うさぎライターの観てきた!クチコミ一覧

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うちの犬はサイコロを振るのをやめた

うちの犬はサイコロを振るのをやめた

ポップンマッシュルームチキン野郎

駅前劇場(東京都)

2014/07/04 (金) ~ 2014/07/13 (日)公演終了

満足度★★★★★

衝撃のラスト
ポップンのスタイルがさらにはっきりと確立されたような気がする。
明確なテーマを掲げ、リアルで冷徹な描写をしながら
もう一方では毒気たっぷり、許容ラインギリギリのところで笑い飛ばす。
そして権力の影でひたむきに生きる人を愛情こめて描く。
脱いだり見せたり笑わせたり、でもやっぱり泣かせるポップンの舞台。
脚本もいいし演出もいいが、何よりこの発想の素晴らしさ。
犬のメイクがマジ可愛くて、思わず連れて帰りたくなる。
ゴルビーグッズ、あれば買ったのになあ、ぬいぐるみとか。
この劇団を観ると、かぶりものの威力を改めて思い知る。
まったく心温まるヒドイ話だった。
5つ目の★は、吹原氏の素晴らしい発想に捧げる。

ネタバレBOX

例によって客入れの時間帯から舞台上では小芝居が始まっている。
BGMはある種の共通点を持つ歌手の歌だけが流れている。
岡本さんは以前のモモクロパフォーマンスがすごかったのでちょっと寂しく感じた。
「YAH YAH YAH!」は素敵だった♪

“何でもあり”の隣国で、もっと驚くべき人体実験をしていたのは日本軍。
人間に施したその手術では被験者がみな自殺してしまったので
次は犬なら大丈夫だろうとシベリアンハスキーのゴルバチョフが選ばれた。
その結果、未来を視ることができるようになってしまった彼の人生は大きく変わる。
そして出会ったシヅ子や仲間たちとの幸せな日々。
しかし、その手術にはある秘密があった…。

まず着想が素晴らしく、オチの衝撃がハンパない。
犬がしゃべるとか、R18指定とか、見えたとか丸見えとか、
そんなことがどうでもよくなるほど(よくはないか、この日を選んで行ったんだし)
ラスト20分の展開がシリアスで衝撃的だ。
“誰かのために自分を捨てる潔さ”を、今作品では犬が見せてくれる。
加藤慎吾さん演じるゴルバチョフは、衣装もメイクも素晴らしく魅力的だ。
彼のキャラが本当に泣かせるんだなぁ。

シュールな設定にもかかわらず説得力をもって引っ張るのは
振れ幅大きいがきちんと台詞を届ける役者陣である。
躍進目覚ましい増田赤カブトさんは、歌も台詞も安定感が増して来てとても良かった。
サイショモンドダスト★さんのキワモノぶりが素敵、その声と台詞回しにはほれぼれする。
野口オリジナルさん、細い身体を惜しげもなく晒して表情豊かに踊るところが素敵。
荻野崇さん、この人の登場で作品の持つダークな面の格が上がった感じ。
そして横尾下下さん、あまりにリアルな演技が素晴らしく目が釘付けになった。
ポップンはこういう芝居のできる人が集まっている集団なのだ、と改めて実感。

ダンスや歌を多用するのはキャバレーが出て来るからなのかもしれないが
あのくらいの割合で用いるならば、もう少し精度を上げて欲しい気がする。
ダンスのキレ、習熟度にばらつきがあるのはちょっと残念。

アニメーションによるメンバー紹介など、相変わらずセンスが良くて洗練されている。
下ネタサービスやギャグにケラケラ笑っていると、がつんとやられて立ち上がれなくなる。
吹原幸太さんは、すごい本を書く人だ。
この人のバランス感覚について行けるように、私も足腰を鍛えたいと思う。




かなかぬち

かなかぬち

椿組

花園神社(東京都)

2013/07/12 (金) ~ 2013/07/22 (月)公演終了

満足度★★★★★

土の上の芝居
椿組、花園神社、野外劇と聞けばもう夏の風物詩、芝居の原点である。
ここ数年、土の上で上演される芝居のエネルギーに圧倒されたくて通っているが
今年は中上健次唯一の戯曲であり、火が不可欠な芝居ということで楽しみにしていた。
凝ったセットもなく花園神社のゆるい起伏を活かした地の舞台スペースが
奥行きのある山深い峠を見事に再現している。
土の上では、役者の素の力が足元から立ち上がるようで本当に魅了される。

ネタバレBOX

入り口で団扇を受け取って客席に入ると、中上健次が愛した都はるみが流れている。
衣装をつけた役者さんがビールやチューハイ、お茶などを売っている。
夜になって涼しい風が吹き始め、思ったよりずっと快適だ。
外波山文明さんが挨拶する声がもう嗄れ嗄れで、思わず笑ってしまう。

舞台下手側手前には盗賊の頭とその妻が陣取る小高くなったスペースがあり
その他は特にセットらしきものも無い。
手前から奥に向かって緩やかに広がるフラットなスペースが広々としていて
役者はまさに縦横無尽に駆け回る。
奥にある3つの松明の灯りが舞台全体を生き生きと照らしていて
上演中2度ほど黒子が火をついだのもリアルに感じられる。

「かなかぬち」の「かぬち」とは金打ち、つまり鍛冶のことである。
物語の中心である盗賊の頭(山本亨)は、後悔も反省もしない非情な男だ。
彼は、身体が次第に鉄化していく異形の者でもある。
腕や脚、胸などが鋼鉄の鎧のようになっていき、しかもひどく痛む。
彼がさらって来た女(石田えり)は、今では彼を凌ぐほどに手下を引き連れて走り回るが
痛みに苦しむ頭を労わる優しい一面もある。
彼女がさらわれて置き去りにされた姉弟は、父の仇と母を探して旅をしている。
この母子が思わぬ対面をして悲劇が起こる…。

“異形の者”がぴったりの山本亨さん、相変わらず大きい男を演じると魅力的。
強い男ほど女には弱い面をさらけ出すというギャップが立体的で
自分の変化を受け入れてくれる女にすがる一面が際立った。

石田えりさんさすがの貫禄で、さらわれて来たものの
実は自分の中の“野生のような凶暴さ”に目覚めた女を楽しそうに演じていた。
母性と女としての自分が混在する複雑なキャラが、ラスト怒涛の展開に説得力を持つ。

旅回りの一座が唄ったり踊ったりしたが、今年はこのアンサンブルがとても充実している。
音も良く、踊りもそろって、一人ひとりの役者の動きがきれいに出来上がっていた。

中上健次の創り出すキャラは、自分を責めたり善い人ぶったりしない。
子どもに対面して泣き出すような母親ではなく
愛する女の亡骸をいつまでもかき抱く男でもない。
その自己に忠実なところが魅力的だ。
偽りの人生をおくって来た姉弟でさえ、最後は究極の選択をする。

親の仇と狙う男と同じように、自分の身体も鉄化していくと気づいた弟が
隠された親子の証である「かなかぬち」の身体を晒す所が良かった。
ラスト、あっと驚くケレン味たっぷりの演出がまた芝居小屋の楽しさを思い出させてくれて
今年も大満足の夏の芝居が終わった。

毒婦二景「定や、定」「昭和十一年五月十八日の犯罪」

毒婦二景「定や、定」「昭和十一年五月十八日の犯罪」

鵺的(ぬえてき)

小劇場 楽園(東京都)

2014/06/12 (木) ~ 2014/06/23 (月)公演終了

満足度★★★★★

君臨する女王(Bプログラム)
あの安部定事件を、逮捕直後の取調室で検証するという設定。
かみ合わず強張っていた刑事と定のやりとりが、次第に変化していく様が面白い。
“女王のように君臨する定”の周りで、理解不能な事件に男たちはおろおろする。
だが定の心情に触れ、変化をもたらしたのもまた、その男たちであった。
たたみかけるような淀みない台詞のやりとりが素晴らしく、ぐんぐん惹き込まれる。
すっきりと美しいハマカワフミエさんの定が、君臨するに相応しい強い意志を感じさせ、
単なる猟奇事件の犯人を超えたキャラを立ちあがらせる。
谷仲恵輔さんが、人間味と余裕を合わせ持つ刑事を演じていて大変魅力的。

ネタバレBOX

平日のマチネ、客席は立錐の余地も無いほどぎっしり入っている。
楽園のあの柱が、セットなのか劇場の一部なのかわからないような装飾を施されている。
私は楽園で初めて、柱の存在を忘れた。

