草創記「金鶏 一番花」
あやめ十八番
東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)
2025/09/20 (土) ~ 2025/09/28 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
面白い、お薦め。
「音楽劇 金鶏 二番花」の前編にあたり、「テレビジョンの研究/開発」と「戦争」、それを虚実綯交ぜにして描いた記憶劇のよう。この2つのテーマは同時/並行するように描かれ、戦後になって物語が収斂していく。テーマを暈けさず、それぞれの伝えたいことを鮮明にする上手さ、そこに この公演の魅力がある。
当日パンフに、代表の堀越 涼 氏が「テレビジョンと戦争と歌舞伎。三つを並べた時、ようやく物語は動き出したように思う」と記している。テレビジョンに関しては、前作でも本作でも語られている。金原賢三(高柳健次郎がモデル)が子供の頃、ハレー彗星の接近により人類絶滅といった噂が流れた。彼は 母に死ぬ前に何がしたいか尋ねたところ、「歌舞伎がもう一度観たい。(浜松から)東京へ観に行くにはお金がかかる。歌舞伎の方からこっちに来てくれれば」という 母の思いを叶えたい。そんな素朴な思いから始まった。最初のテレビ番組は舞台劇「道行初音旅」<歌舞伎化>の中継。それを本作では賢三の故郷(浜松)に因んだ「白浪五人男」ならぬ戦時中の「スマトラ五人男」として描く。
物語が進むにつれ いろいろな場面が関連してきて、良く出来た脚本だということが解る。そして あやめ十八番といえば照明や音響/音楽といった舞台技術、特に生演奏は物語を引き立てる。本作は、戦時中の野戦軍楽隊(トランペット・ピアノ・アコーディオン・ユーフォニアム・ヴァイオリン、衣裳も軍装)としてその役割を担っている。
(上演時間2時間45分 途中休憩10分)【彗星】
ネタバレBOX
舞台美術は立体的、左右非対称のそれぞれの階段を上に行くと踊り場のような空間。多くの階段が所々にあり、同じように大きなボロ布ポールが林立。朽ち木を組み合わせた廃墟のよう。下手の中段奥に演奏スペース。冒頭は、板の中央にテーブルとイス。上演前は人工ノイズ音のような騒めきや ピアノの和む音が聞こえる。上に行くにしたがい真中へ、何となく物語が積み重なり収斂していくような感じ。そして人間以外の妖(アヤカシ)が高い別空間で操っているかのようでもある。
公演は休憩を挟んで、戦前のテレビジョンの研究/開発と戦中・戦後のスマトラでの軍隊(近衛歩兵第三聯隊)生活を描き分けている。
「音楽劇 金鶏 二番花」は、賢三が浜松から東京へ出向してきてテレビジョンの実用化に向けて活動しているところ。本作は、賢三が子供の頃のハレー彗星騒動に端を発した世迷い事、多くの人が栄国稲荷へ参拝。稲荷=狐を擬人化(金子侑加サン)して物語を掻き回すような、まるで道化師のような存在。もう1人 賢三の傍にいる少女(中野亜美サン)、この2人がカギ、そして虚構の世界を築いている。
前作では、ハレー彗星騒動、母の思い、そして入学式での恩師の言葉ー金鶏に関する話ーは、台詞で語られていた。それを記憶の物語として再現する。ちなみに賢三は 少年期・青年期・老年期を1役3人で紡ぐ。研究には金が掛かるが、それを研究助手になった佐渡玄太が用立ててくれた。実は彼の奥さんの持参金であった。後々 懐述で、多くの人に支えられて成し得たと。
出征した歌舞伎役者2人、1人は母の脚本でスクリーンでも活躍。歌舞伎役者である父と確執があり、自分の進むべき道に迷っている。スマトラで戦友から歌舞伎を観たことがない、娯楽に興じて といった言葉にショックを受ける。歌舞伎は芸道、高尚と思っていた自分との認識違い。そして観たこともない歌舞伎を”余興”として演じたいー(素人)歌舞伎。また戦時中、テレビジョンの研究は 戦争兵器の研究へ、健三曰く 「電波は兵器ではなく科学だ」は印象深い台詞。
戦後、賢三が最初のテレビ放送は歌舞伎に拘った。しかし歌舞伎界 大御所からは、芸は テレビ(カメラ)に映らない、しかもタダで観せたら劇場へ来ない と拒絶。一方、若手からは芸はカメラに映らないからこそ、本物の芸が観たければ劇場へ来る と説得。旧劇として衰退の道を辿る歌舞伎界、その起死回生とも言えるテレビジョン。この会話の遣り取りが、母との約束や戦友の思いと繋がる重要なシーン。舞台としては、笑いを交えたスマトラ歌舞伎のシーンの可笑しみ、そして狐(後頭部に狐面を付けて)の憑き物のような狂気の一人芝居、この2つのシーンが印象的だ。
次回公演も楽しみにしております
『天守物語 〜夢の浮橋〜』
虹色ぱんだ
アトリエファンファーレ東新宿(東京都)
2025/09/18 (木) ~ 2025/09/21 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、お薦め。
泉鏡花の独自の耽美的で幻想的な作風をしっかり舞台化している。物語はタイトルにある天守--白鷺城が舞台になる。その非日常空間をどのようにして表すのか、そして 登場する異界ものが どのような物語を紡ぐのか。原作を読んでいなくても分かり易い描き方、そこに時代絵巻AsHで培った灰衣堂愛彩(本公演では役者名義・羽衣堂愛彩)さんの手腕をみる。会場に入ったとたん異空間ー妖艶な世界へ誘われる。
(上演時間1時間40分)
ネタバレBOX
舞台美術は、白鷺城の最上層(五層)ー窓がない薄暗い部屋を現わしている。上手と下手を分け、その間に溝のような凹み空間と板の橋。上手は和室で襖や障子が所々傷んでいる。その部屋の神棚に大きな獅子頭。下手は中庭(天守に対して下界)のような場所で後ろに衝立状の塀。先の溝の後方には色鮮やかな楓。上演前は童の遊ぶ姿、虫の鳴き声が微かに聞こえる。実に抒情的な雰囲気を漂わせてる。
舞台は播州姫路、白鷺城の五層階。ここには人ならざる富姫が主として住まい、藩主であろうとも近づく事の出来ない魔の住処。腰元(妖)が露を餌に秋の花を釣り上げ、童が歌って遊ぶ。妹分の亀姫が猪苗代城(別名:亀ヶ城)から遊びにやってくる。富姫は、帰りの手土産に 藩主が鷹狩りに使う白鷹を攫って与える。若き鷹匠 姫川図書之助が主君の命で白鷹の行方を捜しにやってきた。そして妖(アヤカシ) 富姫と人(ヒト) 図書之助が、はからずも恋に落ちる。しかし…。
図書之助の人間界への未練と富姫への執着、その葛藤する姿 それこそが情理。そして 妖と人が共存する不思議な世界観が広がる。
見所は、本筋に妖怪と人間の切ない恋物語。脇筋に封建社会における絶対服従の不条理。公演ではこの両方を巧みに描き、人間性と社会性を重層的に紡いでいく。本筋(人間性)は先に記した通りだが、脇筋(社会or時代性)は、富姫が 主君の理不尽な命で切腹した武士の元妻。そして亀姫も描かれてはいないが妖であることから、同じような身の上ではなかろうか。そこに妖と人の悲恋の元凶となった 理不尽な世が立ち上がる。理不尽といえば、図書之助を追ってきた同輩によって天守の象徴である獅子頭の目が潰され、富姫、図書之助を始め腰元妖も皆 目が見えなくなる。公演では、追っ手と獅子との戦いを舞台狭しと動き回る(祭りの獅子舞のよう)。
衣裳は和装、メイクは妖しの顔といった感じで 物語の世界観を損なわない。音響・音楽は三味線など和楽器が情景を引き立てる。なにより照明が色彩豊かで、柔らかく和むような照射。舞台美術・技術・小道具(刀 等)そしてメイクといった総合的な効果によって成り立つ幻想劇。
卑小だが…最前列という至近距離で観劇させてもらったが、手(裸)足の濃いマニキュア、ペデュキアが照明に反射するところがあり 気になった。敢えてベースコートだけにしなかったのだろうか。
