Brother~another father~
“STRAYDOG”
アトリエファンファーレ高円寺(東京都)
2025/05/28 (水) ~ 2025/06/01 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、お薦め。
急死した父(享年63歳)の葬儀の日、兄弟と妹の奇妙な再会。説明にある「訳あり」が肝。途中まで兄弟妹の関係性が ぼんやり していたが、長男 藤沢夏雄が母からもらった手紙を読む(懐述する)ことで、はっきりしてくる。いや 表面的な関係は、当日パンフに登場人物の相関図があるから分かるが、物語は 真の意味で兄弟妹を実感するまでの過程を描く。それぞれの関わり方や関係性が じわっと伝わってくる感覚が心地良い。
故人の遺骨や遺影の前での騒動、その笑い泣き叫び が観客の感情を揺さぶる。そして家族の思い出は、父が作ったハンバーグ、それが もう食べられないといった心残り 無念さが、兄弟妹の思いを熱く強くする。同時に、妻や親戚(義兄)との蟠りのような感情が溶けていく温かさ。少しネタバレするが、兄弟妹が一晩 同じ部屋で寝る、その時に見た夢の中で 全員がダンスをする、といったエンターテインメント性も高く 魅せる。そして上演前に流れているサザンオールスターズの曲が、後々 大きな意味を持つ。
役者陣の軽妙洒脱な演技が、物語を面白くしている。1人ひとりの性格や立場、置かれている状況を会話の中でさり気なく説明していく。そして舞台となるのが子供部屋、その設定が実に巧い。妻や恋人との距離感や今の状況、その底流にある 子への愛しさ優しさが浮き上がるようだ。見終わって清々しく、そして優しい気持ちになれる珠玉作。
(上演時間1時間35分 休憩なし)【Aチーム】
ネタバレBOX
舞台美術は東堂家(夏雄の弟 友基)の子供部屋、といっても子供はいない。元々は夏雄たちが住んでいた実家。中央は 水玉模様の敷物に卓袱台、上手は 祭壇代わりのミニテーブルに遺影と鈴(リン)、100均の電気ろうそく。その横の置台に遺骨。後ろには縦長の収納棚や布団、そして縫いぐるみや滑り台などの遊具が並んでいる。
物語は、夏雄と離婚寸前の妻 良江、そして恋人の仲村園美の3人が、不思議にも和気藹藹と話しているところから始まる。夏雄は、15歳で家を飛び出して職を転々とし、今は警備会社で働いている。そして東堂家に居候。父が 経営していた食堂キッチンハンバーグリルの後継者がいなく 維持費も掛かるため、取り壊しを計画している。解体を請け負った不動産会社の担当者 金山 愛、実際工事を行う解体業者 木下祐一(瑠美の兄)が早々にやってくる。
亡き父 博史と母 花恵は離婚。花恵が店の従業員と浮気したのが原因。その後、花恵は別の人と再婚し 生まれたのが友基(母は再婚し金山姓、旧姓は東堂)。愛は花恵の浮気相手との間に生まれた子? のようで、3人は父親が違う といった複雑さ。ちなみに友基と愛は同い年。一晩を同じ部屋で寝た兄弟妹が語り合う思い出話。幼い頃 一緒に遊んだこと、父が作ったハンバーグの味など、懐かしさが込み上げてくる。
不妊治療をしているが、友基と瑠美の間に まだ子供はいない。子宝に恵まれない家庭を描くことによって、改めて家族(血の繋がり)とは といったことを考えさせる。ダメ長男 夏雄、しっかり者(銀行員)の次男 友基、遠慮がちな妹 愛の、性格や立場を巧みに描き、深刻になりそうな兄弟妹の関係や心情を軽妙な会話で、面白可笑しく そして清々しく紡いでいく。
亡き父が、よく聞いていたサザンオールスターズの楽曲 その中の「愛の言霊~Spiritual Message~」。夏雄はそれが愛の名前の由来になっているのでは と言う。父が誰なのか はっきりしないが、血の繋がりよりも 遊んだこと、食べた味など、共通した記憶が大切といった優しさにホッとする。よく聞く、”過去はやり直せないが、未来は築ける” を思わせる好公演。
次回公演も楽しみにしております。
蝉追い
劇団桟敷童子
すみだパークシアター倉(東京都)
2025/05/27 (火) ~ 2025/06/08 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
面白い、お薦め。
九州の或る旧炭鉱街を舞台にした家族の物語。誰もが避けて通れない老い、それを遠い過去の痛ましい事故とその地域の風習を絡め、情緒豊かに描いた傑作。
昭和61年 梅雨から夏にかけての時期、梁瀬家(農園)が舞台。冒頭、老いた男女をつけてくる女3人の軽妙な会話で、一気に物語へ引き込まれる。桟敷童子らしい舞台美術、そして効果的な音響・音楽や照明の諧調は実に見事。また毎公演 驚かされるラストシーンも…。何といっても、梁瀬農園の主 梁瀬守男を演じた山本亘さんのラストシーンの演技が圧巻で、熱いものが込み上げてきた。
さて 痛ましい事故は事実、そしてフライヤーの絵柄にある 夏みかん が重要な役割を果たしている。まさに虚実綯交ぜにした舞台で、見応え十分。ちなみに、当日パンフに次回新作公演が「一九一四大非常」とあり、公演のラストシーンに現れる装置にも「19141215」とある。この数字が意味を持ち、本作と次回作の関連をうかがわせるような気も…。
(上演時間1時間45分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、下手に梁瀬家 上がり框 その後方に収納棚。上手には 離れ があり板戸が閉まっている。母屋と離れの間に水路がある。周りは鬱蒼とした木々の葉が青々(季語でいえば青葉)と芽吹いている。上演前は水路の水が揺らめいている(地鏡の)ような照明。母屋の天井には「梁瀬農園」の看板がある。冒頭、雨の中 男女2人が寄り添って、家(梁瀬家)の中へ入るところから始まる。舞台と客席の間に、天井から水が流れ落ち、ちょっと驚かされる。
昭和61年、梁瀬家のある九州の或る田舎町。昔は炭鉱町として栄えたが、今は 然したる産業もなく寂れている。梁瀬家は農園をやっていたが、今は荒れたまま。最近、この家に女が出入りしていると噂を聞きつけ、農園主の守男と彼に付き添っている謎の女、その2人をつけている女3人。謎の女は 守男の元妻 嘉代、そして3人の女はその娘達(美穂、典子、千尋)。36年前に守男と3人の娘を捨て、中村組の男と出奔した。当時、娘達はそれぞれ9歳、6歳、3歳で母の記憶が殆どない。それが今になって…。桟敷童子の3女優(板垣桃子サン、もりちえサン、大手忍サン)の演技が秀逸。そして3人に立ち向かう母 鈴木めぐみ さんも負けていない。
守男も年老いて、最近だんだんと様子が変になってきた。一方、娘達の事情も平穏ではなく、色々な問題を抱えていることが分かる。美穂は夫と死別、典子は自分が浮気をして離婚を決意、千尋は小学校教師を辞め無職。嘉代は、農園を整備し昔のように活気あるものにしたい。中村組という土建業者の社長になっている 嘉代の罪滅ぼしのような思いであろうか。しかし守男の記憶や行動が…認知症のようだ。それでも農園のこと、特に夏みかん には思い入れがある。
物語は、方城炭鉱の炭鉱爆発事故(1914<大正3>年)がモチーフになっている。当時、炭鉱事故は「非常」と呼称し、「大非常」は大事故を指していたという。事故でガスが充満し危険な状態であったが、ガスを中和すると信じられていた夏みかん を坑内へ投下したらしい。守男が子供の頃の痛ましい記憶、認知症になっても 夏みかんへの思いは 一入。現在は、水路に夏みかんが流れてくる。ちなみに、劇中の台詞にもあるが、一本の樹に二季の果実 夏みかんと橙がなる…子孫繁栄の縁起物と。
記録と記憶、そして家族の絆といったことが分かり易く描かれている。同時に、その家族を温かく見守る近所の人達の人情も厚い。物語は、蝉の声や雷鳴といった音響、三味線やピアノによる音楽、そして飾り灯篭(祭りー夏神様)といった小物で情緒ある雰囲気を醸し出す。フライヤーにある「家族は老いて、傷み、壊れて、荒んでゆく」の言葉は、物語の中へ しっかり刻み込まれていた。
次回公演も楽しみにしております。
図書館より愛をこめて
劇団傘泥棒
吉祥寺櫂スタジオ(東京都)
2025/05/23 (金) ~ 2025/05/25 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
図書館を舞台にして、若者の悩み揺れる気持を繊細かつ大胆に描いた青春物語。
図書館が舞台というところが妙。居場所がない若者たちの背景、そこにある事情に優しく寄り添った話。同時に今 深刻になっている社会問題を潜ませ、中盤以降 サスペンス風にして興味を惹く。
気になるのは、主人公2人の心情 その強い思いが描き切れていない。また無言 その間合いが長いこともあってテンポがあまり良くないところ。自分が観逃した 又は聞き逃したかもしれないが、いくつか説明不足というか伏線回収したのか分からなかった。しかし、全体的には優しく温かい感じの公演。
(上演時間1時間30分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、中央に横長の本棚で上部に何冊もの本が並んでいる。上手/下手にも縦長の本棚があり、そこにも本がある。舞台になるのは図書館と近所にある喫茶店。図書館の場面はシンメトリー、喫茶店は 中央の本棚がカウンターになり、上手にテーブル席を設える。シンプルなセットだが、雰囲気は伝わる。
