その金を手に入れる為、自分達の創ったアイドルVチューバーに夢中の藤七郎の弟子雛太郎から、これまた、嘘のクラウドファンディングで金をせしめ、その金を遊女二人に渡し、その金は藤七郎に渡り、その金が巡り巡ってアイドルVチューバーの手に渡りと入れ子のような構造になり、そこに、お袖、鬼瀬川、藤七郎によって苦界に落とされた遊女朝蛾於、廓の主の娘と東薫達が関わり合い、絡み合い、そして牡蠣右衛門によって操られ、胸が透きつつも、男の子身勝手、惚れた男の為に、騙した相手には悪女だけれど惚れた男への女の純情、その純情を自分の欲望の為に踏みにじる男の傲慢と狡さと身勝手さが描かれている。
東薫と藤七郎の破滅、それは、牡蠣右衛門の戯作によって操られ、仕組まれていると見えながら、見えざる神の手、時の采配、人知を超えたものによって下された鉄槌であり、牡蠣右衛門もまた、そんなものに操られていたのかも知れないと感じたのは深読みに過ぎるだろうか。
こんな小難しい事は抜きにしても、江戸と現代、様々な人間模様と噺が入れ子のようになり、パッチワークのように紡がれ、観終わった後は、壮大なジグソーパズルの完成を見るような『しだれ咲きサマーストーム』は、夏の始まりに相応しい、爽快で痛快な一席の落語の中に迷い込んだ面白さに溢れた舞台。
文:麻美 雪
ストアハウスコレクション・日韓演劇週間Vol.7
ストアハウス
上野ストアハウス(東京都)
2019/07/11 (木) ~ 2019/07/15 (月)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2019/07/13 (土) 14:00
2019.7.13㈯ PM14:00 上野ストアハウス
暑さがぶり返した曇り空の下、『ストアハウスコレクション~日韓演劇フェスティバル』を観に上野ストアハウスへと足を運ぶ。
観劇前に時間があったので、上野の西洋国立美術館で『松方コレクション展』を観てから向かった。
日本と韓国の2劇団による上演。二本で一公演の7回目になるこの日韓ストアは、韓国からは劇団新世界、日本からはDangerous Boxが魯迅の『狂人日記』を基にして両劇団がどういう切り口で、どのように魯迅の『狂人日記』に迫り、紡ぎ、観せるかを見比べるというもの。
私は、Dangerous Boxの『今日人。明日狂』が観たくて足を運んだ。
魯迅の『狂人日記』は、要約すると家族を始め自分の周りにいる人間たち全てが、自分を食べようとしているのではないかと思っている『私』によって語られる物語り。中国の食人文化から着想し、人間が人間を食うことへの恐怖感という感性的な形で捉え、尚且つ作中人物の『私』もまた被害者であると同時に、知らぬ内に人肉を食べさせられていて、既に加害者であるのではないかという追い詰められた罪の意識に貫かれ、加害者でもなく被害者でもないのは、もう、子どもしかいないのではないのか、せめて、子どもだけは加害者にも被害者にもならない者であって欲しいと『私』は願いつつ、結末には希望は見い出せず、そこはかとない絶望が残る話。
魯迅の『狂人日記』は、遥か昔に読んだような記憶だけが残っていて、内容についてはすっかり忘れた状態で観たDangerous Boxの『今日人。明日狂(きょうじん。あすくる。)』は、始まると同時に、解らない、感想を書くのが難しいと思いながら観て行く内に、膨大な言葉の掛け合いと、言葉の重なり合い、言葉遊びが猛スピードでスカッシュのボールのように飛び交い、跳ね返り、それぞれの人間と『私』が、追い詰められてゆくその合間を饒舌な言葉の海の合間に、真っ暗な夜のような、沈黙の海にただ一人落ち、漂っているような感覚と光景が、パッパッとスポットのように、フラッシュバックするように明滅した。今までのDangerous Boxとは、仄かに違う彩りを感じた。
Dangerous Boxの『今日人。明日狂』は、墨絵のような世界を感じた。墨に塗り込められて行くような、墨で描いた暗い夜の海に落ちて行くような絶望が、『私』を狂気へと追い詰め塗り込めてゆくような、皮膚に染み込むような絶望と怖さ。
原作を読んで、Dangerous Boxは原作に沿った『今日人。明日狂』になりつつも、狂っているのは周りなのか、自分なのか、外から見て狂っていると思っても、中にいる者は自分が狂っていることに気づかない、自分が狂っているとは思っていなくて、外の者が狂っていると思っている。狂気とは何か?狂人は居るのではなく、作られてゆくのではないか?