明転すると、取調室の入口に近い小さな机の上に定が正座している。
刑事たちは奥の大きい机の周りにいる。
署の外には、定を一目見ようと群衆が押し寄せている。
惚れた男の首を絞めて殺し、その性器を切り取って持ち去った女に
「男に対する殺意と憎しみがあったはずだ」と決めつける輿石刑事(平山寛人)、
「まあまあそう言わずに、お定さんも話してくれませんか」
と辛抱強く問いかける浦井刑事(谷仲恵輔)。
そこへ突然内務省の役人(瀬川英次)が「自分も取り調べに混ぜてくれ」とやって来た。
2人の刑事と1人の役人は、定の心情に迫るため事件を再現しようと試みる。
だが所詮定の真意には届かず、取り調べは行き詰ってしまう…。

文字通り君臨する定の強さ、迷いの無さ、理屈を超えた情の深さに圧倒される。
自分の物差しで測れない女を、ただ嫉妬に狂ったか金のもつれかくらいにしか
想像できない男たちの代表が輿石刑事だが
その理解できないもどかしさ、忌々しさがビシビシ伝わって来た。
定の話に「理解出来ないが、邪念が無かったということは解った」という
浦井刑事との対照的なスタンスが鮮やか。

そこへ好奇心丸出しでテンション高く定に接する役人が加わり
事態は俄然面白くなってくる。
定になり切って事件を再現しようとする役人の
稀代の犯罪者を目の前にしてミーハーっぽいテンションの上がり方が可笑しい。
瀬川さんの振り切れ方が素晴らしく、一気に「静」から「動」へ切り替わった。
取調室がワイドショーのスタジオになったようで
“わけがわかんないほど大騒ぎする”大衆の心理を代弁する感じ。

「吉さんとは終わっていません、続くんです」と主張する定に対して
終盤、攻防に疲れた浦井刑事がついに個人的な感情をぶつける。
そこから定の態度が一変するラストまで見ごたえがあった。

劇中BGMも無く、台詞も決まった言い回しが繰り返される。
だがそれが不自然でなくむしろ共感を持って聞けるのは
役者陣の説得力ある台詞と絶妙な間の力である。

すっぱりと切り落としたような終わり方で
むしろここから先を観たくなるような印象さえ受けた。
定の、わずか6年で出所してからの人生がどこか投げやりなまでに自由奔放なのは
捕まるまでの人生に満足して、あとはどうでもよかったからではないかという気がする。
ハマカワフミエさんの安部定は、それほどまでに孤高の女王だった。
秋の螢

秋の螢

(公財)可児市文化芸術振興財団

吉祥寺シアター(東京都)

2013/10/10 (木) ~ 2013/10/16 (水)公演終了

満足度★★★★★

鄭義信さんの台詞
“第一線で活躍する俳優・スタッフが岐阜県可児市に滞在しながら作品を制作、
可児市から全国に発信する質の高い作品を目指す“というプロジェクトの6作目。
最近毎月どこかしらでその作品がかかっているような鄭義信氏の作品。
彼の生みだす人々はどうしてこんなに弱くてさびしがり屋で温かいのだろう。
メリハリの効いた演出と充実の役者陣によって、生き生きとした人物像が立ち上がる。
その結末に、何だかほっとして涙が止まらない。

ネタバレBOX

タモツ(細見大輔)と修平(渡辺哲)は細々と貸しボート屋をして暮らしている。
タモツの父文平は21年前、兄の修平に幼い息子を預けて若い女と駆け落ちした。
穏やかな生活を乱したのは、失業して終日ボートに乗っていたサトシ(福本伸一)、
さらに周平を頼って突然やって来たお腹の大きいマスミ(小林綾子)。
そして以前からタモツにだけ見える死んだ父文平の幽霊(栗野史浩)が時折やって来る。
「戻ってくる」という父の言葉を信じて待ったのに裏切られたタモツは
「これからは家族だ、嘘はつかない」という周平の言葉を信じて一緒に暮らしてきた。
その周平に秘密があって、自分には何も知らされなかったということがショックだった。
タモツの心は乱れに乱れ、ついに「ここを出ていく」と告げる…。

舞台をきれいに半分に分け、上手部分はボート小屋外の板敷きになっている。
冒頭タモツがそこでホースで本物の水を撒き、盥の水をぶちまけたのでびっくりした。
下手は小屋の内部、今は客に食事を出さなくなって専ら二人のための食堂になっている。
この二つの空間がうまく区切られていて、小屋の壁と小さな窓を境に
登場人物の人に見せない内面や、他の人には見えない父の幽霊との会話等が展開する。

「家族だから嘘はつかない」と言われて必死にそれを信じ
周平と家族になろうとしてきた幼いタモツの心が健気で哀しい。
周平が初めて自分の過去を打ち明け、タモツに謝って言う言葉が
”家族”というものを明確に定義していて忘れられない。

「家族だから嘘をつかないというのは、本当は違う。
嘘をついても隠し事をしても、それを受け入れるのが家族なんだ」

血のつながりも理由もなく、ただ優しさと許して受け入れる気持ちだけで繋がる人々。
みなそれぞれ本当の家族となるべき人を失っている。
その人々が、吹き寄せられたボートのようにこの岸に流れ着いて
肩を寄せ合って暮らしていくのだというラストにほっとして素直に安心する。

タモツ役の細見大輔さん、幽霊の父につっけんどんな態度をしながらも
30歳の誕生日に(幽霊が!)買って来てくれたシュークリームを
泣きながら食べるところが秀逸。
傷ついた分、必死に周平を信じてきた純粋な少年が
どこか幼さをまとった頑なな青年に成長した、その姿がとても自然。

幽霊の父親文平を演じた栗野史浩さん、白いスーツに身を包み軽快に出て来て
いつもタモツに「早くあっちの世界に帰れ!」と言われながらも
息子が気になって仕方ない様が、可笑しくて哀しい。
終盤、最高にカッコよく「じゃあな」と言って別れたのに
ラスト、また出て来てタモツに呆れられたのには笑ってしまった。
栗野さんの華やかな容姿となめらかな台詞、それに派手な衣装で
厳しい状況にある人々の話が一気に明るくなる。

この舞台は、厳しい現実とそれを笑い飛ばす人の底力のバランスが素晴らしい。
鄭義信さんによる、ベタなようで繊細なキャラが吐きだす台詞は
人の心の本質を突いていて真に迫る。
うまくいかない人生なら毎日見聞きしている。
たくさん辛い目に遭って、でも優しい人に出会うこともあって
人生は悪いことばかりじゃないということを
こうして舞台で、リアルなキャラクターが豊かな台詞で体現してくれると
何だかほっとして、私も大丈夫なのだと思えてくるから不思議だなあ。
ひとりごとターミナル

ひとりごとターミナル

劇団フルタ丸

キッド・アイラック・アート・ホール(東京都)

2013/02/02 (土) ~ 2013/03/16 (土)公演終了

満足度★★★★★

ひとりごとは本音のコミュニケーション
コミュニケーション下手な6人の人生が絶妙に交差するターミナルを舞台に
人生をギュッと絞ったような台詞を言わせる。
こういう濃くて短いやつ、大好きだ。

ネタバレBOX

深夜のバスターミナルに居合わせた見ず知らずの5人。
それぞれ事情を抱えて、これからバスに乗り込もうとしている。
が、実は彼らの人生は微妙に交差していたのだった。

恋人を年上OLに盗られた女。
年下の男の子どもをひとりで産もうとしている妊婦。
事故を起こして以来バスに乗れなくなったバスの運転手。
バスの事故で姉を喪ってから医師を目指して医大へ進み、年上OLに転んだ男。
医大を5浪の末、合格したにもかかわらず医師ではなくマッサージ師になった男。
大学卒業後、履歴を詐称しながらバイトを転々として来た男。

このうち医大生を除く5人がバスターミナルで出合う。
舞台では、彼らの“事情”が再現されるが、
みんな相手が立ち去ってひとりになってから真実を語り始める。
つまり相手に直接伝えない、ひとりごとは唯一の本音なのだ。
その本音に対してこれまた本音のひとりごとで返す、
これは究極のコミュニケーションと言えるだろう。

相手と目を合わせず、明後日の方向を向いてしゃべるのは
劇中語られるように「責任が半分になる」ような“逃げ”のスタンスでありながら
明らかに“余計なお世話”的に他人と関わりを持とうとしている。
この”逃げながら積極的に関わる“姿勢が、とてもリアルに感じられる。

本編終了後に、“エピソード0”的な「おまけの公演」として、
一人芝居で事の発端を語るというのがあった。
これが、よくある“蛇足”ではなくて、本当に良かった。
一人ひとりの役者さんの力量がモロに出る緊張感あふれるひとり芝居だった。
5浪男を演じた清水洋介さん、毎年合格発表を見に行く男の変化がとても面白かった。
篠原友紀さん、年下男を合コンでゲットする様が活き活きして超リアル。
宮内勇輝さん、事故を起こした運転手の振れ幅の大きい演技が面白かった、熱演。

