ブレスレス【7月15日~25日公演中止】 公演情報 ブレスレス【7月15日~25日公演中止】」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 5.0
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  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    傑作。
    戯曲で味わった坂手氏の別作品のことを頭に思い描いていたが劇中ある時点で修正。古びた記憶の中に眠っていた「アレ」・・黒いごみ袋に囲まれた空間で進む芝居をじっくりと堪能した。異界と繋がる回路のような、都市生活の吹き溜まりの風景には自らを省みさせるものがあり、生起する現象を内在化させられる(自分と関わりない事ではない)感覚に陥る。燐光群舞台で見る初めての森尾舞はさり気なくキー役を担い、ひたひたと胸に迫るものあり。坂手作品・燐光群舞台の原点と言って良い作品。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    黒いゴミ袋が四方に積み上げられた中に、一本の電信柱。ゴミ袋の一つから男がヌッと顔を出して語り始める。格好つけたセリフはつかこうへいのようだと思っていると、この都会の片隅のゴミ捨て場で、全く関係ない人たちが出会っては通り過ぎていくのは別役実的。ロマンチックな大げさな音楽で雰囲気を盛り上げるのは唐十郎のよう。さらに仙石イエスがモチーフの「パパ」老人と娘たちのやりとりは、末娘の一本気な直言で一気に「リア王」の場面に近づく。

    現れるのは、ゴミになった記憶喪失の男(坂本弁護士)、ごみ収集の中年男と若い助手、ホームで絡んできた酔っ払いを突き飛ばして死なせてしまった女、しつこいムラカミ部長と嫌がるOL、パパと付き人と六人の娘たち、教団から娘を奪い返そうという老夫婦。さらに近所の中学生と雑誌記者が「ゴドー」の使いのようにちょっと顔を出す。

    若き日の坂手洋二作は、演劇スタイルも内容もごった煮のようになんでもかでも放り込みながら、全体の筋はしっかりと押して一つの作品として成立している。竹藪2億円事件、昭和天皇の死去、女子高生コンクリート詰事件など、80年代、90年代初頭の時事も散りばめられ、作品の時代を感じさせる。

    休憩なし2時間半と長いし、演技は芝居がかって大袈裟だったり棒読みだったりして、あえてドライに突き放して演じている。しかし、次々起こる場面は、パパの娘たちの仕草を筆頭に、女と坂本弁護士の対話など、緩急が見事で見ていて飽きない。女たちがゴミ袋にモグって息を吸うお勤めは奇抜。実に演劇的というか、面白い🤣。

    使い捨ての大量消費社会への批判の奥に、父と娘の悲しく切ない絆がさまざまに変装されて見え隠れする。

    ネタバレBOX

    「誰も愛さなかったし、誰にも愛されなかった」という「手紙」の文句を、パパが死の間際につぶやく。現代の生の悲哀と困難がじわっと伝わってくる。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    これは名作です。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

     若干、空席あり、華5つ☆ ベシミル!(追記7.2813時42分)