物語は、雨の日に傘もささずに歩いていた高校生(3年) 馬淵碧に、図書館勤務(司書?)の白石知栄が「行くところがないなら、図書館においで」と声をかけるところから始まる。それから彼女が薦める本を読みだし…。図書館で 中学生の木崎明日香、明日香に勉強を教えている美大生の不破捺己と知り合う。また、知栄から近くにある喫茶店を紹介してもらい、そこでの談話。何気ない光景が 淡々と描かれる。
ここに居る若者たちは、何らかの悩みや葛藤を抱えている。碧は春休み以降学校へ行っていない。その理由は、はっきり分からない。一方 明日香は学校で苛めにあっており登校しない。それでも勉強するため図書館に通い、解らない所を捺己に教えてもらっている。捺己は美大受験を失敗し続け3浪。親との確執にも苦しんでいる。そして 知栄も過去の苦しみを抱え…。碧は、知栄を慕い だんだん好きになっていく、そんな揺れる心が切ない。
或る日、碧は図書館の本の中に拳銃を見つけてしまう。そこには暗号のようなメモが挟まれていた。ここから 突然サスペンス風になり、どう展開していくのか興味を惹く。実は、不破が アルバイトで使用するため隠していた。碧と明日香が協力して 暗号を読み解いて、事件に深く関わっていく。不破は、親からの自立や得体の知れない不安・不満を解消するかのよう。そこに闇バイトといった知らず知らずに犯罪に手を染める といった怖さを垣間見る。ちなみに、喫茶店マスター 畔一茂の正体は謎(医療的処置やあの場所へタイミングよく現れる等)。
主宰 山野莉緒さんが当日パンフに「図書館は時間が止まっている。ただ止まっているのではなく、降り積もっている」と、もちろん知識のことである。ペーパーレス化が言われ 電子書籍も現れているが、それでも紙媒体の本はある。図書館は時代を超越した親近感がもてる場所である。同時にその時代特有の香りがあると思う。それが(話題)本はもちろん、新聞や雑誌などの情報である。
公演は、観る人によって 過去であり現在なのだろう。自分の生活と地続きで共感もしくは反感、そんな物語が描かれている。そして、人生の或る瞬間の刹那的な心の交流、そこに社会(時事)的なことを絡める巧さ(劇的効果も含め)。
舞台技術…雨音や踏切警報機などは、敢えて台詞に被せるなど音響効果は好かった。
次回公演も楽しみにしております。
Touch~孤独から愛へ
東京荒川ロータリークラブ
サンパール荒川(荒川区民会館)(東京都)
2025/05/24 (土) ~ 2025/05/24 (土)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
面白い、お薦め。
主催は東京荒川ロータリークラブ、 東京演劇集団風によって 劇団の代表作ともいえる「Touch 孤独から愛へ」を上演。この演目は、東中野にある劇団の劇場でも観たことがあり、大変感銘を受けた作品である。
この作品は、1985年シカゴで上演され、オフブロードウェイで絶賛を浴び、1987年には映画化もされた「ORPHANS(孤児たち)」をもとに、「Touchー触れること」に焦点をあて、孤独を抱えながらも真摯に生きること、その証や相手と向き合うことの尊さが描かれている。へたをすれば 教訓臭になりそうだが、巧みに演劇として観せている。
舞台は、アメリカ ペンシルベニア州 北フィラデルフィアで、現代の日本と時代や場所といった設定が違う。この公演はバリアフリー演劇として、障がいのある方や多くの高校生が観劇していた。物語そのものは分り易く、完成度は高いと思う。しかし、今の日本が抱える深刻な社会問題に触れるようで少し怖い。
(上演時間2時間20分 休憩20分含む)
ネタバレBOX
舞台美術は、貧しいアパートの部屋。中央に大きな直方体 その側面に2階へ上がる階段、下はクローゼット。上手に汚れた冷蔵庫や流し台。その傍にTVとソファ、テーブルがあり脱いだ服が散らばっている。下手奥に窓ガラス、客席寄りにミニテーブル。窓の奥に くさび式足場のような鉄骨。そこにCAMAC.st 等の道路案内板。実に細かく作り込んでいる。一瞬にして貧しさと荒れた暮らしぶりが分かる。
二幕は、この光景がガラリと変わり、整理整頓されテーブルやソファに白いカバーを掛け小奇麗に。部屋の様子とともに登場人物の心境の変化を表す、そんな(演劇的)効果を観せている。
物語は 1983年、北フィラデルフィアの貧しいアパートで暮らす、孤児な兄弟ー兄トリートと弟フィリップーの物語。トリートは不良で、自らの感情を抑えられない。フィリップはアレルギーで外出したことがない。2人は鬼ごっこのような遊びー鬼になった者がもう1人を捉まえる(Touchする)。或る日、トリートが酔って謎の紳士ハロルドを連れて帰る。ハロルドは、彼らを「デット・エンド・キッド(行き止まりの子どもたち)」と呼び、兄弟に寄り添う。フィリップは次第に心を開くが、トリートは その優しさを拒絶している。
ハロルドは、例えを用いながら 世の中のことを分かり易く 2人に説明または諭していく。その中で、特に印象的な2つのシーン。
第1は、ハロルドも孤児院育ちで、シカゴの孤児院で一緒だった子と新聞販売をして生計を立てていた。ある極寒の日、ハロルドは新聞を売り切らず、自分の体に巻き付けて寒さを凌いだ。しかし相方は、欲を出し全部売ってしまい 寒さで亡くなった。ハロルドは2人に向かって「ほどほどが大切だ」と諭す。
第2は、トリートに仕事で外出をさせ、往復にはタクシーを使うように言ったが、帰りはバスを利用した。バス運転手は 会社(または行政)に雇われており、乗客数に関係なく給料が貰えるが、タクシーは自営業でその売り上げは死活問題だ。ハロルドがたびたび言う資本主義の非情の中に優しさを垣間見せる。
フィリップは、窓を開けて外の空気を吸うことが出来ない、と思い込んでいた。トリートの思い遣りか 庇護か、または管理下に置きたかったのかも知れない。だから靴紐が解けても結べない。ハロルドが窓を開け、フィリプに地図を持たせ一緒に散歩に出かける。学ぶことー知識を広げることは、自由を手に入れ人生(心)を豊かにする。勿論、それは自分を守ることも意味している。同時に、強欲にならず周りを見ることの 大切さ優しさも教える。敢えて言えば、自分は 賢く考えることも必要だと思う。チャップリンの「必要なのは知識でなく思いやりである」や「人生に必要なのは、勇気と、想像力と、そして、少しばかりのお金だ」といった言葉を思う。
公演のタイトル「Touchー触れること」は、色々な意味があるようだ。日本では「鬼ごっこ」遊び、第一幕ではフィリップが鬼になりトリートが逃げ切る。第二幕になるとフィリップは靴の紐を気にすることなく逃げ切る。二人の立場が逆転したよう。フィリップはトリートから自立し、アパートの部屋という籠から自由に羽ばたくよう。
気になるのは、今のような日本の物価高では、タクシー代を節約してバスを利用したトリートを責めることは難しい。またトリートは、生活の糧を得るため恐喝をしていたが、今の日本では闇バイトといった別の手段・手口による悪事が問題になっている。アメリカと日本、そして時代背景の違いが露骨に反映される舞台(内容)だけに、物語の真意をしっかり掴むことが大切だと思う。
「『Touch~孤独から愛へ』は、作者ライル・ケスラーが、演劇の持つ創造性を使って、リスクを負っている子どもたちや精神的な問題を抱える人々とのワークショップを通して 培ってきた経験を基に描かれた作品」とある。そして東京演劇集団風は、「作品をバリアフリー演劇として上演しており、聴覚障害者向けの手話通訳や音声案内など、あらゆる環境を共有し、すべての人が一緒に楽しめる演劇を目指す」とある。本公演でも舞台手話通訳が舞台上にいて、進行に伴い動き 劇中にも登場したりする。観て良かったと思える好公演。
次回公演も楽しみにしております。
高尾山へ
さよなら人生
スタジオ空洞(東京都)
2025/05/22 (木) ~ 2025/05/25 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
人生を山登りに準えて、40歳代の中年男2人の喪失と再生、そして…を描いた好公演。偶然、大学以来の友人と再会し、何となく高尾山に登る。中年になり 人生の先が見え始め、それでも まだ頑張れるといった中途半端な年齢(不惑ではないなぁ)。その心の叫びのような思い、それを山登りの途中で出会う小学生に さり気なく言わせるところが上手い。
現実と遣り甲斐、その実感を失った先に灰色の景色が待っている。たびたび劇中で吸うタバコ、燃え尽きたカスのような儚さと悲哀が漂う。タバコに火をつけながら、これが最後と言い、暫くして これが始まりのタバコと言い火をつける。人生諦めたようで、まだやり残したことがある。その足掻きが中年期のような。しかし、久し振りに会ったとは思えないような 飄々にして軽妙な会話、それが重たくならず 逆に滋味ある物語にしている。
(上演時間1時間25分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、簡素だが情景がしっかり浮かぶ。冒頭は 上手にベンチ、中央に足高テーブル そこにはザック・登山靴・登山用バーナー、下手は木製のソファと切り株のテーブルと椅子で、山イメージ。後壁には、観光 高尾山の写真を縦断したものが横並び 不規則に飾られている。場景の変化に応じて、小道具・小物を動かす。
