今は昔、栄養映画館 公演情報 みやのりのかい「今は昔、栄養映画館」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

     板上には木製の椅子が7~8脚。焦げ茶と黄土色それぞれ約半分ずつが中央に。上手柱側壁に沿うようにバーカウンター。バーカンの上には、何かを記した紙がやや間を空けて1枚ずつ観客席に向けてスタンドに立てられている他雑然としており、客が座れば足がくる部分にはたくさんの映画ポスターが貼ってある。バーカン観客側手前には、電話を置く台と黒電話。時代は数十年前の設定のハズなので古い電話器である。一方、矛盾するのは携帯電話を用いるシーンも数多く出て来ることだ。上手柱を挟んだ更に上手には黒い幕。これが唯一の出捌けである。下手奥の柱には大きな映画ポスターが貼ってあり、この柱の手前斜め左に架台に取り付けた矢張り大型のポスター、ポスターの左上コーナーが剥がれて丸く垂れ下がっている所は落魄を感じさせる。この架台の観客席側に机と椅子。

    ネタバレBOX


     作品は、某映画監督と助監督が新作映画の完成記念レセプションを始める5分前を描く。2人共礼装である。監督は燕尾服、助監督はタキシードを着用して序列を表現しているのは無論である。脚本原作は竹内銃一郎氏であるが、小宮孝泰氏により脚色されている。直ぐ思い浮かぶのがベケットの「Waiting for Godot」であろうが、イカンセン背景がベケット作品とは全く異なる。そもそも不条理が不条理として西洋で意識されたのは、ギリシャ・ローマの文化が持っていた人間性の観念が度重なる戦争や露骨な資本主義の収奪による人間性否定、人命否定に至り着いてしまったことから起こる否認感情が正当に評価もされぬ社会に対しての個人による異議申し立てということにあったハズであるが、今作ではそのような深刻さも深みも感じられず、寧ろ大衆化した「文化」への殆ど無意味なコミットそのものが描かれていると観るべきであろう。このように解釈すれば、えんえんと続く、レセプション開始まで5分というシチュエイションの内容を設定し直して延々と繰り返しながら、2人の登場人物が礼装を剥ぎ、下着1枚になることの意味が見えてこよう。そう観客に完全に伝える為にはラストの台詞はもっとアイロニカルで辛辣なものであって欲しかったし、ずっと続く似たプロットにも演出・演技共にアイロニカルな視座で臨んで欲しかった。

    0

    2022/08/14 17:22

    0

    2

このページのQRコードです。

拡大