ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

321-340件 / 3163件中
たぶん きっと おそらく ゾンビ 

たぶん きっと おそらく ゾンビ 

トツゲキ倶楽部

小劇場 楽園(東京都)

2022/02/23 (水) ~ 2022/02/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 開演前には1960年代に流行ったグループサウンズの曲やヒット曲が流れ、ホリゾントの左側コーナー辺りにCDに青い光を当てたような映像がリズミカルに踊っている。出捌けは下手側壁に2カ所、換気の為もあって劇場入口を閉めずに公演しているので劇場入り口も出捌けに用いて3カ所。
 板上は、下手奥のコーナー部分に正方形の平台を据え、コーナー部分に平台と異なる色の1辺50㎝程のマット。上手ホリゾントの手前にパイプ椅子3脚。マットはクローゼットを表しているが、本番前の稽古という設定なのでクローゼットに壁は無く素通しである。
 明転すると前説と称して役者が登場するが、通常と異なり、そのまま本編に続いてゆくという変則的な開幕。(追記2.25 02時52分)

ネタバレBOX


 さて今作では2回も公演を中止せざるを得ず、遂に劇団解散という苦渋の決断に追い込まれた小劇場劇団の最終公演初日の模様が描かれる。言う迄もあるまいが役者をやっている人々は、演劇が好きで好きでたまらない。そんな役者魂が貧しさや結婚、年取った親の世話等止むに止まれぬ事情から、生身に鑢を当てられるように削られ引き剥がされて役者の道を断念する者も現れる。ところが三十路を越えても、結婚に関するイヤミを散々謂われても本気で芝居を続けようとする意志を持つ女優の覚悟に対し、諸般の事情から役者を諦めたものの、矢張り演劇界からは足を洗えない先輩との息詰まる対決シーンで生涯夢を貫くことの難しさを描いた挿話を含め、よくある劇団員や客演の役者を含めての恋バナ、また恋が複雑に絡み合うXXタラシ関連のあれやこれや。噂が噂を呼びあちこちに飛び火して事実とは異なる噂話が独り歩きし始めることによる脱線・誤解に起因するあれこれ。表面的に描かれていることは、このようなストリームと彼女と大喧嘩の後、行方不明の出演者の穴埋め問題、電車の運行停止の原因不明瞭や一時的な通信遮断もあり様々な噂や不確定要素が原因となった疑心暗鬼。迫る初日開演時刻にも拘わらず行方不明の出演者からの連絡も無いことが原因の宙づり状態。そんな五里霧中の役者達を襲うのは電車が止まっている原因はゾンビが現れ、人々を襲っていることだとの情報。メンバーの自殺指向と自殺した場合ゾンビになってしまうことに対する対応等々が加わり、錯綜する情報と迫る開演時刻という切羽詰まった状況。公演の開始時刻を遅らせるか、公演延期或は中止にするか。そもそも公演が打てるか否かの判断も、判断材料が確かであるとは言い切れない以上難しい。刻々と過ぎ行く時間。決死の覚悟でどうなっているのかを確かめに行くタイムリーパー。ゾンビが物凄い勢いで増え続けていることは確認できた。だが、逃げ出すチャンスの最後と思える時になってタイムリーパーが時間を移動できる最終回を迎えてしまった。公演が出来る状態では無い。劇場周りにもゾンビが集まって来て彼らの発する悍ましい音が迫る。何としても生き延び、公演は延期して再起を期す以外に道は無い。ゾンビの動作は鈍く誰かが囮になって他の者を逃がす他は無い。囮になる者を決める為籤を引いた。
 By the way、何故今作は、こんな形で始まったのか? 今作のタイトルの何とも言えない曖昧さが出て来る必然性は何か? 今作の本当の主人公は誰なのか? 等々ちょっと視点を変えて見てみると今作の本当の狙いが透けて見えるように思う。その上で今作を観るなら我々が日々暮らし体験している鵺的世界の中心を為す本質、虚という恐るべき欺瞞装置が見えてくるのではないか? 
Speak low, No tail (tale).

Speak low, No tail (tale).

燐光群

新宿シアタートップス(東京都)

2022/02/18 (金) ~ 2022/02/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 板上奥にはちょっとした堤防のような壁。その手前から距離を置いて屋根のようにぶっちがえになったカウンター。これはジャズバー・Speak lowのカウンターである。Speak lowの客は奥に座る。カウンター手前にはボトル等の載った台や冷蔵庫、その上手に調理器具や調理台。マスターの居場所を挟んで観客側に、正方形の平台が頂点をカウンターの鋭角に向けるように置かれている。この平台はライブ等の際、ステージとして用いられる。奥の堤防のような壁とSpeak lowの店内は照明で見事に分けられる。(追記2.21)

ネタバレBOX

 物語は60年代から隆盛をみたミニマルミュージックの流れがジャズ界にも影響を与えたのか、フュージョン等がしきりに喧伝された1980年頃からの約30年間に起こった数々の事件や災害、世相や時代の変遷、社員生活の鬱憤等に揉まれて変わってゆく人情を、店で掛かるLPジャズ曲の変遷と客たちの会話・店名になっているSpeak lowのそれとない説明に歌唱で表現。この店での振る舞い方やマスターの音楽哲学等々が、常連客との会話で挿入される。
 堤防のように見える場所はSpeak low以外の様々な空間を表現するのに用いられる。例えばここに載って野良猫各々に好きな仇名をつけあれやこれや話す女性達の会話が為される庭付きの個人宅にもなれば、全く別のある家族の飼っていた犬や猫等との関わりを通して市井の人々が身近な命と出会い、面倒をみたり育てたりしつつ体得してゆく命そのものと出会う場として。更にペット達の餌や寿命を通して「家族」として認知していながら餌の栄養素をキチンと考慮せずに与えていた昭和を過ごした場、そこで飼われた何代も同じ名前の犬、猫の寿命を通して知った壊れ物としての命、掛かるが故に尊いと気付くことの余りにも当たり前過ぎて気付かなかった生命の等価性が対置される。無論、これら命の物語が、煩わしい世間からの隠れ場所としてのSpeak louというショックアブソーバーを仲立ちにそこで話される世間とも対置されている。ラストは想像できよう。
救世の曲

救世の曲

絶対♡福井夏

Mixalive TOKYO・Hall Mixa(東京都)

2022/02/18 (金) ~ 2022/02/21 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★


 脚本・演出はMCRの櫻井智也氏。

ネタバレBOX

彼の作品らしく鬱屈した現代の若者の心理とあてどない日常をベースにふつふつと煮え滾るパトスが、エートスを求めて彷徨った果てに辿り着いた決着を描いた。実際に起こった事件にヒントを得て書かれた作品らしい。人間とは、何かの中間に在る存在であることを知っている中間的な存在であるが、己の立ち位置の選択を間違えると決して精神的安定を得ることはできない。先に述べたパトスがエートスを求めて彷徨う状況とは正しくこれである。彷徨ううちには、その心理的葛藤から様々な矛盾や脱理性的思惟や行動が現れやすい。そしてそのような状態は、自分独りでは解決できない。但し、その不完全で不安定な己を支えてくれているもの・ひとは案外傍に居て殆ど自分では意識できないほど密接に、空気のように自然に存在している。そのことが恐らく本能的に不完全で未完成な自らを追い詰める刃のように作用する。為に今作で描かれたような行為に至ったと考えられよう。支えてくれていた者が詩的な感性と優しさを持つ者であった為に一層、彼らが為したことが明らかになった時、観客は薄気味の悪さと衝撃を受けるのだ。
宮城野(東京公演)

