Takashi Kitamuraの観てきた!クチコミ一覧

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春の祭典

春の祭典

新国立劇場

新国立劇場 中劇場(東京都)

2022/11/25 (金) ~ 2022/11/27 (日)公演終了

実演鑑賞

ピアノ連弾版の「春の祭典」もよかった。ダンスもよかったと思うけど、私にはよくわからなかった。「春の祭典」は少女をいけにえに捧げる、村の長老たちの話、ということだけど、ダンスはそれに縛られていなかったと思う。二人ではその設定は再現しにくい。最後に女性ダンサーが舞台奥に吸い込まれていくのは、死を含意していたかもしれない。

ショウ・マスト・ゴー・オン【12月3日~4日、12月7日、12月21日~24日昼公演中止】

ショウ・マスト・ゴー・オン【12月3日~4日、12月7日、12月21日~24日昼公演中止】

シス・カンパニー

世田谷パブリックシアター(東京都)

2022/11/25 (金) ~ 2022/12/27 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

大いに笑わせてもらった。とにかく登場人物たちのキャラが立っている。そのキャラによるボケやずれや勘違いやわがままがうむピンチと、素っ頓狂なその解決策が笑いを呼ぶ。そして、何度失敗したり、いさめられても、全然懲りず、何度も同じ失敗をするのもおかしい。いつもの三谷喜劇は後に何も残らないが、舞台監督進藤(鈴木京香)の切ない出来事でペーソスが漂う。
それぞれの俳優が主役級の有名俳優をそろえた豪華キャストで、大変ぜいたくな時間だった。

下手の舞台袖の出来事で、本来とは逆に上手の舞台袖に舞台がある設定。舞台の様子は見えないが、適宜音が聞こえてくるし、(役の俳優たちは)こちらから舞台の様子を見ることができる。舞台・映画の「ラヂオの時間」は、本番中のラジオドラマの舞台裏のてんやわんやが見どころだが、本作はその演劇版と言える。映画で主婦作家を演じた鈴木京香が、今回舞台監督を務めているのも楽しめる。

ボリス・ゴドゥノフ<新制作>

ボリス・ゴドゥノフ<新制作>

新国立劇場

新国立劇場 オペラ劇場(東京都)

2022/11/15 (火) ~ 2022/11/26 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

音楽はロシア民謡を生かした、土俗的で土太い。派手な装飾的オーケストラや、ロマンチックな旋律はない。牛のように押していく音楽。歌わない黙役の息子の女優が一番印象に残る。登場しない場面にも、舞台上手に作った病室内の姿をずっと見えるようにする。その斬新な演出には舌を巻くが、オペラで黙役が一番というのはどんなものだろうか?

守銭奴 ザ・マネー・クレイジー

守銭奴 ザ・マネー・クレイジー

東京芸術祭

東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)

2022/11/23 (水) ~ 2022/12/11 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

前2作のプレカレーテ演出は斬新でポップで面白かったが、今回は不発。ビニールを使った抽象的で貧乏くさい美術と、大仰な俳優の動きばかりが目立つ。佐々木蔵之介は禿げ上がったかつらに、ぼろを着たさえない老人で、まったく魅力が乏しい。守銭奴アルパゴンはそういう奴だから、と言っても、やはり観客の目を引く色気やオーラがないと、大舞台は持たない。大西礼芳がずっとミニリコーダーをふき、最後はサックスをふくのも、余興を出ない。

ネタバレBOX

ラストの大団円で、お人形のような派手でメルヘンチックな衣装がでてくる。視覚的にはそこが楽しめた。
建築家とアッシリア皇帝

建築家とアッシリア皇帝

世田谷パブリックシアター

シアタートラム(東京都)

2022/11/21 (月) ~ 2022/12/11 (日)公演終了

実演鑑賞

初日観劇。すごいエキサイティングな芝居で、岡本健一、成河の自由奔放でエネルギーにあふれていた。猥雑にして純粋、聖にして俗、信仰と涜神、愛情と憎悪、等々と言われる戯曲だが、矛盾する要素を様々に読み取ることのできる、万華鏡のよう。古典ともいわれる作品なので、今回は珍しく事前に戯曲を読んでいたが、その戯曲からの予想を2倍も3倍も超えた。岡村健一が黒い女性下着に着替えていくシーンなど、戯曲にあっただろうか? グロテスクで、公序良俗への冒涜ともいえる挑発的な場面がいくつもあった。

次々話が変ってしまう、コントをいくつも繋げたようなつくり(特に1幕)なのだが、それだけではない。2幕は皇帝を被告にした裁判劇。証言者の合間合間に、幕間狂言を入れるよう。そして、最後は書くのがはばかられる展開になる(戯曲読んだのは2か月前なので、実は終わりの方は忘れていた)。

思い煩うことがあって、屈託した気分だったが、この芝居を見て元気が出た。それほど自由で突き抜けた芝居。ごっこ遊び、なりきり、すり替わり、女装、扮装、仮面劇、裁判劇、コント、ユーモア、暴力、殺人、処刑、血と性と食と、そうしたごった煮の生の人生と、演劇の原点のどろどろしたマグマをぶちまけたようだった。オペラ、音響、光、小物、衣装、美術も猥雑かつ大げさでよかった。

