THE BEE Japanese Version
NODA・MAP
水天宮ピット・大スタジオ(東京都)
2012/04/25 (水) ~ 2012/05/20 (日)公演終了
満足度★★★
メビウスの輪になった暴力
公式サイトによると、2006年にイギリス、翌2007年に日本でそれぞれ
初演された作品の再演作品との事です。
しかし、5年の歳月を全く感じさせないほど生々しい会話の応酬は、
この作品が既にある程度の普遍性を持ってしまっているのか、
それとも5年間の間、社会の方が何も変わるところが無かったのか
判断に迷うところです。
ネタバレBOX
筒井康隆円熟期(と個人的には思っています)の作品、「毟りあい」を
下敷きに書かれた作品なので、マイルドな演出が施されているとは
いえ、筒井の攻撃的かつ不条理な作品展開、ひいていうなら個性が
全面に出されています。
最初、被害者であったはずの、何の変哲もないごく普通の男が
ある時を境にして加害者に変貌する。この時、男の妻子を人質に
とっている、加害者であるはずの脱獄囚は被害者になったわけで
この構造が興味深く感じられました。
そして、最初は、それぞれ人質に向けられていた、徐々に加速度を
増す暴力の応酬が、やがてメビウスの輪の如く、暴力をふるう側の
自分自身に向かってきている、皮肉だけど恐ろしい帰結。
徐々に聞こえ始め、暗転では舞台上を覆い尽くさんばかりに
大きくなる蜂の羽音は、男が徐々に正常さを失っていく、その
境目で鳴らされる警告音であり、もしかしたら狂気へのいざない
であったのかもしれません。
「今度は…俺の小指を送ってやるよ…」
既に、目的が何であったのかすら消え失せてしまい、自己破滅的な
暴力を日課のようにふるうしかできない、異常性に一瞬身震いしました。
負傷者16人 -SIXTEEN WOUNDED-
新国立劇場
新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)
2012/04/23 (月) ~ 2012/05/20 (日)公演終了
満足度★★★★
誰も過去からは隠れる事も逃げる事も出来ない
「輪廻」…ともいうべきなのでしょうか。
過去に虐げられてきたユダヤ人がひとたび虐げる側に回れば
以前自分達を苦しめてきた者たちと同じこと、いや、実際に
現在進行形で抑圧を受けている者にとってはそれ以上の
残酷なことをしてのけてしまう。
しかし、いつまでも虐げる・虐げられる者の関係が変わらないとは
誰もいえないのです。かくして、負の連鎖は終わることがない。
その永遠にも続くように感じられる関係性が、主人公であるユダヤ・
パレスチナ人二人の関係性にも重ね合わされていると思えるところが
素晴らしくよく出来た演劇作品だな、と強く感じました。
ネタバレBOX
「イスラエル-パレスチナ問題」は多くの人々を巻き込みながら、未だ
解決の糸口が見えない難問の一つですが、ここ日本では地理的な
問題もあって、その重大性がいまいち伝わっていないきらいがあります。
だからこそ、この作品が上演される意味がある。
アムステルダムでパン屋を営むハンス。
とんがった感がありありのパレスチナ人青年のマフムード。
人を避けるように、人目から隠れていくように生きている、序盤から
何だかいわくありげな二人ですが、物語が進むにつれて暗い過去が
暴き出されていきます。
恐ろしいのは、彼等が体験し、忌み嫌ってきた過去が、二人の「現在」まで
縛り、規定し、ある種「アイデンティティ」にまで成長してしまっている事です。
幼少時に、強制収容所で過ごし、対独協力者として生き残り、その後
盗みに入ったパン屋で偶然にも拾われる事になったハンス。
同じく幼い頃から、占領下のパレスチナで生まれ育ち、虐待を受け続け
長じてからバス爆破事件で死傷者を出すような事態を引き起こし、
アムステルダムにまで逃げてきたマフムード。
ハンスは、刺されて倒れていたマフムードを見て、これは自分がかつて
受けた「借り」を返さなければいけない時だ、と思ったと言いましたが、
私はそれだけでなく、マフムードの中に自身と同じ「匂い」を敏感に
感じ取ったからじゃないか、と今では少し考えています。
「過去」が二人をその他大勢の人達から遠ざけ、孤独にし、そして
マフムードに至っては「自爆テロ」(自身が起こしたバス爆破事件が
結果として彼のその後を縛り、死ななくてはいけない、という結末まで
招き寄せたのは確かだと思います)という形で、
新しい命を間近に控えた家族までかなぐり捨てて、人生の幕を下ろして
しまった、という結果を知るにつれ、積み重なった過去の重み、そして
そこから人は逃げる事も隠れる事も最終的には出来ない、という現実まで
突きつけられたようで、
黒く染まっていく舞台を見つめながら、憂鬱な気持ちになりました。
そして、そういった人々の「死の記憶」「死の過去」を業のように背負った
イスラエルとパレスチナが果たして和解を選べるのか、よしんば
赦し合えたとしても、お互いの過去に向かっていけるのか、その今後を
考えるにつれ、また同時に暗い見通ししか出来ないのです。
それだけにラスト直前、一晩だけではありましたが、お互いがついに
直前まで消す事が出来なかった「ユダヤ人」「パレスチナ人」を遂に超えて
「人間の友人」としてお互い通じあえた場面に、私は希望をおきたいと
思いたいのです。
ガラスの動物園
シス・カンパニー
Bunkamuraシアターコクーン(東京都)
2012/03/10 (土) ~ 2012/04/03 (火)公演終了
満足度★★★★★
そのろうそくを吹き消してくれ
テネシー・ウィリアムズの出世作であり、そして最も愛されていると
いっても過言ではない代表作『ガラスの動物園』。
それを、数々の演出仕事でも高い評価を得てきた長塚氏が演出を
手がけると聞いては、思わず興奮してしまいます。
作者本人が最も思い入れを持っていたと思しき作品を、美しくも
意外とシンプルに魅せてくれました。原作では、シリアス一辺倒の
雰囲気を持っていた作品が、時にはユーモラスな顔も見せるなど
別の魅力も十分に私達に教えてくれたと思います。
ネタバレBOX
テネシー・ウィリアムズの作品って、どれも生々しいんですよね。
台詞も、人物造形も、またそうした人物達がどうなっていくのかも。
全部、腑に落ち過ぎる感じです。
『ガラスの動物園』にしても、あぁ、こういう人たちいるよなぁ、と何度
心の中で感じた事か。
母親の、口うるさいけど、家族を心配している様子とか、
娘の、人が怖いあまりに、全身が硬直してしまって、巧く
話せない様子とか、
息子の、多分に皮肉っぽいけど、自分の人生は自分で切り拓いてやる!
