うさぎライターの観てきた!クチコミ一覧

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オムニバス of Oi Oi vol5

オムニバス of Oi Oi vol5

Oi-SCALE

駅前劇場(東京都)

2015/04/03 (金) ~ 2015/04/08 (水)公演終了

満足度★★★

サクラに棲むものたち Bブログラム
「サクラ」をテーマに1本30分が3本というオムニバス。
林灰二さんが他人の脚本をどう演出するのか観たくてBプログラムを拝見。
「きつめ」のキャラ設定が面白かった。笑っているうちに一種ホラーな結末が新鮮。
「サクラカレー」いわくつきの公園でカレーの移動販売を始めた夫婦が恐ろしくも可笑しな出来事に巻き込まれる。最後は人情噺?
「君が頷く作文」は林灰二さんの脚本・演出がユニーク。毎回どこかシュールな香りがする作品を意外な表現方法で提示するその“ウケを狙わない”姿勢が好き。風貌も淡々としているけど、表現に関してはとても攻撃的な人なんじゃないかと思う。

ネタバレBOX

Oi-SCALEではおなじみのコーン型照明が立っているだけの舞台、
正面の白い布がスクリーンになっていてタイトルが映し出される。

1. 「きつめ」   脚本:羽生生純 演出:林灰二
漫画家だが収入のために舞台の脚本も請け負った男(林灰二)は、
子どもがほしいな、と妻に言っても「お金がないでしょ」と言われる始末。
ネタ探しに出かけた公園で風変わりな女「きつめ」に出会う。
やがて男は桜の木に取り込まれてしまう…。

「木」「ツ」「女(め)」を合わせると「桜」という漢字になるというのが面白い。
前半のユルイ展開から一転、ホラー映画の如く「樹木」に取り込まれていく描写が新鮮。
もっと「きつめ」のキャラがミステリアスだったら(エキセントリックでなく)、
魅入られた男に共感できたと思う。

2. 「サクラカレー」   脚本:岩崎う大 演出:林灰二
とある公園の桜の巨木の下でカレーの移動販売を始めた夫婦。
立派な桜が満開なのに人気のない公園、訝しく思っているうちに妙な人々がやってくる。
以前ここでホームレスだった男や、心中に失敗して生き残った男である。
ここが昔から「う○こ塚」と呼ばれていることや、心中に失敗したカップルのうち
死んだ女の父親が、自宅の桜を植えたのがこの桜の木であることがわかる。
と、いきなりその心中で死んだ女がカレーの台の下から登場、
生き残った片割れにエールを送り、
周囲の人々に協力を依頼してあの世へと帰っていく…。

濃いキャラに翻弄される夫婦の足元から女ユーレイが出てきたときは笑った。
演じているのが男だし。
めそめそする生き残りを叱咤激励して、そこにいる全員を巻き込んで
「じゃ、よろしく」みたいな引き揚げ方が可笑しい。
ユーレイのキャラがさばさばしているところがよい。
もっと早くユーレイが出てきてたっぷり心中の話をした方が面白い気がする。
心中に至るしんみりした理由が明かされたりしたら
“笑ってるうちにいい噺”になったかな。

3. 「君が頷く作文」   脚本・演出:林灰二
大きな植木鉢を引きずりながらそれに水をやり、世話をする妹。
兄はそんな妹を気遣っている。
やがて植木鉢から芽がでて育ち始め、桜になる…。

作文を読むような朗読劇(?)。台詞ではない、淡々とした描写に
コミュニケーションの隔たりとか、伝わりにくさとか、孤立感が漂う。
林灰二さんは言葉を操る仕事をしながら、どこかで言葉の限界を感じているように見える。
少し突き放したようなところから社会を眺めるスタンスを感じさせる。
都会的で、冷めた手法にそれが表れていると感じた。

個人的な好みを言えば、その都会的で冷めたコミュニケーションの一方で
爆発するような感情を一触即発状態でため込んでいる現代人を描く
林さんの作品の方が好き。
例えば数少ない観劇の中では「武器と羽」みたいな。
そしてやはり私は、林さんが出演する舞台が観たい、と改めて思った。
この人の演出は、出演することで完成するような気がするから。
少年は銃を抱く(満員御礼で終了しました。御感想お待ちしています)

少年は銃を抱く(満員御礼で終了しました。御感想お待ちしています)

MU

駅前劇場(東京都)

2015/03/27 (金) ~ 2015/04/01 (水)公演終了

満足度★★★★

リア銃
第一部の“少年たちの青い思考”、第二部の“自由人の家族たち”、
そして第三部の“教師たちも普通の大人”という3つの視点が面白い。
戦中に銃をくすねたというボケた祖父や、父親・叔父さんがいい味出してる。
弾丸の入っていない古い拳銃を持ち歩くことで変貌していく若者たち。
2時間半の長さを感じさせない展開で、何気に出てくる小さな笑いも外れなし。
キャラの立った登場人物に存在感があり、
10代の台詞にみずみずしさがあふれていて素晴らしい。
個人的には”その先が知りたい”感満載のエンディングがちょっと物足りない。
「お守り」は、いったい何を守ったのか…?

ネタバレBOX

第一部.少年たち
16年前に歌手江口光が庭先で亡くなったことから「江口ハウス」と呼ばれ、
ファンの聖地のようになった家のリビングが舞台。
大きくとられた窓の外は庭、上手の入り口は玄関と2階への階段につながっている。
そこに不登校児が集まりだし、オーナーの息子、高校生の光雄(小沢道成)は
祖父が戦中くすねた拳銃を彼らに分配する。
いじめに立ち向かうため、勇気を出すため、それぞれの目的のために銃を所持した彼らが
1週間で劇的に変わる姿を見て、光雄はますますその力を確信する。

第二部.家族たち
江口ハウスのオーナーである光雄の父(成川友也)、その弟(大塚尚吾)、
小説家の夢破れて実家へ帰って来た光雄の姉(真嶋一歌)、
そもそも銃をくすねてきた祖父(小野塚老)、光雄の従兄弟晴臣(斉藤マッチュ)、
光雄の家族は皆どこかねじが緩くて自分に甘い、言葉を換えれば柔軟。

第三部.教師たち
不登校児が集まる家として、学校から目の敵にされるようになった頃
銃の存在が発覚、その出所を突き止めようと教師たちは躍起になる。
校長は「あれはモデルガン」と言い張って逮捕者を出さずに幕引きを狙う。
そんな時晴臣が、光雄の恋人恵美(小園茉奈)を傷つけた教師
(山崎カズユキ)を撃ってしまう。
その晴臣は、江口ハウスの庭にいたところを、二階から祖父に撃たれる…。

お守りとは、精神的に頼るものであり、よりどころとなるものだ。
それがいざという時に実行力を持ちうるものではあまりに危険すぎる。
ましてや“強くなりたい”盛りの10代では、ただそれを握りしめて
自己をコントロールするだけにとどめておくことがどれほど困難か、
そこを想像できないところが若さだろう。

第二部の家族たちが、少年たちを追いつめるタイプでないことがユニーク。
息が詰まるような家庭に育ったわけではないがいろいろあって不登校、
というのがリアルで共感できる。
ステレオタイプでない家庭にしたところが、逆に根の深さを感じさせる。

教師たちも、事なかれ主義で不道徳で、何となく穏便に収まるかと思ったところで
やっぱり起こったか、という展開。
衝撃的なのはその後のもう一件の事件だ。
祖父が二階から孫の晴臣を撃ち殺し、その銃を持ったまま外へと出ていくところ。
家から出られなかった認知症の祖父が、 お守りを手に外へ出ていく不気味さ。
時折「敵が潜んでいる」と言う祖父が銃を手にする時、それはもはや
「お守り」ではなく身を守るための明らかな「武器」である。

光雄役の小沢道成さん、友人たちの変化に、興味が確信に変わるあたり、
10代らしい好奇心と自信、暴走するアブナイ感満載で上手い。
晴臣を演じた斉藤マッチュさん、人のものを欲しがる性格、
また手に入れてしまうしたたかさがことばの端々ににじんでいる。
晴臣に撃たれてしまう教師役の山崎カズユキさん、教師の中で一番生徒に近く、
つまり大人になり切れないまま先生になっちゃった感がリアルで良い。

