ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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月の岬

月の岬

SPIRAL MOON

「劇」小劇場(東京都)

2013/05/29 (水) ~ 2013/06/02 (日)公演終了

満足度★★★★★


 詩的なシナリオに見合った質の高い、演出、演技。舞台美術や小道具に至るまでの物が、多くを語る。緻密で奥行きのある優れた作品。舞台上で微妙な情緒を表現するのに用いられるスモークの焚き方、照明も絶妙。

ネタバレBOX

 オープニング、下手奥から登場した長女は、襖を開け、直ぐ奥に消えてしまう。間もなくチーンと仏壇にまいる様子を伝える音が聞こえてくる。
 一瞬、存在した者が、非在の相へ転位すると、短い間を置いて、音という位相で存在を露わにする見事さ。観客は、先ず、この手際に驚かされる。
 舞台美術も単に手が込んでいるというより、気の利いた使い方をされている。舞台正面にちゃぶ台を置いた居間があり、ここで、話が展開するのだが、この部屋の手前、観客席側に濡れ縁があり、上がり框には、靴脱ぎ石が置かれているのだが、この石の上に置かれる履き物の位置や履き物同志の距離などによって、舞台上の登場人物の親疎まで照応して表現されている。無論、靴脱ぎ石に載る履き物の数は限られているから、それ以外の場所に置かれた時には、履き物石の上の履き物とそれ以外の場所の履き物との関係を見れば良い。
 シナリオは、基本的に長崎辺りの九州弁。舞台は、フェリーで渡る大島という離島である。この島には満潮になると島からも切り離されてしまう京が崎というエリアがあるが、大潮の時は殊に潮流も激しく、流れに浚われ、行方不明になる者も後を絶たない。悲恋の末に波に浚われた美姫の伝説もある。更には、この海で命を落とした者達の霊が、ここで泳ぐ者を、海の底に引きずり込むという話もまことしやかに語られ続けているのである。
 海と月光に照り映える水面の美しさばかりが、無上の詩情を誘うばかりの微妙繊細な、而も一旦変化すれば人の命などひとたまりもないような荒々しさを秘めた底知れぬたゆたいを背景に恋の闇が息づく。
 男と女はかつて恋仲であった。その恋は、駈け落ちをする寸前迄、思い詰める程のものであった。而も、すんでの所で女は、自らの生活を選び、男は単身東京へ渡って、事業を立ち上げたものの、経済の失墜の煽りを受けて倒産。妻子を捨て、夜逃げをして故郷に舞い戻っていた。連日のように男は女に迫った。然し、女は「むかしのことは忘れた」と答える。「帰って下さい」とも。「迷惑です」とも。結婚した弟夫婦も巻き込んで、執拗に姉に迫る男を退散させるが、満月の晩、姉は家に戻らない。弟はきっと妹夫婦の面倒を見ている義父の見舞いにでも行っているのだろうと高を括っていたが。駐在が、姉らしい人物を見た、という証人まで連れて訪ねて来たのを見て、漸く己の不明を悟り崩折れる。
 実は、前兆があったのだ。弟の結婚を知って、付き合いを始めた女生徒が居たのである。彼女は、デートで付き合い始めた彼と共に海に行った。其処で初めてディープキスをする、そのことで妊娠したのではないか、とそれとなく匂わしたのだが、信夫はその意味する所を捉えきれていなかった。脅迫めいた電話が入ったり、学校の仕事を終えて帰り掛けに何者か数人に襲われたりということがあった。これらの事実を関連付けて考えることが出来ない。劇中、弟のキャラはずっとこのようなものとして描かれている。信夫の妻は流産した。姉の失踪する前から彼女は10日間程、家で療養している。療養中に満月は来た。一際大きく、波のざわめきが聞こえる。信夫に電話が入る。高校生カップルの彼からだ。彼女は自死したらしい。靴脱ぎ石の横の大きな水瓶に映り込む満月の怜悧な光を浴び信夫はがくりと膝を折る。或いは姉の失踪と死、女子高生が、自分に憧れていたことに気付きでもしたかのように。己の想像力の欠如に今更。

 Life goes on

Life goes on

style K

横浜関内ホール(神奈川県)

2013/05/30 (木) ~ 2013/05/30 (木)公演終了

満足度★★

レベル
 第一部Ho Gilの歌唱力は高い。然し、司会・進行、ピアノ、歌、ステップなども演じる武藤 寛は、どれも中途半端、特に、進行中に同じタイプのギャグを何度も使うなど芸の無さも際立つ。Songのエレクトリックヴァイオリンも被せているCDの音が大き過ぎて、演奏が聴き取れない、大切なのは、生の演奏だろう? 何か勘違いしているのではないか? 斉藤 元紀のギター演奏にも、共鳴板に手をぶつけて雑音が入るなどのミスがあった。坂口の歌唱力もまずまずで、ソロで歌ったら聴きたいレベルではない。出演者5人のうち、満足できる音楽センスを持っていたのは、Hoだけであった。
 第二部に入って漸く、エンジンが掛かってきたのか。一部よりかなり良くなったが、ここで読まれた“詩もどき”ももう少しレベルの高いテキストを用意して欲しい。詩というレベルの言語表現ではない。

水底

水底

ポムカンパニー

ギャラリーLE DECO(東京都)

