ダウト
ダウトを上演する会
小劇場B1(東京都)
2019/10/23 (水) ~ 2019/10/29 (火)公演終了
満足度★★★
鑑賞日2019/10/24 (木) 21:00
座席F列10番
難しい脚本ですね。役者の方々も、どのような解釈で演じるのか、役作りが極めて難しかっただろうと推察いたします。特に、校長(シスター・アロイシス)が最後に発するセリフは、この舞台の集大成ともいえるもので、どのような意味で、心情で発するのかについて、演じた眞野あずささんと演出の大間知靖子さんとの間で、どのようなやり取りがあったのか興味あるところです。
舞台では2つのフリン神父の説教が挟まれます。冒頭では「確信と疑いがいかに人間同士の絆になるか」中盤には「噂というものが、いかに罪深い行為か」という説教。前者はこの物語に通底する信仰と疑惑との類似と相違を示唆し、後者は不寛容であることがいかに取り返しのつかない事態を及ぼすか(神父のしんじょうを代弁する意味で)を提示してくれます。
私は当初、校長と神父の激烈な議論でラストを迎える、ある種法廷劇のような展開を予想していました。
話の展開がうまいなあ、と思ったのが、物語の進行にともない、おそらく観客の大半にどんどん開明的で優しさに溢れる神父に肩入れをさせていくという展開です。それを促進するのは、シスター・ジェイムズであり、黒人生徒の母であり、そして何よりも頑なで不寛容な校長の態度です。そして、観客は神父の抵抗、逆襲を心待ちにするのですが、、、、
地にありて静かに
劇団文化座
シアターX(東京都)
2019/10/17 (木) ~ 2019/10/27 (日)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2019/10/22 (火) 14:00
座席B列10番
アフタートークを終え、玄関横でパンフレットを購入。帰りの電車の中で読み進めるが、これはちょっと残念。この作品の舞台が、アーミッシュという集団であり、その宗教的な特殊性や風俗などには強い関心が払われるのは当然だし、そのドラマもアーミッシュであることに起因することからすれば、必然的にアーミッシュ理解に地歩が置かれてしかるべきだろう。しかし、所狭しとアーミッシュの平和主義や伝統重視の生活様式に、教訓を求める文書が出てくるのは、正直辟易させられる。(求めたい人は、そうすればよいが)
このドラマは、「アーミッシュであっても」というサジェスチョンが付く限りに留まるべきで、実のところ、描かれているのは親子の確執、夫婦の愛情、世代間対立、伝統と革新、戦争の不条理、文明の進歩、グローバル化といった普遍的なテーマである。
アン・チスレットが、アーミッシュの村落に足しげく通い、その集団を題材にした物語を書いたのも、自分の描きたかったものを底から見つけ出したにすぎない、という見方は間違っているだろうか。
さて、舞台は休憩含む2時間40分。第一幕は主人公ヨックが父親との対立の果てに自宅を出て戦争に向かうまで、この第一幕では、ヨックの人間関係からアーミシュの生活様式、慣習、信仰の内容までが丁寧に描かれており、第二幕での親子の邂逅、元恋人との再会などの山場にうまく繋げている。時間の長さを一切感じさせない、きめ細かい作りだ。
舞台を引っ張っていくのは、長老役の津田二朗と、司祭役の米山実のご両人。司祭にとって、アーミッシュとして生きていく頑なさとは信念でもあり、自分の生を全うする原動力でもある。一見柔和に見える長老も、強い意志を持って村を守っていこうとし、司祭の苦悩に寄り添うだけの度量を持っている。ヨックの苦悩と挫折が色濃い物語だが、真の主役はこの二人と言っても過言ではないだろう。舞台はこの両家の内部と周辺をもって描かれている。
過不足のない、意外とスマートな舞台、飽きることなく、そして深く感動した。
他では、戦争で息子が足をなくして酒浸りになる父親役(アーミッシュではない)の藤原章寛がよい。最初の登場シーンから醸し出される、アーミッシュへの理解や共存意識が、あそこまで捻じれてしまう姿は見ていて哀れを誘う。