大学時代 山岳サークルに入っていた2人が、平日の昼間に偶然 新宿で出会って、思いつきで高尾山に登ることに。20数年ぶりの再会、伊藤(渾名がベンジャミン⇨伊東四朗のニックネームから?)と高桑はお互いの近況や思い出話をしながら歩みを進める。山での暗黙のルール「こんにちは」、それを登場しない登山者に挨拶することで山行中を想像させる。
遠足であろうか 途中で出会う小学生、2人がベンチで休んでいると (登頂を)諦めたのかと訊ねる。小学生が椅子に上り、頂上に立つという達成感が爽快だと・・・やっほー‼ そこから眺める景色も最高だろう。山行に準えた人生が浮かび上がる。そしてべンチで休んでいる様子は、まさに今の2人の状況。伊藤は プロダクション勤務でクリエーティブな仕事、一方 高桑はコンサルティング。しかし、伊藤は 仕事の遣り甲斐を失い、後先考えずに退職する。高桑は余命が短い重病。
説明にある「後日、高桑の妻と対面した伊藤。知らなかった話と…」から、何となく想像がつくラストではあるが…。人は いつかは死ぬ、それが早いか遅いかの違いであるが、その時まで精一杯生きたいと思う。高桑が妻 藤子の腕の中で「死にたくない」と嗚咽する姿が哀しい。その光景を 穏やかに流れるピアノの曲が優しく包み込むようだ。
団体名「さよなら人生」だが、旗揚げ公演だから「こんにちは人生」だろう。これからの公演も楽しみにしております。
チョコレイト
キルハトッテ
小劇場 楽園(東京都)
2025/05/21 (水) ~ 2025/05/25 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い。シュールなラブコメファンタジーといった内容。
結婚を間近に控えたカップル、その2人が改めて心の距離感のようなものを確認する といった印象。「マリッジブルー」のような不安や心のモヤモヤか、なんらかの理由をつけて愛情を確かめておきたい。本当にこの人と結婚したいのか そんな ちょっとした迷い、後々 もっと自分の理想とした人が現れるのではないか。人生は 選択の連続だと考えたら、結婚するにあたって慎重になるだろう。
物語は 説明の通りであるが、「彼は死んでしまったはずなのに・・・」は ある意味正しいが、その彼の正体が妙。ここからリアルとファンタジーが交錯した独特な世界へ誘われる。2人は、けっして奇人や変人ではなく 「チョコレイト」によって翻弄された男、漫画の連載が終わり寂しい女 というだけ。唐突に現実と非現実が交わりだすが、不思議と違和感はなく、逆にその繋ぎ方に 作・演出の山本真生さんの奇知を感じる。そして心的探求が始まるようだ。
(上演時間1時間35分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、白い細棒の枠組(枠組足場または漫画コマ割りのような)で 所々に四角や楕円の板が飾られている。一部はバスケットゴールリングに見立てた楕円形。床(板)には歯の形をした箱馬がいくつか、その1つが中央に置かれ菓子皿にチョコレイトが入っている。勿論 差し歯と浮遊感(ファンタジー)の両方をイメージした造作。そして所々に漫画本が積んである。
物語は、結婚式を数日後に控えた2人 ヒナとソウタ。ソウタがチョコレイトのせいで自分の歯は全部差し歯だと告白、そして結婚できないと言う。既に式の案内状は出しており、いまさら中止には出来ない。そんな状況の中、ヒナが愛読していた漫画「ロマンチック・ラブ」という異世界から 登場人物のカオルが現れた。「現実」と「幸福」、その実感を失った先に奇妙な光景が表れる。15年間連載した「ロマンチック・ラブ」が終了⇒カオルは死んだのでは…。
「ロマンチック・ラブ」の中で、カオルはスズと付き合っており、彼女まで現実の世界に現れる。ヒナの現実と夢想というか妄想がだんだんと膨らみ、混沌とした世界へ誘われる。そこにキルハトッテの「あるかもしれない”きっと”を切って貼ってコラージュする」が窺い知れる。一方 現実の世界では、嘘までついて差し歯にした歯科医 ミナミが、ソウタにヒナと別れ 私と結婚してと迫る。ソウタの妹 リョウコがシニカルに絡み、静かに増幅しはじめる奇妙な日常。まさに真骨頂。
当たり前だと思っていた幸せ、そして自分を理解して自分を表現することの難しさ、その心情を普通の世界から はみ出して描く。その はみ出した「歪み」によって「普通」の愛情を浮き彫りにするような。役者陣も、戸惑いや焦り、開き直りといった状況をデフォルメして演じている。その捉えどころのない曖昧な雰囲気が漂っている。明確な軌道を動く というよりは、何もない空間を自由に走る、といった感覚を楽しみたい公演。
次回公演も楽しみにしております。
【ファム・ファタール】
演劇制作体V-NET
TACCS1179(東京都)
2025/05/21 (水) ~ 2025/05/25 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い。
昭和のバブル全盛期、大学4年生 加藤リョウ(丹羽哲士サン)が経験した、甘酸っぱく ほろ苦い ひと夏の物語。見所は 社会/世相にみる、バブルに浮かれた社会の歪。その理不尽や非正義と、これから就職して社会に出て行こうとする青年の純真や正義感といった意識のギャップ。人間的には、エリート意識の強い青年がストリップ劇場でのバイトを通して少し大人へ成長していく過程。そして舞台がストリップ劇場ということもあり、色香と妖艶な踊りが眼福。特に看板ストリッパー アスカ(小田飛鳥 サン)とベテランストリッパー ナナ(華彩なな サン)は、演出もあるが ひと際目立っていた。
物語は、一青年の心情だけではなく、ストリップ劇場にいる人々の生き様を点描し、夢や希望を叶えようと 必死に努力している姿を温かく 優しく見つめる。一方、バブル期という経済を背景に、人を騙し追い落とすヤクザと地上げ屋を絡ませ、ダークな世界を垣間見せる。色でいえば、闇の世界 その漆黒とスポットライトを浴びて踊るストリッパーの純白という、対比した世界が巧く交じりあった物語。
卑小だが、気になること。昭和という時代の雰囲気や臭いのようなものが感じられないこと。例えば、映画でいえばセピア色で泥臭いといったイメージ。バブル全盛期から40年ほど、確かに華やかな時代であったが、公演のような洗練された雰囲気とは違うような。その雰囲気があると、もっと昭和時代を感じ没入感に浸れたと思う。舞台美術はシンプルだが、それがスタイリッシュ(照明含め)に感じられたからかも。演劇制作体V-NETだからこそ、表現し難い雰囲気や臭い といった高いレベルを求めたくなる。ぜひ劇場で。
(上演時間1時間50分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は凸型、出ているところがストリップの盆(または 出べそ)にあたり、左右にいくつかの箱馬があるだけのシンプルなもの。上演前から白銀色の鮮やかな照明が舞台を照射している。何となく洗練された感じがする。
物語は、大学4年の加藤リョウが 既に銀行の内定をもらい、これから先は順風満帆でエリートコースを進むだけ。また公認会計士の試験にも合格している といった秀才。その彼を悪友 ケンタがストリップに誘う。そこで見初めたのがアスカ。すぐに楽屋へ行き、強引に 夏の間だけバイトをすることにした。アスカには 竜二というヤクザのヒモがいるが、彼もまた リョウの純真さを面白がり、いつの間にか奇妙な三角関係になる。まさに恋は盲目。この公演、視覚は触覚へ変容させるような「艶やか」さがあり、目は手として誘惑されそうだ。
バブル最盛期、再開発が進み土地も高騰していく そんな昭和の時代が背景。このストリップ小屋(ゲンダ劇場)を (経済活動としての)シノギ にしているのが、竜二のいる昔ながらの暴力団。一方 新興ヤクザは、表向きは会社組織にした金融暴力団(地上げ屋)。嫌がらせをして小屋を立ち退かせようとする金融暴力団✕竜二の抗争にリョウも巻き込まれていく。ストリップショーという妖艶なシーンを魅せ、その対極として ヤクザ同士の暴力シーンを観せる。そして竜二はドスを持って…。場末に咲いた華(ストリッパー)は、誰にでも なれるわけではなく、強い意志と魅せる表現力が必要ーー山形から上京して、演劇を学んでいるチハルの言葉が重い。さらにストリップ幕間のお笑い芸人、その2人の考え方の違い等、よくある話で興味を惹く。
物語は分り易い。そして音響・音楽や色彩ある照明がストリップという華やかで それでいて少し哀愁ある雰囲気を漂わせてはいるが…。もう少し昭和という時代というノスタルジーがかんじられれば。役者陣は、登場人物の立場や性格を個性豊かに立ち上げ、生き活きと体現していた。また、竜二の入れ墨やドスの使い方などリアルで、細かいところにまで気を使った演出が好い。
次回公演も楽しみにしております。
驟雨(Syuuu )
劇団芝居屋
中野スタジオあくとれ(東京都)
2025/05/20 (火) ~ 2025/05/25 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
劇団芝居屋の公演は、さすがの安定感と余韻付け(照明・音響効果)。説明から、喪われた者と決して失わないものが 温かく優しく描かれている。
ヘラ絞りを専門とした霧島製作所の社長 霧島旭が亡くなり、四十九日の喪が明け 形見分けをする日を描いた珠玉作。亡くなっているから旭は登場しないが、集まった人々によって その存在感を示す会話が紡がれる。大きな事件や出来事は起きないが、確かに そこに家族を思う父親の姿が立ち上がる。
