第15回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2022(IDTF) 公演情報 第15回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2022(IDTF)」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 5.0
1-8件 / 8件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★


     本日が2年に1度開催されてきたIDTFの最終日、クロージング・ガラである。今回のIDTFはシアターX創立30周年記念公演でもあったが、その幕である。演じられたのは予定の3演目+ヨネヤマママコさんの飛び入りパフォーマンス。

    ネタバレBOX


     頭を飾ったのはカナダから来日のジョスリーヌ・モンプティさん。タイトルは「MEMORIA」今作はジョスリーヌさんが今世紀初頭にカナダ及びイタリアで共演した舞踏家・高井富子さんの遺品である衣装を纏って踊られた。オープニングでは、この白い衣装を纏った彼女の後姿に長四角の照明が当たる。彼女はそのまま暫く全く動かない。極めて想像力を刺激するシーンで始まった。音響は静かめな曲でほの暗い空間に溶け込み、深い思索に引きずり込む。極めて繊細な動きと微妙な動きで体の向きを変えた彼女は衣装の前垂れの端を持ち、時に永遠や死と生の間を渡る風に載せた祈りの薄布に与える微動のように繊細極まる念動を表現する。静止は死を、微動は生がその念を死に伝え得る最小の動きとエネルギーを我ら観客に伝える。死と生の鬩ぎ合いが殆ど拮抗して力の頂点で顫えている状態を形象化し得た稀有な踊りであった。その余りの力量、抽象度の高さ、そして命の充溢に最高度の能表現に通じる表現域を感じた。
    直接的には高井富子さんへのレクイエムでありながら、同時に深く普遍的な生命観を表現した作品だ。つまり生きる事即ち時々刻々死ぬことであり、時々刻々死ぬこと即ち生命の再生であるという生命活動そのものへの深い洞察が表現されていた。
     次は仲野恵子さんの「魔羅ソンで届いた命」蝶を象った白っぽい衣装を纏い、背を客席に向けた状態で後頭部に艶やかな面を付けた踊り手が羽化したばかりの蝶の、外気に身体を初めて晒して起こす震えや戦きを微細な表現で示しながら板中央に座している。ホリゾント下手に登場した毛虫を象った衣装の仲野さんの踊りが開始される。毛虫の動きは活発で生命の躍動と伸長を押し出し、蝶の華麗な動きと対照的である。無論、この対称性にこそ仲野さんの主張が込められている。横溢する生命のヴァイタリティ―は他者を凌ごうと只管懸命であり、その懸命な有り様は時に可愛らしく、時に滑稽ですらあるが、生き抜こうとする命の叫ぶ姿は美しい。この毛虫のたゆまぬ動きと抑制された蝶の華麗な動きの対比も終わる時が来る。それは、美しく優雅な蝶がその翅を落とす時であり、成長した毛虫が羽化した蝶から子を産む母となり自らは瓦解してゆく姿、そして新たに誕生する命の姿が、元々の毛虫の色では無く新生の象徴としての白い衣装で表されている点に表象されている。

     次に飛び入りで登場なさったのは、ヨネヤマママコさん。何でもシアターXのチーフプロデューサー・上田美佐子さんとの約束を果たしにいらしたとのことで、4年前に大病を患って後、1度退院したものの再発して御闘病のみぎり、最近では認知症も発症なさったとのことで、書いていらした文章をお読みに成りながらご挨拶なさった。フォローについていらしたお弟子さん共々、彼女の掴んだテーマ、生命の輪廻、生命を支え育んできた水の生々流転の様を踊られた。コンセプト自体はお弟子さんの演ずる舞踏と変わらず、各表現の開始・終了のタイミングが若干ずれるだけの見事な生き様表現に心を打たれた。ママコさんの方が客席に近い下手で踊られたので上手後方で踊るお弟子さんの動作は全く見えていないから、コンセプトにずれが無かったのは一目瞭然。而もその踊りの品格と威厳の背景を為す生き様の見事さはひしひしと観る者を圧倒し流石に一流の踊り手と唸らせた。
     さてシンガリに控えしはダンサー・武井雷俊氏の「アマデウス」美しき魔笛の授業である。林正浩氏のピアノ、山本茉莉奈さんのフルート、歌唱はバリトン・大井哲也氏、テノール・寺尾貴裕氏。歌劇形式の実に楽しい催しものであった。板中央手前には切株に太陽や様々な文様をあしらったオブジェが数個、上手客席側に小机と椅子。机上にはインク壺や羽ペン、グラス等。グランドピアノは下手の板手前客席側との通路の一角に置かれ、その直ぐ上手にフルート奏者用の椅子と譜面台。無論フルート奏者は観客席側を向いて演奏している。
     設定は、魔笛作曲中のモーツアルトが2022年7月10日の上演時刻にウイーンから両国・シアターXにタイムスリップしてしまい其処に居合わせたミュージシャン、歌手らとコラボを始めるというものだが、設定の余りのあっけらかんに皆引き込まれてしまった。無論。各演者の実力は高く、武井氏の高い身体能力から繰り出されるスピーディーでハイテンション、高いジャンプ力の生み出す空中での妙技やしなやかな身体の機敏で誇張された滑稽味などが視覚的な面白さを上手に提示すると同時に、台詞の掛け合いの面白さが見事なバランスをみせて、楽しいといか言いようのない舞台を見せてくれた。
     終演後、恒例の三本締めの音頭を江戸伝統文化推進に尽力なさっていらっしゃる望月太左衛さんがとって第15回IDTFは幕を閉じた。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    IDTF2022 2022.7.9 14時半 シアターX
     本日は4公演。