宮城野(東京公演)

劇団あおきりみかん

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2022/02/11 (金) ~ 2022/02/13 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

Cチームを拝見。あおきりみかんには珍しい外部脚本による本公演。
 江戸三大飢饉の一つ、天保の大飢饉は、為政者の放埓・腐敗を同時にあらわにした。(追記2.14)

ネタバレBOX

 物語は、天保の大飢饉(1833年から数年に亘る大飢饉)が人々を襲い大塩平八郎が大阪で乱(現行暦で1837年3月25日)を起こした後、江戸麻布で春を鬻ぐ宮城野の部屋で展開する。
 ホリゾント中央に出捌け。板上、下手奥に衣文掛、上手奥に鏡、部屋中央に酒器を載せた台、下手観客席に近い所に鉄瓶を掛けた火鉢。終始舞台上の明度は低く蝋燭の灯りが煌めく程である。この明度の極端な低さは、時代の混迷と昏さを象徴しているのは明らかだ。陽の光は未だ差すものの既に午後3時か4時頃から翌朝に掛けての宮城野と謎の多い高名な絵師・東洲斎写楽の弟子・矢太郎を巡る人々が描かれる。登場人物は宮城野と割りない仲の矢太郎の2名。写楽の謎を実に上手く溶け込ませて練り込んだ脚本を、現代風に言えばジェンダーの問題として表現してみせた考えさせる作品である。開演前に既に宮城野は部家中央に座し観客に背を向けている。せせらぎが流れるような音が続いている。
 明転すると矢太郎と宮城野。酒が進まない矢太郎の様子は、どこかいつもと違いおかしい。宮城野は、矢太郎の払いは総て肩代わりしている仲なのでこの辺りの感覚の鋭さは、当然であるが、この直後“人を殺してきたんじゃないか”との疑念をぶつける。イキナリ佳境に入ってくるのである。この脚本が素晴らしい。
 ところで宮城野は遊女である。先に説明したように天保の大飢饉は数年に亘って続き多くの餓死者を出した。殊に東北での飢饉は凄まじく日本最大級の餓死者を出した。貧農の娘は女衒に買われ遊女として売られた者が多い。そんな事情もあってか、出身地は詳述されない宮城野も一般的には当時の日本で最も苦労を強いられた女性の一人であったということができよう。つまりジェンダーとしては、現在でも続く男性中心社会の周縁部に追いやられていた女性の中にあっても、その最下辺に位置する階層に属していたと考えられる。そんな状態に置かれれば大抵の人は、余りの絶望の深さから総てを諦めやけっぱちの人生を送るか、奴隷の如き精神状態を呈する者が圧倒的に多かろう。然るに宮城野は、追い詰められた者を放っておけないという極めて人間的な美質を保つことによって、破天荒で救いの無い人間とは一線を画していた。その深い淵源を彼女自身気付いて居ないかのような筆致で物語は紡がれてゆく。然し、物語の進展に連れ、彼女の行為の原点が幾重にも仕組まれたどんでん返しの内に明らかにされてゆく。そして遂に彼女の為していることが人間全体に対しての贖罪のような形で現れる。つまり一般に膾炙した話としては、キリストによる人類全体に対する贖罪と全く同質のものとして提起されているのである。
 男社会の齎した矛盾や破綻のツケを担わされ続けられてきた女性全体を、演劇では宮城野という個人で代替して描いている。序盤で指摘した通り、明度の極めて低い照明は、昏い時代とその昏さを生きる人々の心・魂の闇を表しているがその昏い照明の中、実に効果的に音響が用いられていることも特記しておきたい。開演前に聞こえるせせらぎのような音も、劇中響く凄まじい落雷の音も暗いままの照明も総てが、差別されそれを為さしめてきた男性社会の不条理性とこれら負の遺産を何とか持ちこたえてきた女性の魂が上演中何度も聞こえる澄んだ鈴のような音で示される。無論、これは宮城野の魂の音として示されているのであるが。
 物語の詳細については、ここで詳述することは控える。1966年に矢代清一氏が発表した作品をお読み頂きたい。



The leg line

The leg line

仮想定規

中野スタジオあくとれ(東京都)

2022/02/10 (木) ~ 2022/02/13 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 12月公演より、哲学部分にやや比重が掛かった公演になった。(追記2.12)華4つ☆

ネタバレBOX


The leg line2022.2.10 19時 あくとれ
 12月の公演同様キャスター付きハンガーが板上に置かれている。開演前には地下に水滴が落ち反響するような音が響いている。明転すると独りの男・ダンサーが居り、劇場の奈落だとの説明と共にダンスを始める。このダンス中々質の高いもので感心させられたが、劇場には死と生が混在していて、奈落は謂わば板一枚隔てた上の舞台の反対、上が生なら底は死。と哲学的な台詞を吐きつつ踊る。では後で出て来るハズの俳優陣が生きているなら、今踊っている彼は何なのだ? という問いが観客の頭に自然に浮かぶ導入部だ。
今回の公演も基本的な物語の設定は変わらない。間近への落雷・豪雨、突風等酷い悪天候の影響で殆どの交通はストップ、停電に事故、おまけに携帯迄使えない。だが、この劇場は寺や神社同様、入口を施錠していない。“劇場はどんな時にも開かれていなければならない”がこの小屋の先代からの哲学だ、それに何としても公演は打たねばならない。何故なら雨露を凌ぐ家も無い、寒風に抗う壁すらない、身よりも助けてくれる人もない、そんな困難を抱えた人が来るかも知れない。或は魂の只中にそのような精神状況を抱えた孤独な人たちが来るかも知れない。その昏い孤独な人生を受け入れ、暗い観客席に身を置いて舞台に煌めく幻を観ている間だけは、そんな人々も板上の幻影と戯れ想像の翼を存分に広げ、自由に羽搏くことができる。演劇とはそのような力を持つものであり、劇場とはこの不可思議を成立させる場所なのである。この辺りのことは、オープニング直後の鏡前のシーンで如実に表現される、楽屋には横一列に並べられたキャスター付きのハンガー。無論素通しであるが、設定として鏡が嵌ったことになっており、役者は舞台奥で鏡を見ながら身なりを整えたり髪を整えたりする。これは当然、開幕時の奈落と板上での生と死が上下、左右と座標軸を変えてはあるものの能の鏡の間と本舞台での生と死の関係や、もう少し想像力を数学的に広げただけでThrough the Looking Grassで描かれるこちらとあちらの関係を直ぐに想起させる。
 ただ、換気中のパフォーマンスを挟んだ2部・ショータイムは、少し12月公演より理に落ちた。12月公演では、よりハッチャけたショータイムが演じられ、そのアナーキーな感触が自由そのものへのオマージュとして見事に機能していたのだが、今回は、オープニングとエンエィングで劇場に棲む不可思議な存在たちで1・2部をサンドイッチ形式にし、形を定型にしたことと、ショーの個々の演目でRiceの歌う歌詞は、前半からの台詞との兼ね合いもあり説明通りのものだったためハッチャけ感に欠けたのが残念。また桜のパフォーマンスも如何にもアイドルらしい演出でこれもコンセプト通りだった点でハッチャけ感が乏しかったのがショー評価の分かれ目となった気がする。サラはベテランシャンソン歌手らしく、要所要所を締め、流石に貫禄充分、ハッチャけの重石として機能、茶沢の仏具やおもちゃを使った音響パフォーマンスは秀逸。これははっちゃケていた。まちおかの何となくニュートラルな表現も、劇場支配人役も質実な演技でグー。アイドルマネージャー役も難しい憎まれ役をキチンと演じていた。腹ペコのおっさん役は台詞回しがグー。