2013/05/29 (水) ~ 2013/06/02 (日)公演終了

満足度★★★

卑怯
 芝居の演技や演出をとやかく言う前に、精神的に余りに幼稚だ。水底というタイトルに象徴されている息苦しい世界に主人公が迷い込むのは、その幼さが原因であろう。

ネタバレBOX

 若いとはいえ、作家は二十代後半ではあろう。その割に余りにも幼い。恰も精神的に退行現象を起こしてでもいるかのようである。先ず、対自存在、即自存在と言った存在論の基本レベルでの諸問題に自らの選択による責任を負っていない。というより、スキゾそのものである。しかも、自らがスキゾであることを意識している風でも無い。唯、アリバイをつくり、実際には、中途半端な地獄を楽しんでいるに過ぎないのに、モラトリアムを長引かせる為だけにアリバイ工作をしている。鬱の話も出てくるのだが、それで、真に鬱に陥らざるを得ないのは、母である。この一家では、母に総ておんぶにだっこで負担を掛け、結果、母は自殺未遂を起こしてしまう。そして、そうなって初めて、母に負担を掛けていた、と気づく振りをする。実に嫌な内容の芝居である。そして、その甘えとアリバイの地獄を実際には肯定し、恐らくは選んですらいるのに、人間面をして見せるのだ。幼稚な上に、余りに卑怯な精神を批判するでもなければ、からかう訳でもなく、ある種の言い訳として提示して見せたような芝居。
 
歪な猿達、夢を見る。

歪な猿達、夢を見る。

HIGHcolors

テアトルBONBON(東京都)

2013/05/29 (水) ~ 2013/06/02 (日)公演終了

満足度★★★

勉強が必要
 作り方として余りに日常のダラダラ感が強い。世話物でも緊密感を出した作品は作り得るので、テーマを深く掘り下げて作ってほしい。

ソウルドリームズ

ソウルドリームズ

ぱるエンタープライズ

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2013/05/28 (火) ~ 2013/06/02 (日)公演終了

満足度★★★★

舞台が締まった
 ぱるエンタープライズの作品も森井 睦の演出とピープルシアターからの客演で、舞台が引き締まった。オープニングの効果音、役者達の形作るフォーメイションの美しさ、動きの躍動感と合理性で観客を劇空間に引きずり込む手腕は、何時もながらのものだ。

ネタバレBOX

 7年間演じ続けた小劇団主宰者が、シナリオ・監督を受け持ち、劇団のメンバーからも多くの出演者を選んで、映画デビューを果たす群像劇。ただ、この発表で、劇団内には激震が走る。同じ仲間として苦楽を共にしてきた仲間が、選ばれる者、選ばれなかった者で線引きされ、親の反対を押し切り或いは苦しいバイト生活を続けながら、同じように頑張って来た仲間の明暗がはっきり分かれる瀬戸際でもあるからだ。主役を常に張って来た者への嫉妬、コネのある者への妬み、才能ある者、ない者、ボーダーにある者の迷い等々、其々の心に渦巻く感情は嵐にも似る。
 そんな中、劇団で常に主役を張って皆を引っ張って来たリョウを狙い澄ましたかのような「事故」が、立て続けに起こる。流石にこれは怪しいと劇団員自身のうち何人かが原因を調べ始め、事件のからくりを暴き、犯人を突き止める。
 役者の実人生と非常に近い設定なので、自分自身をさらけ出すような役作りになるわけだが、自分自身のことは自分が一番分かっていない、などという逆説と同じような役作りの難しさも出来する。舞台に限らず、総て表現する者の優劣は、己に嘘をつかず而も己の総てを人々の前に晒すことが出来るか否かに掛かっている。いみじくもボードレールが指摘しているように、「芸術とは売春の趣味」なのだ。主役の座を巡り、或いはヒロインの座を巡って熾烈な争いが展開される。
 “結果が総て”という現場で、プロフェッションに賭ける役者意識の凄まじさと覚悟、己を裸にする勇気と潔さが、爽やかさを覚えさせる。オープニングの所でも指摘したことだが、群舞の美しさ、フォーメイションの美しさと合理性も見逃せない。森井が今迄積み上げてきた財産ともいえる群衆劇のノウハウが、至る所で活かされている。演技では、殊にコトウ・ロレナが光る。発声も徹るタイプの声質で声量の大小で調節するタイプではないのが、彼女を引き立たせるのに役立ってもいる。フラメンコを踊るシーンでも、あの激しい踊りの本質を掴んで豊かな表現をしている。彼女の感性の広がりと柔軟性、緩急を見抜く力と、研究熱心が、芸に更に幅と奥行きを加え、これまでの舞台経験を内包して、前回観た時より更にステップアップしている。
 ところで、タイトルでサスペンスを謳っている割に、その要素が薄いのは、多くのサスペンス作品を見慣れた観客には、不満だろう。
宮澤賢治 コミックオペレット『饑餓陣営』

宮澤賢治 コミックオペレット『饑餓陣営』

「戯れの会」

シアター711(東京都)

2013/05/27 (月) ~ 2013/05/30 (木)公演終了

満足度★★★★

涼風
 賢治が戯曲形式で、生徒たちの自習上演を前提に書いたコミックオペレット「生産体操」が幾多の改稿を経て「飢餓陣営」になったわけだが、曲想自体の素晴らしさを活かし、生演奏をクラシック畑を歩んで来た演奏家たちに任せて質を高め、多くのヴァリアントを独自に再構成して纏めた演出センスと役者陣の音感の良さに好印象を得た。
 しかも、日進・日露以来戦争をし続けていた日本で、男の子は、軍人になるのが当たり前の軍律社会にあってなお、自由闊達で柔軟な精神を失わなかった、表現者・宮澤 賢治のヴィヴィッドで明澄な世界が、巧みな構成で躍動感に溢れて蘇っている。

仏の顔も三度までと言いますが、それはあくまで仏の場合ですので

仏の顔も三度までと言いますが、それはあくまで仏の場合ですので

ポップンマッシュルームチキン野郎

サンモールスタジオ(東京都)

2013/05/24 (金) ~ 2013/06/03 (月)公演終了

満足度★★★★★

劇場に入る前にトイレ行っといた方がいいよ~
 サービス精神たっぷりのPMC(勝手に「ポップンマッシュチキン野郎」を略)だが、今回は、ちょっと趣向が変わって、一度、着席したら席を立ちたくないような前説をやっているから、こうご期待!