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     頭を飾るのはひびきみかさん。此れ迄プロ競技ダンスチャンピオンから、大野一雄さん・慶人さんとの出会いを経て舞踏の道に入りシアターXのみならずアスベスト館、神楽坂die pratze、pit北/区域等でソロ公演を行ってきた。キューバ国立民族舞踊団でディプロマ取得、2018年からはオスロのグルソムへテン劇場の活動にも参加。作品タイトルは「Yo Viviré」(ダンス)は、今回のメインテーマを素直に表現した作品となった。
     次に一色眞由美さん
     1977年マーサ・グラハムコンテンポラリーダンススクールにに留学、ケイタケイさんらに学んだ。78年の帰国後も国内外での公演、指導に携わりミュージカルの振り付け等もこなす。近年は主としてソロ活動に取り組んでいる。今回の演目は「在 れ」(ダンス)である。テーマは、既にとうの昔に神を喪失した現代人である我々は、存在の無根拠性に遭遇し神を信じていた時代のような存在論の根拠を失っている。即ち根本的にアイデンティファイ出来ない状況に在る。その不如意の中で生きると言うことは即ち、我らは何処から来て、何処へ行くのか? 我ら・ヒトとは何か? という根源的問い掛けをし続けるということに他なるまい。その苦しく頼りない在り様の不如意の央から存在の根拠を求め願う、実存の寒さに顫え乍ら祈る行為にも似た、力強いダンス。
     3作目は15分間に圧縮された金達寿「玄海灘」より。玄海灘を上演する会が上演、大作の訴えたかった本質をよくこれだけコンパクトに抽出したと感心させられた。それもそのハズ、演出は東京演劇アンサンブル代表の志賀澤子さん。差別の何たるかを朝鮮併合後、大日本帝国が採った皇民化政策によって日本人とされた朝鮮族差別は、その大義名分とは逆に被差別民であることを強いられ続けた史実であり、現在へも続く差別である。その本質を、その複雑さを含めて見事に浮彫にして見せた。(演劇)
     トリを飾ったのがイスラエルから来日のダニエル・エドワルドソンさんとドール・フランクさんが共同制作したパフォーマンス。下着1枚で後ろ姿を晒す所から始まるパフォーマンスは「Clouds」と名付けられた作品だ。言語に成る前の音としてのアモルフな音声を音響効果として用いた点で、6月21日に演じられた「」(はく)に出演なさった赤い日ル女さんの唱法に似ている。ダニエルさんらは、ヘブライ語や英語の言語化される前の状態を多く用いた点で異なるにせよ。
     タイトルを日本語に訳すと「雲」になるだろうが、アパルトヘイト国家イスラエルのアーティストが演じると、体の震えや言語以前の音声は、シオニストによって追放され、圧殺され、日々の圧政に苦しみ、土地、水、人間らしく生きる為の総てを奪われ、拷問に掛けられる多くのパレスチナ人の苦しみそのものに見えたのは、イスラエルの対パレスチナ人ジェノサイドの実態を知る者にとっては極めて自然な観方と謂えよう。彼らが表現したかった雲のイマージュがBaudelaireが「LE SPLEEN DE PARIS」冒頭の詩「L'Étranger」で表現したような意味を持たせたかったにしても、国家がやっている事実は誤魔化せないこともまた事実なのである。心あるアーティストにとって悲しむべきことではあり、また観る側の我々にとっても極めて残念なことであるが。
     以下原文を載せておく。フランス語としては易しい詩だから一所懸命学べば半年もあれば充分読めよう。
    L'Étranger
    — Qui aimes-tu le mieux, homme énigmatique, dis ? ton père, ta mère, ta sœur ou ton frère ?
    — Je n’ai ni père, ni mère, ni sœur, ni frère.
    — Tes amis ?
    — Vous vous servez là d’une parole dont le sens m’est resté jusqu’à ce jour inconnu.
    — Ta patrie ?
    — J’ignore sous quelle latitude elle est située.
    — La beauté ?
    — Je l’aimerais volontiers, déesse et immortelle.
    — L’or ?
    — Je le hais comme vous haïssez Dieu.
    — Eh ! qu’aimes-tu donc, extraordinaire étranger ?
    — J’aime les nuages… les nuages qui passent… là-bas… là-bas… les merveilleux nuages !


