『タガタリススムの、的、な。』
舞台芸術集団 地下空港
ギャラリーSite(東京都)
2013/11/14 (木) ~ 2013/11/24 (日)公演終了
逃げ切れ。Facebookから、「カタリ」から供に
客席は360度取り囲む形で、中央の舞台も四方に黒い格子が覆う。(開け閉め可)こうした舞台構造は珍しいものではない。だが、スタイリッシュな雰囲気と緊張感のある場は、開場時間中さえ観客を呑み込む。
※バレてないネタバレへ
僕の偉大なるアイザック・ニュートン
feblaboプロデュース
駅前劇場(東京都)
2013/11/13 (水) ~ 2013/11/17 (日)公演終了
その答えは、5×5じゃない
アイザック•ニュートンは、科学者、記述家、哲学家、政治家、貨幣局長など、様々な 仕事を持っていたらしい。
木の枝から落ちた林檎を観察し、「万有引力」という物理学の法則を発見した。人類史に残る偉大な発見は、それを証明させるためのピサの斜塔という偉大な建造物も遺している。
ニューヨークのことを、別名「ビックアップル」と言う。米国人のみならず、EU、ロシア、アフリカ、中南米、中国、韓国、東南アジア、中東、インド、日本…などから飛んできた人々が住む。この都市を訪れたジャーナリストは必ず「英語が通じない!」と嘆く。「ビックアップル」のことばの由来ではないが、ニューヨークの多民族多人種ぶりは林檎=アップルを世界で最もじっくり観察した偉人•ニュートンの仕事数に等しい。
「知り合いの知り合いを6人(5人説もある)たどれば、世界中の人とつながる」ことが統計学的に判明している。本作は、コメディタッチと淡いタッチを織り交ぜ紡いだ、「つながりマフラー」だった。登場人物が「はっちゃけて」おり、たとえば無敵人間や電子少女を観ているだけでも、存分に楽しめる。だが、SFのジャンルに収めたくはない。「つながりマフラー」は大型工場で製造された どんな繊維より温かい。
旅する女性2人の別れから始まって、そして出会いが生まれた。関係性ー「近未来の日本」へ至る入り方が見事である。
ニュートン好きのサムと3歳年上の美幸の触れ合いが印象的。織り交ぜた糸の「淡い」部分なのだろう。今日もどこかで、人と人が、国と国が、ニュートンの発見した「万有引力」で互いに引き合っている。
音楽劇「赤毛のアン」
DGC/NGO 国連クラシックライブ協会
東京国際フォーラム ホールC(東京都)
2013/11/02 (土) ~ 2013/11/03 (日)公演終了
大迫力の舞台!ー市民の力で、地球は変わるはず
歌で性別、年齢、国籍、人種の違いを越えられるように、世界中の人々が「助け合いの精神」で 一つになれるはず。そのような確信を与えるミュージカルだ。
「赤毛のアン」は1900年代初頭、カナダの孤児院に育った少女アンがマシュー家に引き取られ、学校や家庭、地域での出来事を通し、教育者アンへ至る成長を描いた作品である。時代性から読み解くと、第一次世界大戦中、もしくは その戦後であり、「女性参政権」等のデモクラシーが力を持つ時代。
主催の「NGO法人国連クラシックライブ協会」は、国際連合の下部組織である。3日の千秋楽休憩中、国連地球憲章の前文がスピーカー越しに伝えられた。
国連地球憲章は4章、16条の構成となっているが、3章、4章の私たちの暮らし全般に関わる条項をご紹介したい。1章、2章は地球環境の保全を訴える内容である。
「3章 社会と経済の公正
倫理的、社会的、環境的要請として、貧困の根絶に取り組もう。
あらゆるレベルでの経済活動やその制度は、公平かつ持続可能な形で人類の発展を促進するものとしよう。
男女間の平等と公平は、持続可能な開発にとって必須なものであることを確認し、教育、健康管理、経済的機会を誰もが享受できるようにしよう。
すべての人が自らの尊厳、健康、幸福を支えてくれる自然環境や社会環境をもつ権利を差別無く認め、特に先住民や少数民族の権利に配 慮しよう。
4章 民主主義、非暴力と平和
民主的な制度と手続きをあらゆるレベルにおいて強化し、統治における透明性と説明責任、意思決定へのすべての人の参加を確保し、裁判を利用できるようにしよう。
すべての人が享受できる公教育や生涯学習の中に、持続可能な開発に必要な知識、価値観、技術を取り入れよう。
すべての生き物を大切にし、思いやりを持って接しよう。
寛容、非暴力、平和の文化を促進しよう」
刈り取った恥部をマンホールに詰める=殺人事件
Theatre MERCURY
駒場小空間(東京大学多目的ホール)(東京都)
2013/11/08 (金) ~ 2013/11/10 (日)公演終了
迎合主義という名のディフォルメ化
タイトルに惹かれた。
たぶん、この劇団だから観にきた人も、私と同じくタイトルに惹かれて観にきた人も、「下ネタ」を思い浮かべたはず。しかし、「刈り取った恥部」のタイトルだからこそ、それを裏切る舞台だろうな、とは事前に把握していた。
場外乱闘!