ネタバレBOX

  オープニングに骨壷が二つ並べてあって、其々がライトアップされている。エンディングにも、同じ骨壷が矢張り同じようにライトアップされる。
 内容的にはコテコテの世話物なのだが、PMCが演じるとドライで而もポップ。如何にも時代を映す鏡の如き作品となる。では、何故、自分が、この作品を世話物と呼ぶか、と言うと、而も態々、コテコテという修飾語までつけて。内容的に、親・子、兄弟、夫婦、愛人、宗教、信心、習慣、自己と他者等々が所狭しと描かれ、否、本質的にそれ以外は描かれていないからである。言い換えれば人情、義理即ち社会的ルール等々がぎっしり鏤められているからである。
 伝統的概念で代表させるとなれば、義理と人情なのだが、PMCのユニークな点は、これらに対する加工である。この加工の仕方に幾つかの要素を入れているわけだが、一つに、アイロニカルでシニックなパロディー、一つに時代性、三番目にこの「国」の特殊性である。これらを実に巧みにバランスさせる所にこの劇団の上手さが見られる。
 内容説明は、公演中なのでしない。但し、オープニング、エンディングで仲良く並んで提示される骨壷の意味する所は、実に意味深長である。表面上は、対立し合った兄弟の遺骨なのだが、仲良く並ぶ姿をライトアップして見せることによって、この世からあの世へ渡った後も、劇中で描かれたように、誠に因縁浅からぬ後世(ごせ)を送るであろうことが、了解されるからである。また、数多く登場する妖怪たち、“中東事変”メンバーの化粧、イスラム、仏教、キリスト教など異なる宗教の作品世界へ同居などは、共同体と外界、その辺縁を表して示唆的であり、而もその境界領域に於いては様々な揺れが確認できること、その振幅次第で状況は大いに変わり得ることを示した。異質な者達の共働は、多少歪みというスパイスを効かせながらも、より広く更に開かれた共同体の存立を暗示して象徴的である。
ずぶ濡れの物売り

ずぶ濡れの物売り

カトリ企画ANNEX

atelier SENTIO(東京都)

2013/05/24 (金) ~ 2013/05/26 (日)公演終了

満足度★★★

放念?
 避雷針を売りたい男と買いたくない男のとのやり取りを描いた作品。幾つか、意味ありげな仕掛けを出し、使って見せるが、演出、出演者共に、余り、理屈を突き詰めていないらしい。

ネタバレBOX

 ただ、話をすると、日本語の間違いがあるようだし、パンフレットを見ても、言葉の誤用が多く見られるので、そのズレを自分達の表現、つまり+αと思い込んでいるかも知れない。少なくとも余り知的ではないようである。そして、そのことをどうにかしようとか、変形させようとしているのでもないらしい。唯、己の身体を投げ出し、解釈は観客に任せる、ということに尽きるらしいのだ。
 つまり、投げ出された身体に対して、過剰な意味を付与されることを拒否するわけでもなければ、積極的に解釈をパロるわけでもないらしい。放念したように投げるらしいのだ。
ものすごいオジさん

ものすごいオジさん

ZIPANGU Stage

萬劇場(東京都)

2013/05/22 (水) ~ 2013/05/26 (日)公演終了

満足度★★★

喜劇は難しいよ
 小手先の馬鹿馬鹿しさを意識し過ぎて作っているように思う。受け狙いということか。その為、わざとらしさが鼻について素直に笑えない。それに物凄い、という感じも受けなかった。

ネタバレBOX

 浮気や隠し子の話など掃いて捨てるほどたくさんあるわけだし、母親が知るとショック死するなどということは考えにくい。設定に無理があったり、リアリティーに欠けたり、そもそもの設定を間違っていたりで、残念だ。
 おじさんの人数にも問題がある。2人乃至3人で良い。対立軸で描くか、弁証法で描くか。どちらかだろう。観客の期待を良い意味で裏切るような作品作りを目指して欲しいものだ。
恐怖が始まる

恐怖が始まる

ワンツーワークス

劇場HOPE(東京都)

2013/05/24 (金) ~ 2013/06/04 (火)公演終了

満足度★★★★★

淡々と
 この国で価値とされてきた、美徳とされてきたものの内実が、その内部から瓦解してゆく姿を淡々と描いて秀逸。(追記 5.26)
 