時代を切り取ったような設定の妙と、台詞の面白さが際立つ舞台だった。
照明による時間の切り替えもスピーディーで良かったと思う。
フルタジュンさん、これからもこのタイプ観せてください!
死んだらさすがに愛しく思え

死んだらさすがに愛しく思え

MCR

ザ・スズナリ(東京都)

2015/05/29 (金) ~ 2015/06/02 (火)公演終了

満足度★★★★★

白い紙VS色とりどりの金平糖
オープニングの強烈さったらなかった。
伊達香苗さんの素晴らしいクソ母親ぶりに嫌悪感全開。
その後の主人公と刑事のやり取りにがつんとやられた。
「白い紙」VS「色とりどりの金平糖」、これがその後のすべてを物語っている。

ネタバレBOX

川島(川島潤哉)の母親(伊達香苗)は売春婦である。
自宅で客を取るのを平気で小学生の息子に見せ、時には仕事を手伝わせたりしていた。
大人になった川島が、彼女と暮らしたいから家を出ると告げた時(彼女が告げた)、
高笑いしながら「お前は一生あたしの奴隷なんだ」と言われ、ついに母親を手にかける。
そこから川島の新しい人生が始まった。
相棒の奥田(奥田洋平)とその妹飛鳥(後藤飛鳥)と3人で旅を続けている。
奥田と川島はそれぞれ人を殺すのが楽しくて行く先々で連続殺人を重ねる。
飛鳥はそんな川島を「何をしてもいいからずっと一緒にいる」と言い、二人は恋人同士だ。
だがある町で3人は櫻井刑事(櫻井智也)と小川刑事(おがわじゅんや)と出会い、
奥田は平然と、刑事を挑発するような発言をする…。

当日パンフに、作者がかつて傾倒した「ヘンリー・リー・ルーカス」という殺人者のことを
ベースにした作品だとある。
マスコミや世間の人々が、“その原因”を探るのが大好きな“連続殺人鬼”が主人公だ。
登場する2人の殺人者の性格が対照的だ。
川島は母親から虐待に近い扱いを受けて育ち、根底に人間不信と憎しみ・蔑みがある。
コミュニケーションの手段を持たず、自分と意見を異にする人間は殺すことしか知らない。
奥田はどちらかと言うと“快楽殺人者”か。
殺すことが楽しくて、常にきっかけを探しては殺したいと思っている。
奥田が刑事を挑発するような不敵な発言をするところ、
不気味にねちっこくて異常者っぽい目つきなど素晴らしかった。
川島も奥田も、最初は強い憎しみから始まったのだろうと思わせるが
この二人のキャラがくっきりしていて大変面白い。

「お前にとって人間って何だ?」と問う櫻井刑事に対して川島はこう答える。
「白い紙だ。そういう刑事さんにとって人間って何だ?」問われて刑事は答える。
「色とりどりの金平糖だ」
実際はギャグの連打の合間に交わされる会話なのだが
作品を貫く価値観の対峙を端的に表している。

殺人鬼の陰湿なストーリーかと思っていると、
突然有川(有川マコト)と澤(澤唯)の夢と重なったりして笑いは満載。
相変わらず熱く語る、友人の堀(堀靖明)のほっぺぶるぶるさせるところなんか最高!
ベースの陰湿さをシュールな展開で一気に転がすバランスが素晴らしい。

川島が堀を殺さなかったのは、ただ一人”川島に期待してくれる”人間だからだ。
こんな自分を「大丈夫だ、きっとできる」と愚かなまでに信じてくれているからだ。
心のどこかで自分もそう信じたいと思っていただろう。

マドンナ後藤飛鳥さんが、今回は自然で天然キャラがとてもはまっていた。
いずれ殺されるのを見通していたかのようなまなざしが印象的だった。
ラストシーン、唯一の“殺したくなかった人間”飛鳥に向かって
手を伸ばそうとするかのような川島のてのひらが、息苦しくなるほど孤独で哀しい。
ナイアガラ

ナイアガラ

劇団HOBO

駅前劇場(東京都)

2012/09/05 (水) ~ 2012/09/10 (月)公演終了

満足度★★★★★

シリーズ化して欲しい
新宿中央公園に暮らすホームレスたちを描くほろ苦ストーリー。
“脇役体質の役者が全員脇役に徹する”とどうなるのかと思ったら
“ちゃんと舞台で会話する”とこんなに面白いということを見せてくれた。
厳選された台詞とそれを租借する役者の力、意外に(?)洒落た演出で
笑いながら、この笑いは久々の上質な笑いだと思った。

ネタバレBOX

奥行きのある舞台、ブルーシートの小屋が建っているので
ホームレスの話かと予想する。

暗転の後、座っている老人の見事な老けっぷりにびっくりした。
この山さん(喰始)、度々失禁するが、哲学的な発言で皆の尊敬を集めるインテリじいさんだ。
口元の衰えなどが自然で、喰始さんってこんなよぼよぼだったっけ?と思うほど。
この山さんを、口は悪いが親身になって世話する元建設会社社長のクマ(省吾)や
元床屋の拓(本間剛)、手癖の悪いのが玉にキズのガンちゃん(西條義将)、
最近仲間に加わった、リストラされた谷田貝(おかやまはじめ)など
ユニークな面々がそろっている。
ルポライターだという川本(古川悦史)も毎日のように通って一緒に飲んでいる。
彼らを束ねるのが、役所や支援団体・ヤクザとも“ナシをつける”社長(林和義)だ。
彼のさばき方が実に気持ちよく、それは距離感の保ち方が上手いからだと解る。
ここの住人の、互いの尊厳を大切にしながらさらりと協力し合う姿が実に良い。
普通の人のようにスーツ着て日銭稼ぎの仕事に行ったりするが
やはりどこか“ドロップアウトした人間”の哀しみと日陰感が漂う。

──この世には3種類の人間がいる。
   敵と味方と無関心だ。

──暑さ寒さも空腹も工夫すれば何とかなるが、
   孤独だけはどうしようもない。
   だから人との関係だけは断ち切ってはいけない。

山さんの言葉をみんな噛みしめていて、
初めて野宿しようと公園にやって来る挙動不審な人に
さりげなくかける言葉や眼差しにその気持ちがあふれている。

脇役体質がそろうと何が違うのだろう、と思っていたが
相手の台詞を受ける芝居がこんなに会話を面白くするのかと目から鱗の体験。
かしわ手の場面とか、酔っぱらって同じ話をする件など爆笑もの。
アドリブなんだか綿密な演出なんだかか分からないけど可笑しさ全開。

ここから抜け出して行く者、故郷へ帰る者、フクシマへ稼ぎに行く者、
そしてそっと一生を終える者・・・。
様々な人を見送って一人公園に残った谷田貝が、新入りに声をかける場面。
その労わるようなさりげなさは、かつて自分がしてもらったことそのままだ。
この終わり方が力んでなくて秀逸。
台詞と言いこの終わり方と言い、すごく洗練されていてある意味洒落た演出だと思う。
これ、「ナイアガラシリーズ」にならないかなあ、
毎回変なおじさんが出て来て、みんないろんな人生があって面白そうだと思った。

本編ではないが、劇団HOBO ホームページの「予告CM」がめちゃめちゃ笑える。
喰始さんの「森の熊さんを詩吟でやります」って可笑し過ぎでしょ。

力で押すのではなく、受ける芝居ってこういうことなのかと再認識した舞台。
この台詞、この会話、私にとって絶対次も観たい劇団となった。
波よせて、果てなき僕らの宝島(ネバーランド)

波よせて、果てなき僕らの宝島(ネバーランド)

天幕旅団

ザ・ポケット(東京都)

2013/07/17 (水) ~ 2013/07/21 (日)公演終了

満足度★★★★★

なんというオープニングだろう
開演直後から、想像力を刺激する絵に泣きたいような気持になった。
繊細な波の音、風をはらんで膨らむ白い帆、美しい動き。
ピーターパンが殺されて、フック船長は呪われる。
「笑劇ヤマト魂」時代の作品の再演だというこの作品、
ダブル本歌取りは、元歌を大きく外れて行く意外性と楽しさ満載の舞台だった。

ネタバレBOX

劇場に入ると、舞台の向こう側にも客席が設けられており
二手に分かれた客席から見下す舞台にはブルーシートがかけられていた。

やがて始まる息をのむようなオープニングは、私にはまったく想定外だった。
強い磁力で観る者を一気に海へ引きずり込むような展開が
舞台表現にはまだまだ無限に方法があることを教えてくれる。

オウム役の渡辺実希さん、私はこれまで「静」の役を観ていたのだが
今回「動」の役が水を得た魚の如くとても楽しそうで、生き生きしている。
美しくて、調子の良い”悪い奴”がとても魅力的。

作・演出の渡辺望さん、豊かな創作アイデアにはいつも感服するが
役者としても、ジョン・シルバーの表裏あるキャラクターが素晴らしい。
この人はクセのある人物造形が実に上手くて、人間の二面性が鮮やか。

バンダナをパッチワークのようにつないだキュートなボレロ、
あるいは結んで繋いでデッキブラシや手すりを表現したりと
衣装や小物の使い方にセンスが感じられる。

天幕旅団の特徴である流れるようなスローモーションの動きは今回も健在で
よく訓練した客演陣もこればかりは劇団員に及ばないところがある。
スローモーションと活劇のメリハリある組み合わせで
時間の流れを表現したり、“見せる”場面転換が秀逸。
いつもながら出ハケの複雑さをそうと見せないエレガントな動作も素敵。

天幕旅団の豊かな発想と“生来の品の良さ”が
残酷なファンタジーを極上のエンタメにするところが楽しい。
元歌の底に隠れた人間の本心を掘り出すような作風が好き。
ティンカ―ベルもピーターパンも殺されちゃうんだよ!
ピーターパンは”楽しいことを考えないと空を飛べない”んだって!