「お守り」であり、それ以上でもそれ以下でもないはずの銃は、圧倒的な力を持っていた。
その「武器」となりうるものを「お守り」とすることの危うさが際立つ脚本が秀逸。
暴力的で虚しいエンディングに、「え?このあとあの人はどうなるの?」と思ったが
この後の展開は社会に委ねられ、少年たちの夢は終わるのだ。
作者の「答え」をそこに見る思いがした。
セルロイド

セルロイド

ハツビロコウ

【閉館】SPACE 雑遊(東京都)

2015/03/18 (水) ~ 2015/03/22 (日)公演終了

満足度★★★★

冷蔵庫
身近な家族に対する一方的な暴力がドミノのように連鎖していく。
父は子どもを殴り、やがて殴られた兄は母を、娘は赤ん坊を、そして兄は自分自身を、
それぞれ勝手な理由で叩きのめす。
淡々とした描写が一転驚きの展開、一気に緊張が高まるオープニングが秀逸。
4人の中でただひとりの女性の声がハスキーで実に魅力的だった。
ただ、勢いに頼る台詞には切羽詰まった感がにじまない。
若手が若干“台詞に負け気味”だったのが残念だったが、エネルギーは伝わって来た。
ラスト近く「目乾いてが黒くなって・・・」という台詞にリアルで不気味な手触りを感じた。

ネタバレBOX

アクティングスペースを挟んで対面式の客席が設けられている。
開演少し前、ひとりの女性が登場して椅子に腰かけた。
スナック菓子の袋を持ってポリポリ食べている。
ほとんど一袋食べ終わってしまうんじゃないかという頃電話が鳴った。
明るく元気そうな対応をして電話を切る。
その後間もなく暗転、爆音鳴り響く中、突然横倒しになった冷蔵庫のドアが開き、
強烈な明かりを浴びながら、中から男が3人飛び出してくる。

互いに他をけん制するかのように四隅に陣取って、怒鳴り合いが始まる。
女性はけがをした若い男を無理やり連れてきたらしく、
「ここにいて私を助けて」と懇願する。
若い男は「俺に何ができる?!何をしろって言うんだ?!」といら立つ。
3人のうち年輩の男は父親、もう一人は女性の兄であることが分かる。
兄は「俺はいるけどもういないんだ」と言っている。
父親は昔幼かった二人の子供に暴力を振るい、加えて女性には性的暴行を加えた。
一方兄は母親をターゲットに暴力を振るうようになる。
女性はその後子供を産んだが、その子を放置して死なせた。
自分がこんな風になったのはお父さんあんたのせいだ、と父親に懺悔させ謝らせ、
見て見ぬふりをしていた兄のせいだ、と激しく非難する女性。
ラスト、暴力の応酬ののち女性がひとり、何か尋問のように質問に答えている。
母に暴力を振るった兄が自殺したこと、赤ん坊が次第に乾いて行くのを見ていたこと・・・。

女の頭の中で渦巻いている家族と暴力への激しい嫌悪感を
父、兄、そして自分が産んだ赤ん坊の3人にぶつける脳内バトルと言えようか。
強烈なオープニングから怒涛のバトルが始まるのだが、
同じところをぐるぐる回っているかのような出口のなさが
八方ふさがりの現実を表している。

誰にも理由があったのかもしれない。
父親の性的暴行を受け入れた(ように見えた)のは“そのときだけ優しかったから”
殴られなくて済むから、という理由が切なく痛ましい。
女を演じた岩野未知さんのハスキーな声が素晴らしくはまっている。
“女”を使って身を守らなければならなかった屈辱まみれの過去を語るのに
なよなよしていない分だけ、“誰が喜んでなどいるものか”という強い怒りが伝わってくる。

女には救われたい一心で子どもを産んだのに何の助けにもなりゃしない、
という絶望感だけが残る。

人は本能だけで子どもを愛し育てるのではないと思う。
行政の介入も形式ばかりで効力はなく、個々の家庭は孤立している。

有効な解決策などありはしないのだ。
親が子どもの人生の責任を誰とも分かち合えず、一人で背負わなければならない時
同じようなことはまた起こるのだ。
そしてそれは地下深く秘密のうちに行われ、簡単に隣人にバレたりはしない。
その暗澹とした時代の匂いが色濃く出ている作品だと思う。

黒塚

黒塚

木ノ下歌舞伎

こまばアゴラ劇場(東京都)

2015/03/11 (水) ~ 2015/03/22 (日)公演終了

満足度★★★★★

すごい舞台
初演を観ていなかったので、再演ツアーをとても楽しみにしていた。
いやー、超面白かった。
表現形式の垣根を取っ払った面白さ、豊かさに満ちている。
歌舞伎の所作の美しさ、声の響き、そして高い身体能力を生かした舞踊が素晴らしい。
歌舞伎の様式美が生かされる部分と、庶民性や人間臭さが現代口語で語られる部分、
それらが的確に選択されていて、その結果鬼の心情が際立つ舞台になった。
歌舞伎の舞台を完コピ稽古してからクリエイティブ稽古に臨むという二段構えの稽古に納得。
笑いながら聴いていたが、情報満載で充実のアフタートークも秀逸。
帰宅して思わずyou tubeの完コピ稽古を全編観てしまった。
木ノ下歌舞伎、これからずっと観ると思う。

ネタバレBOX

むき出しの平台を重ねたような舞台が対面式の客席に挟まれている。
やがて私たちが入って来たドアから修行僧の一行3人と案内人1人がやってくる。
道に迷って一夜の宿を探し求めていた彼らは、やがて一軒の家にたどり着くが
そこは食人鬼が住む家だった…。

「安達ケ原の鬼婆」の話は子どもの頃に読んだことがあるが
それは善(僧侶)と悪(鬼婆)の対決の話であった。
鬼婆が食人鬼となったいきさつを加えたことによって、鬼は単なる悪ではなく、
追いつめられた人間の哀しい過ちの果てであったことが伝わって奥行きが出た。

出て来ただけで怖い老婆が、時に素早く動いたり、糸車を回しながら歌ったり、
(中島みゆきの「時代」には笑った♪)
僧から「仏を信じれば罪は赦される」と聞いて涙ながらに喜んだりと、実に表情豊か。
この老婆が薪を拾いに行った山で過去を回想するシーンが挿入されている。
都で高貴な家に乳母として仕えていた老婆は、理不尽な命令で
各地を彷徨ったあげく、東北の福島・安達ケ原へと流れつく。
そこで知らなかったとはいえ、生き別れた実の娘とその腹の子を殺してしまい
気が狂って人の世を呪い食人鬼となったという、彼女の慟哭の場面が胸に迫る。

歌舞伎のストーリーに能の舞、そこに人情噺を加えたのが木ノ下歌舞伎の「黒塚」だ。
歌舞伎の台詞を再現する老婆に対して現代口語の旅人、着物の老婆にイマドキの旅人、
歌舞伎の動作をふんだんに取り入れたダンス、丁寧に取り入れた能の舞…。
伝統芸能を継承するには様々な方法があると思うが
「黒塚」は全てのバランスが絶妙で、その結果まったく新しい舞台が出来上がった。
“古典が際立つ”という意味において、単なる“いいとこ取り”を超えている。
しかも鬼の事情が語られることで、その後の彼女の喜びと怒りが
リアルに浮かび上がる。

役者陣の熱演が素晴らしく、歌舞伎を完コピした成果が随所に表れている。
老婆役の武谷公雄さん、この方の舞台を観るのは3回目だと思うが
いつも挑戦し続け、変化し続けるところがすごい。
今回もその所作、手の動き、杖の扱い、感情表現のメリハリ、すべてが感動的だった。

一行の中でガイド役を演じた北尾亘さん、その身体能力と圧巻の舞踊センスで魅了する。
懐中電灯を使ったアイディアなど、照明の工夫と美しさに目を見張るものがあった。

木ノ下さんってどんな人だろうと思っていたら、「黒塚」初演当時28歳だったというから驚く。
あの若さで古典に精通し、というより古典の良さを愛し受け継いで行こうと考える
そのことに敬意を表したい。
アフタートークで演出・美術の杉原氏と語る様子を見ても、
大変良いコンビであることが分かる。
これからもお二人の監修・補綴、演出・美術が生み出す作品に注目していきたい。
こういう新しい表現に出会うのが芝居を観る楽しみであると改めて実感した。





家族

家族

オーストラ・マコンドー

吉祥寺シアター(東京都)