なお、亡くなったヨックの母親サラは、同劇団の団員、長束直子さんをイメージして皆演じていたそうです。(アフタートークより)
男たちの中で
座・高円寺
座・高円寺1(東京都)
2019/10/18 (金) ~ 2019/10/27 (日)公演終了
満足度★★★★
鑑賞日19:00
座席1階A列13番
「戦争戯曲3部作」を、座・高円寺で観て、ボイドの他の作品も観たいなあ、と思っていたものの、なかなか上演がない。そして、今回の「男たちの中で」。すぐに飛びつきました。佐藤信、座・高円寺の英断に感謝。かなり、骨っぽい舞台でした。
エドワード・ボンドを「劇作家」ではあnなく「劇詩人」と呼ぶのは、言いえて妙。朗々とした長セリフは、役者の力量の見せ場で、まさに古典劇と言えるような構成。何といっても、役者個々の技量が高いので、3時間を超える舞台も飽きさせることなく、観客をぐいぐいと引っ張っていく。確かに、話にもどかしいところも多く感じるし、登場人物の性格描写も一筋縄でいかないので、あれ?何で?と思うことも多い。ただし、話がわかりづらいとか
、複雑だとか言うことはなかったなあ。
主人公レナードに関しては、取締役会への参加を強く義父に求めると、義父の殺人を思いつき、それに失敗すると、財産の相続権を放棄したと思ったら、ハロルドの手の上で踊らされているように見せたり、義父に裏工作を告発したり、結局、、、、と、まさに精神分裂症かと思わせるハチャメチャぶり。
しかし、その行動も、無料配布されたパンフレットでの解題で、ストーンと腑に落ちた。そうか、シェークスピアのシークエンスなんだ。レナードをハムレットと解釈すると、なんの違和感もなくなった。(こうした解説を載せたパンフを無料で、かつ安いチケット代で配ってくれるのはとてもありがたい。)
千葉哲也の不気味さと、植本純米と下総源太朗の壊れっぷりは見もの。松田慎也も悪くないのだけれど、中盤の超長独白はちょっと間が持てなかった。
全体としては、ストレートなほどのストレートプレイ。堪能させていただきました。
どん底
新国立劇場
新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)
2019/10/03 (木) ~ 2019/10/20 (日)公演終了
満足度★★★
鑑賞日2019/10/14 (月) 13:00
座席1階A2列6番
「どん底」を舞台で観るのは初めて。おそらく、40年ほど前に、映画で黒沢明の「どん底」とジャン・ルノワールの「どん底」を観ているのだけれど、あいにく筋立てはよく覚えていない。
いざ劇場に入ると、舞台上には高架橋が。工事中の看板や金網があり、はっきりとこれは高架下だということがわかる。高架橋の中央には梯子が設置してあり、これは何に使うのか(実際、1度だけ使われる)。
新訳ともなっていたので、観劇前は現代版への翻案なのかと訝しがってみるが、もうこの時点でギブアップ。原作なんてどうだっていいや。
終夜
風姿花伝プロデュース
シアター風姿花伝(東京都)
2019/09/29 (日) ~ 2019/10/27 (日)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2019/10/11 (金) 17:00
座席1階A列11番
17時開演と、やたらと早いなあと思ってHPを覗くと上演時間が4時間30分とある。17時開演でも、終演は21:30。これでは、開演時刻はさもありなんと思っていたら、実際には、休憩25分を含めて3時間50分。観終わっても決して長く感じなかったし、同時に不足感はなかった。見事な刈り込み、演出と役者の力量のなせる業か。
一夜の兄弟夫婦の会話劇。登場人物は4人、いや語ることはないが母の骨壺も立派な登場人物と言えようか。観客は3時間半に及ぶ、各人の感情の起伏・変化をまざまざと見せつけられるのだが、これが壮大ともいえる愛憎劇(親子、夫婦、兄弟)。登場人物の心は、萎え・疲れ・傷つきながら、また昂ぶり・求め・張り詰める。