誰かが狂っていると言い、一人の人間を追い詰め狂人を作り出してしまうとしたら…。
これは、韓国の劇団新世界も、言わんとしていることのような気がする。狂人は居るのではなく、社会や環境、置かれている状況に置いて作られるものだと。狂気は、あるのではなく作られるものだと。
社会の常識は本当に常識なのか?あなたの常識は私の非常識であり、私の常識は、あなたの非常識であるかも知れない。誰かを狂っていると言う時、あなたは、私は、狂っていないといえるのだろうか?あなたは大丈夫?と言うのが、今の韓国における問題を9人の役者が○○狂人という形で観せる劇団新世界『狂人日記』の切り口。
対して、Dangerous Boxは、絶望が残る終わり方になっているが、どちらも終わり方としてはありだと思う。どちらがいい正解とかそういうのではなく、狂人日記という1つの作品を取り上げても感じ方、捉え方は観る人の数だけあり、解釈もある。日韓を観ることにより、その醍醐味が味わえた。
Dangerous Boxのラストの照明と末次祐季さんのあの追い詰められ、狂ってゆく表情に鬼気迫るものを感じ、凄まじく、石橋知泰さんの膨大な台詞でありながら、滑らか且つ何かがきちんと残るあの墨絵のような言葉の世界に溶けてゆく見事さ、そしてまだ墨絵のような暗い饒舌で寡黙な言葉の海とその海に漂う孤独と痛み、絶望の中に一縷の希望を見出したいと思う饒舌な沈黙の闇が細胞の何処かに染みついている舞台だった。
文:麻美 雪
疫病流行記
吉野翼企画
北千住BUoY(東京都)
2019/06/13 (木) ~ 2019/06/16 (日)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2019/06/15 (土) 15:00
2019.6.15㈯ PM15:00 北千住BUoY
朝から降り続く強い雨の中を突いて、北千住BUoYに、篠原志奈さん、のぐち和美さんが出演されていたリオフェスティバル2019 第十三回岸田理生アヴァンギャルドフェスティバル 吉野翼企画『疫病流行記』を観に足を急がせた。
『疫病流行記』には、筋があるようでなく、無いようで筋の欠片があるような、でも、やはり、はっきりとしたストーリーは無く、感想を書くのにとても難しい。
観ている間も、観終わってからもずっと考え続けているのだが解らない。いくら考えても解らないので、観たまま、直感的にあの日、あの瞬間に感じたままを綴るに留める。
この『疫病流行記』について知っている事と言えば、元々は寺山修司と岸田理生の共作であった事、初演当時は寺山修司と岸田理生二人の名前が記載されていたのに、初演以降は寺山修司の名前だけが記載され、以後寺山修司の作品として上演され、寺山修司の戯曲集には収録されているが、岸田理生の戯曲集には収録されていない事、岸田理生は寺山修司の愛人と言われていた事だけ。
吉野翼企画の『疫病流行記』は、寺山修司と岸田理生共作の『疫病流行記』を元は銭湯だった北千住BUoYで、上演された。
地下の劇場に降り、最前列の左寄りの席に着いた時には、出演者たちによるパフォーマンスが始まっており、開演30分前から既に『疫病流行記』が始まっているかのよう。
このパフォーマンスが、子どもが見たらトラウマになるやもしれない、ホラー映画の1場面が飛び出してきた様な怖さがあった。