という、野心的で熱い部分とか、
会社の同僚の、いかにもビジネスパーソンな、自己啓発臭が全身から
匂うけど、そのくせ、自分の枠にとらわれかかっているんじゃないか、と
いうさまとか、
自分の周囲、そして自分の中にもひょいと顔を見せてくる要素なので
感情移入がとんでもない程度で襲ってきました。
個人的に一番心を動かされたのは、母親が「こんなに頑張って
きたのに…」と叫んで泣きじゃくるところですね。「貧困」の残酷な
ところは過剰でも過小でも無いところですよ。同じ程度で、じわじわ
襲いくるから、どんどん心の養分がやせていくんです。
そんな中、この一家は危うい均衡の上、十分に健気に、お互いを
守ってきたと感じる。それが、客席の私達にも十分伝わってくるから
それが時に悲しい、んです。耐えられないものを感じるんです。
母親役を演じた白石さんの存在感が一番高かったです。一家を
仕切ってきた一般庶民の図太さと、あ、母親はどこの国でも母親
だな、と感じさせられてしまう、子供たちを色んな形で心配してしまう
性質。自分の母親をふと思い出したりもしました。
演出は…美しいの一言につきますね。特に、舞台の背後に大きく
設けられた窓を使っての、光の演出には、目が覚める思いがしました。
逆に、ダンサーを使った要素は、舞台上の道具等の移動をスムーズに
した位にしか印象に残る部分が無かったかも。確か『タンゴ』の時も、
同じような演出がされていた気がするけど(登場人物以外が、舞台の
上に出てくる)、イマイチ成功してないような気が。健闘はしているのですが。
最後、暗闇の中で、トムが沈痛な声で、
「もうろうそくを吹き消してくれ…姉さん」
「そして…さようなら」
と、呟く中、静かにろうそくが吹き消されていき、完全な、静かな闇に
舞台が包まれていく瞬間は、切なく沈痛で、物悲しくもエモーショナルな
場面で、トムが作者テネシー自身の悔恨と諦念とに最もリンクした、と
強く感じました。痛みに溢れているけど、一枚の名画を目にしたような
想いを抱き、それは今この文章を書いていても、時々、胸に飛来して
私を涙ぐませたりもするのです。
あたりまえのできごと
パセリス
王子小劇場(東京都)
2012/03/15 (木) ~ 2012/03/20 (火)公演終了
ちょっと味が薄い
全5話のうち、「感情移入」と「あたりまえのできごと」は少し
面白かったけど… 3話くらいに絞って30分で見せた方が
良かったかも。他の話も着想とかネタは面白かったのに、
尻すぼみで終わらせてしまった感じで勿体ないな、と。
ネタバレBOX
「感情移入」はよくありがちな、ベタベタな泥沼恋愛ドラマの世界に
視聴者が入り込んでアレコレ言えたら一体どうなっちゃうのか、
「あたりまえのできごと」は何の変哲もない、ごく普通の女子たちの
日常を歌とダンスを交えながらさくっと見せる、
そんなお話。後者のダンスは意外と踊れてましたね。一部、乗り切れて
ない人もいたけど、それは曲のテンポ考えると仕方が無いかな、と。
個人的には、宇宙人が日本人の生態を知る為に、ある女性の元に
短期ホームステイして調査する、という「プレゼンテーション」は、
いじれば結構面白い話になったんじゃないかな、と思う。
「人による」って言葉が持つ、ちょっと突き放した感じのニュアンスを
もうちょっと掘れば、すごく印象的な話に化けそうな予感はしたんだけど
この劇団の空気感を考えるに難しいのかな?
