ラ・マンチャの男【2月8日~12日、2月17日~28日公演中止】
東宝
よこすか芸術劇場(神奈川県)
2023/04/14 (金) ~ 2023/04/24 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
これは白鴎の祝狂言だ。千三百回も同じ役で、しかも日米で大劇場で主演したという記録はめったに現れるものではない。見ておかなければ、と初めて横須賀まで出かけた。
よこすか芸術劇場は都内でも数少ないびっくりのオペラハウスで客席5階まである。その上、フォーラムなどに比べたら、見やすい客席になっていて一階でも30列ほどに抑えられている。おかげで、後ろから五番目くらいの席でも、白鴎の最後のドンキホーテをしっかり見られた。
「ラマンチャの男」のブロードウエイ初演は1965年。五年六ヶ月のロングランで、そのうち1970年の60ステージを当時26歳の市川染五郎が単身渡米して主役を演じている。そのきっかけは前年69年の日本初演(帝国劇場)での好評だった。以後、周囲は次々と変わっていったが、主役のセルバンテス/ドンキホーテ役だけは、市川染五郎から松本幸四郎、白鸚と名前は変わっても白鸚ひとりが演じ続けてこのファイナル公演を迎えた。日本の演劇史上も希有な演目となった。
最初はテレビドラマから始まったこのミュージカルは、当時よく使われていたメタシアターの劇中劇の構造を使った基本的には小ぶりな作品である。
舞台は、セルバンテスが「ドンキホーテ」を書いたのは教会冒涜の咎で入牢中だったという史実を元に、捉えられたセルバンテスが囚人たち(囚人のボス/上條恒彦)に遍歴の騎士/ドンキホーテの物語を聞かせるという枠組みで作られている。
セルバンテスをモデルにした田舎鄕士キハーナが、獄につながれる現実と、自らを守るために囚人たちに役を振り、自らも作中人物/ドンキホーテとなって演じる見せる劇中劇の二重構造になっている。柱としては、汚れ果てた現実社会の権力構造に対して、戦いを続けようという単純な正義感がおかれているが、戦う人ドン/キホーテの周囲に王女と妄想される売春婦アルドンサ(松たか子)忠実な下僕サンチョ(駒田一)囚人のボスなどの市民を置き、メタシアターを生かしたドラマになっている。
ミュージカルナンバーの主題歌「見果てぬ夢」はポピュラーソングとしても流行った。あとは「ドルシネア」松の小曲の{どうしてほしいの」や「アルドンサ」も歌のうまさでいい彩りになっている。
俳優としての松本白鸚にとっても生涯演じ続けるという希有な経験をもたらした。伝統芸能の家に生まれて、周囲に似た経験のある俳優たちが居たこともあったのだろうが、伝統演劇と現代劇ではワケが違う。乱暴に例を挙げれば、伝統演劇には演ずべき型があるが、現代劇には型がない。白鸚は近年の上演では自ら近代劇的な「演出」も担って、公演を重ねるごとにさまざまな変化がある。今回のファイナル公演の白鸚は80歳、さすがに足腰の衰えは舞台に出ている。二十歳代と同じ演技は出来ない。型で乗り越えようとしているところもあるが、それだけではない。最初は、大丈夫かと思いながら見ていたが、終盤、主題歌の「見果てぬ夢」になった。「道は極めがたく、腕は疲れはつとも、遠き星を見つめて我は歩み行かん」。死を目前に自覚した白鸚がまさに地で行っているように立ち上がる。「たとえ傷つくとも、我は歩み行かん。永遠の眠りにつくそのときまで」型になる。
ひょっとしてここまでのよろよろぶりはファイナルのためだったのかもしれない。こう言う役作りは歌舞伎にもあるから、白鸚はここでもそれを自分の年齢と体力も考慮してやって見せたのである。白鸚ならやりかねない。何しろ、自分に娘が出来たときにこの芝居にちなんで紀保と名付けるような役者なのである。
これはそう言う芝居ではない、メタシアター作りの現代劇で、そのためには、前半のセルバンテスが型でしのいでいるのはいかがか、という意見はあるだろうし頷けるが、それも含めて演劇の多重的な楽しみがある祝狂言なのである
松たか子(アルドンサ/ドルシネア)は、舞台の上では父親の分まで大活躍である。そういえば、松が初めてドルシネアを演じた舞台を帝劇(2002)まで見に行ったことがあるなぁと思いだした。それからも二十年たっているのだから、月日のたつのは早いものだ。東宝ミュージカルを地道に支えてきた上條恒彦も神妙に務めている。ファイナル公演はオケも結構分厚いし、表は東宝が仕切っているらしく、横須賀が似合わない黒服が場内整理をしている。すべて祝狂言らしい。
しかし、このミュージカルは珍しくしっかりメタシアター作りになっているから、小劇場の手にかかると、また別の仕上がりもある本でもある(先頃上演の木ノ下歌舞伎の櫻姫と同じ趣向である)。あまり遠くない機会にそう言う舞台も見られたらと思うが、それまではこちらの命もおぼつかない。それは演劇の宿命だが、そう言う芝居に出会えたのは見物の幸せというものであろう。
ブロッケン
ゴツプロ!