lovepunk
新宿シアター・ミラクル(東京都)
2013/11/06 (水) ~ 2013/11/10 (日)公演終了
この汗は、選手と団体の成長物語だ
「女子プロレス」へのオマージュを、汗と肉体と演劇で込めた2時間…。
主にリングの裏側を描き、女子レスラーの「私生活」だとか、団体内部の「闘争心」を 裸にする。
おそらく、リング外の「新宿女子プロレス」だけであれば、賞味期限間近の コンビニ弁当だった。最も 熱かったのはプロレス試合の「リング内」。ただし、演劇的な描写を重視したためか、一つひとつの技こそ忠実だった反面、スピード感が乏しい。
私は、女子プロレスを観戦するが、風を切る 肉体は なくてはならないパフォーマンスの一種だ。それを可能とするのは張り付けられたロープである。
舞台稽古のなか鍛えた、新宿女子レスリングのパフォーマンスを最大化することは、ロープを再現してこそ。観客も試合のシーンでテープを投げ、「場外乱闘」も観客席でやればいい。「タッグマッチ」もいい。
巻き込んだっていい。技の忠実さ は、レスラー達が掲げる、汗まみれの印籠である。
女優という女子レスラー…女子レスラーという女優…。
振り子時計物語
劇団暴創族
笹塚ファクトリー(東京都)
2013/11/07 (木) ~ 2013/11/10 (日)公演終了
『クリプトグラム』(cryptogram)
世田谷パブリックシアター
シアタートラム(東京都)
2013/11/06 (水) ~ 2013/11/24 (日)公演終了
少年ジョンの 深過ぎる人間洞察
アメリカの劇作家•デイヴィッド•マメットが綴った静かなる会話劇…。
テレビ、映画の谷原章介は紳士の代名詞だろう。彼が今回、挑むのはデルという謎の男性であり、彼が造り上げてきた代名詞には遠い存在だ。
一見すると「こども想い」の紳士なのは間違いないはずだが、デルは ある〈秘密〉を抱えていた。「デルの後ろめたさ」を何ともミステリアスに表現した姿は 新たな代名詞の印刷を思わせる…。
※ネタバレ
台詞カブリや、会話劇にしては重厚さに欠けた面も…。
ただし、ミュージカルではなく、会話劇へ子役を“メインキャスト”として出演させた舞台は特筆。最古の歌舞伎映像に映っているのは大柄の男性演じる弁慶と少年演じる牛若丸だ。
大切なのは、必要に迫られ子役を“サブキャスト”として出演させることではない。「出ずっぱり」であること。
本作『クリプトグラム』がテーマ上、または構成上、ほぼジョンの「出ずっぱり」であった事情は認めるとしても、これはレアアース並みの出来事だろう。
後に続けばいい。
【ご来場ありがとうございました!】退カヌコビヌカエリミヌヌ
ロ字ック
サンモールスタジオ(東京都)
2013/11/02 (土) ~ 2013/11/10 (日)公演終了
うさぎのマスコットが「裏側」を象徴していた
日本の集団心理を直接的表現で「えぐる」様は必見だ。
スーパーマーケットの事務室は、店員同士のみならず、男と女だとかにも向き合う空間である。オムニバス形式を取っていないようだが、一種の「短編集」であり、一つの物語としての完結性は低い。
それゆえ、「物足りなさ」を感じたことも事実だ。
集団心理を紐解けば、属性を設けた上での、そのグループ内における排除行為=やりたい放題に尽きる…
あるアメリカ政府高官は「日本の窓口 は 一体、どこなのか?」と分散型の権力構造を嘆いた。
戦前の権力構造も、内閣(首相)が あったり、議会(衆議院 貴族院)が あったり、枢密院(枢密院議長)が あったり、陸軍省(陸軍相)、海軍省(海軍相)が あったり …権力構造が分散型だった。これは合議制とは違う。
近代民主主義の基本である権力のチェックアンドバランスでもない。言うならば自民党内の派閥のような権力構造だ。
