満足度★★★★
タイトルはもちろん衣類等につく目に見える黴ではなく、人という物に憑く見えない傷を表している。パンフにある「僕の心の黴は水では洗い流せない…」とあるが、涙で浄水-浄化することが出来るような、そんな心魂奮える作品。
(上演時間1時間50分)
ネタバレBOX
舞台はある板金工務店の居間。上手側手前に台所・食卓、奥に玄関。下手側に座卓が置かれ中央奥に2階へ上がる階段が見える。階段横に、今は物置と化した黴臭い部屋がある。2階は高校生の妹の部屋で全体的に現実・生活感漂う造作である。
梗概…主人公は立石板金工務店の主、7年前に母を同乗させた車でひき逃げをしてしまった。もうすぐ時効になるが、この間、そしてこれからも心の荷を背負い続けていく。この主人公を中心として登場人物全員が何らかの傷を負っている。黴のように除菌出来ない苦しさを抱えた日々の暮らしは陰鬱だ。その心情、閉塞感はじっとり纏わり付くようだ。
舞台構図から見ると1階は心痛の場、2階はその逃避先の場であり、二重空間を用いて怒哀(もちろん喜楽はない)を見事に演出している。何となく俯瞰しているような。
結末は、予定調和のような気もするが、それはそれで良い。しかし黴と同様、早めの手当て(正直なこと?)が必要だというような寓意劇と言うよりは教訓的な流れに観えたところが勿体無い。7年間黙してきた現実、もう少しで時効という目に見えない壁を前にして悔悟・謝罪の気持が、そういう流れなのだろう。
次回公演も楽しみにしております。
満足度★★★★
身近な幸せ、足元の幸せは当たり前すぎて見えないかもしれない。タイトル「背に描いたシアワセ」は自分の背中にあるモノは本人には見えない、という比喩であろうか。
(上演時間1時間40分)
ネタバレBOX
物語は表層的には嫁・姑の典型的なバトルを中心にした家族の物語。
そのセットは、中央にダイニングルーム、上手側に廊下、玄関がある。舞台と客席間を街路に見立て立ち話をする。そして冒頭から電化製品を連呼する…20インチのキドカラーのテレビ、新しく買ったものはオーブントースターに、電子ジャー、それに冷蔵庫は2ドア。洗濯機は濯ぎまで自動と説明が続くが、実際は舞台上にない。何となく昭和の時代を連想させる。上演後、作・演出の笠浦静花女史に聞いたところ、向田邦子「寺内貫太郎一家」をイメージしたとのこと。そういえばコミカル調であるが、その中に「老い」や「介護」といったテーマ、家族の生活の中に潜むリアルな部分も描かれている。
さて、嫁姑のバトルは食事シーンが中心であり、その描写を意識したセットが活きてくる。嫁姑の優劣の立場がコロコロと変わりテンポ良く展開していく。バトルの原因をアッサリと”習慣の違い”と言い切り、くどく説明しないところが巧い。2人の争いに巻き込まれるそれぞれの夫(舅と息子)の優柔不断でオタオタする様子が面白可笑しく、思わず頷いてしまう。この家族に近所の人や友人が絡み少し違う展開が…このあたりにラストに驚かされる伏線がある。もっと早い段階でも不思議と思うシーンもあるが…。
劇中、近所の居酒屋が自分の背中に刺青があると言うが他人には見えない。本人の思い込み、自分の背中は見えないと…そこに先に記した他人からは幸せに思えることが、自分の(身近な)幸せは気が付かないに繋がるのだろう。
ラスト、バトルさえも幸せであった日々…予測を超えた結末は観応え十分であった。
次回公演も楽しみにしております。
満足度★★★★
都会の人間関係を表面の親近さと内面の疎遠さを浮き上がらせ、家族内でも本心と虚心が存在するという人間の心の危うさを描いた、少し怖い物語。
(上演時間1時間30分)
ネタバレBOX
セットはほぼ素舞台、奥壁に沿っていくつかの椅子が客席側を向いて並べられているだけ。上手に別スペースを設ける。映画「家族ゲーム」(森田芳光監督)の食事シーンを連想させる。この配置は家族という身内、身近な存在であるがよく見えない位置関係にある。隣を注視しない警戒しないという暗黙の了解があるからだ。同時に隣は何をする人ぞという無関心も窺える。また他人には好奇の眼差しを向け、色々観察したがる様子も垣間見える。しかし相手の実像、実態は掴みきれずあくまで興味本位の域である。ここに隣人、特に都会における近所付き合いの本質を表わした表現がある。
梗概…1年前、隣の家で息子が殺人事件を起こした。並木家の妻は取材陣に隣家の事情を尋ねられたが、正直よく知らない。しかしめったにない機会、自分の存在を示しておきたい軽い気持ち。そこには隣と違い我が家は安泰、たぶん幸せ家族だと思っている。
しかし一皮剥けば、この家も妹夫婦は離婚話、シェアハウスの居候住人のことや空き部屋の心配。夫婦円満と思っているが実は無関心、長年連れ添ってきた当たり前の風景、惰性マンネリという倦怠期のような…。1年後偶然か、並木家の娘が事件を起こした家の娘に会う。日常の何気ない暮らし、その情景の中、人の心に見えない”鬱積”が不気味に堆積していく様が見て取れる。このあたりの心情描写は巧い。一見、幸せ家族を客観的に見ているのがこの家の娘。その観せ方が直接ではなくカメラという媒体を通して観察しているかのようだ。そしてこの娘にも隠し事がある。客観的にすることで観客目線と同化するようだ。
