満足度★★★★
鑑賞日2019/08/29 (木) 14:00
座席A列8番
大竹野正典作「夜、ナク、鳥」を(敬意をこめて)本歌取した作品といえばよいだろうか。
本歌との違いは、久留米の話が宮崎の話に変換されたとか、吉田と堤が肉体関係にあるとかの設定を除けば、主犯格吉田の扱いに大きい。「夜、ナク、鳥」では、吉田が次第に怪物化していく(あるいは怪物性を発露していく)プロセスを描いているのに対して、この「さなぎの教室」では、吉田は看護学校時代からその怪物性を発現しており(喫茶店のマスターとのやり取りや、ラストでの実習後のセリフ)、終始一貫した存在となっている。
急な出演者の降板から、演出家松本哲也氏自らが連続保険金殺人事件の主犯格吉田を演じることになったが、これは(降板した役者さんには失礼だけれど)天恵であったかもしれない。
前説で女装した松本哲也氏が出てきたときは、客席からも失笑も出た。しかし、本編に入ると、その不気味さが舞台全体を覆いつくす。松本哲也氏はその身体そのもので、吉田の怪物性を体現しているのだ。ピンクのカーディガンを着て、スキップしたり踊ったり、その仕草のおぞましさは、彼女が何者であるかの説明を一切省いている。
もちろん演技も、十分に自らの脚本を咀嚼しているから空恐ろしい。特に、自らの貧乏な生い立ちを、堤に投影させ自らの体験と同等のものを感じさせようとするやりとりは、とてつもなく怖い。こういう場合、賞をもらうとしたら男優賞でよいのだよねえ。
一昨日に桟敷童子の「堕落ビト」を観たばかりで、連続して重い。
当日、昨年オフィスコットーネ「夜、ナク、鳥」で吉田を演じた松永玲子さんが観に来ていた。
大分県中津江村にサッカーのカメルーン代表が、まだ到着していないという話は、時代性がにじみ出てておかしかったなあ。
追伸:タイトルの「さなぎの教室」、もともとは、大竹野正典さんが作成予定していた西鉄バスジャック事件の戯曲のタイトルとのこと。「さなぎという閉じ込められた空間と、教室から看護学校をイメージしたらピッタリ」と、主催の綿貫凛さんは言っているけれど、そうかなあ。ちょっとタイトルが、作品を分かりにくくしているような気がするけれど。