事前に戯曲を読んでいくなど頭でっかちの見方だが、私以外も頭でっかちそうな観客が多かった。こんな芝居を見ようというのは、それなりの演劇通であろう。でも素直な笑い声が絶えない。観客も理屈を離れて、感覚で受け止めて、舞台を楽しんでいた。最後列にずらりと立見席もある満員御礼。
2時間50分(休憩15分)と長いが、全然飽きない。

しびれ雲【11月6日~11月12日昼公演中止】

しびれ雲【11月6日~11月12日昼公演中止】

キューブ

本多劇場(東京都)

2022/11/06 (日) ~ 2022/12/04 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

よくできた家庭劇、ホームコメディである。ケラが得意のブラックな悪意やオカルト的要素を封印して、正攻法のリアリズムで、善意の人々の何気ない話を作って、見事に成功させた。チェーホフ劇の演出もずば抜けていたから、当然だ。記憶喪失の青年(井上芳雄)とか、木魚もお経も置いて突然駆け落ちする坊さんとか、ちょっと変な設定はそれくらい。舅(石住昭彦)の、すし屋になったり、突然席を立って行ったりの、変なぼけ方もある。

3時間半(15分休憩込み)と、長い芝居だがまったくあきない。大きな話やテーマはないのだが、あえていえば3つの話がつづれ織りのようになっている。未亡人波子(緒川たまき)をめぐる亡夫の実家の茶の間の出来事、と娘富子(21歳、富田望生)の縁談。ここはまさに小津安二郎的。波子(40歳)に舅姑が「あんたはまだ若い。再婚して、幸せになってほしい」と手をつくのは、「東京物語」の三男の嫁の話がダブる。本家の息子(26歳、森隼人)の発見が、ちょっとしたざわつきを起こす。

波子の妹・千夏(ともさかりえ)と夫(萩原聖人)の夫婦喧嘩。弁当をめぐる小さないさかいがどんどん悪化して、離婚しそうになる。これが深刻だけど実は一番のコメディーで、近所の妹のやよい(清水葉月)が絡んでの綱引きは絶妙。素直になれない男と女、あるいは空気の読めない男が相手を怒らせてしまうドタバタは非常に楽しかった。

三つめは記憶喪失のフジオ(不死身の男、と波子が名付けた)をめぐる話。自分が何者かはあまりこだわっていないで、文次と千夏の仲裁に汗をかく好人物である。

菅原永二が文吉の友人と、坊さんの二役。どちらも話に混ざれず置いてけぼりにされる役だが、特に坊さんにコミカルな味があった。ケーキ屋(三宅弘城)、藪医者(実は名医?、松尾諭)、バー経営者(尾方宜久)も、くすぐり笑いをうまく醸していた。

「キネマの天地」と同じ梟島の設定。場所と梟島言葉だけで、話に関連性はない。梟島言葉はケラの作った人工方言である。「……しくさってください」などと、「…しくさる」を丁寧語に使うチグハグ感が何とも言えない。嘘も徹底すれば本当になるというように、本当の方言のように聞こえてくる。「ごめんなちゃい」を聞きながら、井上ひさしの「父と暮せば」のラストの一言「ありがとありました」を想い出した。

ネタバレBOX

井上芳雄なのだから、歌う場面があるのだろうと思っていたら、なかなかない。今回はないのかなと思ったら、最後の最後に気持ちよく歌ってくれた。ブラボー!
歌わせたい男たち【11月26日夜~12月3日公演中止】

歌わせたい男たち【11月26日夜~12月3日公演中止】

ニ兎社

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2022/11/18 (金) ~ 2022/12/11 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

戯曲では読んでいたが、舞台は初見。素晴らしいの一言。笑いにくるんで教育現場への「国旗・国歌」押しつけを批判する。笑えて笑えて、その上で現実にこれが起きていると思うと悲しい芝居だった。最初、元シャンソン歌手のミチル(キムラ緑子)は服を洗濯中で、布団にくるまって出てくる。服が乾いて着替えると、方もあらわなシックなイブニングドレス。このドキドキさせる衣装効果は戯曲ではわからない。

「がちがちの左翼」(本人は軟弱左翼のつもり)の拝島(山中崇)が、校長(相島一之)と片桐(大窪人衛)に「歌ってくれ」「立ってくれ」「そうしないと、大変なことに」と問い詰められと、突然シャンソンをうたいだす。このずれ、はぐらかしが笑える。非条理な状況にピッタリの飛躍した抵抗だった。最初は「暗い日曜日」。そして「パダンパダン」。最後の「聞かせてよ愛の言葉を」も含めて、YouTubeで検索してしまった。

コンタクトをなくしたミチルが「職を失いたくない」と、拝島に眼鏡を貸してくれと迫る。不意を突いたり、無理やりとろうとしたり、切羽詰まっての実力行使が面白かった。そこまで追いつめられるということが悲しいのではあるが、それだけにおかしみがいや増した。

〈国家・国旗に起立斉唱しても、それが嫌だという気持ちは罰せられないし、持ち続けられるから「内心の自由」は守られている。行動で表すのは「外心」〉という論理は、一見もっともらしい。それもそのはず、最高裁の判決で言っているそうだ。国家・国旗押し付けの屁理屈もここまで来ていたか。有料パンフの資料によれば、最高裁ではこれに反対意見を付けた裁判官も一人いた。