2015/03/05 (木) ~ 2015/03/15 (日)公演終了

満足度★★★★

小津ワールド
“小津安二郎に捧ぐ”とあるように、映画「東京物語」を彷彿とさせるシーンが多かった。
笠智衆そっくりの話し方と、たっぷりの間、それに現代には不自然なほど丁寧な
「~ですわ」「~ですの」という言い回しが再現され、まさに小津ワールド。
日頃はぞんざいに扱いながら、ひとたび失えば痛切な哀しみに襲われる
家族の普遍性が、“渡鬼”を超上品にしたような日常の中に描かれる。
作者はこれを伝えるために、この作品を作ったのかと思わせるラストが切なく
とても温かな気持ちになる。
亡くなった夫を忘れることを拒否し、それでも次第に忘れていく自分を許せない紀子の姿は
3.11を前に、「死んだ人を忘れること」を鋭く問いかけてくるようだ。
MOGMOSさんの歌とギターが流れたあの場面で、一気に涙腺決壊。
ひとつ疑問なのは、どうみても会話のテンポや古風な言い回しが昭和レトロなのに
なぜ“スカイツリー”のある現代に置き換えなければならなかったのだろう、ということ。
昭和のままで、いつの時代も変わらないんだなと思わせても良かったような気がした。

ネタバレBOX

劇場に入るとまず銀色に輝く舞台のセットに目を奪われる。
中央に盆踊りみたいなやぐらが低く組んであり、客席側に傾斜している。
奥の鏡がそれを映して観客にやぐらの床の上をさらにはっきりと見せる。
銀色の床にはちゃぶ台、両脇には生活必需品らしき赤いやかんなどが置かれている。
ここが物語の舞台となる部屋なのだと思って眺める。
舞台の袖近くには上手下手に対称的に、洗濯物を干した竿が高々と掲げられている。
昭和の庭先を思わせるつくりである。
やがて正面にあった鏡がするすると奥へ引っ込み、やぐらへ上り下りする階段が見えた。

ここは多賀士と安子の次男の嫁、紀子(趣里)の部屋である。
次男司は既に亡くなって6年、七回忌の席ではかつての悪友達が
未亡人となった紀子を気遣い、陰では見合いをさせようなどと話している。
やがてその部屋に、七回忌を兼ねて東京見物に来た
多賀士・安子の老夫婦がやってくる。
長男・長女はいずれも自分たちの生活に忙しく、親の面倒まで手が回らない。
結局仕事を休んで東京を案内し、自分の部屋に泊めたのは紀子であった。
亡くなった息子の姓を名乗りいつまでもひとりでいる紀子に、老夫婦は
「もう忘れて新しい人生を歩んでほしい」と告げるが、紀子は頑なに拒否する。
「司さんを忘れたくない、なのに自分は忘れていく、それがどうしても嫌なのだ」と・・・。
やがて安子が急死して、多賀士はひとり故郷に帰って行く。

映画では名場面として名高い、ひとり田舎の居間に佇む笠智衆の姿で終わるが
この作品ではそのあとが、現代に向けたメッセージとなっている。
家族とは“血縁”ではない。
家族とは“作っていくもの”であり、時間をかけて“成っていくもの”である。
だから誰かを喪ってもひとりではないのだ、家族は続くのだという
温かいメッセージを感じる。

多賀士役の康喜弼さん、マイペースで鷹揚な物言いで笠智衆さんを完璧に再現、
紀子に「もう息子のことは忘れていいんだ」と告げるところで一気に心情がこぼれる。
フリーターの三男を演じたMOGMOSさんのギターと歌が素晴らしく
多賀士と紀子が本心を吐露する場面が一層切なく優しい。

作者の映画への深いオマージュが伝わってくる作品だが、台詞や間の雰囲気を
忠実に再現した分、テンポがゆっくりでスカイツリーの時代設定に違和感を覚える。
時代を昭和のままにしても家族の普遍性は語れたように思う。
それにしても美しい言葉が交わされた時代だったのだなあ。
そのことにわたくしとても感動しましたの。(←まじめにそう思っている)  







独りぼっちのブルース・レッドフィールド

独りぼっちのブルース・レッドフィールド

ポップンマッシュルームチキン野郎

シアターサンモール(東京都)

2015/02/22 (日) ~ 2015/03/01 (日)公演終了

満足度★★★★★

作家のアイデアに★5つ
客入れのパフォーマンスも全力投球のエンターテイナーぶりで
「ホントにいつもありがとう!」と言いたい。
至近距離で銃声を聞くと、記憶が25年前に戻ってしまう、
記憶障害を患っているガンマン、という設定をチラシでバラしてしまった以上
どんな展開になるのかと思いきや、本人もびっくりだろうが
観ている側もあっと驚く驚愕の事実が明らかにされる。
この設定のアイディアはどこから湧いてくるのだろう。
作家の豊かな発想力に脱帽するしかない。
インディアン役の加藤慎吾さんが素晴らしい。
相変わらずの被り物も大活躍で、誰が誰だかパンフレットを見ないと判らない。
渡辺徹さんが出ているからか、R-指定の演出はいつもよりおとなし目
だったような気がする…。







ネタバレBOX

25年前にギャングによって家族を殺されたブルース(渡辺徹)は、
あれ以来至近距離で銃声を聞くと記憶が25年前に戻ってしまうという
記憶障害を抱えながら復讐の旅を続けている。
頼りはいつも持ち歩いている日記と、同じように家族を殺された
インディアンのヌータウ(加藤慎吾)。
ブルースはこの相棒と一緒に最後のひとりを倒して復讐は終わる。
だがその最後の一人があまりに若かったことから、ブルースはふと疑念を抱く。
そこへ25年前の相棒スタンレイ(横尾下下)が現れて、驚愕の事実を告げる。
ブルースが半生をかけた復讐、それはある人物の自分への復讐に他ならなかった…。

実は相棒のスタンレイたちとインディアンを殺すことを生業としていたブルースは、
ヌータウの家族を殺してしまっていた。
これはヌータウの、ブルースに対する巧妙な復讐だったのだ。
ブルースの記憶障害を利用して偽の日記を読ませ、憎しみをあおって
ギャングたちへの復讐と称して実はブルース自身の家族を次々と殺させていた。
ブルースは自分の手で妻も子供たちも撃ち殺し、それらの記憶はなかった。


長年温めていたテーマだというが、この極めてシリアスで悲惨な鉱脈を、
吹原氏はどうやって掘り当てたのだろう。
明かされた真実が衝撃的で、ヌータウの表情や一言ひと言が後からじわりと沁みてくる。
また私は被り物キャラをここまで真剣に愛し、演じる劇団をほかに知らない。
世間によくある笑いを取ろうとして登場する被り物たちは、出てきた時点で飛び道具的で
一発受けたらそれで終了、演じる方もどこか緩くて一緒に笑って引っ込んでいく…
という扱いが多いように思う。
ポップンは、前作「うちの犬はサイコロを振るのをやめた」も素晴らしかったが
役者の表情が見えにくい被り物でありながら、心をわしづかみにして泣かせる
表現力が突出している。
シリアスな本流を損なうことなく、出てきただけで笑ってしまうようなルックスと
意表を突くキャラ設定が絶妙なバランスを生み出す。
それは適度にちりばめられた下ネタも同じである。

その意味で、今回“R-18指定臭”が若干薄まったのは残念だったかな。
ポップンらしさが薄まったのは文学座ファンへの配慮かもしれないが
テレビではなく小劇場系ではその辺の配慮なしにやってもらいたい、
というのもポップンファンの心理。
ブルース役を、たとえばユースケ・サンタマリアあたりが演じたら
下ネタと笑いのセンスがもっと共有できるのではないかと想像してしまった。

真実を知ったブルースの慟哭がイマイチおとなしく感じたのも、
ポップンの劇団員だったら、存在が壊れるような苦痛と哀しみを爆発させるだろう、と
想像するからに他ならない。
劇団として大きくなれば、選択肢が広がるからいろんなことができるだろう。
その中で今後ポップンらしさをどうキープしていくのかが問われると思う。

それにしても今回もキャラの立った登場人物(?)たちが楽しかった。
お尻を出しても出さなくても色気のある悪役をやらせたらやはり荻野崇さんは素晴らしい。
声を聴いて当日パンフで確認しなければ、あのサボテンがサイショモンドダスト★さんとは
すぐにわからなかったが、この人の熱い台詞はとても魅力的。
荷物をまとめるだけでなくついには国をまとめて大統領になるナップザック、いいキャラだねえ!NPO法人さんの、“間”で笑わせるセンスが光る。
ヌータウを演じた加藤慎吾さん、ブルースに、「全部終わったら一緒にステーキ屋でもやろう」
と言われた時の唯一の笑顔が印象的。
どれほど複雑な思いでその言葉を聴いただろう。
高橋ゆきさんのアイアン・ジェーンなど、映画「009」シリーズに出てきそうなキャラだ。