物語は、霧島製作所というヘラ絞りを専門とした会社、そしてタイトルになっている「驟雨」という設定と天候が肝。日本の産業は、多くの中小企業・零細企業で成り立っている。霧島製作所は、旭が大手の下請けから独立した経営方針を打ち出し、何とか事業を続けてきた。自分の家族はもちろん、従業員とその家族の暮らしを守るため必死に働いてきた。しかし その結果…。
初夏、形見分けの日(夕方迄)の 数時間の話。少しネタバレするが、旭の長女 板倉竹子の父への恨み辛み、それが物語を動かす。親の心子知らず、逆に子の心親知らず たとえ親子であっても本当のところは解らないかも…。そんな微妙な心の襞をなでるような、言葉に表し難い感情を描いており上手い。
(上演時間1時間25分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、霧島製作所の工具置き場兼休憩室といった所。上手に長テーブル その上にポットや茶碗セット、下の床には工具箱等。下手は工場へ通じる硝子戸。中央に折り畳みのテーブル2つと いくつかの丸椅子。全体的に剝き出しのコンクリートで味気ない。しかし タイトルにある「驟雨」、照明を諧調して 瞬時に上手の硝子戸を暗くし、音響で雷鳴と豪雨を表すといった効果。
物語は説明にある通り、故霧島旭の財産分与前の形見分けで 家族が集まるところから始まる。この霧島製作所がヘラ絞り専門の零細企業というところが妙。そして亡くなった旭が大手企業の下請けから自立した ということが物語の背景にある。
登場人物は6人…亡くなった旭の実妹 立岡公枝、旭の長男 松夫、その妻 佐知、旭の長女 板倉竹子、その長男 圭太、そして家族同然で技術顧問の高城遼平。
長女 竹子は亡き父を嫌っており、高校も全寮制で早いうちに家を出ていた。小学生の時に母が亡くなり、男手ひとつで育てていた。その頃 父は、下請けから独立した経営方針を打ち出し、昼夜を問わず働いていた。そのため娘の学校行事などに行く余裕はなかった。一方、竹子は親が来てくれる友達が羨ましかった。その思いを吐露し慟哭する場面が圧巻。そして高専(全寮制)に通っている圭太が、霧島製作所へ入社したいと言ったことから怒りだす。勿論 竹子には内緒だった。帰ろうとする竹子を驟雨が足止めする。先にも記したが、親の心子知らず、逆に子の心親知らず である。父が残した形見分けの品は 段ボール箱1つで、中にはカメラ、アルバムそしてタブレット等。唯一の趣味が写真撮影で、タブレットには竹子の写真が多く収められていた。ちなみに 竹子が選んだ形見分けの品は老眼鏡(生活の必需品となり肌身離せない)、ここでグッときた。
へら絞り、それは熟練した技術が必要で、劇中でも人材育成には何年もかかると言う台詞がある。さて 芝居屋のコンセプトを読むと、「役者に対しても、表現に対する新たな開拓を・・その努力や視線こそが 演劇が見世物に立ち帰るための原点である」と。その意味では、役者という人材育成に努めているといった姿勢が、この劇団の安定した芝居であり安心して観られる のだと思う。
次回公演も楽しみにしております。
穴熊の戯言は金色の鉄錆
MCR
ザ・スズナリ(東京都)
2025/05/21 (水) ~ 2025/05/28 (水)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い。
自分の殻の中にいる男の戯言ー可笑しみ 悲しみ そして淋しさ、それを現実とフィクションを行き来するように描いた物語。タイトルは 何を意味しているのか 観終わっても分からないが、何の変哲もない時間が愛おしくなる。毎日同じことの繰り返し、自分がやりたかったことは、こんなことだったのか?そんな足掻きと諦めの灰色の日々。その鬱屈した思いも、後から思い返してみれば…そんな味わい深さが感じられる。
表層的には荒唐無稽のような描き方だが、気が付くと多幸感と喪失感の波に攫われている。それは脚本・演出の櫻井智也 氏の(作劇)思考の中に吞み込まれたかのような。少しネタバレするが、説明の「わたしはつくりばなしで」は 高校時代に遡り、当時からの純情と現在という時間の中で 一途な「思い」を鮮やかに記憶しているようだ。
フライヤーにあった説明が「ひらがな」だけなのは、「あぁ そういう事情だったのか」と納得と同時に少し怖くなる。人は皆 孤独だが、それでも自分のことを全力で愛し支えてくれる人がいる。不格好のようで 実は格好よく、儚いようで尊い 色んな思いや感情が綯交ぜになる、そんな不思議感覚だ。
なお、舞台装置はシンプルだが 場景描写は分かり易く、巧く独特の世界を立ち上げている。
(上演時間1時間45分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は三段、左右に白い縁取りの黒い柱が不規則に立っている。それぞれの段に白い縁取りの黒い箱馬がいくつかあるだけのシンプルなもの。それぞれの段は、時代/状況を表しているよう。
物語は、小野が病室で医師や看護師と話しているところから始まる。小野の目に、医師はおじさんに見えるが、実際は若い女性だと 何となく会話が ちぐはぐ しており冒頭から面白い。話は 小野の高校時代に遡り、授業中にも関わらず ゆかり が小野に自分が描いた漫画の感想を求めている。ゆかりは 小野のことが好きで何でも受け入れてくれる。卒業後、2人は結婚し小野はコンビニでバイトをしている。仕事は あまり長続きせず、コンビニでも客とトラブルを起こし辞めてしまう。そんな小野を ゆかり は健気に支える。ゆかり の心が弱っている時、怪しいセミナー(新興宗教?)の勧誘といった、日常に潜む狂気が迫る。
物語は病室内と外。病室の外では、さらに現在と過去が交差して展開する。過去は、高校時代の ゆかり を始め個性豊かな級友たちの面白会話。現在はバイトや喫茶店での憩い。ひょんなことから怪しいバイト(殺人)に関わり、闇社会へ…。病室では、医師が二人三人と重なって見え、混乱・混沌とした世界が広がっていく。現実であり ゆかり の漫画の世界といった虚実綯交ぜの印象。しかし 小野は、手術出来ないところに脳腫瘍ができ、放射線と薬物療法をしている、そんな男の妄想。
役者陣の飄々にしてコミカルな演技が秀逸。それによって、物語全体がユーモラスな雰囲気を漂わす。小野は 何者にもなれず もがき、いつかは と思って日々生きてきたが…。何気ない日常の中に、小さな理不尽が重なり現実逃避したくなる。それでも自分(小野)を好いてくれる女(ゆかり)がいる。日々の暮らしは苦しく悩ましいが、後から振り返ってみれば楽しかった と。真意は的を射ているか分からないが 「人生は近くから見れば悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ」といったチャップリンの言葉を思い出す。
次回公演も楽しみにしております。
六道追分(ろくどうおいわけ)~第三期~
片肌☆倶利伽羅紋紋一座「ざ☆くりもん」
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2025/05/14 (水) ~ 2025/05/25 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い。楽しんで観てもらう、そんなサービス精神(遊び心)に溢れたエンターテインメント作品。
無宿として生まれた男と苦界に生まれ育った女の逃避行を描いた悲恋物語。どちらも不幸・不遇な身の上、その2人がひょんなことから一緒に旅をすることになる。旅の途中で出会った僧から「六道」の話を聞き、人の世の儚さと尊さを知る といった人情味ある内容。タイトルにある「六道」を物語に巧みに織り込んで、人の心の在り様 を考えさせる。自らが生み出した世界で生きているが、その現世は因果の道理に…。
現世では悲恋であるが…公演全体は、笑いも交え小気味よく展開していく。少しネタバレするが、旅は江戸(吉原)から大井川までの東海道、その短い旅路が2人にとっての幸せな時間。華やかな雰囲気と非情な成り行きの中で、情感豊かに描き 観客の心を揺さぶる。また場面転換や心情表現にダンスを挿入するなど、観(魅)せる工夫も好かった。
(上演時間1時間40分 休憩なし) 【第三期 剣】
ネタバレBOX
舞台美術、上手は 場景に応じて遊郭の障子や道中の石垣など、柱状の装置を回転させる。下手は 階段状の丘のような、その奥に朽ちた平板を組み合わせ、ラストは磔 処刑場。吉原へ通じる場所は、観てのお楽しみ。
この演目は、2019年正月公演でシアターグリーン3館同時公演の1つとして観たことがある。その時は、BIG TREE THEATERの天井の高さを利用した2層舞台で、1階部はその場(土地)に足を着け、2階部は旅先を思わせるような時間・場所の空間の違い、その広がりを感じさせた。今回はBASE THEATERのため高さはないが、逆に 舞台と客席が近いため臨場感と迫力を感じた。
梗概…清吉(通称・鬼アザミ)は子分の粂次郎、伊助、三吉(妻が病弱でいつか医者になりたい)と共に世を騒がせる”義賊”。いつしか守銭奴達を懲らしめる清吉一味は、江戸庶民の憂さを晴らす存在になっていた。しかし奉行所の取り締まりは厳しくなり、これを潮時と最後に選んだ場所が不夜城「吉原」である。特に悪どいやり方で暴利を貪る大店ばかりに忍び込む。一方、その店の花魁 お菊は 刃傷沙汰を起こし、足抜けを余儀なくされていた。そんな時、忍び込んだ鬼アザミ一家と出会い...。六道を彷徨う人達の、馬鹿馬鹿しくも切ない道中が始まる。吉原と東海道(大井川)を舞台に、人情味溢れる逃亡劇が始まる。清吉とお菊は旅を通じて、孤独を癒し凍った心が氷解していく、その過程を面白可笑しく描く。ラスト お互いを思いやる気持が 切なく感動を呼ぶ。