登場人物の演技全てにおいて満足度は高いが、観客から心の平安を奪い、ひたすら揺さぶり続けたのは、シャーロット役の栗田桃子。登場場面で、毎度クラッシャー振りを発揮。何度も拝見している役者さんなのだけれど、蟹江敬三の娘さんというのは知らなかった。血は争えないなあ。
マドロス豹十郎
ひげ太夫
サンモールスタジオ(東京都)
2019/09/25 (水) ~ 2019/09/29 (日)公演終了
満足度★★★★
鑑賞日2019/09/27 (金) 19:30
小劇場で、10歳未満の子供たちを初めて見ました。出演者のお子さんかしら。
君たち、この劇場ではねVoyantroupeも舞台やっているんだよ、そちらも観てね。
ひげ太夫は初見です。天動虫のジョニーさん目当てで来ました。
客演なのに、扱いが大きくってびっくり。ひげ太夫のような身体表現、特に組体操をわんさか取り入れた舞台には、彼女のような身体性(軽快、軽量含め)は重宝されるのでしょう。
舞台全体に通底するわっさわっさ感も、天動虫に通じるところがあるようですし。
話自体はたわいもないし、ボケやギャグも多いのですが、何か1つの物(今回は香辛料)にこだわって勧善懲悪に話を進めるのが方針らしい。
きっと初見の人が一番驚かされるのが、ほぼ全ての現象を書割や小道具なしの身体で表現すること。セリフを覚えたり、演技するだけではなく、組体操を覚えるのは目が回りそうだ。
擬音、擬態のてんこもり。とにかく楽しい舞台です。
病室
劇団普通
スタジオ空洞(東京都)
2019/09/24 (火) ~ 2019/09/29 (日)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2019/09/27 (金) 14:00
「病室」カフカの原作舞台を除くと、劇団普通の上演タイトルとしては、とにかく分かり易い。何といっても、病院の大部屋にいる4人の初老の男たちの物語なのだから。
この病室には、脳内出血や脳溢血など、脳内に病巣を抱えた人たちが入れられている。ただし症状は様々で、かなり前に発症し入退院を繰り返す者、もうすぐ退院をする者、検査の過程で癌が発見された者など。舞台は彼らの家庭状況を掘り出すようなエピソードを挟みながら進んでいく。とはいえ、その家庭状況は、ちょっと悲しく、ちょっと幸せで。しかし、敢えて個々の出来事を深く掘り下げることはしない。(長男との不仲の原因とか、娘が離婚したいと思っている理由とか)
彼らは老いを感じ、未来に不安と焦燥を抱き、過去に悔恨と反省を覚える。しかし、それほどドラマチックなことが起きたりするわけでも、絶望を伴うような悲惨な出来事が生じるわけでもない。まさに人生に起こりえる『普通』のことなのだ。
劇団普通が掲げる「なにかおきているのかもしれない、なにもおきていないのかもしれない」というテーマそのままに、何かは起きているのだが、果たして起きたといえるのかという、どこの家庭でもありうる情景描写が積み重ねられていく。
病室では、それぞれに、おそらくは来ないであろう希望的な未来について語り合う。または、家族に悪態をつきながらも見舞いに来た家族を、病室の窓から見送る。あるいは、死期の近い自身のことを泣いてばかりいる妻のことを、ぼやいてみせる。あるいは、家族につらく当たった過去を悔やみ「仏になった」とうそぶいてみる。
片岡の妻と娘が、父の茶碗の蓋を買いにスーパーに行く時の会話が、いかにもあるあるで話を身近にぐっと引き付ける。何ともおかしい。
看護師の女性と理学療法士の男性の逢瀬も、彼らの未來に待ちうける平凡な苦楽を暗示させて、この舞台に厚みを持たせている。バラ色の幸せではないけれど、不幸でもないよと。
国粋主義者のための戦争寓話
ハツビロコウ
小劇場 楽園(東京都)
2019/09/24 (火) ~ 2019/09/29 (日)公演終了
満足度★★★★