吹原さんの想像力、筆力、破壊力(笑)に大いに期待して次回作を待っています!ポップンの次の10年も見続けたい。

追伸:物販で2000円で買ったパンフレットの料金の大半を、群馬の山奥で全裸で相撲をとった
井上ほたてひも、NPO法人のお二人に捧げる。






春、さようならは言わない。【当日券若干数販売しております】

春、さようならは言わない。【当日券若干数販売しております】

江古田のガールズ

「劇」小劇場(東京都)

2015/02/18 (水) ~ 2015/02/22 (日)公演終了

満足度★★★★

10代のシャンソン(再々演を望む)
高校のシャンソン部を舞台に5人の生徒と顧問の先生が織りなす
ストレート学園ドラマ。
まるでドミノのように片思いが連鎖する切ない青春の日々が描かれる。
シャンソンというドラマチックな手段が素直にはまって大成功。
初演は2時間40分、それが今回2時間になったというが
もう少しスリムになっても良いかなと思う。
導入部分など、もっとまっすぐ本題に入っても良いのではないか。
客演の井端珠里さんが歌うフランス語の「愛の賛歌」が素晴らしく、
若い方の爽やかな力を感じた。
終演後は三軒茶屋ミワの「新春シャンソンショー」で3曲。
「ミロール」を聴くのは2度目だったが相変わらず素晴らしくて
この3分間の人生劇場にボロ泣き。




ネタバレBOX

高校卒業後1年、かつてシャンソン部を立ち上げて活動していたメンバーが
静岡の母校に集まってくる。
顧問の教師と共に、一緒に埋めたタイムカプセルを掘り出そうとする。
片思いが交差し、思いをシャンソンにのせて歌っていたあの頃。
そこに、霧島薫だけが来ていなかった…。

高校生にはなじみの薄いシャンソンを、敢えて部活にしたところが面白い。
不器用ながら、言葉にできない思いを歌にのせる部員たちが熱く新鮮。
シャンソンと言えば、“熟年層が好む人生のほろ苦さを歌う歌”、
というイメージだったがそれが見事に覆され、
改めてその普遍的な魅力を再認識した。

圧巻は、強い転校生霧島薫(井端朱里)が歌うフランス語の「愛の賛歌」。
大人の味わいとはまた違う、10代の勢いと希望にあふれた歌声が素晴らしかった。
アイドル顔の霧島が、ヤンキー男子の胸ぐらをつかむ強くて男っぽいキャラなのも面白い。
このキャラ魅力的なので、ほかの部員たちとの恋模様がリアルに立ち上がって動き出す。
全員が率直な思いを歌に託して一生懸命歌う姿に、素直に感動する。

牛島先生がちょっと天然で先生らしくなくて、リアル感に欠けたかな。
冒頭のかみ合わない会話など、導入部の集中力をそいでしまいがち。
そもそもこの話は、あるシャンソン歌手がステージ上で観客に語る
“人から聞いた話”として始まるのだが、
こういった構成をもう少し整理して印象的に見せたら素晴らしい“似非ミュージカル”として
劇団の代表作にもなると思う。(もうなっているから再演したのかもしれませんが)

山崎洋平さんが歌うシャンソンの魅力が若い世代にも通じることを見事に表現しているし、
役者さんの中にもこんなにシャンソンが歌える方がいるという事実に心底驚いたし、
歌と笑いと涙が全部詰まっていて、素晴らしい作品だと思う。

伴奏担当の鈴木を演じた陣内ユウコさん、ビミョーな片思いの表情が切なくて
不器用で繊細な10代の心情を見事に表現している。
タイムカプセルから出てきた霧島の手紙を読んで号泣した橘(赤間直哉)よ、
私も号泣したぞ、残念でならないあなたの気持ちが本当に伝わって来たから。

山崎さん、また再演してください。
私はこの作品をまた観たい。
次はさらに進化していると信じて待っています。

丘の上、ただひとつの家(全公演終了・ご来場ありがとうございました)

丘の上、ただひとつの家(全公演終了・ご来場ありがとうございました)

鵺的(ぬえてき)

【閉館】SPACE 雑遊(東京都)

2015/02/11 (水) ~ 2015/02/16 (月)公演終了

満足度★★★★★

なのにエンタメ
奔放な母親の行動に振り回され続ける家族の思いがぶつかり合う
重苦しい展開なのに、どこか天井の穴から青空が見えるような
一筋の楽観主義が救いとなっている。
ひとつにはぶっ飛んだ母親のキャラによるところが大きいと思う。
このとんでもない母親が子どもたちに伝えることが出来るのは、
ただひとつ“赦す”ことである。
自分も人も、全て赦せば幸せになれるという、自己中心的で
究極の幸福論のままに生きる母親と
彼女を取り巻く登場人物のキャラがくっきりしていて説得力があった。
クールな弁護士の言動が爽快感を呼び、全体のバランスを上手くとっている。
「荒野1/7」に続く家族の物語は、緊張感の途切れない、
それいて思わず吹き出すような“抜け”もある台詞が素晴らしく、
泥沼家族をエンタメにする手腕が秀逸。



ネタバレBOX

三方から囲んだ舞台には歪な椅子が4脚置かれている。
いずれも4本の脚のうち1本は、別の椅子から取ってつけたように色や形が違う。
背もたれは低い位置で切り取られ、その切り口は赤い。
もたれることもくつろぐことも拒否された、登場人物たちの家を思わせる不自然さだ。

自分が幼い頃家を出た母親に、父が遺した指輪を渡したいので探して欲しいと
ひとりの女性が弁護士に依頼する。
子どもを置いて出て行った母親を探す必要などどこにある、と強く反対する夫、
最初は反対していたが、やがて本当は自分も会いたいと語る妹。
いつもは天然でおっとりした姉が、この件に関してはなぜか頑固で譲らない。
やがて依頼を受けた弁護士により、いくつかの事実が明らかになる。
家を出た母親は、刑務所に入ったことがある、万引きしたことがある、
そして家を出たあと子供を2人もうけていて、もうひとつの家族が存在する…等々。
2つの家族は、ひとりの母親を挟んで大揺れに揺れたのち
弁護士同席のもと、ついに母親も含めて集まることになる…。

母親は出て行ったが、父に守られてきた育ちの良い姉妹と
誰にも守られず、母親や社会に対して攻撃的な姉弟、
血のつながりはあっても対照的な2つの家族の違いが鮮やか。
家を出た後、実の兄の子を2人も産んだ母親も業が深いが、
自分の出自を知った姉が、自分も実の弟との子を産んで見せつけるという
母親への壮絶な復讐心に思わずたじろぐ。

最初声だけが聞こえてから姿を見せる、母親の登場シーンが超インパクト大。
若い男と人目もはばからずイチャイチャしながら再会の場へ出てきた母親は
ミニスカートにブーツで、唇も爪も真っ赤に塗っている。
この母親が、子どもに詫びを入れてさめざめと泣く…みたいな展開が一切なくて
「なーんか、みんな怖い顔してるぅ~」と男の背中に隠れるようなキャラなのが潔い。
開き直りにも見えるが、自分のしたことを後悔していない、つまり
自分の行動も、最初の家族、次の家族、ちゃらちゃらした若い男も
ぜ~んぶ肯定して大好きなのだ。
暗く重苦しい話の中に薄明るい光源があるとしたら
それはこの“ノー天気な菩薩”みたいなトンデモナイ母親の存在である。
結局菩薩に丸ごと肯定されることで、子どもたちは次の一歩を踏み出そうとする。
母親のかたちといってもいろいろあるのだ、と思わせられる。

もうひとつストーリーを面白くしてくれるのが“価値観のズレ”である。
母の愛人であるちゃら男の「みんな一緒に住めばいいじゃん!」的な発言には笑った。
ほかの人々がそれぞれ硬直した価値観にとらわれている中
母と若い男は、「まあ、それもいいじゃん」となんでも受け容れていく。
人を幸福にするのは、この“いい加減さ”かもしれない。