公演の面白さは、直接大きな事件を取り扱わず、日常の些細な出来事の不満・心配・苛立など人が持っている説明し難い、またはコントロールし難い感情を実に上手く表現しているところ。幸せはどこにあるのか、本音と建前の会話が情況にピタッとはまる面白さ。もちろん役者の演技力もあるが、室内という緊密空間、家庭(族)から遁れられない不気味さがそう思わせる。会話(台詞)が丁々発止という訳でもない、逆に緩慢なところもある。しかし聞き逃したらいけないような緊張感がある。そこにこの劇団の巧さ、特長があると思う。
最後に、平凡な家族のあり触れた暮らしを普通に描いているが、自分は”日常生活”の中で演劇に”非日常性”という楽しみ、刺激を求めて観るところがあり、その意味で今まで観てきたシアターノーチラスの公演に比べると少し物足りなかったのが残念。
次回公演も楽しみにしております。
実演鑑賞
満足度★★★★★
ストリップ劇場を廃業する最後の1日、昭和から平成にかけてストリップ業の盛衰とそこで働く人々の人生模様をコミカル、人情味豊かに描いた艶劇。上演時間は2時間20分と長いが、飽きることなく逆に引き込まれるほど観応えがあった。
(上演時間1時間50分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
時代設定は平成と昭和を往還させ、ストリップ(劇場)の盛衰と共にスタッフ、キャストの人生-喜怒哀楽が心情豊かに描く。特に踊り子としての”芸”に対する誇り、一方1人の女としての”性(さが)”が悲哀として展開していく。
セットは、ストリップ劇場の楽屋、大きく上手・下手側に2分割し、上手側は畳敷に化粧台、派手な舞台衣装、下手側に机、出入り口に浮世絵柄の暖簾が掛かる。全体的に和風、艶福的雰囲気が漂う。ラストには畳敷がステージに場面転換させショーが始まる。
梗概…当日は小屋・踊り子への男女の記者が取材。しかし看板ストリッパーは腕を骨折、そこにかつての看板ストリッパーが戻って来る。実は彼女を呼んだのは、現在の看板スターで、共に支配人の現彼女であり、昔彼女であった新旧ライバルでもある。このストリッパーたちの因縁は、取材に来た女性記者にも関係してくる。
ステージという表舞台の華やかさ、楽屋という裏の実生活という表裏に潜む人生模様が1日という時間・場所という限定空間でしっかり描かれる。時の刻みとして、1人の女が愛する男を待つ姿、その男の娘をストリッパーという仕事で育てる母親としての姿、そこにも表裏が見える。しかし娘の思いと母の生き方の相違が痛いほど伝わる。
ラストのショーは妖艶・コミカルな多様な魅せ方で楽しませる。先のホロッとさせるシーンとの対照的な印象付けは見事である。
全編をこの小屋にいたストリッパーが地縛霊のように温かく見守るヒューマンドラマ。
次回公演も楽しみにしております。
実演鑑賞
満足度★★★
旧約聖書の「創世記」にあるノアの物語(「ノアの箱舟」)バベルの塔の伝説をモチーフにしたような公演である。”人類の言語は1つ”という旧約聖書にあることを、公演では逆に世界共通語への懐疑、画一化という不自由さへの反発が音楽・演劇という身近な芸術・文化論で比喩させており、テーマ性に拘った内容であった。
現実と妄想が交錯するような構成で、伝えたいことは解かるような気もするが、そこに理屈っぽさが前面に出過ぎたように感じたのが残念だ。
(上演時間1時間20分)
ネタバレBOX
セットは後景に繋ぎボード、下手側に変形台形の白Boxという幾何学的な造作。何となく迷宮をイメージさせるよう。
グローバリゼーションが進む現代社会では、柔軟性が求められる。そして生まれ育った場所から離れた所で学び、仕事、生活をしている。そこでは時としてアイデンティティを失い、多種多様の言葉、文化、伝統に埋没する危惧に襲われるかもしれない。
その柔軟性・多様化に呼応したような画一化への不自由さを劇中劇、または妄想劇として観せる。テーマの切り口は良かったと思うが、説明するような理屈っぽさが、描きたいことを手放したように思う。
次回公演を楽しみにしております。
満足度★★★★★
どこかに居そうな夫婦の日常を切り取って、観客の関心を惹くだけが芝居ではない。演技力によって観客を圧倒し魅了する。特にこの公演は2人芝居であるから1人ひとりの演技力はもちろん、その呼吸のバランスが重要だ。その意味で本公演は、現実とは異なる、演劇的現実をしっかり立ち上げており観応え十分であった。
「ゴドーを待ちながら」(サミュエル・ベケット)をもじったタイトルであるが、ここでは不条理ではなく、普通の夫婦が或る出来事によって平穏な日々を過ごせなくなる。その不安定・不均衡といった気持を丁寧に描いた物語である。
(上演時間1時間40分)
ネタバレBOX
セットは夫婦が暮らすアパートのダイニングキッチン兼居間。上手側にソファー、中央にダイニングテーブルで夫婦の椅子と子供用の椅子が見える。下手側に流しや冷蔵庫といったキッチンがある。正面奥はガラス戸で外に自転車が置かれている。細部にわたった作り込みは見事だ。この空間は生活の基本になる場所で、ここでの会話は自然な流れ、その演技力は素晴らしい。