新宿シアタートップス(東京都)
2023/04/21 (金) ~ 2023/04/30 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
最近、この手の騒々しい舞台は少なくなった。乱暴で我を通すだけの父(塚原大助‘)に育てられた娘(前田悠雅)が、その乱暴な生き方に耐えられず家を出て、すでに別れている母(岩瀬顕子)のもとに身を寄せる。父には叔父になついている弟(高畑裕太)がいる。父は会社勤めをしているがいつも上司(泉知東)を困らせてばかり。父は弟とも、仲違いしていて相撲で決着をつけようと迫っている。折しも、一族ではまっとうな叔父が交通事故で亡くなって・・という展開で、以後は通夜の客モノになっていくが、キャラクターの置き方も話の展開もかなり乱暴で、物語のスジはなかなか飲み込めない。
出来損ないと言ってしまう評者も出てきそうだが、この、全く今までの夫婦・親子関係にはないようなドライな環境に生きていく一家はいかにも現代の片隅にはありそうなリアリティがあって捨てがたい。思わず笑ってしまうような無茶ぶりの中に、今の社会の生きづらさが潜ませてある。母子を演じる岩瀬顕子と前田悠雅が新鮮な演技で新しい現代社会を生きていく女性を演じる。前田悠雅は「花柄八景」で見せた叙情性を捨てて強く生きる。
このグループ・コツプロは初めて見たが、どういう方向なのかよくわからない。演出の西沢栄治はたしかつかこうへい系で、その影響は見えるが、この先は解らない。脚本も部分的にはなかなかうまいな、と思うところもあるが、全体としては収拾がついていない。シアタートップスは幕内らしい男女の客で8割の入り。
あたしら葉桜 東京公演
iaku
三鷹市芸術文化センター 星のホール(東京都)
2023/04/15 (土) ~ 2023/04/23 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
母娘の嫁入り前の娘と母の会話劇二題。前半40分は岸田国士の「葉桜」台詞朗読、後半40分は同じ素材を横山拓也が書いた掌編。ちょっと面白い趣向で、テキストも岸田国士のママの会話朗読と、時代も現代の横山脚本を並べてみると、日本の底流に流れる女性のジェンダー問題をよりよい状況に進めるのはなかなか難しいとも思う。しかし、これはキャンペーン・ドラマではない。時代を超えて、家庭から巣立っていく女性のドラマを切り取って見せている。
岸田の台詞に込められた母娘の心情は、よく見る家庭ドラマとは言葉に込める広がりが違うし、横山ドラマの娘の巣立っていく先を「男勝り」という台詞を一つ振っておいただけで、あと二人の関係を隠して進めていくあたりは、ひねりがきいて面白い。横山らしくいつに変わらぬ芝居作り巧者である。
しかし、この舞台は、いつもの横山作品の世態のリアリティがとぼしく、かなりぎごちない。それは多分「言葉」が原因だ。女優二人はずいぶん頑張っていて責めるのは酷だが、やはり、岸田国士の昭和前期の東京山の手言葉は手強い。現実に今東京でも使う人は居ないのだからテキスト通りが出来れば良いじゃないかと言うかもしれないが、今でも相手が使えばたちまち東京弁で会話する人たちを私は知っている。言葉の表面以上のニュアンスが込められるのは、会話する者にとっても快感なのだ。その上にこの岸田のドラマは成立している。演劇界でも使い手は少なくなったがそれでも幾人も居る。大阪弁も同じだろう。これが大阪でも中流以上と見える言葉だろうか。例えば、谷崎の書いたような関西言葉が死滅して、このような言葉だけが通用しているとは思えない。その言葉の上にこの母娘の葛藤は成立しているし、リアリティが確保されている。
そこが行き届いていないところが残炎だった。三鷹星のホール満席だった。
クラブ
ウォーキング・スタッフ
シアター711(東京都)
2023/04/13 (木) ~ 2023/04/20 (木)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
オーストラリアの豪州ルールのサッカーチームの内部争いの話。こう言う競技があることも知らなかったが、これは外国人が日本の相撲部屋の相続問題を聞くようなものだ。細かいニュアンスはわからないが、世界中どこの会社でも家族でも地域サークルでもある話なのだろう。長い伝統のあるサッカーチームのクラブの元経営者、新しく金を背景に乗り込んだ現経営者、彼が連れてきた名選手、成果を出せていない監督、このもめ事の調停役の経営コンサルタント?の直面する内部抗争である。要するに誰が最終的な決定権が持てるかという話で、日本の時代劇と同じ構造である。
和田憲明はこう言う話は得意で、過去にはこの劇場で「三億円事件」を大きな演劇賞が取れるような形にして見せた。今回も、話の緩急の付け方も演技の急テンポの追い込みもベテランのうまさなのだが、肝心の脚本に抗争の紆余曲折以上のものがない。