舞台上の時計がきちんと動いていて、まさにリアルタイム演劇だ。8時5分前から始まって、10時の卒業式開始に向けて、1時間45分の芝居。黒板の日付は「二〇〇八年三月〇日」とある。初演が二〇〇五年、再演が二〇〇八年だった。今回、二〇二二年などにしなかったわけは、いまは反対派教師を式場外の雑用係にするなど(この舞台でも校長が拝島を駐車場係にしようとする)、事前に対策をとるなどして、状況が変わったからだそうだ。有料パンフの資料や対談、寄稿も充実していた。

ネタバレBOX

最後にミチルは拝島のリクエストにこたえ、「戦争が終わった時にきいて以来、父が好きだった曲」、「聞かせてよ。愛の言葉を」をしずかに、しみじみとうたう。いい場面だった。拝島は眼鏡を置いて(ミチルが国家の伴奏ができるように)去って行く。これは、どういう意味なのか。観客へのなぞかけだろう。

「歌わない、起立しない」のは内心の自由だが、「歌いたい、伴奏したい」人を妨害するのは、内心の自由を守るのとは違う。最後に、そこに気づいたということだろう。やさしくいたわるような音楽に触れて、かたくなな心がほどけたのだろう。
吾輩は漱石である

吾輩は漱石である

こまつ座

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2022/11/12 (土) ~ 2022/11/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

井上ひさしには珍しい失敗作。そこは井上ひさし、転んでもただでは起きない。シェイクスピアもいうように、どんなだめな芝居にも何かいいところがある。例えば扇田昭彦は「笑いがない」と書いているけど、舞台で俳優が演じると、ちょっとした所作ややり取りで笑いが起きる。鏡子夫人(賀来千香子)が、察しの悪い朝日記者(木津誠之)に嫌味を言ったり、夢の中のインテリたちが華厳の滝からの投身自殺を巡って哲学的に論じたり。一番は、ニセ校長役の賀来千香子が見せる文明開化の歩き方。左足、右足を新旧、西洋・日本、洋才・和魂と、びっこを引いてみせるギャグは、戯曲の文字面だけではわからない。日本の外発的な開化をユーモラスに身体で表現したものだった。

ネタバレBOX

あまり登場人物同士のぶつかりや、それぞれの見せ場の乏しいのも、戯曲の構造の弱いところ。休憩後(戯曲では3と4)は、3つの長台詞が主要部分を占めてしまう。一つは、賀来千香子演じる偽校長の演説、2つ目は同じく賀来千香子の演じるマドンナの半生を語る話。この2つをきっちり見せたのは、さすが賀来千香子であった。(マドンナがヌードモデルになっていたというのは、井上ひさしらしい遊び)
3つ目は、生徒が、登場しない校長に出す抗議の手紙。面白いところもあるが、これが長い。鈴木壮麻が演じた生徒が読むのだが、セリフとして全部覚えきれないのではないか。たぶん、読み上げる小道具の手紙に、全文は無理でも、きっかけは書いてあるのではないだろうか。

芝居の構造だけでなく、テーマ的にもちぐはぐ。漱石お得意の「淋(さむ)しい」をキーワードに、しがないインテリ教師たちの侘びしさを示すのはわかる。それをマドンナが体で慰めるのは、ストリップ小屋育ちの井上ひさしらしいご愛嬌だ。でも淋しさの処方箋が「何もしない方がいい」「気の合う仲間の顔でも眺めながら、できるだけじっとしているのが、じつは一等世の中のためになる」では、首を傾げてしまう。太宰治が寂しそうに言うならわかるが、漱石が本気で言うことではないだろう。とはいえ、漱石のセリフではなく、三四郎(代助、宗助も重ねられている)のせりふだが。

ニセ校長の演説する教育の目標が「空っぽな人間」を育てることというのも、本気なのか皮肉なのか、その真意がつかめない。
『錆色の木馬』

『錆色の木馬』

劇壇ガルバ

SCOOL(東京都)

2022/11/13 (日) ~ 2022/11/20 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

山崎一演じる老人が誰なのか、この部屋はどこなのか。観客も一緒にわからなくなってくるような芝居だった。しかし、最後はリア王の名セリフが痛いように刺さってくる。「生まれたばかりの赤ん坊がなぜ泣くか知っているか。この阿呆どもの舞台に引き出されたのが悲しいからさ」。

最初、老人が別の人(観客には見えない)に話しかけてる。無くしものを探している。見えない人が出ていったと思うと、若い演出助手が入ってきて、「開演前です。リア王できますか」という。老人は身に覚えがないらしい。それどころか、実は最初にいたと思っていた相手は、老人の見た幻らしい。認知症なのだ。すると今度は別の中年男(大石継太)が、「お父さん、ここは僕の部屋です。お父さんの部屋は向こうです」と。すると、老人はむすこに向かって、リア王のセリフを澱みなく語り出す。息子もケイト伯になって受ける。細かいところは矛盾したままだが、それでも、大筋はだんだんわかってくる。そして、認知症らしい老人は、昔、体に染み込んだリア王のセリフが溢れ出してくる。