梗概…義母から贈られたぬいぐるみ、正面に見える子供用の椅子が先々虚しくなってくる。もちろん子供は登場しないが、夫婦の会話から子供への愛情が伝わる。子供は心臓病で亡くなり、悲しみに耐えながら生活をしている。その坦々とした暮らしの中に、子供がいた時の想いが募る。夫婦の間でも子供との(時間的な)関わりの違いから想いに温度差がある。何となく生じてきた蟠りを解消しようと街頭募金を始め、そこで生き甲斐のようなものを見出したが…。
この公演の魅力は子供を亡くした夫婦の空虚な心、一方諦念したような坦々とした暮らし、この「気持」と「現実」を丁寧に表現する。ぬいぐるみをくれた義母へ悪口、なだめる夫。そして警察官である夫の帰宅にあわせた料理と食事。空虚と絶望に覆いつくされながらも生きる、そんな様子が宛転たる語り口によってもたらされる上手さ。
空虚の原因、その子供はいつまでも登場しない。その生きていた時(過去)への憧憬のような感情が少しづつ癒され、自己の存在意識を取り戻しつつある夫婦の姿を斬新なスタイルで描いている。登場人物が2人のため、外出から帰って来るまでの一瞬、舞台上には誰もいない。そのいない空間こそ空虚という心象表現のようだ。
セットが示す生活空間、そこでの夫婦ならではの本音、感情の衝突などの濃密な会話、それがピーンと張り詰めた緊張感を漂わす。その緊張感がゆったりとして時間の流れの中で弛緩していく、そんな滋味溢れる好公演であった。
次回公演を楽しみにしております。
満足度★★★★★
古希野球(生き甲斐)、介護、将棋という得意分野を盛り込んだスポ根ならぬスポ魂物語。同時に人生に戦争の傷痕を残す、その意味では反戦劇の一面も…。喜怒哀楽、多くの人生模様を観せる感動作である。
(上演時間2時間)
ネタバレBOX
セットは、中央手前にマウンドであり居酒屋・若竹の店内座敷になる菱形台座。左右に階段状のベンチが設え、上手側が飲食店・若竹の厨房等、下手側が球場スタンドや街路に見立てる。後景にはスコアボードを設え、物語の情景にピッタリの舞台美術である。
梗概…戦前か戦中に甲子園で活躍した球児たちが古希を迎えてもまだ野球を続けている。それが生き甲斐にもなっている。一方、寄る年波には勝てず持病、多種の常備薬を飲むシーンもリアル。また妻が認知症のようになり、その面倒を見ることで練習にも参加できないという高齢者介護(老・老介護)の実情も夫婦愛としてしっとりと描く。時代設定は平成10年前後であろうか?
どちらかと言えば湿っぽくなりがちな老後(古希)や介護のテーマをカラッとして日常の暮らし中に溶け込ませ、それが当たり前のように坦々と展開していく。この芝居の隠れテーマとして”地域”という街が見えてくる。学生の頃から、いや幼少の時から一緒の仲間と馴染みの居酒屋、その地域の中で支え合いながら生きている姿がしっかり浮かび上がる。都会では廃れた思われがちな隣近所の付き合い、高齢化社会が進むにつれ、古き良き時代の付き合い方が戻ってくれば良いが…。
最後に物語のスケールに対し舞台スペースが少し窮屈に見えたのが勿体ないところ。初演はシアターグリーン BOX in BOX THEATERで上演されており、その時に比べるとであるが…。
次回公演も楽しみにしております。
満足度★★★
初日観劇。
戦時中の坦々とした生活、そして結婚式という慶事を絡めた反戦劇。しかし、戦争という最悪な不条理が見えてこない。
自分は戦争体験がないだけに観念的な感想かもしれないが、戦争の悲惨さが伝わらない。原爆投下されたであろうことを印象付ける幕切れであり、その後の悲惨さは事実として知っている。それだけに演劇で用いられる観客に問いかけるという効果・意味合いは少ないと思う。
(上演時間2時間)
ネタバレBOX
戦時中にも関わらず坦々とした日々が綴られる。現代、自分たちは翌日に原爆が投下されたことを知っているが、当時の人々は日々の生活でそんなことが起きようとは誰も思っていない。原作(小説)では当時の状況を書いており、読者の想像力を喚起する。しかし、舞台という直接的に訴える視覚という特長を生かして原爆投下へ刻一刻と迫っている恐ろしさが伝わらないのが残念。戦時中の理不尽さを描いた場面(弱みに付け込み物資を強請る等)、空襲に怯える場面などもあるが、戦争そのものの最大の不条理が見えてこない。最後に生まれたばかり赤ん坊の”生と死”が戦争の惨さ無常さを表しているだけに…。
セットは基本的には客席寄りの空間、その奥に押入程度の高さの空間、その下に納戸を設え、上手側に床の間、掛け軸等が置かれ、下手側は家の玄関。客席寄りの空間は冒頭は街中を思わせるが基本的に住居居間として物語が進展する。シンプルな造作であるが当時の長崎市民の一般的な暮らしぶりは十分伝わる。
梗概…語られるのは1945年8月8日の長崎、原爆が投下される前日の風景。街角で遊ぶ子どもたち、結婚式を挙げる夫婦、出産を控えた妊婦等、戦時中とはいえ様々な思いや悩みが描かれる。勿論、彼・彼女たちが明日に起こる出来事を知るはずもなく、今日の延長で明日が来ると思っている。ラストは出産と閃光を思わせる真っ赤な照明で幕を閉じる。人間の生死が対比表現され、生まれてすぐに凄惨な現実が…。この描写によって原爆が投下され、全てが奪われたことを連想させる。
原作者の当時を生きた観点と今を生きている観点の違い、さらに小説という読者の想像力を引き出させるものと、演劇という五感、それも視覚・聴覚という直接訴える手段の違いを生かし観客(自分)の心魂を揺さぶってほしかった。原作を読んでいるだけにあまりにも坦々、清々しい描写、それに物足りなさを感じてしまう。