ネタバレBOX

 現在、この「国」の緊切な話題は、無論、原発人災をどうするかだ。この難題に立ち向かっている原発労働者、それも下請け労働者とその家族が主人公である。作品の作者は、元ジャーナリストだから、そういう視座からこの物語を作り、演出している。従って、人々の私情が矢鱈入り込む余地は予めない。その突き放した作風こそ、この作品の成功の秘訣だろう。科白も恰も取材者が、取材対象から得て来たドキュメントを構成したような作りになっていると言ったら分かり易いだろうか。
 放射性核種の齎す恐怖を描く以上、原子物理学の知識も無い者にその恐怖を理解させることは愚か、想像させることさえ、かなり難しい。放射性核種は、我々の五感では一切捉えられないからである。目に見えないだけでも、それがどういうものか想像させるのは、共通認識がなければかなりの困難を伴うだろう。まして、放射性核種となれば、世界中の推進組織が必要なデータを隠す。或いは歪曲化したり、わざと間違った情報を流す等々の工作をしているのだから、大抵の人は何を信じていいのか分からない、などということになりがちだ。その場合、訳が分からない物・事は、漠然と怖くても、実際には、自分が何を怖がっているのかも定かでない為、大抵の人は、忙しいと逃げを売って忘れたことにしてしまう。
 一方、物理的な事実は、その条件下では無論絶対である。地球上で物が、落下する場合の加速度は、4.9S²である。これは、地球上であれば、どこでも通用する。音速は331+0.6T、Tは、常温で15度cを意味するから、音速は秒速340mと考えるのが基本である。こんなことは、義務教育で総て習ったことなので、今更態々繰り返すのも愚かなことだが、誰でも知っていることを例に挙げた。
 所謂「専門家」が、「素人にはわからないのだから黙っていろ」などと暴言を吐きつつ、己がどんなに馬鹿げたことを言っていたかと言えば、例えば原子力安全委員会委員長であった、班目春樹が、どれほど、頓珍漢で愚かなことを言い続けていたかを見れば、明らかだろう。原則を見、原理を知り、自分の頭を明澄性の中に置くことを知って、正しく推論するなら、例え、専門の学校など出ていなくても正しい推論は立てられるものである。それが出来ないのは、前提に間違いがあるか、推論に間違いがあるか、計測すべき何かを計測していないなど初歩的なミスを犯しているかであろう。
 この作品は、淡々と避けられない被曝を描くことによって、それが、何を破壊し、破壊される恐怖が、どんなに人間関係をズタズタにするかを描いている。劇場に入ってすぐ気付くのが、原発建屋を模した幕で、無論、上部は、金属が錆び、折れ曲がったフェンスのようになっている。ニュースの映像で、今は誰でも知っている事故原発の外部だ。
 安倍内閣のいうような楽観的なことは、2年以上経った今でも、何一つ言えない。そのことを胸に刻んで、生命総てに害を齎す核というものに想像力を働かせたいものである。


何度もすみません

何度もすみません

MacGuffins

シアターKASSAI【閉館】(東京都)

2013/05/23 (木) ~ 2013/05/26 (日)公演終了

満足度★★★★

切なさ
 ビックリすると過去に戻ってしまう特異な「体質」の為、志村は人生で最も肝要なこと、即ち、恋愛や仕事に何時も怯えていなければならなかった。いつ何時、どの過去に飛んでしまうか、それが分からない以上、恋をしても、愛すれば愛する程、相手に対して責任を負い切れない自分の惨めさがつのるだけなのである。仕事でも同じだ。生涯を賭けて打ち込みたいと思ってもチームワークを組むような仕事は基本的にできないのだ。ハッキリしていることは、びっくりしてしまえば、確実に過去へ戻り、積み上げて来た物・事は、瓦解してしまうこと。

ネタバレBOX

 とまあ、こんな状況に置かれた彼は、小学校のバレンタインデーに同級生の女の子、大野から、チョコを貰い、告白されて、過去へ初めて飛んだ。その後、類似の例が何度も起こり、その度に飛ぶ距離が異なるので、29歳になった今では、在る程度、超える時間を制御できるまでになっているが、シジフォスのような精神力もなく、この苦役に耐えるのは並大抵のことではないのも事実である。そんな志村にも心から慕う女子は居た。高校時代の同級生、篠原だ。同じ図書委員で、よく一緒に居る。下校も一緒のことが多い。篠原も、志村を嫌っては居ないようなのだが、どうも上手く思いを告げられない。そのうち、二人は、それ以上の関係になることなく卒業し、志村は、引き籠るようになっていたが、ギャラ2000万円というアルバイトに出会い、これを始める。仕事の内容はクイズ戦士、但し条件がある。絶対に文句を言わないこと。ギャラ以外の仕事の条件は、24時間いつでも出された質問に応えることだ。ギャラが年俸なのかどうかについての説明はなかった。
 折も折、偶然が、二人を引き合わせた。然し、二人のデートは、質問によって邪魔されたばかりか、彼女に連絡が入って、尻切れトンボのような別れ方をしてしまう。その後、そんな別れ方になってしまったことを詫びる電話が、篠原から入り、二人は再びデートすることになるが、彼女の都合と、小学校時代に告られた女の子、大野とのデート日時が重なってドタバタが演じられる。この中で、クイズ戦士のギャラは何処から出ているのかも明らかになってゆく。クイズ戦士とされた者は24時間監視体制下に置かれ、一挙手一投足をモニターされており、面白い場面は放送されていたのである。TV局の新コンセプト番組の出演者だったわけだが、志村本人はTVを全然見ないので、そんなことが起こっていようとは夢にも思っていなかった。
 つまり、深読みとは言わない迄も、このシナリオに内包されている意味として、篠原と志村が10年以上も経って会ったのは、偶然では無く、TV局と関連スタッフによる仕掛けだった。無論、当事者二人は知らぬことであった、が。
 何れにせよ、志村を挟んだ三角関係に近いものになってしまったドタバタのせいで、女性二人と志村の関係は壊れてしまう。思春期から恋する若者の世代に至る演技は、三角関係を演じた三人ともに、切なさを出していたが、特に志村役、篠原役は痛切な内容も含めて人々の心の底に眠る自分自身の経験を思い出させるに足るものであった。何れにせよ、このドタバタの中で、志村にこのアルバイトを紹介してくれた小学校時代からの友人であり、現在では篠原の婚約者であり、且つ、TV局ともつるんでいるらしい藤川との関係を変えるべく、志村は過去に旅立ち、志村と篠原の関係に割って入った藤川との関係を変える。
 無論、この結果、物語はハッピーエンドを迎えるのだが、篠原が、志村と同じ、時を遡る人であったことが明かされるのが妙味だ。
そうなると、最初に志村が、思いを告げようとした時、「ごめんなさい」と言った篠原の科白は、決して、志村を拒否したのではなく、その頃、既に志村を愛していたからとも読み替えられる。
 蛇足:物理学を修めた人が観たら、物理的に在り得ないような時間論のミスはあるが、その辺り、映像と実演を巧みに用い、イメージとして見事に昇華していることで勘弁して欲しい。殊に、自分の意思で過去に戻ることを決めた志村が、時間を遡るシーンでのモノクロ映像と演技のコラボは秀逸なのだ。
ノミの心臓

