Two Be or Not Two Be 公演情報 祭文庫「Two Be or Not Two Be」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    言葉は平易で 難しいと言う訳ではないが、自分には なかなか手強いといった印象の物語。内容は「ここは獄 囚われの宗教家の男と、獄吏の女 2人が織りなす会話劇。2人は出会い、響き合い、そして何処に行くのか」の通りだが、その会話が哲学的というか観念的で、「人間は何故生きるのでしょうか?」と問い掛けてくる。場所は、獄舎という逃れられない小さな空間、それを皮肉にも”楽園”という劇場に見立て緊密に紡いでいく。たびたび出てくる言葉「価値観を変える」は、人の心そのものを意味し、それまでの生き方を見直すということ。

    手強いと感じるのは、この世界観である。過去なのか未来なのか判然としない、その足元が定まらない不安さが心をざわざわと落ち着かせない。立場や生き方が違う2人、相容れない会話がヒリヒリとした痛みとなって伝わる。綴られたその終点の見えない旅は、観る者の胸に深い爪痕を残し…そして「その先」を想像させるような。獄や刃物というリアルな場所や小道具にも関わらず、抒情的とも思える演出が特徴的だ。観客を選ぶ公演かもしれない。
    (上演時間1時間10分 休憩なし) 

    ネタバレBOX

    舞台美術は、舞台と客席の間に蠟燭を均等に置き火をつける。水が入った樽桶、奥に古書らしきものが数冊。登場人物は宗教家と獄吏の2人。ただ、上演前に体躯のよい男が舞台上で寝転び、古書を水の入った樽桶へ捨てようとするが 躊躇している。物語が始まり 蝋燭は消される。

    宗教家は既に獄舎に収監されており、獄吏によって処刑されるのを待つばかり。何の咎で捕まったのか明らかでなく、重要視していない。むしろ「人間は何故生きるのか」といった生き様の問答に主眼がある。前任の獄吏は、宗教家との問答で精神を病んだが、今の獄吏は処刑することを苦にしていない。その強靭な精神力が宗教家の歓心(関心)を買う。

    宗教家と獄史の生き様は対照的で、赦しの有無そのもの。だからこそ獄史は躊躇なく処刑してきた。その手は血に染まり 臭いは消えない。樽桶の水で手を洗うが、しみ込んだ血臭は獄史の体臭のようなもの。その得体の知れない不気味さ、それがジワジワと獄史の精神を蝕んでいく。一方、宗教家は母との辛い思い出、そのトラウマに苦悩している。言われるままに処刑してきた獄史、そこに何ら迷いはなかったが、宗教家の無条件の赦しに心が揺らぐ。

    獄史は宗教家にナイフを突きつけるが、処刑することが出来ない。宗教家は獄史の手を取り自らナイフで刺す。生きるとは 怒り傷つけ、そして癒し赦しといった感情の繰り返しであろうか。ハムレットの有名な台詞を思わせるようなタイトル、そこに込めた思い願いは何か。普遍的とも思えるような物語は、現代において どのようなことを訴え伝えようとしているのだろうか。その曖昧とした問が、自分の中で消化できていない。分かることは<救いを求められ、ゆえに救いの道へ>、それが獄史の旅立ちのよう。

    舞台技術は、獄舎という狭く薄暗い空間、その重苦しい中で宗教曲のような音楽が流れる。ラスト、獄史はフードを被り スモークが立ち込める中、劇場(楽園)の重い中扉を開け、その先から光が差す といった効果と余韻付けは好かった。

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    2025/05/04 16:32

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