結局、陸軍が大臣を推薦しなければ内閣を組閣できないシステムが定着し、そのことが陸軍による政府支配を可能にしたわけだが、一方8月15日ポツダム宣言受諾を決めた御前会議では無条件降伏へ反対の声を上げていた。
霧のような権力構造だろう。
日本企業の特徴として挙げられるのは、「系列」である。業種をまたぐ低相互資本関係の企業グループを指す。
この日本企業の特徴を分析した論文「系列系企業は日本的経営を続けているか
-近年における独立系企業と系列系企業の比較- 早稲田大学商学部 広田真一ゼミ
大野道子・寺井政樹・藤重大武」から一部、紹介したい。
「中略〜導き出される結論としては、企業集団の形成は「安定性の確保」 のためにあるということである。企業をつぶさないために、業績水準を下げるという保険 金を支払って、事業リスクをカバーしているのである。
こうした企業集団に属する企業の行動は、銀行がいざというときに系列内企業を救済し たり、また、従業員を重視する経営に見られるように、安定性を重視し構成員を重視する 日本型の経営スタイルに基づいたものなのである」〔II.『企業集団の経済的意味と銀行の役割』 (1983 年中谷巌)の要旨〕より抜粋
一つの大黒柱(本社)が多数の(支社•分社)を支える中央集権ではない。韓国のSAMSUNG財閥にはみられない特徴である。
そして、重要なポイントは、こうした「持ちつ持たれつ」の企業風土が政治とも、すなわち戦前の霧のような権力構造とも近しい点だ。
日本は1990年代以降、「中央集権」を否定し、地方行政へ分権化する方向を邁進した。しかし、私は、「地域主権」「地域分権」といったフレーズが絶対的正義だとは考えない。2013年1月公表の財務省主計局の試算によると、平成25年度地方財政収支見通しでは地方公務員の人件費総額は19.7兆円に のぼる。
消費税8%級の予算が地方公務員へ充てられている事実…。
彼らの多くは業界団体と蜜月なだけではなく、全日本自治団体労働組合(自治労)等の労組をとおし野党の政策にも決定力をもつ。
「地域分権」を拡げると、自治労などの地方公務員の権限も相対的に拡大してしまう。これが疑問を抱く一つの理由だ。
当然、国家公務員こそ日本低迷の当事者だが、「共済制度」などの一部特権的制度の擁護をかかげる地方公務員もメディアは叩く必要があるはず。しかし、メディアは霞ヶ関の官僚バッシングを辞めない姿勢は貫き、「教職員」や予算の支えがなければ成立しない「農家」「漁業者」「社会福祉士」「介護士」「医師」等は ここ10年間擁護し続けた。
少子高齢化が進む中、消費税増税は東京新聞(中日新聞)以外の大手5紙(讀賣、朝日、日経、毎日、産経)が賛同。少なくとも、賛同した大手5紙は平均年齢66.1歳の農業従事者=農政分野の縮小、社会保障関連費の大幅圧縮を同時に訴えるべきだ。反対の東京新聞(中日新聞)も「消費税増税なき少子高齢化社会」の財政政策を語らなくてはならない。
思えば、毎年の「社会保障費2000億円抑制」さえ、族議員や業界団体、メディアの総攻撃にあい、一時断念してしまった経緯がある。
「消費税増税」より「歳出削減」の方が選挙に禁句だ。だが、1000兆円の負債を抱えた日本で、消費税を上げれば財政健全化するか。少子高齢化に見合った予算措置を進めないと、それこそ増税論者のいう「ギリシャ化」ではないか。
何が「税と社会保障の一体改革」か。
低所得層(資産評価額を加味)を除き、高齢者の窓口負担は さらに引き上げるべきだし、介護保険料ー介護サービス(40代以降ターゲット)への国税投入は最小限でなければならない。
低所得層以外の高齢者については、「資産の現金化」「貯蓄の放出」(景気対策)を促す税制度を側面から形作るのだ。
選挙を前にすると、誰もいえない。「世代間公平」を進めるのが「税と社会保障の一体改革」だとしたら、これを言わない政治家は消費税増税のレトリックとして利用しているに過ぎないだろう。