ノミの心臓

劇団サミシガリヤ

シアター711(東京都)

2013/05/22 (水) ~ 2013/05/26 (日)公演終了

満足度★★★★

女性たちの真の自立へ
 等身大の自分達(アラサー女子)を描いた勇気を評価したい。男性社会の象徴である勅使河原の上司としての貫目の描き方を見ても作者のしっかりした人間観察の目が感じられる。また、矢張り、アラサーのプロジェクトチーフ、栗原の立ち位置と本当の願いをさりげなく出している所も上手い。

ネタバレBOX

 栗原だって芸能界に憧れて、この世界に入ったのだということが、たった一つの科白で分かるようになっている点でも、シナリオライターとしての力は知れよう。物を実際に作り上げることの困難とやり抜くことに伴う、悪を含めた覚悟の程を劇化している点も評価したい。
 惜しむらくは、中ほど、メンバーが久しぶりに実家に帰ったことを話す下りで、前半ずっと続いていた緊張の糸が途切れ、劇的なポテンシャルがトーンダウンしたことである。ここは、何とか演出で工夫するか、若しくは構成を少し変えてトーンを上げて欲しい。これが成功すれば、作品レベルは、間違いなく上がる。
 ラストに近いシーンでの武道館ライブシーンでは、女性達の可愛らしさや美しさではなく、生き方の格好良さ、というのを初めて感じた。女優達の演技の賜物である。
 と同時に、これからの女性が、この舞台に描かれたキャラクター達のような試行錯誤を通じ、長い思索の果に真の自立を果たす端緒を示し得たのではないか、と感じる。その意味で、非常にチャレンジングで前向きでありながら、実人生にありそうな世話物になっている。この劇団の今後に期待したい。
『問わず語り』

『問わず語り』

劇団ドガドガプラス

明石スタジオ(東京都)

2013/05/23 (木) ~ 2013/05/26 (日)公演終了

満足度★★★

身体のメタ化
 5月23日19時開演の本作を拝見したが、導入部の主演、あれでも演技のつもりだろうか? 科白の内在化は愚か、そのようなことに気をつけているということすら感じられない所作の連続であった。溜めなどの発想もなければ、きちんとした人間観察もしていないのではないか、と疑われるほどの出来であった。板に上がる以上、そういうテンションで上がって欲しい。
 以上のような方法を採らないなら、呼吸や、心拍数の調整で年齢を表現するような、生理学に基ずいた身体表現の基本を身につけるべきである。観客の目は節穴ではない。漸く、所作に締まりが出て来たのは、休憩直前のお富が亡くなるシーン辺りからだ。
 休憩後は、年齢設定が、主役自身の実年齢に近い、ということもあったのであろうし、テンションが上がったという側面もあろうが、合格点に達した。

六丁目金山ビル・おみまめ

六丁目金山ビル・おみまめ

劇団芝居屋

テアトルBONBON(東京都)

2013/05/22 (水) ~ 2013/05/26 (日)公演終了

満足度★★★★★

「マーガレット」の常連になりたい
 倶楽部、スナック、おでんや、居酒屋が雑居する金山ビルの1階にある喫茶「マーガレット」の馴染み客は、同じビルで働く倶楽部、スナックのママや従業員、おでんやの女将そしてこのビルの二代目、オーナーなどだ。手相を観るのが上手なマーガレットのママは、ホステス達の恋や行く末の相談にのったり、客の心をケアする達人である。実際、芝居とは分かりながら、こんな店があれば、自分も常連になりたい、と思わせる作りである。
 そう錯覚させるだけの内容は、芝居屋ならではの芝居作りにある。来るべき所に適切な科白が置かれ、その内実を各々の演者がしっかり受け止め、内実化した上で、身体化している所は、何時もながら見事と言うしかない。
(追記 5.24)