あー、つまり私は天幕旅団が大好きなんだと思う。
だから何を見ても楽しくて仕方がないんだ。
こんな風にどこもやらない舞台表現を見せてくれる劇団に心から敬意を表したい。

次は12月に「天幕版 ピノキオ(仮)」だって。
加藤さんがピノキオかなあ。
もうどうしようもなくこの炎天の下、12月を想う私なのである。
背水の孤島

背水の孤島

TRASHMASTERS

本多劇場(東京都)

2012/08/30 (木) ~ 2012/09/02 (日)公演終了

満足度★★★★★

饒舌な表現者
綿密な取材に裏打ちされた“リアル”と想像力の跳躍による”近未来”、この二つを一度に堪能できる脚本。
震災という人智の及ばぬ出来事の前に、人はどう生きるのか、どうあるべきか、メディアと国民性、
テレビに出来ないこと、演劇の可能性など
様々なことを考えずにはいられない素晴らしい舞台だった。

ネタバレBOX

客席に入ってまずセットに目が釘付けになった。
テレビ局らしい照明機材や机の上の小型モニター、
モニターの上に置かれている小さくなったガムテ、足元の紙袋のひしゃげ具合・・・。
ここに毎日通ってくる人々がもうすぐ登場するのを待つ血の通った現場だ。
重々しいBGMが流れる中、それを眺めながら開演を待つ。

プロローグ
やがて始まるプロローグでは、震災後まもなくこのスタジオで行われたひとつのインタビューが描かれる。
太陽光発電の1年分の発電量が、浜岡発電所の1時間分にしかならないという事実、
電力不足で、あのトヨタまでもが海外移転を考えているという日本の現実が明らかになる。

前編「蠅」
プロローグの後、数分間流れる字幕とその朗読で説明がなされ、
明けた時には、貧しい被災者が暮らす納屋のセットになっていた。
前編の「蠅」は、被災地の暮らしに密着するドキュメンタリー取材クルーと
被写体として選ばれた“最も貧しい被災者家族”の話だ。
 
急ごしらえの納屋を改造した部屋に父と医大生の娘、高校生の弟が住んでいる。
母親の遺体はまだ見つかっていない。
被災者の窮状をアピールするためには、洗濯機などあっては困るとか、
“知りたい”という欲求の前にはプライバシーなど無いも同然の取材する側の傲慢さ。
“人の役に立ちたい”と言いつつ自分の為に活動していることに気付かないボランティア。
補償金をもらって、働かなくても良くなった被災者の戸惑い。
再建には程遠い被災地の中小企業の現実。
もしかしたら死んだ人より生き残った人の方が悲惨なのかもしれないのが被災地だ。
取材クルーが目にしたのは、極限状態の中で価値観もモラルも
一瞬のうちにひっくり返り、あるいはじわじわと変貌する人間の危うさだった。
実はクルー二人のモラルだって異常事態を理由にとっくに崩壊しているのだが。

まさに“五月蠅い”蠅のぶ~んという羽音が時折客席の方にまで響く。
誰かが何かに群がって利を得ようとすると、その音が大きくなる辺り音響が絶妙。

後編「背水の孤島」
再び流れる字幕で時間の経過が説明され、彼らの7年後が始まる。
後編「背水の孤島」のセットは原発推進派の大臣室である。
開け閉てにびくともしない重厚なドア、調度品、壁面の作りなど相変わらず秀逸。
医大生だった娘は被爆した人々を救う為の研究を重ね、
その論文は海外では認められたが
日本政府は「補償金額が莫大になり財政が破たんする」ことを理由に認めようとしない。
高校生だった弟は、今その大臣の秘書を務めている。
その弟が、テロまがいの脅しで大臣に自分の要求をのませようとする。
その要求とは、姉の論文を認めさせ、それを踏まえた被爆者救済法案の立案と
国債の海外向け発行の中止である。
人を傷つけず、自分が逮捕された後に大臣が変心することを計算に入れた巧みな計画で
説得力があり、見ごたえがある。
(緊張感の極みの場面で銃の弾倉だろうか、外れて落ちたのは残念だった。笑っちゃった…)
最後は国家でもマスコミでもなく普通の人々が「正しいと信じる」選択をして終わる。
苦いけれど爽快で、未来に少し希望が持てそうなラストが良かった。

役者陣は皆役に染まって熱演だが、
父親役の山崎直樹さん、大臣役のカゴシマジローさんが見事にはまり役。
野崎役の龍坐さん、前編の放射能の影響に立ちすくむところ、観ていて怖くなった。

もちろんツッコミどころはあるだろうが、
私が震災のような現在進行形の出来事をテーマにした作品に求めるのは
「別の視点」と「想像力を駆使した可能性」の提示だ。
この作品は、その2つを最大限に見せてくれる。
東電や政治家の言い分も言わせた上で、「それは違うだろ!」と
真っ向から言える脚本がどれほどあるだろうか。
毎回の凝りに凝ったセットにしても、時間の蓄積を雄弁に語るところを目の当たりにすれば
登場人物のキャラ設定同様、背景も大切な表現者なのだと解る。
この暑苦しいまでの、表現せずに居られない体質がTRASHMASTERSのすごいところだ。
さっぱりと洗練されずに、ずっと饒舌な表現者で有り続けて欲しい。
忘れっぽい私にがつんと刺激を与えてくれたことを感謝したいと思う。

獣のための倫理学

獣のための倫理学

十七戦地

LIFT(東京都)

2013/02/19 (火) ~ 2013/03/03 (日)公演終了

満足度★★★★★

ロールプレイで成功
横溝正史の「八つ墓村」のモデルにもなった事件「津山三十人殺し」をモチーフにした作品。
良く練られた脚本と説得力のある演出で、少々出来過ぎな展開も納得させるからすごい。
「主食は花」みたいに繊細な雰囲気を醸し出す脚本・演出の柳井祥緒の
どこにこんなダイナミックな想像力が潜んでいるのだろう。
この作品、今回のような極小空間でも大きな舞台でも面白いと思う。
役者陣の緊張感がビリビリ伝わる隙のない演技で、最後は切なくも清々しい気持ちになった。

ネタバレBOX

地下へ降りると、舞台スペースを挟んで手前と奥に客席が作られている。
床はコンクリの打ちっぱなし、白い壁、天井に小さなライトが10個ほど。
前説とほとんど同時に恰幅の良い中年の女性が降りて来て
中央の椅子に腰かけて蓮の造花を作り始めた。
前説が聴こえないかのように薄いオレンジ色の花をかたち作っている。
音楽もなく照明も変わらない。
やがて私たちがさっき降りて来た階段から、次々と出演者が登場して来た。

ここは精神分析医 市川玲子(関根信一)の犯罪研究会ワークショップの会場。
参加者と共に事件や心理状態を再現する“ロールプレイメソッド”という方法で
何故事件が起こったかを検証するワークショップである。
この日の題材は1980年に岡山県で起こった「大摘村7人殺傷事件」である。
犯人として逮捕された桐原は、罪を認めて3年後に死刑に処されている。
集まったのはフリーライター、東京地検特捜部の検事、弁護士、助産師、中学校の教師、東京都緑化技術センターの研究員、都庁職員、そして玲子の教え子の大学生の8人。