次回公演も楽しみにしております。
水鏡の真実 -御泉花守探偵の事件録 FINAL-
はらみか×渡邉ひかるプロデュース
パフォーミングギャラリー&カフェ『絵空箱』(東京都)
2025/09/19 (金) ~ 2025/09/23 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
#朗読水鏡2
朗読劇だが、観(魅)せることを意識した演出によってミステリー色を際立たせる。説明にある私立探偵の御泉花守真実を主人公にした推理劇。タイトルにある「水鏡」が肝。
早々、犯人が誰だか解かっては面白くない。その工夫として、登場する10人は、デザインは違うが皆 白地の衣装。外見的な特徴で犯人を捜すのではなく、論理的な展開で考え 楽しませる。ちなみに ピアノ演奏者(塩原奈緒サン)だけは黒地の衣装で昏い空間の中に溶け込んでいる。
朗読という聴かせるだけではなく、音響/音楽といった技術で情景を豊かに紡ぐ。波や風の音、それによってホタル島の風景が目に浮かぶよう。また照明は、いろいろな色彩を白地の衣装へ照射することによって雰囲気を変える。特に心情と時間(黄昏など)を抒情的に表している。この聴くと観(魅)せる演出が実に巧い。またピアノの生演奏が台詞に被らず、むしろ心地良い効果を発揮していた。全体的に繊細で上質感溢れる公演だ。
(上演時間1時間30分 休憩なし) 千穐楽後に追記済
ネタバレBOX
舞台美術は、素舞台で下手にピアノ演奏スペース。後景は白い壁で、キャスト陣の白地の衣裳と同色で統一感を出す。同時に照明効果でシルエットを映し 怪しげな雰囲気を醸し出す。キャストは台本を持ち、場景に応じて動き回り、出捌けする。
説明から、11月 探偵の御泉花守真実と助手の神聖崇極麗、情報屋の田中は、若狭湾に浮かぶホタル島に来た。船酔いした田中の介抱を漁師の酒那徹に任せ、真実と極麗が向かったのは民宿「泊輝荘」。2人の来訪を受け、主人の泊輝挙流と妻の陽子の表情はこわばる。一方、警視庁捜査一課の安浦吉之丞と主婦の都香丸子も島を目指していた。真実が話し始めたのは、1年前、妻の優香と氷龍祥が出会った日のこと。
話は、探偵側と民宿側の双方に関係する者のデスマスクがインターネット オークションに出品されていること。しかし 死ぬことが前もって分からなければデスマスクは作製できない。その謎解きは…。
物語は3年前と1年前という時間軸、そして事故と事件という違いのあるコトを関連付けて描く。内容はミステリーなので 犯人と謎解きは伏せておく。ミステリー小説でよく言われる本格派か社会派なのか。どんでん返しや驚かせる展開の本格派、一方 何らかの(社会的な)問題意識を絡めた社会派、ということを考えたら、朗読劇はその両方を兼ね備えていると思う。本格派ミステリーはそのトリック等が重要で人物造形は二の次なのだから。
公演は 意外な人物が犯人であるが、その犯人をあぶり出していく論理展開の面白さ、そして夫々の登場人物をキャストが感情を込めて立ち上げる(朗読する)ことによって血が通う。そんな味わいのある公演。
次回公演も楽しみにしております。
受付/六月の電話
演劇ユニット茶話会
Paperback Studio(東京都)
2025/09/19 (金) ~ 2025/09/21 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い。
別役実の2作品、発表された年が違うにも関わらず 関連しているような印象を受ける。作品の選択とそう思わせる演出(宮田清香サン)が妙。「受付」(1980年)と「六月の電話」(1995年)では15年の間隔があるが、それぞれの時代背景を感じさせる。別役作品は、日常生活の中に人間の寂寥や空虚といった表現し難い思いを さり気なく描くといった印象だ。しかし 本公演、前者は不条理喜劇で、後者は不条理ミステリーといった違う作風が面白い。それでもリアリズムといった共通点は見い出せる。
別役作品の象徴的ともいえる小道具ー電信柱、本作ではこれをポールハンガーに置き換えて印象的/効果的に使っている。また電話だけで姿を現さない人物、それによって今いる空間だけではなく外の世界ー世相と繋がっていることを表す。そして2作品が繋がっているような錯覚、そこに演出の巧さを感じる。もちろん役者陣の演技は確かで見応えがあった。
(上演時間1時間50分 途中ブレイクタイム2分ほど)
ネタバレBOX
舞台美術は、上手に衝立、その横にテーブルや置台。テーブルの上には黒電話。下手にベンチ、その後ろにポールハンガー。「受付」の時は山高帽、「六月の電話」の時はウエディングドレスが掛かっている。両作品とも 始まり方や終わり方は暗転ではなく、客電にしており、さぁ舞台が始まるぞ といった合図(気負い)はなく、さり気なく日常が描かれていく。
●「受付」男:森岡正次郎サン、女:田口朋佳サン
精神科の受付にきた男は、先生に相談があると…。受付の女から取次の前に 様々な質問を受ける。男は本来の用件を後回しにされ、女の話に引きずり込まれてしまう。女は男に対して、募金、アイバンク登録、献体への同意など 次々と要求してくる。その都度 女はこれら団体の受付へ電話をかける。男はこれらの要求を理不尽だと思いながら、抗うことが出来ず 受け入れてしまう。人間の意思(決定)の曖昧さ、理屈では説明が難しい人の心理を可笑しみを交えつつ鋭く描く。
「受付」では、何故ここに来たのか、そのうえで住所/氏名を訊かれたりする。「受付」は、その人の概略を知るため質問し、訪問者は「受付」の求めるモノを自ら曝け出す。そうして初めて「受け付けられる」。もちろん強制ではない。(劇中の女もそう言う)。しかしルールは守り、話は最後まで聞き、尋ねられたことには正直に答える──そうした当たり前が、自らを縛り不自由にしている。そこに男の「相談」そのものが浮かび上がる。会計事務所に勤め、仕事も人間関係にも気をつかう といった逃げ場のない精神状態。女の不条理な勧誘と男の優柔不断さがしっかり立ち上がる面白さ。
●「六月の電話」女:大橋繭子サン、男:大森崚矢サン
或る雨の昼時、雑居(寿)ビルの4階7号室。女は近くのコンビニで昼食を買い 戻ってきたところ。誰もいない部屋、習慣で「ただいま」と独り言。女は そこで電話の取次業をしている。毎日決まった時間に食事をして寝る といった変哲もない生活をしている。その日常を壊すかのようにアリバイ屋を名乗る男が現れる。或る人の依頼で13時から17時迄ここに居て、ここにいたすべての人のアリバイを証明する という。その間、何度も電話が鳴り、女が「今日は多いわね」と呟く。これが「受付」のシーンと繋がっているような。また頻繁に喫煙シーンがあるが、煙はたちどころに消えてしまう。まさに人生は泡沫で無常。
アリバイ屋とは何なのか、男は誰のアリバイを証明しようとしているのか。二人のかみ合わない会話から女の過去が次第に明らかになっていく。男と女の会話や行動から、女は潔癖であり癇癖といった性癖のよう。その融通の利かなさが、別れた男をひたすら待っている。結婚式当日、彼は来なかった。彼は過激派の内ゲバ騒動で…。それから20年経っている。アリバイ屋がいた僅かな時間、それが女の長い空白の時を埋めるかのよう。女(自分)の不在証明(この間の無為な日々)ならぬ、今を生きている存在証明(認識)になったようだ。少し気になったのは、女 役が大橋さんでは若すぎるのではないか ということ。
次回公演も楽しみにしております。
ラルスコット・ギグの動物園
おぼんろ
Mixalive TOKYO・Theater Mixa(東京都)