ロング・タイム・ノー・シー

ロング・タイム・ノー・シー

ナイーブスカンパニー

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2022/02/02 (水) ~ 2022/02/06 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

江刺家伸生氏 日向みおさんの回を拝見。華4つ☆

ネタバレBOX

 板上は極めてシンプル。ホリゾント中央にスクリーンになる幕が垂れ、板に接した所から客席側へバージンロードのように延びている。下手、上手に椅子各一脚がシンメトリックに置かれており上手に女、下手に男が座る。上演は二人の間に交わされた諸々の情報が恰も互いの日記か手紙のように積み重なる様を朗読形式で為される。「バージンロード」風の敷物の上には円筒形の透明ガラス容器に花が活けてある。
 序盤、如何にもポストモダン、即ちかつて哲学が目指した真理や普遍性の探求ではなく寧ろ枝葉末節や中心性を欠いた思惟のレベルから先行哲学を揶揄・否定的に観、矛盾や錯覚、不完全性や非確実性を論理の俎上で並立させる為のソフィストケイトを多用、結果殆ど内実を伴わない表現様態を呈する哲学的様態によって変容させられた時代の言葉が乱用される。この表現が、当に我らが生きる現代の人間関係を浮き彫りにして見せる。当然の事ながら内実は、出会った当初の男女間の実に凡庸な、誰でもそのような経験をしてきた男女間のよしなしごとが、いやにソフィストケイトされた言葉によって描かれる。
 ところで、今作はその凡庸が、極めて特殊な互いの事情によってドラスティックに突き崩され、互いの裸形に近いレベル迄己の内実を曝け出し得た点にあろう。女は心を折った経験を持ち、その解決法を何処かで求めて足掻き、男は大きな2つの「嘘」を抱えて女に対していた。互いに逃れられない因縁のようなものを引きずり乍ら、因果の頸城の持つ縁から脱却し切れない。だが男について行こうとした女は、自分の答えがこの男には無い事を知り、答えを持つ男との結婚を選んだ。3年間の男女の一筋縄では行かない関係を描いて面白い。
チョコレート哀歌<東京公演>

チョコレート哀歌<東京公演>

ノラ

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2022/01/27 (木) ~ 2022/01/29 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 2人称世界作品。

ネタバレBOX

 板中央に白い様々なサイズの箱を用い、前後のセンターに上り下りの階段を付けた大きな壁を設えたオブジェ。上手にも階段状の構造がありこちらは左右方向、下手のそれは前後で上りのみ。開演前には自動車の通過音が聞こえているが、開演と共にその音は聴こえなくなる。尚、壁部分には模造紙が貼ってあり、絵を描けるようになっている。登場人物は若い女性2人、幼馴染の設定。
 オープニング、暁闇の中、車の擦過音の代わりに溜息のような音。若干受け身の生き方をするユキの台詞が入るがこのタイミング、間の取り方が実に上手いので、演技が自然体に見え、若い感性の瑞々しさが直接的に観客に伝わってくる。脚本の何とも言えない揺らぎのようなものも、若い感性の性質を良く表している。
 これに対しユカリは、折り紙で花を作ったり、絵を描いたりが大好き。こういうことをするエネルギーが横溢しているが、友人関係の齟齬で傷つき易く脆い側面を持ち合わせるアーティストタイプ。当然解放感、自由の虜であるから、自由であろうとすることには極めてアグレッシブである。宇宙の広大無辺・無窮にも想像を馳せ惹かれる。学校でいたずら書きを咎められ大人の枠に嵌った論理で叱責されると、学校へ行く気も失せてしまう。そんなこんなでユカリは学校を休むことが増えた。
ある時、2人は高い所に上りユキが流れ星を観た。ユカリが願い事をしたか、と尋ねた。この夜2人は、様々なタイプの惑星に想いを馳せ、遂にユカリは落書きをどんなにしても怒られることも罰を受けることも無い星に暮らすことをリアルとして想像してしまった。そしてその時、自由の正体即ち禁止や不自由無しに自由は有り得ないという自由の性質を知ってしまった。そしてユカリは幼馴染のユキの下から去ってしまった。
 残されたユキは、無関係な人間ではなく幼馴染が去ってしまったことによって無限の寂謬と痛切な憂いに沈む。宇宙といい、2人称の関係性といい、逢えなくなってしまった別れといい、どこか「銀河鉄道の夜」のジョバンニとカムパネルラを想起させる作品だ。
チェーホフも鳥の名前

チェーホフも鳥の名前

ニットキャップシアター

座・高円寺1(東京都)

2022/01/26 (水) ~ 2022/01/30 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 時代の画期をもっと明確に示さないとインパクトが弱い。内容的には四幕ものなのだが、演出でも脚本でも上記の点が弱い。

ネタバレBOX

 原因は、チェーホフの捉え方、賢治の捉え方に天才たちの抱える地獄を見て居ない点だと考えるが、この傾向は、休憩前の2幕分に特にハッキリ出た。上っ面をなでているような印象を持ったのだ。休憩後、多少実存的に集約されたが、戦争が身近に迫っている状況との関わりの為だ。
 ホリゾントにスクリーン。オープン時には板上中央に簀子式の平台を据えその中央部に横長のテーブル、テーブル左右と奥に椅子が据えてあり、テーブル上には酒瓶。食器等が各椅子の前にセットされている(場転で平台の上のレイアウトは変わる)何せサハリン(樺太)の19世紀後半から20世紀後半に跨る100年以上の歴史物語なのだ。
 板下手には生演奏用の大きさ、形の異なる多くのタムタム、木琴のような楽器、貝殻を繋いだガラガラのような民族楽器等と横笛(篠笛かも知れぬ)他名前の分からぬ楽器多数、楽器の置かれているのは絨毯の上、少し離れてギター、3名のミュージシャンが生演奏をしてくれるが、女性はボーカルも担当、宮澤賢治作曲・作詞の歌等を披露。こんなに美しい声で賢治の作曲・作詞の歌を聴けるとは思わなかった。賢治は大好きな詩人なので今迄それなりに生の歌唱は聴いてきたが今迄聴いた賢治曲の歌唱では最高のできであった。
 歴史的な激動に翻弄されたサハリン(樺太)は、元々樺太アイヌ、ギリヤーク、オロッコ等の北方民族が住む一種のゾミアであったから倭国(日本)や大陸(ロシア等)と交易をしていて国家という概念には当て嵌まらない島であった。だが欧州の影響を受けロシアも日本も近代国家としての体を為してくると南下するロシアと間宮海峡を発見・命名した日本の対峙する最前線となった。この島の悲劇の始まりである。以降帝政ロシア・ソ連VS江戸幕府・大日本帝国・日本との争奪戦の最前線となったからである。何れにせよこの島が近代の影響を受けるようになって以降は、先住民以外に日本人、ロシアの島流しにされた囚人{主として移住囚(汚職等凶暴な犯罪を犯した訳では無い者)と懲役囚(重犯罪人で更生の見込みが無いと判断された者達)に分けられ、懲役囚は鎖で両手を拘束され炭鉱労働に従事させられた。}、大日本帝国に植民地とされ、日本国籍や創氏改名を強制された朝鮮人等様々な人種が住んで居た。当然、言語も多様なら肌の色、目の光彩の差、髪の色も多様であり、婚姻に関しても他民族との結婚が多かったと思われるのは、作品化されても不自然な感じは全くないことから想像できる。無論社会的ヒエラルキーの差から身分差、教育程度の差、貧富の差等は出て来るし、差別・被差別問題もある。然し現代日本で起きるような陰湿性は無い。また極めて興味深い点が、チェーホフや宮沢賢治がこの島を訪れた史的事実が在ったことである。