キャストは小劇場のベテランばかりで2時間喋り続け、動き続きなのだがボロを出すこともなくまとまっている。何か、「三億円事件」のように日本人の琴線にふれるところがあれば良かったのに、とこれはない物ねだりだ。
けむりの肌に
キ上の空論
CBGKシブゲキ!!(東京都)
2023/04/07 (金) ~ 2023/04/16 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
劇場は2・5ディメンションの興行のように入り口にグッズ売り場やリピート客のチケット売り場が大きく売り場を広げている。客はほとんどが高校上級生から大学生らしき若い女性客。初めて見る劇団で、しまった!と思ったが何事にも初見はある。数人の男性客もいることを確認して見始めると、意外に友人が自殺したことを巡るイマドキのストレートな青春群像ドラマである。しかし、見ている内に、どこかで見たという既視感が拭えない。さて・・と考えていると、結構登場人物の設定が細かく、同じような俳優が次々と出てくるので訳がわからなくなりそうになる。
しかし、何でも言葉で説明しないと人間関係が築けないとか、閉鎖的な自己中が蔓延しているとかの現代若者風俗は、会話やストーリーの組み方、セットのつくリからも解る。達者なもので、これでグッズが売れるなら、この薄い(ほぼ五割弱の入り)観客層も捨てたものではないかもと思っている内に一時間55分の芝居は終わった。
既視感の元は本谷有希子と「た組」の加藤拓也である。若者を素材にしてもテーマの置き方もストーリーの作りもとも何何枚も上の作者たちである。彼らの舞台より高い料金(7500円)をとるなら、どこかで彼らを超える青春の発見がなければダメだろう。
Musical O.G.
劇団NLT
博品館劇場(東京都)
2023/04/11 (火) ~ 2023/04/12 (水)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
タイトルは「オールドガールズ」である。歌舞伎町の最後のキャバレーが閉まる。そこで歌っていた二人の老女たちの酒と歌と人生を、タカラヅカのトップスターの一人であった旺なつきと、NLTの女優・阿知波悟美による二人芝居のミュージカルショーにした。五年前にスタートして全国を回り、二百回を超え、いよいよ大千秋楽という。博品館劇場、珍しく満員。
十分ショーの目的は果たせためでたい興行である。劇場は下は五十歳くらいのかつてのファン層を中心に老人層の男女で埋まっている。意外に昭和の既成曲は一曲もなく、すべてこのミュージカルのための新曲である。あまり歌いにくそうな曲もなく(曲想は古い)、ストーリーも歌詞もありがちのものだが、それだけに安定してこの劇場に集まった客が十分楽しめるように出来ている。一時間45分。
銀座の端のおもちゃ屋の上にあるこの小劇場らしい演目がひっそりと二日間だけ開くというのはなかなか東京らしい素敵なことだとも思う。かつてこの劇場が開場した頃、オンシアター自由劇場がコクーンに行く前の常打ちにしていた頃がある。ここで見た「上海バンスキング」や「もっと泣いてよフラッパー」は五十年後の今も時代を代表する名演だったと思うし、この劇場も深く心に残っている。劇団員のバンドと日出子や余貴美子の歌で華やかに送り出されたロビーも今はくすんでいるが、ここであの一時の青春があったと回想できるのは、劇場にとっても観客にとっても生きる幸せというものだろう。
帰ってきたマイ・ブラザー【仙台公演中止】
シス・カンパニー
世田谷パブリックシアター(東京都)
2023/04/01 (土) ~ 2023/04/23 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
この顔ぶれでこういう楽しめるショーを作るのはとても難しい。シスカンパニーならではの仕事である。
ストーリーは他愛ない。四十年ぶりにかつて兄弟コーラスで少しだけ当てた四人が再会して舞台に立とうとする。忘れがたいファンもいてそちらは女性の姉妹。興行を企むのは昔のマネージャー(寺脇康文)、さてどうなる、と言う使い古した枠組みのコメディなのだが、一癖ある演劇スターを四人並べて、いつもはテレビでも舞台でも主役の俳優たちが、大衆演劇のような役回りを演じる。もちろん、役の表現も、演技のテンポも、掛け合いの面白さも段違いだが、みな肩の力が抜けていて楽々とショーを楽しんでいるように見える。それぞれ見慣れた役どころ、おなじみのウケどころを封じていて、ここだけのショーになっている。ことにめったに舞台に出ない水谷豊がほどよい座長役(長男の役)をつとめて、これはこの芝居の観客の眼福だろう。
脇役陣三人の大車輪も大いに四人を引き立てている。
結局は、戦争前ではあるまいし、と悪たれをつきたくなるような、兄弟愛は人間の永遠の絆、というようなテーマに落ちていくのだが、これを現代で堂々と通用させているところがたいしたものなのである。(私は佐々木邦の兄弟ものを思い出した)