ネタバレBOX

 舞台は、総て「マーガレット」店内で進行する。選挙前に講演会で資金集めをした後、支持者と共に街に繰り出す代議士の接待があるのに、接待の日時連絡をうっかり忘れていたビルオーナーのせいで、女の子集めに苦労する倶楽部ママの話、仲の良かった父と一瞬にして仲違いし、生涯父を恨んで死んだ母の姿を見て育った姉弟に、離婚直後に死んだと母に告げられていた父が、実はつい最近迄生きていたという話を父の知人から告げられ、混乱・苦悩する姉は、バツ一の男と恋仲ではある。然し、苦しむ母の生前の姿がトラウマとなって、どうしても結婚に踏み切れない。仲の良かった夫婦が何故、急に不仲になり、離婚したのか? 母の言葉と異なり最近迄生きていた父は、何故、子供達に会わなかったのか? “おみまめ”という言葉の意味するものは、何か? などが、話のメインストリームを作り、其処に、様々なサブプロットが実に巧みに配置されて、物語は進んでゆく。
 “おみまめ”という謎の言葉が惹きつける力を用いて観客の想像力に訴え、最も効果的な謎解明の仕方を採る、この辺り、手練とでも言うしかないレベルだ。
 劇中、用いられている曲の選択も見事だ。ビルオーナーの五郎が、音楽をリクエストするシーンで最初に掛かるのは、ダミヤの“暗い日曜日”であるが、それは、すぐ“ボレロ”にとって代わられる。この変化は、無論、芝居の内容に密接に絡んでいる。“暗い日曜日”はヨーロッパでその曲が流行った時に歌詞を聞いてたくさんの自殺者が出たことでも有名な曲である。その暗く、閉ざされた精神の闇を、次に掛かるボレロが除々に別次元へ誘う。而もボルテージは除々に上がってゆくのである。この間に、コンダクターのような素振りで五郎は関係者を椅子に座らせてゆき、突然「音楽止めて!」と叫ぶのである。ボレロの聴衆を引き込んで離さない音楽的魔力から、観客は一挙に劇的世界に連れ戻される。この辺りの呼吸、演出の手際は名人技である。更に、五郎が、科白を吐いた直後には、マーガレットのママが、カウンターの内側にしゃがみ込んで、プレーヤーのスイッチを切る、という演技も行われている。「音楽止めて!」のシーンのインパクトが強いので、殆どの観客は気付くこともないだろう箇所もキチンと作り込んでいる所に、この劇団の本物志向が現れている。かといって、それが笑いを削いだり、人情の機微を邪魔したりすることが無い点がこの劇団が本当に質の高い劇団であることを証明している。
 費用対効果を言いたてる今日の社会では、一見無駄に思われるかも知れない、このような作り方は、出演する役者、スタッフのイマジネーションを具体的、個別的でありながら普遍的なもの・ことに集約することに役立てられているのだ。結果、観る者が観れば質の高さが見えるのである。
 大団円では、謎の言葉、“おみまめ”の意味も示される。父の孤独死の後、机上に発見されたアルバムが、閉じていた姉、美樹の心を開いてゆく。この辺り、小道具というものは、このように活きるのか、というお手本のような使い方だ。
縛驟雨(ばくしゅうう)

縛驟雨(ばくしゅうう)

劇団 背傳館

シアター・バビロンの流れのほとりにて(東京都)

2013/05/16 (木) ~ 2013/05/19 (日)公演終了

満足度★★★★

この国のムラ
 日本的共同体の特質が良く出た作品だ。殺陣も上手く、役者陣も熱演している。

ネタバレBOX

  彗星が、地球に近づく周期というものがある。有名なハレー彗星の周期は、約76年。前回は1986年であった。この物語は、この彗星の周期に連動している。舞台は、1986年と1910年の間を揺れ動き乍ら、日本近代と村を問うのである。
 最近でこそ、ニュースで扱われることも少なくなったが、狐憑き、と呼ばれる現象がある。これを払うと称して、憑かれた者の身体を叩き、殺してしまう、などという悲劇も各地で起こって来た。更に、“源氏物語”などを読めば、魑魅魍魎の類を為政者が恐れ、難を避ける為に現在では信じられないような様々な手を打っていたことにも思い当たる。陰陽師が力を持つ背景にあったのも、こうした訳のわからない“もの・こと”に対する恐れからである。普段から、人々の生活の背景にこのような定かならぬ不安があれば、きっかけ一つで、人々は簡単に暴走する。
 1910年、ハレー彗星が、地球に接近した際、人々は、“彗星から有毒ガスが流れて、生き物は滅ぶ”だの、“彗星の重力によって、地球上の大気が吸い寄せられ、結果、我々は酸欠で死亡してしまう”だのと根も葉もない噂が飛び交った。物語では、詐欺師がこういったデマを流したことになっている。何れにせよ、恐れた人々は、隣村との共同幻想にあった人の生き血を吸う鬼だと噂の美しく若い娘を、荒ぶる神、スサノオノミコトの贄として差し出し、以て村落に結界を張ろう、と企てる。音頭を執ったのは村の神官である。彼は、身近の者に、捕えた若い女の番を命じる。若い女を任された若者は、この女に恋をした為、一切、手荒な真似はせず、彼に縄をうたれると幻覚、幻聴に襲われることもなく安堵する、という娘を日毎縛める。だが、若者は、利用されていた。村人が、彼を追い払っては、娘をレイプしていたのである。その中には、神官も含まれていた。また、この若者の友人たちも。終に、彼女が贄として捧げられようという日、若者は、女を救いだし、村を逃れようとするが、娘は既に殺されており、若者も見付かって、捧げものを置いた建物に縛り付けられたまま火を放たれて悶死する。
 76年後、この村の若者の所に一人の女が現れ、若者の部屋に居着いた。若者は、毎日、女に縄を掛ける。過疎に襲われ、若い女など殆どいないこの村の若者達は、新たにやって来た女に懸想し、関係が複雑化する。時巡って、ハレー彗星の周期年、76年前に悶死した若者の怨念が、今果たされようとするが。
 内容は、ざっと以上のような作品だが、主張は、最初に書いたように日本の共同体の持ついぎたなさ、とそれが今も全然変わっていない、ということである。今更、原子力村の例を挙げる迄もあるまい。
【次回公演は3月!ご来場ありがとうございました!】「かたわこや」

【次回公演は3月!ご来場ありがとうございました!】「かたわこや」

劇団東京ミルクホール

SPACE107(東京都)