10%程度=11兆円程度の段階的社会保障関連費圧縮政策の断行しか、「消費税増税なき少子高齢化社会」は到来しえない。
これも「地域主権」「地域分権」が絶対的正義とは思わない話と同じだ。「消費税増税」で財政健全化は果たせないし、「社会保障」を聖域化する流れは間違っている。
この国の あるべき姿は、責任を負う個人の存在である。本作のスーパーマーケットがそうだが、この国の社会は中央のハブ機関こそ確認できても、一国一城で全て現場に任せられている。「地域分権」を拡げれば汚職が蔓延してしまう。際限のない「地域分権」が首長を地域の支配者にし、業界団体を巻き込む汚職を生んだ例は諸外国に多い。
本作の集団心理で巧みであったのは、ここ である。
高校OB先輩がものを言う閉ざされた地域、一国一城の やりたい放題…。店長であっても、店員の風紀すら変えられない(夜勤部)、逆に反抗される霧のような権力構造…。
おそらく本社という名の「中央」が乗り出せば解決するのだろう。
しかし、この国は棲み分け というか、「ここからは あなたの城だから、私は構いません」に終始する。
それを巧みに、肌寒さのなかで描いたことを絶賛したい。
止むに止まれず!
ソラリネ。
上野ストアハウス(東京都)
2013/10/30 (水) ~ 2013/11/04 (月)公演終了
♪ご来場ありがとうございました♪ トラブルショー
ミュージカル座
光が丘IMAホール(東京都)
2013/10/31 (木) ~ 2013/11/04 (月)公演終了
うちゅうのひと
アンティークス
OFF OFFシアター(東京都)
2013/10/30 (水) ~ 2013/11/03 (日)公演終了
今日、ラムネ(プルーン味)が食べたくなった
スティーブン•スピルバーグ監督『E.T』(ユニバーサルピクチャーズ)への強いオマージュであることは間違いない。
学校で 一人ぼっち の少年とETが遭遇するのは夜間、自宅のガレージだった。スピルバーグ監督は20周年アニバーサリーに向け、「撮り直し」を行っている。
一つは「子ども達の世界に馴染まない」(スピルバーグ監督 )理由から男性が銃を構えるシーンをカット。もう一つは この遭遇のシーンである。(他にも撮り直しの箇所は存在するが、この二つが重要らしい)
青春ガチャン
My little Shine
高田馬場ラビネスト(東京都)
2013/10/25 (金) ~ 2013/10/30 (水)公演終了
音響のチョイスが若者の「ガチャン」をあぶり出す
「伝わらない」若者が仲間になれば、きっと「伝わる」…。
音響が この“群像劇”を造り上げたのだ…。
『青春ガチャン』は「ソラリネ。」の公演も8月、上野ストアハウスで観劇した。一つの脚本だとしても、演出が違えば全く別の舞台と なるケースがある。結論から示すと、両作は各シーン、台詞、舞台セットに至るまで ほぼ同じだった。
それもそう、どちらの舞台も福地慎太郎氏が作演出だったのだ。
ファミリーレストランのドリンクバーの原価は一杯、1円にも満たないという話があった。そうだ。原価率の高いオレンジジュースや牛乳は別として、炭酸飲料などはタダのような商品だろう。
カネのない若者がドリンクバーを注文し、タダのような時間を過ごす象徴がファミリーレストランである。接客や料理の品質は求めない。
しかし、ファミリーレストランが日本に出現した1970年(7月7日「すかいらーく」一号店 府中市に出店)、解凍したハンバーグを食べたのは若者ではなく、圧倒的に中間層(それも上位)の家族だった。単語からいえば、こちらの方が理にかなっている。
世の中で「イノーベーション」(技術革新)が定着するまで、決まって山頂の雫から始まり、徐々に大地へ染み渡っていく構造システムがある。
