ブレスレス【7月15日~25日公演中止】 公演情報 燐光群「ブレスレス【7月15日~25日公演中止】」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

     若干、空席あり、華5つ☆ ベシミル!(追記7.2813時42分)

    ネタバレBOX

     明転すると、其処は両側壁、ホリゾント総ての壁面を隠すように堆く積まれた黒い大型ごみ袋の堆積。ヘリコプターの旋回音に被さるように直ぐ脇の高架を走り抜ける総武線の容赦ない轟音、如何にも無防備、無計画都市・東京といった趣だ。その塵の堆積のど真ん中で不可思議な音響に顫えるように徐々に伸びるゴミ袋はその上部のみ別の震えを示している。と、ぬっと現われる頭部。魯迅の「鋳剣」のように首が互いに噛みつく訳ではないし名刀の話でも、無い。寧ろシェイクスピアの「リア王」をある意味下敷きにした作品である。と同時に自分のような年寄りには今作初演の約10年前に起こった‟イエスの箱舟事件“がダブった。お父さんと娘たちの関係が観劇中ずっと千石イエスと支持者であった女性たちとの関係にダブって見えていたからである。
     何れにせよ、日本の現在の体たらくの根底にある、明治期以降に限っても勝海舟への極めて意図的で不正確どころか歪曲を極めた体制側為政者の「批判」の内実は、卑怯、悪辣、無定見、無能を糊塗してきた歴史であり、それが貫徹された様がアカラサマに観て取れるからである。結果、現在あらゆる公共交通機関や自治体で垂れ流される単に実質騒音でしかないお節介がまかり通っており、首都東京の街創りにしても無定見がそのまま形になっている。その結果、我ら其処で暮らす住人のアイデンティティーはどうなったか? 頭部だけ出した人物が、己をアイデンティファイし得ぬ存在と化していることから明らかなように、自分が何者で何故ここにこうしているのか皆目分からない、という最早滑稽と呼ぶしかない破綻を齎しているが、そのことに気付く者すら殆ど居ない。
     今作の眼目は、当に現代、この存在の根底を失った「国」に存在する総ての我々「日本人」の不如意の根に蟠踞する存在のアヤフヤを提示した。
     と同時に自分の頭で考えることを放棄した大多数の我ら日本人の裸形をも。この提示の正しさは、物語の進行と共に無論更なる展開を見せる。
     同時に、このような無定見の犠牲となった多くの女性達の魂の拠り所となっているパパと娘たちの観る苛烈だが異様に美しい夢、この塵の街区に、その総ての穢れを清めるが如くに降る雪への希代な夢の実現の美は、演劇ならではの美を実現して見事である。
     さて、ここでもう少し分かりやすく今作の構造を自分の見立てとして示してみよう。物語の柱は、坂本弁護士一家失踪・殺害事件、先に挙げた千石イエス事件、また人間生活の証拠としての塵(これはあちこちに残る貝塚等をみても明らかだろう。異なるのは自然に戻る塵か否か、その内容の相違である)。
     32年前に一般的であった黒い大型塵袋は、中身が不可視であることで様々な問題も生み出していた。収集に携わる人々が塵袋を収集する際、中に入っている硝子や串等で怪我を負うリスク、犯罪に関係したかもしれない器物・証拠等が塵として不可視の状態で廃棄されてしまう可能性等。こういった負の側面の齎すイマージュの所為もあって、優れた作品がその本質的イマージュによって時に未来をも予見してしまったようにF1人災によって多用され、管理の不備や簡単に予測できた不完全性から流失や破損等が大きな問題となったことは、読者の記憶にも残っているであろうフレコンバッグに重なるのである。無論、これらに共通する臭い物には蓋的な不可視化傾向に気付く人間達から見ても黒い大きな塵袋は、フレコンバッグに重なるのは必然だ。
     ここで坂手氏の脚本の基本にある能にも触れておく。所謂世阿弥が大成したとされる複式夢幻能では、この世に無い者達と現世に在る者との対話・交感が可能である。第35回岸田戯曲賞受賞の今作に於いても坂手氏は既にこの根幹を作品に取り入れていると観る。その証拠にパパは、遺体の腐敗を防ぐ巨大な冷蔵庫を普段の棲家としているのであり、それが置かれているのは都会の何処とも確定されないが何処かであることは間違いない片隅なのであり、一部は、合法的に塵収集が公的に担われるエリア、他の殆どの場所は違法に捨てられた塵の集積地に過ぎない「異空間」であることに注意したい。パパの寝ている冷蔵庫は違法塵の山で覆われ通常は不可視であるが、集会の際だけ娘たちと僕(しもべ)・タドコロの前に現れる。ところで塵が塵になるのは、ヒトから塵と判断されるからであって不要・無用とイコールでは無い。要・不要の境界が曖昧なのである。而も登場人物達も殆どが死者、生ある者、それを繋ぐ複式夢幻能の齎す重ね合わせの世界に属している。これは量子物理学にも繋がる世界観であろう。掛かるが故に今作はラストで春の雪が降るのである。而も深読みすれば、また優れた作品の齎す予知によってF1人災をも予知していたとするなら、F1人災を通して改めて想起された被ばく問題を通し、この雪は雪のようにも見える死の灰と解することさえ可能であろう。我らの生きる現在は、このように我々自身が作った破滅原因の上を漂っているのではあるまいか? 少しホントのことを謂うならば、我らヒトは既に自ら滅亡を強く望む程、既に狂っているのかも知れない。その証拠に現在起こっている第3次世界大戦の危機、温暖化、生物多様性の破壊、放射性物質の拡散、自然によっては分解し切れないプラ塵等の環境破壊は総て我らヒトの齎した人災であるにも関わらず、人類の多くはその対処を真剣に考えてはいないことを挙げることができる。

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    2022/07/28 06:35

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  • 皆さま
    ハンダラです。遅くなりましたが追記しました。
    ご笑覧下さい。
                       机下

    2022/07/28 13:45

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