おつかれ山さん

おつかれ山さん

ことのはbox

シアター風姿花伝(東京都)

2022/01/26 (水) ~ 2022/02/01 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 Team葉を拝見

ネタバレBOX


 舞台美術は一見した所職員室、ホリゾントに4つの扉。うち下手の扉が出捌けに用いられる。少し客席寄りの天井から太い梁が左右に延び上手の側壁に至っている。上手側壁の真ん中辺りに開口部があり舞台美術が教員住宅の一室として機能する場合にはホリゾント側がこの教員住宅の玄関、客席側にキッチンと洗面所があるということになり開口部が出捌けに用いられる。下手側壁客席側には樹木型の衣装掛け、その手前にソファとテーブルがあり主として主人公の山口の自宅リビングとして用いられる。この壁の奥には大きな本棚。
 板上手には、各教員の机、ホリゾントに一番近い机は教頭用で客席に相対し、教頭席に直交するように各教員の席は配置されているが、山口や教務副主任の机上は書類や本が堆く積まれており、心臓の悪い佐々木の席や教員労組員の机上には対照的に殆ど何も無い。無論このことで美術的にも各教員の忙しさを表現しているのである。登場人物は総て庶民感覚のキャラクターなので実際日本の縮図を見ているようだ。
 少し理屈っぽいことを謂えば、本来学問の府としての大学教育は思考の自由と真理探究の場として市民が創設、運営してきたものであるから独立・自治が当然の権利であるが「公教育」とされるものの場合は国家なり何なりの利害と戦争に役立つ画一的な人間を作り出す為に為されてきたという歴史的経緯が存在する。殊に1972年以降日本の教育現場は大きく様変わりして来、現状を迎えている。それは自立思考し得る市民が殆ど存在しないこの国の社会を増々泥沼化し沈潜させていると言えよう。その最前線に立つのが真面目な教師たちである。真面目でまともであろうとする者ほど、重責を担わされ押し潰されてゆく日本の現状を教育現場という設定で描いた今作は、多くのお笑いネタを組み込みながらも主張は唯一つ、ラストで山口が呟く異様なまでに美しい詩的台詞に込められていると観て良いだろう。体制の内側から何とかしようと頑張る人々の苦渋を描いて胸に迫る。
ガラテアの審判

ガラテアの審判

feblaboプロデュース

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2022/01/20 (木) ~ 2022/01/26 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 ベシミル。約2時間の緊迫の対話劇。流石feblabo
華5つ☆

ネタバレBOX

 劇場入口を頂点Aとし入って左奥をB、時計回りにC,Dとする。ACの対角線上に裁判官席その手前下手に検事席、中央に被告席、上手に弁護士席。中央の被告席は観客と相対し、検事席・弁護士席は被告席を真ん中に挟む形で机が直交し検事と弁護士が真っ向から対峙することを舞台美術上でも表現している。これらの手前客席側に黒い真四角の証言台。会話の醍醐味をこそ重視した内容の作品なので出捌けは1カ所にして観客が台詞に集中するように演出されている。無論、観劇しやすいように3段重ねのAD側客席は半身ずらしに調整されている他CD側は1列のみという心遣いも有り難い。また、出捌け口の横には白い箱馬が一つ。裁判官席上手にはかなり背の高い鉢植えが据えられ、下手にも植物が見える。これらは、事件を起こしたアンドロイド・ジャックが花を愛していること、もう1体登場するアンドロイド秘書官も同様でありアンドロイド自体の持つ優しさと非暴力性がそこはかとなく示唆されている。
 さて、事件は一見残虐である。ジャックが7歳の少女をスコップで殴り殺し、死体を自分の住む地下に遺棄したというものであった。シンギュラリティ―を越えたかに思われる程技術の進歩は目覚ましくアンドロイドはその思考・指向性共に人間に限りなく近づいておりジャックは時代の最先端技術の粋を詰め込んだ試作機、市場投入前の最終テスト段階にあって研究所と関係のある家庭に配備され日々の最終チェック中であった。
 史上初のアンドロイドによる殺人事件は世間の注目を浴び、技術の進歩には到底追いつかない人間は、アンドロイドを裁こうとするが。そこから見えてくるものは・・・ 
東京卍メロス

東京卍メロス

E-Stage Topia

ザ・ポケット(東京都)

2022/01/13 (木) ~ 2022/01/18 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 役者陣は可成り動かなければならない作品なのでちょっと大変だろう。登場する役者に誰一人メタボの人が居ないのもそれが理由か?

ネタバレBOX

 舞台は二段構え、奥の板へ上る為の構造物はシンメトリックに設置された踊り場付の矩形。外側に階段、内側に大型骰子の形をした正四角錐が各1個据えられ手前の板上はフラットだが、表面には赤い直線が交差するように描かれている。無論これは俗説にある“運命の人とは赤い糸で結ばれている”という言説を示したものだろう。ホリゾントの壁面、側壁には阿弥陀籤の線分をばらしたような幾何学文様が所々に描かれている。ホリゾント中央、手前の板の上・下手に出吐け。
 ギャグを多用して笑わせようとするシーンが多く、太宰の「走れメロス」の持つストレートで緊迫し、力強く真摯なシーンが描かれるのは終盤に入ってからだが、其処迄引っ張るギャグの質はチト自分の気には入らなかった。何となれば余りに下世話で読めてしまうものが殆どだったからである。八王子の街を仕切り兎に角、友情だとか恋愛だとか他人と仲良く濃い人間関係を作る者達に暴行を加え街の人々の笑いを奪い恐怖を植え付けて支配しようとする人物が何故そのようになったのか? についても即座に正解が見えてしまう。余りに浅い社会・人間分析はもう少し工夫が欲しい所だ。評価できる点はLGBTQ等の問題を作品に上手く溶け込ませ、そこからもギャグを引き出している点だ。
 結末がどうなったかは観てのお楽しみ。
怪勿 - monster -

怪勿 - monster -

The Vanity's

小劇場てあとるらぽう(東京都)

2021/12/28 (火) ~ 2021/12/30 (木)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 チームは全3チーム。3名の女優が各チームで別の役柄を演じる。つまり各女優がトータルでは、総ての役を演じる訳である。ちょっと珍しい挑戦だ。自分が拝見したのはBチームだが、こういうコンセプトで作られると他のチームも拝見したくなるのは事実だ。