山崎一の括弧付きリア王の迫力はすごかった。80分

ネタバレBOX

認知症になった不安と孤独と、全てを失ったリア王の絶望がうまく重なり、リア王のセリフが生々しく響いてくる。「必要を言うな」のセリフは、松岡和子さんに教えてもらっていたので、すごく響いた。そして、生まれた時に泣く理由のセリフが刺さる。

最近上演のない「リア王」。重くて長くておおげさに思って敬遠がちだったが、すごく見たくなった。
藤原さんのドライブ

藤原さんのドライブ

燐光群

座・高円寺1(東京都)

2022/11/04 (金) ~ 2022/11/13 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

燐光群が最近続けている「記録劇?」と、物語性のある演劇の中間を行くような芝居。朝ドラ準レギュラー?の円成寺あやの知的な舞台回しが、誤れるハンセン病回復者隔離政策の過去にタイムトラベルさせてくれる。特効薬ができてハンセン病は治り、社会復帰も可能だった。そのときに自ら療養所に残る選択をした人が多くいたことを捉えているのは、この劇の功績だと思う。

近未来の未知の強力な感染症の感染者が、「名前を選ぶこと」を勧められてから、かつてのハンセン病患者隔離の島に送り込まれる。舞台には5メートルの高さの青い四角い柱が3本立つだけ。裸舞台に近い空間に、藤原さんが運転するスカイラインが現れる。ハンセン病患者の境遇は、既知の範囲で新しい発見に乏しかった。近未来の感染症の話はどうもリアリティーが薄い。休憩なし1時間45分

ネタバレBOX

若い女優が連続腕立て伏せをさせられたのは、可哀想でハラハラした。ご苦労さまでした。
猫、獅子になる

猫、獅子になる

劇団俳優座

俳優座劇場(東京都)

2022/11/04 (金) ~ 2022/11/13 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

引きこもりの子が50を過ぎて、親が80になり、自分の死後の子供が心配ー80−50問題が軸。50過ぎた姉が引きこもる原因となった中学時代の演劇に、現在の20代の孫娘の演劇活動がつながる。宮沢賢治の「猫の事務所」に日系ブラジル人へのいじめ問題も重ねるという、重層的な構造の芝居だ。横山拓哉らしい快調でユーモアのある会話のやり取りから、次第に、かつての演劇活動で何があったのか、引きこもりの理由がわかってくる。引きこもるしかない状況に追い込まれた姉が、どうやって外に出るきっかけを掴むのか。こちらの予想の上を行く展開だった。ラストは気持ちのいい解決で、心が暖かくなるいい芝居だった。

いじめを批判したと読める宮沢賢治「猫の事務所」がうまく使われていて、奥行きを増した。私は未読だが、舞台上の説明で、内容はわかった。俳優陣も好演。特に姉を演じた清水直子の中学生ぶりや、やつれた焦燥がよかった。

ネタバレBOX

自分の善意のつもりの行動が、相手を追い詰め事故を起こさせていたという話は衝撃で、それを聞いたおばの同しようもない切なさが伝わってくる。
イヌの仇討

イヌの仇討

こまつ座

紀伊國屋ホール(東京都)

2022/11/03 (木) ~ 2022/11/12 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

5年ぶりの東憲司演出版。三田和代の、命より名誉・家名という厳しい女中頭、原田健太郎の庶民的で人のいい盗人がいい。出たり入ったりする坊主の春斎(石原由宇)も、「この隠れ場所は赤穂の家来が教えてくれた」など、素っ頓狂なことを言って笑わせてくれる。愛嬌があるし、外の状況を教えてくれる唯一の存在なので、セリフが多い。何より光るのは大谷亮介。柄が大きく、普通にセリフを言っても大げさに聞こえる人なので、時代劇の殿様にはピッタリ。しかもちょっと情けないから、吉良上野介ははまり役である。

ネタバレBOX

討つ理由のない吉良を、大石が討つのはなぜなのか? 井上ひさしの忠臣蔵の新解釈は理屈っぽいように見えて、案外結論は単純。狙いは吉良ではなく、将軍綱吉。討ち入りは「おかみ(幕府、将軍)への挑戦」なのだ。本当にその非道・いい加減を告発したい相手は5代将軍・綱吉とその側近だ。吉良に恨みはないが、幕府への異議申し立てを示すための犠牲になってもらうと(強大な敵への反抗を示すため、関係ない市民を巻き添えにする自爆テロのようなものだろうか)。幕府が吉良を見捨てたことを悟った吉良は、自ら首を差し出すことで、大石の「公儀への挑戦状としての討ち入り」を成功させる。
レオポルトシュタット

レオポルトシュタット

新国立劇場

新国立劇場 中劇場(東京都)

2022/10/14 (金) ~ 2022/10/31 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

ウイーンの成功したユダヤ人である工場主ヘルマン(祖父、浜中文一)を軸に、曾祖母エミリア(那須佐代子)から孫の代(レオ=八頭司悠友、ナータン=田中亨)まで4代の物語。1899年から1955年まで5つの時を描く。家族が多くて(25,6人?)、舞台上だけでは全部を理解できない。最初の一家のパーティーのあたりはあまりなじめないが、ヘルマンの妻でカトリックのグレートル(音月桂)の将校フリッツ(木村了)との不倫、ヘルマンとフリッツの対決・対話の場面は迫力ある(後の重要な伏線になる)