物語の展開は分かり易く、気楽に観ていられる。内容的には追われる身であり、この先どうなるのか気を揉むといった面白さがある。この旅モノの場面を動かしているのが、舞台美術であろう。上手の柱状の装置を回転させること、同時に格子状の可動する衝立2つで、吉原遊郭か道中先か瞬時に分からせる。また、下手の階段状の段差を上り下りすることで躍動感が生まれる。小さい劇場(空間)を巧く使った演出が妙。
華やかな雰囲気、それは出演者(特に女性)が吉原という場所柄、花魁姿の艶やかさを出し、旅に出てからは町娘に扮しての可憐さなど、いずれにしてもその”艶技”であろう。そして下っ端役人(岡っ引き等)の庶民感覚と、与力などの武士とでは考え方が違う。その意識の違いは、現代(農林水産大臣のコメ発言)にも通じるような…。
次回公演も楽しみにしております。
コーヒーとカレーと見田さんと
夏の川企画
シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)
2025/05/14 (水) ~ 2025/05/18 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
不思議というかスピリチュアル感ある、独特な雰囲気を醸し出した公演。
コロナ禍を経て無関心・不寛容といった風潮、他方 恋愛スキャンダルやハラスメント等は、SNSやメディアに乗って好奇の目に晒されたりバッシングにあう。公演はそんな世に 一石を投じるような、人(心)の距離間(感)を描いているようだ。
フライヤーの説明にある山に囲まれた郊外の とある街が舞台。山や森を切り崩して再開発されて出来た新駅ビル、そこに移築されたコーヒー店に集う人々の日常。しかし会話が かみ合わないこと、不自然な態度が気になる。実は人間らしい見栄や隠し事が潜んでいる。物語は、以前あった自然や亡くなった店のママの、今は見えない存在が肝。その見守りがピアノの単音で…。
数年前に近隣の街で、地元の男性がホームレスの女性を殺害した事件が静かに絡まりあうーとあり、実際 2020年11月 渋谷区 笹塚駅近くのバス停で路上生活者の女性が殺された事件、いわゆる<渋谷ホームレス殺人事件>を思い出す。社会的貧困・孤立や閉塞感が漂い、心の余裕がなくなった今、身近な人や他人に思いを寄せる。そんな憩いの場でありコミュニティ的存在が、このコーヒー店「Mori」である。
(上演時間2時間 この回は事情があり 途中10分休憩あり)
ネタバレBOX
舞台美術は、コーヒー店「Mori」の店内。奥行き感ある変型、要所を柱で区切るなど 細かく作り込んでいる。下手に店の入り口、入ってすぐにГ型のカウンターやレジ。中央や上手にテーブル席。上手奥にSTAFF ONLYドア。すべて木製で木の温もりが感じられる。そこに物語のテーマが込められているようだ。
主人公 山越美和子は、いつも同じ席に座って外を眺めている。その話し相手は、この店の亡きママからコーヒーの淹れ方を教わった小川よし。山越は切り崩された山、森を見ているのか、駅の乗降客を数えているのか。緑や赤が…といった意味不明の言葉。戸惑う小川、その かみ合わない会話が 心の距離感のよう。後々、緑と赤が混じったら真っ黒になる、人の腹の奥底にある思いであろうか。そこに不気味さが滲み出てくる。
地元の男性がホームレスの女性を襲撃した事件、それがさり気なく挿入されてくる。店のママの名は見田さん。その一人息子 見田茂が唐突にやってきて、店のバイトや客と一悶着起こし帰っていく。彼が住んでいるマンションから、殺害された女性が座っていたバス停が見える。彼は自分が殺害したのか あやふやな記憶。店のバイトで 夜スナックを経営している青野さち は、バス停にいたのが男性だったらよかったのに と言う。男はいつも加害者側という偏見、暴論も飛び出す。
男性だったら殴り殺されない といった思い込み。性差に潜在的な差別意識が潜んでいる。性格や立場等の違い、色々な人がいて世の中は成り立っている。例えば、飲食の嗜好の違いもその1つ。コーヒーの淹れ方、カレーの味付けの拘り。その違いを受け入れて共生している。常連客 本郷はるか や一時的な店番 辻トオルの存在がイイ味を出している。亡くなった(見えない)見田さん、にも関わらず ポーンと響くピアノの単音によって、見守っているよ と知らしめている。その余韻が心地良い。
次回公演も楽しみにしております。
再演 みやこほたる
劇団匂組
アトリエ第Q藝術(東京都)
2025/05/14 (水) ~ 2025/05/18 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
面白い、お薦め。
初演の「『みやこほたる』~ふみのみやこのお受験殺人考~」は観逃したが、今回 再演を観ることが出来て良かった。確かに”お受験”といった環境が殺人へ といった描き方だが、その底には女性の生き難さといった時代背景が浮き上がる。一人の女性であり妻であり母でもある。その時々で本音と建前を使い分け、状況や環境に適応しようとするが…。
公演は、女優2人による それぞれのモノローグで成り立っている。1人ひとりが心情を激白、その様子を照明と音響・音楽といった舞台技術が効果的に支える。少しネタバレするが、事件をルポルタージュ形式で語り、その現実として加害者が心の変遷や苦悩を吐露する。さらにルポした女性が自らの体験を追想することで、女性の仕事・結婚・出産・育児等といった中で感じる生き難さを訴える。そこにお受験殺人という 単なる興味本位の事件ものとは違うドラマが立ち上がる。それを生ナマしく演じた女優2人ー小林もと果サンと速名美佐子サンの熱演が素晴らしい。
(上演時間2時間 休憩なし) 【ほたる班】
ネタバレBOX
舞台美術は、客席から観て床(板)に三角形、その頂点となる奥、底辺の左右、その三か所に箱馬が置かれている。それとは別に客席寄りに直方体が1つ。上手の箱馬に光子、下手の箱馬に京子が座る。基本的には あまり動かないが、印象的なのは京子が踊りながら奥の箱馬を回りながら歌うところ。 法廷シーンであろうか、光子が泣きながら立ち上がるところ。上演前には、子供たちが元気に遊ぶ声が聞こえている。
実際にあった事件を、京子がルポルタージュとして語るスタイルで展開する。加害者 光子とは直接交わることなく、それぞれのモノローグで綴る。説明にある ”ふみのみやこ”は東京都文京区、その地にある有名幼稚園、小学校が舞台背景になる。そして京子と光子のそれぞれの生い立ちや境遇を語ることで、お受験という争(戦)いへ参戦することになった理由なり動機が明らかになっていく。子供を公園で遊ばせるが、そこで聞く話や噂に翻弄され、我が子も有名幼稚園や小学校へ入れたい。しかも一次(試験)は抽選だから望みもある。そんな見栄や願望が受験に拍車をかける。この地域階層の構図を鮮やかに浮き上がらせている。
京子は昭和24年生まれの団塊世代。どんなに学業が優秀でも短期大学を卒業して、わずかな期間働いて結婚し 寿退職する。仕事も男性の補助的なものでキャリア アップなど考えられない。それでも書くことは好きで、エディタースクールで学び少し認められるようになるが…。
一方 光子は京子より年下であるが、家庭環境等もあり 何となく結婚した。相手は文京区にある寺の副住職だが、自分の寺ではなく通い。その気苦労もあって 光子の話を真摯に聞いていない。「夫は声は聞くが、心の声は聴いていない」という台詞は重い。住宅環境(高級住宅、賃貸マンション、社宅の違い)や公共施設等(公園や教育)、そこにある ちょっとした蟠りや嫉妬・羨望が事件へ。
法廷での光子の供述…なぜ子供を殺してしまったのか? その明確な理由や動機が語れない。光子は 幼い頃から生真面目で融通が利かないといった性格。目の前にいる子さえ いなくなればというモヤモヤした気持が高じて…。その有り様を情感豊かに演じており感動する。この物語は、あくまで加害者(犯人)視点で描いており、犯行に至るまでの光子という女の生い立ちと お受験という状況背景を、第三者の京子という同性が客観的に語る、そこに生々しい女性のリアルを感じる。勿論、被害者視点で描けば、違う感情が生まれ 別の物語になるだろう。それだけ広く深く 考えさせる公演。
次回公演も楽しみにしております。
みんな幸せ
友池創作プロジェクト
駅前劇場(東京都)
2025/05/14 (水) ~ 2025/05/18 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
サスペンス ミステリー色の濃いノワール劇。しかし 主人公 新井貴子の性格等もあって、それほど暗くはない。むしろカラッとしており滑稽さも感じる。
説明にある「ある家のトラブルの話」であるが、その裏に隠された もう一つ話があるようで興味深かった。サスペンスといった要素が物語をグイグイ牽引していく。
リフォーム業者の新井が巻き込まれた、富豪 篠塚家の内情が肝。舞台は 或る地方都市で、何となくありそうな設定が物語の背景にある。同時に家族内の立場や性格等が歪な人間関係を構築している。そこに それぞれの愛や正義があり、自己中心的な行動が暴走していく。誰と誰が敵/味方なのか、巧みに場面を繋ぎ展開していく。