テトラポット
北九州芸術劇場
あうるすぽっと(東京都)
2012/03/02 (金) ~ 2012/03/04 (日)公演終了
満足度★★★
まだまだ変化中
いつもの、断片的な台詞や場面の連続がやがて「大きな物語」に
集約していく…はずが、今回あうるすぽっとの、余りにも大きな
スペースを持て余してしまったのか、演出・選曲・台本共にだいぶ
健闘しつつも、以前の作品に比較すると、やや一歩、といったところ。
ただ、役者の演技と台詞回しには、柴氏独自のユーモアと機知が
相変わらずみられるので、次回作はより自然に空間や物語を乗り
こなせるんじゃないか、と強く思いました。
あうるすぽっと、ほぼ満席、という事実に、柴氏、そしてままごとへの
期待を何より強く感じましたね。
ネタバレBOX
舞台をハッキリとした具象(具体的には校舎の教室)に設定せず、
入り口部分の枠組と、椅子、黒板だけの簡素なものにした方が
演出出来る幅が広がったのでは、とまず観終わっての感想。
以前の作品と同じく、教室が海の中、校舎の屋上、主人公の家、
その他諸々とどんどん変わっていくので、なまじ教室のセットが
残っていると、イメージが阻害され残念だな、と。
物語の内容は…うまくいえないですね。主人公・三太は、今はただ
独り土地に帰ってきた男であり、その姿はそのまま陸から海へ
戻ってきた、先祖がえりを試みた哺乳類、人類になぞらえられます。
三太が事故で、はたまた自殺を試みて海で溺れたのか、その辺の
事情は定かではありませんが、意識を失った彼の過去の記憶と、
46億年のあいだ連綿と続いてきた生命そのものの記憶とが幻想的な
タッチで描かれていきます。
台詞回しは言葉遊びを多用しつつも、洗練されて上手いな、と
感じさせるものが多数。あと何気に、役者の演技、台詞に相当
笑える要素が入ってきており、次回作以降に引き継がれる新
基軸となる事をひそかに期待しました。柴氏は笑いのセンスも
あるのでは、と思います。
個人的に、中絶を迫られた女子が「この46億年続いてきた命が
ここで終わってしまうんだよ…私はそれが悔しい、悲しい!」と
叫ぶシーンに目頭が熱くなりました。そうか、そういう見方も
確かに出来ますよね。
最後、楽器の出来ない三太が楽団を指揮する姿と、海で溺れて
もがき苦しむ姿とがオーバーラップさせられるシーンは、その
発想の巧さと残酷さにすごく驚いたけど、
楽団全員に途中ソロの見せ場をつくってのボレロ演奏は高らかと
響き、決して観て損したな、とは思わせないところが、良い作品
だったんだな、と、本当に思っています。今は。
ヌード・マウス
Théâtre des Annales
赤坂RED/THEATER(東京都)
2012/01/24 (火) ~ 2012/01/29 (日)公演終了
満足度★
匂わせ過ぎている感じ
タイトル通りの感想につきます。
事故で前頭葉に損傷を負い、恐怖の感情を失うと人はどうなるか、という
テーマは面白かったんですが、色々貼り付け過ぎて頭だけ使う作品に
なってしまった感が否めないです。
会話も、特に序盤、余りに議論が衒学的で、でも余り本筋に関係
無かったので、作品に入り込みにくいだけに終わってました。
ネタバレBOX
沙智の見せ方をどうしたいのか、最後までよく分からなかったです。
「家族」としての愛なのか、「男女同士」の愛なのか、そこがイマイチ
ハッキリしなかったし、多分作者も敢えてハッキリさせないようにして
いたのだと思うのですが、想像通りで面白みに欠けました。
中盤、沙智が家に引き取られてきてから、彼女の隠された心情、
時折見せる危うさが表出されてきて、かなり面白くなってきたのに
綺麗に〆てしまってガッカリ。
個人的には、家族関係より男女関係をもっと強く打ち出した方が
この作品では緊張感が増して良かったんじゃないかと思います。
あとは…しのぶさんのレビューと大筋では雑感は一緒ですね。
軽快にポンポコと君は
ぬいぐるみハンター
OFF OFFシアター(東京都)
2012/01/06 (金) ~ 2012/01/15 (日)公演終了
満足度★★★
結構じんとくる
最初からエンジン全開の役者陣の、マシンガン並に飛び出てくる
台詞の嵐、決して広いとはいえないOFFOFF内に容赦なく響きわたる
爆音の音楽にひたすらに圧倒されます。圧倒されますが…
それぞれにキャラの立ったポンポコ達とプラス一人の織り成す
面白いやり取りにクスリとさせられたり、かと思ったら最後の方では
不覚にもじんとさせられたり、気持ちがジェットコースターのように
もってかれました。全体的には可愛らしい話だと思います。
ネタバレBOX
観客に楽しんでもらおうとサービスし過ぎたのか、ネタを各所に
ちりばめ過ぎたような気がしますね。十分に本筋のテーマを
はれるようなものも途中であっさりと流してしまったのは、
個人的には勿体ないなぁ、とも感じさせられたり。
最後に明らかにされた次女の"本当の正体"なんだけど、
家族同士のやり取りにじんときた半面、あんなにあっさり
行かせてしまって果たして良かったのかな、と思いました。
長年、一緒に地下で暮らしていた仲なんだし、「ポンポコの
未来の為」とはいえ、すぐに割り切れてしまうものなんかなぁ。。。
他の箇所は、すごくよかったですね。長女とピザ屋の
バイト君との淡い恋模様の行方がどうなるか、気になります。
二人でやりたい仕事に、長女が「カニ屋さん…」ってぼそっと
答えた様は可愛らしかったです。
STRIKE BACK 先輩
