アールパード・シリング [ハンガリー]『女司祭―危機三部作・第三部』 公演情報 アールパード・シリング [ハンガリー]『女司祭―危機三部作・第三部』」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.8
1-4件 / 4件中
  • 満足度★★★

    宣伝で失敗した作品かも
    ハンガリーの地方を舞台とした、そして背景に形骸化した
    キリスト教があるにもかかわらず、遠く離れた、別の文化圏の
    日本に住む若者にも十分にリアルに伝わる作品でした。

    それだけに、本作について、十分に内容を伝えられなかった
    F/Tは、他に宣伝面で何か有効なことが出来たのでは、と
    本当に残念な気持ちになりました。

    ネタバレBOX

    本作は、ただ観客が席に座って観ているだけのタイプの
    演劇ではなく、途中で、出演者による問いが客席に向けられ、
    考えて応えることを要求される、インタラクティブなものと
    なっています。つまり、ある程度の心の準備が必要だということです。

    しかし、事前に主催者側からの案内が無かったため(もしかしたら
    そういう意図なのかもしれませんが)、突然投げかけられる問いに
    客席はしんと静まり返り。

    ほとんどの客が突発的な事態に反応できずに終わってしまい、
    円滑にコミュニケーションが取れなかった。そんな気がします。

    演劇は、演者と観客双方で作りあげていくものとしては、甚だ
    不本意な結果となってしまったように思います。もっと事前に
    どういうタイプの作品か分かるように宣伝してくれたら良かった。

    翻訳者は日本人を立てた方が良かったかもしれないですね。
    健闘されていましたがニュアンス的に分かりずらいところがありました。

    作品自体は、ブタペストから離れた田舎町で、未だにキリスト教的
    価値観(何時の隣人を愛せよ)に縛られ、現代の急速な流れの中から
    取り残されて閉塞していく学校空間に、自由主義的な発想を持つ
    演劇教師が赴任してくることから始まります。

    ここ、東京と、地方都市の関係を考えると、そのニュアンスが
    分かりやすいと思います。その先詰まり感や圧迫感は。

    演劇教師は古株の事なかれ主義の教師や、現実に対応できずにいる
    ローランド神父と対立しながらも、古い価値観しか知らなかった子供の
    目を開かせ、徐々に慕われていくようになる。

    教師が去った後、10年後、15年後、どうなるのだろう? 私(教師)と
    子供達との間に接点はあるのだろうか? という映像が流れますが
    これは前を向いて前進するのか、はたまた過去に逆走していくのか
    そういう意味の問いかけもあるのではないかと感じました。

    観ていて感じたのは、ハンガリーにおけるジプシー(ロマ人)への
    見え隠れする差別感情、未だに根深いキリスト教価値観、そして
    実は隠れつつも抱かれている「ヨーロッパ人ではない」という意識。

    また、映像や観客との相互やり取り、また即興も多く含んだ作品は
    いつしか目の前で行われているのが「演劇」なのか、「ドキュメンタリー」
    なのか、境目を分からなくさせていきます。不思議な作品でした。

    それだけに、F/Tの事前準備、劇団とのやり取りが円滑に行って
    いなかったのでは、という疑いを持ってしまったのが悔やまれます。
  • 満足度★★★★

    子供達のドキュメンタリー演劇
    ルーマニアのトランシルバニア地方に住む12人の10代の少年少女をフィーチャーしたドキュメンタリー的な作品で、乾いたユーモアと力強さが印象に残りました。

    ある村に演劇を教える女性教師がやって来る物語を主軸にして、ハンガリー人(マジャール人)とロマ人、教師と生徒、親と子、田舎と都会といった対立が描かれ、政治、経済、宗教、教育、セクシャルマイノリティーといったテーマについて考えさせられる内容でした。

    インタビュー映像だけが流れる時間が多く、さらに劇中劇が折り重なったような特異な構成で、事実と虚構の境目が曖昧になって来るのが印象に残りました。
    「ストップ」の掛け声をきっかけにして、直前のシーンについて子供達が意見を述べる時間となり、時には客席も明るくなって観客も一緒に考えて意見を言うように要求することもあり、観客を傍観者の立場に留めておかない趣向が刺激的でした。意見を言う人がほとんどいなかったのもいかにも日本人的で興味深かったです。

    基本的には台詞の日本語訳がスクリーンに映し出されていて、討論のパートは即興で展開する為、同時通訳の人が訳していたのですが、即興で演じていることが明確になってしまい、台本通りなのか即興なのか分からないスリルが失われていて、外国語で上演する難しさを感じました。