コロナ開けにはもってこいの興行でさすがに20歳代以下の人たちは少ないが、世田谷の小屋だけあって男女の成人客で三階まで満員、補助席まで出る大入りであった。
ブレイキング・ザ・コード
ゴーチ・ブラザーズ
シアタートラム(東京都)
2023/04/01 (土) ~ 2023/04/23 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
コンピューターの実用化に大いに貢献したイギリスの数学者チューリングの伝記で、すでに映画にも何度かなっていて第二次大戦下ナチの暗号破りから始まる話も、ゲイが犯罪だった時代の話も面白い。三十年以上前に西武劇場で四季が上演したと言うが、演出も演技も全く違うものだったろう。今回は今の時代にふさわしい見所のある現代劇になっている。
まず、主演の亀田佳明。ゲイの天才の特異なキャラクターを演じきった。イギリスの演劇界はゲイだらけだから脚本も周到に書いてあるに違いないが、そこを汲めるだけ汲んでお見事。日本の舞台ではじめてリアルなゲイを見た。(形を真似ていると言うことではない。演じきっているということだ。最後のギリシャまで行ってゲイの若者を買うところのリアルな安堵感などたいした表現力だ)。脇役陣も健闘。
二つ目。演出の稲葉賀恵。終始緊迫感が途切れない。ワンセットをうまく使い回して全く違う場面をさして説明もなくつなげていく。それがすべてよくわかる。俳優の出入りを八方から登場するように作ってあって、テンポが良い。陰湿になりやすい実話ベースの話だが、ドライなタッチで、国家と個人、ゲイの差別、家族、などのテーマを浮き立たせる。とにかくうまい。
三つ目。スタッフの息が良く合っている。こう言う演出だと、美術、照明はじめ舞台を支える裏方のスタッフの息が合わないと悲惨な出来になる。2時間50分(休憩15分)
残念と言えば、さすがに本が50年前で古く、今なら、もっと一言で素人に解るコンピューターの仕組みなど台詞に出来たろうに、(例えば、チャーチルの擁護の中にしのばせるとか)数学とコンピューターの推論の説明のところがわかりにくい。良い芝居なのに8割強の入り。空席があった。
グッドラック、ハリウッド
加藤健一事務所
本多劇場(東京都)
2023/03/29 (水) ~ 2023/04/09 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
アメリカのよくあるウエルメイド・コメディ。
すっかり売れなくなった脚本・監督(加藤謙一)が、会社の事務室で首をくくろうとしていると、そこへ、向かいの部屋を割り当てられた新人の契約脚本家(関口アナン)が部屋を間違えてやってくる。昔は少しは名作もある監督だが、頑固でうるさ型、時代からも取り残されてしまっているのだが、映画への情熱は消えない。助手(加藤忍)に慰められ、若者の提案に乗って、自分は陰に回って、自分の脚本を若者を表に出して実現させようと仕組む。なんだか、こんな話、マキノノゾミにあったなぁ(漫画家の話)と思いながら見た。
いろいろあって映画はできあがるのだが、老若二人は仲違い。しかし老監督は仕事をしたことで元気を取り戻しす、といういかにもカトケン好みのアメリカ的なコメディである。
加藤謙一はほとんど2時間台詞だらけなのに初日から全く噛むこともなくうまいものだ。
しかし相手役がいかにも非力で、安心して笑っていられない。加藤に対しきっちり若さで対峙しなければ面白くない若者新人の役は関口には荷が重すぎるし、加藤忍はこの事務所が生んだ良い女優だが、ベテラン中年女性を演じるには年齢が半端になってしまった。そういえば、加藤謙一も、つかこうへいの後、「審判」や「寿歌」をやった頃のちょっと不気味な迫力がなくなって、うまいだけの中年の俳優になってしまった(戯曲によってはどんな役も出来ると若い頃を知っているものは期待する。しかし、事務所を背負っていると、それは出来ない)。それはそれでいいのだが、芝居で生き抜くのはなかなか難しいとも思った。いずれは「バリモア」なんか、うまくやってのけるのかなぁ。演出・チョコレートケーキの日澤雄介というのも期待してみたが、格別どうというところもなかった。アメリカのウエルメイドというのはなかなか手強い「橋田壽賀子的なもの」を持っているのかもしれない。初日で六割強の入り。やはり中年女性が主。
四兄弟
パラドックス定数
シアター風姿花伝(東京都)
2023/03/17 (金) ~ 2023/03/26 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
ロシアの帝制が倒れた後、どうしてプーチンが出てきたか、というドラマである。時折、この作者は奇想天外な着想でドラマを作るが、これもその一つだろう。
笑いながら面白くは見たが、どだい思想を兄弟に見たてて擬人化するのは無理がある。