2025/09/11 (木) ~ 2025/09/20 (土)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
いつにもまして ファンタジー色が濃い寓話劇。
前作は、舞台と客席の境がない おぼんろ らしい公演だったが、本作は客席から観る一般的なものへ それが少し残念。
物語は時代設定を曖昧にし、時代に囚われず大切にしなければならないコトを訴える。それを動物の視点から描くことによって、生きているのは人間だけではないことを強調する。そこに おぼんろ らしい人間社会への皮肉や批判が浮き上がる。今回は生命や平和といった 言葉では明確だが それを表現することは難しい。その本質的なところを突いている。
また 照明や音響/音楽といった舞台技術が、いつにもまして効果的。そう思わせるのは、情景に応じて中央の舞台装置が回転し、同じ造作にも関わらず多方面からの照明によって違う印象をもたらすため。
(上演時間2時間 休憩なし)
ネタバレBOX
中央に回転する櫓状の建物、上手・下手に形や大きさが違う別空間。奥の壁際は紅色の幕。側壁に飾り電球があり、中央の櫓の上には幾つかのランプ。全体は遥遠で幻想的な雰囲気が漂っている。
物語は、紛争・戦争が起こり、ラルスコット・ギグの動物園が戦禍に巻き込まれようとした時、一匹の獣が 開園された時の経緯を語るところから始まる。この地は 猛獣を恐れ、管理と秩序に支配された都市 チノイ。その周りは果てしない荒れ地 ラガキナ。動物たちを引き連れ旅をする青年ギグ、彼は唯一人の親友ラルスコットと共に「人間」として認められる日を夢見ている。或る日、金色の蛇が現れ「命(獣)を連れ、街で見世物にするのだ」と囁く。ギグは動物たちを説得し都市へと旅立つ。動物たちは、現実主義のバク、気弱なクマ、レッサーパンダを装う承認欲求の強いタヌキ、黙ってついてくるボロ犬。ギグは仲間を騙し残虐なショーで人気を博していく。移動動物園ではなく、この地の動物園として定住。そして「名誉市民の称号」を手に入れるが…。一方、魂を喰らうという〈大鴉〉の影もちらほら…。
「生命」と「平和」といった大きなテーマを描いているが、それを動物(獣)の淡々とした生き方の中に落とし込んでいる。そして動物たちの性格等を人間に準えることで、人間そのものを客観的に捉える。ラルスコットは 既に疫病で亡くなっており、ギグは心の中に幻影を抱いている。彼のことを忘れなければ心の中で生き続ける。しかし そこからは動けない。一方 忘れることは、想いとの決別で苦しいが 新たな歩みが出来る。そのジレンマが狂おしいほどに伝わる。そして動物たちを巻き込んでの戦争、いつの間にか人間ではなく獣が兵力として戦場に送り込まれる不条理。
今回は生歌が多く、ミュージカルのような印象もある。それがファンタジー色を濃くしている一因だ。物語性は勿論、観(魅)せる演出も回転舞台を用いることで効果的にしている。メイクや衣裳は寓話性を引き立て共感と感動を呼ぶ。やはり おぼんろ 公演はエンターテインメントに優れている。
次回公演も楽しみにしております。
KAGO
劇団美辞女
シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)
2025/09/11 (木) ~ 2025/09/15 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
ミステリィ・サスペンス調で物語を牽引し、観客の興味/関心を掴んで離さない。見所は、物語性と観(魅)せるエンタメ性、この相乗効果によって舞台ならではの面白さが活きているところ。
劇団名は 美辞女(ミジメ)で、前作「シャイシャイマンションシャンソンショー」は、その団名の通り女優だけだったが、本作は多くの男優陣も出演している。姦しく賑やかさに加え、力強さが加わって魅力が増したよう。
(上演時間2時間 休憩なし)【オモカジ組】
ネタバレBOX
舞台美術は、段差を設え中央が出捌け口、その左右に衝立状の壁 というシンプルなもの。また中央口の上部にも別空間。
物語は、2025年 大阪・関西万博を引き合いに出しながら、今から132年前のシカゴ万博へ繋げる。説明にある刀剣で栄えた地・兜坂(トサカ)を治める若き当主 蔵之助が主人公。それを遡ること17年前(1876年<明治9年>)に廃刀令が出され 、物語で暗躍する集団 または兜坂家そのものにも大きな影響を及ぼす。もう 刀の時代ではないのだ。またシカゴ万博に向けて出帆した船内という、いわば密室空間での出来事。
この時代と空間の両設定が妙。
蔵之助の妻は非業な最期、さらに彼自身がその時の記憶を失っている。そんな彼の後妻に、黒金造船会社 御曹司の妹との縁談が持ち上がる。シカゴ万博での真剣演舞の披露、そして この機会に多くの若き視察(留学)者を連れての渡航。そこに説明にある忍び寄る刺客、暴かれる過去、抗えぬ運命といった謎を織り込む。蔵之助の出自が肝。
登場人物(シングル+ダブルキャスト)は20名、その人物の紹介と関係を説明するだけでも大変。前半は、謎の伏線を仕込んだり 過去の出来事を見え隠れさせるが、物語の方向が分かり難い。中盤以降、物語の筋が明らかになり興味を惹くが、それまでは人物素性や関係を整理しているような感じ。相関図は上演前にQRコードを読み込むことで確認できるが、やはり舞台を見たほうが分かり易い。
舞台は、当時の衣裳や刀剣といった小道具が それらしく観えることからビジュアル的にも楽しめる。また見所である殺陣は、スピードや力強さ それに音響効果が相まって迫力があった。一方 小ネタのような笑いを挟み込み和ませる。そして全員での群舞は華やかで、それら全てが娯楽性に富んでいた。
次回公演も楽しみにしております。
夜長月
表現集団蘭舞
at THEATRE(東京都)
2025/09/13 (土) ~ 2025/09/14 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
初めての団体であり会場。
9月だが、体感的には夜長と言うには まだ早い。それでも「夜」を思わせる内容とその照明効果がよかった。公演は、朗読3作品で ゆるく繋がっている。しかし内容的には独立しており、それぞれテイストが違う。全体的には丁寧な劇作といった印象だ。ちなみに2チーム(A・B)での(朗読)公演だが、当日パンフは別々に作成して配付。
(上演時間1時間10分) 【Bチーム】
ネタバレBOX
会場は剥き出しのコンクリート壁と天井。舞台中央に椅子2つ、背凭れを背中合わせにしてハの字のように置く。
物語はシンプルにして分かり易い内容、不要な形容詞や修飾的な言葉(台詞)は少なく、どちらかと言えばストレートにして端正といった印象の朗読。その意味では、伝えたい内容を簡潔に しかも的確に表現している。基本的に2人の対話、その人物造形と今の状況を簡単に説明し、夜という時間の流れの中に観客を誘うようだ。
公演の魅力は、分かり易い---軽快で歯切れよく、それでいて安定感ある会話、それも現代の若者言葉でグイグイと押してくる。出来れば気の利いた言葉の1つや2つあったら、印象的だったと思う。またキャストは表情も含め感情を込めた朗読をしていたが、もう少し生彩ある情景がほしいところ。それが端正ー言葉を丁寧に読んでいるが、生々しさという実在感をまとった迫力、リアリティが感じられないの惜しい。
初めて行った会場、比較的狭く 周りはコンクリート剥き出しの壁や天井だ。舞台技術…照明は 角度を微妙に変え、壁に照明(光)が反射しない工夫。しかも物語の情景に合わせて諧調し時間の経過を表す。また音響は、1話のゲームの出だし部分(音楽)だけ大音量にし、あとは台詞に被らないよう配慮している。公演全体が丁寧な印象を受けるのは、キャストの明確な朗読、舞台技術の工夫、そして制作(受付を含む)の対応等による。