ネタバレBOX


 音楽劇というコンセプトに恥じない現代音楽風の作曲・曲想・奏法と登場する3名の女優さん達の歌の上手さに感心。舞台美術は書き割を用いて公園を囲む塀と中央に1本大きな樹を作り、下手奥のコーナー部分に階段式ピラミッド風の3段のオブジェ、やや客席寄りに側壁から衝立状に延びた書き割を設えて出吐けとし、その更に手前に木製ベンチ。上手奥にはスタンドピアノ、客席寄りに天井からブランコが下がっている。
 物語は養護施設・希望園園児だった仲良し3人組の女子(ミホ・マリア・ミサト)の離園後の20年を描く。3人は2001年12月30日に10年後集まろうと約束した。そして10年後の自らに宛てたメッセージを書いてタイムカプセルに入れ、埋めた。10年後廃園になった希望園跡地に創られた公園に集合した3人は20歳になっていた。而もミホは12月30日が誕生日とあってマリアは悪ノリして大分酔い、ミホに酒を強要している。何れによ20歳の集まりでは自らの今後に対する抱負を述べたりまた10年後に集まろうという話をし新たな自分宛メッセージをタイムカプセルに収めた他、子供時代にした遊び・缶蹴りや腕押しごっこ等をする中で養護施設での彼女らの愉しみや3人3様の個性差が描かれる点も上手い。ところで楽しく過ごす彼女らの宴の真っ最中、ミホの携帯に電話が入った。母からであるという。席を外した彼女は戻るなり皆に迷惑掛けてはいけないから帰ると言う。ここで今作のタイトル・怪物の正体がミホの母だということが分かる仕組みだ。彼女の母は毎週教会へ彼女を連れていっていた。昼の母は優しく、夜の母は虐待する母であった。虐待内容は髪の毛を掴んで引きずり回し、殴る、蹴るの暴行を加える、煙草の火を腕に押し付ける等で、この虐待が原因で彼女は希望園に入所したのだ。偶々その後母の容体が良くなったと医師のお墨付きが出た為、母の下に戻ることになったのだったが・・・。
 母は美しくスタイルも良かったが、教会へ行くのは客探しの為であった。また虐待の原因については言及されていないものの、ミホを育てる為に自分が売春をしていることの遣る瀬無さがあるのではないかと想像できる。
その次のシーンでは大きな樹を回って各自が為したこと目標達成等が順に語られるが、態々大樹の周りを回っての報告は年輪をイメージさせ、時の経過を表している。この経過報告でマリアは大学時代の目論見通り可成り条件の良い結婚をゲットし、ミサトは渡仏してデザイナーの道を歩む等かなり開けた状況が伝えられる。
 さて更に10年が経過した。2021年12月30日、同じ公園。ミホは「私お母さん殺してきた。怪物殺して来た」と告げる。原因はこの10年、彼女は地下室に監禁されていたのだが殺害当日は彼女が自由に行動できる日という約束をしていたにも拘らず母がその約束を反故にし外出させなかったことにあった。この10年の間に母は醜く太り美貌も衰えその職業はミホに代替わりさせられていた。虐待にも監禁にも恥じを忍んでの売春にも耐えて来たのは10年にたった1日の自由を得る為であったのに母は裏切った。これに激高したミホは偶々転がっていたカッターナイフで母の首を襲った。

 ところで、この衝撃の告知の前、先に公園に来ていたミサトは、マリアが語る在り来たりな幸せ話に疑義を感じる、彼女の肌の荒れもミサトの疑義に理があることを示唆した。いつも受け身で自らの判断で生き方を選ばず、それが可能であったマリアの生き方は決して幸福ではないと、メディアにももてはやされパリでも注目されるミサトを羨み遂にはミサトが養護施設に居たことをカミングアウトしたことを攻撃するに至る。マリアは、既にそのような階層の虜となっており、プチブルの気取りや精神的退廃に安住している。その背景には子供が出来にくい体質らしいという認識があり、嫁ぎ先の両親からも夫からも責められ続け針の筵という状況があり、自分に責任があると感じて卑屈になっているが故にアイデンティファイ出来ない為夫に問題があるかも知れない点については一切触れられない点でマリアの限界が露呈されてもいる、更にミサトのように表現する者の原点には不幸が蜷局を巻いていることもマリアが気付くことは無い。

ゆうきが たりない‼

ゆうきが たりない‼

劇団森

早稲田小劇場どらま館(東京都)

2021/12/25 (土) ~ 2021/12/27 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

 う~~~む。

ネタバレBOX


 舞台美術は基本的に書き割り。ホリゾントに近い方から城の銃眼壁を具えたような壁面、天井からも似たような構造のオブジェが下がっている。その手前に矢張り小振りの書き割りを置いて通路・出吐けを取りその手前に丈の低い壁が上手・下手に各々1つずつシンメトリックに設えてある。因みにこの壁の真ん中辺りに切り込みがあり潜り抜けられるようになっている。更に客席に近い部分はフラットだが、勇者の良く通う酒場のシーンでは木製のがっしりしたテーブルと矢張りしっかりした作りの木箱が設えられる。
 大学生の創る作品としては幼い。登場人物は勇者、魔王、酒場のマスター、勇者の友・ユウ、勇者に助けを求める村の娘・リン、最も弱い魔物・スライム等だが、各々のキャラには深みが無い。まるでゲームに登場する唯役割だけで機能するキャラという創りだ。その意味で見事に表層的な作品である。察しがつくと思うが描かれているのは情緒的な揺れと設定されたキャラの、同じく深堀りはされない役割及びメンタリティーである。中心的なテーゼは、ヒトが争いを止める為には絶対的強者が一強支配することが正しいか否か? についてでこのテーゼを深堀りすれば面白い作品になるとは思う。
はらいそ少女解脱教

はらいそ少女解脱教

早稲田大学劇団木霊

劇団木霊アトリエ(東京都)

2021/12/23 (木) ~ 2021/12/25 (土)公演終了

映像鑑賞

満足度★★★★★

 上質な作品。配信を拝見したが、良い出来であり、制作からの案内も丁寧で良心的である。

ネタバレBOX

天国や楽園を意味するキリシタン用語・パライソ(パライゾとも表記)ではない。この点にも引っ掛けというか捻りが加えられている。舞台は通常の板上に以下に説明するセットを組みその側面及び背後を袖・通路として用いる。
演劇空間としてのホリゾント下手には高さ2.5m程、幅6m程の大きなパネルが立てられているがこれは壁。その表面には大災害(大地震)によって崩壊したと思われる都市の高層建築等が映り込んでおり、その上手に先ず槐色、次に白の布が天井から板面迄下げられて、裏の通路への目隠しとして機能している。壁の手前にはLの字を右方向に90度回転させ丁度階段の踊り場のような敷石を最高3段に重ねたような石積みが設えられている。当然のことながら、最も高い部分へは、階段になった部分を上ってゆく。L字のコーナー部分のみ、少し高めの段が置かれて居る為、最上部へは2段になっている。