一方演出について、ラストの照明はもちろん、雨戸の開閉に応じて照度を変える、時を刻む時計の音など細かく丁寧なところはさすがに巧い。
次回公演も楽しみにしております。
満足度★★★★
ヘレンケラーを題材とした公演は3作目。前2作はせんがわ劇場で上演しており、この劇場より広い。本作におけるヘレンケラーの人物像なりは前作をも凌ぐ見事な造形であったが、芝居的にはこじんまりとした印象を受けた。
劇場の規模を比較して意味があるのか分からないが、少なくとも せんがわ劇場では素舞台に近い。あるのはテーブルと椅子が数脚。周りは暗幕で囲い、脚本・演出・演技で魅せる力作であった。本作は屋敷内を作り込み過ぎたようで、言葉はおろか自分が何者(人)かさえも認識できていない”子供=ヘレンケラー”の行動が舞台セットによって妨げられている。何気にテーブルの周りを回ったりしているが、”痛い”という感覚本能を持っていたか否か判然としないが、観客としては作為的な動きに見えてしまったのが勿体ないところ。
(上演時間2時間10分)
ネタバレBOX
セットは屋敷内_中央にテーブル・椅子や飾り棚が置かれ、下手には窓。客席寄りに階段がある別スペースを設けている。当然、有名なシーンである井戸も見える。
梗概…ヘレン・ケラー(羽杏サン)とアン・サリヴァン(坂東七笑サン)との出会い、結びつきが中心に描かれる。その意味ではヘレン・ケラーの人生に大きな影響を与えた人物との関わり、言葉の認識というプロセスが中心であり、その見せ場として井戸での水汲みシーンが有名。見せ場における2人の演技は上手い。その臨場感は圧巻である。
この公演でもその描き方は他の劇団公演と変わらない。しかし、ここではその後のヘレン・ケラーをも描き出す。人(障碍者)として社会との関わりを持った人生も丁寧に描く。多くの劇団は水汲みシーンで終幕とするが、それは演劇的な見せ方として魅力的であり、評伝(記)にも差し障りがないからではないか。この劇団では、文献では知りえない事柄を独自の解釈・演出によって表現しようと試みている。
しかし、公演ではヘレン・ケラーの人種差別に反対する運動や労働条件改善の訴え、南部黒人集会での演説や講演を紹介する。そしてライフワークになる社会福祉活動。自身の経験を踏まえた公演は、世界中へ。また経済的な困窮からボードビルショーにも出演したことが描かれるが、これらは彼女に関する文献を調べれば知れるところ。評伝の内容を演劇化する、それはそれで面白いかもしれないが観る人の感性や主義主張に左右されることがあるような。
それよりは、”人格形成後(者)”としてのヘレン・ケラーではなく、社会との関わりを持つ前のまだ学生としての未成熟でどん欲に知識を習得する。そんな彼女の上級学校に進学してからの考え方、物の見方など成長する”過程”を観てみたい。そこには完成された人物の評伝記ではなく、まだ知られていない生身の人物の生き様が刻まれそうだ。それこそヘレン・ケラーの人間的魅力(例えばダンスのシーン等は秀逸)が潜んでおり新たな人物像の形成になると思う。芝居ゆえにその自由(発想)度を広げても良いのではないか。そんな芝居を観てみたい。
次回公演を楽しみにしております。
満足度★★★★★
海洋冒険浪漫活劇…林遊眠1人芝居は楽しく、そして凄い。第26回池袋演劇祭(大賞受賞)の時にも観ているが、その時に比べると情感が増したように思う。1人で多くの老若男女を演じ、ト書を加えるから膨大な台詞になるが、物語が進むほどに世界観が広がり人間性に深みが増してくる素晴らしい公演であった。
上演時間2時間10分(途中休憩10分)
ネタバレBOX
前に見た時は、冒険活劇としてのシャープ・スピード感という鋭い面が強調されていたように思うが、今回は外観というよりは人の内面を強調したような、いわば包み込むような包容力を感じさせる。もちろん「冒険浪漫活劇」という謳い文句であるから、その醍醐味はしっかり味あわせてくれる。
さて、当日パンフに劇団代表で作・演出のナツメクニオ氏が「今回、林遊眠がほぼ全編に渡って一人で稽古し、自己演出を突き詰めて構築した新たなママナン・マクリルの羅針盤」と書いている。そうであれば、彼女は物語を通じて”人の内面”を描きたいと思ったのであろうか。その意図は十分に伝わる…物語は1700年代初頭という背景であるが、その時代の「自由」という命に代えても守りたい…それは時を経た現代にも通じるもの。
演劇でいう第四の壁のようなものを乗り越え、劇中で林遊眠さんが観客に声掛けする。劇中人物が突如、身近なところに舞い降りるような、舞台と客席を一体感に包み盛り上げた後、物語の世界へ戻っていく。関西の劇団ゆえ、東京方面の演劇ファンに馴染みがないとのこと。だからこそ観客(関西でも同様だと思う)を大切にするパフォーマンス(You tube 配信あり)。
次回公演も楽しみにしております。
満足度★★★★★
元気いっぱいに若い女性が軽快なテンポで紡ぐ(夏)物語…でも少し背筋が凍るような示唆?もある。
(上演時間2時間強)
ネタバレBOX
舞台セットはおとぎの国を思わせるようなファンタジックな張りぼて造作。アイスコーンや変形刳り貫き窓など、見た目の面白さ楽しさ。セット色調や多色彩の照明、カラフルな衣装が演技と相まってポップ調に仕上がっている。