ちゃら男役の井上幸太郎さん、弁護士を襲ったりする一方で憎めないところもある
硬軟使い分ける男の二面性を自然に見せて素晴らしい。
ぶっ飛んだ菩薩のような母親を演じた安元遊香さん、
善悪を超えた度量の大きさを感じさせる。
母への復讐に燃える姉を演じた宍戸香菜恵さん、
緊張感の途切れないこわばった表情と台詞が、
終盤力の抜けた表情に変わるところが巧い。
ちゃら男を一喝、逆に利用するクールな弁護士役の生見司織さん、
硬質な台詞で魅力的なダークヒロイン(?)像を創った。

弁護士までがクライアントと共通の体験をしていなくても
良かったのではないかという気がする。
人に寄り添うのに必要なのは、体験より想像力だと思うから。


スィートホーム

スィートホーム

トム・プロジェクト

赤坂RED/THEATER(東京都)

2015/02/04 (水) ~ 2015/02/09 (月)公演終了

満足度★★★★

少年
14歳の少年が祖母と両親を殺害するという実際に起こった事件に想を得た作品。
安易な楽観主義に陥らない展開は、暗いかもしれないがその分共感を覚える。
これまでチョコが得意としてきた、“歴史上の大事件から個の感情へフォーカスする”
ダイナミックさは無いが、きわめて個別の、特殊なケースの中に私たちとの共通点を見出す、
繊細な作品になった。
西尾さんの役が、「親愛なるわが総統」と終始ダブってしまったのは私だけか?

ネタバレBOX

上手に事件現場らしい居間、下手に一段上がって
殺風景な机とパイプ椅子のある部屋…。
劇場に入ってすぐ、現在と過去のいきさつが交互に描かれるのだろうと想像した。

両親と祖母を殺害した少年は、少年院を出る日が近づいているが、
後悔しはているものの、奪ったものの大きさに今一つ思い至っていないように見える。
そしてただひとり生き残った祖父に、彼を受け入れる気は毛頭なかった。
少年院で彼を見守り続けた精神科医は、敢えて祖父に少年との面会を強く要請する。
最初は拒んでいた祖父もついに面会を承諾し、小さな部屋で少年と向き合う。
だが最初の面会は「(おじいちゃんも)殺しておけばよかった」
という言葉でさらに亀裂を深くする。
精神科医は、少年の言動を更生のプロセスとして受け容れ、祖父に理解を求める。
祖父は「いったいあの時何があったのか」と初めて当時の少年の立場に思いをはせる。
それは、すれ違う家族の感情を一身に受け止めるという、
14歳の心には過酷な日々だった…。

祖父を演じる高橋長英さんの演技が落ちついていて、舞台に安定感が増す。
揺れに揺れているはずの心中を、時に露わに、時に沈痛な表情で豊かに表現する。
孫に過剰な愛情を注ぎ、嫁と奪い合う祖母を演じた大西多摩恵さんが素晴らしく
ねっとりとまとわりつくような、うっとうしい愛情を見事に声にのせる。
常に自分の理由を最優先する世代ともいえようか、
短絡的な行動に出た少年を演じた辻井彰太さん、
最初、“同級生にけがをさせて反省している”ような顔をしていた彼が
ラスト、墓参に通う彼を待っていた祖父と再会する場面で、
爆発するような苦渋の表情を見せる。
この変化が鮮やかで素晴らしかった。

祖父と少年の間に横たわる深い溝を埋めようと奔走する精神科医を演じる西尾友樹さん、
情熱を持ち、辛抱づよく温かいアプローチを続けるキャラがぴったりなのだが、
どうしても昨年観た劇団チョコレートケーキの「親愛なるわが総統」を思い出してしまう。
戦後収監されたアウシュビッツ強制収容所の初代所長ルドルフ・フェルナント・ヘースの
心の底深く分け入っていく精神科医の役だった。
理想の人間像とはいえ、よく似た人物造形であったこと、
せっかくの味わい深い台詞が少し早口だったことが気になった。

「母と祖母の間で板挟みになる少年の立場に立って考えてみてください」
という精神科医のアドバイスで、家族を顧みなかった祖父が初めて当時の状態を知る…
という展開は、ちょっと中学校の道徳の時間みたいな印象を受けた。

過去と現在を行き来しながら、死者の声も織り込むという構成は
奥行きが出てよかったと思う。
いつものチョコレートケーキのごつごつした手触りが、すこし角が取れた感じだが
この少年がモンスターでもなんでもなく、私たちと多くの共通点を持つ
感情の持ち主であるという温かなまなざしが感じられて、
こういう視点を持つ作者に尊敬の念を覚える。




つくづくな人間

つくづくな人間

マニンゲンプロジェクト

小劇場 楽園(東京都)

2015/01/28 (水) ~ 2015/02/01 (日)公演終了

満足度★★★★

そこにいる理由
デリヘル譲が待機する事務所で繰り広げられる様々な人間模様。
キャラの立った登場人物と、それぞれの事情が面白い。
シリアスな状況中でも、くすりと笑わせる台詞と間にセンスが感じられる。
ただ、もう少し台詞を整理し絞っても良かったのではないか。
いくら言葉を重ねても言い足りないという作者の気持ちはわかるが
饒舌は時に焦点をぼやけさせる。

ネタバレBOX

オルゴールを手にした男が、3年前のことを語り始める。
借金抱えていた彼は、デリヘル譲たちが待機する事務所で
電話応対や送迎の仕事をしていた。
ここで働く女たちもそれぞれに理由があった。
交通事故で幼い子どもを死なせてしまい、その親にお金と花を送り続けている女。
稼いだ金でダメダメミュージシャンの恋人を支える女。
クールで常に周囲とは距離を置き、事務所の社長の愛人でもある女。
何となくデリヘルになったが、客から“チェンジ”される女。
たまたま事務所にラーメンを届けに来た出前持ちは
ひょんなことからこのデリヘル事務所の人々に鋭く問いかける。
「お前はいったい何だ?!」

冒頭3年前を回想する男の一人語りが、ちと長かった。
デリヘル譲たちとその彼氏や、“世間代表”みたいなオヤジなど
キャラのバリエーションが面白い。

「あきらめてる」と言う人に限って激しく執着している。
「どうでもいい」と言う人に限って全然どうでもよくない。
自分をどこかへ追い込む人に限ってもう十分だよと言って欲しいのだ。
彼らのジレンマは極めて普遍的で、その極端な態度にも共感の余地はある。

そんな中で「お前はいったい何だ?!」と問いかけるラーメン屋は
改めて自分の内面に向き合うきっかけを与える存在なのだが
ここでも少し台詞がくどくなってインパクトに欠けるのが残念。
ヤクザな社長が出てきてからの展開や変化などはとても良かったと思う。

「何食べる?」と聞かれると「何でもいい」と答えていた10代のころ。
好きな人が「これを食べたい」と言えば
自分もそれが食べたいような気がして疑いもしなかった。
あの頃「お前はいったい何だ?!」としつこく聞かれることもなかったが
この舞台の後、微かな反響が耳に残っている。




鬼のぬけがら

鬼のぬけがら

ナイスコンプレックス

OFF OFFシアター(東京都)

2015/01/21 (水) ~ 2015/01/26 (月)公演終了

満足度★★★★

救済
人は誰でも鬼になる時がある。
何かひとつ自分のことにとらわれて、他者を顧みなくなる時である。
父と子と、そのまた子へとつながる命の連鎖の中で、
鬼のぬけがらもまた受け継がれていく。
世代の移り変わりと、父が語る「昔ばなし」の重なりが最初わかりづらいが
テーマは骨太、語り口は繊細である。
おぼんろの主催、末原拓馬さんとのコラボレーションが成功している。
この人のファンタジーを地上に降ろして語るセンスが、
上手く生かされて奥行きが出た。

ネタバレBOX

昔、父が幼い成美に聞かせる昔ばなしの中に「鬼のぬけがら」という話があった。
自分の欲のために、鬼のぬけがらを着込んで悪さし放題の与助は、
やがて村から孤立しぬけがらが脱げなくなってしまう、という話だ。
東京でライターをしている成美は、もうすぐ生まれてくる子どものためにも、
大きな仕事をしなければと焦りを感じている。
そんな時、3.1.1.震災の被災地アラハマに住む父が、
がんで余命いくばくもないと聞く。
母と離婚したり、避難所でもめ事を起こして地域から孤立したり、という父を理解できず
会えば対立、以来父とは距離を置いてきた成美だが、
記事のネタになりそうだと、身重の妻に運転させて父に会いに行く。
そこで様々な人に出会い、父の所業にある深い意図があったことを知る…。