鑑賞日2019/09/25 (水) 19:00
戦争寓話」というタイトルから、この話から何を得るのか。戦争の愚かしさ、信じることの恐ろしさ、エゴの醜さ、差別意識の根深さ、まあいろいろと考えられる。
龍巳少尉が担わされる、ロケット型戦闘機によるB29迎撃作戦。過酸化水素水による過激な爆発力を用いたこの作戦自体が、かなり荒唐無稽で、山中の基地に持参してくるロケット型の模型もなんとも滑稽だ。そう、この話の設定自体がすでに現実から乖離している。
リーグ・オブ・ユース 〜青年同盟〜
雷ストレンジャーズ
シアター711(東京都)
2019/09/15 (日) ~ 2019/09/23 (月)公演終了
満足度★★★★
鑑賞日2019/09/17 (火) 19:00
座席A列4番
イプセン唯一の喜劇いうことで、とにかく100分の舞台は、1人2役(伊東弘美、野々山貴之)1人3役(石村みか)を演じる役者も含め、踊りあり歌あり、とにかく熱気満タン、猛スピードでコミカルに終盤まで突き抜けていく。それでいて、セリフが聞きとりづらい、理解できないということもないのが素晴らしい。
登場人物も多く、最初関係がわかりづらいのだけれど、舞台左右にクリソツ・ヘタウマの名前付き似顔絵が、うまいバランスで並べられており、そこに気が付けばすぐに苦にならなくなる。
本来の舞台は3時間にも及ぶらしい。登場人物の多さ・関係性の複雑さを鑑みれば、正面からの舞台化は、喜劇どころか、観客にとっての苦劇になりかねないだろう。そんなこともあって、あまり評判もよくなく、上演回数も少ないのかもしれない。しかし、今回の雷ストレンジャーズの原典の刈り込みと、演出の手際の良さが、一向に観客を退屈にさせない。
愛と哀しみのシャーロック・ホームズ
ホリプロ
世田谷パブリックシアター(東京都)
2019/09/01 (日) ~ 2019/09/29 (日)公演終了
満足度★★★
鑑賞日2019/09/16 (月) 13:00
座席3階A列21番
「愛と哀しみのシャーロックホームズ」って、何が「愛と哀しみ」なんだろうという素朴な疑問。端的に「シャーロック」とか「シャーロックホームズ」なんて題名にしたら、観劇に来る人それぞれに、内容をイメージしてしまいかねないので重しとしての冠なのだろうけれど、何か取ってつけたよう。
内容については、すでに皆さまお書きになっている通りで、正直、推理譚としてみても、ホームズ話としてもどうも物足りない。最初の犯人当てクイズから、なぜ求職した女性が20キロ太るように求められたのか、スコーンを誰が盗んだのか、ランタンゲームの顛末、そして最後のワトソンの計画。うーん、どこに「愛と哀しみ」が、、、、
ただ、俳優陣の健闘振りは賞賛もので、特に横田栄司のマイクロフトがよい。シャーロックの兄の登場となると、従来であればちょっと唐突感や人物造形に気がいって、物語に慣れるのに時間がかかっただろう。しかし、ベネディクト・カンバーバッチ版の「シャーロック」で、十分にマイクロフトの予備学習を積んだ、現在の我々は、あの嫌味で鼻持ちならず、かつ上から目線の彼を、すんなりと受け入れてみせた。登場シーンの滑稽さから、ラストの秘密のお楽しみまで、そのセリフ1つ1つに凝縮されたマイクロフト節を、横田栄司が大仰
なセリフ回しで見ごとに演じ切っている。新国立や彩の国で古典を演じ切る彼とは、全く異なる味わいがとても楽しい。
広瀬アリスも、テレビで観るようなあざとさがなく、コメディエンヌと擦れからし、そして可愛い女性の顔が、スッとこちらに入ってくる。八木亜希子もどんどん芝居が上手くなっているようだし、はいだしょうこの軽妙さも安定感が高い。女性陣の健闘が光る。
ただ、佐藤二朗は少し窮屈そう。福田雄一の元で良くも悪くも天衣無縫、好き勝手やっている感じはなく、三谷幸喜的な枠の中での芝居が求められているのがよく判る。
だから、前半の小心者のワトソン、後半のシリアスなワトソン、どちらも戸惑いが感じられて、カーテンコールで見せる弾け方もちょっと照れが入っている。これからこなれていくことに期待したい。
