花いちもんめ 公演情報 劇団川口圭子「花いちもんめ」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    面白い、お薦め。
    今年は戦後80年、戦争を扱った公演が多いと思うが、本作は民間人の それも母という視点で語り描いた一人芝居。80年経ち 戦争体験者が減り、その悲惨さをリアルに聞く機会が少なくなっている。周年だから反戦劇 ではなく、演劇の役割の1つとして平和文化への思いを観客と共有することが大切ではないか。その意味で、本作は舞台上の孤独、それを見つめる観客という構図そのものではなかろうか。

    冒頭 川口圭子さん演じる遍路姿の女性 鈴(スズ)が旅路の理由を話し始める。そして鈴を 追ってくる何ものかに向かって牽制するような言葉を浴びせる。物語は、旧満州(中国東北部)に渡った開拓団の暮らし 逃避行での悲劇をモチーフに、残留孤児問題に切り込んでいる。

    何で読んだか または聞いたか忘れたが、親を亡くせば過去を、配偶者を亡くせば現在を、子を亡くせば未来を失うと。物語では夫も子も喪い、現在も未来もない そんな孤独な影が付き纏っている。鈴の後に付いてくるものは、子を手放した後悔であり、戦争の影のような不気味さ。現に世界のどこかで戦争が起きている。グローバル化社会において、けっして対岸の火事ではない怖さ。

    民間人の視点で見つめたリアルな体験談、その客観的な語りと 物語における主観的な母としての台詞、それを巧みに演じ分け 社会的な状況と人間的な心情を見事に立ち上げている。
    社会的な状況は、満蒙開拓の希望と挫折ーその表と裏を浮き上がらせる。日本から多くの人が移住し開拓を進めたが、相手からすれば他人(自分たち)の土地を収奪していること。だからこそ 鈴たちの開拓を遠巻きに眺めており、日本の敗走とともに奪還していく。
    一方、人間的な心情は 残留孤児のこと、生き長らえさせるためとはいえ人身売買にも等しき行為、その哀切が情感豊かに演じられており感動。一民間人の視点から鋭く捉えたリアルな戦史。
    見応え十分。
    (上演時間1時間10分 休憩なし) 

    ネタバレBOX

    舞台美術は 太い柱を境に上手/下手、主に下手には段差を設え 奥に地蔵菩薩。至るところに外塔婆が立ち 哀切・寂寥感が漂う。登場人物 鈴の出立ち はチラシのような巡礼衣。

    物語は、鈴が旧満州へ渡った暮らし振り 敗戦により地獄のような出来事を生き延びた、それを心情込めて順々に語る。国策によって移り住んだ地、始めの語りでは裕福な環境のようだが、実は願望であり夢物語。それでも開拓し収穫する喜び。その結果、他国の侵略に手を貸すことになった。そして敗戦による混乱、生き延びるため 2人の子供を連れての心労の絶えない長旅。

    旅の途中、下の男の子(4歳)が腸チフスに罹り 医者に診てもらうことも出来ない。上の女の子 はなちゃん(5歳)を現地の人に預け(売り)、その金で 男の子へケーキを買う。子供たちは知っていた。男の子は、鈴に はなちゃんは売られることを知っていたと言う。鈴の慟哭、はなちゃんは 一言も言わず「花いちもんめ」(人身売買の意も含まれている)を歌いながら 鈴と一緒に出掛けた。男の子は亡くなる。鈴は、はなちゃんの様子を見に行き、声を掛けるが振り向かない。自分は売(捨て)られたと、同時に 鈴は はなちゃんに捨てられたことを悟る。

    戦後(中国との国交正常化<1972年>以降)、残留孤児たちの実親探し。しかし、鈴は名乗り出ることはしなかった、いや出来なかったのだろう。その心情 哀れみが心を打つ。巡礼は、許しでも諦めでもなく 死出の旅路のよう。はなちゃんとの別れ、実際 子役が演じていたら涙腺が崩壊していたかも…想像しただけでも胸が苦しくなる。

    公演は、川口圭子さんの熱演は勿論だが、音響・音楽や照明といった舞台技術が物語を支える。旅の一休みに湧き水を飲む様子、厳冬の中 はなちゃんと一緒に出掛ける際の雪 などの効果。はなちゃんとの別離に、浄瑠璃「傾城阿波の鳴門」を劇中に取り入れ聞かせるといった工夫。観客の心を揺さぶり響かせる、その演出が見事。
    次回公演も楽しみにしております。

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    2025/05/10 12:30

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