芝居流通センターデス電所
ザ・ポケット(東京都)
2011/12/21 (水) ~ 2011/12/25 (日)公演終了
満足度★★★★
この時期観るにはかなり陰惨
幸せな音楽流れ、街に笑顔が溢れるこの時期、完全完璧に
異物感発し過ぎな作品でした。あらすじの前半は、ここの
「説明」欄にある通りですが、後半はもっと陰惨になっていきます。
ここでの「陰惨」というのは、「残酷」というより、皆に平等に
「救いが無い」、がずっと近いですね。
ネタバレBOX
ふとしたことから殺人の片棒を担がされるようになった三木夫妻は
その後もブラックホールに吸い込まれるように、「先輩」こと樅山の
指示するままの人形となっていきます。
動機はよく分からないのですが、樅山は自分に対する絶対的な
権力を背景に、自分の取り巻き達に親族を殺させ、その死体を
自分のホームグラウンドである猫カフェの地下で解体させている、
言い方妥当か知らないけど、一種の殺人狂。
口癖は「皆が平等に幸せになる事が俺の望み」。
本当のところは、「皆が平等に不幸せになって」いきます。
愛理は死体処理のショックから立ち直れず、正常を保つ為に
玉沢さんに教えられた「自分の周囲の何かを数える方法」を
保つうちに、余計常軌を逸していく。
一方の直人は、樅山を嗅ぎ回る刑事を片づける為のひと悶着に
巻き込まれ、左足を撃ち抜かれた結果、よりによって既に正常を
一歩飛び越えてしまった自分の妻、愛理によって足を麻酔無しで
切り落とされることになる…。
ここまでで相当ダークな話ということは想像に難くないのですが
時折わざとらしく挟み込まれるギャグやネタが何とか観客を
決定的に落とさないよう、最高の効果をもたらしています。
多分、そのおかげで最後まで観られた人多いと思う。
とにかく人があっさり死んで、ゴミのように解体されていきます。
敢えて生々しくは描写されない解体模様や血潮が、異様な程
真に迫った狂気ぶりと相まって、凄絶さを増しています。
何だろう… 樅山を頂点として、「愛」とか「承認」を奪い合って
生きている人達の連鎖がそこにあるんですよね。皆、自分は
凄い、凄くない、誰かに認めて欲しい、の感情で溢れてます。
そこを、地元の「絶対的な存在」(と、皆が無条件に思い込んで
いるだけ)の樅山に上手いように掌握されているのです。猫カフェで
鎖につながれているように、誰もそこから逃げられない。
最後も、殆ど救いの無い、でも何故か感動的なラスト。
ヘンにわざとらしくない展開は賛否分かれると思うけど、
無理に明るく〆ないところは、個人的には好感触。
というか、ハッピーにもっていきようがない、のが正直なところ。
「信じない!」の連打、残酷だけど、どこか真実。
葛木英と吉川莉早可愛らしい。配役マッチし過ぎだと思います。
星の結び目
時間堂
こまばアゴラ劇場(東京都)
2011/12/22 (木) ~ 2012/01/02 (月)公演終了
満足度★★★★★
二人の最良の部分が出ています
『青☆組』の吉田小夏氏と、時間堂の黒澤世莉氏が、それぞれ
脚本、演出でタッグを組むという、ファンにはたまらない展開。
吉田氏の、透き通るように美しく、軽快な、でも時に激しい台詞回しと
黒澤氏のどこかセピア色めいた、静かで抑制の効いた演出の二つが
ここでは見事に成功をおさめ、まさしく「大人のための小劇場」作品に
仕上がっています。
冷たく、寒い季節にはもってこいの(それでいいのか…だけど)、
澄んだ作品でした。
ネタバレBOX
戦前~戦中~戦後、と、野望に満ちて店を拡大し、やがて時代の流れに
抗えず停滞、そして没落の一途をゆっくりと辿っていく氷屋の親子二代を
周囲の人々の人間模様も交えながら、一人の女中のモノローグを中心に
描いていく、という、ある種の「年代記」ですね。
時代精神、という言葉があるのですけど、その時代に生きた人間は
どうしても次の時代の「考え」「環境」に適合していくのが難しいのですね。
店を裸一貫ながら、今でいう「マスコミ戦略」を巧みに用いて大店に
盛り立て、派手に、そして豪快に生きた一代目甚五郎。
その時代を目の当たりにした長女の静子は、自然、どこか派手で
きらびやかな生き方が抜けない。そこを次女の八重子や榎本に
痛く衝かれ、動揺する。
性根はものすごく良い人なんだけど、コミュニケーションに難があり、
いいとこ「良いとこの坊っちゃん」の域を出ない二代目甚五郎は、
激しい激動の時代の中で頑張ってみるものの、流れのまま一気に
押し流される木の葉のように、没落に向かって落ちていく…。
男たちが、どこか少しどうしようもなくてわがままで子供っぽいのに
比べ、目立つのは女性たち。役者の魅力もあるが、存在感が大きい。
みんな綺麗で(着物が非常に似合っておりました)、キャラが立ってる。
吉田氏の作品に出てくる女性たちは、時代や周囲の環境、そして男たちに
翻弄されるように、無力であるかもしれないけど、人として筋が通っていて
地道。冬の長い風雪に耐えて、春になれば慎ましげに、でも凛と華開く、
一輪のようです。
なので、男性より女性が観た方がぐっとくる、と個人的には強く思います。
勿論、男性でも、特に中盤、涙腺がかなり痛くなる場面に多く遭遇します。
貴族院議員で裕福な、でもどこか下品さがぬぐえない男、山崎と八重子の
結婚話が破談に終わった辺りから、八重子が人喰川で独白を始める件、
二代目甚五郎が「男の子でも、女の子でも~」と吐露した件、は泣けます。
八重子は白雪の子供で、吹雪もそうだったのだろうか?
