アールパード・シリング [ハンガリー]『女司祭―危機三部作・第三部』 公演情報 フェスティバル/トーキョー実行委員会「アールパード・シリング [ハンガリー]『女司祭―危機三部作・第三部』」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    宣伝で失敗した作品かも
    ハンガリーの地方を舞台とした、そして背景に形骸化した
    キリスト教があるにもかかわらず、遠く離れた、別の文化圏の
    日本に住む若者にも十分にリアルに伝わる作品でした。

    それだけに、本作について、十分に内容を伝えられなかった
    F/Tは、他に宣伝面で何か有効なことが出来たのでは、と
    本当に残念な気持ちになりました。

    ネタバレBOX

    本作は、ただ観客が席に座って観ているだけのタイプの
    演劇ではなく、途中で、出演者による問いが客席に向けられ、
    考えて応えることを要求される、インタラクティブなものと
    なっています。つまり、ある程度の心の準備が必要だということです。

    しかし、事前に主催者側からの案内が無かったため(もしかしたら
    そういう意図なのかもしれませんが)、突然投げかけられる問いに
    客席はしんと静まり返り。

    ほとんどの客が突発的な事態に反応できずに終わってしまい、
    円滑にコミュニケーションが取れなかった。そんな気がします。

    演劇は、演者と観客双方で作りあげていくものとしては、甚だ
    不本意な結果となってしまったように思います。もっと事前に
    どういうタイプの作品か分かるように宣伝してくれたら良かった。

    翻訳者は日本人を立てた方が良かったかもしれないですね。
    健闘されていましたがニュアンス的に分かりずらいところがありました。

    作品自体は、ブタペストから離れた田舎町で、未だにキリスト教的
    価値観(何時の隣人を愛せよ)に縛られ、現代の急速な流れの中から
    取り残されて閉塞していく学校空間に、自由主義的な発想を持つ
    演劇教師が赴任してくることから始まります。

    ここ、東京と、地方都市の関係を考えると、そのニュアンスが
    分かりやすいと思います。その先詰まり感や圧迫感は。

    演劇教師は古株の事なかれ主義の教師や、現実に対応できずにいる
    ローランド神父と対立しながらも、古い価値観しか知らなかった子供の
    目を開かせ、徐々に慕われていくようになる。

    教師が去った後、10年後、15年後、どうなるのだろう? 私(教師)と
    子供達との間に接点はあるのだろうか? という映像が流れますが
    これは前を向いて前進するのか、はたまた過去に逆走していくのか
    そういう意味の問いかけもあるのではないかと感じました。

    観ていて感じたのは、ハンガリーにおけるジプシー(ロマ人)への
    見え隠れする差別感情、未だに根深いキリスト教価値観、そして
    実は隠れつつも抱かれている「ヨーロッパ人ではない」という意識。

    また、映像や観客との相互やり取り、また即興も多く含んだ作品は
    いつしか目の前で行われているのが「演劇」なのか、「ドキュメンタリー」
    なのか、境目を分からなくさせていきます。不思議な作品でした。

    それだけに、F/Tの事前準備、劇団とのやり取りが円滑に行って
    いなかったのでは、という疑いを持ってしまったのが悔やまれます。

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    2012/10/31 07:57

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