第3場1924年、赤ん坊に割礼をするか否かの騒ぎは面白い。笑いが多い。子どもたちが大人になり、家族の成長を一緒に見守って来たかのような気になる。第4場1938年は、ナチスの迫害により一家離散はつらい場面。医師のエルンストは、ヘルマンに促され、移住に耐えられない認知症の妻を安楽死させる。第5場1955年、孫二人と叔母の三人だけ。迫害を生き延びたナータンと、何も覚えのないイギリス育ちのレオとの対話には、ズレと嫌味もあるが、次第にレオが過去との手掛かりを回復していく。収容所で死んだ一族の名が次々詠みあげられ、粛然とした思いがする。

ネタバレBOX

妻の不倫に目をつぶり、家族と妻のために屈辱に耐えたヘルマン。ナチスの迫害が起きた時、実子ヤーコブ(鈴木勝大)をフリッツの不倫の子だと、フリッツに偽の証言をさせ、自分の財産と息子を守った。何んとも見事な作戦だ。そうい例は当時あったのだろう。戦後の第5場で、へルマンは収容所に移送される前に、ゲットーで飛び降り自殺したと明かされる。しかもヤーコブは戦争が終わってから自殺したと。「自分には生きる価値がない」という理由で。切なく、粛然とさせられる。

幼くして養父とイギリスにわたり、ウィーンの記憶のないレオがストッパードの分身。ストッパードの実父は医師だった。同僚医師の娘がガラスの破片で手を切った時、実父が傷を縫って治療した。50年後、ストッパードは彼女に会った時、まだ縫った痕が残っていた。その縫い後に触れて実父を感じたという。そのエピソードは変形されて戯曲に生かされている。ほかにも妻の肖像画のこととか、史実を生かした話がちりばめられている。作者の思いを考えさせられる。
欲望という名の電車

欲望という名の電車

文学座

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2022/10/29 (土) ~ 2022/11/06 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

近代戯曲の最高傑作のひとつ。文学座らしい手堅い芝居で、非情に濃密な舞台だった。3時間と長いが全然飽きない、充実した時間だった。題名は、欲望(Desire)という地区行きの実在の路面電車があったから、くらいにしか言われていないが、今回見て、芝居のあちこちに「欲望」というセリフがあるのに気づいた。「死」の対極にある「生」の象徴として。男に次々「欲望」をいだき、ミッチ(助川嘉隆)と結婚しようとするブランチ(山本郁子)は、過去をふりきって、生きようとしただけなのだ。「欲望」という題には、ブランチの生きる意欲が託されている。

その夢をスタンリー(鍛冶直人)につぶされてしまう。ブランチがスタンリーを「下品だ」「粗野だ」と忌み嫌ったせいもあるから、自業自得でもある。それぞれの登場人物に言い分があり、スタンリーでさえ悪人ではない(戦争のPTSDという解釈もあるらしい)。

山本郁子のブランチはいたって自然体で説得力があった。やけに喋り散らす、急にやって来たちょっと厄介な居候の姉というだけで、精神を病んでいるとは見えない。何かと酒に手を出すところが危ういけれど。しかし、後半、ミッチに向かって過去を語るくだりの切なさ、スタンリーに富豪からの電報やミッチの謝罪(いずれも妄想)をいかにも楽しそうに語るくだりは迫力があった。正気と狂気の境目自体がなくなって自由になる、最後の輝きが感じられた。最後のバスルームから顔をのぞかせてはしゃぐ声は、それまと違って作り声のようではかなげで、何かが変わったとわかる。

ミッチとの別れのシーン、幻のような黒服の女が室内をうろつく。ブランチのせりふに死神の言葉があるので、それを具現化したのかと思った。が、戯曲には花売りのメキシコ女とあり、その物売りの呼び声をカットして歩かせたもの。印象には残るが、やりすぎの気もする。かつての夫の死と重なる「ポルカ」の音楽は、冒頭の最初に夫の死に触れるところと、ミッチに告白する前後(九場)に気づいた。ほかにもあったはず(少なくとも六場、ミッチとのデートの夜)だが気づかなかった。この舞台では音楽の使用は難しい。

ラストのブランチ「わたくし、いつも、見ず知らずの方のご親切にすがってまいりましたの」が名セリフということになっている。今回もそこだけ目立つように、少し間を開けて明瞭に語っていた。が、それ自体はどうということのない文句。実は全編を通じて、似たようなフレーズをブランチは繰り返している。例えば5場で妹に「わたしは強い女になれなかったの、自立した女には。そういう弱い人間は、――強い人間の好意にすがって生きていくしかないのよ」と。ミッチにローレルでの淫蕩な生活を告白するときにもある。ミッチとの結婚に未来の夢を託すのもその流儀の表れだ。彼女の生き方と、その破綻を示すセリフとして、この戯曲の核心になっている。

ネタバレBOX

自殺したゲイの夫のことも、ホテル・フラミンゴ(ブランチが、これをタランチュラ=毒蜘蛛、というのはすごい)での売春(多分)のことも、彼女が告白する相手はミッチ。意外にもミッチだけにはそれほど心を開いていた。これもミッチがたまたま出会っただけの「見ず知らずの方」だからなのだろう。

何か所か、第三者の科白が終わるのを「待って」しゃべり始める空白が感じられた。自然な流れを途切れさせるので、そこはうまく処理してほしい
私の一ヶ月

私の一ヶ月

新国立劇場

新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)