昔社会学の入門で、社会の構造を血縁関係の「基礎集団」とそのほかの対人関係で出来る「機能集団」が社会学の基礎と習った。高校では教えられなかった考え方で面白いと知った。このドラマはその辺が一緒になっていてすっきりしない。
人形劇ならともかく、人間の俳優が演じるのだから、寓話、マンガになってしまう。
個人が戦争だ!と叫ぶのと、実際に開戦するのは全然違う人間の社会である。。
共産主義による全体主義(レーニン)、農本主義(忘れた)、ソ連式(スターリン)、海外協調のプロパガンダ(ゴルバチョッフ)、それぞれ体現したようなキャラクター四兄弟だが上滑りしていていてリアリティに欠ける。ことに現在戦争中(殺した父のピヨトーる大帝の父帰りのプーチン)の当事国だけにその辺の配慮も公開の演劇である以上、やっちゃいました!では無責任にも思う。ベストセラーの本ではないが、もう少しリアルな設定で作れば納得できるところもあったのに、と残念。(ソ連の評価は20世紀の大きなテーマであることは承知しているが、これではね)
四兄弟
パラドックス定数
シアター風姿花伝(東京都)
2023/03/17 (金) ~ 2023/03/26 (日)公演終了
バリモア
無名塾
THEATRE1010(東京都)
2023/03/16 (木) ~ 2023/03/23 (木)公演終了
実演鑑賞
仲代達矢が一幕50分、休憩20分の後二幕30分、一人で、バリモアという老年のシェイクスピア役者の独白を演じる。設定としては、久しぶりに舞台に出るので、昔覚えた台詞を入れ直すのでプロンプター(影で表には出てこない)を呼んで、その彼とのやりとりというを設定になっている。
とにかく、90歳の仲代がみもの。さすが長年主役を張ってきただけのことはある。商業演劇系のスター役者だとこういうときには客への甘えが出てそれに頼ってしまうのだが、気張らずにこの落魄の老役者を飄々と演じる、とちりもなければ、動きもしっかりしていて、さすが新劇の役者である。それにつきる舞台で、内容はどうと言うことはない。これだけ出来るなら、もう少し難しいものをやってみてほしかったとも思うがそれは客の勝手な注文だろう。採点しては失礼になる。一時代を画した名優を生で見るのも、これが最後かもしれないと感慨がある。
ヨブ呼んでるよ -Hey God, Job’s calling you!-
鳥公園
八王子市芸術文化会館いちょうホール(東京都)
2023/03/17 (金) ~ 2023/03/19 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★
一言で言えば、電車賃返せ!の出来である。
八王子市の公共芸術財団が、鳥公園の劇団主宰者を市に住まわせて緩やかな連帯関係の中で八王子で制作したという作品。昨年の秋に庭劇団ペニノが(吉祥寺シアター)で上演した関西で同じように地方の公共団体と組んだ「笑いの砦」が、出来もその後の展開も大成功だったのでこちらはどうだろうと見物に行った。
うまくいかなかった理由はいろいろ考えられる。まず、作者が八王子とどう関わって、その地の文化・生活とどう切り結んだかが全くわからない。芸術は違う、というだろうが、芸術をこう言う座組でやる以上、これでは食い逃げではないか。二つ目。作品の出来が良くない。青年団系らしく、グニャグニャとあちこちに甘えながらやるのは良いとしても、これではまるでチェルフィッチュの亜流で、幕が開いたとたんにチェルフィッチ流の演技があって、げんなりした。スタイルをまねるのは演劇では一つのやり方だが、チェルフィッチュガ考え抜かれているストーリーと演技スタイルなのに、こちらは上っ面しか見ていない。演技に統一性がない。三つ目。ストーリーが通俗すぎる。週刊誌並の話ではいくら気取ってやってみても、観客の胸に落ちていかない。作者が物事を見ている目が通俗すぎる。それは舞台作りにも顕れていて、手に負えなくなると大音響の音でごまかそうとしたり、意味なく天井からものを降らせたりする。さらに言えば、レジデンシャルアーティストというなら、この劇場で公演をやったことにも疑問がある。このスペースは地方公共団体のどこにもある市民ホールで、このように作り込みの必要な「演劇」を上演する場ではない。ここしかなかったのだろうから同情するが、このスペースがこの芝居に合わないことは、地元に人にしっかり説明できなくては共同制作にはならないだろう。この作品でも、下北澤かアゴラあたりの小劇場で見れば、青年団系劇団作品として見る観客もいて、評価は出てくるだろう。そういう作品の周囲をよく見る努力が、これから増えてくるであろう地方の公共団体のスポンサー作品には不可欠だと思う。入りも半分程度だったのは八王子の鑑賞能力が低いと言うことではない。
マリー・キュリー
アミューズ
天王洲 銀河劇場(東京都)