2013/05/15 (水) ~ 2013/05/19 (日)公演終了

満足度★★★★

三寸を愉しむ
 初めに断っておく。片輪という差別用語が使われているのは承知している。然し、この作品を作った人々も自分も差別することもされることも嫌いである。差別はとてもデリケートな問題だ。言葉そのものに対する、自分の頭で考えた考察が必要なことは言うを待たない。然し、言葉の使い方、使われ方の方が、より重要だと自分は考えている。即ち、在る時代、在る地域で、在る表現が、如何なる意味をという単純なレベルではなく、言葉の背理も含めて意味する所をキチンと弁え、時には、踏み込んだ発言、意見交換すらできる程度には、自分と同等であることを尊敬の念と共に分かち合うことが、最低限必要なのである。このようなスタンスで、この作品を拝見した。

ネタバレBOX

 見世物小屋と言えば、キッチュの代名詞とまでは言わないが、実際、そう思っている人は少なくあるまい。観客は、展示される片輪や不思議な生き物が本物でないこと位良く知っているのだ。そればかりか、知って居て騙されたふりをすることを楽しんでいるのである。興行を打つ側とて、その辺りの呼吸は、無論、充分に心得ている。日本には、タンカバイと言って、口先三寸で品物や芸の価値を認識させたり高めたりして売る伝統がある。縁日で見掛ける香具師も、見世物小屋の“親の因果が子に報い云々”などの口上もその類と看做すことができよう。香具師の商売で有名なものだけを挙げても、蝦蟇の油売り、バナナの叩き売り、金魚すくいの口上など誰でも直ぐに思いつくだろう。こんな伝統の上に立った見世物小屋の話である。
 時は大正、浅草の一等地に本拠地を置く見世物小屋、アポロ。この小屋の看板娘は、蛇使いのマキ。このマキに帝大生が恋をした。だが、彼女に焦がれた孝則は、父の経営する炭抗の炭塵爆発で死亡してしまう。孝則の友人で同じ帝大生の鶴夫も矢張りマキに一目惚れしてはいたのだが、マキは死んだはずの孝則に出会ったという。
 一方、この浅草の賑わいに付け込んで新興の暴力団組織の組長、鬼小島 が、アポロをも狙っていた。今迄、相身互いでやってきた地元の親分、源之助も組員を鬼小島に持っていかれ、ピンチである。そんな折も折、摂政の宮が「見世物を観たい」と言っているとの達しが、宮内筋から届けられた。内々の達しでは、アポロが氏名されていたが、実質的にも力を延ばしてきた鬼小島支配下の劇場、芸人も黙ってはいない。アポロ芸人のひっこ抜きも始まっている。そこで、コンテストが行われれることになり、どちらが、指名されるかは先の判断に任されることになった。
 大団円では、登場人物全員が、チェーンを鼻から通して口から出す芸をやってのける。摂政の宮役、御付きの者役を含め、敵対していたヤクザの組長らも総てである。この辺り、天皇家も被差別者であるとの判断が働いているかも知れぬ。実際、天皇の棺を担ぐのは、そのような民である。以上のような事実もあるので、大団円の連帯が、美しい。途中から、大団円にいきなりと怒らず、想像力で埋めて欲しい。

万お仕事承り〼 お仕事の参~若さのヒケツお捜しします~

万お仕事承り〼 お仕事の参~若さのヒケツお捜しします~

劇団岸野組

俳優座劇場(東京都)

2013/05/18 (土) ~ 2013/05/26 (日)公演終了

満足度★★★★★

見事
 エンターテインメントに徹しながら、この完成度!! お見事!!! 幕開きでは、浮世絵を見るような舞台美術と役者陣の配置、適確な照明と絶妙なスモークで三次元を二次元と見紛うような色合いで見せて驚かせ、観客を引き込むテクニックにレベルの高さを見た。その後の展開も、演技、演出、場転、これらを邪魔しない音響と照明、一見何気ない科白に人間観察の鋭さを活かしたシナリオ。猪鹿蝶ばあさんトリオによるイソギンチャクの揺らめく触手のような、生体情報アンテナの手踊りも笑いのアイテムとして丁度良い。

未確認の詩-ウタ-

未確認の詩-ウタ-

ライオン・パーマ

王子小劇場(東京都)

2013/05/16 (木) ~ 2013/05/20 (月)公演終了

満足度★★★

どの世代にも
 この所、重い作品ばかり観ていたので息抜きになるような作品であった。というのも、明るいホームドラマ風のテイストに詰め込まれた、一般人が夢見るレベルの本質的な事と生きて行く為に必要な希望が、殆ど屈折なしで描かれていたからである。
 今回が20回目の公演であり、それなりのロジックとフィジカルなレベルでの加工は、充分にこなされたシナリオで、役者陣の演技もそつの無いものであったが、尚、高いレベルを目指すのであれば、夢見るレベルではなく、夢を夢見るレベルで作品を書くという所迄、作家は、自らの哲学と存在のレベルを掘り返して欲しい。それができれば、一皮どころか、二皮も三皮も剥けた作品世界を成立させることが可能であろう。

シュナイダー

シュナイダー

青年団若手自主企画 マキタ企画

アトリエ春風舎(東京都)