震災の記事で一躍名を馳せたがその後低迷している成美の焦りが上手く出ている。
妻にも父にも母にも、思いやりのかけらもなく当り散らすような態度で接する成美は
もうその時点で十分鬼なのだが、
震災直後の混乱の中で“誰もが鬼となった瞬間”に出合いたいと
人の気持ちをえぐるように聞きただす彼は
その先に“ライターとしての手柄”しか視ていない。

あんなに批判して憎んでさえいたのに、その父と同じことをしている自分。
しかも父の行動には深い理由があり、それを誰にも話さずにきた。

童話「泣いた赤おに」は私が4,5歳の頃読んでボロ泣きした物語である。
自己犠牲のもと、誰かの孤立を救うという、子ども心には救いのない話で
「じゃあ、青おにはこれからずっと誤解されたままひとりぽっちなのか」と考えると
解決策の浮かばない子どもの頭には辛くてならなかった。
このモチーフが“鬼がら伝説”とうまく絡んで鬼の苦悩と救済が浮かび上がる。

昔ばなしに出てくる与助のイメージが大きく鮮烈。
ダークなファンタジーの中に人間の欲と浄化を見せる
末原拓馬さんの作品に通ずるものがある。
かつての自分のように鬼と化した息子を、諦めつつ眺める父の寂しい表情が印象的。
鬼も救われる時が来るという結末は、私もほっと安堵の思いで観た。

津波の被害者たちの出ハケが気になったことと、
最後になってまとめを急いだ感じが惜しい気がした。
あそこまで教科書みたいにまとめなくても良かったのではないか。
ちょっと政府の復興支援政策PRみたいになってしまったのが残念。


男は二度死ぬ・その一度目!!~その三~

男は二度死ぬ・その一度目!!~その三~

ライオン・パーマ

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2015/01/15 (木) ~ 2015/01/19 (月)公演終了

満足度★★★★

再生
かつて一世を風靡した男たちが、再び熱く立ち上がろうとする再生の物語。
ボクシングの元チャンピオンや役者、歌手など、落ちぶれ感漂う人々のキャラが楽しい。
いつもながらひと工夫ある前説に始まり、会話の間とセンスの良さが
随所にちりばめられていてクスリとさせられる。
男たちの物語を書くライターが完全な狂言回しにもなりきれず少し中途半端だったか。
キャラが明確なのですぐ話に追いつけるが全体の時間の流れが若干判りにくかった印象。
一度死んだ男たちの、それゆえの優しさが温かく、やはりライオンパーマの持ち味にぴったり。
ひよこのエピソードとか、すごく好き。

ネタバレBOX

冒頭の“前座”は良かった(笑)
それがラストにつながるというのも良かった。
前説からもう「あー、ライオンパーマだぁ!」と楽しくなる。

人は一度死んでからの生き方に、その真価が表れる。
それほど強くない人間が、仲間と一緒ならまた戦ってみようかという気持ちになれる。
笑っているうちにいつの間にか登場人物たちを応援しているのは、
個々のキャラに感情移入しやすいからだ。
”突飛な設定なのに共感できるキャラ”のつくり方が上手いと思うし、
そこがライオンパーマの“らしさ”の一つかと思う。

スリム役の石毛セブンさん、いつもながら口跡・滑舌が良く颯爽とした役どころが似合う。
当日パンフの“役名と役者名”の欄に、少し説明がついたら
もっと解りやすくて個別のコメントがしやすい。
例えば、「滝・加藤岳仁・・・ひよこの男」みたいに。
ご一考いただけたら嬉しいです。

フタリニミエタ

フタリニミエタ

Oi-SCALE

駅前劇場(東京都)

2014/12/10 (水) ~ 2014/12/15 (月)公演終了

満足度★★★★

死と暴力の気配
小さな町で一晩に起こった3つのエピソードをオムニバス形式で描きながら
最後はそれらがひとつに繋がっていく。
濃密な死と暴力の気配が観る側にも緊張感を呼ぶ。
ラップや朗読形式などバラエティに富んでいる一方、若干唐突な感じも受けるが
表現に立体感があって3Dな空間はOi-SCALEらしい気がする。
それにしても林灰二さんって“、飄々としてるけど実は怖いおじさん”を演らせたら天下一品だ。
ほかの出演者も“危ない雰囲気”がすごく出ていてビビる心理がリアルに伝わってきた。
映像の使い方がユニークで面白いと思っていたら、ラストですんごい驚かされた。


ネタバレBOX

久しぶりに町へ戻って来た男と、彼を迎える昔の仲間らしい男達の話から始まる。
「久しぶり~」な感じの会話が次第に町を牛耳る一族の報復を恐れる話になる辺りから
不穏な空気が流れ始める緊張感のつなぎ方が上手い。
男が“出所して戻って来た”という事情が分かってから
ますますヤバい雰囲気はエスカレート。
「うわっ」となったところで暗転する演出も嫌いじゃない。
相模の強くて怖くて面白いキャラクターを林灰二さんが魅力的に演じていた。

2つ目のエピソードは、事故で精神に障害を負った弟と
彼を気遣いながら過干渉になったあげく仕事と生活のバランスを崩していく兄の話。
必要と依存の微妙な境界を見誤る二人に、さっき痛めつけられた男、
相模が軽く絡む。

3つ目は自分が棄てた女が、交通事故で死んだと聞かされた男の話。
女はある男のバイクの後ろに乗っていて死んだ、そしてバイクの男は生きている。
相手の男を「ぶっ殺してやる」と息巻くならなぜ女を棄てた、という話だが
理不尽で身勝手な思考回路をねじ伏せるだけの、
やり場のない怒りと哀しみが伝わって来る。
身勝手な河口を演じる森田哲矢さんの途切れない緊張感が素晴らしい。
この河口が自分自身事って死んでいくとき、
最期に見る風景が映し出されるシーンが秀逸。
映像のセンスが良く、しかもウィットに富んでいて大変驚いたし面白かった。

3つのエピソードの底を流れる死と暴力の匂いが、
露骨な描写なしで濃く立ちのぼるところが好きだ。
途中ラップや朗読スタイルが入ったのはちょっと唐突感が否めなかった。
だが常に挑戦的な姿勢は必要だし、ラストシーンのように大成功するものもあるから○。
林灰二さんという強烈な個性が牽引する劇団はやはり目が離せない。


みえない雲

みえない雲

ミナモザ

シアタートラム(東京都)

2014/12/10 (水) ~ 2014/12/16 (火)公演終了

満足度★★★★★

美しい照明に浮かび上がる怒り
原発事故の責任と、健忘症で一過性の国民、そして何より、
起こったことをどんどん忘れていく自分自身にも、
これでよいのかと厳しく問いかける作品。
作者の分身である女性を狂言回しに、ドイツで書かれた
架空の原発事故の物語を再現し現代日本とリンクさせる脚本がうまい。
息をのむほど美しい照明が素晴らしく、時空を自由に行き来する構成が映える。
人形を使った演出は、そのサイズ感と複数人数による台詞により効果絶大。
終盤ストレートすぎるかと思うほどに作者の怒りが前面に出るが
これを言わずにいられない強烈で真摯な思いが、愚直なだけにじかに伝わってくる。
ドイツ人の少女を演じた上白石萌音さん、過酷な現実を受入れ
もがきながら成長していく姿が初々しく力強い。
彼女に厳しく接しながらも、結局は一番応援している叔母を演じた大原研二さん、
意外なキャスティングだが、キャラが立って細やか、最後の泣かせ方は一級品。

ネタバレBOX

作者自身が原作との出会いを語る場面から始まる。
ドイツを舞台に架空の原発事故を描いた本「みえない雲」と出会った作者(陽月華)は
ついにその原作者に会いに行こうと決意する。

「みえない雲」はチェルノブイリ以後にドイツで書かれた架空の原発事故の物語だが
社会の混乱と人々の反応のリアルな描写ゆえに、3.11を経験した私たちには
まるでドキュメンタリーを観るような趣がある。
14歳のヤンナベルタが両親と離ればなれになり、避難の途中で幼い弟を亡くし、
やがて両親の死を受入れ、髪が抜けた頭を隠しながら生きる人生はあまりに過酷だ。
心を寄せていた青年は、社会から受ける理不尽な差別に絶望して自殺しまう。
ヤンナベルタは、後に弟の遺体を埋めた被爆地を再び訪れる。
上白石さんがアカペラで歌う声の美しさが忘れられない。