3作品は次の通り(朗読順)。
1.「ゲーマー、ふたり」
ゲームが趣味の女性 伊吹香澄がVTuberの小畑めぐるとオフ会で会う。香澄は めぐるが同じくらいの年齢の女性だと思っていたが、実際は年下の男の子。めぐるから格闘ゲームの勝負を挑まれ対戦するが容赦なく叩きのめすが…。
2.「嘘と秘密」
情報屋の烏は、不良集団に拉致された神崎陽葵を助けた。彼女の片目(神秘的な輝き)に価値があるようで、それを闇社会で売れば大金が手に入るらしい。彼女の危機を救うためラブホに入った2人の話、そして烏の正体とは…。
3.「初恋の記憶」
高校時代の彼女 星名朱莉の結婚式に出席するために帰郷した日向光洋。都会で美容師をしているが、順調とは言えない。日向に、幼馴染の矢島翔子が声をかける。彼女が率いる少年野球チームの練習で汗を流し、今の心境を見直すような…。
当日パンフに主催挨拶として「立場や境遇の違いはあれど、誰かを思いやれる人達の話。何かに行き詰っている大切な誰かが、再び立ち上がるためのキッカケのひとつ」を記している。その思いは十分伝わる。
次回公演も楽しみにしております。
『コラソンはデイドリームちう*(中)』
コラソンのあんよ企画
APOCシアター(東京都)
2025/09/12 (金) ~ 2025/09/15 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
現実と幻想の間で揺れ動く、そんな曖昧な世界観を描いた物語。その曖昧さが 人間らしいと言えるのかもしれない。前作「コラソンのおともらち」は3話オムニバスという説明だったが、実は連作のような構成。本作も基本は3話だが、それにプロローグや1話の中に幕間~その① ②を挿入し、2話・3話と続き、最後にエピローグという構成で、少し凝った劇作。
公演の見所は、日常のありそうな出来事を 敢えてリアルに描かず 白日夢のような幻想世界へ誘うところ。リアルに描かない--その舞台の虚構性を前面に出すことで、観客の想像力や思考力を刺激する。基本は家族の在り方を描いているが、そこに潜む表現し難い感情を それぞれのキャストが上手く演じている。その意味で確かな演技と調和している。
(上演時間2時間20分 途中2分程度のリラックスタイム) ㊟ネタバレ
ネタバレBOX
舞台装置は、3話および幕間~その① ②の場景に応じてテーブル、イスそしてベット等を搬入搬出する。場転換が多く 暗転も頻繁にあるが、集中力は削がれない。また 音響/音楽の印象はないが、照明は巧に諧調し 心情や光景を効果的に表していた。
物語は 逃避と願望、憧憬と畏怖といった 相反するような描き。人間の心は複雑、その表現し難い内面をリアルとファンタジーといった観せ方で紡ぐ。全体としては、人の再生・自立へのキッカケと家族の絆が浮き彫りになる好公演。
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概要は次の通り。
0.プロローグ
青澤家の食卓、そこに長女 瑠璃、次女 藍子、そして父の玄太が穏やかに会話している。主な登場人物と 母は亡くなり父子家庭ということが分かる。
1.「A Wonderful Day ~ ワンダフルデイ~」
亡くなった母 青葉は生きているが 余命わずか。今は 草太という男と暮らしている。正面の壁に窓/カーテン影の照明。(黄昏時?)2人の穏やかな会話で和む。安楽死を求めて海外の病院へ来ているようだが、草太が夢落ちすると そこは日本の病院。事務的な男性医師 ブラウン医師/訪問医師(海外と日本)との会話が虚(空)しい。草太は家族 特に娘たちに思いを伝えるべきではないか と提案。遺書代わりに録音を勧める。
青葉は、子の愛し方、接し方が分からず育てられない。その苦悩を夫 玄太に話して 云十年前に離婚した。青葉は自分も母に愛されなかった。ネグレストというの負の連鎖。現実にある家庭(個人)の深刻な問題、それを海外と日本の医療(社会)問題--安楽死を絡めて幻想と現実の間で描く。
幕間~その① ②は、それぞれ或る住宅の街路。訪問医師と訪問看護師の車内での会話。一方的に医師が看護師を詰問し、立場の上下関係を知らしめている。台詞にもあるが、強い口調はパワハラ/セクハラではない旨 事前に言い訳する。幕間は、2話への場所と主役が変わることを意味する。
2.「Un homme et une femme~男と女」
訪問医師 紺田秀一郎は看護師が辞めて機嫌が悪い。場所は大久保公園の近くの某公園。そこに立っていた若い女に声をかけるが…。側壁に歌舞伎町のビル街を映し出した照明。そこへ見知らぬ女が紺田へ近づき、オレを忘れたかと問う。過去の苦い思い出が甦る。女は桜木百々江といい高校の同級生。同時に紺田の意識下に母親の幻影が立ち上がる。今の女性蔑視、弱い者いじめといった態度は 自分の内にある女性(マザー)コンプレックスの裏返し。現実と幻想が混濁した意識下、深層心理の情景。
3.「Too Hasty to Call This,”Fantasy"~ファンタジーと呼ぶには早計です~」
再び青澤家の食卓。プロローグの穏やかな会話から一転、激情が迸る。姉 瑠璃は精神的に不安定で引き籠り。妹 藍子は夜のバイトで昼夜逆転の生活。藍子は母 青葉の記憶はなく、瑠璃に向かって母の面影を聞く。少しでも母の愛情を受けたのでは という嫉妬心から今の生活状況を責める。一方 瑠璃は藍子が如何わしいバイトをしているのでは と詰問する。そこへ父 玄太が妹 橙子(叔母/辞めた訪問看護師)を連れて帰宅。2人の言い分を聞いているが、そもそも子に関心がない。そのうえ、瑠璃が家事や妹の面倒を見て母親代わりをしているにも関わらず、それが当たり前のよう。玄太の困惑した表情/態度が滑稽。
4.エピローグ
橙子は、不思議な女/ニルに頼まれ遺書代わりの録音を…、娘たちへ思いを伝える役目を果たした。不思議な女そしてチャコでありニルは青澤家で飼っている猫=精霊であろうか。そこは観客の感性に委ねているようだ。
次回公演も楽しみにしております。
カサブランカ
株式会社スタイルオフィス
博品館劇場(東京都)
2025/09/06 (土) ~ 2025/09/07 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
朗読劇だが、動きのあるストレートプレイのようでもある。有名な映画「カサブランカ」を どう観(魅)せるのか興味津々だったが、実に見事な舞台化。今さら説明の必要がないクラシックの名画、それを演出…特に舞台美術と技術の効果によって80年以上前の作品が、色褪せない現代劇として甦った。
朗読劇ゆえ、台詞を明瞭に発声することはもちろん、呼吸の間によって微妙な感情を表現する。1人ひとりの演技力というか朗読力が安定しており、その(役者陣)バランスもよく舞台に集中できるところが好い。またピアノの生演奏や歌が なんとも贅沢だが、それ以上に心に残る余韻付がすばらしい。ちなみに演奏は、劇中のサム役・奥村健介さん、芝居はこの舞台が初めてらしい。歌はヒロインのイルザ役・有沙瞳さん(元宝塚歌劇団)で、その情感が観客の心を捉える。
(上演時間1時間30分 休憩なし)追記予定
Voice Training 2025
虚空旅団
北池袋 新生館シアター(東京都)
2025/09/05 (金) ~ 2025/09/07 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