そこが凄く気になった。他にも上手く匂わせている部分が多く
想像が膨らみます。
個人的には、戦後、吉永園の人々の消息がどうなったのか
物凄く気になった。戦後になってからは、全く触れられなかったんで。
結局、静子(「良いとこのお嬢さん」だった静子が戦後自分で
料理しているところに、吉永園の没落と戦後の厳しさが)と
恐らく暇を出されて、遊女に転落、最終的には結婚して
駄菓子屋に落ち着いた梅子しか分からなかったのが残念。
でも、最後の場面は観た者の心に深く余韻を残す、どこか
チャップリン『街の灯』を思わせるような終わり方で、徹頭
徹尾、どこか切なくも澄んだ美しさを湛える傑作でした。
過去と現在が入り混じって展開される造りは、過去は過去、
人間は今を生きている、それはどうしようもないけど、同時に
救いでもある、ということを自然と感じさせ、成功している、と
思います。
あゆみ TOUR
ままごと
森下スタジオ(東京都)
2011/12/01 (木) ~ 2011/12/04 (日)公演終了
満足度★★★★★
「あゆみ」は「歩み」
2008年の初演は拝見していないので、演出がどのように変わったのか
分からないのですが、後のミュージカル仕立てに接近していく作品と
比べると、構造がシンプルな分、その言葉がストレートに届くように
思いました。
『あゆみ』『わが星』『スイング・バイ』の中では、これが一番好きですね。
ネタバレBOX
一人の女性、「あみ」はいつも舞台上を歩き回っている、動き回っている。
その「あゆみ」が、いつの間にか人生の「歩み」に重ね合わされていく。
そしてその人生最後の一歩が、まためぐって人生最初の一歩へと
つながっていくという、限りある劇空間が無限に広がるような、
後の作品の萌芽となる重要な作品です。
今日観て思いましたが、複雑に人物たちが意味ある
フォーメーションを組んでいくところ、縦横無尽に
舞台上を駆け巡っていくところがNODA・MAPの気配を
覚えました。台詞量がものすごく多くて掛詞が多用
されているところも。
作品の中に見え隠れする人生讃歌の要素が涙腺を熱くさせます。
その部分が、「ままごと」という劇団を他と一線を画しているものと
していますね。
ラスト直前、おばあちゃんになった「あみ」の散歩がそのまま人生の
走馬灯と重なり合った場面。その後の人生選択のやり直しの場面に
柴氏の人柄が隠せず出ているように感じられました。
ヴィラ・グランデ 青山 ~返り討ちの日曜日~
東宝
シアタークリエ(東京都)
2011/11/11 (金) ~ 2011/11/27 (日)公演終了
満足度★
中途半端
竹中直人をはじめ、注目を十二分に集めそうな俳優陣。
一見面白く感じられそうな事前の内容。
これだけの要素を集めて、終幕後の釈然としない感は何故生まれて
しまうのか、自分でもよく分からないです。ただ一ついえるのは、相当
寝そうになった個所が数限りなくあった、ということです。
ネタバレBOX
倉持氏はコメディにただならぬセンスがあると思っていたのですが、
「審判員」「放り投げる」「グランデ」と、面白さが減退してきている
気がしてならないです。自身の劇団の活動休止もそうだけど、迷走
しているとしか思えない。
ホンのつまらなさ。この作品の限りない程の中途半端さは全て
ここに尽きると思う。
手癖のついた台詞回しに、必要があるのかどうか分からない場面多数。
居間の絵の話、もう少し引っ張るのかと思ったら、放り出されてるし
おかげでだらだら感、引きのばし感がものすごい事になっています。
本作品、圧倒的に俳優陣に助けられていると思います。
生瀬・竹中両陣の身のこなし、身体能力、息の合い方、間の取り方
全てが絶妙過ぎて、それだけでかなり笑いを取れてます。
それだけでなく、山田優は凄いね。あっさりとY字開脚を決めて
みせるのだから、どれだけ全身が柔らかいのだろうと思いました。
キャスティングに助けられている作品、としかいえないです。
本作に関しては。
11DAND
こどもの城劇場事業本部
青山円形劇場(東京都)
2011/10/19 (水) ~ 2011/10/23 (日)公演終了
満足度★★★
子どもが笑う、心も喜ぶ
サッカーのゴールネットを模したと思われる床面に、あちこちに散らばる
水色を基調とした小道具の数々。これから何が始まるのか期待するのは
十分の演出。
舞台は1時間10分。この限られた時間の中、お客さんを喜ばせようと
体をはって動き回り、声を発する近藤氏の姿は潔さに満ちて、凛々しさを
感じさせるものでした。
ネタバレBOX
最後の、ハナレグミの、懐かしくも少し切なめな曲に合わせて
軽やかに舞う近藤氏の姿が綺麗で、今でも浮かぶよう。
エンターテイメントに徹したせいか、正統派な踊りの方は少なく、
もっぱら小道具を駆使した芸能が目立ちました。
ただ、そのアイデアが面白く、また本人が「真面目にふざけて