2022/11/02 (水) ~ 2022/11/20 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

いい芝居だった。私には未知の若い作者だが、英国の劇場との共同のワークショップに参加した、14人の日本の若手劇作家のひとりとのこと。その中でも優れた戯曲を上演したのだろう。新作だが、戯曲がすでに練り上げてあるから無名の作家でも冒険できた。上演に当たって、演出の稲葉賀恵とも意見交換しながら、さらに3度は書き換えたそうだ。二本の軸があったのを母と娘の一本の軸に絞ったのがとくによかった。おそらく佐東と娘がもう一つの軸として、もっと強かったのではないか。ほかに3人の作を英訳して英国で朗読公演するという。国立ならではの取り組みだ。

舞台では最初、三つの場所が横並びにしつらえてあり、それぞれの場面が同時に演じられる。右から田舎の茶の間、コンビニのレジ、東京の大学図書館の閉架室である。茶の間での老夫婦(久保酎吉、つかもと景子)と娘のいずみ(村岡希美)はどこかぎこちない。左でのベテラン司書佐東(岡田義徳)と、学生バイト明結(あゆ、藤野涼子)は、ずれた掛け合いがクスリと笑える。真ん中のコンビニでは、拓馬(大石将弘)が毎日、昼食を買いに来て、久保やつかもとがレジに立ち、右の茶の間と同じ家とわかる。ただ、茶の間では「拓馬があんなことになって」的な話があり、時間はずれているらしい…。

三つの場面のつながりが、ついに明らかになった時、それぞれの登場人物の、決して取り戻せない後悔と葛藤が明らかになる。人生のつらさとどうしようもなさ、それでも生きていく人びとの健気さに、派手ではないが小さくもない、ジワリとした感動を覚えた。岸田戯曲賞の有力候補と思う。

ネタバレBOX

いずみは娘が大きくなったら読ませようと、日記を書いていた。一カ月だけだけど。その最後に、いなくなった拓馬を探して、サンダルで山に入ったこと、3歳の娘が棺の周りを走り回って「パパおっきして」と何度も言ったことが書いてある。具体的な記述はそれだけだが、少ないだけに印象的だった。

両親と、いずみのあいだの、お互いに言葉に出さずに来た内心をぶつける場面もよかった。修羅場にもできるところを、本音をぶつけながらも抑制的で、どうしようもない悲しみが伝わる。いずみたちの友人のフジ君が意外な形で現れるのも、この喪失と後悔の静かなドラマに動きと深みを与える。

介護施設での拓馬の仕事の加重ぶりを明らかにし、過労死認定を得ようと取り組む。いずみは弁護士に相談し、意欲的で決意も堅い。しかし、施設の同僚も退職が続きいて協力が得られず、理事長、所長も交代し、責任がうやむやになっていく。結局10万円のお見舞金しか残らないとは、むなしい現実だ。
スカパン

スカパン

まつもと市民芸術館

KAAT神奈川芸術劇場・大スタジオ(神奈川県)

2022/10/26 (水) ~ 2022/10/30 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

モリエールの古典を、戯曲そのままでなく串田和美が現代の観客向けにアレンジして、何度も上演している舞台。初めて見たが、期待した以上の面白さだった。物語としては単純なのだが、笑わせどころは本当に面白い。

スカパン(串田和美)が、レアンドル(串田十二夜)の父ジェロント(小日向文世)に、息子がトルコ軍艦で連れ去られたからと、身代金とだまして大金を出させる場面の掛け合いが見事(話としてはオレオレ詐欺とおなじだ)。また、スカパンがこのときステッキで何度もたたかれた腹いせに、別の日にジェロントを袋詰めにして荷車に載せる。周囲が見えないジェロントを、乱暴者に襲われたふりをしてポカポカ殴るくだりは、傑作。棒で思い切り頭をなぐるから、いい音がして痛快だった(袋の中でヘルメットをかぶっていたらしく、痛くはないようだ)。しかもいつの間にかジェロントが荷車から落ちて袋が開き、仕掛けがばれているのに、スカパンが気づかないで、空っぽの荷車をポカポカやるのは笑えた。

最初の方で、オクターヴ(小日向星一)とイアサント(湯川ひな)がラブラブで、なにかというとチュッチュッチュッとキスしまくる演出も嫌みがなく、素直に笑えた。

場面転換に短いセリフのないシーンを挟み、それが伏線や気分転換になったりする。
休憩なし約2時間。

ネタバレBOX

最後は、息子たちが勝手に恋したり、結婚した下賤な女二人が、それぞれジェロントとアルガント(大森博史)の娘で、若者たちにとっては互いの友人の妹だとわかる。こうしてめでたしめでたし、2組のの結婚式になる。そこは、おおらかなご都合主義の円満解決。スカパンはやりたい放題やった報いが下り、そこに一抹の哀感が漂う。
検察官

検察官

劇団1980

俳優座劇場(東京都)

2022/10/26 (水) ~ 2022/11/01 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

モルドバの演出家による大胆でパフォーマティブな舞台。セリフは大幅にカットされている。人々の狼狽え、卑屈にはいつくばり、手揉みして賄賂を渡す様を目で見て、その愚かさを笑う。