ホームズ好き、ミステリー好きにはお勧めしないが、好きな役者がいる、とにかく楽しい舞台を見たいという方にはお勧め。
ガリレオの生涯
こゆび侍
新宿眼科画廊(東京都)
2019/09/07 (土) ~ 2019/09/16 (月)公演終了
満足度★★★★
鑑賞日2019/09/12 (木) 19:30
開演前から、舞台上にたむろする役者の皆様。
あれ、オールフェメール劇なのかと思ったら、男性がお1人。少々、際立ちますね。
観た動機は、ブレヒト作品だから。最近、観ないですよね、ブレヒトの上演。
たまに「コーカサスの白墨の輪」、まれーに「三文オペラ」「肝っ玉お母とその子供たち」
もっとまれーに「男は男だ」「第三帝国の恐怖と悲惨」かな。
さて、ガリレオ役の館山サリさんの何と凛々しいことよ。2時間、彼女の立ち居振る舞いに魅了された。もちろん、それを成立させた、他の役者さんの存在あってであることは理解しているつもりではあるが、彼女の体躯、長髪なくして、このガリレオ像はありえない。
自信と傲慢、繊細と鬱屈、自負と猜疑、素晴らしいなあ。是非、他の舞台も観てみたい。
惜しむらくは、、
西洋能『男が死ぬ日』
Hell's Kitchen 46
すみだパークスタジオ倉(そう) | THEATER-SO(東京都)
2019/09/05 (木) ~ 2019/09/15 (日)公演終了
満足度★★★★
鑑賞日2019/09/10 (火) 19:30
座席C列4番
この日は、水道橋の室生能楽堂にて本物の「能」を観劇後のダブルヘッダー。「西洋能」、テネシー・ウィリアムズというところに興味をもってチケットを購入した。
「西洋能」と謳われておりますが、「能」としての要素は
間といい、演目内容といい、音楽といい、共通点は見られませんね。おそらくは、三島由紀夫の「近代能楽集」へのリスペクトと、ウィリアムズが「能」に観た超常的な物語(生死の端境をアメリカの近代演劇風に再構築するとこうした話も可能になるということなのだろう。
スリーウインターズ
文学座
文学座アトリエ(東京都)
2019/09/03 (火) ~ 2019/09/15 (日)公演終了
満足度★★★★
鑑賞日2019/09/05 (木) 13:30
座席1列24番
クロアチアを舞台にした女性6人、4代にわたる(2人姉妹が2組)サーガ。
1945年―戦後、1900年-ユーゴ内戦、2011年―EU加盟という3つの節目に焦点を当て、彼女たちそれぞれの生き様(価値観)を描いていく。
開幕、パルチザンの戦士として戦い将軍の恩恵を受けるローズが、軍本部に行き、戦後、親ドイツ(ナチス)派の富裕層から没収し、空き家になった住居の割り当てを受けに来る。舞台奥には、夥しい鍵の山のオブジェ。その中から1つの鍵を選び出すが、それは以前母親が、召使いとして働いていた家だった。そこに、ローズは母モニカと夫アレキサンダー、そして生後間もない娘のマーシャと暮し出す。しかし、そこには元の住人で、精神病院に入れられていた令嬢のカロリーナが、終戦のどさくさに紛れて戻り住んでいた。
最後、マーシャの次女ルツィアの結婚式、花嫁衣裳のルツィアと父ヴラドが楽しそうに皆の前でダンスを踊って閉幕。
舞台の進行は、全てローズが選んだ(意図的にだと思われる)家の2階で進行する。(1階と3階には、別の家族が住んでいる)ただ、時系列ではない。最初と最後だけが時系列のかなめになっているが、先の3つの時期が交錯する。
この舞台の素晴らしいところは、同居するカロリーナを含めた7人を、複眼的な視点・視野から過不足なく描き切っているというところ。舞台劇では難しい価値の多極化に(散漫になりやすい)無理なく成功している。
クロアチアという歴史の大河に漂う小国の運命を反映させながら、反発と家族愛を深める群像劇は休憩含め3時間を飽きさせない。
特にローザの苛烈な生き様は、舞台前半を鷲掴むように引っ張っていく。ラスト近くのアリサの家族への糾弾は、まさにローザ譲りという感も強いし、ローザの妹ルツィアのしたたかさも、ローザ譲りと言えよう。(隔世遺伝だね)