楽しんでいる」のが周囲に伝わる為、お客さんの反応も凄く良く。
特に、家族連れで来ていたうちの子ども達がげらげら笑っていたのは
本当に印象に残りました。近藤氏、嬉しかったんじゃないかな…。
その様子を目にし、耳にすれば、誰でも心喜ぶ場だったというと思いますね。
前半はまず肩慣らし感が否めなかった感じですが、後半、相当に
楽しかったです。自分を武器に、人を楽しませることに徹する姿が
眩しかったです。
遊園地再生事業団『トータル・リビング 1986-2011』
フェスティバル/トーキョー実行委員会
にしすがも創造舎 【閉館】(東京都)
2011/10/14 (金) ~ 2011/10/24 (月)公演終了
満足度★★★★★
「記憶」だけがそこには残った
「3.11」以後を見据えた作品、という事なので正直少し構えていたけど
「原発」も絡んでますます混乱する中、よくここまで冷静な視線を
保てた、と素直に凄いと思う。そして、非常に勇気と真摯さに溢れた
舞台だったと感じます。
ネタバレBOX
遠く離れたチェルノブイリでの爆発事故を尻目に狂騒の最中にある
「1986年」、
同じく東京にとっては遠く離れていることを認めざるを得ない、「北での
3.11」の余波もまだ少し生々しい「2011年」、
両者の間には既に25年の歳月が横たわっているというのに、一人の
少女の飛び降り自殺によって、一気に編集される、結び付けられる。
三部に分かれる物語の舞台はそれぞれ屋上、パーティー会場、
そしてどこか遠くの南の島と境目を意識しない位にまで移り変わっていくが
どこか窮屈な、隔離感のようなものから逃れられない。
この印象は左右を天井にまで届く、デ・キリコの絵にでも出てきそうな、
無機質な壁面が与えている部分が大きく、舞台美術の貢献している
部分は、今作は一層大きいと思う。
役柄がはっきりしない登場人物の中で、終始一貫した名前を持つ者が
二人います。「欠落の女」と「忘却の灯台守」。
どの時代でも、どの場面でも「欠落の女」は自身の抱える欠落を
埋めて貰いに「忘却の灯台守」を訪れるが、その度ごとに「忘却の
灯台守」は彼女に出会った事すら忘れ果てていく。永遠に繰り返される過程。
極端な話、「チェルノブイリ」も「3.11」も、そして「原発」も長い
年月の中では特別な事ではなく、むしろこうした事から生まれる
「欠落」に誰も目を向けず、無視し続ける、忘れ去る構造が、
本作では取り上げられています。見ている射程が遠く果てまで
延びているな、という印象があり、力強く感じます。
この作品、テーマは深刻だけど、決して「告発」「断罪」「批判」に
陥らないのは、作・演出の宮沢章夫氏本人がこの問題を、限りなく
自分に近しいものとして捉えているからでしょう。
そう、80年代と宮沢氏は切っても切り離せない関係にあり、氏には
80年代を取り扱った本もあります。
劇中、登場人物が当時の風俗を叫びながら踊り狂うシーンが
あるのですが、80年代、もしかしたらそれ以前から見えない形で
続いている、「欠落」「忘却」の問題を、自身で顧みて、反省する
部分があったのかもしれません。その意味では、精神的自伝の
要素もあるのかもしれない。
逆に、作者と作品が結構近いという事は容易に読みとれるので、
外部の思想・批評サイドでは本作品を巡って、色々といわれる事と
思います。その事も含めて、潔くて両足で立っている、強度の高い
作品だな、と思います。
いつまで経っても埋める事の出来ない「欠落」、余儀なくされる「忘却」、
この二つは物語の最後に、手を組んで感動的な結実をもたらします。
ラストは感動的なシーンなので、敢えて詳しく書かないけど、全くの
白の空間に、モノが並べられ(アレはもしかして被災地の…?)、皆が
その後背景に立ち並ぶ場面の清浄さには迫力があります。
「欠落」「忘却」が互いを埋め合わせた時、そこに残るのは確かな「記憶」。
「記憶」は「記録」にも通じるので、誰かが連綿とある事実を忘れない、と
いう事自体が、それだけで救いになるという、美しい物語でした。
観ていて、昨年のNODA・MAP『ザ・キャラクター』と社会に対する
問題意識の点で相当近しい位置にあると感じました。野田・宮沢両氏は、
最近の社会について対談し、大いに共鳴する部分が大だったので
影響を受けていることも考えられます。
四つ子の宇宙
四つ子
アトリエヘリコプター(東京都)
2011/10/01 (土) ~ 2011/10/16 (日)公演終了
満足度★★
意外な事にコメディ
この四人が集結してどういう話をするのかと思ってみたら
かなりゆるゆるのノリの宇宙SFコメディでしたね。
四人全員の劇団作品を以前に拝見していますが、ゆるいのり、
かみ合っているのかどうか分からないけど、半ば強引に力技で
押し進めていく会話から「五反田団」「劇団・江本純子」の作風に
近いかな、と思いました。ただ、微妙に変態的な部分が「サンプル」?
