歴史や身体観は普遍的なのだろう…
浙江京劇団のキレのある踊り、そして深い観察眼が 劇場全体を覆う…。
それは、中華文明 四千年とギリシア文明三千年の出逢い…。
歴史性に基づいた「身体観」はリアリズムの存在を忘れさせ、豊潤のエンターテイメントを現代に蘇らせる。
浙江京劇団の『オイディプス王』を読み解くと、悲劇でありながらもキレのある「京劇」の動き が柔らかな空間を造っていた。これは「京劇」と「ギリシア悲劇」の融合なくして拝見できない光景である。
演劇を外れ一言述べるとすれば、中華民族の衣装をまとう俳優達が「国王と飢えた民衆」の普遍的政治テーマを演じる姿は感慨深い…。民衆を想い、ひたむきに「苦悩するオイディプス王」の姿も、新権威主義という別の可能性を 片隅に覗かせた。
以上の点は どの時代、どの地域でも共通するテーマであり、“中華民族の衣装をまとう俳優達がギリシアの古典劇を演じても違和感を与えぬ”事実こそ、それを証明しているのである。
ギリシア文明における身体観を学ぶには彫刻を見るのが手っ取り早い。【躍動感溢れる肉体】は静止画ではなく、動画に近い。成人男性が鉛玉を投げる【今、その時】のポーズは典型だろう。
こうしたギリシア文明における身体観、浙江京劇団のキレのある踊りが、見事なまでの融合を果たしていたのだ。
民族が独自の伝統文化を遺すのは 当然 だが、グローバル化社会の中で 融合も拒絶してはならない。文明を進めなければならない。
浙江京劇団の舞台は 称賛すべき偉大な試みの一つ。
東洋と西洋の交わりは、 より広く、より長い大河の流れを提示してくれる。