  • 満足度★★★★★

    そんなに難しく考える必要は
    無いのかもしれない。

    会場で売っていたパンフに載っていた、
    舞台に参加した子供たちの言葉を見ながら、そう思った。

    トランシルヴァニアの話は、
    ジプシー音楽なんかに興味があることもあって、
    何年か前からたびたびあちこちに聴きに行っている。

    最初は、「トランシルヴァニア」なんて聞くと、夢のような所なんじゃないかと思っていた。

    別にそれは昔も今もそんなに変わっていないのかもしれない。

    夢のように恵まれた土地もあるかと思えば、
    山を少し隔てたところでは、そうでないところもある。

    ネタバレBOX

    特に、最近のグローバリズムとでも言うのか、
    経済の混乱状況の中では、
    そうしたしわ寄せがジプシー(ロマ)の人たちの住む山間の村に大きく行ってしまい、
    夏の間は割合に食糧に恵まれていても、冬に飢餓状態になって殺し合いになって、
    白い雪に赤い血が飛び散っているところもあった、などと聞くと、
    東ヨーロッパのそういった村のすべてがそうとは限らないまでも、
    かつて自分が抱いていた「貧しくとも歌声の溢れるのどかな山村」
    という、日本では非現実的に見えても、ヨーロッパでは実現しそうな(勝手な)イメージとは、
    大きく隔たってしまっているのではないかと思ったりもした。

    子供たちの出身の村のことは詳しくは知らないが、
    自分の体験に似通ったという話をある子供が語るとき、
    近くで悲しそうに目を伏せる別の子どもの姿を認め、
    映像で見る美しい村の冬を自分なりに想像してみる。

    子供たちに自分の力で考えることを教える女優が正しいのか、
    神を信じて、理想的な共同体の一員を目指すことを教える牧師が正しいのか、
    作品の中では見えない。

    子供たちを残してきたことを悔やむ女優の姿も、
    トランシルヴァニアに比べればはるかに恵まれて見える
    ブダペストの雑踏の映像を後ろにしては、
    説得力が無さすぎる。

    あの村の冬は、
    コミュニティの存在を心の支えにして耐えられるほどのものなのだろうか?

    失業などによって、
    子供たちの家庭が次々と崩壊しているように見える中で、
    演技を教えることがどんな救いになるんだろうか?

    色んな考えが頭の中をよぎる。

    あの女優のしたことはただの自己満足なんじゃないか?

    牧師や体育教師の言うことが正しいのではないか?

    そんな(現実社会と同様の(苦笑))混乱のなか、終演後に
    公演のパンフの中に、
    子供たちの驚くほどに前向きなコメントを見つけ、
    ようやく気づけた気がする。

    ・・・暗闇の中に光を見つける、というのはこういうことなのかもしれない(苦笑

    大人が「これが正しい」と言って、子供たちに結論を押し付けること。
    これが一番無意味なのかな、と思う。

    同時に、大人の考える仕組みを、子供たちにムリに押し付けて、
    子供たちの可能性を潰すべきではないようにも思う。

    子供たちの言葉を見る限り、
    子供たちは、この公演に登場するどの大人より、
    また、ほとんどすべての大人より、
    賢明であるように感じられる(もちろん自分より(苦笑

    子供たちは直感により近く、生命力により溢れている。

    情報を与えすぎて混乱する心配は杞憂だと思う。

    例え失敗したとしても、彼らは大人よりずっと早く立ち直るだろう。

    父親を早くに亡くした子供も、
    こうして舞台を他の子供たちと一緒に作り上げることによって、
    世界の人びとからより多くを吸収するに違いないと思う。

    クレタクールにとっての何よりの成功は、
    自分たちが世界的な評価を得ることではなく、
    この子供たちが自分たちの力で舞台に立ち続けることによって、
    美しいが貧しいあるひとつの村で作り上げたものを世界にもたらして拍手を得、
    成長(という言い方が適当なのかは分からないけれど
    していくことなのではないかとも思う。

    ただ一つ、何か自分も建設的な質問をして、
    彼らの成長に加われなかったことが悔やまれる(苦笑
  • 満足度★★★

    女司祭―危機三部作・第三部
    ジプシー、キリスト教が深くわかってない私にはハードル高かったかも。即興か否かの線引き(又はあえて曖昧にした境い目)は、字幕と通訳のせいで本来の効果を出しづらそう。ハンガリーの十代の子供達に会えたのは嬉しい。堂々として凛々しかった。

    ネタバレBOX

    通訳さんは俳優の方がいいかも。ヨーロッパではどっかんどっかん笑いがおこって、質問コーナーでもわんさか答える人がいたそうです。

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