物語の底には壮大な陰謀が、そして足元では新井に対する深謀な企てが浮き上がる。表立っては やり難い偏見・差別や不平等といった意識、それを巧妙な手口で行使する陰湿さ。そこに或る歴史観の悲哀が滲み出ている。誰かの犠牲の上にある”みんな幸せ”にアイロニーが…。
(上演時間1時間50分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、下手からHAPPYの英文字が不規則(一部逆さま)に並んでいる。始めのH字は大きく 劇中では暖炉を表している。いくつかの箱馬があるだけのシンプルなものだが、単純なHAPPYではないことを示唆。
物語は、新井が篠塚家のリフォーム失敗の責任を取らされ 会社を辞めるところから始まる。篠塚家の現社長は、亡くなった夫の跡を継いだ未亡人 美晴。先代は再々婚で、初めの妻との間に長男 卓志、二番目の妻の連れ子で長女 真優、そして次男 悟と次女 円 という複雑な家庭環境にある。この会社、政府と共同でカーボンニュートラルに係る開発をしており、その関係もあり 真優は与党大物議員の息子と結婚させられる。いわゆる政略結婚。
この地で 篠塚家から仕事を請け負うことは 色々メリットがある。卓志は刑務所から出所したところ。現社長との確執だけではなく、会社の陰謀ー開発しているのは細菌兵器ーを暴き阻止したいと考えている。新井は 篠塚家との商談契約を結ぶが、ひょんなことから会社の秘密を知ってしまい、葛藤の末 卓志に協力するが…。
物語はサスペンス調であり、仕掛けた罠や それを逆転する展開をテンポ良く描く。次はどうなるのか、観客の関心や興味を惹き 飽きさせない。
新井は離婚して、シングルマザーとして1人娘の大学生 希 を育てている。希は就職活動を有利にするため、あえて母と距離を置いている。母 貴子は在日二世か三世で、そのことを気にしている。これは貴子が勤めている、リフォーム業者の支店長の言動にもあらわれている。昨今、簡単には馘に出来ない、そんな事情を背景に差別や偏見を巧みに織り込み、幅と深みのある物語にしている。家族の諍いを描いているが、これを国の愛(主張)と正義(権利)に置き換えたら、理不尽で不条理な戦争そのもの。
次回公演も楽しみにしております。
赤目兎の罪悪感
らくだ企画
studio ZAP!(東京都)
2025/05/09 (金) ~ 2025/05/11 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
誰もが葬りたい過去を抱えて生きており、その痛みを癒す そんな心を探す旅のよう。
古事記「因幡の白兎」をモチーフに、人生の罪悪感を問う物語。説明にあるように、修学旅行先の下見のため 車を走らせていたが…。気が付いたら赤い目をした兎が現れて、「人生コンティニューしますか?」と問う。続けて「ここは黄泉の国の入り口ー黄泉比良坂だ」という。
一般的に「因幡の白兎」では、嘘や欺瞞を戒め 親切で優しい心が大切だと伝えている。そして困難を乗り越えるためには、周囲の助けを借りることが大切で、自己中心的な行いは良くないといった教訓的な教え。この教訓的なことを教師1人ひとりが或る生徒との関りを通して罪悪感を告白していく。どうして この生徒と関わっていくのか、その謎めいた設定が肝。しかし、何故 教師がそれほど罪悪感を抱かなければならないのか釈然としない。だから「人生で最も愚かな罪悪感を正しく告白してください」、その追及に迫力を欠く。自分の感想は、劇作意図(対象者のこと)と反対かもしれないが…。
(上演時間1時間20分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、白い車のフロント部分のみ。ナンバープレートは 「出雲303.わ.5 09」で、修学旅行先は出雲地方だと知れる。車の後ろに黒い箱馬が並び、高い段差を設える。その左右に黒い幕。全体的に昏い中で白い車体が浮かび鯨幕のようにも思える。それが黄泉の国といった雰囲気を漂わす。物語の展開に応じてフロント部分を回転させ、職員室や保健室の場景を表す。
或る生徒の自死がキッカケで 修学旅行先を変更、その下見をする5人の教師たち。何故 修学旅行先を変更する必要があるのか不明。当日パンフがないため、教師(教科)と生徒の名前は定かでないが、台詞からサワワタリ(社会)、カラスマル(英語)、フクロタニ(国語)、イヌイ(体育)そしてコサカ(養護)、生徒はウサミ。黄泉比良坂にいて赤目兎の被り物をしていたのは ウサミ。つまり自死したのはウサミで、存命中に この教師たちと関りがあった。ここで言う<罪悪感>とは、主にウサミとの関りという限定された狭い中でのこと。
ウサミは孤児院育ちで、里親に引き取られた。里親との関係は特に描いていないが、周りからは恵まれた環境と言われていることから良好のようだ。しかし、ウサミの気持は孤児院(仲間)での暮らしのほうが幸せ、その鬱積が自閉傾向になり 保健室登校へ。カラスマルは成績優秀なウサミを更に伸ばすため、イヌイは悩みごとは何でも打ち明けろ というが、それらはウサミの癇に障る。生徒1人ひとりの個性や考え方に合わせた教育は難しい、そんな冷静な教師がサワワタリ。実は 彼も孤児院育ちでウサミの兄貴的存在。
公演では「因幡の白兎」の教訓は、前段ではなく 後段の”自己中心的”なウサミに焦点を当てているように思えた。そしてサワワタリの「教師を信じるな」は、過度に期待するなといった甘えに対する苦言のよう。罪悪感を知らず、黄泉の入り口で彷徨っていたのは、赤目兎ことウサミの方ではなかろうか。ラスト、黄泉比良坂の管理人ー赤目兎をウサミに代わってサワワタリが担うが、その役割は必要なのか?いくつかの不明や疑問が解けていないようで 気になる。
登場人物は僅か6人、その役者陣の演技は確かで、1人ひとりの立場、考え方、キャラクターを巧く立ち上げていた。
次回公演も楽しみにしております。
花いちもんめ
川口圭子一人芝居
OFF・OFFシアター(東京都)
2025/05/08 (木) ~ 2025/05/12 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、お薦め。
今年は戦後80年、戦争を扱った公演が多いと思うが、本作は民間人の それも母という視点で語り描いた一人芝居。80年経ち 戦争体験者が減り、その悲惨さをリアルに聞く機会が少なくなっている。周年だから反戦劇 ではなく、演劇の役割の1つとして平和文化への思いを観客と共有することが大切ではないか。その意味で、本作は舞台上の孤独、それを見つめる観客という構図そのものではなかろうか。
冒頭 川口圭子さん演じる遍路姿の女性 鈴(スズ)が旅路の理由を話し始める。そして鈴を 追ってくる何ものかに向かって牽制するような言葉を浴びせる。物語は、旧満州(中国東北部)に渡った開拓団の暮らし 逃避行での悲劇をモチーフに、残留孤児問題に切り込んでいる。
何で読んだか または聞いたか忘れたが、親を亡くせば過去を、配偶者を亡くせば現在を、子を亡くせば未来を失うと。物語では夫も子も喪い、現在も未来もない そんな孤独な影が付き纏っている。鈴の後に付いてくるものは、子を手放した後悔であり、戦争の影のような不気味さ。現に世界のどこかで戦争が起きている。グローバル化社会において、けっして対岸の火事ではない怖さ。
民間人の視点で見つめたリアルな体験談、その客観的な語りと 物語における主観的な母としての台詞、それを巧みに演じ分け 社会的な状況と人間的な心情を見事に立ち上げている。
社会的な状況は、満蒙開拓の希望と挫折ーその表と裏を浮き上がらせる。日本から多くの人が移住し開拓を進めたが、相手からすれば他人(自分たち)の土地を収奪していること。だからこそ 鈴たちの開拓を遠巻きに眺めており、日本の敗走とともに奪還していく。
一方、人間的な心情は 残留孤児のこと、生き長らえさせるためとはいえ人身売買にも等しき行為、その哀切が情感豊かに演じられており感動。一民間人の視点から鋭く捉えたリアルな戦史。
見応え十分。
(上演時間1時間10分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は 太い柱を境に上手/下手、主に下手には段差を設え 奥に地蔵菩薩。至るところに外塔婆が立ち 哀切・寂寥感が漂う。登場人物 鈴の出立ち はチラシのような巡礼衣。
物語は、鈴が旧満州へ渡った暮らし振り 敗戦により地獄のような出来事を生き延びた、それを心情込めて順々に語る。国策によって移り住んだ地、始めの語りでは裕福な環境のようだが、実は願望であり夢物語。それでも開拓し収穫する喜び。その結果、他国の侵略に手を貸すことになった。そして敗戦による混乱、生き延びるため 2人の子供を連れての心労の絶えない長旅。
旅の途中、下の男の子(4歳)が腸チフスに罹り 医者に診てもらうことも出来ない。上の女の子 はなちゃん(5歳)を現地の人に預け(売り)、その金で 男の子へケーキを買う。子供たちは知っていた。男の子は、鈴に はなちゃんは売られることを知っていたと言う。鈴の慟哭、はなちゃんは 一言も言わず「花いちもんめ」(人身売買の意も含まれている)を歌いながら 鈴と一緒に出掛けた。男の子は亡くなる。鈴は、はなちゃんの様子を見に行き、声を掛けるが振り向かない。自分は売(捨て)られたと、同時に 鈴は はなちゃんに捨てられたことを悟る。