筋はよく知られた通り、無一文の青年を、みんなが検察官と勘違いして歓待する。青年が従者を持っているあたり、当時のロシアの階級差を示す。青年のホラ話の演説、市長の見るグロテスクな悪夢、順番におっかなびっくり賄賂する行列、最後の福祉院長の密告等々、単純な話を大袈裟に戯画的に、面白おかしく演じた。

舞台上にずっと黒いマントに白塗りの男がうろつく。悪魔。最後のセリフに「なぜあいつを検察官なんて思い込んだのか。悪魔に誑かされたとしか思えない」とある。そこから発想した演出。その単純さはバカばかしいのだが、とにかくはっちゃけた舞台だった。
休憩15分含む2時間50分。

ネタバレBOX

青年が去った後、彼の手紙から、みんなにその正体がわかる。自らの愚かさに気づいた後の後悔と意気消沈、怒りと苛立ちが見応えあった。それまでのバカらしさからのガラッと変わったシリアスさが響くのだろう。それまではただ愚かなだけの一面的馬鹿騒ぎ。このラストあっての名作だとわかった。。
日本人のへそ

日本人のへそ

虚構の劇団

座・高円寺1(東京都)

2022/10/21 (金) ~ 2022/10/30 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

井上ひさしの破格の戯曲を、賑やかな弾けた芝居として見事に成功させた。この戯曲前半は歌とコントとストリップショーの数珠繋ぎで、意外と隙間があって、下手をすると隙間風が入ってきて熱量を下げてしまう。今回はそこを映像と照明とテンポでうまく埋めて、軽やかに見せた。ヘレン天津(小野川晶)の「転々の変転」は、元は合唱隊と教授の歌だけなのに、紙人形芝居の演出で楽しめた。冒頭の「あいうえ王」の吃音矯正セリフや、教授の長セリフも奥の壁に映像や、キーワードを映した。井上ひさしの言葉の芸術を、耳で聞く聴覚だけでなく、視覚化もして観客が飽きずに楽しめるようにした。そういう工夫が随所にあった。カットもうまく施して、長さを感じさせない。前半1時間40分、休憩15分、後半45分。計3時間10分。

何と言っても殊勲賞はストリッパーを演じた女優陣。胸から腰から見事な曲線美と、シェイプアップしたおへそで、見惚れてしまった。しかもたくましい。堂々としたお色気サービスで、安心して見ていられる。特に小野田晶は、セーラー服のおぼこ娘から、成熟したストリッパーに見事な変身で感心した。セーラー服時代は黒髪のカツラを被っていたかな。それも大きい変化。胸も急に大きくなったように見えたのは不思議。おそらく衣装のせいだろう。

コメディアンのチャンバラコントも井上ひさしの戯曲からは離れて、自由に創作。いくら切られても死なないギャグなど、二人の刀の掛け合いが素直に笑えた。。

音楽も良かった。担当は河野丈洋。服部公一、宇野誠一郎の先人のいいところは残しつつ、うまい具合にリニューアル、アップデイトしていた。「10人のコメディアン」は「10人のインディアン」が元なのであまり変わらない。しかし、岩手の農民たちの歌は、メジャーとマイナーの転調を使った、結構聴かせる歌にしていたし、ストリッパーたちの立ち上がる歌も良かった。「日本のボス」だけは、ピアノ以外のドラムや管楽器も入れて派手なアレンジで、非常に盛り上がった。

後半のレズビアン、ゲイとオネエのコント、推理劇風の犯人探しも淀みなく、どんでん返しが綺麗に決まった。劇場は平日の夜なのにほぼ満席。下ネタ満載のお下劣なセリフがポンポン弾けて、げんきになる芝居だった。

ネタバレBOX

友人の感想。見るのは2度目だけど、こんなに下ネタ満載だったかと驚いた。初期の井上ひさしらしい。
どもりは最も人間らしい病気、はなるほどと思った。歌や芝居は吃らないというのは本当? 言葉遊びも多くて、井上ひさしの言葉への愛と執着を感じた。
男の人はストリッパーのビキニ姿に見惚れるだろうけど。女優はどう思って演じているか。インティマシーコーディネーターを使う芝居もあるけど、今回はどうだったか。
バリカンとダイヤ

バリカンとダイヤ

劇団道学先生

ザ・ポケット(東京都)

2022/10/15 (土) ~ 2022/10/23 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

中島淳彦の作品を見るのは、先日のテアトル・エコーに続き二回目。亡くなってから急にあちこちでやりだした気がする。ホンの力の何よりの証拠だろう。確かに面白い。実家の茶の間と2階の物干し場の一杯飾り(左右に家が建て込んでいるようにみえるが、これが娘たちのアパートになる)を舞台に、老いた母親(かんのひとみ)と、3人の娘(もりちえ=好演、関根麻帆、山崎薫)が軸になるホームコメディ。1年前に死んだ夫の預金通帳をみて、最近引き出されていた1500万円をめぐって、あらぬ憶測がふくらんでいく。夫はカタブツの公務員だったのだが、何に使ったのか?

