頭を飾るのはひびきみかさん。此れ迄プロ競技ダンスチャンピオンから、大野一雄さん・慶人さんとの出会いを経て舞踏の道に入りシアターXのみならずアスベスト館、神楽坂die pratze、pit北/区域等でソロ公演を行ってきた。キューバ国立民族舞踊団でディプロマ取得、2018年からはオスロのグルソムへテン劇場の活動にも参加。作品タイトルは「Yo Viviré」(ダンス)は、今回のメインテーマを素直に表現した作品となった。 次に一色眞由美さん 1977年マーサ・グラハムコンテンポラリーダンススクールにに留学、ケイタケイさんらに学んだ。78年の帰国後も国内外での公演、指導に携わりミュージカルの振り付け等もこなす。近年は主としてソロ活動に取り組んでいる。今回の演目は「在 れ」(ダンス)である。テーマは、既にとうの昔に神を喪失した現代人である我々は、存在の無根拠性に遭遇し神を信じていた時代のような存在論の根拠を失っている。即ち根本的にアイデンティファイ出来ない状況に在る。その不如意の中で生きると言うことは即ち、我らは何処から来て、何処へ行くのか? 我ら・ヒトとは何か? という根源的問い掛けをし続けるということに他なるまい。その苦しく頼りない在り様の不如意の央から存在の根拠を求め願う、実存の寒さに顫え乍ら祈る行為にも似た、力強いダンス。 3作目は15分間に圧縮された金達寿「玄海灘」より。玄海灘を上演する会が上演、大作の訴えたかった本質をよくこれだけコンパクトに抽出したと感心させられた。それもそのハズ、演出は東京演劇アンサンブル代表の志賀澤子さん。差別の何たるかを朝鮮併合後、大日本帝国が採った皇民化政策によって日本人とされた朝鮮族差別は、その大義名分とは逆に被差別民であることを強いられ続けた史実であり、現在へも続く差別である。その本質を、その複雑さを含めて見事に浮彫にして見せた。(演劇) トリを飾ったのがイスラエルから来日のダニエル・エドワルドソンさんとドール・フランクさんが共同制作したパフォーマンス。下着1枚で後ろ姿を晒す所から始まるパフォーマンスは「Clouds」と名付けられた作品だ。言語に成る前の音としてのアモルフな音声を音響効果として用いた点で、6月21日に演じられた「」(はく)に出演なさった赤い日ル女さんの唱法に似ている。ダニエルさんらは、ヘブライ語や英語の言語化される前の状態を多く用いた点で異なるにせよ。 タイトルを日本語に訳すと「雲」になるだろうが、アパルトヘイト国家イスラエルのアーティストが演じると、体の震えや言語以前の音声は、シオニストによって追放され、圧殺され、日々の圧政に苦しみ、土地、水、人間らしく生きる為の総てを奪われ、拷問に掛けられる多くのパレスチナ人の苦しみそのものに見えたのは、イスラエルの対パレスチナ人ジェノサイドの実態を知る者にとっては極めて自然な観方と謂えよう。彼らが表現したかった雲のイマージュがBaudelaireが「LE SPLEEN DE PARIS」冒頭の詩「L'Étranger」で表現したような意味を持たせたかったにしても、国家がやっている事実は誤魔化せないこともまた事実なのである。心あるアーティストにとって悲しむべきことではあり、また観る側の我々にとっても極めて残念なことであるが。 以下原文を載せておく。フランス語としては易しい詩だから一所懸命学べば半年もあれば充分読めよう。 L'Étranger — Qui aimes-tu le mieux, homme énigmatique, dis ? ton père, ta mère, ta sœur ou ton frère ? — Je n’ai ni père, ni mère, ni sœur, ni frère. — Tes amis ? — Vous vous servez là d’une parole dont le sens m’est resté jusqu’à ce jour inconnu. — Ta patrie ? — J’ignore sous quelle latitude elle est située. — La beauté ? — Je l’aimerais volontiers, déesse et immortelle. — L’or ? — Je le hais comme vous haïssez Dieu. — Eh ! qu’aimes-tu donc, extraordinaire étranger ? — J’aime les nuages… les nuages qui passent… là-bas… là-bas… les merveilleux nuages !