風のサインポール 公演情報 劇団俳優難民組合「風のサインポール」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

     板上はホリゾント近くの中央にベンチ。その直ぐ上手に床屋のサインポール。どういう訳か、ベンチの下、真ん中辺りにホームベースが在って違和感を醸し出している。
     明転すると野球のユニフォームのような衣装を着た男が正面を向いて腰掛けている。男の横にはラジカセ、腰には黒く小さな小物入れを付けている。出捌け導線は上手客席側の通路と併用。

    ネタバレBOX


     当パンを拝見すると大きな声を出すおつむのよろしくない者達が、世の中を仕切り仕切られている者達も大声で仕切る愚か者も真実を求める者の価値が見えず、掛かるが故に真実を追う者を馬鹿にする。というようなことが書いてあり、そのメゲルような状況の中で大抵の人は愚行に走り、いつしかその愚かさに気付いて成長してゆくのではないか? との視座が提示される。だが、大声で何かを偉そうに謂う者達の声に基本的に真剣に相手をしても始まるまい。言葉は静かに聞き取り得る限りの声で語られるのが理想だ。大抵大声を発する者達の発言自体が、内容の貧しさを隠す為であることを知る必要があろう。
     ところでベンチシリーズvol.1は別役さんの「いかけしごむ」であった。Vol.1の面白さは、例えばフランス語のabsurdeに「馬鹿げた」、或は「不合理な」という元々分かり易い訳語を当てるより漢語の難しい「不条理」という訳語を当てたがる滑稽に掉さしているような点に在るのかも知れない。別役さんの作品創りはそもそもこのように現実の持つバカバカしさを極めて鋭く独特の論理で批判解体した上で自分の思考・創造の過程でメタ化した台詞の面白さにあると言えよう。「いかけしごむ」には、製作者の論理的な思考があり、その思考や証言に矛盾が無いにも拘わらず、発想の突飛故論理的整合性や発明者の言動を信じることができない男の追及がある。即ち常識とされる在りきたりの発想しか出来ない者にとってこの発明者の言動は単に容認できない言動に過ぎない。観客は、そこで起きる事象を観ることによってこれら諸関係の在り様を正確に捉えることができ、このケッタイな発明と常識がぶつかり合った結果を知るのである。シナリオはそのように書かれていたと考えられるから、其処にセンチメンタリズム等が入り込む余地は無い。入り込めるのは、関係性を俯瞰した時にしみじみ見えてくるペーソスまでだろう。
     話題は少々飛ぶが川柳にこんな作品がある。‟あきらめましょうと どうあきらめた あきらめきれぬとあきらめた“ このようなメンタリティーは庶民の実感に極めて近く同時に多くの類音を用い、やんわり情に訴えることで成立していて、別役作品のようなドライなタッチとは質的に異なる。それゆえにcreativityでは劣るもののシンパシーを感じやすい作品として成立しているのだと言えよう。
     それに対して今回のvol.2は、台詞が余りに生であるように思う。或る意味素直な応答なのだが、捻りが無い。つまり作品の作り方としてベタな感じがするのを否めない。別の言い方をすれば人間の情や生きるということへの執着を何とかアウフヘーベンしようとするもののそれを実現する為の明確なヴィジョンも方法的な論理構築も未だ根拠を持てずにいるようだ。その原因として考えられるのは、我ら人間の位置が確定できていないことだろう。例えば地球という環境の中に存在するウィルスから総ての動植物に至る生態系の何処にどのように存在しているのが人間なのか? を考えてみるのも良いかも知れない。

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    2022/07/24 21:59

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