有名な話としては、コンピュータは米軍施設のガレージ内で開発された。その後、軍事技術→ビジネス→一般大衆(一般ユーザー)へ拡がった。
私たちが着目しなければならないのは、イノーベーションは原発の汚染水のように拡散されず、一部の特権者から「段階的」に、一般大衆へと開放される事実である。ファミリーレストランの場合、最も早く接したのは上位中間層だったわけであり、山で考えると厚みは「中腹」かもしれないが、当時の日本社会の中の限られたグループだろう。
何だっていい。
1950年代、60年代に建設された住宅団地だって、当時の上位中間層が入居した。
以下、国土交通省 公表の資料
都市再生機構の役割について 平成24年6月1日
「機構の前身である日本住宅公団は、昭和30年に高度成長に伴う都市圏への急速な人口流入に対応 するため、中堅勤労者向けの共同住宅を大量供給することを役割として設立。※当初の公団住宅は原価家賃としていたが、家賃水準が高く「高嶺の花」と言われていた。 (当初供給された住宅(約40m²)家賃4,600円/月、国家公務員の初任給8,700円/月)」
ところが、70年代後半にマンション•ブームが起こると、代わって当時の上位中間層が押し寄せ、団地は日本住宅公団(現 UR 都市再生機構)の提供するカネのない住民が入る公営建造物になった。
イノーベーションを若者も享受できる段階は、大量生産大量消費=「システムの再生産化」段階である。あるいは、競争激化もその一つだろう。当然、権利の喪失等が 後押しする(=代表例_名作DVDの廉価販売)
これからの時代を進めていく時、山頂から岟(ふもと)へ雫を浸透させるのは難しくとも、中腹間の「普及スピード」は加速すべきだ。
私は、イノーベーションを雫の段階で、国家や独占企業、官僚組織などが利権化し、競争防止へ働くことこそ「普及スピード」を妨げる要因ではないか、と思う。
官僚組織の既得権者、政治屋の族議員と戦ってきたのが元通産官僚の古賀茂明氏である。
彼との対談本を出版した政治ジャーナリスト•田原総一郎氏は自身の考えを交え、次のような感想を述べた。
「既得権益だけはしっかりと守って、痛みを伴う努力を避けてきた。
改革をしないのだから、経済は成長しない。
経済成長がなければ稼げない。
稼げないのだから借金は返せない。
だから市場から「ノー」を突きつけられたのである。
いまの日本と同じである。
農協や医師会、電力業界といった既得権益者、さらに経産省や官僚組織など、
これら「日本の病根」というべきものが改革への歩みを阻んでいるのである。
このままでは、日本はギリシャと同じ轍を踏むことになる。
そうならないために、私たちは「古い日本」と決別しなくてはならない」(田原総一郎 公式ブログ 2011年11月22日 より抜粋)
既得権団体のための規制を全廃した上で、「普及スピード」を上げることが 若者にイノーベーションを享受させる最大の手段。
それは再生可能エネルギーにおいても 言える。税制度からみれば、いかに原子力発電が優遇され、結果として発電方法内での価格競争を捻じ曲げているか。1970年に日本初の商業用原子力発電所•福井県 美浜原発が稼働した当時であればイノーベーションの育成の下、補助金=税金を投入する施策も合意が得られただろう。だが、40年間以上も経過するなか、“民間企業”の事業へ多額の税金を投入する やり方は不健全だ。
電源三法を廃止しなければならない。原子力発電が「最も経済的な発電方法」か どうかは、上記の優遇税制度を廃止してからでないと判明できないだろう。
