満足度★★★★★
鑑賞日2019/10/04 (金) 14:30
2019.10.4(金) PM14:30 アトリエファンファーレ東池袋
10月だというのに30℃を超える真夏の暑さに照りつけられながら、アトリエファンファーレ東池袋へと華奈さんが出演されているPLAYunitむめむめ 第3回公演『Court Goat』白ヤギチームを観に足を運んだ。
階段を地下へと降り、劇場に入り席に着く。目を上げると、正面に半円に描くように置かれ3台の長机と椅子、正面の机には裁判長と裁判官、左右の机には6選ばれし人の裁判員と1人の補充裁判員が分かれて座っている。裁判長の後ろには、ヤギの仮面が止められた額縁が掛けられている。
此処では、裁判員制度が導入され十年が経つ頃、東京で密かに人気を集める『模擬裁判ツアー』が行われている。
ツアー参加者の一人である穂高菜々子(百々 ともこさん)は、学生時代の先輩でツアーガイドの利木 誉(五十嵐 絢美さん)に頼まれ、補充裁判員として模擬裁判に参加する。
この裁判の被告人・大学生の加賀美(栁沢 茂人さん)は同じ大学に通う幼なじみの彼女が、同大学生の根岸に襲われている現場に行き合わせ、助ける為に揉み合ううちに、ナイフで根岸の脇腹を二度刺した事により根岸が死亡したことによる傷害致死罪に問われており、検事(山本 蓮さん)・弁護士(中村 つぐみさん)ともに罪状に相違はないが、この日が襲った幼なじみと初対面だという被害者の根岸は、なぜ幼なじみを襲い命を落とすことになったのか、なぜ、ストーカーされていると怯えていた幼なじみは、根岸のいるこの場所に一人で来たのか、なぜ、被告加賀美は、脇腹を2度も刺したのか、その時殺意はあったのか、被告は情状酌量に値するのか、裁判員ら十人での評議は順調に進んでいると思われたが、一人の裁判員の突然の辞退により評議は思わぬ方向へと進み始めるという物語。
重いテーマなので観るまでは、どんな舞台で、それを観た自分はどう感じるのか、最後まで目と心を逸らさずに観ることが出来るのかと不安があったが、重いだけでは無く所々に笑えて和める場面が散りばめられおり、休憩無しの2時間15分という長尺の舞台であるにも関わらず、話が進むにつれ引き込まれ、終盤に向けて伏線が回収されて行く最後までググッと魅せられた。
裁判員制度が導入された時、友人とアメリカでさえ、陪審員制度に留まっており、アメリカの人達でさえ、陪審員制度を導入されていなかった日本人が、いきなり陪審員制度より重い裁裁判員制度を動導入するのは大変すぎる、無謀、選ばれた人達の精神的負担が大きいのではないかと言うのを聞いたが、大人として成熟していない多い今の日本で、この制度を採用するのは不安だと語り合った事を思い出した。
その時は、比較的殺人など重い裁判ではなく、窃盗や万引き等負担の少ない裁判に裁判員として呼ばれると聞いていたが、気がつけば殺人などの重い裁判でも裁判員制度が用いられている今、裁判員制度や裁判員裁判は私たちにとっても他人事ではなく、描かれているテーマも昨今の痛ましいニュースの報道の在り方、受け取る我々の姿勢、もし自分がこの様な事件の裁判員になったら等、決して他人事として看過出来ないテーマであり、自分だったらと考えながら観た。
14日が千穐楽なので、細かく書くとこれから観る方に結末が判ってしまうので、全体の感想をざっくりと綴に留めるが、本当の悪、本当の罪、真犯人はどう裁かれるのか、この『Court Goat』の幼なじみを襲った加害者根岸は加賀美刺され最終的に被害者になったが、本当の加害者と言えるのか。
被害者であるが加害者とも看做された根岸の家族は、事件の報道により、世間や近所から心無い言葉と視線を浴びせられ生きる地獄に落とされた家族もまた被害者であり、助ける為に根岸を刺した加賀美も加害者と言えるのか。
幼なじみの遺族の絶望と悲しみ。
助けられたものの結局は、事件後命を絶ってしまった幼なじみの描き潰えてしまった夢は、事件の発端を作った真犯人に痛みはあるのか、もし痛みを感じていないなら、そのような人間らしい感情を持たない人間を前にした時、この痛ましい事件で奪われた人々の命と時間を誰が何を持って贖うことが出来るのか。
もし、自分がこのような事件に巻き込まれ、当事者となったとしたら、若しくは、このような事件の裁判員として選ばれ、居合わせることを余儀なくされたとしたら、自分はどういう結論を出すのか。
星の王子さまの『大切なことは目に見えない』という言葉を思い出す。事件の隠された真実を知った時、その隠された真実を知らないままに出した結論が間違いであり、一人の人間の命と未来と夢を奪ってしまったとしたら、そう思うと裁く側、市井たる裁判員に及ぼす精神的負担と拭えないトラウマをどうケアしてゆくのか、一方的な、偏った報道により加害者の家族の味わわされる絶望と地獄を思う時、加害者の家族もまた、被害者であり、加害者の家族と言うだけでそしられ続ける痛みと苦しさ等を思い、考え、感情と思考が全身を駆け巡り、胸を締め付けられた。
このような事件も裁判員制度も、他人事ではない怖さ。裁判員制度だけでなく、様々な事について自分自身に置き換え、重ね考えたこの舞台は、質の良いサスペンスを観た様な、進むにつれ、伏線が回収されて行き、ドンドン引き込まれ、ラストまでたどり着くとそう来るかという極上のミステリーを一冊、一気に読んだような舞台だった。
文:麻美 雪