物語は、地球が終わる頃という状況設定。どんな集落も子供は殆ど生まれずここに流れて来た子達の中にも最期の子供と称された者達が居る。子供達は眩暈や吐き気等体調不良を抱える者も多く既に彷徨う他、即ち生きながらの死を唯日延べする以外の道は無いことを重々承知している、唯最終的破滅から逃れようと大人達が語って聞かせた“はらいそ”を目指し旅を続けているのである。最年少は15歳の少女・コユキいつも地べたに絵を描いている子である。偶々やってきたこの地が多少地面が高く、地層が安定し、安全で何とかなりそうだと長居しているうちに旅する大人・ラウルに出会い、彼の持っていた刷毛と顔料を用いて壁に壁画を描いている。因みにラウルは文章を書く人間だった兄の書物を持ち歩いており、朗読して聞かせるが、それは既に亡くなっていると思われる兄への鎮魂の儀式のようである。他に星に極めて高い関心を寄せる少年・アスカ。極めて明晰な判断と合理的で人間性に富んだ対応からリーダーを務める17歳の少女・キキョウ。サブリーダー格で父母の踊るダンスを観て感動し自らも踊りの中に落ち着ける時空を見出しているヒカリ。聡明だが、彼女も眩暈に襲われる。表面的には憎まれ口ばかりきき皮肉屋で素直ではないと取られがちなイズミ。実は大変に感性が鋭く傷つき易い為、棘を持っている。彼女も薬を飲まなければ眩暈に襲われてはらいそ行きも危ぶまれている。
脚本は、曇りの無い目で見たら必然的に今作の描くような世界が近未来に訪れるといった内容だ。真っ直ぐ、自分及び自分達の問題だと捉えている所が良い。また、オープニングで流れる賛美歌のような歌唱、この時の照明、進展する劇中で使われる音響・照明も実に効果的だ。ラストは、当然予測がつくが、矢張り舞台上で表現されるとグサリと突き刺さる。このような結末に逢着しない為に何が我々にできるのか? どのように実現するのかについてもプライベートラーニング等も考慮しつつ解決策を模索したい。量産・大量廃棄を初め現行の世界システム・制度自体非常に大きな問題を孕んでいるのだから。
¡LOS CASCABELITOS con 芋洗坂係長!

¡LOS CASCABELITOS con 芋洗坂係長!

大野環フラメンコアカデミア 「EL ANILLO」

タブラオ・フラメンコ・ガルロチ(東京都)

2021/12/20 (月) ~ 2021/12/20 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 会場は伊勢丹会館6Fにあるガルロチ。(華4つ☆)

ネタバレBOX

以前はスペイン人がフラメンコを踊っていたそうだが、Covid-19の影響で一旦閉店していたそうだ。今回は別のプロダクションが関わっての開催。フラメンコダンサーは全員で4名、総て日本人ダンサーである。楽器は生演奏が入って中々ご機嫌な演奏・歌唱であったが、皆さん日本人かアジア系だ。この面々にお笑い芸人が1名という構成。
 オープニングは全員参加のコントと軽い振り付けのダンサーたちのパフォーマンス、ここでのお笑いは余り自分には面白く感じられなかった。自分がTVを全く見なくなって7~8年になるが、その原因の一つとなった低俗と感じられるネタだったせいだ。尤も会場での笑い声は可成りあったが。次に音楽部門の演奏と歌唱。ギターは無論のこと、パーカッションや歌唱の実力は中々のもので楽しめた。次にコメディアン中心のメニュ。オープニングからの衣装替えがかなり目まぐるしく、座頭市スタイルで出て来て、仕込みから居合を真似る彼の脇をダンサーたちが身を翻して行く様は迫力もあり、刀を収める技量も中々良い動きをみせていた。その後、4名のダンサーがソロで各自の演目を踊ったがこちらも可成りレベルの高いダンスで楽しめた。衣装も各々が工夫を凝らし華やかだ。またかなり厚手の大きな布を蝶の羽のように用いて踊るダンサーも居てこの趣向は気に入った。ダンサーたちのソロが総て終わって全員でエンディングに入った後、アンコールに応えるかのように演出されたコメディアンメインの歌唱が入り、トリを飾ったが彼はフラメンコのステップを真似るような動きも見せて感心させた。というのもこのコメディアン、メタボが一番のウリなのでその体型で終始良く動いていることに感心させられたからである。座頭市をやった辺りから笑いのセンスも質の高いものに変えてきたので、ダンサーたちの華やかさとコメディアンの振りまく笑いと芸で楽しい催しになった。
 惜しむらくは、入場時の受付の対応が要を得ず先に待っている客をすっ飛ばして後から来た客に対応したりしたことである。
眠れぬ姫は夢を見る

眠れぬ姫は夢を見る

サヨナラワーク

劇場HOPE(東京都)

2021/12/15 (水) ~ 2021/12/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 出演は8名、全員女優さん。

ネタバレBOX

 地下アイドルグループの群像劇。舞台美術がグー。通常の板の中に正方形を45度の角度で嵌め込み手前のコーナー部分を削いで奥の2面を基底に壁を立ち上げてある。大小の矩形を貼って凹凸を付けた壁面手前には箱馬が3つずつベンチのように並べてある。無論、物語の展開に応じ、最初ベンチのように並べられた箱馬はばらされ様々に再構成されて色々な様態を表す。正方形を変容させた主舞台や箱馬は総て白。これはプロジェクト・マッピングを効果的に用いる為の条件だろう。色彩や文様が映されるが、単に文様として美しいというより、アイドル達の変容する心理や心の揺らぎを表象していると観るべきだろう。また女優達の衣装はライトカラーのものが多く、柔らかな感性や傷つき易さを表象していると思われる。
 物語はグループ結成辺りから人気トップの優羽に憧れ自分を変えたいとの希いから応募し入団した萌愛を中心に展開する。メインストリームは、メディアで取り上げられた襲撃事件と1年後の解散、襲撃事件被害者・萌愛の怪我と怪我回復後のトラウマに因る引き籠りを重石とし、弱小TV局アナウンサー故同時に記者・カメとしても働きつつ、事件を取材し報ずる(奈月)の報道を食い入るように見つめていた怪我の癒えた萌愛がそのトラウマの為「死んだふり」をし続け、遂には奈月への人格転移を引き起こし乍らも執拗に事件の分析に挑み最期には自己を取り戻し、解散十年後に約束された1回だけの復活ショーに至るまでの経緯約10年を描く。この過程で「私は貝になりたい」について触れるが、ちょっと鼻白んだ。「私は貝になりたい」が描いた作品の内実にあった深く極めて社会的な視座と今作の描いた分断された世界及び世界観では次元が異なると感じたからである。「私は貝になりたい」を持ってくるならその背景としてブルデューの描いた「世界の悲惨」(全3巻・1巻500頁以上)程度の社会観は背景に描き込まれ観客に感じさせなければなるまい。因みにブルデューは余りに極端な悲惨はこの本に敢えて載せておらず、それだけに単にフランス一国の問題としてではなく他の多くの国に当て嵌まる事例とその深刻さが如実に描かれている。このブルデューの世界観と対比される形で分断された孤独な世界が描かれていたなら素晴らしい作品になったと思うがこの点が惜しまれる。制作さんからのメール対応が非常に良かった点も評価したい。制作さんへの高い評価を加えて☆は4つとするが、脚本は☆3つ。
人でなしの恋

人でなしの恋

劇団テアトルジュンヌ

立教大学 池袋キャンパス・ウィリアムズホール(東京都)