ネタバレBOX
俳優としての松井氏は今回初めて拝見しましたが、かなり演技
上手かったですね。間の取り方とか、空気の読み方とか、異様に
手慣れてて自然な印象を受けました。しかも突っ込みがかなり
面白かった。
あらすじはあって無いに等しく、宇宙船での話と、まだ乗組員たちが
地球にいた時のエピソードとが時間軸をシャッフルしてちりばめられて
いるのですが、前田氏演じる林が皆が冷凍睡眠する中一人で
取り残される辺りからコメディなのかシリアスなのか、それとも
シュール系なのか、よく分からなくなってきてて、正直取り残された感じ。
でも、俳優陣は本当に楽しそう、というか、稽古の時のノリがそのまま
本番の舞台にも移植されているかのような、打ち解けまくった雰囲気の
応酬で、その楽しげな雰囲気が客席にまで伝わってきて、二時間弱の
舞台をあまりダレずに楽しめたのは良かったかな。
破産した男
東京タンバリン
あうるすぽっと(東京都)
2011/10/06 (木) ~ 2011/10/10 (月)公演終了
満足度★
非常に難解な現代劇
まずいいたいのが、開演前にかかっていた大谷能生の曲が
最高に良いです。洗練された舞台美術と相まって、雰囲気
作りに相当部分で貢献していたと思います。あのBGM、また
聴きたい。
内容に関しては、役者・演出がかなり健闘していた代わりに
肝心要のホンの方があまり面白くなかった、かな。
ネタバレBOX
今井氏の、時にコミカルさも織り交ぜた演技は非常に安定していて
本当に面白いな、と感じました。内田氏との絡みも見事で、移動式
扉に向かい合っての掛け合いの演技はこの作品中の笑いどころ。
また、演出も舞台背面、上部にスクリーンを設けての画像も含んだ
洗練されたもので、非常に上手いな、と。
ただ、台本は正直難解すぎて分からなかったです。
自分なりに噛み砕いて理解したところでは、自分の性格、性質は
実は自分が選んでいるはずの「モノ」によって規定されていて、
「モノ」を減らす、あるいは無くす事によって皮肉な事に、どんどん
本来の自分を見失っていってしまう、という話だったのかな。
それにしても、ラストはもう少しオチを効かせられる内容だし、
「縮む男」に関するモノローグが余りに多過ぎて、というか、
ほとんど今井氏の独白に終わってしまい、自分が興味深く感じた
内田氏演じる妻との会話部分が十分でなかったのが残念。
難しめの一人がたりを延々やられてもな、という感じです。
雑音
オイスターズ
こまばアゴラ劇場(東京都)
2011/09/24 (土) ~ 2011/09/27 (火)公演終了
満足度★
不条理ナンセンスコメディ
結構地元ネタが多かったような気がしたけど、特に知らなくても
全然問題ないと思います。逆に、へえ、名古屋ってそうなんだ、
みたいな感じで面白がれるかな。
笑いのタイプが結構同じネタを少しずつ変えながら繰り返していく
感じなので、そこが合わなかったらキツいかもしれないです。
現に、私は正直中盤までずっと続く長い会話の応酬に、何度も
眠気が襲ってきました。
ネタバレBOX
主人公の妹がバイトしているパン屋の子が出てきた辺りから
かなり面白くなってきた感じですね。主人公達が入った中華
料理屋の、やたら血の気の多い感じの店員二人を交えて
かなりのカオスぶりで。そこに、上手い感じで茶々を入れる
タクシーの女運転手の扱いも良かったです。
妹に告白する羽目に陥ったパン屋が、「今は指輪も花束も無いけど
ココから造り出せるから!!」とか言い出して、握りしめてこねくり回していた
パン生地を指輪代わりに嵌めさせて、妹からあっさり拒否されていたのが
この劇の笑いのハイライトじゃないでしょうか。
その後の、妹との駆け落ち相手(?)を前にしての、「僕の告白
断っておいて、あんなオッサンと駆け落ちだなんてー」とか
言い出すシーンも笑えたし、パン屋は本当に笑いのMVPですね。
ただ、そこに至るまでのネタがちょっと冗長過ぎて、時間が長く
感じられたので、この評価です。
ルネ・ポルシュ『無防備映画都市―ルール地方三部作・第二部』
フェスティバル/トーキョー実行委員会
豊洲公園西側横 野外特設会場(東京都)
2011/09/21 (水) ~ 2011/09/25 (日)公演終了
満足度★★
過去、現在、そして…未来は?
前もってロッセリーニ「戦争三部作」から材を取った、と断られていますが
むしろ内容的にはドイツ演劇特有の「過去との対立」「資本主義」「見えない
未来」が、過去になされた議論を下敷きに展開されている印象を持ちました。
したがってドイツ史(特にナチス時代~東西分断~現在まで)について
知らないと、何を言っているのか、何が、誰が風刺されているのか、
よく分からないところがありますね。
ネタバレBOX
まず、座席の設置が悪いように思えました。
段差を設けない為、前の席の人の頭が邪魔になって舞台前方が
見えにくい。加えて、舞台の中心となる広場と翻訳・車内の様子を
映し出すスクリーンとが少し離れている為、視界に全部入らず、
交互に見ないといけなかった為、結構苦痛でしたね。
作中気になったのは、「若くないから嫌われる」という台詞。
ナチス時代、ドイツ国民は「若々しく剛健で、金髪のアーリア人」であらねば
ならない、というテーゼが唱えられていたのを思い出しました。
そして、1947年から区切られた、「零年」になった、という言葉はそのまま
そのナチス時代の記憶をいつしか忘れ、資本主義の波に飲み込まれ、
そのまま自分を見失っていくドイツのありようを控えめに、しかし痛烈に、
批評したものといえるのではないでしょうか。
最も、劇中、私の意識を揺さぶったのは「俺は自分の解釈で作品に
当たるが、それはもう既に作品そのものじゃない」「役者Sの役をRが
やったところで、それはもうSではない」という、まくしたてられた台詞。
激越さを極める資本主義の荒波の中、その勢いは圧倒的で、
それに対抗しようと、マルクス、フーコーを持ち出して現代的意味を
こねくり回して付け加えようとしても、それはもう既にそれ自身の持つ