「事件のあった日を再現してみましょう」という玲子の言葉で
小さな村が再現されていく、公民館、蓮池、犯人桐原の家…。
玲子が照明のスイッチを消して、桐原の懐中電灯の灯りだけになる時の何というリアルさ。
犯人の人となりやエピソードが明らかになるにつれて、参加者から疑問の声が上がる。
「桐原は本当に犯人なのか」
「犯人ならばよほどの事情があったのではないか」
「真犯人は他にいるのではないか」
思いがけないところから新たな資料が提示される度に、
参加者は想像力を駆使して、事実を検証し直していく。
やがて彼らは驚くべき真実にたどりつく・・・。

役者とWS参加者の二重構造で、想像力をフル回転させなければ演じられない設定だ。
この“ワークショップ”という設定がとても生きている。
初めに参加者の自己紹介があり、全員胸に名札を付けているのも分かりやすい。
極小スペースで一つの村を再現するという密な感じも空間の無駄が無くて良い。
参加者の半数は何らかのかたちで事件関係者だったのだが
彼らの差し出す証拠の品と共に、抜群のタイミングでそれらが判明する。

ワークショップでは、“桐原犯人派”と“桐原無実派”それぞれが
互いに解釈の矛盾点を突き、推測を実証するために資料を読み込んで行くが
それが展開に緊張感をもたらし、観客も共に真実に迫って行く臨場感があった。
以前にも「津山三十人殺し」をモチーフにした作品を書いていたという柳井さん、
大量猟奇殺人というレッテルを超えて、何か新しい“人の心”の解釈の余地がある
この事件に着目する気持ちが分かるような気がする。

そして何と言っても進行役である主宰者の精神分析医、市川玲子が魅力的だ。
市川玲子を演じる関根信一さん、参加者の心に沿いながらも強い信念を持って
ロールプレイをある方向へと導いていく温かみのある女性像が素晴らしい。
参加者の解釈の変化がロールプレイに反映するのが手に取るように分かる。
この方の劇団フライングステージも観てみたいと思った。

岡山から参加した中学校の教師向井を演じた北川義彦さん、
鼻梁の美しい繊細な容姿が、WSに参加した理由に痛々しいほどの説得力を持ち、
同時にロールプレイでの犯人桐原役はまさにはまり役だ。
自己犠牲の強靭な精神がその表情ににじんでいる。
十七戦地の座長でもある北川さん、座長にしてはクールで物静かな印象だが、
その分脚本・演出の柳井祥緒さんが饒舌に発信するという名コンビか。

十七戦地、次は第17回劇作家協会新人戯曲賞を受賞した「花と魚」の再演だという。
この劇団の柔軟な発想とホームページ等に見る写真のセンスに惹かれる。
次の公演、ぜひ観たい。
AQUA

AQUA

メガバックスコレクション

阿佐ヶ谷アルシェ(東京都)

2016/04/29 (金) ~ 2016/05/08 (日)公演終了

満足度★★★★★

小出しにする狂気
巧みにちりばめられた小さな伏線が見事。
所々で小出しにする狂気が絶大な効果をもたらしている。
それによって最初から最後まで緊張感が途切れない。
キリマンジャロ伊藤さんはもちろん、アクア役の杉坂若菜さんも素晴らしかった。
それにしてもこの企画で、構想・脚本共、作者の引き出しの豊かさに
改めて驚かされる。

ネタバレBOX

舞台は森の中の山小屋のような家。
ロックウェル(キリマンジャロ伊藤)は、借金の取り立てに追われていた15年前
当時3歳のアクアを教会の前に置き去りにした。
その後アクア(杉坂若菜)は母親に引き取られたが、その母親が病死したとの知らせに
ロックウェルは15年ぶりで娘と再会する。
嘘をついたことが無いという純真なアクアは、新しい家族と一緒に暮らそうという父に、
ここで二人で暮らしたいと訴える。
アクアの心情を尊重したロックウェルだったが、次第にアクアの感情の起伏は激しくなり
やがて、想像を絶する真実が明らかになる…。

冒頭間に入った女性弁護士から、この後再会する娘について説明を聞く場面で
既に小さな疑念が生じる。
母娘がどうやって生活していたのか、この窓の鉄格子は何のためなのか、
弁護士は基本的な、そして肝心なことについて「さあ、解りません」としか答えない。

再会した18歳のアクアは素直だが、幼児が喜ぶような遊びに狂喜し、
仕事の電話をする父親を許せずスマホを床に叩きつけるような激しい一面を見せる。
捨てられた物に執着し、カメラやビデオデッキなどを拾って来ては“直している”と言う。
また時折過呼吸のような発作を起こして父親を驚かせる。

アクアの生い立ちに何か大きな秘密が隠されていることは容易に想像がつくが、
それが教会で神父から性的虐待を受け、母のもとに戻っても
母親の心臓の具合が悪くなれば客を取って生活費を稼ぐという事実は衝撃的だ。
この事実にたどり着くまでに少しずつアクアの異様さをチラ見せしていく手法が巧い。
人間も時計と同じように“直してあげる”と父親の遺体にナイフを突き立てるラストまで
彼女の狂気がエスカレートしていく様に釘付けになる。

ロックウェルの、父親としての負い目から来るアクアに対する“甘さ”がリアル。
弁護士の汚いやり方を見破る冷静さを持つ彼が、娘に対する疑念からは目をそらす。
またアクアの振れ幅の大きい性格は、再会した父親への甘えに見せつつ
実は巧妙に父親を追いつめるしたたかさを感じさせてこれも巧い。

あまりに悲惨な人生に絶望して、頭の中で別の世界を創らなければ
生きていけなかったのかもしれない。
もう二度と自分を捨てることが出来ないように、母親を閉じ込めるために作った鉄格子、
その鉄格子の中で、本当はアクア自身が、一歩も出られずにもがいていたのだ。



初雪の味

初雪の味

青☆組

こまばアゴラ劇場(東京都)

2012/12/28 (金) ~ 2013/01/06 (日)公演終了

満足度★★★★★

【会津編】母の言葉
【会津編】を観劇。
“万感の思い”という言葉が浮かんだ。
ふるさとの「家」は「家族」であり「母」である。
これらいずれ喪うであろうものに対して、切なる寂しさを抱く人にとっては
吉田小夏さんの台詞と役者の力の前に、涙せずにはいられないだろう。
”言外の思いが聴こえる台詞”が素晴らしく、
思い出すと今も泣きたくなる。

ネタバレBOX

舞台に広々としたこたつのある居間が広がっている。
横長のこたつのほかにはテレビもなく、会津の民芸品が飾られた棚がある。
市松柄の障子戸の向こうは廊下で、上手は玄関、下手は奥の部屋へと続いている。
八畳間の清々しい空間。

この家には母(羽場睦子)と次男の孝二(石松太一)、それに母の実弟で
結婚せずに役場勤めをしている晴彦(鈴木歩己)が住んでいる。
長男賢一(和知龍範)と長女享子(小暮智美)が帰省してくる大晦日の夜を、
4年間に渡って描く物語。
最初の年の瀬、母は入院していて留守である。
次の年、その次の年と母は家にいるが、最後の年は葬儀の後初めての大晦日だ。

ふるさとの「家」は「家族」であり「母」である。
そこでは毎年お決まりの会話が繰り返され、それが”帰省”を実感させる。

母は次第に弱っていくが、比例するようにその言葉の重みは増していく。
しばらく帰省しなかった長女が、その理由を話そうとして話せずにいるのを見て
「無茶するな、でもどうしてもしたいことなら無茶すればいい」
という意味のことを言って明るく笑う。
享子は顔を覆って泣いたが、その包み込むような言葉に一緒に泣けてしまった。

死後幽霊となって弟晴彦の前に現われた時は
「旅をしないのも勇ましいことだ」と彼に告げる。
町を出ず、結婚せずにずっと自分を支えてくれた弟の生き方を肯定する言葉に
晴彦は涙をためて姉を見つめたが、私は涙が止まらなかった。

初演は8年前、これが4度目の再演だというこの作品で
羽場睦子さん1人が初演からの出演だという。
この人の体温を感じさせる台詞が素晴らしく、
役者が年齢を重ねることの意味を考えさせてくれる。

弟晴彦役の鈴木歩己さん、素朴で実直な独身男の不器用さが
そのたたずまいからにじみ出るようで秀逸。
姉を喪い、家も買い手がついて、この人のこれからを思うと
どれほど寂しいことだろうかと、私の方が暗澹としてしまう。

次男孝二役の石松太一さん、「キツネの嫁入り」でも素晴らしかったが
定職にもつかず母と同居して、何かしなければと焦っている様がリアル。
女に振られる辺り、多分したたかな女に振りまわされたのだろうと充分想像させる。
素直で世間ズレしていない感じがとても良かった。