 宮崎に嫁いだ姉(村中玲子)は居候を決め込み、近所のおせっかいおばさん(アメリカ人と結婚している派手で図々しいフジ子=柿丸美智恵、好演)がなにかとひっかきまわす。フジ子は高級化粧品セールス(佐々木明子)、「神の水」を信奉する新興宗教の信者(高橋星音)を次々連れてくる。そこに夫が通っていたマッサージ師(健全なもの)で台湾出身のリン(横田実優)まで現れる。

とにかく笑いが絶えない。場違いなところに困った人が次々現れる、シチュエイションコメディーといえるでしょう。三人の娘の抱えた困難が、ある日、いっぺんに明らかになり、母親も「いったいどうなってるのよ!」と叫ぶ。この場面など、大いに笑わせてもらった。
友人が言っていたが、家族あるあるがたくさんあって、身につまされる。長女が次女、三女より何かと大事にされるのもそう。お金も結婚に120万、車買うのに80万などこっそり援助してもらっていたり。この金額も実感がわく数字。
ただ終わってみるとテーマ性が弱い。夫婦の愛情の機微、よくできた人情喜劇というだけではちょっと物足りない。上演台本あり

ネタバレBOX

リンが2,3年前に1500万円でマンションを買ったというので、てっきり夫がリンに貢いだのではないかと思い込む。長女が「返しなよ」と食って掛かる騒動も大変。客席もそうかもしれないと思わせられた。

バリカンは父の髪を刈っていたもので母の献身の象徴と言える。ラストに父が買ってくれたダイヤの指輪が出てくる。みんなが「ちっちゃい石!」と異口同音に言う、36年前に5万6千円の安物だけど。これが父の愛情の象徴。次女の飲食コンサルタント会社のために、家を売るということになるが、娘たちがフジ子を連れだした後、一人残った母親がバリカンの入った箱の底に、夫の残した預金通帳を見つける。妻の老後のために遺したウン千万円の遺産。ちょっとできすぎのハッピーエンドだった。わが身にはウン千万円は無理だが、ダイヤの指輪を妻にプレゼントしておくのは、参考になる。
消滅寸前 (あるいは逃げ出すネズミ)

消滅寸前 (あるいは逃げ出すネズミ)

ワンツーワークス

赤坂RED/THEATER(東京都)

2022/10/06 (木) ~ 2022/10/16 (日)公演終了

映像鑑賞

満足度★★★★

舞台セットは、難破船の甲板やマストを壁や柱にしたよう。村の右往左往と、船の航海・漂流を芝居の場面でもだぶらせながら、2022年10月の「採決」から始まる。人口1000人余りの過疎の村の「消滅」か「存続」か。自治会長(奥村洋治)が、集落の「絆の里」委員会で採決をとると、全員が、「消滅」に挙手。ここであれッとずっこけるわけだが、自治会長が「覚悟が大事だ」と、明日、再度採決をとるという。「会長はどっちなんだ!」と委員たちが突き上げれば「私は断固「消滅」です」とまたずっこける。意外な幕開けに興味をそそられる。

話は2010年の「出帆(または放置)」にさかのぼる。委員会を立ち上げ、空き家のリフォーム、40歳以下の移住者への支援金50万円etcの、人口増加策のあれこれをやってきた。それでも委員の中からも離村者が出る現実、学者の傍観者的推計等々、なかなか出口は見えない。委員同士でも、今度引っ越しするのはあなた?、いやあっちの人と噂しあう。そして冒頭に戻り、翌日の再採決。そこまでの光が見えないフラストレーションを吹き飛ばす、意外な感動が待っていた。

ネタバレBOX

村で生まれ育った女性(関谷美香子)がいう。「なぜ生まれ育ったこの土地を離れなければならないのか。体をちぎられるような思いだ」。すると、数年前から村にいる女性(みょんふぁ)が「生まれたところでなければ故郷でないの?」と問い返す。「私は宮城に生まれ、大阪に移り、そしてここにきた。だけど、私にとっては、今はここが故郷」と。この問い返しは考えさせられる。生まれ育った場所に特権的(感傷的)にしがみつくのでなく、今住む人、今いる土地はみな平等のはずではないか。

そしてラスト、自治会長は「消滅」に一票を入れ続ける理由を語る。「来るかどうか、定着するかどうかも分からない人のためにお金を使うより、今いる人のためにお金を使おう。いたんだ家の修繕、荒れた耕作地の整備につかって、今いる人がより良く暮らせるようにした方がいいではないか」「それが「消滅」に予算を使うということだ」。こんな発想が聞けるとは思わなかった。言われてみれば当然のことだ。いつの間にか「人口増加」などと、あてのない未来のことばかりを言って、現在の住民のことを二の次にしていた。「消滅」を覚悟しての逆転の発想だけど、案外、現在の高齢者たちが生き生きと暮せば、それにひかれて移住してくる人もいるだろう。

会長が「なぜ移住者が定着しないか。それは「愛着」がないからだ」ともいう。シンプルな真理なのに、忘れがちのことだ。

最初のシーンで村のおばばがたとえ話をする。〈鼠の害に困りはてた男が、思い余って鼠の巣に火を放ち、その結果、家が全部燃えてしまった〉。みんな、何の意味か分からない。でも最後になって、村のおかみさんの一人がその話を思い出して言う。「あれは、一番大事な絆を燃やしてはいけないという意味だったんじゃないの?」。おばばは「あなたがそう思うならそれででいいじゃない」。なかなか心憎いしめくくりであった。

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