面白い、お薦め。
冒頭は確かに 説明にある「話し方教室」だが、しだいに人間関係 コミュニケーションの機微を描いた市民劇へ。教室に通っている4人の受講生の性格、職業や受講するキッカケが妙。そして後任講師としてやってきた女性の背景にある問題を相照らすような展開が、それぞれの立場をこえて学んでいくようだ。
単に 話し方のテクニックという表層的なことから、話す=言葉の持つ意味や 使い方で その場の雰囲気が変わる。そこに本音と建前の使い分け、生き方のようなものが浮かび上がる。この公演、すべてを明らかにするのではなく、人物の背景等を見え隠れさせ興味を惹き、そして想像させるという巧さ。そこに演劇の余白のようなものを感じる。また演出が丁寧で、自分がその場にいるような臨場感がある。
(上演時間2時間) 追記予定
今日は、これくらい
サンハロンシアター
OFF・OFFシアター(東京都)
2025/09/04 (木) ~ 2025/09/07 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
市の活性化の中心にしたい サッカーチーム:ジャンドゥーヤ鶫野、その試合をメインにした市民フェスタへ観客5,000人を集めるという一大イベント。その関係者や市民個々人の思いと行動を描いた庶民劇。
街興しはしたいが、その中心がJ3でもないサッカーチーム(現在JFL)。その関心度や思い入れが違い、なかなか一枚岩にならないところがリアル。夢中になるものって人それぞれ、それをどう纏めるか至難の業だ。その それぞれ夢中になるものを登場しない人物を通じて垣間見せる巧さ。
(上演時間1時間30分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術…中央が窓抜き枠のようで、場面に応じて枠内を入れ替える。また演台のようなものを搬入し、市にある洋菓子店などを現す。物語は鶫野市を活性化させるため、地元サッカーチームの交流試合に5,000人を集客するイベントを企画。サンハロンシアターは、キャストの高年齢といったことが書かれていたが、その実態を物語に重ね、若者が都会へ行き 鶫野市の高齢化が進んでいくようだ。
イベントに携わる人々の思い入れ(熱量)が微妙に違うため、今一盛り上がりに欠けている。しかし地元ということもあり、幼馴染や高校の同窓生を巻き込んで…。
チームの広報・営業担当の桐田俊也は、高校の先輩でありスポンサーである㈱ヘーゼレート営業部長 羽場健一にイベントの必要性を説いている。市民フェス実行委員の青島真沙美、高梨祥平は2人の様子を静観している。また羽場と高校時代 同級生だった槇村結子は、商工会議所職員として地元だがサッカーには詳しくない。亡くなった夫が野球 阪神ファンだったこともあり、どちらかといえば野球に興味があるようだ。そして娘が結婚しようとしている相手が巨人ファン、夫が生きていたら何て言うだろう(夫、娘とその彼氏は登場しない)。
このイベントで自慢の洋菓子--特製ティラミスを宣伝したいパティシエ・洋菓子店経営の川江瑠衣、こちらは商売が気になる。そしてこの店を手伝っている沢木田律の夢や生き方にも関わってくる。イベントの司会進行役として漫才師のヒクイドリタカイドリ(長谷吉彦、佐山敬太)が来るが、彼らは地元ではないことから、もっぱら自分たちの芸風等を気にしている。地元イベントといっても関心は人それぞれ違う。そこに「地元だから」といった変な強制・強要や同調圧力はなく、むしろ自然(体)な人間関係が築かれている。そこに何故か安堵感を感じてしまう。
そして集客は4,899人という微妙な数字(不達成)、コメディという名の予定調和にしないところに好感が持てる。ラスト、負け惜しみのように聞こえる、桐田の「今日は、これくらいにしてやる」だが、むしろ この捨て台詞が 明日に向けて という力強い言葉に思える。
次回公演も楽しみにしています。
『私立シバイベ女学園』灼熱の課外授業編
SFIDA ENTERTAINMENT
劇場MOMO(東京都)
2025/08/26 (火) ~ 2025/08/31 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
演劇とアイドルイベントを融合したような公演。
チラシにある、この学園は通信制の芸能学校という設定が肝。
物語は、生徒たちの学業 それも普通、高校で学ぶ主要5教科の成績が悪い。そのため課外授業が実施されたが…。
(上演時間1時間50分)【G組】㊟ネタバレ
ネタバレBOX
舞台美術は、後壁に8つの箱馬が横並びだが、ほぼ素舞台。
芸能学校といっても、そこでの学業は大切。芸能という人材育成と同時に教養や知識を学ぶことは必要、その学びの過程を面白可笑しく描く。自分たちの特技、例えば歌の歌詞に覚える事を置き換えてリズムよく覚えていく。歴史年号(年代)を語呂合わせにして覚えたような。この豊かな発想が彼女たちの魅力。一方、学園の経営という観点も重要、その葛藤や苦悩の役割を 校長や担任に負わせている。経営陣である理事長(登場しない)からの電話は、2人にとって煩わしく悩ましい。ここまでにダメ生徒と私立学校の一般的な内容を盛り込み、後半に芸能学校らしい特色を描く。
課外授業の1つとして、パワハラ・セクハラへの対応をシミュレーション劇として演じる。その対応の良し悪しを観客が判断する。そのため前3列までの観客にカラーエアーボールを事前に渡し、ダメだしは そのボールを舞台へ投げることで(意思)表示する。
芸能といっても 生徒たちは、アイドル・声優・グラビア・モデル・役者・お笑い芸人・インフルエンサー そして歌のお姉さん=8人(箱馬の数)。目指すところは違うが、今の芸能界を見ればスキャンダルやハラスメントで日々騒がれている。劇中でもスキャンダルー不倫ーはダメと言っている。その1つ1つのケースは深刻な問題だが、最近の風潮はSNSやメディアに乗ればエンターテイメント化してしまう滑稽さ。その問題意識を観客参加型で観(魅)せているが、全体的に緩いといった印象なのが惜しい。
舞台(キャスト)本来のダンスパフォーマンスは華やかで可愛らしい。先のボール投げなどを含め、その観(魅)せ場は サービスに溢れた内容だ。
次回公演も楽しみにしております。
ミュージカル「ディア・マイ・ドクター」
演劇ユニット「暇つぶしチェルトン」
サンモールスタジオ(東京都)
2025/08/27 (水) ~ 2025/08/31 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
面白い、お薦め。旗揚げ公演?とは思えないほどだ。
明治という新しい時代になっても 家父長制、男尊女卑という差別(制度)・偏見・慣習等に立ち向かう女性たちのヒューマンドラマ。いや奮闘劇といってもよい。脚本・演出は勿論、ミュージカルと謳っているから歌も見事。さらに出演者がスタッフ的な役割も担っており、まさに公演に向けてチーム一丸になって といった気概が舞台上に表れていた。特に 劇の要である歌唱指導は大変だったと思う。
公演は、当時の状況や風潮を背景に 初めて医師免許を取得した3人の女性たちが、どうして医師免許を目指したのかを描いた 虚実綯交ぜのフィクション。物語は、3番目に医師免許を取得した高橋瑞をモデルにした高水せい を中心に、彼女たちの生い立ちや性格などを描き、女性にとっての閉塞感を浮き彫りにする。劇中の台詞「道は違えども、すべては患者さんのために」、その精神は現代に通じるもの。現代といえば、3人が医師になってから起きた感染症の大流行、それをコロナ禍と重ねることで、いつの世の人の心の在り方を巧みに織り込む。