吉田小夏さんの作品には、いつも滅びゆくものに対する哀惜の念を感じる。
部屋のしつらい、繰り返される行事、慣れ親しんだ習慣、そして方言。
何気ない家族の会話がひどく可笑しいのは、このおっとりした会津方言の
音やリズムのせいもあるかもしれない。
タイトルの「初雪の味」のエピソードも、人生の苦味を感じさせて味わいがある。
じわりと変化する照明も巧いと思う。

アフタートークには田上パル主宰の田上豊さんが登場、
今回方言翻訳・会津編演出を担当した「箱庭円舞曲」の古川貴義さんとこたつで対談。
田上さんも熊本の方言で芝居を書くそうで、方言の演出についての話が面白かった。
標準語を方言に直すと句読点の位置がずれるという。
個人の言語感覚の根底にあるのだなあと改めて思った。

私の2012年のラストを飾る1本は、
言葉の美しさと台詞の妙、役者の力がそろった作品だった。
滅びゆくものたちへの言葉、それはまさに演じては消える生の舞台の宿命にも似て
だからこそ私たちはまた劇場へと向かうのだろう。
儚いものを目撃するために・・・。
六男坊の嫁

六男坊の嫁

ふくふくや

「劇」小劇場(東京都)

2012/05/09 (水) ~ 2012/05/20 (日)公演終了

満足度★★★★★

心のおひねり
大衆演劇の匂いがぷんぷんして、カッコよくて、涙と笑いが交互にくる。
芝居小屋の、客の首根っこをつかんでブンブン振りまわしてくれる、あの感じ。
お客が上品だから黙って観てたけど、あたしゃほんとは声かけたかった。 

ネタバレBOX

なんで長男が跡目を継がないのか。
末っ子が連れて来た怪し過ぎる婚約者の正体は?
身内しか知らないはずの情報が漏れたのは何故だ?
次々に起こる事件と一家の歴史が交差して広い和室を狭くする。

一竜組の6人の子どもたちが個性豊かで素晴らしい。
稼業を嫌う気持ち、誇らしく思う気持ち、母を守れなかった自分を責める気持ち、
そして誰かを守るためにみんな暑苦しく生きている。

末っ子が連れて来た婚約者と言うのがまた目を見張る上玉だ(笑)
“暑苦しい”キャラが“暑苦しい”台詞で押しまくる。
この辺りの徹底したエンタメ精神があるから、
中盤から少しずつ語り出す子どもたちそれぞれの本心がすごく効いて来る。
四男薫(塚原大助)がしみじみと兄を思うところでほんと泣けてしまった。

何と言っても生業としてのヤクザのたたずまいが素晴らしい。
長ドスを振りまわす場面こそ出てこないが、着流しの美しさといい
帯の位置(マニアック?)といい、東映に負けていない。
複雑な立場の釧道を演じる浜谷康幸さんが超かっこよい。
台詞回し、身のこなし、眼光、そしてラストの仁義の場面まで一部の隙もなくヤクザだ。

ふくふくやの全ての作品を書き、座長である山野海さんの
心意気みたいなものがビシバシ伝わって来て爽快感がある。
あの仁義、こんなに強い「女が切る仁義を」私は初めて観たと思う。
あふれるような思いが紅絹の色に映えて、マジで泣けてしまった。
暑苦しくて、笑って泣いて爽快感・・・これはもう「サウナ」じゃないか。

今時ヤクザだし、暑苦しいし、好みもあるだろう。
でもふくふくやは芝居の原点を感じさせる。
おしゃれで賢くてスマートな表現の対極にあって
私たちの腹の底に手を突っ込むような強さを持っている。

あの高笑いが耳について離れない。
「これぞ熱い舞台」をほんとにありがとう。
ふくふくやの皆さん、私の心のおひねり、受け取っておくんなせえやし!
徒花に水やり

徒花に水やり

千葉雅子×土田英生 舞台製作事業

ザ・スズナリ(東京都)

2021/12/15 (水) ~ 2021/12/19 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2021/12/16 (木) 19:00

圧巻の会話劇。台詞に引っ張られてストーリーが転がる、観ている私の感情も動く、という感覚を楽しんだ。登場人物がみな生き生きとキャラを生きている。役者の力量を感じさせる舞台。

ネタバレBOX

昭和な感じのリビング。
ヤクザの組長だった父親がはめられて殺されたあと、残された4人の子供たちのうち、
一人は養子に出される。
親代わりとなった長女(千葉雅子)、3回結婚・離婚を繰り返しスナックをやっている
次女(桑原裕子)、単純でちょっと足りないヤクザな長男(土田英生)。
この3人が、養子に出されていた妹が東京から来るのを待っている。
わくわくソワソワして、楽しみでならない3人。
その妹(田中美里)は、輝くような笑顔でやって来る
しかも結婚を考えている相手の男(岩松了)を連れて来た。
その男こそ、父親をはめた張本人だとも知らずに・・・。

兄弟それぞれのキャラが立っていて素晴らしい。
特に次女と長男のやり取りが秀逸。
台詞のひと言一言に、性格と来し方が現れているような、吟味された言葉。
桑原さんが繰り出す間とテンポが素晴らしくて引き込まれた。

ラストのオチがちょっと軽すぎてカクンと来てしまったが
”家族の絆”を描くのを妨げるものではない。
人生はまさに徒花に水をやるようなものだなあとしみじみ思った。



骨唄

骨唄

トム・プロジェクト

あうるすぽっと(東京都)

2012/06/28 (木) ~ 2012/07/01 (日)公演終了

満足度★★★★★

今も「骨唄」が聴こえる
再再演とのことだが、私はこれが初めての「骨唄」体験。
客席に着いた途端泣きたくなるような舞台美術が目に入る。
そこかしこに死者の気配が漂う千坊村があった。

ネタバレBOX

火をつければ勢いよく燃えそうな粗末な家。
火の見の為なのか、梯子で上がれる高いやぐらが家にくっついて組まれている。
舞台奥には裏山へ向かう道、手前には町と「エミューの里」と呼ばれる
町おこしの施設へ向かう道が舞台に沿って続いている。
そして無数の白いかざぐるまが時折軽い音と共に一斉に回る・・・。

もう二度とここへは帰らないつもりでいた故郷へ
薫(冨樫真)が18年ぶりに帰って来たところから物語は始まる。
18年前、母の葬儀の日にある事故が元で妹の栞(新妻聖子)は左耳の聴力を失った。
薫はずっとその責任を感じながら生きている。
母の死後、妹とは別々の親戚にひきとられて暮らしていたが
突然その妹が失踪したという連絡を受け、彼女を探しに故郷へ足を踏み入れたのだった。

頑固でわがままで母親を大事にしなかった父(高橋長英)を、薫はずっと嫌っている。
死んだ人の骨に細工をほどこして身近に置くという風習も、
その細工をする職人である父も、薫には受け容れ難いものだ。

父との再会は、逃げ出したエミュー(ダチョウのようなオーストラリア産の大型の鳥)を
捕まえようとするバタバタの中で意外とあっさり果たされる。
この再会がべたべたウジウジしなくて心地よい。
妹を治すという共通の目的をはさんで、確執のあった親子は次第にほぐれて行く。
それと反比例するように栞の病状は悪化の一途をたどり、彼女を奇妙な行動へと駆り立てる。

3人を結びつけるのは「かざぐるま作り」だ。
不器用な薫が次第に腕を上げて、昔駅員がリズミカルにはさみを鳴らしたように
小ぶりのトンカチでリズムをとりながら、1000個のかざぐるまを作ろうと励む。
1000個のかざぐるまが海に向かって一斉に回るとき
伝説の蜃気楼が現われて、1年中桜の花が舞う世界が見える。
そうすればどんな願い事も叶うのだと言う。
壊れて行く妹を、父と薫は守ろうと必死になるが・・・。

土地の風習とはノスタルジーだけではない、何か人を救済する力を持っている。
最後に3人のよりどころとなったのは、この切り捨てられようとする風習や伝説だった。

栞が唄う「骨唄」が美しく哀しい。
新妻聖子さん、繊細な演技とこの歌で冒頭から惹き込まれる。
何と透明感あふれる人だろう。

冨樫真さん、薫の骨太な感じ、父とのやり取りの可笑しさが
哀しいのにどこか土着の力強さを感じさせて素晴らしい。
メリハリのある演技が悲劇を予感させる舞台を明るくしている。

高橋長英さん、こういう父親の愛情表現もあるのかと思わせる。
ラスト、薫に向かって「俺より先に死ぬな」と言う時の温かさが心に沁みる。
残された父と娘が絆を取り戻したことが、観ている私たちを少し安心させる。

これが桟敷童子の舞台装置だそうだが、本当に素晴らしい。
栞の死の瞬間、バックに現われた無数のかざぐるまが一斉に回る。
死者を弔うかざぐるまが生きている者を救う瞬間だ。

