満足度★★★★★
鑑賞日2019/10/22 (火) 14:00
座席B列10番
アフタートークを終え、玄関横でパンフレットを購入。帰りの電車の中で読み進めるが、これはちょっと残念。この作品の舞台が、アーミッシュという集団であり、その宗教的な特殊性や風俗などには強い関心が払われるのは当然だし、そのドラマもアーミッシュであることに起因することからすれば、必然的にアーミッシュ理解に地歩が置かれてしかるべきだろう。しかし、所狭しとアーミッシュの平和主義や伝統重視の生活様式に、教訓を求める文書が出てくるのは、正直辟易させられる。(求めたい人は、そうすればよいが)
このドラマは、「アーミッシュであっても」というサジェスチョンが付く限りに留まるべきで、実のところ、描かれているのは親子の確執、夫婦の愛情、世代間対立、伝統と革新、戦争の不条理、文明の進歩、グローバル化といった普遍的なテーマである。
アン・チスレットが、アーミッシュの村落に足しげく通い、その集団を題材にした物語を書いたのも、自分の描きたかったものを底から見つけ出したにすぎない、という見方は間違っているだろうか。
さて、舞台は休憩含む2時間40分。第一幕は主人公ヨックが父親との対立の果てに自宅を出て戦争に向かうまで、この第一幕では、ヨックの人間関係からアーミシュの生活様式、慣習、信仰の内容までが丁寧に描かれており、第二幕での親子の邂逅、元恋人との再会などの山場にうまく繋げている。時間の長さを一切感じさせない、きめ細かい作りだ。
舞台を引っ張っていくのは、長老役の津田二朗と、司祭役の米山実のご両人。司祭にとって、アーミッシュとして生きていく頑なさとは信念でもあり、自分の生を全うする原動力でもある。一見柔和に見える長老も、強い意志を持って村を守っていこうとし、司祭の苦悩に寄り添うだけの度量を持っている。ヨックの苦悩と挫折が色濃い物語だが、真の主役はこの二人と言っても過言ではないだろう。舞台はこの両家の内部と周辺をもって描かれている。
過不足のない、意外とスマートな舞台、飽きることなく、そして深く感動した。
他では、戦争で息子が足をなくして酒浸りになる父親役(アーミッシュではない)の藤原章寛がよい。最初の登場シーンから醸し出される、アーミッシュへの理解や共存意識が、あそこまで捻じれてしまう姿は見ていて哀れを誘う。
なお、亡くなったヨックの母親サラは、同劇団の団員、長束直子さんをイメージして皆演じていたそうです。(アフタートークより)