この公演は、”人体冷凍保存実験?”といった物語。表層的には、少女視点での夏とアイス、そして地元愛、段々慣れ親しんできた東京という地が溶け混じったラブコメディのようだ。
現在から過去または未来を往還して観た時、同じ場所、または同じ少女世代であっても時の情勢や事情によって感じ方が違うかもしれないし、同じかもしれない。しかしこの公演では変容なのか不変なのかという二極を思い巡らせるのではなく、”現在”を大事にする。悩んだら、とにかく自分の中の”ギャル”を呼び起こして“今”を全力で生きればいい。そんな前向きな物語である。
そう思わせるような展開、それが”人体冷凍保存”という発想を借りて表層ポップの裏に潜む思索として説明しているように思われた。
公演の魅力は観客を楽しく元気にさせる、そんな魅せるところ。この明るく笑う、ポジティブな姿勢こそ、時代情勢や状況が変わろうとも「冷凍保存」されたように必要で大切なものではないだろうか。
次回公演も楽しみにしております。
実演鑑賞
満足度★★★★★
人間、それも女性の内面を浮き彫りにしていくが、そのあぶり出す題材が「顔」という、外面の代表格を用いる発想がユニーク。
さて、「顔」で思い出すのが、二枚目俳優・長谷川一夫(当時は林長二郎)が暴漢に襲われ、刃物で顔面を切りつけられ重傷を負った事件である。そしてそれをモチーフにした映画「貌切り KAOKIRI」である。心が豊かで美しければ、などという綺麗ごと建前など白々しいと言わんばかりの物語は、観応え十分であった。
(上演時間1時間35分)
ネタバレBOX
セットは、芸能人のメイク室。客席側に向かって鏡があるというイメージ設定。下手側に更衣スペースがあり、いくつかの騒動(恋愛沙汰)で利用する。この狭いメイク室で美人女優、演技派女優、そして各女優のメイクを担当する職人が繰り広げる嫉妬・羨望などの不快感情が交錯する物語は面白い。また出羽恭子(井上晴賀サン)の顔(顎)ネタも挟み込む。さらにはアシスタントやマネージャーという脇役が女の別一面を観(魅)せてくる。
梗概…美人女優の専属メイクは男、演技派女優のメイクは女。このメイク担当者の男と女は師弟または先輩後輩という縦社会の典型を表す。逆らい難い環境に我慢し、ようやく1人前になった主人公・小尾千恵子(岸本鮎佳サン)が、偶然にも同じ楽屋・メイク室で師・先輩と仕事をすることになるが…。
男の身勝手と勘違い、女の媚と思わせ振り、その間にある溝は深く気味が悪い。かろうじて橋渡しをしているのが”仕事”という生活の糧という味気無いもの。
さて、美人女優は”美人”というだけで何の努力もしない、一方、演技派女優は努力を欠かさないという定番設定である。そして美人女優に事件(ここで長谷川一夫事件を連想)が起きる。芸能関係者にありそうな思惑と人間関係、それを女性という視点から、笑いを纏いながら繊細、丁寧に切り取る面白さ。”コンプレックスのフィルターを通し、気まずく、切なく、恥ずかしい、人とも距離感を、何気ない会話からあぶり出す”という艶∞ポリスの真骨頂が観られた。
本当に居そうな厚顔な女、そして男の図々しさ。役者は、その分かり易いキャラクターをしっかり立ち上げ面白可笑しく観せる。表層コメディであるが、手放しで楽しんでいては足許が…そんな怖さも垣間見られる秀作である。
次回公演も楽しみにしております。
満足度★★★
自分の妄想、その脳内を三面鏡に映った姿を見るような形で展開していく。タイトル「分別盛り」は、当日パンフによればカミーユ・クローデルの作品に刺激を受けたことが記されている。本公演は、自問自答するような騒めきが多少煩わしく感じられるが、それでも描きたい内容はしっかり伝わる。
(上演時間1時間30分)
ネタバレBOX
セットは、中央に横長テーブルのようなもの。上手側にピアノ、下手側に扉がありその壁は白色で映写幕の代用にもなっている。
物語は、自分自身を多角的に捉えるための三面鏡のような展開に思える。もちろん第1は現在の自分自身の心との葛藤、第2は子供時代に形成された心、第3は本人とは関係ない第3者という客観的視点で見る。この3つの視点を本人の職業-作家としての行き詰まりの苦悩を本筋にし、子供時代に受けた心の痛みを脇筋として絡めて人物像を形成している。この2つが交錯し本人の妄想の世界を築いている。主要メンバーはパジャマ姿であることから一夜の出来事としているのだろうか。客観的な場面は、女子会のようなノリで一見主人公との関係性が見えてこない。一般的な情景、人間(ここでは女性を強調)であれば悩み苦しむ”恋”という普遍的なテーマを与え、自己が抱える色々な問題・課題の断面を面白可笑しく見せている。その会話を横長テーブルを炬燵に見立て寛いで観せるなど巧い。
物語としては重層的な見せ方を意識しており、その点は成功していると思う。しかし同時進行するような2分割の場面構成で、役者の演技(声量)が同じ。そのためどちらが本筋で脇筋なのか分らなくなり騒がしいだけの印象を与えたのが残念。カミーユの「分別盛り」は内なる叫びを表現しているとすれば、本公演は素直に心の葛藤を叫んで表現しているようだ。その対比のような演出は上手いが…。