不変のキャストで再演を重ねる理由が判る気がする。
このキャストで、また次を観てみたい。
舞台も役者もかざぐるまも回る、私の頭の中で今も回り続けている。
ゴベリンドン

ゴベリンドン

おぼんろ

吉祥寺シアター(東京都)

2015/05/21 (木) ~ 2015/06/07 (日)公演終了

満足度★★★★★

やっぱりモンスター劇団
今公演2回目の観劇。
完成度の高さが感じられる舞台だった。
繊細で美しい照明の中、語り部たち一人ひとりが日々変化し進化している。
例えばゴベリンドンが己の罪を語ったのちの苦痛に歪んだ姿と咆哮。
17ステージ目にして声の枯れもなく、この物語の核となる“絵”を強烈に焼き付ける。
おぼんろ、やっぱりモンスターだ。

個々の場面のクオリティが深化&進化している。
先に述べたゴベリンドンの苦痛と咆哮の場面、「俺は死ねないんだ」という叫びが
観る者を息苦しくさせるほど迫ってくる。

ゴベリンドンの襲撃に失敗して怖気づくザビーに対し、
畳みかけるようにシグルムの葉を投げ落として彼女の欲を刺激するトシモリが
ちらりと狂気の入り口を見せるところ。

てるてる坊主のような死体がザビーの手によって
無造作に深い穴へと落とされていく場面の妙にリアルな手触り。

個々のシーンの濃度が増しているだけに、気になる部分がより浮上した感がある。
走り回るタクマのバタバタという足音や、無垢で幼いキャラ設定、
ちょっと台詞が流れてしまった弁士のシーンなど…。
だが「ゴベリンドン」は、それらを補って余りある圧倒的な世界観を表出して見せる。
この唯一無二の世界観は最強だと思う。
この完結した世界観を前にすると、私の好みなどどうでもよくなってしまう。

私は5人が作り出した世界に浸りたくて劇場へ向かう。
あの5人が無我夢中で目指すものを見たくて客席に座る。
ただのファンであることの幸せを感じながら、もう次を楽しみにしている。



いしだ壱成主演「俺の兄貴はブラームス」

いしだ壱成主演「俺の兄貴はブラームス」

劇団東京イボンヌ

スクエア荏原・ひらつかホール(東京都)

2015/06/03 (水) ~ 2015/06/05 (金)公演終了

満足度★★★★★

”コラボ”から”融合”へ
東京イボンヌは2度目だが、改めてこの表現形式に衝撃を受けた。
オーケストラと声楽家、それにバレエダンサーのレベルが非常に高い。
下手すると芝居を食ってしまいそうなクラシックの迫力だが、
やはり芝居がなければ成立しない作品であるところが素晴らしい。
世に認められた天才ヨハネス・ブラームスと、才能のない弟フリッツ・ブラームス。
それぞれ孤独な葛藤を抱えつつも、互いを思い合う兄弟のストーリーがあり、
そこから生まれた音楽やウィットに富んだ挿入歌が背景を得て生き生きと立ち上がる。
以前観た時はクラシックと演劇との単なる“コラボレーション”だと思ったが、
今回は“融合”という印象を受けた。
若干脚本の無理が感じられるところはあるが、全体の流れがそれを上回って自然だった。

ネタバレBOX

むせ返るような花の香りのロビーで受付を済ませて中へ入ると
舞台正面奥、一段高くなっているところに既にオーケストラが控えている。
下手にピアノ、その手前にバーカウンターと止まり木、上手にはソファとテーブルがある。

作曲家ヨハネス・ブラームス(モリタモリオ)は、才能はあるが人づきあいが下手、
自意識過剰で心配性。
その弟フリッツ・ブラームス(いしだ壱成)は、人懐っこくて明るく楽天家、彼女もいるし
誰からも好かれる。
弟は兄を励まし、作品を見ておらおうと一緒に大作曲家シューマン(吉川拳生)を訪ねる。
ヨハネスの才能にほれ込んだシューマンのおかげで、
彼は一躍有名作曲家の仲間入りを果たす。
ところが彼はシューマンの妻、知性と気品溢れるクララ(川添美和)を愛してしまう…。

かの天才ブラームスに、才能に恵まれない弟、という対比が面白かった。
天才は何かが欠落しているものだというところに説得力がある。
互いに孤独な葛藤を抱え、それを初めて終盤さらけ出すところが良い。
その時明らかにされるクララとの隠されたエピソードも効いている。

そして兄弟のストーリーを柱に随所に演奏されるクラシック音楽が本当に素晴らしい。
他人の作品を自分が生み出したと勘違いする性格のフリッツ…という設定には笑ったけど
そのおかげで自由な選曲が可能になったのは楽しい。
藤原歌劇団の鳥木弥生さんのカルメン、一瞬にして舞台で花になる存在感がすごい。
表情豊かな歌声、ビシッと決まる仕草と振りで
「このカルメンもっと観たい聴きたい!」と思わせる。

阪井麻美さんのバレエも素晴らしかった。
絵のような美しい動きに目が釘づけになった。

余計なお世話だが、マネジメントも稽古も大変だっただろうなあと思った。
クラシック音楽もバレエも演劇も、本来分かれていたファンが一堂に会した感じ。
幕の内的楽しさ満載でアイデアの素晴らしさを感じる。
そのうちの一つだけを愛したい人は、それだけを追いかければ良い。
でもいろんなものが融合すれば、相乗作用でこんなに豊かな空間が広がることを
今回改めて知った以上、私はこれを新しいジャンルとして存分に味わいたい。

これは着想と脚本にかかっている。
主宰の福島氏が言うように「必然的に出来るモノ」だったのかもしれない。
だが必然的なものは不自然さに対して厳しく、小さな違和感が破たんを招く。
誰に注目して、どんなキャラ設定にして、何を聴かせるか。
期待の風を孕んで大きく船出した東京イボンヌ、舵取りに注目しつつ応援したいと思う。

ひとつ、終盤のフランツの号泣、いしだ壱成さんだからついやらせたくなるのも分かるけど
あそこまで悲痛にならなくても、フランツの苦悩は切なく伝わるような気がした。
それにしてもブラームスのあの髭が、ストレスのせいだったとは、妙に納得したのだった(笑)
ソリテュードボーイ・イノセンス

ソリテュードボーイ・イノセンス

初級教室

OFF OFFシアター(東京都)

2015/06/04 (木) ~ 2015/06/07 (日)公演終了

満足度★★★★★

どう死にたいか?~Aを観劇~
初日のぎこちなさは尻上がりに滑らかさをまし、圧巻の終盤へとなだれ込む。
死んでしまった孤独な青年が少しずつ輪郭を現してくるエピソードが素晴らしい。
このエピソードがどれも深くて上手いので、冒頭の多少無理やり感を忘れさせる。
ネタバレ後にどっと泣かせる展開が見事で、役者さんもボロ泣きだが私もボロ泣きした。

ネタバレBOX

舞台上には小さいワンルームマンションのような部屋が再現されている。
下手側に玄関へ続く出入り口、上手にベッドが置かれている。
ブティックのような白いディスプレイ用の棚があり、靴や小物が並んでいる。
女の子の部屋のようだが、靴など見ると男の子の部屋のようでもある。

ひとりの青年がこの部屋で亡くなり、その青年からの葉書を持って
6人の人々が集まってくる。
テレビの再現ドラマに時々出る女優、タウン誌のライター、うどん屋の青年、
メイド喫茶の店長、クリニックの看護師、元アイドルのOL。
彼らは、“大した付き合いはないけど”と言いつつ、青年と自分との関りを語り始める。
次第に明らかになる驚きの事実。
そして7人目が登場する…。

“じゃあ、どんな風に知り合ったのか、再現してみましょうよ”みたいな持って行き方が
若干苦しいかな、と思いながら観ていたが、個々のエピソードのリアルな展開に
ぐんぐん引き込まれ、一気に入り込んだ。

6人がそれぞれ全く違う立場で彼と接していて、その距離感のバランスが良い。
そのため彼の人物像がとても立体的で多面的になった。
年齢も職業も違う人々の再現ドラマの中で、青年は生き生きと甦り、歩き出す。
そして最後にこの会の趣旨が明らかにされ、全体像が見えてからが泣けた。

なんだろう?
話は解ったし、過去のいきさつも解った、後は“贈る言葉”でしょ、と
そこまで読めるのに、演じる方も観ている方もボロ泣きしてしまう。
素直な力の抜けた台詞が、本当に優しくて弱くて切ない。
彼が、誰かの人生を変えるきっかけだったことが伝わってくる。

金子大輝さんの、控えめながら喜びを表す表情が
高校生らしい初々しさを含んでいて良かった。
亡くなった青年に一番近い人物像を体現して秀逸。
素なのか演技なのかわからないラインで成功している気がした。