白色の袋の中で「いらっしゃいませ。娼線(遊郭地帯を表す赤線、青線の事をしょうせんと言っているならこの漢字を充てるのだろうか)パゴパゴへようこそ。お待ちしておりましたわ。」と言いながら蠢く女たちの間を両手には青い包帯、顔には血に染った白い包帯を巻いた半裸の男たちがゾンビのようにゆっくりと徘徊する。
紅と蒼の照明が妖しく揺れ、女たちが繰り返す言葉、その後ろで余りにもこの場の雰囲気に合い過ぎるあとずっと聴き続けたら錯乱してしまいそうな音楽がラヴェルの『ボレロ』の様に同じフレーズを繰り返す中、男たちは徘徊し続ける。
30分間この光景を見続けているうちに、怖さに息苦しく、胸苦しくなり、ドキドキして来て、舞台が始まって十数分はこのまま行ったら最後まで観られないのではないかという状態に陥りながらも、目をそらす事が出来ぬまま観続けているうちに、落ち着き始め気づいたら2時間ちょっとこのグロテスクでありながら、異様に美しい世界に引き込まれて行った。
開演前のパフォーマンスを観た時、白色の袋の中で「いらっしゃいませ。娼線パゴパゴへようこそ。お待ちしておりましたわ。」と言いながら蠢く女たちは、薄い繭の中の蛹又は繭に閉じ込められた蝶、若しくは母の胎内の生温い羊水或いは羊膜に包まれた生まれ出ようとする胎児の様だと思った。
それは、この 疫病流行記 という物語を暗示する物なのか、或いは、寺山修司の中に巣食う何かが 疫病流行記 というものの中に、その物自体に産み落とされようとしているのか、岸田理生との化学反応によって生じた何かが産み落とされたのではと思ったりしたが、白い袋の中の女たちは、疫病の菌なのでは無いかとふと思った。
疫病の菌をその胎内抱え生まれ、色を売るのを生業とした女として、男と交わり疫病を拡散する媒介、疫病そのものなのではないかと思うのは、恐らく私の深読みに過ぎるだろうが、何とはなしにそんな風に感じた。
共作と言いながら、全体を通して流れるのは、寺山修司の色、寺山修司の世界。
ざらざらと膚を削って、毒を注入する様な肌触りの世界。寺山色が濃いとすれば、寺山修司にとっての『疫病』は、母の激し過ぎる自分への愛だったのではないか?逃れようとして逃れられない、何処までも追いかけ纏いつき、その毒で寺山修司を侵し、拒絶しようともし切れず憎みながら愛し、愛しながら憎み、藻掻くほどに毒が、疫病がその身に回り浸潤し、追い詰めて行く。死ぬまで逃れられない『疫病』。
それ故に、妻とも愛人とも何処か薄紙1枚隔てたような破るに破れない薄くて厚い壁、殻を置いたまま、絆も本当の関係も築けなかった寺山修司の中にブクブクと滾る毒が『疫病』として表現されていたのではないかと、深読みに過ぎる思いを抱いた。
この舞台を観たあとにポンと浮かんだ言葉は、シェイクスピアのマクベスの『汚いは綺麗、綺麗は汚い』だった。
醜く汚い中に時折煌めき、仄見える美しさと切なさ、青黒い絶望と孤独と毒、その中に煌めく紅黒いマグマのような妖しくも美しい熱とパンドラの匣の中に残った1粒の金色の希望、そして、やはり、塗り込められる闇。
頭の中も身体の中、血の中までもいろんな感情や衝撃が駆け巡り、混沌として上手く言葉に纏まらず整理出来ないながら、何だか凄いものを観たと言う感覚だけは膚に喰い込むように、我が身までも疫病に罹患したかのような錯覚と感覚が残る舞台だった。
文:麻美 雪