実演鑑賞
満足度★★★★
予習をしていかなかったので、翻訳ミュージカルだとばかり思っていた。しかも、池袋でやるからには内容だけで買ってきた二流の作品ではないかと。
ところが、これは純国産、しかも謙虚にも音楽劇と振っているが、世界的な素材で国産ミュージカルを作ろうという東宝らしい野心のあるトライアウトだった。スタッフ・キャストは東宝が長く目をつけていたスタッフに、東宝ミュージカルを支えてきた優れた若手の実力あるミュージカルの俳優たち(東宝なのにタカラヅカや東宝演劇で看板になる名優をを外している)である。
内容はモーツアルト外伝。松竹の『アマデウス』があるだけにずいぶん損な題材で、しかも才人同士による葛藤というところも似ている。こちらは、劇作家・詩人と作曲家だから、作曲家同士のアマデウスとは異なるが、やはり、モーツアルトあっての素材だから取り上げるには社内でも抵抗があったに違いない。それを押して上演するだけの情熱を感じさせる公演だった。客の勘は鋭い、平日夜の公演でブリリアの一階席ほぼ、満席。
順に行くと。
内容は、イタリアのユダヤ人詩人・作家・ダ・ポンテが当時の芸術の都ウイーンでモーツアルトのオペラの台本を書く『フィガロの結婚、『魔笛』最後に『コシファントッテ』。ほぼ数年だけの交流の中に、ものを書く天才と、作曲する天才との宮廷に生きる男と彼らを巡る女たちとの葛藤が描かれる。モッツアルとはこの後すぐ死んでしまうがダ・ポンテは零落してアメリカへ渡り古書店主で長い余生を生きる。彼の晩年の回想が枠になっている。
作・演出は青木豪。小劇場グリングから出発してそろそろ三十年か、商業演劇も、音楽を使った劇も経験があるはずだが、今回はよく期待に応えている。現代ミュージカルらしい音楽を巧みに使った話の進め方。技術的には音楽から台詞に入るところ。二人の才人のそれぞれのドラマの重ね方など説明的にならずにテンポよく進めていく。残念なところは、肝心の言葉と音楽という二大テーマの葛藤について良いシーンも曲も見つからなかったこと。説明的な群舞のシーンがおざなりになっていること(最初のなくもがなのニューヨークの群舞で、これはいかんのではないかと思った)。原作がテレビ作家だから仕方がないと諦めずにそこは共同で考えてでも良い本ガ出来れば良いのだ。欧米のミュージカルの作者クレジットにはいやになるほど人名が並んでいることがある。作者同士の内輪もめ(があったかどうかは知らないが)は製作者にとっては全くウンザリなのはよく理解できるが、そこは皆大人になって話し合って。この素材を生かして欲しいものだ。ミュージカルの場合は映画と同じで黒沢方式が有効だと思う。
作品の骨格は出来ているのだから、再演ごとに直せば良い。東宝もうまく作れば帝劇でも出来るかも知れないし、輸出も出来るかも知れない。『ベルばら』は西欧では上演できない現実も、今は具体的に考えられる時代になっている。後でも書くが、あまり日本の客ばかりを考えるのでなく世界基準で考えて貰いたい。
小劇場作家をうまく使うのは松竹も同じで、扉座の横内謙介を歌舞伎で使って成功した。想像で言えば、初めて書いたときは横内も歌舞伎など、ろくに見たこともなかったはずだ。金銭的に豊かになった2/5次元でも最近はよく小劇場の作家を起用するが、あまり成功したという話は聞かない。古い歴史のある興行会社には何か独特の勘のようなものと、少しは辛抱するところがあるのだろう。青木もせっかくの機会なのだからここはじっくり取り組んで欲しい。
音楽・笠松泰洋。モーッツアルトがあるのだから苦戦なのは同情するが、健闘している。良い曲と、かつての東宝ミュージカルを引きずったような曲が混在している。ここも、再演出来れば、できるだけ洗って欲しい。古めかしい歌詞に昭和を引きずるようなメロディ進行が重なるところが数カ所あって、そこでかなりゲンナリする。オケはたった六人でやっているとは思わなかった。カーテンコールで解ったが、最近の打ち込み音楽はすごい。
美術は三段重ねのノーセットで奥にオーケストラという布陣。これも少し道具をスライドで出すだけで処理しきっている。衣装は西洋時代物の定番だ。
俳優は海宝直人と平間壮一のモーツアルトとダポンテ。二人とも実力十分、これからのミュージカルを背負う俳優たちである。脇を隙なく固めた助演俳優陣も言うことなしであった。東宝は時に、さらに外れの1010でトライアウトをやるが、このブリリアもつまらない新新作貸し館よりと対アウトを看板にしてはどうだろう。