一方、音楽は生ライブ(アコーデオン、ピアノ、ドラムなど多種の楽器)、同時にダンスパフォーマンスを観せることで楽しませる工夫は良かった。粗削りのような公演であるが、逆にこじんまりとした理屈の枠に収まらない自由な発想と構成は面白く、次回公演が楽しみである。
満足度★★★★★
古民家「ゆうど」での至福のひと時。とても素晴らしい朗読劇で大いに堪能した。たまたま観劇した日、この古民家の主が紛れ込み場内がざわつくこともご愛嬌か…。
(上演時間1時間30分)A『恋文小夜曲』
ネタバレBOX
基本は朗読劇であるが、動きや音楽(歌)があることで「総合的な感覚」…聴覚・視覚という基本に加え、味覚(ゆうどの井戸水を使用した麦茶の振る舞い)、臭覚(庭の木々の匂い)そして身近での朗読という息遣いが感じられる触覚という五感をフルに刺激される好公演であった。
それでも台詞は,朗読表現の唯一の直接的な手段であり,筋や役の性格を含めて,劇的な内容がそれを通じて行われる。その意味で、この朗読劇の水準は格段に高い。
この朗読劇は、劇公演と違ってセットの作り込みは少なく、逆にこの古民家ゆうどの持ち味である和風家屋の特長を生かした雰囲気の中で語られる。第1部は大正時代に綴った恋文と女性を称えた手紙の二本立て。第2部は、吉田小夏女史の戯曲から、恋に纏わる台詞達をセレクションした抜粋劇。「詩情溢れるダイアローグとモノローグで紡ぐ、恋物語の短編集として再構成」という謳い文句通りの印象深い内容だ。
客席エリアの左手にある廊下が役者の出はけ通路、こちらからはガラス戸を通して和風の小庭が見える。客席の対面となるステージ、その上手客席寄りに別室への隙き間があり活用する。正面に床の間、いつくかの段組み棚があり小物が置かれている。そして硝子椀の中の灯りが仄かに照らす。
朗読。第1部1篇は文豪の文(ふみ)の朗読、島村抱月が松井須磨子へ宛てた手紙は、言い訳というか泣き言のような滑稽さ。第2編は女性同士の文の往還、抒情性の中に感情が潤ってくるような繊細さ。第2部は吉田女史自身の戯曲からの抜粋。劇中場面の再現という発想はユニークだが、その場面の選択(尺も含め)が難しい。劇は全編を通じて観客の感情を揺さぶっており、たとえ山場と言われる感動シーンであっても、前後関係を省略した朗読劇が聴衆の感情を刺激するだろうか、という危惧があった。結果的にそれは杞憂であった。ここでは公演-劇中の感情を同じように”刺激”するのではなく、朗読によって情景場面を”詩劇”し抒情的な味わいを出していた。
アナグロの代名詞のような「手紙(恋文)」をあえて現代に披露する。現代では同じ文字・言葉をメールという手段で瞬時に相手に送る。手軽さや料金においては手紙より勝ると思う。手紙とメールは同じコミュニケーション手段であるが、手紙は書き手の心を伝える温かさと肉筆による味わいがある。もっとも朗読劇ではその肉筆による温もりは感じ取れない。しかし、手紙を投函して相手からの返事を待つ、その一連の時間が愛おしい様な気持が伝わる好公演であった。
次回公演も楽しみにしております。
満足度★★★
戯曲「夏の夜の夢」は古今東西、数多く上演されている。表現は相応しくないかもしれないが、この手垢のついたような芝居をどう観(魅)せるか。本公演は、原作を分かりやすく、熱量(パワー)を持って観せているところが魅力である。
一方、少し気になるところも…。
(上演時間1時間40分)
ネタバレBOX
まず気になるところは、役者が役柄を超えて素で楽しんでしまっているように感じた。もちろん、楽しんで演じることは重要だと思うが、脚本(訳本)に設定された役柄、人物像をしっかり立ち上げ、その人物が持つ特性に面白さがある。その上で人物にどう役者としての経験なり人柄を反映させるか。その意味で役柄を作り上げる前の役者の顔が出てしまっている俳優が何人かいたのが残念であった。
セットは、周りを工事現場で見かける黄黒色のポールのようなものを吊るし、中央は素舞台。基本的に原作同様の展開であり斬新さは感じられなかった。演出というべきか?表面的な見せ方として、登場人物を滑車を利用し吊り上げるなどのシーンがあったが、このままでは面白みがない。
物語は、森に足を踏み入れた貴族や職人、森に住む妖精たちが登場する。人間の男女は結婚に関する問題を抱えており、妖精パックの悪戯によって…。
舞台技術としての照明や音響は良かった。特に冒頭の缶、モップ等を利用したラップは聴かせるもの。シェイクスピアの原作の持つ面白さは、訳本である以上、色々な表現ができる。この物語の持つ面白さを先人の力を借用しつつ独自性を示す、という柔軟な発想がほしい。少なくとも滑車利用は妖精が飛び回るという浮遊動作へ繋げ、同時に地上にいる人間の地歩が感じられる工夫が必要だと思う。
一方、森の中という設定は、照明による陰影。幻想的で浮遊感ある演出である。その妖精が森という神秘的な場所にいるという感覚がある。それだけに演出に見合った演技力の物足りなさが勿体なかった。
次回公演を楽しみにしております。
実演鑑賞
満足度★★★★
4編のオムニバス、新宿歌舞伎町にあるホテル・ミラクルで繰り広げられる会話劇。もちろん多少隠微な感じはするが、全編を通じて「男・女」というよりは「人・間」の本音、心情が奇妙な感覚を以てして描かれている。