舞台奥に置かれ続ける夥しい鍵の山のオブジェは、幾つもの選択肢を眼前にした彼女たち人生の象徴なのだろう。
ただ、半世紀を超える物語だ。1945年しか出てこないローザとモニカはいいが、1945年と1990年を跨ぐカロリーナは、どうしても容姿的な制約が出てくる、寺田路恵は好演だったが、1945年で「お嬢様」と言われるのはちょと厳しい。でも、彼女は1990年にルツィアの価値観を決める大事な役どころだしなあ。若ければよいというものでもないが。
さなぎの教室
オフィスコットーネ
駅前劇場(東京都)
2019/08/29 (木) ~ 2019/09/09 (月)公演終了
満足度★★★★
鑑賞日2019/08/29 (木) 14:00
座席A列8番
大竹野正典作「夜、ナク、鳥」を(敬意をこめて)本歌取した作品といえばよいだろうか。
本歌との違いは、久留米の話が宮崎の話に変換されたとか、吉田と堤が肉体関係にあるとかの設定を除けば、主犯格吉田の扱いに大きい。「夜、ナク、鳥」では、吉田が次第に怪物化していく(あるいは怪物性を発露していく)プロセスを描いているのに対して、この「さなぎの教室」では、吉田は看護学校時代からその怪物性を発現しており(喫茶店のマスターとのやり取りや、ラストでの実習後のセリフ)、終始一貫した存在となっている。
急な出演者の降板から、演出家松本哲也氏自らが連続保険金殺人事件の主犯格吉田を演じることになったが、これは(降板した役者さんには失礼だけれど)天恵であったかもしれない。
前説で女装した松本哲也氏が出てきたときは、客席からも失笑も出た。しかし、本編に入ると、その不気味さが舞台全体を覆いつくす。松本哲也氏はその身体そのもので、吉田の怪物性を体現しているのだ。ピンクのカーディガンを着て、スキップしたり踊ったり、その仕草のおぞましさは、彼女が何者であるかの説明を一切省いている。
もちろん演技も、十分に自らの脚本を咀嚼しているから空恐ろしい。特に、自らの貧乏な生い立ちを、堤に投影させ自らの体験と同等のものを感じさせようとするやりとりは、とてつもなく怖い。こういう場合、賞をもらうとしたら男優賞でよいのだよねえ。
一昨日に桟敷童子の「堕落ビト」を観たばかりで、連続して重い。
当日、昨年オフィスコットーネ「夜、ナク、鳥」で吉田を演じた松永玲子さんが観に来ていた。
大分県中津江村にサッカーのカメルーン代表が、まだ到着していないという話は、時代性がにじみ出てておかしかったなあ。
追伸:タイトルの「さなぎの教室」、もともとは、大竹野正典さんが作成予定していた西鉄バスジャック事件の戯曲のタイトルとのこと。「さなぎという閉じ込められた空間と、教室から看護学校をイメージしたらピッタリ」と、主催の綿貫凛さんは言っているけれど、そうかなあ。ちょっとタイトルが、作品を分かりにくくしているような気がするけれど。
堕落ビト
劇団桟敷童子
サンモールスタジオ(東京都)
2019/08/23 (金) ~ 2019/09/01 (日)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2019/08/27 (火) 14:00
座席1階1列
すみだパークスタジオ倉での桟敷童子公演、舞台前面には広い横幅に厳然と舞台と客席を分けるような柵めいた仕様があって、「ここから先は芝居空間です」といった強い分断感がある。(悪いと言っているわけではなく、創作空間への強い拘りだと思っている)
しかし、サンモールの横が狭い舞台でそれをやると閉塞感が際立ちダメだと思ったのだろう、今回は舞台をオープンにして、客席との連続感を打ち出した。
時として、登場人物は舞台前の段差のところで蹲り、時としてコロス風に状況を語り、遠隔の存在感を醸し出し、登場前・後の不穏な空気を湛える。最前列の席の前を小走りで通り過ぎる役者たちの存在感は、桟敷童子の舞台では新鮮だ。