  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    IDTF2022 7.5 19時 シアターX
    本日の出演は3組

    ネタバレBOX


     初めにフィンランドから来日のヴィルピ・パハキネンさん。筝の森稚重子さんの生演奏との共演だ。筝は十七弦他二つの筝を用いた。作品のタイトルは「Solos」。2人のアーティストのSoloが重なるという意味でも具体的にダンスが蜘蛛を描いた作品とモルフォ蝶を描いた作品2作によって構成されていることも含めて複数のsが付いているのは象徴的だ。
     ヴィルピさんは2000年のIDTFに参加して以来2度目の出演で、本来前回2020年の第14回IDTFに参加を予定していたがCovid-19の影響で参加できずその時のメインテーマは“『蟲愛づる姫』(「堤中納言語」に所収)とBiohistory=生きものの物語”と題されていた。当然そのつもりで今回演じられた2作品を準備して『蟲愛づる姫』に参加を予定しており、主催者側が今回のコンセプトとも関連があると判断、発表作品を変更することなく演じられた。
     構成は2部に分かれ、1部では蜘蛛が2部ではモルフォ蝶が演じられた。筝は十七弦筝を1部の演奏に、通常サイズの筝を2部の演奏に用いた。森さんは作曲もするので、上演作品の為に作曲。フィンランドと日本で各々が独自にを作った作品をネット上で交信してみると波長がピタリと合ったのであった。拝見・拝聴し乍ら感じていた量子の重なり合いというようなことが2人のアーティストの間で実際に起こったのかも知れない。ダンスは、形態模写を基本とするように見えつつ、もっと遥かに深い命の根のような所で息ずく生命そのものの波動(例えば電子)と存在(例えば粒子)を同時に表しているような形象であり蜘蛛では筝が、モルフォ蝶では森さんとルイ・ヘルナンさん、コルテス・マヤさんの音響が用いられ呼応した。また衣装は、蜘蛛では黒ベース、モルフォ蝶ではブルーベース、見事であった。
     次の出演者・藍木二朗氏はソロ。コーポラルマイムやパントマイム、モダン、コンテンポラリーダンス等をやってきた人だが、今回の発表作「バイオポップ」では、ルネサンスを独自解釈している点では以前書いた女性コンテンポラリーダンサーの浅野里江さん同様だが、浅野さんのRenaissance解釈とは無論全く異なり、映画バイオハザードやゲームの視座を取り込んだという。Renaissanceにしては発想が余りに安易に感じられたのは、男性は日常的に己の身体を女性ほど強く意識せずに済むからかも知れない。
     トリを飾ったのは矢張り女性ダンサー清水知恵さんだったが、タイトルは「Voiceless Whisper」。人間環境学の研究もして博士号も取得、大学教授でもある。使われた曲はグレツキの交響曲第3番第2楽章「悲歌のシンフォニー」。流石インテリの知的で深く更に純度の高いダンスと感心させられた。それは研究と、重ね合わせ可能な量子的世界やボードレールのコレスポンダンスの世界を綯い交ぜたような世界であり、身体表現であるダンスとより緊密に而もより照応して波を形作るような表現と感じたのは自分ばかりではあるまい。この点では本日初めに演じられた「Solos」とも共振しているような気がしてならぬ。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

     何れの公演も、板上に大道具は無い。フラットな空間である。2つのダンス公演で観客はダンサーの身体の動きや、小道具、音響や照明効果を通して自由に想像力の翼を広げることができる。