(上演時間:1幕55分 2幕65分 途中休憩10分)【B】
ネタバレBOX
舞台美術は、段差を設え 左右非対称の壁。それが古色蒼然としており当時の雰囲気を漂わせている。また 衣裳やサーベル等の道具にも時代を感じさせる拘り、その丁寧な作りに好感。舞台技術の照明も柔らかく、丸みを帯びた光の中で人物が生き生きと映る。そして無人のときは美しい光景として印象付ける。
没落士族の家に生まれた 高水せい(一役2人〈青年期・中年期〉)、子供の頃から好奇心が旺盛で知識欲もあった。しかし 女に学問は不要で 早く良縁に巡り合い嫁になること。そんな時代閉塞に不満を募らせる。いつしか 人の命の大切さ、それを出産の手伝いをすることによって知る。同時に医療行為は出来ないという現実にぶつかる。
男社会や家制度、今でいうパワハラ・セクハラといったハラスメント問題を点描する。その生き難い時代にあって、人間らしく生きたい、人の役に立ちたい といった熱い思いを歌で表現する。台詞という直接的な言葉ではなく、歌の歌詞にのせて しなやかに 強かに しかも情感豊かに表現する。そこにミュージカル劇としての真骨頂がある。
明治30年代に流行したペスト、その対応に奔走した女医たち。それを令和のコロナ禍に重ねているが、当時は演劇・映画といった文化 興行は「不要不急」といわれ大打撃を受けた。確かに命は大切、しかし文化という灯は灯し続けなければ、いずれ廃れてしまうかもしれない。公演では、生き方や社会との向き合い方、それを 明治という150年ほど前の出来事を今に生きる我々にも分り易く伝える。その意味では一種の教育劇のようでもある。
次回公演も楽しみにしております。
『夏砂に描いた』
πTokyo
πTOKYO(東京都)
2025/08/22 (金) ~ 2025/08/24 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
#夏砂2025
面白い。この演目は、この会場で以前 観(聴い)たことがあるが、演者が違うとまったく別の情景が(心に)浮かんでくる。ほとんど動きのない朗読劇、言葉だけで物語を紡ぎ 観客の心に訴え響かせる。その醍醐味を十分味わわせてくれる好公演。
登場人物は、僕・君・女・母・彼のわずか5人。長い時間軸を辿り関係が少しずつ明らかになっていく。ひと夏の淡い思い出は、その後の人生において あまりにも愛おしく瑞々しく純粋だった。キャスト5人はそれぞれの人物を立ち上げ、情感豊かに演じる。勿論、照明や音響/音楽といった舞台技術の効果/印象付けは巧い。
(上演時間1時間20分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、腰高丸椅子が横並びに5つ。後壁にはカレンダー、絵画、水着そしてTシャツが吊るされている。足元には浮き輪やビーチサンダル。朗読劇ならではのシンプルなセット。上演前には静かな波音が聞こえる。
舞台は 或る年の8月31日夕暮れ、人気のない海辺。物語は 茫洋と海を眺めて、街へ帰る最終バスに乗り遅れた高校生2人の淡い想いの回顧とその後の人生を巡る運命。今となっては夢か現か、過去と現在を彷徨する。可笑しくて 優しい、でも悲しくて残酷だ。
僕が高校2年の夏休み最後の日、海の家でのバイトを終えバス停へ向かうが 最終バスに乗り遅れ、そして君もー。バスに乗れなかったことで、憧れの先輩と話すことができた。どうやって帰るか という心配よりも、今の瞬間を大切にしたい、そんな幸せのひと時。とりとめのない会話、それぞれ将来の夢を語り、僕は画家になりたいと。君は僕の絵を見たいというから、棒で砂浜に絵を描いた。そして君の夢は…それを聞きそびれた。君は明日引っ越して、転校するという。来年、ここで同じ日に会おうと約束したが…。翌年 君は現れなかった。
それから13年、僕は30歳になり 同じ場所/時間で、またバスに乗り遅れた。その時は別の女も一緒に。さらに10年、40歳になった僕は同じ場所/時間に あの女に再会した。偶然なのか必然なのか、女は君の妹で 色々なことを聞いた。君は不治の病に罹り 既に亡くなったこと、入院中に結婚し 偶然にも僕の絵を病室に飾っていたこと。今、僕と女(君の妹)は一緒になり、棒の替わりに杖を握って ゆっくりと歩んでいる。
高校の夏休み最後の日、それも わずかな時間の淡い思い出を大切に綴った物語。キャスト1人ひとりが、心情を丁寧に表現しているから 観る(聴く)者の心に、その想いが染み入ってくる。なんて至福なひと時であろう。
次回公演も楽しみにしております。
こんなにもあなたが愛おしい
Ichi-se企画
荻窪小劇場(東京都)
2025/08/21 (木) ~ 2025/08/24 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
#あないと
面白い。継母と息子を中心とした家族劇。最近観かけなくなったストレートな家族愛に、日本の良き原風景を見るようだ。平凡で小さな物語だが、そこに多くの人が共感するであろう優しさが滲み出ている好公演。脚本も良いが、それを描き出す丁寧な演出と確かな演技が物語を豊かにしている。
登場しない実母と遺した日記が肝。
(上演時間2時間 休憩なし)㊟ネタバレ
ネタバレBOX
舞台美術は、上手に家族の家 加島家の居間-卓袱台や仏壇そしてラジオ、下手は段差を設え 上に福岡のFMラジオ局のスタジオブース。この2つの空間を巧みに使い分け、加島亮(36歳独身 同棲中、ラジオパーソナリティ)の心情を表す。シーンに応じて上手 二階部や客席との間の空間を街路と見做して行き来する。それほど広くない劇場内に、行橋市の実家と福岡のラジオ局(職場)という地方都市の風景を表す。
舞台は 或るひと夏の地方都市、台詞も方言交じりで都会とは違った雰囲気を漂わす。この舞台全体の世界(観)が優しく温かくホッとする。説明にもあるが、亮は 幼い頃に母を亡くし、父 大二郎が再婚し新しい(継)母 八重子がきた。しかし 亮は八重子が嫁いでくる前日に亡き母が遺した日記を見つけた。さらに八重子も日記の存在を知ることになる。日記には、亮への愛情に溢れた言葉が綴られていた。一方 八重子は自分の子は産まず、亮へ愛情を注ぐが無視され馴染まない。遠足の弁当を作っても放り投げられる始末。亮は優しく美しい八重子を慕うことは、亡き母を忘れてしまうのではないか こわかった。長い間 胸の内に隠してきた思いを激白することに、それは八重子が末期癌で余命わずかということを知ったため。この遺された日記は実母の<想い>が詰まっているが、同時に亮の心を縛り付ける<重い>ものになっていた。日記に翻弄された家族。
長い間疎遠だった2人の気持が簡単に通じ合うことはない。それをラジオを介在させパーソナリティという職業で語る、さらに「あんたのお母ちゃん」からの投稿という形で繋げる巧さ。父も亡くなり、その三回忌に帰ったきり会っていない。その父も夏(お盆)時季に霊として現す。生前は亮と八重子の気持ちを理解しつつ、何とか2人の仲を取り持とうと腐心する。過去と現在を往き来きするが、それを亮と八重子は 夫々1役2名で演じ分かり易く展開していく。
照明の諧調によって心情表現を印象付け、衣裳替えと相まって時間の経過も表す。また音楽はラジオから流れる曲、日常何気なく口ずさむ歌「上を向いて歩こう」。終盤、居間から見る 行橋夏祭りの花火シーンが美しい。ちなみに、行橋夏祭りは1989年(昭和64年/平成元年)から始まったらしいが、それは亮が生まれた年であり 元号が変わる。それは生みの母から育ての母へ という意に重ねているのだろうか。
次回公演も楽しみにしております。