2013/05/15 (水) ~ 2013/05/19 (日)公演終了

満足度★★★★★

表現上細かい欠点はあるが、本質的な欠点なし
 よくこれだけダークな作品を描いたな、と感心した。というのも、現在、この国で喧伝されているのは、在りもしない未来と幻想ばかりだからである。少なくともTVはそうではないか? 然るに、現実はそうではない。それどころか、原発推進派や諸官僚、政治屋の動きを見る限り、ふりまかれている下らない幻想と反対に暗く蠢く人間という生き物のダークエネルギーしか見えてこないのである。端的に言えば、「我の死後洪水は来たれ!」という無責任そのもの及び倫理の徹底的退廃の上で、既存「エリート」は、多くの甘い囁きを垂れ流しているだけなのだ。その点をブレの無い視座で見定め作品化している点に感心したのである。そも、人間という生き物は、この地球上に於いて食物連鎖の最上位に位置する。即ち、あらゆる生物の王と言って過言ではない。従って、いいことも悪いことも自分の好きなことをやってのけることができる位置にいるのである。我らは、このことの意味する所を良く知らねばなるまい。誰でも理屈の上ではよく知っていることだが、人間は、総ての良いことも、また総ての悪いことも、最大限実行可能なのである。それを敢えてしないのは、倫理と法による規制に従うからである。
 一方、自分自身がどうなっても良いと定めれば、彼を縛るものなど何処にもないのが実情である。そして、負のエネルギーを解放する為に、一般市民が、採り得る方法とは、先ず、自らが犠牲者の立場になることではないだろうか? そして、自分の不幸の原因を、例えば加害者に求めるとすれば、加害者が法的に罰せられ、その罪を法的に償ったあとでも、倫理を盾に、加害者をいびり続けることは可能なのではないか? この作品では、登場する被害者の総てが、加害者に対してこの点をメタレベルで実践している。そのことを舞台を通じて観るのが、我ら観客である。つまり、舞台は、このようなことが正当なのか否かを観客に問うているのであり、観た者は、その答えを探すことを求められているのである。だから、この作品は、謎に始まり、謎に終わっているのだ。

メメント・モリ

メメント・モリ

ウンプテンプ・カンパニー

【閉館】SPACE 雑遊(東京都)

2013/05/16 (木) ~ 2013/05/27 (月)公演終了

満足度★★★★

理性と信心
 さて、タイトルについて少し考えてみよう。誰がメメント・モリという標語を喧伝したのか、という点についてである。これは、結構重要な視点である。なぜならば、この言葉が盛んに用いられ、絵画などでも表現されたヨーロッパ中世には、ペストの大流行があり、流行地域では当時の人口の三分の一の死者が出たと言われているほどだ。宗教改革が始まる16世紀中葉迄には、既にキリスト教内で分裂騒ぎが持ち上がり、異端審問や魔女狩りが行われた。ペストのような大災厄は、死を人々の間近なものとすると同時に、犯人探しの心理が働き、悪魔の手先と看做された者は、当然のことながら、拷問の末に虐殺されていったのである。
 この作品は、ガルシア・マルケスの「愛その他の悪霊について」から想を得ているとのこと。マルケスはスペイン人侯爵の長い髪の令嬢の伝説から着想を得たという。何れにせよ、宗教的権威が揺らぐ時代にあった、スペインの植民国、ヌエバ・グラナダで、狂犬に噛まれた12歳の侯爵令嬢の髪が、その死後も伸び続け、後、発見された際には22mにも及んだ、という。(追記5.19)

ネタバレBOX

 今作では、彼女が主人公だが、異端審問をする側の尖兵には“サマランカ大学”出身の修道士が当たっている。無論、これは実在のスペインの名門大学、サラマンカ大学を指すことが明らかだが、実在の大学である為、敢えて名前に細工をしたのであろう。宗派もジェズイットと同格であることを匂わして濁している。カソリックの神学理論で最も高い見識を持つ同派は、一方で最も戒律の厳しい宗派でもあり、その戒律が余りにも厳しかったが故に、ヨーロッパでは、布教に支障をきたし、結果、アジア、南米など、当時のヨーロッパからは未開の地であった遠方へも布教に赴いたのは歴史の教える所である。
 何れにせよ、侯爵令嬢は、狂犬の犠牲者4人のうちの1人であり、噛まれた人間3人に含まれていた。もう1人の犠牲者は、唯、狂犬の唾液を浴びただけで発症し、既に縛めを受ける身であった。当時、狂犬病は、罹患すれば一例の救いも無い悪魔の病として恐れられた業病であった。
 ここで、彼女の出生が、事件に大きく関与する。彼女の母は、メスティーソである。(学位論文などではないので生みの母の問題は割愛する)侯爵の初婚の相手は雷に打たれて絶命し、後妻に娶ったのが、身持ちの悪いと評判の彼女の母だったのである。メスティーソとは、アフリカ黒人とスペイン人との混血であることは、御存じだろう。生みの母との関係で娘は黒人奴隷の文化的影響を受けて育てられた。このことが、後に、彼女の運命に大きな影を落とす。一方で、原作者、マルケスの作品は寓意に満ちた作品でもある。そして、マルケスの立ち位置は、あくまでも人間なのだ。其処には、肌の色による産別を厭う魂があり、民衆の語る物語の方法を自らの手法に摂り入れた天才の大きな翼と長い歴史性がある。その根底的な価値観に、舞台で描かれた世界観は、対置されているのである。発症していない侯爵令嬢が、修道院に閉じ込められて自由を奪われ、彼女の継承していたアフリカ的な文化が、悪魔に憑かれた証拠だとされ、理知で、彼女の無辜を信じ、愛するに至った当代最高の知は、異端と退けられ生涯を苦役に服さざるを得なかったことを描くことによって、その理不尽の、また、権威・権力という名の力の不正義を問い、返す刀で民衆の選択した、犠牲者・侯爵令嬢の髪がその死後も伸び続け22mにも達した、という奇跡を描くことによって人間の尊厳、自由、愛の普遍性を示したのだ。
 その結果、今作で描かれた世界は、偏見に囚われ、正しい判断が下せない権威・権力に対する人間的価値からの痛烈なアイロニーである。
 従って、実際にメメント・モリを喧伝したのは、権威・権力者であったにも拘わらず、それを真に追求しなければならない者こそ、彼ら、権力者である、という逆転が含まれていると解すべきであろう。

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