(上演時間2時間10分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
セットは新宿歌舞伎町のラブホテルを想像させる。客席はL字型で舞台を半囲いし、ダブルベット、置台、革ソファー、少し離れた所に丸テーブルと椅子が置かれている。入口近くに浴室。ホテルという密室空間を覗き込んでいるという感覚になる。
劇は①娯楽であり②時代を映す鏡、その社会的・世相的な側面があると思うが、その両面が楽しめる作品である。場所はともかく女子会の喋りなどはリアルであり、女性ならではの特徴と同時に人間的な深みも感じさせる内容だ。一方、パラドックスの世界、現実には起こり得ないような世界を描き、社会的問題を揶揄している。その意味で演劇の醍醐味をしっかり味あわせてくれた。
物語の概要は次のとおり。
①「ビッチの品格」(脚本:岩井美菜子(劇団人間嫌い))
ありそうな女子大生のお喋り。もちろん話題は恋愛だが、男性との付き合い方の色々が性格や考え方によって違うという典型的な展開。自己の経験や考え方の違いを許容できるか否か。その濃密な会話に引き込まれる。
②「ホテル・リトル・ミラクル」(脚本:小西耕一(Straw&Berry))
ホテル営業日最後の日、部屋の清掃をしようと布団をめくると、そこには見たことがあるような無いような女が横たわっている。成仏できない女、その理由を聞く一方、若い女性の面倒を見るという虚実の間を右往左往する男の滑稽さ。それが現実の世界(社会)でも巻き込まれる悲喜劇に重ね合わせることができる。
③「カッコ悪いオトコ(悪)」(脚本:島田真吾(あんかけフラミンゴ) )
見栄の張り合いなのか、冗談笑いに包んだ本心なのか分かり難い内容。この編だけ多くの男と1人の女で描く意識の違いが何となく分かる。その意味で男と女という性が感じられる。
④「最後の奇蹟」(脚本:フジタ タイセイ(劇団肋骨蜜柑同好会))
地球最後(消失?)の時を冷静なのかシニカルなのか判然としないが、いずれにしてもジタバタしない男女の知的にして痴的な会話が面白い。ホテルという極めて緊密性のある空間で、2人以外の世界・状況を描き出すという演出が上手い。ある意味、メッセージ性ある内容かもしれない。
それぞれの作者が、ホテル・ミラクルの一室で紡がれるであろう人間の”物語”をそれぞれの感性で描く。その広角的な取り組みは面白かった。
次回公演も楽しみにしております。
満足度★★★
高校時代の友人とのルームシェア、日常の淡々とした暮らしに隠された鬱憤晴らし…不穏が積み重なり変な緊張感が生まれるサスペンスもしくは心理劇といった公演であった。
旗揚げ公演、作・演出の島ハンス女史の心情を濃密なプライベート空間で描く女2人の三人芝居である。
(上演時間1時間20分)
ネタバレBOX
セットはルームシェアする2部屋と共同スペースであるダイニングという構図である。上手側がプロのバンドマンを目指し上京したムツ(島ハンスサン)の部屋。引越してきたばかりでダンボール箱が積み重なっている。一方下手側は、先に住み銀行に勤務しているミズキ(阿部沙也加サン)で、テーブルその上にパソコンが置かれている。
梗概…2人は高校時代の友人でルームシェアを始める。入居1日目にして知らされる、衝撃の事実。ミズキはムツの前にエムという女性と同居していたが、エムは1ヶ月前突然いなくなった。実は自殺したと言う。その部屋にムツを住まわせ、ムツは気味悪がらず居続けるところにも驚かされる。さらにムツは、天井裏でエムの日記を発見し彼女とミズキの過去を知る……。
ミズキは、どちらかと言えば堅い職業に就いており休日出勤も厭わない真面目な女性。一方、ムツや亡くなったエムは芸術家肌でエムは美術系大学院に通っていた。分り難い人間性のようなものを、善し悪しは別にして職業的な外的要素で判別させる。その間にある溝のようなもの、それを自分との価値観、考え方などの相違として表現する。ミズキは何となくムツやエムを見下しており、その2人がネット上で話題になることに耐えられない。嫌悪・嫉妬・不快など自分を制御できない、自分自身を見失った感情に捉われる。同一空間に居るが、ネットという別手段で友を裏切るような行為の怖ろしさ。
劇中に出てくるエムの自画像は、チラシの袋を被ったようなものであるが、さらに多くの目が描かれている。他人を意識、気にするような示唆など、小物の利用は巧い。またムツの部屋のダンボール箱が段々整理されるあたりは、上手く時間経過を表している。
一方、現在のムツと回想もしくは日記の中のエムが島ハンスさんの1人2役であるが、その人物の違いを暗転・明転によって状況の区別をさせる。その頻度が多いことから物語に集中し難い。物語は面白いと思えるが、その面白さを引き出す工夫、演出が不足しているようで勿体なかった。
次回公演を楽しみにしております。
満足度★★★★
表層は根拠が弱い敵意、その曖昧な感情を以ってして人を貶め怒鳴りつけ、暴力を振るうという理不尽な情動に思えるが…。チラシに「暴力に巻き込まれ呑まれていく人の話」とあるが、自分勝手な苛立ち、不快感、不安定という感情が日常・常識を破り奇妙な世界へ誘うようだ。その特異な世界観は、観客の好みによって評価が異なるかもしれない。
(上演時間1時間15分)
ネタバレBOX