戦後(中国との国交正常化<1972年>以降)、残留孤児たちの実親探し。しかし、鈴は名乗り出ることはしなかった、いや出来なかったのだろう。その心情 哀れみが心を打つ。巡礼は、許しでも諦めでもなく 死出の旅路のよう。はなちゃんとの別れ、実際 子役が演じていたら涙腺が崩壊していたかも…想像しただけでも胸が苦しくなる。
公演は、川口圭子さんの熱演は勿論だが、音響・音楽や照明といった舞台技術が物語を支える。旅の一休みに湧き水を飲む様子、厳冬の中 はなちゃんと一緒に出掛ける際の雪 などの効果。はなちゃんとの別離に、浄瑠璃「傾城阿波の鳴門」を劇中に取り入れ聞かせるといった工夫。観客の心を揺さぶり響かせる、その演出が見事。
次回公演も楽しみにしております。
再生数
よた
水性(東京都)
2025/05/09 (金) ~ 2025/05/11 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
前衛的というか斬新的と言うのか、とにかく若い力が新しいことを試みようとした作品。本作は、松原俊太郎氏がスペースノットブランクに書き下ろし、「最後の映画」として上演された「再生数」(2022)を経て、上村陽太郎氏の演出によって 新たな「再生数」(2025)として上演。
少しネタバレするが、複数のモニターに映像(場面タイトルらしきもの含む⇨台割か?)が映り「ゲームの世界なのか、撮影の現場なのか、劇中劇か、はたまた現実なのか」、そんな色々な虚実が錯綜するような感覚劇。分かったような分からないような曖昧さ、それゆえ小難しさは残る。しかし言えるのは、死んでは生き返る「輪廻転生」のループが描かれ、表層的ではあるが<或る愛情>の断面が垣間見える。この感覚を刺激するような舞台、他の劇団(そちらも若手の主宰)でも似たような作品を観ており 最近のトレンドなのか。
この創作カンパニーは、第15回せんがわ劇場演劇コンクールのファイナル5団体に選出されて、5月24~25日開催の本選へ。このコンクールが選びそうな作風とも言える。勿論 上演する作品(時間制限があるため)は違うだろうが、「再生数」で言えば、突き刺さる台詞がありハッとさせられる。そんな批判・風刺的なことが 巧みにもっと込められると好い と思うが…。観客を選ぶ作品だろう。
“よた”カンパニー、まだ この作品しか観ていないが、伸びしろが感じられる。注目していきたい。
(上演時間1時間15分 休憩なし)
ネタバレBOX
この劇場というか会場は初めて。基本的に素舞台で、前方の上手と下手に舞台技術を担うスタッフ各1人。上手にモニター、中央にカウンターとモニター、下手に巻き銀紙等を吊るし 楕円形の天井部分が回転するオブジェ。床はモスグリーンのラグマット カーペット。冒頭は、劇団ワンツーワークスが得意とするようなスロームーブメントで、役者が順々に入場し場内を一巡する。
物語の本筋は説明通り「フフがミチコと繰り返す輪廻転生のループ。映画を撮りたい男たちによって、そのループは壊された」で、分割もしくは分裂した過程を繋ぎ再生していくかのように紡いでいく。フフとミチコの心的距離感、それを撮影隊によって試されるといった不条理。2人だけの世界、そこへ闖入者(撮影隊)が現れ 日常が壊れ、歪な(閉じた)世界が表れる。
第三(撮影)者によって創られた世界、しかし そこには確かに生が存在する。にも拘わらず現代社会はインターネット上の不確かな情報を日々摂取し、アイデンティティ・クライシスに陥る。確固たる自我は幻想でしかなく、空虚さが2人を不安にさせ、信頼関係に揺さぶりをかける。自分(私)に迷い 自我を問い直すことになる。
撮影に台本があるのか判然としないが、役者は組み合わせを変え、劇中劇のように物語を描く。舞台に立つ役者は、役柄だけではなく 舞台という孤独の中に身を置き 自分と戦っているところに魅らされる。それは現実と虚構(舞台)を行き来きするが、確かにその中で生きている。近くに居ながら不安になる心、独りよがりな孤独を乗り越えようと、そんな2人の女性の姿をループで表現しているようだ。この”ループ”は身体的な生死ではなく、<心>の在り様を意味しているのではないか?混沌とした世界の中で、すっくと立つ自分たちを探すことが出来ただろうか。そんな考えさせる作品。
公演の特徴は、日常会話では あまり聞かない哲学的・観念的な台詞、その台詞と大きな身振り手振りのパフォーマンスが一体となって演じるところ。そして美しい映像や生歌といった観せ聞かせといった工夫も好い。
次回公演も楽しみにしております。
クロリスの花葬
劇団うぬぼれ
荻窪小劇場(東京都)
2025/05/04 (日) ~ 2025/05/05 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
土俗的・伝承的なことを背景に、女性2人が過去と未来を行き来し 自分たちのルーツというか家世を探るような物語。少しネタバレするが、説明にある「私の曽々祖父の骨は、どこに行ったんですか」「荒らされた墓。消えた骨。託された骨壷。」…2人の祖母たちが中学3年生の時に経験した ひと夏の冒険が謎を解くカギ。
閉塞的で因習に縛られた地域、そこで代々暮らしてきた人々の 忌まわしくも愛しい繋がりを描いている。思い切って過去の出来事に向き合う、その先にあるのは自由を手に入れるといった解放。流れる音楽は「蛍の光」で、束縛からの卒業を意味しているようだ。いろんな意味を込めた劇作…タイトルにあるクロリス(ギリシャの女神で豊穣神)は、舞台である地域であり人間を表し、その花(バラ品種)言葉は「未来への希望」である。
物語の肝である悪しき風習のような悍ましさは、あまり感じられない。その土地から逃れたいという切実感、そして人間関係(家族も含め)の束縛感が弱いため、物語の底流にある不自由さ理不尽さが暈けてしまう。敢えて そうしたのかも知れないが、表層的な美しさ 優しさだけではなく、もっとドラマティックに描いてもよかった。また 過去と未来を往還するためだろうが、暗転の多さと転換の手間取りも気になる。
(上演時間1時間30分 休憩なし)【Cチーム】
ネタバレBOX
舞台美術は、中央に平板で組み立てたベンチ、その左右に可動の衝立があり真後ろにも大きな衝立状の絵画壁。殴り書きしたような絵だが、よく見ると花が描かれている。クロリスの花であろうか。
物語は、現在の2064年と過去の2006年を行き来して描かれる。冒頭は現在、この地域の学生時代の親友、白崎さくら と 黒田桃香が思い出話や近況を語り合っている。社会人になり、さくら は東京暮らし、桃香は地元にいる。何の屈託もなく話が弾む。そして話は、2006年2人の祖母 白崎杏子と黒田莉子の時代に遡る。この地域では、親が決めた人と結婚する習わし。さくらと桃香は、莉子がいた古家を訪れるが、その時に莉子が残した日記を見つけ 或る秘め事を知る。実は、杏子と莉子は中学3年生の時、ひと夏をこの家で過ごしていた。
莉子の祖母は、夫から暴力を振るわれ、近所に住んでいた さくらの曽々祖父に助けてもらっていた。その好きになった人の骨を花畑に撒き、咲いた花と一緒に焼骨すると色づいて綺麗になるという。日記は敢えて さくらに読ませるように…。長い年月をかけて好意を抱いた人と一つになる。それが託された骨壺である。
2つの時代を行ったり来たりするたびに、衝立可動(回転)させ情景を変える。そのたびに暗転させるため慌ただしい。現在(2064年)に残(遺)る因習村ということが想像し難いこと、フライヤーにある曽々祖父(=高祖父?)の位置付けがよく解らない。この物語は儚い愛を描いているのか、社会(家)制度の不条理なのか、その世界観がはっきりしないところが残念。
次回公演も楽しみにしております。
叙情詩劇【失楽園】第一部「ゲットー」
エンギ シャB
テルプシコール(TERPSICHORE)(東京都)
2025/05/04 (日) ~ 2025/05/04 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
入場無料投げ銭制。
この公演は、叙情詩劇【失楽園】として第一部「ゲットー」第二部「mother」第三部「天国の朴」の三部作を3か月連続で上演し、8月には三部作の通し公演を予定しているという。謳い文句は「命を冒涜する生き方へ問いかける」と言ったところ。
物語は、時代や場所を錯綜させ 人間と社会の関わりを重層的に描き出す。人間の無知や傲慢等といった愚かしさ、その結果 社会は混乱・混沌とし世界は滅んでいく、そんな警鐘を鳴らす。一見、アングラ演劇のような 反体制運動や反商業主義が根底にあるような錯覚に陥る。何もない空間に 壮大にして独特な世界観を創り上げている。それは絵空事ごとではなく過去の悲惨な出来事を出発点にしている。
全体として 描き伝えたいことは解かる。場面と場面の繋がりは断続し、しかも入れ子のようであり劇中劇といった観せ方で、脈略を捉える(追う)ことが難しい。しかし逆に言えば、物語の混沌とした世界観は、舞台ならではの面白さとして感じることが出来る。少しネタバレするが、素舞台(丸椅子3つ)で役者4人(女優3人、男優1人)がその演技力で幾つもの世界を築いていく。しかも女優のうち1人は、交代で舞台技術(音響や照明)を担当する。世界(物語)の違いを表すために舞台上で瞬時に着替え、違和感なく次の場面へ、そして新たな人物像を立ち上げていく。その演技力は見事!