2021/12/16 (木) ~ 2021/12/19 (日)公演終了

映像鑑賞

満足度★★★★

 中々ユニークな作り。観方を間違うと初め戸惑うかも。華4つ☆

ネタバレBOX

 2時間4分の作品。上演会場は大学内にあるウィリアムズホールだ。舞台は手前と奥に分かれ奥は2階部分という設定、上手に2階へ上がる階段。上がった場所は素通しで客が演技を観ることが出来るように夾雑物は一切ない。登り切って下手に板が渡され本棚、壺、箱等がホリゾントに沿って設えられている。下手壁の前には長持が置いてある。
 手前下手にテーブルと椅子3脚、上手には箱馬が2つ。テーブルではキョウコとその女友達2人が座って話す場面が多く、何度か母との対話の際に用いられる。下手で語られる台詞は総て現代日本で用いられている話し言葉を使用。上手は江戸川乱歩の小説の朗読。照明は殆どスポットライトのみが用いられ、他の部分は暗くて見えない。物語は下手での対話と朗読を交互に繰り返す形で終盤迄進み、江戸川 乱歩の原作をじっくり感じさせる中々効果的な演出だ。スポットによる照明を多用することで、観客の観る場面を焦点化し集中させている点で高評価できる。つまり照明、音響の使い方が非常に上手い。 
 殊に広い屋敷を持ち名家であるカドノ家に嫁いだキョウコが、婚姻後半年ほどを経てカドノの自分に対する態度がどこか疎遠になったような気がして夫の浮気を疑い、遂には嫉妬に狂った自分自身で秘密を暴こうと夫が自分が寝たのを確かめて毎夜通う離れの2階を調べるに至ったこと、何日も掛け、何度調べてみても決して浮気相手も何らかの証拠も見付けることができなかったこと、それ故、夫は幽霊と恋に落ちているのではないかとの妄想を抱く迄追い詰められていたこと。そんなに不安定な精神状態に置かれながらも嫉妬の炎に煽られ或る夜夫が離れへ出掛けた後をつけ、鍵が掛かって入れなかったものの注意深く様子を窺がってみると夫と女の恋語りの声が聞こえた。翌日夫の部屋から鍵を盗み出し離れの2階へ上がってみても女が隠れられる場所は長持の中しか思いつかない。生身の女がそんな所にずっと隠れて暮らす等ということは不可能だとは理屈で分かるものの、嫉妬に狂った状態では、まして鍵迄盗んで決行したからには後に引く訳にも行かない。遂に長持を開けてみると、その中に衣類等と共に箱に入った1尺ばかりの高さの少女の人形を見つけた。夫は幼少の頃偶々この人形を見付け恋に落ちた。知られてはならぬと離れの2階の長持に隠し恋した異様に美しい少女人形の下に、夜毎通っていたのである。キョウコはその事実に気付き人形を壊せば夫は自分の下へ帰ってくると考えて人形を殺した。だが夫はバラバラにされ殺された人形を発見するや後追い自殺をしてしまったのだ。彼が娶ったのも唯彼の魅入られた人形に似ていたからに過ぎなかったことが後に分かる。そしていくら美しいとはいえ、人形に夫を奪われる自分は何なのか? を自問する。どうやらそれはヒトではない現代のIT器機だったらしい。というオチが結論なのだが、格差社会に生き、人間扱いされない社会を生きる若者達の変身譚という具合に考えるとカフカの「変身」を読む時の不気味を覚える。
 ところで今作、最初の30分程は音声が無い。時々、通行人のような人々が少人数で舞台を横切ったりノートのような物を持ってフィールドワークか何かをしているような様子を見せたりはするが、この長い無音の場面を観ながら観客は「屋根裏の散歩者」を思い浮かべたり、窃視者のメンタリティーを考えながら徐々に乱歩の世界に入ってゆくことを期待されているような気がしながら観て居れば、これはこれで面白い。
疚しい理由2021

疚しい理由2021

feblaboプロデュース

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2021/12/15 (水) ~ 2021/12/22 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 約1時間の作品、Qチームを拝見しだが、役者陣の演技が素晴らしい。ドンデン返しが幾重にも仕組まれその度にドラスティックに変化する脚本をブラジリー・アン・山田さん、的確で周到な演出を池田 智也さん。(ミステリー要素を含む為、最終稿追記2021.12.21)

ネタバレBOX

 客席はいつもと異なり入口対面の客席は無く、板上は中央に大きくほぼ正方形に近い長方形の平台が右肩上がりに設えられ下手奥にやや長めの平台が出吐けから延び、上手には小さな正方形に近い平台が上手の出吐けに通じている。平台は総て赤、下手平台の上辺中央、真ん中の平台の上辺両コーナーとセンターに天井迄届く太目の柱が立ち上手コーナーの柱から客席方向に延びる辺の中程に細目の柱が立っている。各柱の間は赤い錯綜した紐が幾何学的に張られ、何やら不安を掻き立てるように或はやや疎に或は密に迫ってくる。紐の張り方に疎と密があるのは、起承転結及び結論が観客の判断に委ねられていることを表している可能性もある。客席から見て右肩上がりの中央の板上にはテーブルがこの板に対して斜めになるように置かれ、不安定感を醸し出している点も見逃せない。極めて優れた舞台美術である。因みにテーブルについている椅子は4脚。実際の登場人物は3名、他に話題に上る人物が2名。
 物語は新婚の綾乃の暮らす家のリビングで展開する。綾乃の夫はフリーのカメラマン。殆ど家には戻らない。現在妊娠4カ月で高校時代には演劇をやっていた。訪ねて来たのは演劇部の先輩・陽子とその紹介になる保険外交員・中西である。妊娠もし、出張がちのフリーランスのカメラマンということであれば、万が一ということも考えておかねば、というのが訪問の理由であった。陽子の演技力はピカイチでその才能の高さは演劇部の華、然るに綾乃は、という評価であった為、陽子は綾乃を子ども扱いしていた。オープニング早々、中西が披露した初歩的なトランプ手品に対する反応で綾乃の無邪気が見事に描かれる。また、訪れた陽子らに茶も出さない気の利かなさも描かれる。一方、陽子は2年前に夫を失くし後追い自殺を図るほど一時追い込まれていた。子供は居ない。然し、陽子に気の利かなさを指摘された綾乃が茶の用意をする為にキッチンに行っている間に陽子と中西の関係が明らかになってくる。彼らは男女の仲であり陽子は亡くなった夫の保険金4千万を受け取って安楽な生活を送っている、中西が夢見る鎌倉の海の見える場所に新居を持ちたいという夢を一緒に見ているという訳だ。
 綾乃が淹れた茶は、カモミールのハーブティー。精神を安定させる作用があるという。さて、茶を飲みながら話は保険に関わるものになってゆくが、様々なオプションを説明する中西に綾乃が応じたのは高額保険であった。それも掛け金は比較的安くなるが下手をすると数年間の掛け金が掛け捨てになるタイプの保険である。
 流石にそんな条件では、受け取る可能性が余りに低くなると心配した陽子が、他のオプションに変えた方が良かろうと説得に掛かるが、綾乃は1つ提案をした。「夫を殺して欲しい」というのである。嫌がる2人に綾乃は脅しを掛ける。2人が泊まったホテルでの写真を証拠として見せて。また、陽子の夫は自殺ではなく彼女が保険金目当てに泥酔させた夫を後ろから押しベランダから墜死させた事実、その後の彼女の狂言自殺迄。その狂言自殺の為手首を切った時に神経を痛め指に後遺症が残って上手く動かないことまで中西に告げたのだ。而も陽子は夫の背中を押した手の感覚がまざまざと残り何時迄も消えないと言い、不眠症に陥っていることも告げていた。中西は彼女の手のマヒには気付かなかったと言うが。何れにせよ陽子・中西カップルは窮地に追い込まれる。中西、陽子2人の対応は分かれる。中西は保険は受け取れるよう手伝うが殺人自体には関わらないことを示唆し、陽子は殺害を承諾する。このように緊迫したシーンが連続することで今作はサスペンスとして極めて緊張した舞台になっているのだが、通常最期に解ける謎の解は観客に委ねられて終わる。
 ところで“チェーホフの銃”という言い方を御存知だろうか? 「もし、第1幕から壁に拳銃をかけておくのなら、第2幕にはそれが発砲されるべきである。そうでないなら、そこに置いてはいけない。」とチェーホフが言ったとされることから、舞台上に現れた総ての道具も作品展開に関係しなければならない、と解釈されていることを指す。先に述べた通り今作では最終結論が作品に描かれない。即ち観客に判断が任されるという形で幕となる。この幕切れを如何様に解釈するか? という問題である。もしチェーホフの銃を援用して解釈するなら、テーブルに付いている椅子の数が4脚であることを考慮した方が良かろう。上演中に使用されるのは3脚のみだ。話題になる人物は登場人物以外に2名いる。既に亡くなった陽子の夫と殆ど帰宅しない綾乃の夫である。つまり4脚目は綾乃の夫を暗に示していると取り今後陽子が綾乃の夫を殺害し、中西が保険金を綾乃が受け取れるように手配すると取るのである。
 然し乍ら、この見解にも反論できるシーンがあった。陽子が左手の指がマヒしていないことを示すワンシーンが挿入されていたことだ。然るにマヒしたのが左手だとは示されていなかったので、これも確定要素ではない。これら総てから舞台上でされた表現総ては、創作された作品中で仕掛けとしての演技として機能している可能性があるということである。私の記憶が正しければ、つまり描かれたことをベースに判断できないように作られている。ということは、今作のテーゼは、作品を通して解を得ることではなく、虚実の皮一枚の被膜を描くことこそが演劇なのではないか? との主張、即ち演劇作品による演劇のメタ批評ということになるのかも知れない。
サド侯爵夫人