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     CDS OSAKAは大阪発祥の個性豊かなダンスの発信を主目的とした発表の場・Creative Dance Showcaseの企画から生まれた。ダンサーたちの構成はストリート、ジャズ、コンテンポラリー等から成る。今回の演目は「記憶の青-Microplastics Dance-」。気候変動問題で国連事務総長のグテレス氏が「世界は燃えている」と危機感を表明したばかりだが、生態系に及ぼすプラスチック塵の深刻さは、この問題に勝るとも劣らない重大問題である。背景に流れる音楽は、この問題を真正面から取り上げる歌詞、ブレイクダンスで世界チャンプに輝いた経歴も持つダンサーSHUNJI氏が深い海やコバルトブルーに輝く一見何の問題も無いかに見える海でのたうち回る生命のけったいな有り様を形象化するのと同時に巨大な漁網に絡めとられる海洋生物たちの姿が表現されるインパクトは凄まじい。そしてその海には、人間の力で処理しきれない放射性物質が日々世界中で垂れ流されているのである。何と罪深く愚か而も情けない生き物であることか、人間とは! この事実を痛切に問い掛ける。

     2作目は武術的ダンスというコンセプトで表現された「light」加世田 剛氏のソロである。映像と舞台を融合させたパフォーマンスグループ・ENRAのメンバーであり、全米武術大会で3度優勝の実績を持つ。パソコン作業用の椅子を用いたパフォーマンスで必ず固定した部分を作り、他の身体部分を用いて表現に繋げるというスタイルで踊った。西洋のクラシックなダンスと身体の用い方が決定的に異なる点があるが、無論格闘技である武術の身体用法から来ており、素人が真似すると危険だからその差異は示さずにおく。参考までに大山倍達がダンサーが喧嘩をやったら強い、と言っていたことを記しておこう。ブレイクダンスの動きにはカンフ―やカポエラが取り入れられていることも知っておいて損は無かろう。

     トリは宇佐美雅司氏の「Listen to the He:art Where is the truth?」ジャック・プレヴェールの「おりこうでない子どもたちのための⑧つのおはなし」を独自に構成、演出し出演したが、自分はこの作品を読んでいないので評価まではしないでおく。何れ読んだ後に何かが書けるかもしれない。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

     14時半からはダンスパフォーマンス等4つのグループが演じた。

    ネタバレBOX

     先陣を切ったのはグローバルカルチャー那須「日本の音とおどりスペシャル」このグループは日本舞踊を時間的にも空間的にも広げてゆこうと志す人々の集いである。実際に日本の舞踊家同様オーストリア出身の女性が和服で日本舞踊をソロで舞い、日本の舞踊家はソロ或はデュオで舞うが、時に剣舞を扇を用いて舞い、切れも優雅と華やかさも兼ね備えた踊りに鉦、篠笛、尺八、鼓等の生演奏が実に心地よい。
     続いて登場したのは中野ちぐささんの作品「花ハ散リ種ハ飛ブ」ローティーンの少年、少女も参加し自然の中での総ての生き物の、生命のサーキュレーションを描いた作品。無論、IDTFのコンセプトに沿って作られた作品である。タイトルにカタカナが入っているのは、現代日本の抱える社会的歪みをひらかなの持つ柔らかさではなく、カタカナの持つ硬直性というか非柔軟性で表して居る気がする。生命は基本的に温かく、柔らかい。例え表面は硬くてもその初めの形、例えば卵の生命に直結する部分は柔らかで流動的である。
     三番目は若手ダンサー、品田彩さん・大淵水緒さんのデュオ。タイトルは「鼓動の記憶」尚お二人の共演は今回で2作目。現代日本に生きる若者らしく命じる側の非科学性や不合理が余りにも明らかな故に不合理そのものと化した規制・規則・強制される規範や情報操作、フェイク等々の擬制・欺瞞に対し脈打つ鼓動を通しての切なる命の表現。
     どん尻に控えしはむつみ・ねいろさんらのデュオ「夢で会いましょう」。最初からハイテンションで始まったダンスは日常の中に殆どシュールに飛び込んで来た、実に日常的なのに大きな違和感を伴った花を活け大きく四角い箱を背中に背負い自転車に乗る女性の出現に対置される。メインのダンスを踊る男性は何時しか下着一つになり調和のとれたクラシックの名曲にそぐわないダンスを踊っているが、これが極めて滑稽で背の荷物以外は極めて日常的で全うな自転車に乗った女性の動きに対して生き物としてピエロ的存在でしか有り得ない♂を表しているようで愉快である。(チョウチンアンコウの♀と♂を比較してみるまでもあるまい)。このアンバランスな男と女のカップルがラストシーンでは板の離れた位置から徐々に近寄り遂には寄り添う。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    アーサー・ビナード『詩の食べ方』2022.6.16 シアターX
     シアターXが2020年11月30日から始めた「詩のカイ」の第9回目に当たるが今回は番外として催された。この「詩のカイ」、コンセプトはちょっと気恥ずかしくなるほど直截な表現だが以下の如くである。‟あらゆる芸術の根幹にある「詩」を知り、「詩」を考える“
     日本の最近の詩人の作品は余りに知に偏り素人には縁遠い作品が多くなったと感じる方々も多かろうが、米国出身で巧みに日本語を操るだけの言語力を持ち尚且つ真っ直ぐにもの・ことを観、且つそれを見事な日本語の表現として成立させることのできるビナード氏の詩、そして多くの詩人たちの詩に対する解釈のシャープで真摯な読み込みに先ず感心させられた。而もその知識や知性が人々の念を大きく乖離していないと感じる。実に楽しく、面白く、また示唆に富み、本質的な試みであった。
    華5つ☆