ラスト、作者自身と社会への怒りがストレートに表現されたが
あの“素の部分”はなくても良かったと思う。
原作には、否応なく日本の現実と重なる十分すぎるほどのリアリティと力がある。
ただ、作者が“これだけは言わずにいられない”という気持ちが
原動力となった作品であることは確かであり
その愚直までにまっすぐな姿勢を敢えて評価したい。
こういう気持ちを失うことこそが、私たちの一番の欠点であるから。





遺失物安置室の男/改

遺失物安置室の男/改

劇団夢現舎

新高円寺アトラクターズ・スタヂオ(東京都)

2014/11/22 (土) ~ 2014/12/07 (日)公演終了

満足度★★★★

2度目はここが違ってた<2度観>
“2度観”を推奨している劇団夢現舎、二度目の観劇である。
「2度来てください」というだけあっていろいろ変えてくるのが夢現舎のすごいところ。
台詞も増えてるし、ラストの演出も違う、美術もヨゴシを加えているらしい。
パリでの公演を視野に入れているというが、このタイプは万国共通ではないか。
そちらはまたどんなふうに変化させるのか、興味津々。
海外公演バージョンも観る機会があったらいいなあ。

ネタバレBOX

男がバイオリンと交わす会話がさらに加えられている。
切々と“安置するより弾いてほしいのだ”と訴えるバイオリン、
それを一生懸命説得して厳かに安置する男。
不思議な言語で交わされるこのやり取りは、黒子によって文字で示される。

崩壊した彼の城と衝撃のラストのあと、天井から降ってくる白い紙片。
「あなたは安置されました」という言葉が書かれた紙が、客席にひらひらと舞ってくる。
そうか、私は持ち主が手放した引き取り手のないモノになったのか。
持ち主は誰だ?
その持ち主は自分で自分を証明することができるのか?

モノを偏執的に愛し、一方的に愛情を注ぐ人は多い。
コレクションという形で所有したがる人もたくさんいる。
だがモノの声に耳を傾けるという謙虚さを持ち合わせている人は少ないだろう。
荒廃した心が引き起こす事件の数々や、環境問題、自然破壊など
謙虚さを失った人間の過ちが次々とカードで文字になって提示されると
改めて日頃自分がないがしろにしていることに思い至る。

これは私個人の問題かもしれないが、無言のやり取りが続く間、
時々集中力が途切れそうになってしまう。
後半、バイオリンの音や娘の「お父さん、思い出して!」と叫ぶ声が入ると
やはり空気がピリッとする。

忽滑谷氏の謎に迫るエピソードも知りたくなる。
キーワードが抽象的・観念的なので、彼の存在に現実世界との接点が見えたら
ラスト、あの選択の衝撃がより身近に感じられるかなと思った。

しかし同時に、この観念的な世界を舞台に上げてかたちを与えようとする、
この劇団の取り組みにはいつも感心させられるし、独自の世界は素晴らしい。
赤い照明に照らし出された安置室で、男が見せる恍惚の表情が
まぶたに焼き付いている。


牛山ホテル〜ご来場誠にありがとうございました!〜

牛山ホテル〜ご来場誠にありがとうございました!〜

劇団東京乾電池

アトリエ乾電池(東京都)

2014/11/27 (木) ~ 2014/12/04 (木)公演終了

満足度★★★★

長崎弁
昭和の初めに書かれた戯曲だが、その新しさに驚く。
敢えてドラマチックな出来事が起こらない結末がとてもリアル。
全編長崎弁で語られ、異国の地で肩寄せ合って暮らす
日本人の閉鎖的な社会とそこで交差する人間関係がせつなく描かれる。
方言の力を感じさせる戯曲が面白い。

ネタバレBOX

仏領インドシナで牛山よねが経営するホテルには
この地で暮らす日本人や“からゆきさん”が日常的に出入りする。
真壁はフランス人の妻と別居中で、さとは彼の妾だが
年季が明けたさとを日本へ帰すか、このままとどまらせるかどうかで
揺れている真壁に対し、さとは潔くひどい父親のいる日本へ帰る決心をする。
身体の不自由な写真師の岡部はさとに思いを告げ、せめて写真を撮らせてほしいと頼む。
船が出る日、真壁は寝過ごしてさとの船を見送ることもできずまた部屋へ戻って行く。

もしこの話が標準語で書かれていたらと想像すると
インパクトのない退屈な風景しか浮かばない。
地域性、閉鎖性を表す意味でやはり長崎弁の力は大きいと思う。

しかし冒頭、強い訛りはともかく、その発声の強さでちょっとびっくりした。
細かいニュアンスよりも、日本の外で肩に力を入れて生きる日本人の気負い
みたいなものを表現するためだろうか。
力んで棒読みになってしまった感じが残念な気がした。

さとは、はっきりと引き留めてくれない男をあきらめて日本へ帰るが
別居中のフランス人妻は彼の曖昧さを許さない。
拳銃で彼にけがを負わせるという行動に出る。
このあとこの夫婦はどうなるのか、そのあたりも放りっぱなしだ。

さとをどうしたいのか、迷い続ける自分を解説する
真壁の理屈を聞いていると、これって不条理劇の入り口か?とも思えてくる。
ハッピーエンドみたいな芝居の“作り事感”を排して、
“リアルな人間の理屈”を描くと不条理になるという
不思議な現象が面白く新鮮だった。









『さらば! 原子力ロボむつ ~愛・戦士編~』

『さらば! 原子力ロボむつ ~愛・戦士編~』

渡辺源四郎商店

にしすがも創造舎 【閉館】(東京都)

2014/11/28 (金) ~ 2014/11/30 (日)公演終了

満足度★★★★★

何度でも観たい
2012年に一度観ているのにも関わらずこの衝撃は何だろう。
世の中全体があの記憶を薄れるに任せている現状にあって
ますます明快な問題提起を突き付け、しかもその手法はあまりに鮮やか。
効果音や歌、そしてロボむつの声を担当する高校生たちが素晴らしい。
さんざん笑ってあのラスト、孤高の戦士はあまりにも孤独だ。
そしてTOKIOもNIPPONもただただ情けない。

ネタバレBOX

青森県の人口が減る一方の町で、新しく町長になったエイスケは
核廃棄物の受け入れを決定、10万年かかるというその無害化を見届けるため
自らコールドスリープに入る。
しかし科学の発達を信じてエイスケが何度コールドスリープを繰り返しても
“やばっちもの”(核廃棄物)は相変わらず危険なまま、それどころか
施した処理のせいで毒性が増していることが判る。
“やばっちもの”を無害化した“アズマシウム”を造り出すはずのロボむつは
今や壊れたまま放置され危険物質を垂れ流すだけの巨大な塊となっている。
やがて人類が死に絶え、ロボットの寿命が尽き、ロボむつとも交信が絶える。
コールドスリープを繰り返すたびに細胞が生まれ変わったエイスケだけが
ひとり取り残される…。

必要なものは何でも地方に作らせる東京と
それを受け入れなければやっていけない地方との対比が見事。
冒頭、強烈な(英語よりわからない)津軽弁がその落差を端的に表していて
作品のベースにある“東京=国に対する屈折した怒り”が
ストレートに伝わってくる。

最初は受け入れを渋ったものの、いざ核廃棄物を受け入れてみれば
莫大な収入をもたらし、やがて世界中から廃棄物を受け入れることを決定、
ついに青森県は独立国家となる、という荒唐無稽な展開が説得力をもつのは
日本に脈々と流れる“お決まりの思考回路”を浮かび上がらせているから。
しかし同時にりんごもイカも今や誰も食べたことがない、
過去の記憶となってしまうという
手にしたものと失ったものとの提示が巧みで、
この辺りは笑いながらだんだん苦味が増してくる。

脚本の巧みさに加えて、アンサンブルの高校生たちが繰り出す
効果音の素晴らしさ。
特に、ロボむつの声を大勢で唱和する演出は、
不気味でありながら哀しみがにじんで秀逸。
“サツキ”と“ミナヅキ”の2人のロボットが、完璧なハモリで
同じ台詞を言うのも感動的だ。

「中央と地方」、「得るものと失うもの」、「責任と無責任」、それらを
シンプルかつ明確に対比させる解りやすい構造なのに、深く考えさせ、
あんなに笑って観ていたのに暗澹として終わる…。
社会的メッセージ性とエンタメ精神が
これほどバランス良く配されている作品を私はほかに知らない。