「電力会社は販売電力量に応じ、1,000キロワットアワーにつき375円を、電源開発促進税として国に納付しています(電源開発促進税法6条)。国の平成21年度決算では約3,300億円の税収があり、ほとんどがエネルギー対策特別会計に組み込まれ、電源開発促進勘定や電源立地地域対策交付金として、発電所など関連施設の整備等のため及び周辺市町村に対する交付金等の財源にあてられています」(藤森税理士事務所)
再生可能エネルギーもイノーベーションの一種。だとしたら、大量生産大量消費=「システムの再生産化」を早める必要がある。
イギリス、ドイツはじめ、多数のEU圏内でも導入された発送電分離を日本に取り入れることで再生可能エネルギーを促進できる。企業の再生可能エネルギー分野への参入を増やし(規制改革)、「電力の自由化」を断行すれば電気料金も下がり、それは一般大衆の恩恵となる。
この流れは なんと当の電力業界自身が認めるものだ。
海外電力関連 解説情報
「英国に見る自由化のメリット
英国の発送電分離と自由化の所期の目的は、「電気事業への政治的関与の排除」、そして「国有時代に蓄積された非効率性の排除」であり、この目的に照らせば成功したと言える。発電会社では5割、配電会社では7割の人員削減が実施された。また、効率の悪い古い発電所は新規参入の発電事業者(IPP)が建設した新鋭火力発電所に置き換わり、90年代には電気料金は大幅に低下した。
電力民営化を含む各種国有企業の民営化や競争原理の導入は、英国全体に活力をもたらし、経済が長期低迷した「英国病」から抜け出す起爆剤にもなったのである」(電気事業連合会 HP)
合わせて、「普及スピード」を加速させるための補助金等は過渡的措置でなければならない。既得権化に陥らず進める。利権の温床にしない。平成25年度予算で再生可能エネルギー関連費は一千億円を超す。
商業用原子力発電の二の舞は困る。(エネルギー政策は当面、液化天然ガスLNGを中心に沿えるべきだ)
結局、国家資源をイノーベーション分野へ注ぐことを拡大し、一方で過渡施策を守り自由競争を確保して、既得権者は排さないと いけないのだ。
この恩恵は、若者にとってファミリーレストランのドリンクバーの非ではない。
豊かな自然環境と、郷土国家である。
『青春ガチャン』は 「伝わらない」ことで始まる誤解だとかを描く。
キャラクター設定もよい。
ファンタジーというより、場面ごとのキレを感じた。
心温まるのは確かだろう。
あたっくNo.1
劇団EXILE
青山劇場(東京都)
2013/08/23 (金) ~ 2013/09/17 (火)公演終了
明日への蒸気を出し切れない青年達
真珠湾攻撃の機密任務にある、日本海軍潜水艇の内側をコメディ•タッチも交え描く。
第二次世界大戦前夜の艇内だけあり「お国のため」の雰囲気は漂う。
だが、対米戦を目の前にした悲壮感はなく、鋼鉄を歩くのは いつの時代も変わらない青年だった。
『あたっくNo.1』(同名小説が原作)のタイトルは不適切かもしれない。敵艦撃沈を そのように例えたなら。
私が舞台を観て述べることがあるとすれば、恋青年だとかを含め、「まっすぐ打ち向かう」心こそ『あたっくNo.1』の意味だったのではないか、という憶測である。
登場人物の見えざる心の扱いが巧み で、私たち は 艇内すべてを把握できない構成である。当然、海軍組織の暴力性を示すし、厳しい序列も同様だ。
古来より、文学者が「恋」を記す時、それは貴族階級のモチーフであることが多かった。宮廷という閉ざされた空間、貴族階級という限られた登場人物が、「恋のシンボリック化」にふさわしいからだ。今作『あたっくNo.1』でも、鉄拳制裁や序列の中にこそ見え隠れする恋、友情、家族観などのヒューマニズムが魅力的だった。
宮廷ではなく潜水艇である。
貴族階級ではなく海軍兵員である。
ところが、私達を魅力させる構造としては何ら変わらない。
『うれしい悲鳴』/『太陽とサヨナラ』(終演しました! ご来場ありがとうございました!)