    ネタバレBOX

     明転すると、其処は両側壁、ホリゾント総ての壁面を隠すように堆く積まれた黒い大型ごみ袋の堆積。ヘリコプターの旋回音に被さるように直ぐ脇の高架を走り抜ける総武線の容赦ない轟音、如何にも無防備、無計画都市・東京といった趣だ。その塵の堆積のど真ん中で不可思議な音響に顫えるように徐々に伸びるゴミ袋はその上部のみ別の震えを示している。と、ぬっと現われる頭部。魯迅の「鋳剣」のように首が互いに噛みつく訳ではないし名刀の話でも、無い。寧ろシェイクスピアの「リア王」をある意味下敷きにした作品である。と同時に自分のような年寄りには今作初演の約10年前に起こった‟イエスの箱舟事件“がダブった。お父さんと娘たちの関係が観劇中ずっと千石イエスと支持者であった女性たちとの関係にダブって見えていたからである。
     何れにせよ、日本の現在の体たらくの根底にある、明治期以降に限っても勝海舟への極めて意図的で不正確どころか歪曲を極めた体制側為政者の「批判」の内実は、卑怯、悪辣、無定見、無能を糊塗してきた歴史であり、それが貫徹された様がアカラサマに観て取れるからである。結果、現在あらゆる公共交通機関や自治体で垂れ流される単に実質騒音でしかないお節介がまかり通っており、首都東京の街創りにしても無定見がそのまま形になっている。その結果、我ら其処で暮らす住人のアイデンティティーはどうなったか? 頭部だけ出した人物が、己をアイデンティファイし得ぬ存在と化していることから明らかなように、自分が何者で何故ここにこうしているのか皆目分からない、という最早滑稽と呼ぶしかない破綻を齎しているが、そのことに気付く者すら殆ど居ない。
     今作の眼目は、当に現代、この存在の根底を失った「国」に存在する総ての我々「日本人」の不如意の根に蟠踞する存在のアヤフヤを提示した。
     と同時に自分の頭で考えることを放棄した大多数の我ら日本人の裸形をも。この提示の正しさは、物語の進行と共に無論更なる展開を見せる。
     同時に、このような無定見の犠牲となった多くの女性達の魂の拠り所となっているパパと娘たちの観る苛烈だが異様に美しい夢、この塵の街区に、その総ての穢れを清めるが如くに降る雪への希代な夢の実現の美は、演劇ならではの美を実現して見事である。
     さて、ここでもう少し分かりやすく今作の構造を自分の見立てとして示してみよう。物語の柱は、坂本弁護士一家失踪・殺害事件、先に挙げた千石イエス事件、また人間生活の証拠としての塵(これはあちこちに残る貝塚等をみても明らかだろう。異なるのは自然に戻る塵か否か、その内容の相違である)。
     32年前に一般的であった黒い大型塵袋は、中身が不可視であることで様々な問題も生み出していた。収集に携わる人々が塵袋を収集する際、中に入っている硝子や串等で怪我を負うリスク、犯罪に関係したかもしれない器物・証拠等が塵として不可視の状態で廃棄されてしまう可能性等。こういった負の側面の齎すイマージュの所為もあって、優れた作品がその本質的イマージュによって時に未来をも予見してしまったようにF1人災によって多用され、管理の不備や簡単に予測できた不完全性から流失や破損等が大きな問題となったことは、読者の記憶にも残っているであろうフレコンバッグに重なるのである。無論、これらに共通する臭い物には蓋的な不可視化傾向に気付く人間達から見ても黒い大きな塵袋は、フレコンバッグに重なるのは必然だ。
     ここで坂手氏の脚本の基本にある能にも触れておく。所謂世阿弥が大成したとされる複式夢幻能では、この世に無い者達と現世に在る者との対話・交感が可能である。第35回岸田戯曲賞受賞の今作に於いても坂手氏は既にこの根幹を作品に取り入れていると観る。その証拠にパパは、遺体の腐敗を防ぐ巨大な冷蔵庫を普段の棲家としているのであり、それが置かれているのは都会の何処とも確定されないが何処かであることは間違いない片隅なのであり、一部は、合法的に塵収集が公的に担われるエリア、他の殆どの場所は違法に捨てられた塵の集積地に過ぎない「異空間」であることに注意したい。パパの寝ている冷蔵庫は違法塵の山で覆われ通常は不可視であるが、集会の際だけ娘たちと僕(しもべ)・タドコロの前に現れる。ところで塵が塵になるのは、ヒトから塵と判断されるからであって不要・無用とイコールでは無い。要・不要の境界が曖昧なのである。而も登場人物達も殆どが死者、生ある者、それを繋ぐ複式夢幻能の齎す重ね合わせの世界に属している。これは量子物理学にも繋がる世界観であろう。掛かるが故に今作はラストで春の雪が降るのである。而も深読みすれば、また優れた作品の齎す予知によってF1人災をも予知していたとするなら、F1人災を通して改めて想起された被ばく問題を通し、この雪は雪のようにも見える死の灰と解することさえ可能であろう。我らの生きる現在は、このように我々自身が作った破滅原因の上を漂っているのではあるまいか? 少しホントのことを謂うならば、我らヒトは既に自ら滅亡を強く望む程、既に狂っているのかも知れない。その証拠に現在起こっている第3次世界大戦の危機、温暖化、生物多様性の破壊、放射性物質の拡散、自然によっては分解し切れないプラ塵等の環境破壊は総て我らヒトの齎した人災であるにも関わらず、人類の多くはその対処を真剣に考えてはいないことを挙げることができる。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    鑑賞日2022/07/27 (水) 14:00

    座席1階

    1990年初演。その後3回の再演を経て、2020年代にまた再演である。とはいえ、前回の再演が2001年だから実に20余年ぶり。私が見るのは初めて。燐光群の源流を探る旅である。

    千石イエス、坂本弁護士事件、東京のゴミ問題。昭和の事件や社会問題をモチーフにしているが、当時の香りがするというより令和の時代の物語として新鮮なイメージで受け止めることができる。

    中防、すなわち中央防波堤外側埋立地。東京湾をゴミで埋め尽くして新たな土地を作った。青島幸男知事が公約で中止すると言った臨海副都心開発でできた土地だ。土地さえ作れば右肩上がりでその価値が上がっていくというバブル経済の象徴とも言えるその埋め立て地は、この舞台を埋め尽くしている黒いごみ袋でできている。自分にとっては、東京の埋め立て地のイメージは今ではほとんど見かけないこの真っ黒なごみ袋なのだ。
    物語は、中防へ運ぶために総武線が近くを走るビルの谷間でごみ処理に携わる都職員が、燃えるごみの日に出された不燃物の瀬戸物で指を負傷するところから始まる。

    舞台の脇に裸電球を付けた電柱が立っているが、これを見て自分は別役実の不条理劇を思い出してしまった。事実、この舞台は別役が描いた不条理劇を地で行くような物語の展開を見せる。捨てられた冷蔵庫からきらめく後光を背に現れた白髪の老人は都市の暗部に君臨するイエスキリストのようだ。最初にごみ袋の中に入って登場する男は物語を経て記憶を取り戻していくのだが、この人のそばを通りかかった女性も次第に重要な地位を占めてくる。この女性は、絡んできた男を線路に突き飛ばして刑事裁判にかけられた過去があり、ごみ袋の男が女性を助ける役回りを果たしていたことが分かるなど、登場する人間たちの複雑な模様に客席はぐいぐいと引き込まれていく。

    世の中で起きていることを多彩な角度で切り取るのが演劇だとすれば、まさにこのブレスレスは演劇中の演劇だし、演劇でしか描けないような物語・構成を見せてくれる。さらにパンフレットを手に取って初めて得心したのだが、冷蔵庫から出現した老人は千石イエスというよりは、リア王だ。だから、末娘がキーパーソンになっている。

    東京でしか描けない、東京の演劇である。今回、コロナ禍で最初の数日が中止になり、昨日からの上演という。自分は見ることができてとてもラッキーだった。
    パンフレットによると、別役実はこう述べたという。
    「久しぶりに、文字どおりの力作と言えるものであり、今後演劇はこのようにしか動いていかないであろうと考える」
    至言だ。もしかしたら、舞台脇の電柱は、別役実へのオマージュだったのか。

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