狭い舞台では、従来の同時進行的な劇演出ができないところを、登場人物たちのリズムある動きを伴った語りによって補っていく。
飛べないものは、落ちることもできない。そして飛ぼうとしないものは、飛ぶことすらできない。つまり堕落しようとするものは、高邁でなければ堕落することもできず、高邁であろうとしなければ、そうあることもできない。
冒頭、登場する八雲、村瀬、中條の3人は堕落に至ることを声高々に語り、その精神を称揚する。この辺りは若者特有の自尊心に満ち、稚拙さが愛らしい。しかし実際に堕落する権利を持っていたのは誰か?まずのポイントはここ。そして、実は堕落していくのは、この3人ではなく、、、というのが、この物語の肝。
狂人と尼僧
サイマル演劇団+コニエレニ
シアター・バビロンの流れのほとりにて(東京都)
2019/08/22 (木) ~ 2019/08/25 (日)公演終了
満足度★★★★
鑑賞日2019/08/23 (金) 14:30
100年前の演劇というとかなり古い感じがするのだけれど、この舞台に見られるフロイト批判の側面からすれば、確かに現代思想批判をなしているわけで、私たちの足元を強く意識させる。
舞台上の虚構と、舞台裏の現実。舞台では死は死ではなく、舞台の裏に一歩引き下がれば死者は生者になり、いつでもまた舞台に登場できるのだということを即物的に見せてくれる。虚構を常に現実が凌駕してしまう、演劇の可変性・脆弱性を突き付けてくるヴィトカッツィの攻撃的な姿勢は、誰が狂人なのか、聖域とは何なのかといった物語性を大いにぐらつかせ、私たち観客を混沌の奈落に落とし込む。物知り顔の観客は、解釈という行為自体も許されない。
よいものを見せていただいた。
檸檬
劇団天動虫
visionary work garage(東京都)
2019/08/17 (土) ~ 2019/08/18 (日)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2019/08/17 (土) 13:00
太宰治や島崎藤村、岸田國士の作品が、江戸川乱歩や夢野久作に縁取りされると立派なサスペンスやホラーに聞こえる。まあ、そうした心理劇を意図的に選んだということもあるんだろうけれど。こういった作劇だと、劇団員の個性を満遍なく見渡せてとても楽しい。
齋藤さんのコケティッシュだが得体のしれない妖しさ、岩井さんの禍々しい力量感、七音さんの腹に一物を抱えた背徳感。それぞれに良かった。2時間という長さも、バリェーションと、適度な作品の刈込で飽きることなく楽しめたし。「押絵と旅する男」「赤い部屋」というチョイスもちょっと意外だけれど、よかったと思う。大きな箱があったので(とはいえ人が入るには小さかったけれど)「お勢登場」か「人でなしの恋」かと思ったのだけれど。
夢野久作は、劇団の特性からして「少女地獄」の「火星の女」か「何でもない」かとも。
肉体だもん・改
劇団ドガドガプラス
浅草東洋館(浅草フランス座演芸場)(東京都)
2019/08/17 (土) ~ 2019/08/26 (月)公演終了
満足度★★★★
鑑賞日2019/08/19 (月) 19:00
座席1階1列
想いは叶う。まずは、ビールジャンケン勝利!ご馳走様でした。
楽しませていただきました。踊りあり、歌ありの舞台は、夏の華。スタイリッシュで、胸の谷間とスカートに映えるアンダーショーツは浅草、フランス座名残。
確かに話としては、『ベビードール』と『血桜団』の対立構図はよく判らなかったけれど、まあ良しとしましょう。楽しかったから。
松山クミコの啖呵は、戦後生き抜く愚連隊の粋。苦しみも強がりも、慟哭もアクションも、もっともっと破壊的な突き抜けを次回は期待。丸山正吾の狂気の分が、今回は足りなかったかなあ。方向性に間違いはない。ただただ突破あるべし。
次回は冬公演ですね。また伺います。
スィートホーム
劇団俳協
TACCS1179(東京都)
2019/08/16 (金) ~ 2019/08/18 (日)公演終了