(上演時間2時間 休憩なし)
ネタバレBOX
無政府状態に等しい混沌とした風景を切り取り、或る社会の裏面史を生活者の目線から見た批判・感覚劇。場景を断続しながら紡ぎ、不思議な構図 その階層を築いていくようだ。
時は近未来。ランとスーは「motherの後継者」として無限の次元を冒険している。今の次元は2人で演劇活動を行っている。生と死を消費している世界において、市民1人ひとりの人生は社会に適応出来なければ隠遁しろと迫る。現実を見れば、mee too運動やコロナ禍 騒動など、全体正義の同調圧力に苛まれている。スキャンダルやハラスメントの告発は、それ自体深刻な問題であるが、それがSNSやメディアにかかれば正義というエンターテイメントによって陳腐なものになる。ハラスメントの告発は正しくても、セカンドハラスメントは卑猥で好奇に晒される。
一方、富士山の裾野に広がる青木ヶ原の樹海では、政府の人間再生施設「ゲットー」が開発され、人々は 社会で生きるか、死のどちらかを選択する「再生プログラム」を受けていた。そこに居るMとラン、スーとの出会いを通して生とは何かを考える。究極の選択は、ある意味 戦時中であり倫理感の欠けた自己中心的な考えであり行為。生きる者は強者であり 死を選ぶ者は弱者、まさに資本主義社会の構図に近い。ここでは反転した世界を描こうとしているようだ。争いの果てにある「核」は全てを滅ぼすといった警鐘を鳴らす。
物語が展開するとメタメッセージのような。場景を交錯というか入れ子のように描くため、何を訴えているかを考えながら筋を追うことになる。いや 逆に筋を追いながら考えている。鮮やかに区切られていく時間と情景ー今の次元 2人の演劇活動では、劇中劇のような様相の中で 社会の問題を点描している。ハラスメント・me too運動そして倫理感の欠如などの連鎖と拡散、その先の見えない不気味さ 怖さ。その言い表し方が難しい世界観、それを役者4人が熱演していた。
次回公演も楽しみにしております。
Two Be or Not Two Be
祭文庫
小劇場 楽園(東京都)
2025/05/04 (日) ~ 2025/05/06 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
言葉は平易で 難しいと言う訳ではないが、自分には なかなか手強いといった印象の物語。内容は「ここは獄 囚われの宗教家の男と、獄吏の女 2人が織りなす会話劇。2人は出会い、響き合い、そして何処に行くのか」の通りだが、その会話が哲学的というか観念的で、「人間は何故生きるのでしょうか?」と問い掛けてくる。場所は、獄舎という逃れられない小さな空間、それを皮肉にも”楽園”という劇場に見立て緊密に紡いでいく。たびたび出てくる言葉「価値観を変える」は、人の心そのものを意味し、それまでの生き方を見直すということ。
手強いと感じるのは、この世界観である。過去なのか未来なのか判然としない、その足元が定まらない不安さが心をざわざわと落ち着かせない。立場や生き方が違う2人、相容れない会話がヒリヒリとした痛みとなって伝わる。綴られたその終点の見えない旅は、観る者の胸に深い爪痕を残し…そして「その先」を想像させるような。獄や刃物というリアルな場所や小道具にも関わらず、抒情的とも思える演出が特徴的だ。観客を選ぶ公演かもしれない。
(上演時間1時間10分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、舞台と客席の間に蠟燭を均等に置き火をつける。水が入った樽桶、奥に古書らしきものが数冊。登場人物は宗教家と獄吏の2人。ただ、上演前に体躯のよい男が舞台上で寝転び、古書を水の入った樽桶へ捨てようとするが 躊躇している。物語が始まり 蝋燭は消される。
宗教家は既に獄舎に収監されており、獄吏によって処刑されるのを待つばかり。何の咎で捕まったのか明らかでなく、重要視していない。むしろ「人間は何故生きるのか」といった生き様の問答に主眼がある。前任の獄吏は、宗教家との問答で精神を病んだが、今の獄吏は処刑することを苦にしていない。その強靭な精神力が宗教家の歓心(関心)を買う。
宗教家と獄史の生き様は対照的で、赦しの有無そのもの。だからこそ獄史は躊躇なく処刑してきた。その手は血に染まり 臭いは消えない。樽桶の水で手を洗うが、しみ込んだ血臭は獄史の体臭のようなもの。その得体の知れない不気味さ、それがジワジワと獄史の精神を蝕んでいく。一方、宗教家は母との辛い思い出、そのトラウマに苦悩している。言われるままに処刑してきた獄史、そこに何ら迷いはなかったが、宗教家の無条件の赦しに心が揺らぐ。
獄史は宗教家にナイフを突きつけるが、処刑することが出来ない。宗教家は獄史の手を取り自らナイフで刺す。生きるとは 怒り傷つけ、そして癒し赦しといった感情の繰り返しであろうか。ハムレットの有名な台詞を思わせるようなタイトル、そこに込めた思い願いは何か。普遍的とも思えるような物語は、現代において どのようなことを訴え伝えようとしているのだろうか。その曖昧とした問が、自分の中で消化できていない。分かることは<救いを求められ、ゆえに救いの道へ>、それが獄史の旅立ちのよう。
舞台技術は、獄舎という狭く薄暗い空間、その重苦しい中で宗教曲のような音楽が流れる。ラスト、獄史はフードを被り スモークが立ち込める中、劇場(楽園)の重い中扉を開け、その先から光が差す といった効果と余韻付けは好かった。
ワトソンとスィートホームズ/皆目見当がつかない
かーんず企画
シアター711(東京都)
2025/05/02 (金) ~ 2025/05/06 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
【皆目見当がつかない】観劇。笑いの中に不気味さも…。それでいて、肩の力の抜け具合がよい。
説明では「それは平凡な人たちによる平凡なピクニックだったはずが、平凡ではない人々の乱入で平凡だった人たちの平凡ではない姿が露呈されていく」というものだったが、何方かといえば、嘘と真、建前と本音、そして誤魔化しや気遣いといった日常の暮らしが垣間見える内容。これを 人によっては訳の分からない屁理屈で尤もらしく言うだろう。
物語は、会社のOL4人が 花見ならぬ新緑を愛でるため公園で親睦会を行う。そこへ男2人、さらに自称プロの歌手が現れて…といった平凡な中に闖入者が現れたことによって起こる小さな波紋。暮らしの中にある、小さなウソや誤魔化しは必要悪なのであろうか。子供の頃にウソはいけないと教えられてきたが、大人(社会人)になると<建前>というウソをついている。しかし建前がないとギスギスした人間関係になることも、そんなアイロニーが描かれている。日常の一コマにみる可笑しみ。「ワトソンとスィートホームズ」とも関係しているようなGW特別公演、ぜひ劇場で…。
(上演時間1時間10分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、石のような箱馬が7つ 不均一に並んでいる。上手奥は一段高くなっており、下手奥は枯れ葉。公園の椅子であり高台といった光景。特に照明の印象はないが、音響は 鳥の鳴き声が それらしい雰囲気を漂わせていた。
会社のOL4人がピクニック、その中の1人が早く来て場所取りをしている。そして時間に遅れてきた女性は、外国人の子が迷子になっていたので保護対応していたと言い訳。持ち寄ったお弁当を披露し、飲物は近くのコンビニへ買い出しに行くが、ここ迄で いくつもの嘘が垣間見え、言葉遣いで 先輩後輩の関係が分かってくる。そこへ男2人連れが現れ、そのうちの1人が早く来ていた女性の元カレらしいが…。女は男をストーカーと言い、男は女が別れたくないと足に縋りついた と言い分が違う。
男2人は、ここで別の女性と待ち合わせをしている。元カレが友人のために女性を紹介するが、OLたちは その成り行きを興味津々で見守る。公園では音楽イベントを行っており、中座して見学に行ったりと人の出入りが頻繁になる。当人がいない時に本音がぽろっと…例えば、皆の(建て)前では 弁当が美味しいと食べていたが実(本音)は不味い。また 場所取りした女性は、そんな早く来ていないと嘘(気遣い)を言う。人間関係の潤滑油のような建て前、それを良しとせず<嘘>として使わなくなったら…。「噓も方便」は使い古された常套句だが、公演を観たら 妙に新鮮で説得力を感じる。
公園にボロ服を着た、自称プロの歌手(弾き語り)が彷徨いている。その陰気だが気になる歌が 明るく華やいだ雰囲気を損なう。説明にある 平凡でない人々とは、男2人組と歌手を指すのであろう。この乱入者によって、日常の多くの曖昧なことが嘘で成り立っているが露呈するよう。女のストーカー発言や男の縋る発言は、それぞれ嘘と言い 仲直りをする。嘘と真、建前と本音の使い方の可笑しさと難しさを上手く描いている。
次回公演も楽しみにしております。