サド侯爵夫人

遊戯空間

銕仙会能楽研修所(東京都)

2021/12/11 (土) ~ 2021/12/12 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 観て慄然とするような舞台。華5つ☆ 幕間に休憩都合2度。総計215分。随所で二十五弦筝の生演奏が入るが、恰も現代音楽のようなその演奏は、物語りの内容にピッタリマッチし実にレベルの高い見事な演奏である。追記12.24

ネタバレBOX

三島由紀夫の三幕作品だが、幕間に10分の休憩が1度ずつ、都合2度入る。台詞は原作に忠実だから内容は読んで貰うとして主役のサド侯爵夫人を能面を付けた篠本氏が演じる他、彼が演出・美術も担当している。出演俳優は総勢6名、他に二十五弦筝奏者・多田彩子さんが入る。篠本氏以外は総て女性であり、筝の奏者が黒い衣装である他は総て白装束である。
演じられる場所が能舞台なので客席は当然正面と脇正面の二カ所。鏡の間から出て揚げ幕次いで橋懸かりを通り本舞台へ出て演ずる能の形式を踏襲した演出であるのは、主演のサド侯爵夫人・ルネ役/篠本賢一氏をはじめその母モントルイユ夫人役/坂本容志枝さん、及びシミアーヌ男爵夫人役/花柳妙千鶴さんが観世榮夫さんが主宰していた私塾・「ヒデオゼミ」で共に学んだ門下生であり榮夫さんご存命の間に能を直々に教えられていたからである。登場の際のすり足での移動は見事と言う他無い。観ていてこちらが慄然とするような歩きであった。キチンと歩けなければそれ以外の動きが総てワヤになってしまうほど歩くという行為は大切な行為である。篠本氏以外の演者は能面を付けずに演技したが、能面を被っても篠本氏の台詞は総てキチンと通り恰も面等無いかのような明瞭で切れのよいものであった。今更言う迄もあるまいが、通常の能上演では筋の多くは上手に座す地謡座がかバーするが、今作では三島の脚本通り膨大な量の台詞を総て役者が喋り抽象度の高い演技で演じてみせた。抽象度の高さは能の本質を踏まえての演技と考えられる。
 舞台正面の鏡板は無論目立つから誰詩も気付くが、上手で直交する切度に竹が描かれていることは案外知らない方も多いようだ。ところで今作では橋懸かりや目付き柱、緋色の布に覆われた階、地謡座の後ろにある桟に這わせた紅薔薇と鮮やかな茎の緑が、ジェンダーギャップに耐える女性の苦悶と苦悩を、またサド侯爵によるサディズムを象徴するかのように巻き付いている。1種類の花によって2つの事象を象徴する発想もこれを紅薔薇で表現するセンスも見事である。この舞台美術によってマルキ・ド・サドとルネの親近性と薔薇の棘を通じた非一体性をも象徴していると言ったら穿ち過ぎだろうか?
ところで最終部分でシミアーヌ夫人はルネをルネ様と呼んでいるが、修道女としては彼女の方が先輩に当たり年も上、爵位では劣るもののこの尊称は矢張りルネの被った痛みと苦悩を通して彼女が至り着いた地点への尊敬を表していると観ることができよう。また脚本で三島のレトリックが見事であればあるほど、逆にその事実が三島の抱えていた空虚を意味すると思われる。そのように捉え得る根拠として、今作は主要登場人物の誰一人として得るものを持たないという終わり方をすることを挙げたい。サド自身は幻想の制度をその特殊なサディズムとして樹立するが、好みの異なる者には何の意味も無い。エスの一部に過ぎないからであり穿つ穴も深いが狭さは免れないからだ。そしてその果てに在るものは空虚に他なるまい。そう言って悪ければ単なる幻影にすぎない。ルネを失い、ルネは立つべき根拠を失う。そして向かおうとするのは別次元の空・神或は信仰である。他の登場人物は、所詮俗社会の住人だ。このように解釈することによって今作を芸術の域に留め、我らは日常世界に回帰する。いくらかの疲れと無常の感覚に掴まれたまま。この感覚が観終った直後に感じた同じ三島の作品「宴の後」に似ているのかも知れない。今作はこのような形で我らの生きている実世界と虚構や芸術の世界との内的な差異を際立たせる契機として上演されたと観る。
溺れるように走る街

溺れるように走る街

吉祥寺GORILLA

劇場HOPE(東京都)

2021/12/09 (木) ~ 2021/12/12 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

 自分には響かなかった。

ネタバレBOX

 本当に溺れてるね、ナルシシズムに! 街全体がそうだとしたらこれは大問題だ。今現在自分もラジオを良く聞くが、聴いている番組は実に面白いと思う番組であるのに対し、申し訳ないが心に響くものが殆どなかった。
 ストーリーは、お笑いコンビ・ダブルマインドの受け持つラジオ番組「暴走三輪車」のスタジオを中心に展開する。リスナーの投稿に応えギャグで応じ曲を掛けるという良くあるタイプの番組であり、何時放送中止になるかギリギリというレベルの番組だ。ここに投稿するリスナー達の抱える悩み、ダブルマインドのツッコミ・小林の提起したコンビ解散問題での小林降板問題、ピンチヒッターとして出たお笑い芸人の先輩・矢野とその妻・美智子とのつつましい私生活を織り交ぜつつ先輩として「コンビは解散するな」との篤いメッセージを生でオンエアする見せ場や、眠れない女子大生・沙弥加の不眠症の原因が「翌朝起こして」と頼まれていた時刻に寝坊して起こすことができず、結果姉・真理の起こした脳の発作から時間が経った為、ミュージカル俳優だった姉に障害が残りステージに立てなくなったことが描かれるが、ギャグの内容や選曲、普遍性を感じることのできなかった沙弥加の悩みの原点などに入り込めなかった。原因は普通才能の優劣で悩むのはボケの方だろうと感じたことや沙弥加の悩みにリアリティーを感じられなかったこと等か。

このページのQRコードです。

拡大