アマヤドリ
吉祥寺シアター(東京都)
2013/10/23 (水) ~ 2013/11/03 (日)公演終了
「空気を読む日本人論」と かけがえのないヒューマニズム
近未来•日本は どのような姿かを考える時、私たちの延長線上に案外答えはあるものだ。
戦後、GHQ(連合国総司令部)の指令が下り、歌舞伎などで『忠臣蔵』上演が できなくなった。私は年二回、NPO法人•日本伝統芸能振興会主催の『こども若草 歌舞伎
』を観劇する。
その理事の方が おっしゃるには、「GHQが 歌舞伎の上演を禁止したのは“仇討ち”精神 で もう一度、戦争をさせないため」らしい。
占領当局も、新聞、ラジオ、雑誌、町内会などを通じ、日本の国民性を変革するプロパガンダ態勢を敷いたのは事実だろう。
では、情報統制の結果として“仇討ち”精神はなくなったかといえば、そんな ことはない。
視聴率40パーセント越えのテレビドラマ『半沢直樹』の名台詞「やられたらやり返す。倍返しだ!」は“仇討ち”精神である。『忠臣蔵』は赤穂浪士の物語だが、普段は儒教というか、序列を守る日本人でも、時として それを超越した「義」を掲げる。実に眩しい。
前置きが 長くなった。
本作のテーマは「空気に流される日本人」だったと私は思う。そして このテーマを読み解けば、現代に生きる私たち自身へつながっている。
つまり、今日の延長線上こそが『うれしい悲鳴』なのである。
人狼 ザ・ライブプレイングシアター
セブンスキャッスル
相鉄本多劇場(神奈川県)
2013/10/01 (火) ~ 2013/10/07 (月)公演終了
手に汗握る決定版!いずれ私も中毒に?
『人狼ゲーム』が世界中でブームになるのも伺えた。
現在、渋谷には同ゲームを取り扱うルームサービスが営業しており、番組化、舞台化、映画化など多くのジャンルへ進出している。
以下、インターネットサイト『ROCKET NEWS』の記事から基本ルールを紹介したい。
「人狼ゲームは、市民チーム(注釈 人間チーム)と人狼チームに分かれ、会話をしながら相手の正体を見抜いていく。プレイヤーは、配られたカードで自分の役割を確認するが、他の人がどんなカードを持っているかは知ることができない。だが、「人狼」のカードを引いた人たちだけは、自分の仲間を知ることができる。
人狼チームは、自分たちが狼であることを悟られないように、市民チームに潜り込む。市民チームになった人は、お互いに協力して誰が人狼なのかを推理し、多数決によって容疑者を処刑する」
本作も 、俳優が こうした基本ルールに従い、役のままゲームの参加者となる。
革新的だったのは、「三日目の朝」までに観客が人狼、霊媒師(人間)、預言者(人間)、狩人(人間)、狂人(人間)は どの役なのかを推理し、投票するシステムである。
初めて『人狼ゲーム』を知った観客は投票表紙を出すことすらできないが、これは中毒の可能性だ!
謎解き推理ゲーム が東京ドームで開催されるほど、参加型ゲームは多くの中毒者を生む。しかも、そのような謎解き推理ゲームとは違い、毎回 結末が変わるし、俳優も知らないリアリズムもある。
『人狼ゲーム中毒者』の至るところに現れる社会の到来は おもしろい…。
前述のとおり、俳優も実際、『人狼ゲーム』を行うため、台詞さえ存在しないのである。
だから、政治家同志の議論のように、発言がカブってしまう。「話させて!」という発言の機会を求める声は生々しい…。しかし、その 会話は 台詞ではないからこそ、緊迫感を与えるのだ。
毎回ごとのDVDを販売すれば 即売り切れだろう。
『人狼ゲーム』の流行は これからである。映画の公開後 しばらく 盛り上がる…。
一過性ではない 面白さは舞台を観て確証済みではあるが…。
新美南吉の日記 1931-1935
オクムラ宅
土間の家(東京都)
2013/10/25 (金) ~ 2013/11/03 (日)公演終了
「縁側演劇」、始まる!