2023/03/13 (月) ~ 2023/03/26 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
キューリー夫人の一代記を韓国製ミュージカルにした。二十分の休憩含み2時間45分
夫人は超有名科学者だからその人生はよく知られている。その一生は、現代にも通じるテーマ満載で、主だったところでは、ポーランド出身者への民族差別、女性科学者へのアカデミズムの差別。科学とその実用化のモラル、科学の人体での実験モラル、日本人にとっては放射能科学の先駆者が自身も放射能被曝のために死去したこと、わかりやすい世界的名声などだが、このあたりを、本は古いタイプのミュージカル本の型どおりのパターンで作っている。その人生そのものが波瀾万丈だから見ていて飽きないが、現在の世界の課題と関わると偉人伝だけではすまなくなる。そのつめは結構甘く、難しいところは詰めずに八方うまくまとめた韓国製で物足りない。
スターとして確立している俳優は出ていないが、皆一生懸命にやっていて動きも歌も無難だが、突き抜ける天才の話としてはおとなしすぎる。主役の四人だけ(キューリー夫人:愛華れいか(タカラヅカ娘役出身))、夫:上山竜治、起業家:屋良朝幸、娘:清水くるみ)が持ち役で、そのほかは九人の男女のカンパニーダンサーが、さまざまな役をこなしていく。ほとんどノーセットの舞台をこの手のミュージカルはお得意の演出鈴木裕美が手堅くまとめている。キャストを考えれば、よく出来ているのだが、本がとにかく安全なところでまとめてしまい、曲も今の英米ミュージカルを見ていると曲想も古くオセンチな曲が多い。アミューズの中堅おさらい会である。
掃除機
KAAT神奈川芸術劇場
KAAT神奈川芸術劇場・中スタジオ(神奈川県)
2023/03/04 (土) ~ 2023/03/22 (水)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
岡田利規という劇作家は、自分には世界がこう見えている、と脚本・演出して舞台を作ってきたように思う。その唯一の風景が的を射て、たちまち平田オリザ一派の通俗現代風俗劇を押しのけてしまった。アーティストとして時代を見る実力がある。
今年はその岡田が書いた戯曲を本谷有希子に演出を任せたり、自分で書いた脚本に依らずに木ノ下歌舞伎で演出した。注目の舞台である。
「掃除機」はまず2019年ミュンヘン・カンマーシュピーレ劇場に書き下ろし自ら演出した作品『The Vacuum Cleaner』(ドイツ語上演)で上演したものを、初めて母国語で上演するという珍しい公演でもある。
「未練の幽霊」のように、今回も「もの」が登場する。今まで「道具」としてしか登場しなかった「もの」も確かに人間の日常に入り込んでいて、それなりの機能を持っている。冒頭、自走掃除機にのって「掃除機」(栗原類)が、その機能の意味を語る。これがなかなか面白い。舞台はスケートボードの競技場のように曲線になったスロープでこれが、80-50問題そっくりの家族構成の家庭である。すでに中年になった娘が引きこもっている二階に相当するスロープには、ベッドが転げ落ちんばかりに置かれているし、そのむかいにある老親(男)(モロ師岡、俵木藤汰、猪股俊明、三人が次々に登場して一つの役を演じる。ここには個性はない)の籐椅子は半分舞台に埋もれている。この舞台の登場人物は、ハノ・チョウホウ(80 代)ハノ・ホマレ(チョウホウの娘・50 代) ハノ・リチギ(チョウホウの息子・40 代)(山中崇)の家族。それぞれ台詞はほとんどモノローグで、父親の意味の無い会話を求める発言は黙殺される。ときおり、ヒデ(リチギの友人):(音楽の環 ROY)が何気なく舞台を横切ったりする。デメ(掃除機): 栗原類。
格別ストーリーがあるわけでもなく、原題の80-50問題の家族の風景であるが、人によっては胸倉を捕まれるようでもあろうし、またかきむしりたいほど切ない人もいるだろう。
本谷有希子も引きこもりの体験があると言うし、岡田も有名大学を出てからコンビニのアルバイトをかなり長くやっていた。現代の空気を確かに伝えている。これは間違いなく現代の生態を描いた現代劇である
二つの舞台ではいずれも、岡田は非常に慎重である。それがどういう進展を見せるかはまだわからないが、次なる進展が楽しみである。今はちょっと立ち止まって、木ノ下や本谷とお茶しながら考えているというところだろう。
Don't freak out
ナイロン100℃
ザ・スズナリ(東京都)
2023/02/24 (金) ~ 2023/03/21 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
劇団初めて三十年、先に「しびれ雲」いまこの「D!ont freak out」。同じ昭和戦前期ものをそれぞれ好きな先行作品の本歌取りをしながら、自分の長い付き合いの俳優たちと作るのは作者冥利に尽きることだろう。Conglaturation!!