当日パンフにある出演者への質問、「どう死にたいか?」に
この部屋の青年は黙って最高の答えを出してくれたのだった。
ちょっと待って誰コイツ!こんなヤツ知らない

ちょっと待って誰コイツ!こんなヤツ知らない

ポップンマッシュルームチキン野郎

シアターKASSAI(東京都)

2014/03/14 (金) ~ 2014/03/23 (日)公演終了

満足度★★★★★

踊るPMC野郎
客入れパフォーマンスのあと、6つの短編とそれをつなぐ幕間のショートストーリー、
そして終演後に30分のアフターイベントまで付くという
まるで“数量限定春のスペシャル幕の内弁当”みたいに盛りだくさんで素敵な企画。
通常公演とは違ったテイストのラインナップが楽しく
キレの良いダンスの素晴らしさにびっくりした。
エンタメ精神全開の構成もポップンらしくて好きだが
作品自体に力があるのだから、もっとシンプルな構成でも成立すると思う。
ただ短編を並べただけでも、個々の作品は十分際立つはず。
★の5つ目は素晴らしいダンスに捧ぐ。

ネタバレBOX

開演前のパフォーマンス、今回はCR岡本物語さんのももクロに代わり
増田赤カブトさんの“あの歌姫”ガガ。
これがマジで面白くて、まー会場が盛り上がること。
初期の頃はただ衣装と目玉だけで“ガガって”いたが
今回はそのパフォーマンスに努力とセンスが表れていてとても素晴らしかった。
ボリューミーなボディながら顔の輪郭などが引き締まってその変化に驚く。
「私の彼は甲殻類」で見せたひとり芝居の充実ぶりにも、目を見張るものがある。
笑いを取る間とタイミング、ピュアな台詞など、ポップンで鍛えられたんだなあと思った。
吹原幸太さんとコンビで仕切る司会も臨機応変でゆとりが感じられ、とても良かった。

「ふたりは永遠に」、近未来SF世界に夫婦の相手を思いやる心が満ちていて
あっと驚くラストの真実がすごい。
「触り慣れた手のひら」のホラーもセットや演出が効いていて大変面白かった。
吹原さんはぶっ飛んだ設定やあり得ないシチュエーションの中で
普遍的な人の欲望や矛盾、弱さなどを際立たせるのが巧い。
危ないギャグも下ネタも、一本通った太い幹の枝葉だからこそ笑って済ませられる。
短編というコンパクトなサイズで、それが強調されたところが面白かった。

黒バックの舞台にオレンジ色のキューブが椅子やベンチとなる
シンプルなセットが鮮やか。
最終話では壁の一部が開いたりして、スタイリッシュな一面を見せた。
この最終話でのサイショモンドダスト★さんとNPO法人さんのやりとりは
クールで味わいがあってとても良かった。

そして何と言っても「悪魔のパンチ」で見せた迫力あるダンスシーン。
塩崎こうせいさんの素晴らしい動きから目が離せなかった。
正直、ストーリーが吹っ飛ぶくらいの強烈な印象。
この方の所属する劇団X-QUESTを観てみたくなった。
女の子みたいにきれいな顔だけど、意外に力強い野口オリジナルさんにもびっくりした。
岡本さんは、“挙動不審のおどおどタイプ”と“謎の大魔王タイプ”
それに“脱いだり着たり”とマルチぶりをいかんなく発揮してやっぱり素晴らしい。

別にオネエ系ではないのに何だかいつも女性役を振られるNPO法人さん、
やっぱり女性の繊細さが出るから納得してしまう。
アフターイベントのようなお遊びタイムに中途半端でなくきちんと演技するから
ポップンは面白いんだなあ。
妙なお題を出されてもちゃんと個性が表れて感心するもの。

短編ダーク編、短編ホラー編など、吹原作品の別の顔をもっと観てみたい。
これから毎回最後に全員のダンスを入れるっていうのはどうでしょう?
開演前も終演後も踊る踊る…これからはこのパターンか?!(希望)



ビョードロ 終演いたしました!総動員2097人!どうもありがとうございました!

ビョードロ 終演いたしました!総動員2097人!どうもありがとうございました!

おぼんろ

d-倉庫(東京都)

2013/05/29 (水) ~ 2013/06/16 (日)公演終了

満足度★★★★★

ジョウキゲンの孤独
“ゆる~い感じでやってます”と自称する劇団もある中で、
観客動員を明確な数字で目指すハングリーな姿勢は新鮮であり賭けでもある。
作品に自信があるから何としても観に来て欲しい、そのためには何が必要か
考え抜いた末に出来ることは全てやった、それがビシバシ伝わってくる公演である。
観客動員2718人、行くんじゃないか?行くでしょ、行けー!という気持ちにさせる。
もう一度行けたら、次は末原さんのラストの慟哭を間近で感じたい。

ネタバレBOX

日暮里d倉庫がどんな劇場だったか、一瞬思い出せないような景観だった。
いつも入口は2階のはずだが、正面1階に入口、入るともうそこは客席であり舞台だった。
奥の階段状になった席に座る。
「ゴベリンドンの沼」の廃工場で見たような
段ボールやペットボトル、ボロ布を使ったゴミアートが下がっている。
温かい色のランプもぶら下がっている。
役者達がリラックスした表情で客に声をかけ席を勧め、ぷちぷちでくるんだ座布団を配る。
いつものおぼんろの雰囲気だ。

主宰の末原さんが役者の紹介をしてから物語は始まる。
ビョードロというのは、血液からウイルスを作り出すことが出来る一族のことだ。
一世を風靡した後、あまりに危険だということで抹殺された歴史を持つ。
たまたま村から外へ出ていて2人のビョードロが生き残っていた。
ひとりはタクモ(末原拓馬)、もう一人はユスカ(林勇輔)で、
ユスカは人間とビョードロとのハーフだ。
彼らは人間のリペン(高橋倫平)と友達になるが
リペンの父ジュペン(さひがしジュンペイ)は、実はユスカの父でもあった。

夢見ていた父と出会い、ユスカは父に認められたい一心で彼の危険な頼みを引き受ける。
“もう一度クグル(ウイルス)を作ってくれないか”
ユスカとタクモは最強の細菌兵器“ジョウキゲン”(わかばやしめぐみ)を造り出すが
軍にジョウキゲンを提供して成功したいジュペンは次第に本性を現す。
ユスカの哀しい運命、自分のした事を悟ったリペンの行動、
そしてタクモの悲壮な決意と、コントロール不能なまでに強くなってしまった
ジョウキゲンの行く末は…。

この公演で一時も目を離せないのはジョウキゲンを演じるわかばやしめぐみさんだ。
登場の場面から、その天真爛漫なキャラクターが観る者の心をわしづかみにする。
末原拓馬さんの創り出したこの主人公は
ゴベリンドン同様、“存在の矛盾に苦悩する”キャラクターであり
その陰影の深さが実に魅力的だ。
わかばやしさんは、隙のないテンションでありながら台詞にメリハリがあり、
タクモの喜ぶ顔が見たくて命令に従いあちこちに赴きながら、
次第に疑問を抱くようになる繊細な変化を見事に表現している。
可愛くてひたむきで強くてひとりぽっちで哀しい。
ジョウキゲン、これはもうわかばやしさんの当り役だろう。

脇を固める人物がまたハマっている。
小狡いジュペンの二面性を鮮やかに演じ分けるさひがしジュンペイさん、
温かい言葉を口にしながらも巧みにウソ臭さを漂わせる台詞が上手い。
“最後の良心”ともいうべきリペンを演じる高橋倫平さん、
知ってしまった悲しみに打ちひしがれながら責任をとると宣言するところ
きれいな声が少年役にぴったりだし台詞に説得力がある。
今回初めて林勇輔さんを拝見したが
その声と立ち姿、動きの美しさに魅了された。
妖精のような容姿が哀しみをいっそう際立たせる。

役者たちが縦横無尽に走り回ると風が起き、傍らの段ボールが揺れる。
ゴミアートが単なる苦肉の策やテイストの表現だけでなく
ぶつかっても安全な極めて機能的なセットだということがわかる。

おぼんろの公演を観る度に感心するのは、プロのチームワークだ。
今回もフライヤー、美術、音楽、衣装、照明と一つひとつが充実して素晴らしい。
おぼんろの世界観を共有した上で、それぞれがプロの仕事をしている。
特に今回は照明と音楽の素晴らしさに圧倒された。
そして衣装、シンボリックなジョウキゲンの衣装といったら!

この舞台、コンパクトにして全国ツアーすればいいのに。
関東一円、あちこちの小劇場でやってもいいし
学校、体育館、公民館、どこでもできそうな気がするのは素人考えかしら?

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