新美南吉氏の名を存じ上げなかった私だが、童話『手袋を買いに』の著者だと聞き、合点がいった。
彼の生きた1931年〜1935年までを日記、詩に基づいて構成した作品らしい。
なるほど、絵本のファンタジー性溢れる舞台ではなく、一人の病弱青年•新美 南吉の横顔が伺える舞台であったのは「日記」のためか。
世田谷の【土間の家】で営まれた公演は、通常の劇場公演とは違った色彩を放つ。
普段は茶会なども執り行う和室。
一歩入ると、プラスチック製の屋根が覆い被さるなか、日本古来の【土間】が拡がっていた。
観客は座布団に座るのもよし、後方の椅子に座るのもよし。
私は、【土間の家】の外から漏れる、自動車の騒音や歩行者の声がプラスに働いた、と考えている。芝居が劇場の内で消化されるのではなく、公共の【雑音】が入ることによってのみ、非現実空間(芝居)と現実空間(道路)の差を把握できるからである。
九州公演の場合、現地のスタッフが このような【雑音】を拒絶しているらしいが、私は劇場空間の新しい可能性を考える上において導入してほしいとすら思う。
カルフォルニア洲の住宅を 思い浮かべてほしい。
住宅の周りは一面、芝であり、境の窓ガラスが防犯対策を担う。
それに対し、日本は どうか。
庭があれば、住宅と庭の境に【縁側】と呼ばれる物体が備え付けられているはずだ。
つまり、今回の公演は (密閉空間としての)劇場と(公共の場としての)道路をまたぐ【縁側演劇】なのである。
この新しい可能性を拒絶してはならない。
風雲天狗外伝~剣母布郎のほろほろ城 (つるぎほろろうのほろほろじょう)
BQMAP
シアターサンモール(東京都)
2013/10/23 (水) ~ 2013/10/27 (日)公演終了
利休の愛したSF時代劇ー【視覚効果の幕開け】
プロジェクターを駆使した【映像と演劇】の組み合わせは新体感である。
スクリーンへ映す、セットの一部としての効果映像は現在、極めてポピュラーだろう。転換をせず、すぐさま【都会の喧騒】や【森林の安らぎ】のシチュエーション設定を可能とする。大劇場等が中心であることは予算削減とも関係があるのではないか。シチュエーション設定のみなら、「安っぽさ」も生じてしまう。
BQMAPの称賛すべき点は簡素なアニメーション動画と役者の身体パフォーマンスを一体化させた点にある。
三人姉妹
華のん企画
あうるすぽっと(東京都)
2013/10/24 (木) ~ 2013/10/27 (日)公演終了
【中国】浙江京劇団 京劇『オイディプス王』
BeSeTo演劇祭
新国立劇場 中劇場(東京都)
2013/10/23 (水) ~ 2013/10/23 (水)公演終了
歴史や身体観は普遍的なのだろう…
浙江京劇団のキレのある踊り、そして深い観察眼が 劇場全体を覆う…。
それは、中華文明 四千年とギリシア文明三千年の出逢い…。
歴史性に基づいた「身体観」はリアリズムの存在を忘れさせ、豊潤のエンターテイメントを現代に蘇らせる。
浙江京劇団の『オイディプス王』を読み解くと、悲劇でありながらもキレのある「京劇」の動き が柔らかな空間を造っていた。これは「京劇」と「ギリシア悲劇」の融合なくして拝見できない光景である。
演劇を外れ一言述べるとすれば、中華民族の衣装をまとう俳優達が「国王と飢えた民衆」の普遍的政治テーマを演じる姿は感慨深い…。民衆を想い、ひたむきに「苦悩するオイディプス王」の姿も、新権威主義という別の可能性を 片隅に覗かせた。
以上の点は どの時代、どの地域でも共通するテーマであり、“中華民族の衣装をまとう俳優達がギリシアの古典劇を演じても違和感を与えぬ”事実こそ、それを証明しているのである。
ギリシア文明における身体観を学ぶには彫刻を見るのが手っ取り早い。【躍動感溢れる肉体】は静止画ではなく、動画に近い。成人男性が鉛玉を投げる【今、その時】のポーズは典型だろう。
こうしたギリシア文明における身体観、浙江京劇団のキレのある踊りが、見事なまでの融合を果たしていたのだ。
民族が独自の伝統文化を遺すのは 当然 だが、グローバル化社会の中で 融合も拒絶してはならない。文明を進めなければならない。
浙江京劇団の舞台は 称賛すべき偉大な試みの一つ。
東洋と西洋の交わりは、 より広く、より長い大河の流れを提示してくれる。
「2LDK」-2013-
ネルケプランニング
俳優座劇場(東京都)
2013/10/11 (金) ~ 2013/10/20 (日)公演終了
〈女優〉〜〈女の子〉の狭間で
若手美人タレントが舞台上をリングに変え、演劇による女子プロレスを展開すれば、こんな壮絶さ が待っているのだろう。
「女優」としての譲れない意地は○と○の2つの卵へヒビを与える。真っ白な卵が割れる様は スーパー•スローカメラで撮影すべき「崩壊への軌跡」で あって、ある種、喜劇的なアプローチに基づいて演じる女優の悲劇だろう。