セットもなく、衣装もジャージの上にマントを引っかけただけの王様だったりするが
そんなことは舞台表現に何ら関係ないことを教えてくれる。
いつもながら安定した演技を見せる大人たちはもちろんのこと、
まだ10代の高校生が「カッコ良く見せよう」とか「褒められたい」ではなく
作家の意図に共感して「伝えたい」という思いで演じていること、
しかもその思いがけた外れに強いのだということに気づく。
だから、彼らが全身全霊で鉄腕アトムの歌を歌っているだけで
感動の行き場を失った私はもう涙が止まらなくなるのだ。

遺失物安置室の男/改

遺失物安置室の男/改

劇団夢現舎

新高円寺アトラクターズ・スタヂオ(東京都)

2014/11/22 (土) ~ 2014/12/07 (日)公演終了

満足度★★★★

忽滑谷(ぬかりや)さんっ!<1度観>
様々な遺失物を預かる場所は、“据え置いて祀る”という意味の安置室となっている。
そこを管理するのは記憶を失くした、物と会話する男…。
“人よりモノを優先する”という価値観が面白く、普通の人々とのずれが可笑しい。
益田さん、声を封印するとはまた何という縛りだろう。
声なき声を聴きたかった…と思わせるラストが秀逸。

ネタバレBOX

遺失物安置室の男は変わり者だ、引き取りに行っても返してくれない…。
物と会話する男は、物の感情を理解し、ひいては持ち主の感情をも見通している…。
そんな噂の男は、確かに人よりモノを優先し、モノたちが寝ている日中は
探し物に来た人々が声を発することも許さない。
ある日彼を「お父さん」と呼ぶ少女が訪れ、男は混乱する。
やがてこの部屋が役所の通達により取り壊されることになる。
モノたちの行く末、そして男の行く末は…。

声を出さずに交わされるやり取りが、台詞が聴こえるようでやたら可笑しい。
益田喜晴さんの全身を使った豊かな表現力が素晴らしい。
イラつく高橋正樹さんの台詞も変化に富んで面白い。
不気味な安置室の照明、上から吊るされたメッセージの数々、
黒子が示す音のない台詞など、
演出に様々な工夫がされており、台詞以外の舞台表現に関心した。

自分の記憶を失うのと引き換えに、彼はモノと会話する力を得たのだろうか。
人を拒否した結果、モノに心を寄せるようになったのかもしれない。
モノを通して、人の身勝手さを痛感していたのかもしれない。
モノは自然へ、環境へ、地球へと広がる入り口の象徴となっている。
ラスト、遺失物安置室の崩壊は私たちの行く末を暗示しているようで慄然とする。

それにしてもあの終わり方、思わず彼に問いかけたくなった。
「忽滑谷さん、あなたの人生にいったい何があったのか」と。




メイン・ストリート・ボーイズ

メイン・ストリート・ボーイズ

劇団マリーシア兄弟

Geki地下Liberty(東京都)

2014/11/21 (金) ~ 2014/11/23 (日)公演終了

満足度★★★

微妙な金持ち
下北沢のGeki地下Libertyで劇団マリーシア兄弟の「メイン・ストリート・ボーイズ」を観る。
シャッター商店街に悩む町の青年たちが町おこしを企画するという物語。
マリーシアらしさが出てきた半面、パターン化してきた感もあって
容易に次が読める展開がもったいない。
時々台詞が流れて聞き取りにくいところがあったのが残念。
金髪のロックンローラーや無口な男などはっきりしたキャラは面白かった。

ネタバレBOX

人口の流出を食い止められない町で、商店街青年部のメンバーが
町おこしと夏祭りの企画会議を始める。
高校時代からの因縁ある2人の主要メンバーのほか、
女房に逃げられた男や、女房に経営する旅館を売られそうになる男、
「ロックは生き方だ!」と吠える金髪青年、気弱な文房具屋、
何度描いてもゆるキャラの絵が下手な男、新しい幹事、
太った不動産屋(すいません)などが
出たり入ったりしながら会議が進む。
やがてこの町の将来を左右するような情報がもたらされる…。

様々な事情を抱えた男たちが集まって一つの目標に向かう、というのは良いが
彼らも認めているように、“そこそこ金はある”若い商店主が町の将来を心配しても
切羽詰まった感がなくて必然性が薄いのがまず弱い気がした。
追いつめられた男たちがあれこれ企画を出すからこそ、
対立や秘密の暴露、過去の因縁、勝ち組負け組、表に出さない友情などが
ボロボロこぼれ落ちて面白くなる。

展開はユルくても、ギャグ満載でもよい、町おこしが失敗したら後が無いという
男たちの背景は欲しかったなと思う。
なまじ苦労話にしないところはリアルな若者らしいけれど、盛り上がりに欠ける。

キャラのバリエーションは面白かったと思う。
ロックンローラーだけど雇い主には弱い男(佐々木祐磨)とか
その雇い主であり、クリーニング店を営む極端に無口な男(森山匡史)とか
いつもとは違ったキャラを楽しそうに演じているのが良かった。

マリーシア兄弟が男同士の絆のかたちを描くとき、
その表現のセンスが私は好きなのだが
それを際立たせる展開にもう一工夫欲しいところ。
そうすれば台詞も絞られてくると思う。

“常に一発で仕留める男”を演じた大浦さん、その場面を見せて欲しかった。
腕、細そうだけど…(笑)

捨て犬の報酬 終演しました!どうもありがとうございます!

捨て犬の報酬 終演しました!どうもありがとうございます!

おぼりん

pit北/区域(東京都)

2014/11/16 (日) ~ 2014/11/16 (日)公演終了

満足度★★★★

信じる者は愚かなのか
おぼんろの高橋倫平さんが演じるひとり芝居、私には2度目のこの作品は
改めて面白い脚本だなあと思う。
“一番キレキレの17:00”を観たのだが、身体能力の高さが活きた
緊張感あふれる舞台だった。
ただこのひとり芝居を定期的に続けるならば(続けてほしいので)
前説や1時間足らずという上演時間などに、今後工夫が必要かとも感じた。

ネタバレBOX

バーミンガム闘犬場で勝ち残った老犬に対し
数多くの飼い犬を殺してきたことや、その残虐性、そして彼が
“吠えることができない”こと等を理由に、主催者側は優勝を認めようとしない。
老犬はかつて宝石泥棒の男に拾われ、相棒として共に仕事をしてきた過去を語り始める。
やがて彼の前にいるこの闘犬場のオーナーこそが、その宝石泥棒であったことが判る…。

ジャンプしてタイトルが書かれた垂れ幕が落ちる瞬間が良い。
ダイナミックな題字をもう少しよく見たいと思うのだが
あっという間にしまわれて残念なほど。
あのくらいがかっこいいのかもしれないが、もう少し
あの大きなうねりを感じていたいなあ。

犬の耳がついた帽子をとって、宝石泥棒の男になるところが自然でよかった。
相変わらず身体能力の高さを感じさせるキレの良い動きが魅力的だが
作品全体がシャープになった印象を受けたのは
メリハリのついた演出の効果だと思う。
ラストの遠吠えがマジで泣かせる。
26年間の恨み哀しみ孤独のすべてを解放するような、赦し救われる瞬間が素晴らしい。

この作品には、“闘犬場へのいざない”あるいは“闘犬場へようこそ”
みたいな硬派な前説が似合うと思う。
恭しく礼をする案内人、そこからもう私たちは競技場の観客になる…
みたいな入り方。

もうひとつは時間的なことで、あの時間と価格ならばもう1本観たいところ。
たとえば「宝石泥棒の男」から見た捨て犬の話、
男はどうしてあの夜約束の場所に来なかったのか、
闘犬場のオーナーになったいきさつなどを語る「もうひとつの物語」と
セットにするとか。

エンディングの微妙な演出で何通りもの解釈が可能なこの作品は
それだけでも再演の魅力があると思う。
“毒殺バージョン”や“銃殺バージョン”、あるいは“涙の再会バージョン”や
“謝罪バージョン”あるいは”謝罪拒否バージョン”など
観客からすれば泣ける展開がいくつもありそうで興味がわく。
って単なるファンの我儘か…(笑)

ひとり芝居って役者の力はもちろんだが、作品の力がもろに出る。
「信じる者は愚かなのか」人よりずっと純な犬が問いかけるこの物語は、
長く語り継がれる作品だと思う。








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