本来の意義を失わせていくだけだ、と宣告されているような、そんな
気分に陥りそうでした。
では、そうした「過去の思想」によりかからず、強大な資本の力に
立ち向かうにはどうすべきか。明確に答えを見いだせないだけに、
ルネを含む今日の作家達の苦悩と試行錯誤は大きいと感じさせられます。
…と、注意深く観ていて何とか掬いあげられた解釈がこれです。
もしかしたら、中央の広場が殆ど草も生えていないような荒涼とした
荒地なのは、何もない荒れ果てた地点から何か「新しいモノ」が出発する、
といった、隠された暗示なのかもしれない。
そんな風に深読みさせてしまう一種訳の分からない力が、この『無防備
映画都市』にあったことは事実です。
謎の球体X
水素74%
三鷹市芸術文化センター 星のホール(東京都)
2011/09/02 (金) ~ 2011/09/11 (日)公演終了
満足度★★
う~ん
途中までは面白く観られました。ちょっときわどめなブラックネタも
良いタイミングと間で放出されるから、悲壮感も無く笑えるし。
ただ…後半やり過ぎて無茶苦茶になってしまってて、ラストも
打切りエンドみたいなのがなんだかな、と思いました。
ネタバレBOX
とにかく出てくる人たちは全て精神医学的にいうと、「サイコ」に
分類されるような類の人種ですね。歪んだ愛の形に、狭い空間の
中で生きているから異常と気が付かず、むしろ外部との接触を
積極的に断ち切ることで、「自己保存」に走っている。そんな印象。
「外」「他人」を異様に警戒しているところから自分達の方が異常だって
気が付いているんじゃないかな。。
健児は中でも、虚ろ過ぎる目つきと(役者の凄味が感じられました)、
よく考えればマトモでないのに何故か説得力を醸し出してしまう発言が
マッチしてて、興味深い役でした。ま、典型的な「DV夫婦」の図だったけど。
互いに共依存している、ね。
最後の方、妹と床下からの男が何故か火事場の強盗殺人犯にまで
堕ちてしまった辺りから?だったけど、その後いきなりメタ演劇っぽく
なって「これ、嘘なんでしょ」でぶつっと終わらせたのはいただけなかった。
理解は出来るけど、無理やり理屈をつけて終わらせた感じがして、
印象は良くなかったなぁ。
パール食堂のマリア
青☆組
三鷹市芸術文化センター 星のホール(東京都)
2011/07/29 (金) ~ 2011/08/07 (日)公演終了
満足度★★★★
「いのち」の連鎖
会場で配布されていた「作者の言葉」に、この作品への意図の一端が
垣間見えるような気がしました。 「親」から「子」へ、またさらに「その子」へ。
いつしかその場所から建物や独特の「匂い」「雰囲気」のようなものが
消えてなくなってしまっても、「人」を介して「記憶」は受け継がれていく。
横浜の街角の片隅にひっそり在るパール食堂が、その連鎖の一部に
あるような、そんなささやかだけど、広がりのある作品でした。
ネタバレBOX
「生命が幾多の場所を経て、再び回帰する」というのは、
ままごと『わが星』にテーマが近いですね。後半特に
ファンタジックな展開になっていくところも含めて。
ただ、決定的に違う部分も、あります。
「女性であることの哀しみ」「喜び」「温かさ」。全部観ることが
出来たけど、中でも「哀しみ」を強く感じました。何だろう、
心の中に深い悲しみを密かに沈めていても、それだけじゃない。
そういう「人間臭さ」を感じました。 吉田氏の筆致は、説明過剰に
ならずに、地に足のついた「人間の姿」があるのが魅力だと思います。
作者の願望に陥っていない、そこが素晴らしいです。
結構重い背景を、登場人物達が抱えていながらもそれを
中和するような美しい演出、特に照明を使ったものが素敵で
まるで、「一時代に起こった夢の話」を聞かされているような
気持ちでした。
あの、時間軸、そして場所まで表現する照明は本当に凄い。
舞台の幻想性に相当貢献していましたね。
グッとくる台詞、胸をつかれるような場面は結構あったけど、
・クレモンティーヌの台詞、「『去る者を追わず』と『別れる』とは
違うのよ」
・善次郎がユリを迎えに行くところ、「マリア様みてえだ…」に
至るまでの場面
・ラスト直前、捧げられる百合の花の中、「名無しの猫」が
生まれ変わることを告げ、自身の墓詣でに来た親に、名前を
付けてね、と懇願する場面
は、思わず涙が出ました。 舞台空間と同じように広がりのある
作品でした。マリアのように、そっとそこに佇んでいるような、
誰かを待っているような。
11のささやかな嘘
ジェットラグ
銀座みゆき館劇場(東京都)
2011/07/15 (金) ~ 2011/07/18 (月)公演終了
満足度★★★
人間の「本当」は分からない
説明から、結構「切ない」系の話を想像していただけに、
良い意味で裏切られるような話の展開。
サスペンス色少し強めの「人間劇」で、キャラの立った
主要登場人物たちが次々と繋がり、また、進行するに
つれて、さらりと隠された真実が明らかになっていく。
その見せ方が職人的で、上手いホンだと思いました。
ネタバレBOX
デビュー作『麦茶』以降、文芸誌への連載も度々中断、結局死ぬまでの
10年間後に続く作品が出なかった作家の死後、49日。
作家の家を訪れるは、家庭も会社も顧みずにただただ作家の
才能にだけ賭けてきた担当編集者、
最近ちょっとだけ付き合いのあった競合他社の女性編集者、
大学時代の友人で、1000万以上の借金を作家に貸していた男、
作家と昔付き合っていた、どうもわけありな感じの女 等々。
誰もかれも「作家に貸しがある」と訴え、その思い出なんかを
語ってくれたりするものの、既に作家はあの世の人。
真実は闇の中。 誰の言っていることが本当なのか、
最後まで分からない。 そのスリリングさを楽しむ劇です。
サスペンス要素強めなので、ネタバレは出来ませんが一つ。
「真実は闇の中」。 これはラストシーンに一番上手く生きてきます。
そして、おそらく『真実』だと考えられるのも。
ラストシーン、最後の台詞と演出が本気で怖くて鳥肌立った。。。
自分の周囲が-3℃になったような。 最高のどんでん返しでした!