実演鑑賞
満足度★★
アイルランドの演劇では最近はマクドナーの暗い土着リアリズムの作品がよく上演されてきたが、この作品もこの系列のようで、下層階級の農民の家父長の圧制下に生きる一族の暗黒の物語である。物語の軸はこの家の子供たちで18才の娘、その姉四十才、その間に知能障碍の男の子。母親は下の娘が生まれるときになくなり、同居の祖母は認知症。父はもっぱら同年の友と荒野での兎撃ち、自宅の牧草地は荒れ放題。男の子は動物同然に牛小屋で糞まみれで生活し娘たちは父親の性奴隷になっている。その下の娘に縁談が起きるのが物語のスジだが、全編、内容は今は御法度の家庭内パワハラ、セクハラのオンパレードである。もちろん、舞台で見せたりはしないが、それではこの作品を上演する意味が伝わらない。
なぜ、上品という点では他劇団を引き離して独走の俳優座がこの戯曲をやる気になったのか解らないが、これはミスキャストならぬミス劇団である。文学座が上村聡でやっても、阿佐スパが長塚圭史でやっても、若いところでは温泉ドラゴンがシライケイタでやってもこうはならない。アイルランドの僻村の農家の食堂のセットは軽井沢のコテッジのようだし、衣装化粧は男の子の汚し方は極端だが、娘の方は良家女子校の生徒の普段着の感じ。台詞も上品な訳で、俳優座の俳優だから、台詞はきれいに通す(これは唯一の見所と言って良い)がそれが一層空々しくなるという悪循環である。
俳優座は、劇場も閉めると言うし、この先のレパートリーも発表発しているが、どういうことをやりたいのか解らない。文学座や青年座は時代の難局を切り抜けて新劇ファンの期待に応えている。劇界首位にあった劇団の充実した芝居を見せてほしいものだ。かつては日生劇場で公演が打てた劇団ではないか。百人足らずの客席八分の入り。老人多くエレベーター混雑。