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    IDTF2022 6.21公演
     The 15th TheaterX International Dance + Theater Festivalの6.21公演は3組のダンスパフォーマンスが行われた。何れも個性的な作品であり、音と身体のコラボレーションとして見事である。(追記後送)

    ネタバレBOX

     最初に登場したのは意味を構成する前の音を用い実に深く多様な音声表現を行う赤い日ル女さんとアメリカ、セネガル等で多様なダンスを学び古武術、アートマイムを続けるパフォーマーの西尾樹里さん。タイトルは『    』ハクと読む。意味的には無題に近いが、ここに表現されたものは、当に意味が成立する前の言葉の芽・カオスと身体との類稀なるコラボレーションであった。赤い日ル女さんの発声はタイのカレン族、或はイヌイット、アイヌ等の発声法、古歌を聴くうちに彼らと様々な地域の発声法の類似性や言語以前のカオティックな表現にカオスの持つ深い豊かさ、深さ、未分化故の可能性に魅せられた為。そしてそのような表現を自ら追及する旅が始まった。独自の表現法は現在も模索・開拓し進行中である。10年程前迄はパーカッション奏者であったが、何か道具を用いなければ音楽表現にならないかのような状態に疑問を感じ、現在の表現法を編み出すこととなった。実際にこの方法で表現する者として聞いて下さる方々の前で演者となったのは6~7年前からだ。評者は、実際に彼女の表現を聴いて余りにインパクトが大きくこれほど多様な音声をヒトが作り出せることに驚嘆した! 小柄な方であるが、このような音声を発する為に例えば口を殆ど閉じて喉の奥を用いて発声したり、呼気、吸気と口の開き方や吐く或は吸う時の強度を変化させての発声などで獣の唸りのような音、風の強さや気象変化に応じて異なる風の音に似た音、その他の部位を用いて野に生きる様々な生き物たちの発する命の音、せせらぎや木霊等々を、時折入る静けさで際立たせながら深山幽谷さえ想起される音声は、言語化されない表現としてのダンスパフォーマンスと見事に呼応して演じられる、お二方ががっちり組み合い、交感する圧倒的パフォーマンスであった。
     次に登場したのはコンテンポラリーダンサーの浅野里江さん。メインテーマとして掲げられているのが21世紀renaissanceという所からヒントを得て、その史的意味(所謂西洋の中世にはキリスト教が極大化した結果、聖書に書かれていないことは真では無いとされ科学的知等は異端審問の憂き目に遭い殆ど根絶やしにされていた。ガリレオが弾圧されたのはこの所為である。ところがギリシャで隆成を誇りローマに引き継がれたこれらの知性は往時の交易・交流を通してアラビア語に翻訳されアラブ世界で更に発展していた。ヨーロッパの暗黒時代と謂われる中世、世界で最も発達した文明・文化を誇ったのはアラブ世界であった。その名残はヨーロッパの王侯がアラブ世界に憧れるゴシック・ロマン小説の表現にも如実に描かれている。ところで十字軍やそれに対抗する形で行われたアラブサイドからの反撃等との間にも相互理解を求める領主たちが居た。このような再交流の中でアラブ世界で更に発展したギリシャ・ローマ的文明はアラビア語からラテン語に翻訳されヨーロッパに入り込む結果を生みそれがヨーロッパに再び科学的知を含む文明・文化の再興を齎した。この歴史的事実をrenaissanceという)とは別の解釈をした。タイトルは「ありとあらゆる」。表現は日本神話の八百万の神と謂われるものは、神の転生の姿であるとの解釈が民俗学的な見解に在るそうで、その転生する神が現在も在るのであれば、その神は我らのITや科学技術の世の中にも何ら本質を変えることなく存在し続けているハズだ、との立場から紡がれている。従って音響はギターの爪弾きにバイクの擦過音や発進音が組み合わされた形になった。自分の立場は、可成り史実を重んじる立場なのでこの理論には異見があるが、それはそれとして独自の発想の下に創られた作品として評価したい。
     トリを務めたのはERIKO・HIMIKOさん。タイトルは「儒の花—answer—」である。着想は酒見 賢一の小説『陋巷に在り』から得ているという。春秋時代孔子の弟子であった顔回を主人公とした小説だ。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    踊る妖精 作舞・ソロ『鶴の恩返し』2022.6.16 19時 シアターX
     両国の劇場・シアターX創立30周年記念・第15回シアターX国際舞台芸術祭ビエンナーレ2022は、メインテーマを21世紀Renaissance(現実を剥ぐ 生きものの詩)と題した。因みに各回、たった千円である。予約はしておいた方が良い。キャンセル待ちになる可能性もあるかも知れないから。