夏の夜の夢
theater 045 syndicate
KAAT神奈川芸術劇場・大スタジオ(神奈川県)
2025/08/21 (木) ~ 2025/08/24 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い。シェイクスピアの原作を、その世界観を損なわず 現代風に分かり易くアレンジしている。当日パンフによれば、上演台本は5氏の翻訳を参照したが、できる限り似ていない日本語となるよう目指した と。その意味では、theater 045 syndicate版「夏の夜の夢」で、「演劇」という世界を強く意識している。
(上演時間2時間 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は中央奥に出捌け口、その前に大木。上手/下手は非対称の段差で、特に上手は上階部につながる階段がある。下手の天井部には三日月。天井を含め周りをY字の木々が囲う。そこはアテネの宮殿であり森を連想させる。高い天井部から覗き見る、そこに居るのは いつも妖精(界)、下の段差は人間界という区分けした空間演出も巧い。また情景に応じて中央の大木が移動する。
本作は シェイクスピアの有名喜劇で、その内容は知られている。登場するのは、大別すれば人間(貴族)界、人間界で婚礼を祝う職人たち、そして妖精界である。その違う世界を錯綜させ混沌とした世界観を表現するが、本作では なるべく それぞれの世界の中で話を完結させ、その 纏まりを分かり易く繋ぎ紡いだといった印象だ。それは幻想的というよりは、人間界における滑稽さ や 妖精界における諍いが人間界を巻き込んで騒動を起こした。それは面白可笑しさというよりは、エゴで理不尽な行い。そこに人間臭さが立ち上がる。同時に妖精たちなどのダンス/パフォーマンといったエンタメ性も魅せる。このバランスある演出が好い。
本作では、演じている役者の背景が人間界(裏舞台)、そして荒唐無稽な振る舞いを妖精界(表舞台)、婚礼を祝う職人たちは、劇中劇の登場人物といったところか。ラスト、いたずら好きの妖精パックが「舞台は夢と同じ」と語りだす。舞台の淵に立って、そこを境に内側にいる役者はいつも重労働。表舞台では生きる喜びを歌い上げても、幕の裏では涙する と。舞台人の哀歓を「夏の夜の夢」を借りて描き出しているよう。汗と涙を流した稽古、本番は無我夢中、終わってみれば泡沫の夢のよう、まさに舞台そのもの。悲劇として有名な「ハムレット」、その台詞「To be, or not to be: that is the question」は 二者択一という厳しい状況だが、祝祭性を表す喜劇は 何でもありの世界。この柔軟な発想が 舞台によく表れており、それが魅力とも言えよう。
次回公演も楽しみにしております。
抜殻を握った僕たちは
男澤企画
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2025/08/20 (水) ~ 2025/08/24 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
未見の団体。見応え十分。
説明にもあるが、自死をした人と残された人たちの言い表せぬ感情を描いた物語。命を絶つことの是非を問う内容ではない。その行為は人間だけがする選択、それによって、新たに生まれた感情がメインテーマ。それを人間以外の生き物の脱皮・羽化といった成長過程と重ね合わせた骨太作。
高校 演劇部で脚本を書いていた男が 売れっ子作家になったが、いつしか書けなくなる。その もがき苦しむ姿は、よく舞台や映画の題材になる。前半は 承認欲求といった描き方だが、後半は それに止まらず 隠された その背景(心奥)と向き合うことによって前に進もうとする。周りの人たちも巻き込んで、再び時計の針を動かそうと…。
ラスト、残された人たちが握らされた切ない思(重)い、その心情をスポットライトの中で語り、そのまま溶暗し場面転換する。その時に流れる優しい音楽や歌が心を和ませる。脚本に対するバランス感覚ある演出や 前説から本編への導入が巧い。また 脚本/演出の男澤博基さん(刻チームのみ出演)は、出番こそ少ないが、考えさせる重要な役所を演じていた。いわば物語の重石的存在。
(上演時間2時間 休憩なし)【刻】
ネタバレBOX
舞台美術は、上手 客席寄りに和室と収納棚、下手は段差を設え その隅に公衆電話、中央に幕。全体は(高校)演劇部の部室であり、作家の日暮 蛹の部屋を表している。
高校の演劇部時代と社会人になった過去と現在を往還して展開する青春群像劇。高校生にして優れた脚本を書く日暮、その彼の作品に憧れて途中入部した桑田幸宏。特に演劇好きというわけでもなく、平凡な学園生活を送っていたが、入部してからは明るく生き生きと活動する。そんな兄を妹 鳴海は温かく見守っていた。しかし(演劇)発表会間近に事故が起きてー。
演劇部に関わった人たちは、社会人になってからも その時のコトを引き摺っていた。日暮は小説家になり、発表した作品も評価されていたが、最近は筆が止まっている。高校時代の事故とは、幸宏が担当した舞台装置(大道具)が倒れ、それによってケガ人が出て発表会も辞退することになった。(明確に描いていないが)責任を感じた幸宏は自殺してしまう。幸宏の自死に何らかの関わりを持った演劇部員やケガを負った目黒大和(野球部員で演劇部の手伝い)は、彼の死によって 言い表せない感情を抱くことになる。自死=魂が無くなった抜殻なのだろうか。遺された人たちは、その抜殻を握らされて、重く沈んだ気持のまま生きていくことになるのか。「抜殻」は色々な比喩として用いられている。
書けなくなった日暮、次回作を高校時代の この出来事を題材に…編集者になった目黒は見守っている。一方、商業ベースで考えるライター 炭畑源治(男澤博基サン)は、目黒と激論を交わす。高校時代の仲間内、傷を舐めあって労わる甘さ。それに対し第三者(客観)的な岸畑は物事を冷徹に見詰める。1人だけ当事者ではない人物を配置する妙。その対比が遺された人たちが自らの気持と向き合うといった成長(比喩的な表現として「脱皮」「羽化」)へ繋げる。自死した幸宏のことを「忘れたい」から「忘れない」といった前向きな気持にさせる。幸宏は、日暮の作品の中で生き、遺された友達の心の中で生き続けることになる。
次回公演も楽しみにしております。
糸洲の壕 (ウッカーガマ)
風雷紡
座・高円寺1(東京都)
2025/08/16 (土) ~ 2025/08/19 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
初日観劇。戦後80年、風雷紡が描く渾身の反戦劇。見応え十分。
戦前・戦中そして戦後生まれでは、当たり前だが 戦争への思い(リアルさ)は全然違うであろう。戦争の記録は残るかもしれないが、薄れゆく人の記憶と伝える人が少なくなる現実。しかし、戦争という最悪の不条理を語り継ぎ、今ある平和で平穏な日々を守らなくてはならない。
劇中の台詞にもあるが、「言葉は、声に出して伝えることが必要な時がある」、本作では その語り継ぎに或る工夫を凝らしている。それをどう捉えるか。公演は、脚本や演出の素晴しさ、それを役者陣の熱演が見事に支えている。
(上演時間2時間10分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術、中央は階段状で 上手/下手にパイプ管で作った枠だけの立方体の組み合わせ。裸電球やロウソクの灯り。シンプルだが良くできた野戦病院 壕イメージ。舞台全体が糸洲の壕イメージ、枠立方体が いくつかある壕の外観。また客席通路を使用した演技は、場内を沖縄全島に見立てている。