満足度★★★
鑑賞日2019/08/16 (金) 19:00
アンケートしっかり書いたのだけれど、古川健のシナリオについてばかり書いてしまった。本来、無料公演である理由は、準劇団員の皆様の芝居を観て評してもらうことが目的なので、後で大変失礼したと思った次第。そこで改めて。
Aチームを観劇。
こうした若手の皆さんを観る際、どうしても問題になるのが、年配役。祖父母を演じる2人は、かなり難しかっただろうと思う。通しで祖父を演じる石井喜光、祖母役を2舞台演じる男澤理紗。男澤理紗は、無理のない演技。一方、孫を溺愛するお婆さんというのは、可愛さを出せるので若さが邪魔になるとも言えないのだけれど、苦悩するお爺さんというのは、どうしても年輪を感じさせるという意味でかなり難しい役どころだと思う。その意味で石井喜光はよく演じ切っていったと思う。観たのが初日だったけれど、あそこまでこなせていたので、最終日にはどれだけ化けていたのだろう、気になるなあ。
矢田海渡の演技は鉄板。ただ絶対に完璧にできたはずなので、初日とはいえ演じきって欲しかったな。噛むような素質じゃないでしょうに。
板垣果那はプロフィールの印象とは打って変わった重みのある演技。
鈴木健太郎は、もっともっと幅が見せられると思うんだけれどなあ。役に落ち着きすぎて、ちょっと物足りない。
この舞台で一番損な役回りは、父親役。母親と祖母の確執のような見せ場もなく、祖父の苦悩もなく、少年のような心情の変化もなく、医師のような話を転がす楽しみもない。
そんな中で、父役の小池敏之が一瞬で魅せたのは、ストップモーションになった時の表情。笑っているのか、困っているのか、苦しんでいるのか判らない、ただただ観客を戸惑わせるような表情。あの口元はどうやって作った???鏡見て考えたのだろうなあ。凄みを感じさせたと言っては言いすぎかな。
最後に、お爺さんのズボンの裾、きちっと合わせようよ。金持ちの家で、折り返しはないよ。
古川健の脚本としてはかなり物足りない。タイトルと内容のシンクロがベタだし、落としどころも平板。ラストはそうなるよなあ、という感想。
名探偵ドイル君 幽鬼屋敷の惨劇
糸あやつり人形「一糸座」
赤坂RED/THEATER(東京都)
2019/08/08 (木) ~ 2019/08/12 (月)公演終了
満足度★★★
鑑賞日2019/08/12 (月) 14:00
座席c列11番
一糸座の舞台は、「天願版カリガリ博士」「ゴーレム」「カスパー」と主催、客演限らず
妖しめの作品は逃さず、観るようにしている。初見の「天願版カリガリ博士」は糸あやつり人形劇団とは知らずに、フライヤーとタイトル買いして、後で人形劇と知って「しまった!」と思ったことを覚えている。しかし、人形と人間のコラボが意外としっくりと来て、あのカリガリ博士の世界観が、うまく表現されていて感心した。この勘違いがなければ、一糸座をまず観なかったと思う。
今回はその天願大介演出、そしてミスターカリガリ博士こと十貫寺梅軒出演で、面白くないはずはないと観劇。ただし、この舞台、説明書きにあるようにミステリーではない。内容的には「ドクターモローの島」で、なぜ博士は人体改造に勤しむのか、というところが話の柱。そこに、運命というものはあるのか、それは可変可能なものか、というメインテーマがかかってくる。
マッドサイエンティストの親娘の対峙、そして狂言回し的な後藤郁、亜矢乃お二方のドタバタが見どころ。あ、そうそう、十貫寺梅軒の蟹江少年の笑い満載の超絶演技を忘れてはいけない。確かに楽しめる作品だと思う。
しかし、物語そして芝居として観ると、構成の取っ散らかりは半端ではない。挿入される2編の人形劇は、一糸座の実力をよく見せてくれて、素晴らしいと思うが、本編とは全く関係ない。話の方向性や舞台上での役者の所作は、ともするとグダグダになりかかり、話自体に新味もキレも見られない。舞台上でゴロゴロしているに過ぎない場面も見られた。
どうしたの天願大介?けして悪くないんだけれどなあ、、、、