松永玲子 村岡希美の二人に捧げたような作品だが、二人から引き出すものは引き出し、しびれ雲とは真反対のホラーである。それでいながら、ともに芝居見物の楽しさを十分味合わせてくれる。スズナリでは見たことがないようなマッピングや照明、道具操作の技術を尽くして、昭和期なら松沢病院、といった感じの脳病院院長一家の不気味な安逸を、松永・村岡の奇妙にメイクした女中二人の目で追っていく(二人、快演)。つじつまが合っているような、合っていないようなストーリー展開もステージ技術で見せられてしまう。
「女中たち」のようでもあるし、狂人幽閉の話もどこかで見た(イプセンの幽霊?)ような気がするが思い出せない。客席一杯に客を入れているが二百までは行かないだろう。このキャスト・スタッフで普通にやれば赤字である。チケットも8千円を割る。こういうスズナリという劇場に配慮できるところもKERAの偉いところである。補助席も出ていて手に入りそうだから、一見をおすすめする快作である。意外に短くて2時間20分。
デラシネ
鵺的(ぬえてき)
新宿シアタートップス(東京都)
2023/03/06 (月) ~ 2023/03/12 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★
鵺的の芝居は思い込みの激しい程面白くできあがるのだが、この作品は、業界内輪話としては、中村ノブアキのように陽性ではなく、陰気な告発調で、中身も今までにも言われていたことで今更舞台で見ても気が滅入るばかりだ。
すっかり創造力を失ったヒットメーカーが、周囲の才能をパワハラ・セクハラで食い尽くして生き延びる、という話はテレビ・シナリオ業界ばかりで無く、商業芸術(とまでは行かない広告なども含め)の世界にはよくある話で、おおっぴらに語られなくなった今でも、その産業システムの中に内在しているのだから、どこにでもある。他の業界にもあるだろう。
そこでなにか新しい生き方を生きる人物でも描き切れていれば、面白くなるのだが、(現実に泳ぎ切った人はこれまたいくらでもいる)ここは、昭和のパターンを一歩も出ていない。エピソードも主演女優が勝手なことを言うとか、ロケハンと称してセクハラとか、一家のホームドラマとか、昔の週刊誌、噂の真相並では迫力に欠ける。
似たことは今でもあるだろうが、才能が埋もれる確率は非常に低い。今は周囲が放っておかないし、周囲も商売なのだからそれなりに真剣なのだ。
主演の佐藤弘幸をはじめ女優陣も一本調子なのもうまくない。なんとかつじつまを合わせるのはうまい寺十吾を今回は手がつきた。これで「デラシネ」と言われても気取り損ねたという感じだ。
ペリクリーズ
演劇集団円
シアターX(東京都)
2023/03/01 (水) ~ 2023/03/08 (水)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
もともと吟遊詩人の作品が元ネタになっていると言うから、日本で言えば、平家物語みたいなもの、歌舞伎で言えば義経千本桜のようなものか。
これだけご都合主義を並べられると、呆れてみているしかないが、いままでは安西徹雄先生に習って、とにかく、ロマンス劇なりに筋道をつけようとしていたが、先生ご逝去で、今回は若い中屋敷法仁の演出。これがなかなか良い。
本音を言えば、かつて彼の劇団柿食う虫で、女体シェイクスピア(だったか?)というシリーズをやっていて、一つ二つ見て、あまりのことにその後はこの劇団も演出作品も気をつけて見てはいなかった。ほぼ十年ぶりに見たわけだが、この間にものの見方も演出技術も老練のうるさ型もいそうな円の役者の手なずけ方もすっかりうまくなって、快調である。
学者の方に聞いてみないとよくわからないが(聞けばたちどころに教えてくれると思うが)この作品のシェイクスピア作品の中では異質の吟遊詩人的街頭演劇の特質をよく捕まえている。つまり、つまらないところは全部語りに任せて、その場が面白ければ良いのである。
例えば、舞台はモノカラーの机二つと椅子十脚(少し数は違うかもしれない)だけで、出演者が振り付けで自在に動かして場を作る。ここが、ダンスとも、コンテンポラリーとも、ただの説明ともつかぬ形でさまざまな音楽に乗って場を作るのがうまい。特筆したいのは、そのテンポが演劇をしっかりベースにしていることで、今までのこう言う舞台にありがちのドラマの全体の中身やテンポをダンスや音楽で崩すと言うことがない。振り付けも、さして難しいものはないが、俳優が一糸乱れず演じられるレベルでまとめている。海上(波と難破)も町もよく出来ている。
ほとんど安西演出は踏襲していないが、安西演出で覚えているところが一つだけあった。芝公園の中にあった朝日放送のホールでの初演。死んだはずの妻が生き返るところ、
安西演出はずっと、舞台に何気なく放り出してあったズタ袋が突然動いて、中から生き返った妻が現れる。観客はぎょっとするし、受けもした。五十年も前の話だから他のところは忘れてしまったが、ここだけは鮮やかだったので覚えている、安西先生もキワモノであることは知っていたのだ。