物語は「ふじ学徒隊」と呼ばれ、糸洲の陸軍野戦病院(壕)で看護活動に当たっていた少女たちを中心にした群像劇。それを1人の看護少女の子 百合子(昭和20年生まれ)と その孫 陸華が沖縄旅行の中で回想する形で紡がれる。ふじ学徒隊の1人 喜久子が終戦の年に生んだのが百合子。喜久子はけっして戦争のことは話さなかったが、遺された書簡等から その記憶は無かったことには出来ないし、思いは語り継ぎたいと…。史実(戦禍)に基づいた舞台化、その事実と舞台という虚構の世界を巧みに交えた公演。それは戦争の愚かさ 悲惨さを浮き彫りにする。そこに、公演のテーマであり訴えたいことが明確になっている。
野戦病院(壕)への招集にあたり、小池隊長から家族との関わり等で従軍出来ない者は帰郷してよい との話があった。早い段階で 隊長の人柄を描いている。一方、仲間や教師からは、約束や奉仕といった同調圧力。負傷していても海軍兵は治療せず、また民間人は壕へ避難することも出来ない。戦時という究極な状況下において、セクト主義的行為は自滅への道に転げ落ちていく。軍紀による人間性の圧殺を見事に描き出す。軍司令官は、戦陣訓を説き 沖縄住民を巻き込んで「最後の1人まで戦え」と言い、一方 小池隊長は「死んではならない、君たちには務めがある。必ず親元へ帰れ」と言い聞かせる。そして25名中22名が生還した。
群像劇であるが、ふじ学徒隊という集団描写だけではなく、1人ひとりの性格なり情況を丁寧に描き、その人物像をリアルに立ち上げる。この群像劇にして人間劇は、少女達だけではなく、野戦病院の人々すべてに当てはまる。野戦病院における生と死の間、そこに戦争の実態を生々しく活写するよう。衣裳や所作など当時を思わせる演技(緊張・緊迫感など)が見事。そして脚本の素晴しさは勿論だが、それを観せ聴かせる演出が秀逸。照明は青・赤・白銀といった単色だが印象的な色彩、音響は波や銃撃音といった効果音。そして少女たちの合唱や教頭先生の独唱、そして出演者全員による歌など 余韻付け。
命の繋がりや地続きの時間、先人の苦しみ痛み それを後世の人々へ どう語り継ぐのか、そんな考えさせる秀作。戦争体験者が少なくなる中で、間接的ではあるが その思いをどう伝えるのかを 模索した公演。こういう作品こそ再演し続けてほしいものである。
次回公演も楽しみにしております。
宇宙で一番孤独な場所
夜光群
萬劇場(東京都)
2025/08/07 (木) ~ 2025/08/11 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
発想が妙---私の頭の中の私との戦争の話。よく考えられているが、脳内の思いが多すぎて整理が出来ているのだろうか。人生は選択の連続で、自分の中の自分はいつも言い争っているかもしれない。その煩わしさが生きている証でもあろう。それにしては、当日パンフにある 脳内人格の役割/分担が分かり難い。同時進行で現れるのであれば、もう少し違いを際立たせてほしいところ…惜しい。
表層的には、 クォーターライフクライシスを描いた物語で、過去や現在の生き方を顧み、これからの生き方を考えたりと前向き。勿論、不安・焦燥・絶望といった後ろ向きな感情も描いているが…。しかし タイトルにある「宇宙で一番孤独な場所」は、舞台美術やシングル(延髄)出演者の役割名から、劇中で示された処とは別のような…。それであれば全然別の物語になり 手強い。
ちなみに、自分は似たような設定の映画を観たことがあるが、それは2×歳の私の頭に 18歳(高校生)の自分が煩く口をはさむといった内容。
(上演時間1時間50分 休憩なし) 【大脳チーム】
ネタバレBOX
舞台美術は、中央に階段を設えた二段舞台。上の中央部にエレベータ風の白い両開扉、その両側は暗幕。冒頭はその扉に「田中真美の脳内」と書かれている。下の中央客席寄りに電話、上手/下手には服や小物などが散らばっている。この整理出来ていない光景こそ、主人公 田中真実の頭の中を表している。
物語は、地方から上京した田中真実が、30歳を過ぎても「普通(立派)の大人」になれないと苦悩する。時々 母の電話で「あなたの友達が結婚して子供が生まれた」と 何気にプレッシャー。チラシにある「なりたい自分には一生なれない」、そんな理想と現実のギャップに悩み、それを14人の真実が頭の中で喧々諤々する。当日パンフのシングル(延髄)キャストは、例えば「立派な社会人」「死体」「モテる女」「魔法使い」、加えて大脳チームは「罪人」「おじさん」「お医者さん」「幸せな人」といった役名/役割が記されており、漠然とだが なりたかった 若しくは現状の人物像を立ち上げようとしている。
このエモーショナルでメランコリックさが公演の魅力。人の頭(心)は、いつも理路整然としているわけではない。感情の高ぶりを14人の同時/多発的な発語で表しているのかもしれないが、舞台としては解かり難い。観客は見巧者ばかりではないので、14人の役割の必要性、いや もう少し(人数というか役名/役割を)整理したほうが分かり易い。二項対立のように明確にする必要はないが…。
タイトルになっている「宇宙で一番孤独な場所」は、自分の意識と切り離された就寝中、つまり布団の中。しかし 舞台美術のエレベータ風の白と両側の暗幕が照明に照らされると鯨幕(死後)に思えるのだが…。この生・死の世界観によっては公演の印象が違ってくる。
最後に、先に記した映画のタイトルは「わたしの頭はいつもうるさい」。
次回公演も楽しみにしております。
FINDING BLUE
uniqueunion musicalkids
ラゾーナ川崎プラザソル(神奈川県)
2025/08/08 (金) ~ 2025/08/10 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
まさに 謳い文句通り「コロナ禍の閉塞を越えて未来へ踏み出す、等身大の青春物語」、それを小学生から大人まで22名+ヴァイオリン奏者で紡ぐ。色々なことが制限された時期、しかし時間は止まることなく過ぎていく。その時にしか経験出来ないことなど 悔しく悲しい思いをしたことが瑞々しく描かれている。
本作は コロナ禍を背景にしているが、いつ どのような理由・原因で日常が奪われるか分からない。劇中にもあるが、例えば 東日本大震災や能登半島地震など、人の力ではどうすることも出来ない自然災害がある。勿論 自然災害に端を発した人為的な二次災害もあるが…。それでも人は前に進む、そんな希望と勇気に溢れた作品。
公演の見所2つ。1つ目は、パンデミック下で 今 自分がしたいこと、できることを模索して仲間と思いを共有し合うこと。そこにコロナ禍の感染防止対策ー3密「密閉」「密集」「密接」が立ちはだかる。自分たちの思いだけで仲間や周りの人々を危険な目に遭わすことは出来ない。そんなジレンマを仲間内に負わせる。この重石のような存在が、思いだけが暴走しそうな状況を踏み止め、自ら色んなことを考えさせるところ。
2つ目は、どこにも ぶつけられない 不平・不満や遣る瀬無い思い、それをミュージカル---歌詞にのせて訴える。大人の出演者は2人、ともに音楽が好きで震災被災地での活動を通して知り合った。しかし 混乱と化した現場、そこでは生活の糧にならない音楽、もっと言えば 芸術は無力。心無い言葉を浴びせられて…それでも心は救えるのではないか。重く響く台詞が印象的だ。
三面舞台、それは観(魅)せるという演出、同時に (広角にすることで)多くの人に夢や希望を持つことの大切さを訴えているようだ。
(上演時間1時間50分 休憩なし)