    ネタバレBOX


     初日は標記タイトルの通り。5名のダンサーに和楽器奏者、ピアノ伴奏者が各1名。共通コンセプトは民潭・『鶴の恩返し』である。以下出演順に。
     韓国から現在韓国国立現代舞踊団芸術監督を務める南 貞鎬さん。韓国にも似た民潭があるそうであるが、鶴を助けたのは老夫婦で鶴が嫁入りするという話ではないとのことであった。ダンスは日本の民潭も勘案して創作なさった模様で犠牲を中心テーマとして創作している為、キリストのpassion即ちredemptionにも連なる少し抽象的な表現になっていた。
     今回はダンス公演が殆どなので当パンを見ておいた方が良かろう。自分はいつも通り当パンを一切見ずに鑑賞に及んだのだが、各ダンサーが共通テーマから己独自の要素を掴み出しそれを表現するという形式を採った為、2番目に演じた竹屋 啓子さんがコンセプトを開始早々述べ、ダンスも鶴の形態模写も入って極めて言語的であった為木下順二の「夕鶴」を思い返しながら拝見し得た以外は、実際何をダンスで具象化しようとしているのか拝見中は五里霧中状態であった。演目やダンサー、そして個々のプロデュースコンセプトにも因るが今回ばかりは当パンは読んでおいた方が良かろう。改めて身体表現と言語の加わった身体表現の質的差異を如実に感じる勉強になった。
     続いて登場なさったのは花柳 面さん、和楽器演奏・囃子は福原 百之介さん。和楽器はメロディー楽器としてもパーカッションとしても用いられるが拍子の刻み方が鬼気迫るような緊張感を齎し実に見事な演奏であった。と同時に鉄琴に似たオルゴールという打楽器の音も涼やかでどこか儚い音で客を引きずり込む。花柳さんは鶴の織った見事な反物に焦点を当てて創作なさっていた。
     次に登場なさったのは上杉 満代さん。小さな傘を頭上に翳しての登場である。衣装は女性がドレスを着る前の状態とでも言ったら良いだろうか。当然、鶴が納戸に籠って機を織る姿をイメージしていよう。西洋とのコラボも多い方だからこれは彼女流の自然な発想と思われる。用いた傘は半折れが効くタイプで華奢な構造だが、オシャレなものであり、この華奢性が鶴の細い脚を連想させ、強靭な精神とは反対に脆弱な身体を感じさせて哀れである。
     トリを飾ったのがケイタケイさん。ご自分で衣装を縫い衣装のあちこちに設けたポケットに水や松の葉をたくさん入れ機を織る度にその羽を自ら抜いて機に織り込む、余りに切ない鶴の念を表現した、水が流れるのは一度だけだが、鶴が血を流しながら機を織ることを象徴していよう。その余りの辛さ切なさから血が透明になっているのである。布地の基本は白、ポケットの開口部に黒を用い、赤い糸を引き抜くことで羽に擬した松葉が零れ落ちるという仕組み。モダンダンスの動きに合わせながらこういった点にも工夫を凝らす表現であった。ケイタケイさんの演技にはピアノの伴奏がついたが演者は松本 俊明さん。現代音楽風ではあるが余り不協和音等は用いずダンスとのコラボを意識した良い演奏であった。

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