セットは、上手側から中央にかけてソフトベンチのようなものが置かれ、下手側にはテーブル、その上に電動バイブが立っている。ここは男(1人)女(2人)の3人でルームシェアをしていたが、その関係に気まずい状況が生まれ別れ話が持ち出される。冒頭、ラジオであろうか、街に得体の知れない獣が出没し被害が出ているニュースが流れている。
梗概…看護師のサヤ(徳橋みのりサン)、その彼氏で調理師見習のミヤイ(海老根理サン)、サヤとミヤイのルームメイトのアイコ(橋爪未萌里サン)がルームシェアしているが、サヤとミヤイがあることが原因で別れ話になった。そのかみ合っているような いないような会話、そのすれ違いの意識が面白い。また別れ話からサヤの元彼クマザキやミヤイの高校時代の友人シゲルが部屋に訪ねてくる。2人の男はルームシェアの3人とはほとんど無関係であり、一種の闖入者のように描かれる。しかし、いつの間にかサヤ・ミヤイの別れ話に絡み出す。その先は奇妙な出来事が続き、実体のない世界との関係が…。
男と女の関係、女友達の関係、元恋人同士、記憶の彼方にある友達、それぞれの(物語)関係性に脈絡があるような無いような不思議な距離感を思わせる。
3人関係は心地良い時は上手くいくが一端拗れると修復不可能になるところだが、本作は何故かうまく軟着陸(解決)する。恋愛の不可解さが劇として見事に具象化されていた。その表現はポップで心地良いもの。
一方、人の本音は相手がこの世とは別のところに旅立って初めて吐露するような、そんな独白めいた姿を淡々と描く。その意味で、非現実的な状況下になって自分の曖昧な気持が分ってくる。真っ当な社会人であると思っている自分、女は感情の赴くままに暴力的な言動を男に発し快適になり、男は女の何かに目をつぶって快適さを得ていた。そして友達の彼氏と関係を持つ不自由な恋をして快適・優越を有している女もいる。
さて、チラシのモデルはサヤ役の徳橋みのりさんであるが、その手に持っているのは熊の餌でもある魚(鮭?)のような…街にいるのは人間という”獣”化もしれない。
次回公演も楽しみにしております。
実演鑑賞
満足度★★★★
映画にもなった「蒲田行進曲」は、今の時期にピッタリ合うような応援歌。つかこうへい作品らしい「言葉(台詞)と音響そして肉体」をもって物語の世界へ導く。本公演はさらに照明の印象付(雨の表現など)を意識し小道具の傘をもって抒情豊かに紡いでいく。
(上演時間1時間50分)
ネタバレBOX
セットは素舞台。
物語は、京都の撮影所、映画スターの倉岡銀四郎・通称:銀ちゃん(丸山厚人サン)が妊娠させた恋人水原小夏(倉地裕衣サン)を大部屋俳優の村岡安次・通称・ヤス(關根史明サン)に押し付ける。ヤスは小夏を受け入れ、どんなに無視、無理難題を言われ、足蹴にされても銀ちゃんに付いていく。一方小夏は銀ちゃんのことが忘れられず、しかしヤスの優しさと子供の将来を考えると、今のヤスとの生活も大事にしたいという複雑な気持ち。銀ちゃんは小夏をヤスに押し付けたが寄りを戻そうと…。
3者三様の思いが痛いほど伝わる情景描写は見事であった。それは「愛」と「情」という感情が混在しているようだ。自分が傷つく、一種の自虐行為に笑いを含ませる。人の本心の見え隠れ=照れ隠しが笑いと同時に哀切を帯びて見える。心情形成と同時に照明による情景描写も秀逸であった。例えば暗幕で囲った舞台、登場人物への照明諧調することで内面を、また玉模様の陰影で雨などの情景を描く。そして透明なビニール傘の照明反射効果など演出効果を計算していたようだ。もちろん「階段落ち」も見事に観(魅)せてくれた。
素舞台だけに役者の力量が試される。主要な役柄は先の3人、その感情表現が作品の良し悪しに直結すると言っても過言ではない。本作では”決め”と”容赦ない”台詞の熱量と情感、その両方とも感じ取れた。そこには差別的な情景・状況を映し出す背景がしっかり刻み込まれている。大スターと大部屋役者にある差、そこには人間である前に役者(立場)という芸事が優先する。だからヤスは銀ちゃんの言うことは何でも聞き入れる。もっとも人間的な魅力も感じてはいるが…。
差別される人々を自虐的な笑いに包み、彼らが懸命に生きている姿を描く。4月に社会人になり、ようやく生活や仕事に慣れた頃。何者でもない自分が社会で何をなせるのか。希望と不安が表裏一体。しかし自らの手と足でしっかり自分の場所を築く、つかこうへい作品全体に言えることだが、特にこの時期、何者でもない新社会人に相応しい応援歌のように思えた作品である。
次回公演を楽しみにしております。
満足度★★★★
表層は「西遊記」物語であるが、そこには悲しい別の話が隠されていた。その想いが強く吹っ切れない…それを七夕伝説も絡め抒情豊かに描いた物語。それを見事なアクションで観せる、いや衣装や照明も含め全体で魅せるエンターテイメント作品である。
物語は心の旅路のようであり、その行方は…。
(上演時間1時間45分) 【後日追記】
ネタバレBOX
気になったところだけ先に記しておく。冒頭に近い場面…孫悟空が三蔵法師に付き従い旅に出る、その旅立ちの店のシーン。このシーンは日替わりゲストによって異なるであろうが、自分が観た回は敢えて笑えを得ようとしていたような。笑いも必要であるが、公演全体を通してみればこのシーンが浮いてしまったようで勿体無かった。