幽霊塔と私と乱歩の話
木村美月の企画
小劇場 楽園(東京都)
2023/03/01 (水) ~ 2023/03/05 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
タイトルだけ見ると、なんとも昭和っぽい。ところが見てみると、平成令和の女の子のストレートな甘酸っぱい青春もの。乱歩も、なんだかこそばゆそうな舞台だった。
乱歩邸が立教大学のすぐ裏にあることは知られているが、このあたりは昭和になって開発された新興住宅地。杉並なら高円寺、世田谷なら駒沢、といった新興サラリーマン層の町だった。中にはちょっとした町工場もあって、そこの煙突などは乱歩好みの場所になっている。そこへ、現在の女の子(椎名彗都)が迷い込んだメルヘンである。友達(木村美月)と大学構内に入り込んで、用務員と仲良く酒宴を開いたり、乱歩の知り合いだった人の子供(いい大人である。小泉将臣、演出も引き受けさすがに好演)と仲良くなったり。なるほど、今の女の子の甘酸っぱい青春回顧はこんなものか、と知ることができた。
演劇でも、三十年ほど前に、この手の自分探しが流行って、大人の観客は辟易したものだが、その時の騒々しさはなくてファンタジック。主役の椎名が野暮ったくて、なかなか良い。この役を木村美月がやっていたら嫌みになってしまう。気取ってはいるが通俗的なのだ。乱歩もこういうところにかり出されて戸惑っていそうだ。しかし少し硬派に行くなら何かというと乱歩ではなくて、一時はやった小栗虫太郎、夢野久作、新しくは中井英夫、忘れられている角田喜久雄、などを下敷きにしてみたらどうだろう。もうすこし世界は広がると思うけど。
聖なる炎
俳優座劇場
俳優座劇場(東京都)
2023/02/26 (日) ~ 2023/03/04 (土)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
新劇団縦断でキャストされた俳優座プロデュース作品。
この劇場シリーズ、このところ、昔々のフーダニット・ミステリをよく上演する。これもサマセット・モームのほぼ、百年前!!(1928年)の戯曲で、ちょうどのフーダニットが流行し始めた頃の影響か、フーダニット(犯人捜し)である。
一部屋のセットに登場人物7/8人というのは二十世紀中盤までの西欧現代劇の設定の標準で、このシリーズがよくフーダニットを上演するのは地方公演の効率を考えてのことだろう。第一幕は登場人物の紹介で、二幕冒頭で事件が起き、登場人物が集まったところで関係者第三者にみえる看護婦(あんどうさくら)の、これは殺人事件だ、という告発。第三幕では、名探偵は出てこないし、さしたるどんでん返しもないがが、登場人物の隠れた秘密が少しずつ明らかになるサスペンスの中で、犯人は絞られていき犯人と同期が犯人と動機が明らかになる。フォーマットとしてはフーダニットミステリなのだ。
俳優座劇場は一世代前の現代劇上演を想定して作られていて、このごく普通の邸宅の一杯飾りのセットがよく似合うし、プロセニアムの舞台も落ち着く(美術)土岐研一)。百年前、第一次世界大戦後、、飛行機事故で半身不随人飛行機事故で半身不随となってしまった一家の長男モーリス(田中孝宗)。献身的な妻(大井川皐月)や、母(小野洋子)独身の弟(鹿野宗健)近隣にすむのインド在留当時からの古くからの友人(吉見一豊)に囲まれ看護婦(あんどうさくら)付きで、て平穏に暮らしている。
その一幕が開けて、暗転で二幕、冒頭、昨晩何事もなく部屋に引き取った長男が急死したことが判明する。
ここからはフーダニットで、物語は、一家には部外者の雇われ看護婦と昔からの近隣の友人の目から一家の秘密が解かれていく。 看護婦が、昨晩のうちに致死量の睡眠紛失紛失していた事実を公職の責務として公にすると宣言する。もう一つ、ここに、公とこの事情という貸せも現れる。
紛糾したところで幕が下りて休憩。第三幕は、謎解きだが、フーダニット劇の捜しよりも捜しよりも人間関係の謎が追求されるが、結局明らかになる真犯人は意外にも・・・。
この作品は確か劇団民芸の初演だったと思うが、(1975年宇野重吉・演出、その後は78年、俳優座プロデュース、末木利文・演出)で。それからだって五十年。古めかしさは否めないが、人間関係でみると、今なお通じる男女の物語でもある。
俳優は各劇団から出ていて、あまり知らない方も多い。妻役の大井川皐月はもっと派手な出の方が生きると思うし、母親役は(小野洋子)は二幕までにどこかで毅然としたところを見せていないとなじめない。一幕しか出ない殺される寝たきりの主人公は、ベッドが横向きで顔が見えないのは一工夫あるべきところだろう。各劇団寄せ集めのキャスティングだから仕方が無いとは思うが、皆真面目にやっている割にはドラマが盛り上がらない。全体にフーだニットよりも現代劇として見せようとしていて、そこが今とずれて、合わなくなっている。15分の休憩を挟んで2時間25分。